2006年02月23日

ヒッチコックのラストシーン

正月にHMVのDVDセールを友人から教えてもらって、セール対象を10本ちょっと買った中に、ヒッチコック作品が4本(「裏窓」「知りすぎていた男」「めまい」「鳥」)ある。で、おとついようやく見終わった。長らくヒッチコックの映画を観ていなかったので忘れていたが、いずれもラストシーンがさりげなく鮮やかで、しかもちょっと笑えるという共通点があるということを思い出した。

たとえばグレース・ケリーの背中が印象的な「裏窓」では、ジェームス・スチュワートが寝たとたんにグレースケリーが、冒険好きなカメラマンの伴侶になると覚悟を決めているのに、ちょっといたずらっぽい笑みを残しながらハーパース・バザーを読み始めて映画が終わる。

そのジェームズ・スチュワートがレストランでなかなかうまく座れないギャグ?が味わい深い「知りすぎていた男」では、映画中盤でロンドンでドリス・デイをホテルに訪ねてきた旧知の人々がすぐに忘れ去られるように撮られているのに、ラストシーンではまだホテルの部屋で待ちくたびれているという引っ張り具合。

「めまい」はあんなに美しく悲しい話なのに、ラストの修道女の登場〜びっくりしたキム・ノヴァクが墜落というくだりが、やけに可笑しい。

怖い怖い「鳥」だって、ロッド・テイラーの家の前に集まった夥しい数の鳥が結局ただ集まっているだけ(たまに足を突っつくが)という光景は、怖いことは怖いがなんか間抜けな絵だ。

そもそも、別にいわゆるコメディではないのに(世間的にはサスペンス映画だ)、ちょこちょこ笑いを挟んで知らん顔をしているような演出が、ヒッチコックの面白いところだと思っているのだが。

で、そんなことを考えていて、今のモチーフで映画を撮る場合もこういうヒッチコックの方法を援用することは可能なのではないかなあと思った。なんというか、最近の映画は往々にして、笑わせようとか泣かせようとかいうのがしつこ過ぎたり、濃過ぎたりするのである。

そういえばこないだ「有頂天ホテル」を観たときも、そんなことを考えたような気がするな。

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ところで、上の文を書くのに、一応フィルモグラフィーを眺めてて、「新・鳥」というTVドラマがあったのを思い出した(1993年アメリカ)。

以前も観てみたいと思った記憶があるが、すごいつまらないらしい。

ティッピー・ヘドレン(「鳥」のヒロイン。確か「鳥」がデビュー作)が、「鳥」から30年も経っているのに出ているというところが、なんか可笑しいが。

#ビデオはまだ発売中のようだ(ビクターエンタテインメントより)。
posted by aokiosamublog at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(ビデオ/DVD)
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