2006年05月29日

嫌われ松子の一生(映画)

原作で描かれたひとりの女の悲惨な一生を、旬のキャストを使ってポップに面白おかしく映像化した作品と思っていたが、全然違った。予告編を見た印象と、なんというか、全く異なる方向にメーターの針が動いてしかも振り切れた、という感じだ。日本は現在、ちょっと前の時代(昭和中後半くらい)よりも経済を中心にいくつかの面で生きることの不自由さが緩和されたが、その所為で増えた(自戒を込めていうが)中途半端な人間のどうしようもない感じを実際よりも少し(よりもう少し)デフォルメしようとしたのか、と、物語の趣旨を理解できた。いや、原作者や監督の意図とは違うかもしれないが、私なりに思う物語の趣旨を原作を読んだときよりも明確に感じられたという意味では、表現物件としてのパワーは原作を凌いでいたと思う。

あざとくポップな色使いと絵造り、花なめの多様、超広角でちょっと歪んで傾いだ画面、粒状感と舞う埃、薄暗がりと光のバランス、わざと素人臭くしたような白飛び気味の露出、性描写と暴力描写、幻想とやな幻覚、ミュージカル仕立て、「オズの魔法使い」をはじめとするディズニー映画風、リメイクされたファッションや風俗と実映像の昭和史、昭和の親の実直な侘しさ、美人の汚し方などなどの映像や演出の工夫も、奇を衒った感じが鼻につくかなあと思ったがそんなこともなく、話の肉となっていた。笑いのからめ方も虚を衝かれる。

絵造りだけのことをいえば、写真作家も含む海外の作家の名前を(名前忘れた場合は作品を)何人か(いくつか)思い浮かべはしたものの、話の運びに対して必要と思われたので、いちいちつまらない指摘をしなくてもよいだろう。要は、全部ひっくるめて一本の映画として感心し、感動したのである。それなりに毒気の強い残酷な映画だが、不思議に気持ちよく泣けて、なぜかとりあえず身近な人間を大切にしなければと当たり前のことを思ったりした。

あと、そうね、中谷美紀が監督に泣かされ続けたというのは話題作りのネタだと思ってたが、映画観てほんとかもしれないと思った。あと沢村めぐみ役の黒沢あすかの肌の荒れ具合が最高であった。意図的に撮ったとしたら私の中で中島哲也の株はかなり上がる。他のキャストも、概ね役柄と物語にしっかりはまっていた。

それと、サウンドトラックも面白かったが、エンドロールでのサウンドトラックのリミックスまで楽しめる。自分より十以上若い人たちが客層の中心だったが、珍しくエンドロール終わるまで九割方席を立たなかった。

まあ、好き嫌いはあるだろうが、(原作読んでたとしても)思ってた以上の衝撃はあるはずだ。でなかったら、私が入場料をお返ししましょう(ただし先着10名までで)。

で、谷中の演技だが・・・感想を述べるのは「河童」を観てからにする(この映画では役者というよりも、ミュージシャンとして持っているキャラクターを買われたと思うので)。まあ、谷中出てなかったらこの映画観ることはなかったから、その意味では深く感謝(関係者の方がもし拙文をお読みになったら、ぜひよろしく伝えてください)。

#人がこれ観に行った日に限って、間の悪いことにTVで「下妻物語」やっていた。残念。こんどちゃんとDVDで観ておこう。

#母のほうの縁者に、どうしようもない伯母さんがいたことをゆくりなくも思い出した。確か新橋か神楽坂で芸者をしていたらしいが、10年以上音信不通だった挙げ句、母のところに金の無心に来たのである。過去にほかにもいろいろあったのだろう、普通に優しい人間のはずの母が、返済しなくていいからと縁切りをしたといっていた。私が実家を出てすぐの、20年くらい前のことだ。子供の頃にちょっと遊んでもらったことがあるくらいで、名前も忘れてしまったが、その後どうしただろうか。多分もう死んだだろう。書いてしまうとなんか作りっぽいけれど、せっかく思い出したので書いておく。

#というか、姉の子供たちにどうしようもない伯父さんがいた、といつか記憶されることもあるかもしれない。
posted by aokiosamublog at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画
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