で、土曜日にJR出雲市駅付近で一泊、翌日曜日にまず出雲大社にざっくりとお参りしてから、お決まりの出雲蕎麦いただいて、鳥居の正面右手の坂をだらだら下って博物館到着。





出雲大社関連のほか、日本神話、昔の島根、「出雲国風土記」の世界、島根で出土した青銅器と金色の大刀の展示、などで構成されるらしいが、正式オープンまでまだ半年以上あるこの日は(いうまでもなく)展示物はまだほとんどなく、触れ込みどおりに13世紀頃の出雲大社本殿の復元案模型を中心に見物した。
13世紀頃の本殿は、文献などによれば地上48mの巨大木造建造物だそうで、その情報に加えて、割と最近見つかった当時の柱の大きさから構造などを推測して拵えたものだが、5人の建築家(名前控えるの忘れた)それぞれに自分の理屈があり、高さも構造も異なる5体の模型が展示されていた。すでに論争が開始されているらしい。

という話をしてくれた、春風亭昇太似の学芸員の解説は面白かったが、うーん、まあでも、模型を見る限りでは、いずれもこれという決め手につながるような迫力に欠けるか。私はどちらかというと歴史の真実云々より面白がりにいったので、その意味ではどれでもいいけど、というのが正直な第一印象。大きいほうが面白いという点で、108mにおよぶ階段を持つ復元案に一票を投じておきたい。
なおこの復元案のみ、1/10スケールの模型も展示されていた(他は1/50スケールのみ)。それは大きいだけあって、なかなかの迫力。

と思いながら、いったん鳥居に戻ってから参道を一畑鉄道の出雲大社駅のほうにぶらぶら下り始めて、左手に「雲太」というギャラリーがあったので覗いて見たら、そこにも古代神殿の1/10スケールの巨大模型が。聞けば松江工業高校建築科の学生が、件の柱が発掘される前に文献だけを頼りに作ったものだという。なんか素朴で荒削りで古色を帯びている分だけ、歴博の模型より迫力がある。

またそこの係員に話を聞くと、古の本殿というとみんな高床式という前程で語ったり模型を作ったりするが、千木(社殿の屋根の両端の所で、交差し高く突き出ている部分)まで入れて48mだから、千木が長くて床がそんなに高くないという推論も成り立つはず。そこを看過した論争が繰り広げられている歴博の試みは、片手落ちの感は否めない、と力説される。理屈以前に、歴博の存在や活動を快く思っていない感じがひしひしと感じられたのだが、なにか深い事情でもあるのだろうか。
そんな次第で、なんとなく宙ぶらりんな気分のまま参道を下り、旧国鉄大社駅を見物してから一畑鉄道で出雲市駅まで戻り、バスで空港に出て東京に戻る。









ちなみにバスが出るまで時間が余ったが、駅周辺の店もまだ開かないので仕方なくJR出雲市駅構内の蕎麦屋に入ってみたところ、酒も飲めてこざっぱりしたつまみもあり、割子蕎麦も出せば締めに宍道湖のしじみ汁が用意されているわで、立ち食い蕎麦に毛の生えたようなものかと思ってたら意外に優秀だったので驚いた。

あと、空港に向かうバスから眺める田舎の風景には、何故かサム・クックの「A Change is Gonna Come」がよく合うなあ。