縁切り縁結びの神社で、そこにかけられる絵馬に書かれた願いも、良縁を望む前にまず悪縁を断ち切るところから始まるものがほとんどである。
ざっと見る限りでは「○○と××の縁が切れますように」という類が圧倒的に多くて、そのバリエーションとしては「夫と愛人が切れますように」や「○○さんが嫁と離婚して私と結ばれますように」などがある。また、自分の息子や娘の悪縁が切れることを望む親御さんが書いた絵馬もある。
また、そのものずばり、「妻と離婚できますように」とだけ書かれた絵馬もあれば、職場での悪縁切り(「○○が辞めますように」や、あるいは職場そのものとの縁切りなど)もあり、そして病や悪習との縁切り祈願もある。
その縁切り祈願の物量感が結構ものすごくて、縁を切りたければ絵馬なぞ書いている間にばっさり切っちゃえばいいじゃねえか、と考える粗雑な坂東者の私としては、この呪というか情念というかの物量感には、かなりくらくらする。
いや、物量感ばかりでなく、鷲田清一「京都の平熱」や入江敦彦「京都人だけが知っている」によれば、「○○さんが奥さんと別れて私と一緒になりますように」と書かれた絵馬に「そうはさせるものか」と上書きされていただの、夫の若い愛人の写真を絵馬に貼りその愛人の顔が見えなくなるくらいに呪いと恨みの言葉がぎっしり書かれていたといった話が紹介されている。そんなの見たら、多分あまりの恐怖にその場で泣いてしまうだろう。
連れ込み宿に包囲されたかのようなロケーションが、またうすら恐ろしい神社である。
といいつつ、絵馬館も見物したかったのだが、残念ながら今日は休み。
---
それから京大阪の隠れた名物?の「力餅食堂」
できつねうどんを啜り、五条から京阪本線で、京都と大阪の境界にあり、旧遊郭街として知られる橋本に出て、街並みを見物。かつての粋な(だったろう)街並みが崩れていく様は、とても物悲しい。
駅前にある、この街ただ一軒の食堂である、戦前から続いているという洋食の「やをりき」で、店をおひとりで切り盛りしているお婆ちゃんにいろいろお話を伺う。
貴重なお話を伺えるのだろうと、そのささやかなお礼になればとチキンライス(腹は空いていなかったが、意外に美味かった)を肴にビールを何本か空けながらいろいろ話をしていたのだが、最終的にはその地域の老人問題の話を聞くはめになった。我ながら人がいい?なあ。
まあでも大体、橋本の来し方は理解できた気がする。
お婆ちゃん、大層お元気だが、大正生まれということなので、次に訪れたときにはもう店をやっていないかもしれない、という。ただ、御子息のお嫁さんが跡を継ぐかもしれないとも。
---
そのあとも、京都の隠れた情念やエロスや奇矯さの痕が垣間見える孔を捜し歩く、というプランがあったのだが(「京都の平熱」の影響)、ちょっと疲れたのでまた今度にして、結局四条に戻って祇園の辺りをまたふらふら歩いただけで、宿に戻って休憩。それから寺町のキムラですき焼きをつついてから、去年訪れて気に入った「Small Town Talk」という音楽バーを再訪するも、この2月であえなく閉店していた。あまりに良心的な経営が祟ったか。
もう一軒当てにしていたタンゴ喫茶の「クンパルシータ」もお休みで、なんとなく興を殺がれて、早々に宿に戻って本読んだりDVD観たりする。勢いがついてたら、祇園にあるいかにも京都っぽい?名前の「コペルニクス的転回」というバーを覗いてみようと思っていたのだが(これも「京都の平熱」で名前だけ簡単に紹介されていたのだが、今日ぶらぶらしてたら偶然発見した)。
ま、明日はまた朝から暁斎見物なので、うっかり酒を過ごさなくて却ってよかったのかもしれない。