2012年12月24日

テリー・ハフ追悼

つい先日の12月14日、テリー・ハフが逝去。

人の死について、ネット上で発言するのはあまり好むところではないが、今年の夏にたまたま友人に向けてテリー・ハフの略歴を翻訳して送ったりしていたので、追悼の意をこめて、その全文を記載しておこうと思う。

推敲などせずに翻訳したものなので、誤りなどご指摘いただければ幸い。

原文)
http://www.allmusic.com/artist/terry-huff-mn0000028733テリー・ハフは、ワシントンD.C.を拠点にした無名の歌手で、主に東海岸でヒットした、痛みに溢れた「The Lonely One」の歌い手として知られる。

テリーはノース・キャロライナで生まれ、メリーランドのいくつかの養育施設で育った。幼少期に教会で歌い始めたのち、学校のタレントショウに出演するようになる。タレントショウでは、テリーは兄のアンディと共に、リトル・リチャードやエヴァリー・ブラザースの歌を歌っていた。

テリーは、1959年にワシントンD.C.に移住。そこでハフ兄弟は、街角や家々のポーチで歌うという活動を行う。

1962年、ハフ兄弟は、ヴァン・マッコイのために新しく結成されたグループのオーディションを受けたが、落選。が、幸運にも、翌1963年にはレストランのオーナーが主催するニュー・ヨークでのレコーディング・セッションに参加でき、Andy and The Marglowsとして「Just One Look」をLiberty Recordsのために録音した。

この曲が発売された二週間後、Doris Troyが同じ曲を発表し、そちらはヒット盤となった。Troyの盤はこの競争に勝利を収め、その後The Marglowsの盤は日の目を見なかった。続く「I'll Get By」は、ワシントンD.C.のいくつかのメディアで採り上げられたが、セールスは振るわなかった。二度目の失敗のためLiberty Recordsをクビになり、Andy and the Marglowsは過去の存在となった。

1960年代中盤、ハフ兄弟はヴァン・マッコイを含む幾人かのプロデューサーを訪ねた。が、彼らはまた受け入れられることはなかった。

テリーは学業を終え、ワシントンD.C.の警官となったが、1973年頃、また音楽の虫がハフ兄弟の中に蘇った。テリーはアル・ジョンソン(The Unifics)と親交を持つようになり、1974年に警官をやめ、Act1というグループを結成してSpring Recordsのために録音した。

このグループは、その後Spring Recordsを離れMainstream Recordsに移籍、それに伴いグループは再編成され、名前もThe Special Deriveryと改めた。テリー・ハフとジョージ・ベイカー、チェスター・フォーチュン、レジナルド・ロスは、テリーが書いた悲痛なバラード「I Destroyed Your Love」を持って、ヴァン・マッコイのオーディションを受けた。この曲は、即座にQuiet Stormラジオ局でひっぱりだことなり、R&Bチャートの最後のほうに残った。だが、Minstream Recordsが次の録音を準備する前に、グループは音楽的、商業的、また個々人の意向の違いにより、解散してしまう。

その後、テリーは、アル・ジョンソンの助けを借りて、ふたりの兄弟(アンディとジミー)をバッグ・ボーカルに迎えた「The Lonely One」をプロデュース/録音するが、Mainstream Recordsは商業的な理由により、この曲をSpecial Delivery featuring Terry Huff名義で発表した。この曲の成功は、アルバムの企画につながり、テリー・ハフとアル・ジョンソンは、アルバムの制作のため大急ぎでニュー・ヨークを訪れた。しかしアルバムは成功には至らず、テリー・ハフは契約を探しに(仕事を探しに、か?)ワシントンD.C.に戻った。

一方The Special Deliveryは、再び表舞台に現れ、ときどき小さなレコード・レーベルで作品を制作した。「Living on the Run」というアルバムも発表したが、商業的には振るわず、やはりR&B界からは静かに姿を消して行った。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記