2013年01月21日

映画 立川談志

品川のプリンスシネマにて、「映画 立川談志」を観て参りました。

http://cinemarakugo-danshi.blogspot.jp/***

で、思っていたよりドキュメンタリー部分が少ない、というか薄くて、よく知られている談志の功績や人物像をさらっとなぞりながらあまりに「談志マンセー」感の強い冒頭部には、「あれ、間違えて金正日の伝記映画を観にきてしまったかな」と思ったし(半分冗談ですヨ)、談志の人柄を忍ぶなら、取り巻きも仲間も敵も交えて談志と袖触れ合った様々な人の談話を鏤めたらよかったな、とも思ったが、それはまあ私がそういうドキュメンタリーを観たいと思ったという話で、この映画でそれをやるべきだった、という話ではないか。

まあ、高座の談志と高座の外の談志の映像を交互に見て、談志という人は理屈が多くて小憎らしい人ではあるが高座に上がっているときはなんだかきれいで可愛い人なんだな、ということは再認識させられたし、「スクリーンで観る高座 シネマ落語&ドキュメンタリー」と謳っているのはドキュメンタリーはおまけですよということかもしれないし、(ほぼ)一周忌の記念と割り切ればこれでいいかな、とは思うが、それでもやはり、いつかは(といっても縁のあった方々がなるべく多くお元気なうちに)きちんと立川談志という落語家の軌跡を掘り下げたドキュメンタリーを観たいな、とは思う。

が、そんなことより、映画の後半約一時間を費やした「芝浜」(2006年12月三鷹市公会堂での高座の完全収録)が圧巻であった。

むろん、人によっては病に倒れる前の、一番生きのいい40〜50代の頃の高座を聴きたい、採り上げるべきだ、という意見もあるだろうし、私も病後の晩年に円熟を究めた云々という見方をそっくり受け入れたいと思ってはいないのだが、そういう小賢しいことを抜きにして、この映画での「芝浜」は心揺さぶられるものだった。終盤の、大晦日の鐘を聴きながらの「百八つ」「百八つ」と囁き合う場面では、やはり予想した通り、夫婦というものの可笑しさを味わいながら泣いた。今思い出しても涙腺が緩む。

撮影は正面からのみで、遠景、中景、近景の切り替えのみ、というシンプルな編集、これについても「工夫がない」といった意見をどこかで読んだが、談志の芸へのひとつの評価や信頼として、敢えていろいろなアングルからの絵を使わないという方針を採ったことには敬意を表したい。

いや、ことによったら、元々正面からの映像しか撮ってなかったのかもしれないが(それはないか?)。まあそれはあれとして、映画館という、TVモニタに比べて格段に画面に集中できる環境で、この一時間の「芝浜」を聴けるだけでも、劇場に足を運んでよかったと思っている次第。それに二千円払う気持がある人には、お奨めしたい。

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それにしても、昨夜は家内と連れ立って観に行ったのですが、女房と一緒に「芝浜」を聴くというのも妙な体験ではありました。帰り道、試しに「そういえば、こないだ420万円入った財布を拾って渡したろう。あれはどうした?」と訊いてみたが、無視されました。
posted by aokiosamublog at 23:10| 映画