2013年02月01日

体罰について

Twitterへの投稿(2013年1月10日)より転載。私はあまり体罰を受けた記憶がないが、それでも思い出はふたつある。ひとつは小学生のとき家の前で遊んでいたら、タクシーが通りかかったのでふざけて「ヘイ、タクシー!」と手を上げた。タクシーは止まった。それを見ていた母親に、働いている大人をからかうんじゃない、と、思いっきりビンタされた。
posted at 21:59:41

そのビンタによって、働いている大人を遊んでいる子供がからかってはいけない、というメッセージが強力に伝わってきた。この母親のビンタについては、私には有効だったと思っている。
posted at 22:01:13

もうひとつは、中学の体育のプールの授業のとき、音楽を聴き始めて格好だけ髪を伸ばした私は水着を忘れたので見学を申し出たら、体育の加藤先生にいきなり頬を殴られた。加藤先生は見るからにカツラだったので、悔しかった私は殴られた瞬間「カツラ」と言った。加藤先生の顔色が変わり、また殴られた。
posted at 22:03:33

また殴られた私は、今度は「ハゲ」と言った。また殴られた。以降、「カツラ」殴る「ハゲ」殴る、が何度か繰り返されたが、最後には私を殴る加藤先生の手に力がなくなり、「もういい、校庭を走ってこい」と言う。
posted at 22:06:31

私は校庭を走らず、歩いて校門を出て、学校から少し離れたラーメン屋に行き、ビールを頼んだらビールが出てきたので呑んだ。今にして思えば、悔し紛れにやけ酒を呑んだ最初の経験かもしれない。この体罰には、それ以外の意味は全くなかったと思う。
posted at 22:08:02

以上ふたつを思い出したので書いてみたが、酔っ払ってるので結局なにが言いたかったのかは書いているうちに忘れてしまった。まあでも、意味のある体罰があるとすれば、それは様々な条件が重なった上のことだと思う。そしてそうした条件は、およそ人が簡単に制御できるような代物ではないとも思う。
posted at 22:13:15
posted by aokiosamublog at 03:36| 小ネタ/思考/日記