於歌舞伎座
新版歌祭文 野崎村
新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子友人から三階の切符をもらって、とつぜん見物することに。
演目を横目で見たくらいで出かけた次第だが、『野崎村』の中村福助にやられる。特に、扇雀久松と七之助お染が籠と船で去る場面の、裏窓から福助お光がすっと顔を出すところと、そこからずっと押さえに押さえた芝居でふたりを見送ったあと、彌十郎久松にすがりついて慟哭するところでは、涙を押さえ切れなかった。これはまた見たいなあ。三階でもそれだけ感動させられたから、幕見でも大丈夫だろう。
『春興鏡獅子』は、小姓弥生が勘九郎。そういえば、この前この舞踊を観たのは、勘三郎が弥生のときだったなあと思うと感慨深い(5〜6年前か)。当代勘九郎は、たおやかな感じというよりはちょっとしゅっとした弥生で、きれいだなと思ったが、それ以上の感興はなかった。獅子になってからは少し迫力不足に感じ、弥生のときとのおおっと思うような差が感じられなかったかな。後半七之助のときはどうだろうか。
そういえば、帰りに食事に寄った木村家グリルで、同じ芝居見物帰りの人たちが「七之助が弥生をやって、勘九郎が獅子の精をやればいいのに」と言っていた。それだとこの芝居自体が面白くない気もするが、そう考える気持ちはなんとなくわかった。
主役よりも、虎之介と鶴松の胡蝶の精の可愛らしさが印象に残ったような気もする。
2013年08月08日
歌舞伎座新開場 杮葺落八月納涼歌舞伎(第一部)
posted by aokiosamublog at 23:00| 歌舞伎/演劇