2014年08月28日

上野鈴本8月下席昼

上野鈴本演芸場八月下席昼川柳川柳の芝居。先日浅草で『パフィーde甲子園』を聴いたとき、なんとなく元気がないなと少し心配になったのだが、ちょうどすぐの鈴本下席で10日間主任を務めるので、様子を見に行った(お見舞いか)。

前座の三遊亭歌実(歌之介の弟子との由)がちょっと噛み過ぎだったのはまああれとして(『転失気』自体は悪くはなかった)、林家ぼたん『ぞろぞろ』から笑組の漫才まで、寄席の浅い出番の、それぞれになにかものすごいことがあるというわけでもない感じとしては、なんだかとてもよい心持ちで過ごした。

橘家圓十郎『強情灸』は、なにかぐっとつかまれるところはなかったのだが、なんだか若々しい『強情灸』で好感を持った。春風亭一朝『目黒のさんま』も、ただただ心地よかった。

一朝から笑組の爆笑漫才ときて、続く桂文楽『悋気の火の玉』だが、私にはどうも落語を落語たらしめる滋味のようなものが感じられず、ちょっと退屈した(そういう意味では、芸の味わいはもちろん違うが、先日浅草で聴いた林家正蔵の『悋気の火の玉』と、手応えとしては同じである)。

もっとも『悋気の火の玉』という噺自体に、たとえば色気や凄みや粋な感じや、嫉妬の怖さ、あるいは笑いの量がどれだけ必要なのかは知らない。文楽や正蔵のそれに対する感想は私だけのものかもしれないし、そしてそれは的外れなのかもしれない。

だから別に特定の噺家をくさそうというわけではないけれど、今年は『悋気の火の玉』を三回聴いたけれど(三遊亭小遊三、正蔵、文楽)、いずれもあまり心地よく聴いた記憶がない。噺自体は好きな噺なので、今なら誰の『悋気の火の玉』が私にとって心地よいのか、出会うべくして出会いたいと思った。

ただし文楽の場合、女中は今ではお手伝いさんという→家政婦は見た、だとか、今なら権妻がTwitterに書き込んで炎上、だとか、火の玉の飛ぶ様子をオスプレイに喩えたりだとか、少しくくすぐりの意外性や鮮やかさに欠ける憾みがあるとは思った。Twitterのくだりならどちらかというと発言小町などの投稿サイトのほうが例示としてはぽんと膝を打てるのだが、Twitterと言われるとネットと言えばなんでもTwitterかい、というような、おざなりさや底の浅さを指摘したい感情が聴く側に生まれてしまうように思う。ただ、狆を飼う代わりにドーベルマンを飼ったりして、からの流れで松嶋菜々子の件に言い及んだところは、個人的には好きだし笑ったが。

まあそういう見方でいくと、文楽の次に春風亭一之輔を持って来る顔付けは、結果として残酷なような気もした。一之輔は自分の子供のことを語るマクラから『初天神』を語り出す流れがぎゅっと締まりがあって見事。本編も無駄がないのになにか落語的な滋味が感じられて、匕首をすっと突きつけられるような感じの短いくすぐりにはっとさせられたり、とても引き込まれた。お父っつぁんと金坊とが実力伯仲というかいい勝負なのも、なんだかおかしな緊張感があって面白い。

あとは百栄『寿司屋水滸伝』(柳家喬太郎作)、歌武蔵の相撲ネタの漫談、喜多八『小言念仏』が可笑しかったかな。トリの川柳は、先日の浅草で聴いて少し元気がないなあと思っていたのだが、『ガーコン』はほぼいつも通りの迫力だったと思う。歌はまったく衰えていない。『ガーコン』を語り終えたあとの『マラゲーニャ』は、歌は相変わらずだが、ギターが前に聴いたときより縒れてる感じだったかなあ。なるべく聴けるうちに聴いておきたいと思う。

ところでトリが始まってから帰る客はなんなのだろう。川柳が嫌いなら高座が替わるときに変えればいいし、知らないならとりあえず最後まで聴いてから判断すればいいのに。いつもそうかは知らないが、途中で帰るのはおじちゃんおばちゃんの二三人連れが多かった気がする。あ、若者もいたか。

最後に備忘としては−

・笑組の漫才は、かつら、匂い袋など電車の中のスケッチと、かずおに喋らそうとして喋らせないネタ。後者は見事に爆笑。

・柳家紫文はまあいつも通りだが、いつも通り楽しんだ。一応かかったネタを列挙しておくと、まずは都々逸「いちゃいちゃしている二人の横で、いやいや首振る扇風機」「暑い暑いと思っていても、三月もせぬうち秋が来る」「人はバタンと倒れるけれど、会社はハタンと倒れます」、それからさのさ「うちのおじいちゃん帽子が好きで〜ボケ防止」(細かい文句は失念)、鬼平半可通で“糸屋”、“白鳳”、“綿屋”、“大仏”、大岡越前で“隠れ切支丹”と“山羊”。鬼平半可通“糸屋”のサゲがなんだったか、忘れてしまった。なんだったかな。

・歌武蔵の漫談は相撲ネタで、相撲界の矛盾や問題点を面白く揶揄するもの。さすがの説得力と、時折真面目そうな批判をすっとくだらない笑いに外していく間合いが可笑しい。

・ホームランの漫才は、最後にやった『東京五輪音頭』の勘太郎の歌とたにしの踊りが見事。まだまだ見てない芸がいっぱいあるんだなあと思わされた。

以下、この日の演目。

三遊亭歌実(前座)
 ・・・・・・・・・転失気
林家ぼたん・・・・・ぞろぞろ
花島世津子・・・・・マジック
橘家圓十郎・・・・・強情灸
春風亭一朝・・・・・目黒のさんま
笑組・・・・・・・・漫才
桂文楽・・・・・・・悋気の火の玉
春風亭一之輔・・・・初天神
柳家紫文・・・・・・三味線漫談
春風亭百栄・・・・・寿司屋水滸伝
(仲入り)
ストレート松浦・・・ジャグリング
三遊亭歌武蔵・・・・漫談
柳家喜多八・・・・・小言念仏
ホームラン・・・・・漫才
川柳川柳・・・・・・歌で綴る太平洋戦争史、マラゲーニャ

(追記)
Facebookの『落後総見』グループ(https://www.facebook.com/groups/rakugo99/)に、川柳の高座の模様だけちょっと報告しようと思ったら、思いのほか追記してしまったので、こちらにもそのまま転載する。

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昨日(8/28)上野鈴本下席昼、川柳川柳の芝居を見物してきました。

先日、浅草の中席夜の川柳『パフィーde甲子園』を聴き、ちょっと元気がないのかなあと感じたので(たまにそういうことはありますが)、鈴本の下席でトリを取るのだからと、誠に失敬ながら勝手に“お爺ちゃんの様子を見にいく孫のような心持ち”で、足を運んだ次第です(実際には、川柳は私の老父とほぼ同い年なのですが)。

で、この日はもちろん『歌で綴る太平洋戦争史』(ガーコン)をマクラもそこそこに三十分たっぷり。いつもの「もっと笑え」と客を叱る様子に少し迫力がないのかなあというくらいで、歌とジャズの口ラッパは相変わらず健在でした。途中、軍歌数曲を短くメドレーで歌うところなど、キーの違う歌を組み合わせているのに(多分)音程の狂いがないところなども含め、お爺ちゃんの昔話を聞かされているようでいて実は完成された芸であること、その見事さを改めて痛感しました。

『ガーコン』を語り終えたあと、まだ余興があるからな、といったん袖に引っ込み、ソンブレロとサラッペをまとって登場。これもお馴染み『マラゲーニャ』も演ってくれました(これがこの10日間の楽しみなわけですが)。

『マラゲーニャ』は、歌は相変わらずの高音のロングトーンが見事でしたが、ギターの演奏はだいぶ縒れが感じられたかな。以前はもっとしっかりしてた気がするのですが、どうだろう。先入見がそう感じさせたのか。

いずれにせよ、体力を使う芸ではあると思うので、お元気なうちに観られるうちに観ておこうと思った次第です。

ああ、ひとつ残念だったのは、川柳が本編を語り始めてから帰る客が目立っていたこと。元々嫌いなら高座の替わり目で帰ればよい。まあ寄席は客がいつ入るのもいつ出るのも自由ではあるものの、語り始めてから帰るのは、噺家にとっては痛烈かつ意地の悪い批評行為であると思うのですが、帰る人にその覚悟が果たしてあるのかどうか。冒頭だけ聴いてよほどこれはまずいぞと思ったのなら仕方ないですが、多分、帰って行く人には悪意はそんなにないとは思いますし、その悪意のなさは却ってタチが悪いのではなかろうか。知らなかったり好みでないなと感じても、たかだか三十分ほどなのだから最後まで聴いてみればいいのに、と私は思います。

あ、ちょっと興奮したらとつぜん思い出しましたが、柳家小せんの『ガーコン』は、今どんな感じなのだろう。継承されたというのをすっかり失念していましたが、もしご存知の方がいらしたら、おしえていただければ幸いです。
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posted by aokiosamublog at 23:00| 落語/演芸