2014年10月06日

入船亭扇辰独演会

高円寺ちんとんしゃんにて。普段落語を聴くのは寄席がほとんどなので、この噺家はいいなと思ってても15分を超える高座をじっくり聴いたことがない、ということも少なくない。

入船亭扇辰もそのひとりで、寄席でぼおっと高座を眺めててこの人が出てくると、その様子のよさにうれしい気持ちになり、噺を聴けばよい心持ちになるのだが、これまで独演会などに足を運んで30分、一時間という噺を聴いたことはなかった。

と、たまに呑みに行く高円寺ちんとんしゃんで独演会を催すというから、これはよい機会と出かけてみた。ちんとんしゃんでの落語会(ちとしゃん亭という)の高座はカウンターの中に設えられ、客席は高座にかぶりつきのカウンターと、カウンターの後ろに位置する入れ込みの座敷とに分かれるが、この日は靴を脱ぐのが面倒だったの、わがままを言ってカウンターに座らせてもらった。噺家に手が届くような近さだ。

前座は扇辰二番弟子の入船亭辰のこの『子ほめ』。しっかりとした『子ほめ』だった。うっかり笑ってしまうようなところはなかったと思うが、今後どのように個性が出てくるのかは楽しみに思った。

続いて入船亭扇辰『阿武松』(30分ほどだったか)。全体にきりっとした印象の芸で、それが小車/小緑(のちの小柳長吉/阿武松緑之助)の不器用な誠実さや、橘家善兵衛、錣山喜平次親方のいかにも信頼の置けそうな人物像を好ましく描いているなあと感じた。寄席でもよく思うように、扇辰は顔付きといい高座姿といい様子がよく、それもその印象の形成を助けているのだろうと思う。

仲入りはさんで『五人廻し』(40分近かったと思う)。冒頭の職人と、続く官員、田舎客、通人、お大尽の鮮やかな演じ分けを、至近距離で堪能した。ずっと高い緊張感を保ったまま時折爆発、という趣きで、途中すっと力が抜けるところはほとんどなかったように思うが、よい間で噺がぽんぽん進むので、気を抜かずに楽しめた。そしてその緊張感の持続が、喜瀬川の「これあげるから旦那も一緒に帰ってちょうだい」というサゲの“抜けた感じ”を際立たせていたように思う。

ちんとんしゃんは店自体が落語の舞台のような趣きがあり、特に『五人廻し』のような噺は、高座までの近さもあり自分が妓夫太郎になったり郭の客になったりするような気持ちにもなるところがまた楽しい(もちろんそう思わせてくれるのはここでの会に出られる噺家それぞれの芸の力が大きいわけだが)。この日も実によい会であった。

以下、この日の演目。

入船亭辰のこ・・・・子ほめ
入船亭扇辰・・・・・阿武松
(仲入り)
入船亭扇辰・・・・・五人廻し

***

以下余談。

打ち上げの際、辰のこさんの隣に座っていたのだが、少し酔いが回った私は、タチの悪いことに、かねてから疑問に思っていた「林家の兄弟は、落語界の中ではどう考えられているのか?」という疑問をぶつけてしまった。そしてその後扇辰師匠にも。一晩明けて素面に戻って思い出すと汗顔の至りだが、辰のこさんも扇辰師匠も、実に真摯にこの素人の失敬な質問に答えてくださった。

その内容は、もちろん私が今後林家兄弟の高座を聴く際の参考にするだけで、公にするつもりはないが、改めて感謝の意を表しておきたい。大変勉強になりました。

***

もひとつ余談。

二席めの『五人廻し』のマクラで、「吉原の消滅が昭和33年、長嶋茂雄が大学を出て巨人に入団したのも昭和33年だから、長嶋は吉原に行ったことがあるに違いない」というくだりがあった。

まあそれは、その、細い細い糸を無理矢理結びつけようとしているのになんだか説得力があるような話芸が可笑しい、という話なのだが(その場で聴いてこそ面白い)、しかしそんな風に考えると、私の父も吉原に遊びに行ったことがあるかもしれないと、昨夜の高座のことを思い返していてふと思った。

父と母が結婚したのは昭和37年で、そのとき昭和5年生まれの父は32歳。昭和33年時点では28歳。結婚前は亀有に住んでいたようだし、勤めは四ツ木の中川沿いの化学薬品工場だったと聞くから、可能性はあるな。私が生まれたのは町田で、その後転居した百合丘、調布、小平で暮らす家庭人としての父の記憶しかないわけだから、今までその発想はなかったのである。

まあどうでもよいような話ではあるが、今度一緒に呑むときにでも尋ねてみようと思う。当時の吉原の様子が少しでもわかれば、それもまた幸い。
posted by aokiosamublog at 23:00| 落語/演芸