2015年08月31日

8月まとめ(21〜31日)

8月21日(金) 朝7時起床→慌てて金継ぎ教室の準備して北千住へ→今日は小皿の仕上とこれまで仕上げた皿二枚の掃除をするつもりが、茶碗の直しにも手を付け、けっこう慌ただしくなる。仕上げ用の漆+添加剤(早口)+薄め液の配合が今ひとつうまくいかなかった→教室後、新しく仲間になったY子さんを伴って研究所に顔を出し、その後朝日軒で一杯→特に研究所的なことはせず帰途に付く。帰りの電車ではさすがに熟睡した→経堂でとろろそば手繰ってから帰宅→帰宅後即シャワーで汗を流してから午睡→DUの原稿はOKだった模様だが、「ありがとうございました」しかコメントがないので実のところはわからない→『恋のつむじ風』(鍛冶昇。松原智恵子、太田雅子、長谷川照子、杉良太郎、丘みつ子、川口恒、和田浩治、山本陽子、岡田由紀子、久万里由香、斎藤チヤ子、新田昌玄、西恵子、沖雅也。1969、日活)見つつ一杯。話の設計が甘いので全体的に駄作の印象が残ったが、太田雅子時代の梶芽衣子や若い丘みつ子が見られるし、まあつまらなくはなかった。終幕に松原智恵子の困惑したような顔のどアップを唐突に映す演出は謎→0時頃就寝。
8月22日(土) 朝9時起床→宿に明日の到着予定時間ほか連絡→シャワー浴びて昼過ぎ新宿に出て、栂野さん(栂野眞二)の『タワシ王子の人生ゲーム』と白いばら山崎元店長(山崎征一郎)の『日本一サービスにうるさい街で、古すぎるキャバレーがなぜ愛され続けるのか』を購入→時間がないので草枕のカレーはあきらめ、都営新宿線で森下へ→森下周辺もその時間ささっと食べられるものでよさそうなのがなく、目的地へ急ぐ→black Aという小屋にて、黒田百合出演の、仲村みなみ脚本・演出、飛び猫舎『恋狂ひ 〜かぐや姫の恋文〜』拝見。かぐや姫の物語に独自の妄想を少し加えた朗読と舞踏および琵琶とチェロの生演奏。いろんな風景が見えてくるのが楽しく、そして美しかった。朗読者が劇中喉を潤すのに竹の湯飲みを使っていたのが面白かったが、聞けば黒田百合の思いつきとの由→終演後黒田百合と少し話したのち、新大橋を浜町へ渡り、噂のヤマザキで一杯。店長がおらず、本格的な呑みには突入しなかった→水天宮の祭りを横目で見ながら甘酒通りをぶらぶらしたが、浜町薮は休みだし、笹新はもう混んでて入りにくそうだったので、大通りに出て松竹庵という蕎麦屋で一杯→壽堂で土産の水ようかん買い水天宮駅から電車で帰宅→シャワー→晩のお供に『ひばりの森の石松』(沢島忠。美空ひばり、若山富三郎、加賀邦男、長島隆一、里見浩太朗、植木千恵、大河内傳次郎、阿部九洲男、吉田義夫、堺駿二。1960、東映)。前半中盤は思ったより地味でどうなるかなと思ったが、後半のレビューシーンやなぜかボーリング場があってそこでの乱闘など、好き者にはうれしい展開もあった→明日の仕度は明日にまかせて、夜11時過ぎ就寝。
8月23日(日) 朝5時起床→本日の道程確認と旅の荷造りほか→朝食べずに7時半過ぎ出発→近所のガソリンスタンドで満タンにしてから環八経由で外環道。なぜか大泉で乗りはぐり、和光から乗った。なぜ見落としたかは不明→渋滞もなく快調にドライブ。外環道になかなか乗れなかったのと休憩多めに取ったのとで、まあだいたい1時間くらいの遅れ→磐越道を磐梯河東で降りてから、曲がるところをひとつ間違え猪苗代湖の遊覧船乗り場に来てしまったので引き返す。その後はスムーズ→宿(芦名)に着いてクルマと荷物置き、歩いて会津若松市内へ。宿の人がみな美人で独特なオシャレなのに驚く→途中お秀茶屋で昼。名物の田楽がたいへんうまかった。陽気が涼しかったのも吉→続いて鶴ヶ城の天守閣に登る。城自体は後世の建築なので中から見るところは少ないが、天守閣からの眺めは素晴らしかった→城から降りて、タクシーで末廣酒造。ここでA間さんと合流し、試飲と買い物と蔵見学。同行の、高知出身という大正12年生まれのお婆ちゃんがやたらおかしかった。お元気で→七日町を案内してもらってから、徒歩で田季野に移動し晩。枝豆、鰊山椒漬け、棒鱈煮、鯉の甘露煮、鶏唐揚げ、馬肉煮込みでビールと末廣の御酒、そしていつものバカ話を堪能。〆に小露、よくばり輪箱飯、けとばし輪箱飯。お秀茶碗に続き、よい店を案内していただき感謝→タクシーで宿に戻る。武家屋敷向かいの厳しい屋敷は、バブル経済のころに建てられた今出来の建物であることを運転手に教えてもらう→宿に戻り一眠りしてから風呂→湯上がりにビール飲んで就寝。よる0時過ぎ。
8月24日(月) 朝7時起床→8時より朝食。囲炉裏で焼いてくれる塩鮭、卵焼きに大葉味噌、冷奴、きんぴらごぼう、豆腐と油揚のおつけ、ご飯、香の物(胡瓜、大根、人参、梅干しなど)。質素ながら贅を尽くした朝餉だった。おつけの出汁のおごり具合と味噌の濃さに感心した→私だけ先に出発し、羽黒山神社に参拝。1225段の石段は、多少斜めになっているところがあるものの神倉神社ほど過激な作りではないが、太り気味で体力不足の身体にはきつかった。1/3くらいで息が切れ肩と胃が痛くなり、半分を超えたところで軽い目眩を覚えたので、以降は疲れたら石段に座って休んだ。蚊はぜんぜんいなかったので助かった→おおついに社がと思ったらそれはフェイクで、そこからさらに20〜30段ほど上がったところが社だった。戸を開けて賽銭箱の賽銭を入れ、中を見回すとかなりの量の落書きが。落書きは社外面にもあったが、たいていは地元の中学生、高校生と思しき子供の手で「スポーツ大会で勝ちたい」といった内容だったので、これは余所者がなにか言うものでもないな、と考えた→下りは上りほどきつくはないものの、階段の幅と高さが微妙に大きく、かなり太ももの筋肉を使い、そして膝が笑った。これまた休み休み、ときにはセルフ・ポートレイトを撮りながら降りる→山を下り、東山温泉入口のY字路のところでO形と合流→武家屋敷の土産物屋を覗き、そこからタクシーと考えるも昼休みなのかタクシー来ず、周遊バス「あかべぇ」で七日町駅まで出る→まずは駅近くの蕎麦屋で一杯→会津漆、会津木綿の店などで買物し、昨日A間さんが推奨してくれた雑貨屋件喫茶店で一服。そこで疲れが出たので神明通りに出てタクシー拾って宿に戻る→手前で下ろしてもらい、東山温泉射的場で少し遊ぶ。なにも取れなかったが、セルフ・サービスなのには驚いた→宿に戻って風呂→晩は馬刺、イワナ塩焼き、枝豆、茄子煮浸し、ごぼうとニンジンの酢の物、トマトとアスパラガスのサラダ、地鶏つくね、地鶏塩焼き、もりそば。部屋でビール呑んだので、晩は御酒のみにする。料理はいずれも深い味わいが楽しかった。地鶏つくね辺りで腹がくちくなったが、なんとか食べ尽くした(〆のそばのみ一人前にしてもらった)。割に酔い、部屋に戻ったら、風呂はさぼって就寝。夜10時頃。
8月25日(火) 朝7時起床→朝食は鯖塩焼き、プチトマト、蕗煮付け、たらこ、豆腐と油揚のおつけ、ご飯、地鶏生たまご。さすがにお腹は悲鳴を上げそうだったが、ご飯はお代わりする。満足→部屋に戻ってから最後の風呂→10時過ぎにおいとま。クルマを動かしたら宿の美人たちが走りながら見送ってくれたのがとてもうれしかったな→会津武家屋敷の土産物屋でたんまり土産買う→続いて三万石で☆家への土産のエキソンパイを注文→飯盛山に立ち寄り、会津白虎隊の墓と自刃の地を見学。私はほとんど関係ないとはいえ、先祖が幕軍に参加した戦争の余波で若い人が無駄に命を落としてしまったことを噛みしめ、線香を手向けた→今回の旅の大きな目的のひとつであった栄螺堂(旧正宗寺三匝堂または円通三匝堂)も見学。入ってしまえば二三分でひと回りできてしまう規模だし、上り坂の天井が下り坂の床になっているとわかれば不思議はないが、それでも妙なる体験ではあった。かなり古いと思われる墨書きの落書きがあるのも可笑しい→会津を辞し、磐越道と常磐道でいわき湯本へ→高速道路を降りてからまた迷うかなと思ったが、ほぼ一本道でら・ら・ミュウに到着。震災から四年半経ち、一般市場としての機能も賑わいも、もう元通りなのかなと感じたが、実際はどうだろうか。市場内の寿司屋で昼にしたが、かなり繁昌していた→市場ではメヒカリと鯵の干物を購入、鯵の干物を買った店の親爺がなかなか調子のよい人物で楽しい。薦められるがままにウニの貝盛り(チリ産ムラサキウニをハマグリの貝殻にゴルフボール大くらいに盛って蒸したもの。ひとつ六百円)を食べたが、ふっくらしていたまことにうまかった。これで御酒をやりたいが、市場付近に宿泊しなければ無理だなあ→さらに塩屋岬灯台を目指してクルマを走らせる。海沿いを離れまた海沿いに出たとき、その地にある墓地が無事な様子と思いきや真新しかったり、さらに浜辺に新築の家屋が建っていたりするところに、言葉にはできない衝撃を受けた→さらに海沿いにクルマを進めると、海岸はまだまだどこまでも護岸工事の真っ最中だった。言葉を失う→塩屋岬に到着。灯台には登らずに、茫然と薄磯海岸の波打ち際から海を眺め、自然に黙祷した。「美空ひばり遺影碑」の前に立ったO形がとつぜん鳴り出す『みだれ髪』に驚いてうわあと声を上げてあとずさりしたのには笑った→元来た道を戻る格好で常磐道に乗り、途中で三度ほど休憩をはさみつつ、一路東京へ。大泉出口も環八もさほど混んでおらず、あっさり帰宅→荷解きもほどほどに風呂入ってビール一本呑んで就寝。夜0時過ぎ。DUから送られてきたデータの整理だけする。
8月26日(水) 朝8時起床→胃腸を休めるべく塩昆布と青ネギのスープのみで朝食→旅の最中の日記まとめて書く→昨日訪れた薄磯海岸の震災直後の写真をWebでいくつか見て憮然→一時間ほど午睡→夕方までにDUの録音起こし完了→夕方大崎へ。高岡大祐/レオナ/ダレン・ムーアのトリオ(於大崎l-e)→l-eの前に、途中にあるさんごという定食屋で一杯。悪くはないが、やはり朝日軒はすごいなと再認識→l-eはコンクリートのにおいが鼻につき、最初少し居心地悪かったが、ライブが始まったら気にならなくなった。高岡大祐はさらに変化を続けていて見たことのない風景をいくつも見せてくれたし、ダレン・ムーアは派手さはないと感じたのに実は引き出しが多く次から次へと面白くて心に響く音を繰り出し続けるし、そこにレオナが一本骨を通すという感じだったかな(レオナは踊っている最中の顔も面白い)。久々に心と身体が自然に踊る演奏を味わった。床のマンホールのフタを開けて独特の残響音をうまく使った展開もよかったな→終演後軽く呑んで平和に電車で帰宅。l-eが元Looplineだったとは初めて知った→帰宅後即就寝。夜1時頃。
8月27日(木) 朝10時起床。やっとメヒカリの唐揚げにありつく。相変わらずうまい→午前中にDUの原稿了→午睡→録画整理→晩に『クレージー黄金作戦』(坪島孝。クレージーキャッツ、浜美枝、園まり、有島一郎、藤岡琢也、藤木悠、十朱久男、飯田蝶子アンドリュー・ヒューズ。1967、東宝)見る。ミュージカルシーンが冷製に見ると貧乏臭いのにそうは感じさせないところなどは、何度見ても不思議→酔っ払って早々に就寝。
8月28日(金) 朝10時起床→録画整理など→Yえちゃんのお母様の通夜に行くO形を送ってマレットで遅い昼→オダキューOX、ミートコンパニオン、梅田青果、一力と買物して帰宅→晩の仕込みして風呂→『女囚さそり 701号恨み節』()見ながら晩→夜11時頃就寝→深夜2時頃目が覚めてしまい、『タモリ倶楽部』と『ようこそ迎賓館』(春風亭栄枝、百栄親子会)見る→朝方5時頃就寝。
8月29日(土) 朝10時起床→午後、O形実家へ。ご両親とも元気そうでなにより。会津土産の酒を結局飲み干してしまったが、まあこれも親孝行ではあろう。ご飯をいただいて、夕方6時過ぎおいとま→平和に電車で帰宅→帰宅後横になったらすぐ寝てしまう→そのまま寝たり起きたり。
8月30日(日) 朝9時起床→録画整理とウクレレの稽古と午睡→晩は演芸番組の録画を消化→夜1時頃就寝。風呂さぼったので明日は早起きだ。
8月31日(月) 朝8時起床→シャワー→9時半出発→11時にギタリスト都筑バクと雷門前で待ち合わせ。寄席を見てみたいというので演芸ホールに案内。その前に水口食堂で一杯→演芸ホールは余一で第三十四回初代林家三平追善興行。演目は下記のとおり前座、林家あんこ、つる子、なな子、まめ平、あずみ、はな平には間に合わず)。

林家たこ平・・・・・親子酒
林家ぼたん・・・・・松山鏡
林家たけ平・・・・・漫談
林家まる子・・・・・漫談
林家うん平・・・・・小言念仏
林家しゅう平・・・・袈裟と盛遠
林家ペタ子・・・・・ギター漫談
林家のん平・・・・・ぞろぞろ
林家かん平・・・・・寝床
林家英平・・・・・・マジック
林家錦平・・・・・・紀州
林家しん平・・・・・漫談
林家源平・・・・・・蝦蟇の油
翁家勝丸・・・・・・太神楽
林家三平・・・・・・漫談(香葉子乱入)
(仲入り)
林家ライス・カレ−子
 ・・・・・・・・・環境漫才
林家たい平・・・・・漫談
林家鉄平・・・・・・漫談
林家種平・・・・・・お忘れ物承り所
三増紋之助・・・・・曲独楽
林家正蔵・・・・・・漫談、寄席の踊り(蝙蝠)

大勢出てひとり頭の短い中、まあぼたんはひいき目なので除外するとして、しん平、たい平、種平はやはりさすがの腕。馴染みのない中ではたけ平、まる子、ペタ子、ライス・カレー子が印象に残った。全体にはお祭り気分の、楽しい芝居であった→終演後バクさんにご家族へのお土産にと梅園の場所を教えてから(自分の土産用に豆かん購入)並木薮でもう一杯。楽しんでもらえたようでよかった→けっこう酔って銀座線から千代田線、小田急線で平和に帰宅→帰宅後シャワー浴びてひと寝入り→起きて梅園の豆かん→ウクレレの練習少ししてから就寝。夜0時過ぎ。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記