2020年07月10日

7月まとめ(1〜10日)

7月1日(水) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→DU第二稿、最終見直しと手直しして送付→今週の散髪、結局ずっと世話になっていた人がしばらくお休みということで、夫人にお願いすることになった。緊張するな→昼のついでに昨日に引き続き萩原健一追悼で『テロリストのパラソル』(原作:藤原伊織、監督:福本義人。高橋父、高橋惠子、萩原健一、根津甚八、長江英和、五十嵐瑞穂、村井国夫、大杉漣、西岡コ馬、木村佳乃。1996、CX)。四半世紀前のTVドラマ故の古さはあるが、物語がしっかりしていてそれを壊さないように(そっくりそのままというわけではなかろうが)丁寧に作られていて、観させられた(近藤等則の音楽は、当時観たらカッコいいなと思っただろう感じ)。ちょうど十年前の『温泉サギ師』と比べると、萩原健一がいい老け具合。女優デビュー直後の木村佳乃がまたいい芝居と存在だった→先日注文した『植木等のゴクラク映画ボックス』入荷の知らせがあったので早速送金手続き。これだけ買いそびれていたが、ようやくクレージーボックスは揃った→晩の下拵えだけして風呂→ジャガイモとニンジンのクミンバターソテーは、ジャガイモがきたあかりだったのと薄くスライスしたのとで、ジャガイモが崩れてしまい、作ろうとしていたものとは別のものになってしまった。まあでも味は同じ。本日はバルサミコ酢を使って、少し酸味を加えてみた。これは悪くなかった→『忍びの忠臣蔵』(原作:菊島隆三「お庭番 元禄十四年」「お庭番 元禄十五年」、監督:工藤栄一。萩原健一、吉田日出子、江藤潤、浅野、内藤武敏、成田三樹夫、佐藤允、岩井半四郎、池上季実子、小林稔侍、秋野暢子。1981、CX)。大石内蔵助=岩井半四郎がぐっと引き締める酷薄な男の世界の世界もまあよいが、あまり出てこない吉田日出子の芝居が印象に残った。特に終幕の小さいひと暴れには泣いた→本日もビール中瓶一本で了。慣れてきた。夜10時頃就寝。
7月2日(木) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→先日届いた新しいバブーシュをおろす→洗濯→たいへんひさしぶりに写経をしてみるも、究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故を度忘れ(ここは忘れやすいようだ)。今日は思い出すのみと、再度頭から書いてみる。再開するか→コンロの修理来るが、部品交換だけで済んだとの由。よかった→本日は昼にビール一本。『歴史秘話ヒストリア「スーダラ節が生まれた」』見つつ、昼がてら→晩はひさしぶりにダールにすることにして、豆を水に浸けて、少し床掃除してから午睡→ダールの仕込みしながら『パプリカ』(原作:筒井康隆、監督:今敏。大塚明夫、三戸耕三、ふくまつ進紗、林原めぐみ、古谷徹、堀勝之進、江守徹、山寺宏一。2006、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)。話はもちろん面白いし、演出や絵造りの発想や作画技術も大したものだが、しかし観ていてるとだんだん人物造形(青年マンガ誌のような)や絵造り全体に艶や幻想性や変態性が乏しいように感じてきてしまう。TV画面で観た所為ももちろんあるのだろうが、惜しいなあ(声優の声がみなアニメ声の所為もあるか)。そして恐らく原作を読めばこの絵が蘇ってしまうのだろう。もし今後また読むことがあれば注意しなければ→風呂→『フリーダム』の原稿の冒頭の「ジャズ黎明期」という表現が自分でも適切でないかなと思い始めたので、B電子に代替え案を送付→『マガディーラ 勇者転生』 (原題『MAGADHEERA』、原案:V.ヴィジャエーンドラ・プラサード、監督:S.S.ラージャマウリ。カージャル・アグルワール、ラーム・チャラン、シュルハリ、スニール、デヴ・ギル、スーリヤ、ラオ・ラメシュ、サラット・バーブ。2007、印Geetha Arts)。転生ラブストーリーとしてはもっとうまい撮り方もあるとは思うが、そんなことはどうでもよくなるような面白さ。感覚が違うので珍しいからというのもあるとは思うが、いわゆるボリウッド映画ももう見馴れているはずなのに、そこでそうくるかという新鮮さを感じる。カージャル・アグルワールの聖と俗、高貴さと親しみやすさのどちらも微妙な感じの美しさが印象に残った→飲まないとそんなにお腹いっぱいにならないようで、珍しくダールをフルでおかわり。夜は飲まなかったので、これで五日連続ビール中瓶一本を達成→午前1時頃就寝。
7月3日(金) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→『フリーダム』の原稿の冒頭の「ジャズ黎明期」は、最終的に「ジャズ発展期」で解決→『乙女たちの秘めごと』(原題『The Sower』、監督:マリアン・フランセン。デニス・クートーディエ、テオ・コスタ・マリーニ、ポリーヌ・ビュルレ、ザベス、フランソワーズ・ルブラン、バーバラ・プロブスト、ジェラルディン・パルハス、ラファエル・アゴゲ、アナマリア・ヴァルトロメ、アルバン・ルノワール。2017、仏白ARP Sélection)。スタンダードサイズの画面が美しい。写実派などの絵画を強く意識した絵造りと思うが、そのまま絵画になりそうな様々な場面が印象に残る。時代に翻弄される女性たちを主軸に描いた作品だが、辛いのに優雅、優雅なのに辛く、その中に若い娘たちならではの性への興味も描かれ、ときに激しい感情もほの見えながら(ローズが自分の花嫁衣装を燃やす場面などは衝撃的だった)、しかし静かに運命を受け入れる(受け入れざるを得ない)という流れに心打たれた→昼食後散髪へ。明治神宮前で降りてひと駅歩く。人出は金曜日にしたらまだ少ないかなという感じ。A利さんお休みとのことで(大事ではなかった)Tきわさんに初めてお願いするが満足。でもやはり人によって細かいところが違うのは面白い。本日も一杯ご馳走になり、よい気分→帰途は千歳船橋で降り、秀とおおはし豆腐で買い物して帰宅→シャワーと風呂掃除→『植木等のゴクラク映画ボックス』届いたので、さっそく開封→『日本一の断絶男』(監督:須川栄三。植木等、なべおさみ、緑魔子、橋本功、小松政夫、飯田蝶子、高橋厚子、人見きよし、市川和子、藤岡琢也、奥村チヨ、熊倉一雄、千秋実、北龍二、二瓶正也、桐野洋雄、藤木悠、ハナ肇、二見忠男、清水元、富田仲次郎、谷啓、春川ますみ、安田伸。1969、東宝)。クレージー映画としては後期に当り、クレージー全員一丸となってではなく植木等の映画に他のメンバーがチョイ役で出るという造りの所為もあるのだろうが、全体的にはテンポが悪く途中退屈するが、まずは植木等が歌う『静かな午后のひととき』という歌のAメロとBメロの歌詞の落差に笑う(曲調は変わらない)。あと終盤の畳み掛けるようなテンポとか、とうとつに登場する奥村チヨとか、緑魔子の充実ぶりとか、見どころはまあまああるし、繰り返し観たくはなる→『日本一の裏切り男』(監督:須川栄三。植木等、ハナ肇、浜美枝、熊倉一郎、桜井センリ、塩沢とき、小沢昭一、いかりや長介、名古屋章、常田富士男、渡辺篤、沢宏美、加藤茶、仲本工事、古今亭志ん朝、荒井注、小松政夫、なべおさみ、犬塚弘、牟田悌三、藤田まこと、高木ブー、千葉一郎。1968、東宝)。戦後昭和史といった趣きだが、ひとつひとつのエピソードが微妙に長く、またテンポがやはり悪い。テンポが悪く感じるのは、須川栄三のテンポ感が私にはよくわからないということかな。しかしハナ肇が出てきて準主役的に活躍すると、それだけで全体が締まるし、独特の情けない可笑しさで楽しませてくれる。浜美枝の出演もあって、『断絶男』よりはクレージー映画らしさが味わえるように思う→『ハイハイ3人娘』(原作:川上宗薫『先生・先輩・後輩』、監督:佐伯幸三。中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、高倉一志、長沢純、手塚しげお、ハナ肇、田辺靖雄、藤山陽子、北川町子、谷啓、横山道代、校長、若林映子、江原達怡、高島忠夫、犬塚弘、安田伸、桜井センリ、石橋エータロー、夏洋一、水原弘、ラウル・アベル・ダンサーズ。1963、東宝)。どうということもない学園ものだが、謎の電話の主を探すという筋立ては面白いし、スパーク三人娘、とりわけ中尾ミエの魅力が炸裂していてとても楽しい(伊東ゆかりがときおり変なキャラクターになるのも可笑しい)。クレージーキャッツは添え物という感じであまり笑いを振りまかないが(終盤の『五万節』は再校)、高島忠夫が地味に可笑しいのがまたよい→夜0時就寝。
7月4日(土) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→『男の顔は切り札』(監督:マキノ雅弘。長門裕之、品川隆二、伊藤栄子、轟夕起子、津川雅彦、園佳也子、西村晃、和崎俊哉、原田甲子郎、東千代之介、安部徹、田中邦衛、杉狂児、水島道太郎、高野真二、南田洋子、徳大寺伸、菅井きん、平井昌一、安藤昇、藤山寛美。1966、松竹)。1時間32分のうち後半40分から、それも飛び飛びにしか出てこない安藤昇がカッコよく、すべてさらっていく。元梅津組の面々がヤクザ者ながら人のよい可愛らしい人たちとして描かれているのは安藤昇をカッコよく見せるための演出と思ったが、安藤昇がそれに見事に応えているのは素晴しいと思った。その辺の塩梅は、さすがマキノ雅弘ということか。芝居がうまいわけでは決してないとも思うのだが、元妻の南田洋子を新しい男に譲る場面や最後の殴り込みに登場する場面など、肝になるところではすっとおいしいところを拾っていく。それが演出の妙だろうが(実は)芝居の巧みさだろうが、観る側にはあまり関係なくて、その気持ちよさに酔わされた→マグロ尾の身の煮込み作りつつ(今回は椎茸と豆腐を加えてみた)、一杯やりつつ、『若い季節』(原作:小野田勇、監督:古沢憲吾。淡路恵子、坂本九、有島一郎、ハナ肇、犬塚弘、桜井センリ、安田伸、石橋エータロー、平田昭彦、松村達雄、人見明、藤山陽子、団令子、浜美枝、中真千子、植木等、ダニー飯田とパラダイスキング、ジェリー藤尾、田村奈己、佐原健二、沢村貞子、世志凡太、宮田羊容、清水元、谷啓、青島幸男、古今亭志ん朝、三原葉子、ビンボ・ダナオ。1962、東宝)。観ていて、のちのクレージー映画のエッセンスが詰まった一本、と思ったが、撮られたのは『ニッポン無責任時代』よりあと(TVシリーズは前なのかな)。とはいえ、『ニッポン無責任時代』を総括してエッセンスを抽出して再構築、という見方は、不正確だとしても受け手としてはしていいように思う。ただしクレージーキャッツの存在感よりも、総体的には喜劇の先達の存在感のほうが勝っていて、かつ浜美枝の魅力にクラクラして、三原葉子とジェリー藤尾のからみが珍しく、淡路恵子とビンボ・ダナオのツー・ショットに笑う、そんな映画→続いて『続若い季節』(原作:小野田勇、監督:古沢憲吾。淡路恵子、古今亭志ん朝、三木のり平、田辺靖雄、十朱久雄、青島幸男、中尾ミエ、園まり、伊東ゆかり、藤田まこと、三橋達也、若水ヤエ子、谷啓、峰健二、沢村貞子、砂塚秀夫、ジェリー藤尾、植木等、由利徹、人見明、桜井センリ。1964、東宝)。今作ではクレージーキャッツは谷啓に役が付いているほかは植木等と桜井センリがチョイ役で顔を出すだけで、スパーク3人娘の映画と言うべきだろう。3人娘が勤務先への融資元の社長にそれとは知らずにちょっかいを出すその様子と、古沢憲吾らしいとうとつなステージ上でのミュージカルシーンが可笑しい。それ以外は東宝喜劇としては佳作かな→途中で眠くなり午睡→夜はひさびさにさばのゆ。先日のちんとん句会でお会いした散樽さんよりのお誘いで、青山志穂さんの「塩酒場」に参加。10種類以上の塩を賞味したが、やはり酔っぱらうとどれもただおいしいだけになる。しかし薫製した塩などは、においも楽しかったし、少し塩に凝ってみるのもよいかなと思わせられはした。散樽さんとの会話も楽しかった(ご著書をいただいた)→一杯やりつつ二次会は失敬してお暇→『ハイハイ3人娘』二回めと、『続若い季節』を最初から見直してから就寝。午前1時頃。
→午前2時頃就寝。
7月5日(日) 朝9時起床→ネットがつながらなくなっていて焦ったが、放っておいたら治った。J:COM側の不具合だったのだろうと思うが、果たして→朝食後午睡→午後は高円寺へ。北口の飲み屋街をざっと歩いてから(大一市場のラーメン屋ひら石が閉店していた)、某所にて某新真打の人数限定の会。主に緊急事態宣言化で仕事がない時期に何を考えてたかのマクラが、ハッとする展開もなく落ちないものがほとんどで、全体としてみたら脈略もないのだが、なんだか可笑しかった。ネタは二席。一席めは初めて聴く噺で、生の言葉を出さないバレ噺という感じがよい。二席めは以前聴いた記憶がある噺だが、細部は覚えていなかったので新鮮に聴いた。サゲが鮮やか→一応お祝いも兼ねた会だったので、軽く打ち上げ。なるべく飲まないようにはしたが、それでもビールを小瓶程度のコップで7〜8杯くらは飲んだかな。たまたま師匠の隣の席に座ったので、まあ緊急事態宣言化の間の話などちょいとできて楽しかった→友人知人にご挨拶して夜8時過ぎお暇→平和に電車で帰宅→暫時横になってからシャワー→ビール一本だけ飲んで本日の演芸番組消化して就寝。午前2時頃。
7月6日(月) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→粥、新じゃがと油揚のおつけ作成し朝食→B電子から送られてきた高柳・阿部のライブ演奏(於ステーション'70)聴く。これまたすごい。これまでの発掘音源三作と比べてどういう説明文を書けばいいのかはまだわからないが、リリースは楽しみ→おとつい散樽さんからいただいた『酒場を愉しむ作法』読了→昼をはさんではるやまひろぶみ『猫と呑み助』読了→シャワー→『ミッドナイト・ラン』(原題『Midnight Run』、監督:マーティン・ブレスト。ロバート・デ・ニーロ、ジョン・アシュトン、ジャック・キホー、ジョー・パントリアーノ、ヤフェット・コットー、ロバート・ミランダ、リチャード・フォロンジー、チャールズ・グローディン、デニス・ファリーナ、フィリップ・ベイカー・ホール、メアリー・ギリス、ウェンディ・フィリップス。1988、米Universal Pictures)。保釈屋対麻薬王、保釈屋対FBI、保釈屋対保釈屋の緊迫感溢れる犯罪映画かと思いきや、全編にそこはかとない間抜けな感じがずっと流れていて面白い。そしてその間抜けな感じがデ・ニーロ、チャールズ・グローディン、ヤフェット・コットー、ジョン・アシュトンそれぞれに微妙な色彩で描かれているのもなかなか。もちろんロード・ムービーらしく友情が芽生えたり壊れかけたりもあり、あるいは移動が一筋縄ではいかなかったり、その辺の塩梅もいい映画だった→本日より節制&節酒。朝から粥三杯、夜のみおかず。酒は夜にコップ酒一杯→夜10時頃就寝。
7月7日(火) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→『あゝ声なき友』(原作:有馬頼義『遺書配達人』、監督:今井正。森次浩司、渥美清、小川真由美、田中邦衛、財津一郎、加藤嘉、北林谷栄、倍賞千恵子、新克利、松村達雄、荒木道子、長門裕之、吉田日出子、北村光蓉子、田武謙三、梅津栄、山谷初男、志垣太郎、織本順吉、大滝秀治、市原悦子、悠木千帆、江原真二郎、長山藍子、金井大、香山美子、春川ますみ、北村和夫。1972、松竹)。戦争が遺した爪痕の、小さなしかしその分長引いたものをたくさん集めたといった趣。声高に戦争を糾弾するわけではないが、その分却って、戦争の残酷さをじわじわと味わわされる。それを伝えるという意味では、挿話の順序や積み重ね方、描き方がとてもうまく、派手な戦争映画よりも何故戦争を起こしてはいけないのかを実感させる力がある映画ではないかと思う。末永く観続けられるべき映画と思った。個々の役者の芝居としては、小さな傷たちを辛抱強く追いかけ続ける(そして次第にその傷の重さをそれぞれの遺書の受取人と一緒に抱え続けるようになる)主人公を演じた渥美清はもとより、松村達雄、田武謙三、北村光蓉子、志垣太郎、小川真由美、江原真二郎、長山藍子、北村和夫に(比喩ではなく)泣かされた。音楽が小室等のフォークソング調なものなのが、重々しいものをつけるよりも却ってよかったとも思った→千社札の仕様についてまとめ、米山に希望を問合せ→『復讐するは我にあり』(原作:佐木隆三、監督:今村昌平。緒形拳、フランキー堺、殿山泰司、垂水悟郎、白川和子、絵沢萠子、三國連太郎、ミヤコ蝶々、小野進也、佐野大輔、倍賞美津子、小川真由美、火野正平、根岸とし江、清川虹子、北村和夫、梅津栄、菅井きん、安部寿美子、加藤嘉、河原崎長一郎。1979、松竹)。映画史に残る重厚な名作と思うが、いかんせんテンポが緩やかで私には長く感じ、映画化されたものを観るに当ってどこに焦点を当てて観たらいいのかがつかめなかった。結局、三國連太郎と倍賞美津子の温泉での濡れ場のみが印象に残ってしまった(あの場面は鳥肌が立った)→映画観ながら(まあ、途中で飽きたりしたので)晩の仕込み。本日は普通の家庭風ポークカレーを目指したが、果たして→あと千社札テンプレート作成→風呂→『瀬戸はよいとこ花嫁観光船』(監督:瀬川昌治。財津一郎、人見きよし、田坂都、村地弘美、夏夕介、山城新伍、フランキー堺、朝丘雪路、日色ともゑ、ミヤコ蝶々、春川ますみ、エリザベス・クイーン、大杉侃二郎。1976、松竹)。本州四国連絡架橋の架橋工事再開に伴う老舗旅館の買収工作、というそれなりのスケールの話かと思いきや、買収工作についてはあっさり尻切れとんぼ的に収束し、夫婦やカップルの関係が壊れ修復する、というだけの話だった。なのに飽きずに楽しめるのは、今では考えられないような藝達者が揃っているのがやはり大きいのだろう。爆笑場面などもないのにずっとそよそよと楽しく、観終わったあとなにも残らない。ある意味理想的な喜劇映画→カレーは、隠し味(隠れてなかったが)にポールスターのウスターソースを使ったら、なんとなく家庭のというか定食屋のというか、そんな感じになった(しかもうまかった)。この作り方なら肉と野菜の種類や組み合わせを適当に変えるだけで、バリエーションが増えそうだ。ただしインド料理を覚えるという目論見から言えば堕落ではあるが→九州の大豪雨、O形が問い合わせたところ、二月に取材でお世話になった熊本の方々は今のところ無事との由。よかった。状況を見て、熊本への支援の手立てはなにがよいか考えよう→O形に千社札テンプレートと作業内容送ってから、夜11時頃就寝。
7月8日(水) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→午前中、老父買い物代行。本日はサミットのみ。帰りにお友達向けの荷物の発送を託される→帰宅後、昼がてらビール飲みながら『喜劇 命のお値段』(監督:前田陽一。フランキー堺、財津一郎、桜井センリ、萩原健一、北林谷栄、小川ひろみ、岡田茉莉子、石山健二郎、左とん平、加賀まりこ、佐山俊二、日色ともゑ、白木みのる、太宰久雄、嵯峨善兵。1971、松竹)。思ったよりも社会派的な重さが勝ってて、いい加減に撮ったように見える部分がただいい加減に見えてしまうという作品だった。フランキー堺と財津一郎のよさが一部分しか活かされてないという印象で、やや残念。カユイカユイ病というのも、今の感覚だと単なる不謹慎と思う。北林谷栄だけ異様な人物造形なのは可笑しかった→ちょっと驚くことがあり、驚いた勢いでCDを六枚注文→夕方、まず新宿へ。伊勢丹で老父に頼まれたお友達へのお礼の品を購入し(私の判断でヨックモックにした)、地上に上がったら晴れていたので、新宿三丁目、二丁目、一丁目と歩いて四谷三丁目。まだ時間が余ったので、新木町をぐるりと津の守弁財天のほうまで歩いて一周して、なお時間が余ったので新記裏の風月堂で休憩→新記前でO形と落ち合い早めの晩。三宿のほうも併せてずいぶん来てなかったので、香港麺のチャーシュー麺と醤油焼きそばで満足(あとはにんにくの芽・つぶ貝の黒豆炒めと餃子でビール)→またちょいと時間つぶしてから、これまたひさしぶりにdress。本日届いた訃報の話や、緊急事態宣言中のなど。コロンビアのラムを四杯。よい時間だった→平和に電車で帰宅(経堂駅からはちょいと降られた)→風呂→金宮酎ハイ二杯飲んでから午前2時就寝。
7月9日(木) 昼前起床→父から頼まれた荷物を発送。ちょうどいい箱があってよかった→『大人と子供のあいの子だい』(原作:渡辺照男、監督:若杉光夫。松下達夫、木浪茂、斎藤洋子、小夜福子、高田敏江、浜田光夫、武智豊子、鈴木寿雄、坂下登、奥山淳一、北村公敏、星紀一、宇野重吉、佐々木すみ江、松原智恵子、鶴丸睦彦、日野道夫、大滝秀治、鈴木瑞穂、梅野泰靖。1961、日活)。ものすごく辛い中学生日記のような映画だが、周囲に優しい大人が少しでもいたり、卑屈になって荒れてる父ちゃんも実は気が弱いだけの善人で、貧乏人同士で助け合う場面があるのは救い。しかし最後には否応無しの現実(解決は難しくないはずなのに、解決を望まない人がいるという点も含めて)を突きつけられて、やはりものすごく辛い映画であった。当時の世相を良心的に描いた映画とは思うが、観る者を引き込むような映画としての外連味が何かあってもよかったという気がしないでもない→B電子との雑談で持ち上がった高柳本の企画を思いつくままにざーっと書いてみる。ついでに現在入手・注文可能な作品リストを作成→風呂→晩のお供に『ニノチカ』(原題『Ninotchka』、監督:エルンスト・ルビッチ。ロルフ・セダン、フェリックス・ブレサート、アレクサンダー・グラナッハ、シグ・ルーマン、メルヴィン・ダグラス、アイナ・クレア、ドロシー・アダムス、グレゴリー・ゲイ、エドウィン・マクスウェル、ペギー・モラン、グレタ・ガルボ、リチャード・カール、チャールズ・ジュデルス、フレデリック・ブラウン、ジョージ・トビアス、タマラ・シェイン、ハリー・シェメルズ、ポール・ウェイジェル、ベラ・ルゴシ。1939、米MGM)。傑作。グレタ・ガルボのコメディエンヌの資質をよくも見抜き活用したと思う。他国の政治状況を揶揄するようなこの種の映画は現在はなかなか撮れないだろうと思うが、うまく工夫して現代版を(たとえば北朝鮮などをモデルにして)撮れないものかと思った→夜0時就寝。
7月10日(金) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→『汎音楽論』所収「反論」のやり取りの元である『問題作を試聴する』『高柳昌行の「反論」への反論』を、「反論」と併せて読む(元記事はB電子より提供)。頭疲れたが面白かった。賛成不賛成は別にして、山下洋輔の論は彼なりの筋が通ってるなと思ったが、それに引き換え西条英介は言葉を弄びたいだけのただのイチャモンで、それに対するケンカの仕方(子供のイチャモンに対して敢えて子供のケンカで応じる)は高柳さんのほうがよくご存知だったのだなと思った。面白かった→『らーめんと僕』PRの件、話の流れを確認して善後策を考える→JazzKeirinに行こうと思いきや雨になったので、即席ラーメン食べながら『親バカ子バカ』(原作:館直志、監督:酒井欣也。渋谷天外、石井富子、早苗由香、藤山寛美、北上弥太朗、曽我廼家明蝶、環三千世、九条映子、南泰介、小田草之助、伴淳三郎、西田智、秋田Aスケ、秋田Bスケ、乃木年雄、滝川美津枝、林左代子、市川男女之助、大和久乃、嵯峨野深雪、北条喜久、三宅邦子。1960、松竹)。アホだけど心はきれい、または、アホのほうが心がきれい、という話かと思ったが、それだけで片付けていいのかはわからなかった。登場する役者藝人はいずれも達者だし、藤山寛美はさすがにさすがだと思うが、この映画に一本通った筋があるとしてそれがアホ〜なのかどうかが不明瞭だったので、結局よい映画なのかそうでなかったのか、判断しかねているところ。美術は素晴しかったし、観ていて楽しかったのは確か→午睡→晩の支度→風呂→『らーめんと僕』PRの件、私のほうで情報まとめて須田さんに連絡。ようやく掲載の目処が立つ→『東京犯罪地図』(原作:島田一男、監督:村山三男。矢島ひろ子、守田学、志村喬、菅原謙二、谷謙一、苅田とよみ、社長、高堂国典、松岡紀公子、斎藤紫香、見明凡太朗、船越英二、きんちゃん、伊東光一、高松英郎、守田学。1956、大映)。主人公が好きな女性(そして世話になっている人たち)に迷惑をかけないために黙秘を続けるという前半と、無実の罪をはらすために麻薬密輸密売団(かつて自分の親の子分だった人たち)に敢えて飛び込むという後半とに、あとで考えるとつながっているのに観ている最中は不思議とちぐはぐな感じを覚えた。物語の設計や人物の出し入れの設計と、私の鑑賞能力とになにか相性のよくないところがあったのかもしれない→夜0時頃就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記