2020年11月10日

11月まとめ(1〜10日)

11月1日(日) 深夜(というか早朝)起床。昨夜の残りでビール。『演芸図鑑』→いったん就寝→朝10時起床。慌てて支度して、掃除機抱えて船橋粗大ごみ中継所。掃除機が中途半端に重たいのと持ちにくいのとで、意外な辛さがあった→帰途、ずっと以前から気になっていた〈司〉で昼。ラーメン屋を想像していたが、意外に本格的なような中華料理のメニューが多く、夜限定だが煲仔飯のような土鍋料理もあった。次は夜来てみよう。半ラーメンや餃子(3コ)という品書きがあるのも嬉しい(ラーメンはスープが少し醤油強めな感じだったが、全体的に丁寧に作っている印象)→O形サイト更新(絵日記)→日記整理。9〜10月分を上げるついでに、過去の記事の店名をすべて〈〉でくくる表記統一しようと思ったが、今年の1〜3月までを中途半端にやるだけに留まった。いずれきちんとやろう→風呂→カシューナッツ、トマトとピーマンのサラダ、蒸し野菜(カリフラワーとニンジン)、生鮭とヒラタケのバターソテーで飲酒開始。ビール中瓶×1、金宮酎ハイレモン汁×2。途中で帆立の貝柱で御酒。わかめと油揚のおつけとご飯、納豆、海苔→夜10時頃就寝。
11月2日(月) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー、くり→下高井戸まで歩き、朝10時から〈下高井戸シネマ〉にて『パラサイト 半地下の家族』(原題『기생충』(PARASITE)、監督:ポン・ジュノ。チェ・ウシク、パク・ソダム、チャン・ヘジン、ソン・ガンホ、チョン・イソ、チョ・ジェミョン、パク・ソジュン、イ・ジョンウン、チョ・ヨジョン、チョン・ヒョウンジュン、イ・ソンギュン、パク・クンノク、パク・ミョンフン、コ・グァンジェ、イ・シフン。2019、韓CGV Arthouse)。いろいろな見方ができると思うが、初見で最も印象に残ったのは、臭いというモチーフがそのまま半地下生活や地下生活の隠し果せない証拠であると同時に、拭っても拭きれない貧困の比喩であるようにも思えた(地下で暮らし続けた家政婦の夫の悪習に鼻をつまむ社長にソン・ガンホがとつぜんの殺意を描く場面を見ると、あながち間違った見方でもないとは思う)。その比喩の所為もあり、貧乏人に暖かい視線を注ぐというよりは貧乏人という“階級”の現実を冷徹に眺めて描いた映画、と思った。地下に逃れた父と地上でまた最低の生活をすることになった息子が通じ合うという終幕は、救いと言えば救いではあるが、監督の貧乏人を見る眼差しを考えるとかなり苦い。そして社長一家の生き残りがその後どうなったかが描かれず家の住人が入れ替わった様だけ示されるのは、金持ちの人生など代わりがいくらでも効く、ということなのだろうか。あははと笑って物語に引き込まれる手腕を味わうとともに、いろいろなことを考えさせられた→〈JazzKeirin〉で昼ののち(本日はかしわ天うどん+わかめ)、パスタ類、果物、魚類を買って帰宅→〆鯖仕込み。ちょいと検討した結果、砂糖〆(一時間)、塩〆(一時間)、酢〆(片面一時間計二時間)ののち、48時間冷凍(アニサキス対策)とした。酢〆直後の味見ではよい感じだったが、二日後の仕上がりは果たして→『正しい日 間違えた日』(原題『지금은맞고그때는틀리다』(RIGHT NOW, WRONG THEN)、監督:ホン・サンス。キム・ミニ、チョン・ジェヨン、コ・アソン、チェ・ファジョン、ソ・ヨンファ、キ・ジュボン、ユン・ヨジョン、ユ・ジュンサン。2015、韓Finecut)。ありふれた日常をシンプルに切り取った可愛らしい映画、と捉えてもその通りで間違いはなかろうが、同じ始まり方をするふたつの物語にそれぞれ異なるきっかけを投入したらその後どう展開するのか、という実験的手法について妄想を始めるとなかなか答が見つからない。しかし映画の細部がどれも非常に魅力的で、繰り返し見たくさせられないこともない。というような、不思議な感触を持った映画だった→夜10時過ぎ就寝。
11月3日(火) 朝6時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→DU原稿(先日の取材)、ひと通り書き終えた。文字数の調整と、あと導入部分の調整が必要→飲酒しながら『忍術武者修行』(監督:福田晴一。三木のり平、宮城千賀子、花菱アチャコ、真木康次郎、海江田譲二、中村是好、山路義人、西田智、ユスフ・トルコ、上田寛、天王寺虎之助、雲井三郎、西川ヒノデ、曽呂利祐平、田端義夫、宮坊太郎、森八郎、高木新平、滝沢ノボル、サトウ・サブロー、林彰太郎、小笠原省吾、美珠さちよ、西川サクラ、伴淳三郎。1960、松竹)。戦いの相手が熊に化けると三木のり平は金太郎に化けるとか、アヒルに化けた三木のり平がアヒルの首に三木のり平のミニチュアをくっつけただけとか、終幕の伴淳とか、くすっという笑いは随所にあるが、それでも数は少なく、大笑いとなるとなかなかない。エノケン時代劇のほんわかした雰囲気をも少し現代的にした、という感じだろうか。一説によれば三木のり平は1960年辺りがピークで(私はそうとは思わないが)、とするととても忙しい日々だったろうから、やっつけで撮った、という想像もまあできる作品であった。だからといって嫌いなわけではない→午後仕事の続きをやろうと思ったが、酎ハイ×3で午睡→夜は夜で豆アジの唐揚げ食べ過ぎて早々に就寝。10時か11時頃。
11月4日(水) 昨夜食べ過ぎたため(豆アジという頭でかなりの数を食べたが、実際には豆というには大きかった)、夜中に胃のもたれで眠れなくなり、何度か起きる。朝7時過ぎてからようやくぐっすり眠れた→老父の用事は午後にしてもらう→DU原稿ももう少し練りたいので週明けに延ばしてもらった。すぐに返事いただきオッケー→昼過ぎ老父買い物代行(郵便局記帳、サミット)。来週は従来通り、迎えに行って深大寺で昼のちサミット、ということになった。〈深水庵〉ひさしぶりだ→ガソリン入れて帰宅→蕎麦→風呂→賄い当番。秀で購入したというキャベツがうまかったので敢えてちぎりで、それに大きさを合わせたニンジンとピーマンを茹でたのを混ぜ合わせたサラダ。昨夜の豆アジ唐揚げをニンニクでソテー。トマト。食事中に物足りなくなりスペアリブ→『僕たちのラストステージ』(原題『STAN & OLLIE』、監督:ジョン・S・ベアード。スティーヴ・クーガン、ジョン・C・ライリー、シャーリー・ヘンダーソン、ダニー・ヒューストン、ルーファス・ジョーンズ、ニナ・アリアンダ、ステファニー・ヒアム、スージー・ケイン、ジョン・ヘンショウ。2018、英加米Entertainment One / Sony Pictures Classics)。初見ではローレル&ハーディの全盛期の全盛ぶりと凋落の様子をもっと(短くてよいから)克明に描いたほうが、と思ったが、再見すると最小限の説明があるのはわかるし、まあそこはこのやり方でいいかな、と思った。その点では観る側の想像力を試すような作り方をしたのかなと思ったが、果たして。とはいえ、もっとドラマチックにできるのに、作り手の気持ちとしてはなるべくさらっと行きたかったのだなと思ったが、これも果たして→夜11時就寝。
11月5日(木) 朝6時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→DU原稿吟味作業。この文字数だと残念ながら落さなければならない挿話がいくつか出てしまったが、ほぼ最終形かな。あとはDU、取材対象、依頼元がなんと言うか。〆切は週明けまで延ばしてもらったので、また明日見直そう→昼がてら(チーズペンネと金宮酎ハイ)、『僕たちのラストステージ』復習→そのまま晩の支度に突入。昨日と同じ材料のサラダはすべて細切りにしてそのまま湯通し(チーズ以外)。あとは油揚とぶなしめじの酒蒸しとしじみのおつけ→一昨日仕込んだ〆鯖は、たいへんいい具合だった。〆酢に甘みをつけるかどうかは迷ったが、最初に砂糖で〆ただけで十分であった。アニサキスも心配したが、食後しばらくしても症状は出なかった(もっとも、魚屋の段階で冷凍処理しているのかもと思った)→『彼のオートバイ、彼女の島』(原作:片岡義男、監督:大林宣彦。竹内力、小林稔侍、岸部一徳、峰岸徹、三浦友和、原田貴和子、渡辺典子、尾崎紀世彦、根岸季衣、田村高廣、新井康弘、泉谷しげる。1986、東宝)。愛すべき映画ではあるが、ときおり顔を覗かせる片岡義男の原作の文学臭は、映画化に当たっては無効化するかもっと前面に押し出すか、どちらかがよいと思った。竹内力の爽やか青年ぶりと、原田貴和子の大顔ぶりおよびフルフェイスのヘルメットをかぶると妹に似るのと、渡辺典子の全身プロモーションは自分にとっては“発見”だった→食後しばし横臥→風呂→飲酒しながら『夜の浜辺でひとり』(原題『밤의 해변에서 혼자』(On The Beach At Night Alone)、監督:ホン・サンス。キム・ミニ、ソ・ヨンファ、コン・ホングヨル、カール・フェデル、マーク・ペランソン、クォン・ヘヒョ、パク・イェジュ、チョン・ジェヨン、ソン・ソンミ、ムン・ソングン、カン・ミンジョン。2017、韓Finecut)。キム・ミニ、ソ・ヨンファ、チョン・ジェヨンが『正しい日 間違えた日』(2015)、ムン・ソングンが『教授とわたし、そして映画』(2010)に出演していた。道ならぬ恋に傷ついた若手女優が、周囲の人に優しくされながら仕事に復帰する、という話が軸にはなっているが、三幕構成のそれぞれの虚実が、ちょっと引っかかるとよくわからなくなってきて(一幕めと三幕めの黒い男の存在とか、二幕めの微妙に食い違っている会話とか、三幕めの夢落ちのような終わり方とか)、いろいろ深読みを誘う映画である。でも深読みするには材料が足りず、それでいて観終えてああ面白かったと思う(魅力の大部分はキム・ミニの魅力かもしれないが)、妙なる映画であった。弦楽四重奏(?)の音楽も素晴らしい→『クレアのカメラ』(原題『클레어의 카메라』(Claire's Camera)、監督:ホン・サンス。キム・ミニ、チャン・ミヒ、ヨオン・ヒースン、チョン・ジニョン、イザベル・ユペール。2017、韓仏Jour2Fête)。終わり方も苦さを残しながらハッピー・エンドと取りやすい終わり方だし、これまで観たホン・サンス作品の中では最もわかりやすい映画であった。わかりやすいからいいというわけではないが、わかりやすいからといって他の作品と比べてつまらなかったかといえばそうではない。フランス(カンヌ)が舞台なのに、フランス人(イザベル・ユペール)のほうが異邦人に見えるというのがなんとも面白かった→朝方6時就寝。
11月6日(金) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→映画鑑賞メモの整理→『中山道』(監督:大林宣彦。1962)。終盤にかけての細かい編集は見事。しかし私のような深い見方のできない受け手には、野心的実験作というよりは映画的悪戯のように思えたが、それでもなお魅力的だし、失われた風景や日本人像の記録として考えても貴重な一作ではあると思った→夕方下高井戸へ。〈下高井戸シネマ〉にてバウハウスの映画を鑑賞→『バウハウス・スピリット』(原題『Vom Bauen Der Zukunft - 100 Jahre Bauhaus』、監督:。トルステン・ブルーメ、ローザン・ ボッシュ、アルフレード・ブリレンブール、シュテファン・コヴァツ、フーベルト・クルンプナー(順不同)。2018、独Neue Visionen Filmverleih)。バウハウスの精神が現在にも生きているということはわかったが、ポイントをつかみづらいドキュメンタリーではあった。いやバウハウスの精神が現在も世界各地で継承されていることがわかればよいか。その点、ランダムに参照しやすい本と時間軸に支配される映画の本質的な違いを見たような気にもなった→『バウハウスの女性たち』(原題『Bauhausfrauen』、監督:ズザンネ・ラデルホーフ。エリザベス・オットー、モニカ・シュタードラー、エレーナ・マカロワ、アーニャ・バウムホーフ、パトリック・レスラー、テレジア・エンツェンスベルガー(順不同)。2018、独Koberstein Film)。ヴァルター・グロピウスは「入学を許可されるのは、年齢と性別にかかわらず、持ち合わせる才能と教育がマイスター評議会に十分と認められた、すべての誠実な人物である」と言っておきながら、実際には女性を隅に追いやった原稿不一致の輩、という印象を与える映画。この映画にも出演しているエリザベス・オットーが『バウハウスの女性たち』という本を上梓していて(2019年、MIT Press)、これを読んで理解を深めたいのだが、日本語訳は出ていないようだ→駅前のピザ屋を試してみようと思ったが予約でいっぱい。八百屋と西友で買い物したのち、〈JazzKeirin〉か〈爺〉か迷ったが、〈JazzKeirin〉は月曜に行ったばかりだし閉店早いからゆっくりできないなと思い、電話で空席があるか尋ねて〈爺〉に決定。およそ四年ぶりか。鯵刺身、ひじき煮付け、マコガレイ煮付け、カキフライでビール中瓶×1と御酒×1.5。マコガレイは頭も骨もしゃぶり尽くして満足。〆は寿司(まぐろ、小肌)としじみのおつけ。たまには来よう→往復とも徒歩。帰宅後草臥れて即就寝→深夜起床→一杯やりながら『それから』(原題『그 후』(The Day After)、監督:ホン・サンス。クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ、キム・セビョク、キム・ミニ。2017、Jeonwonsa Film)。冒頭の、時間が止まったような絵がまず印象的。まったく何も動かないが、それが却ってこれから何かが起こることを予感される。時間軸は理解を促す仕掛けなく(あるのかもしれないが、初見ではわからなかった)ぐちゃぐちゃにカットアップされていて、冒頭からかなりの間混乱する(途中からわかった気がするが、わかった気がしただけかもしれない)。混乱といえば、キム・ミニとキム・セビョクが判別できないほど似ている場面があるのも混乱を誘う(前半では髪型を変えた同一人物と思った)。浮気を反省しない男は、その無責任さが強調されているが(終幕のキム・ミニとの会話など)、映画の前半では苦悩している姿も映し出される。しかしそれが時系列の中のどこかは決定的にはわからない。キム・ミニ扮する主人公は、結局三角関係のもつれに一日だけ巻き込まれて去っていくだけで、映画が終わってしまえば何も起こらなかったような肩透かしを喰らった感じを覚えるのだが、途中それなりに修羅場のようなどろどろした場面があるのに、その肩透かしを喰らった感じが作用してか映画全体が爽やかな印象にも転じるのが、なんとも面白い→朝方就寝。
11月7日(土) 昼頃起床→J:Comから借りているセットトップボックスディスク・ダビング機能がおかしくなってきたので機種交換を依頼したものの、ディスク・ダビングが行える機種の提供は終了したということで、質問をまとめてO形経由で送付→『黒蜥蜴』(原作:江戸川乱歩、原作戯曲:三島由紀夫、監督:深作欣二。木村功、丸山明宏、川津祐介、丹波哲郎、宇佐美淳也、松岡きっこ、西村晃、小林トシ子、三島由紀夫。1968、松竹)。改めて観ると、丸山(美輪)明宏の髭が濃くて笑う。この当時はそんなに優秀なコンシーラーがなかったのかもしれないが、映画なんだから工夫はできたはず(わざとしなかったのかもしれない)。京マチ子の優雅さと比べるといやはやなんともと思ったが(B級度合いは、私の目には同程度に映った)、観ていて楽しいのはやはり京マチ子/井上梅次版だな。丸山明宏は三島由紀夫肝煎りということか。そういえば三島由紀夫の剥製があるところは、こちらのほうが笑いを誘うが、まあ一度観れば十分(ということで録画は消去)→J:Com問題は、結局ディスク・ダビング機能を搭載した代替え機が用意されているということで落ち着いた。最初の返答はなんだったんだ。J:Comは社内での情報共有がときどき危うい印象がある→『黒蜥蜴』観ている最中昆布を煮ていて柔らかくなったので、酢昆布製作→晩に『クレアのカメラ』を再見。一回めは「終わり方も苦さを残しながらハッピー・エンドと取りやすい終わり方」と書いたが、しかし終幕は首の皮がつながったところ(主人公と社長が坂道を下る)ではなく、時系列で言えば冒頭の馘になる場面の直後であって、なぜそれを最後に持ってきたかを考えるとまた謎が残る。冒頭の時系列も順序が組み替えられているし、これも『それから』などと併せて時系列を元に戻してみる作業をしないとならないな→夜10時過ぎ就寝。
11月8日(日) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→風呂。二日サボった→ベーコンエピと牛乳→昼(きつねそばに生卵とぶなしめじ)をまたいで録画整理。歌舞伎は結局本日時点で観てないものをすべて消した。まあまたやるだろう。時代劇も未見を消去。残したいものはなんとかダビングできたので、この先(機種交換の17日まで)の気が少し軽くなった→DU原稿、初稿チェックしまとめて送付→晩はこんにゃくピリ辛だけ製作し、あとは昨夜の煮物とおぼろ豆腐と酢昆布。〆は即席の熊本ラーメン(酒はラムソーダ割り×1とラム水割り×1)→『大都会の丑満時』(原作:金川太郎、監督:西村元男。美奈川麗子、森雅之、潮万太郎、小杉勇、若杉須美子、船越英二、伊沢一郎、植村謙二郎、高品格。1949、大映)。新旧刑事にして父子の確執と愛情を描いた作品。警察関係者による原作を「国警本部の大々的援助の下に製作」ということのようだが、どのあたりに感銘を受けたらよいのか、よくわからなかった。この時代の風景、衣服、人々の様子は印象に残ったが、それがどれくらい1949年の実情に沿っていたのかは、当時の写真などを探してみないとよくわからない→B電子Webページの校正、大雑把に作業開始しなにをどうすればよいのか、大体の見当をつける。なんとかなりそうだ→午前2時頃就寝。
11月9日(月) 朝7時半起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→午前中から昼過ぎまでB電子の校正作業。PDFに入れた赤をHTMLに反映して確認しつつ、という作業を手探りで始めたが、これでスタートは切れそうだ。HTML上のテキストを練っていって、最終的にそれを専門家の手で実際のHTMLファイルに実装してもらう、という進め方がよいのではないかと思う→昼がてら『だんだんこ』(監督:大林宣彦、平田アキラ。平田いなみ、西レイコ、平田アキラ、茅青二。1960年)。冒頭から出ていて途中でふっと姿を消す少女は死のメタファーか? などと思ったが、まったく理解が及ばず。いろいろ論評を探して読んでから、また挑戦したい→続いて『大殺陣 雄呂血』(原案:寿々喜多呂九平、監督:田中徳三。五味龍太郎、市川雷蔵、平泉征、内藤武敏、内田朝雄、南部彰三、荒木忍、八千草薫、加藤嘉、中谷一郎、藤岡琢也、戸田皓久、寺島雄作、木村玄、三木本賀代、藤村志保、吉田義夫、毛利郁子。1966、大映)。侍社会のバカバカしさを描いた好編と思う。ほんとにバカバカしいことに命を賭けさせられたり捨てさせられたりしていたんだなあと。そこで大爆発する市川雷蔵が見事で、終幕の三十分近い大殺陣などぞくぞくと感動と興奮を覚えた。その一方で、ほんの数場面しか出てこない藤村志保の美しさにも恐れ入った。八千草薫は確かに美しいが、存在の鮮やかさでは本作では藤村志保が優っていたと思う→四種のダール製作。最初に炒めるべきカルダモン、クローブ、シナモンを忘れ、あとから炒めてほぼ煮終わったカレーに加えたが、やはりいつもと違った。失敗→風呂→『記憶にございません!』(監督:三谷幸喜。中井貴一、近藤芳正、藤本隆宏、有働由美子、阿南健治、ディーン・フジオカ、田中圭、小池栄子、迫田孝也、後藤淳平、草刈正雄、小林隆、濱田龍臣、斉藤由貴、石田ゆり子、ROLLY、吉田羊、飯尾和樹、梶原善、佐藤浩市、寺島進、山口崇、木村佳乃、宮澤エマ。2019、東宝)。大傑作というには何か足りない気はしたが(途中で記憶が戻っていたというのは、やや陳腐かな)、役者がほとんど全員楽しそうな点ではよい喜劇だと思った。梶原善は作り過ぎだが、同じ作り過ぎでも木村佳乃は可笑しかった。何も観るものがない、という場合はほとんどないが、なにか軽く流し見しながら飲もうかな、というときのために取っておくと重宝するかもしれない→最初に用意したのがカチュンバル(キャベツとピーマンとトマト)とめかぶ酢と〆鯖と軽かった所為か、物足りなさを感じ、缶詰二種(ほや、小魚の醤油煮)も開けて、なんだか飲んでも飲んでも飲みたくて、予定より飲んだが、でも特に酔っ払ったわけでもなかった。四種のダールは、スパイスの順番間違えた所為でいつもよりよそよそしい味のようではあったが、食べるほどにうまくなっていった→夜11時過ぎいったん就寝。
11月10日(火) 朝6時半起床。白湯、マヌカハニー、くり、メイプルシロップ→午前中、朝食の前にB電子の校正作業続き。11時前に作業履歴の制作まで完了し、第一弾提出→昼(花巻蕎麦、ビール中瓶×2)がてら、『大阪物語』(原作:溝口健二(井原西鶴『日本永代蔵』『世間胸算用』『萬の文反古』より)、監督:吉村公三郎。国米曠、中村鴈治郎、浪花千栄子、竹野マリ、浅尾奥山、玉置一恵、伊達三郎、滝花久子、西川ヒノデ、林成年、香川京子、市川雷蔵、山茶花究、万代峰子、三浦志郎、十朱久雄、天野一郎、東野英治郎、小野道子、三益愛子、林家染丸、勝新太郎、中村玉緒。1957、大映)。主人公(中村鴈治郎)のドケチぶり(大阪風に言えば始末屋ぶり)とそれについての教訓が主題のひとつだろうが、そのドケチぶりの徹底した演出と芝居が鮮やかで、ひとつの藝として観ていてとても楽しい。とんでもないドケチ野郎が周囲を不幸にしていくわけだが、その周囲には軽さもあり楽しさもあり笑いもあり希望もあり、その塩梅がとてもよくできていると思った(落語『明烏』風の展開もあり)。溝口健二が撮らなかったのがもしかしたら功を奏したのかもしれないが、果たして→午睡→風呂→『囚われの女』(原題『La prisonnière』監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー。ロラン・テルジェフ、エリザベート・ウィネル、ベルナール・フレッソン、クロード・ピエプリュ、ノエル・アダム、ダリオ・モレノ、ダニー・カレル。1968、仏Valoria Films)。60年代のポップ・アート、オプ・アート、キネティック・アートのクルーゾー的解釈がなんとも面白い、というかダサくて笑う。フランスのポップアートなどがそうだった、というよりは、やはり若者文化を皮肉に眺めるクルーゾー的解釈だろうと思うが、果たして。しかしその一方で、冒頭のゴム人形の弄び方や、中盤のニコンのカメラがぐっと性的な存在になる撮り方などは、恐怖を覚えるほどエロティックで、さすがと思う。日本未公開らしいが、これはこれで残るべき映画と思う→晩は干し芋を中心に、ニンジンと油揚の煮物、じゃがいもとピーマンの細切り炒めなど野菜中心。〆は納豆茶漬け→午前1時過ぎ就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記