2022年06月20日

6月まとめ(11〜20日)


池袋ジャズフェスティバル打ち上げ、腰椎椎間板ヘルニアに関する受診一段落、ヤン・ヨンヒ『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』『スープとイデオロギー』、経堂〈山村〉、『MOTHER50周年記念 平和への祷り 水無月十八日夕べ ユーピン・ナイト』於下北沢〈mother's RUIN〉、ロネ・シェルフィグ『ニューヨーク 親切なロシア料理店』。

6月11日(土) 深夜起床→録画消化ののち、『ブレイクアウト』(原題『Breakout』、原作:エリオット・アシノフ/ウォーレン・ヒンクル/ウィリアム・ターナー『The 10-second jailbreak』(十秒間の刑務所脱獄)、監督:トム・グリース。ホルヘ・モレーノ、ポール・マンテー、エミリオ・フェルナンデス、ジル・アイアランド、ロバート・デュヴァル、ジョン・ヒューストン、ランディ・クエイド、チャールズ・ブロンソン、アレハンドロ・レイ、ロイ・ジェンソン、シェリー・ノース、シドニー・クルート、アラン・ヴィント。1975、米Columbia Pictures)。よく喋るブロンソンによる、明らかに無謀な脱獄作戦が痛快な映画。ジョン・ヒューストンが孫を陥れたいのかそうではないのかが曖昧で脱出後もその問題は放置されたままだったり、ロバート・デュヴァルが刑務所の救護室から刑務所長などの監視があるのにやすやすと抜け出せたり、いろいろ雑だが、あまり気にならないのが観終えてみるとなんだか可笑しい→午前4時就寝→朝10時起床→ニンジンとトマトのスープかけクスクス(温泉卵)→シャワー→『女の警察 乱れ蝶』(原作:梶山季之、監督:小澤啓一。水野久美、小林旭、佳川ヨコ、江角英明、青江三奈、内田朝雄、三田村元、小笠原章二郎、郷^治、内田良平、夏純子、江角英明、牧紀子、北原義郎、マイク・ダニーン、高野誠二郎、松本めぐみ、太田トモ子、麻生レイ子、喜多野純。1970、ダイニチ映配)。シリーズ最終作の本作でまた監督が変わったが、前作同様歌は賑やかだったものの(青江三奈『夜の瀬戸内』『酒場人形』『好きだった』、佳川ヨコ『泣かれても』、太田トモ子『はじめに愛があった』、喜多野純『影を慕いて』)、なんかパッとしない印象。前作の出来がよ過ぎたか→ニンジンとトマトのスープかけクスクス(揚げ玉)→夕方、〈行辺〉にて池袋ジャズフェスティバルの打ち上げ。A山さんY季さんには遠くまでご足労いただいたが、酒も料理も喜んでもらえてよかった。話も弾んだ。刺身(コハダ、真アジ、本マグロ、赤イカ、タイラ貝、真子カレイ昆布〆)、アユ塩焼き、八ヶ岳有機赤カブ梅酢漬け、茹でたて枝豆、お寿司屋さんのやわらか煮穴子、あっさりだしの小うどん、生ビール中×1、御酒×5→帰路は記憶なく、帰宅後即就寝。
6月12日(日) 終日宿酔で横臥→朝スープがけクスクス、昼味噌湯(うずらの卵×3、揚げ玉)、海苔巻き二ケ→夕方風呂→ポテトサラダ(新玉葱)、トマトとピーマンとハムのサラダ、キャベツのおつけ(揚げ玉)、ご飯、たらこ、佃煮(生あみ、糸切り昆布、きゃら蕗)→早々に就寝→日付変わる頃起床→『ザ・スパイダースの大進撃』(監督:中平康。ザ・スパイダース、真理アンヌ、植村謙二郎、二木草之助、田中滋、草薙幸二郎、和泉雅子、波多野憲、原田征男、ヴィレッジ・シンガーズ、堺駿二、親桜子、東郷秀美、柳瀬志郎、鴨田喜由、小柴隆。1968、日活)。他のザ・スパイダース出演作同様の、物語と関係あったりなかったりの歌と笑いがふんだんに散りばめられた軽喜劇だが(鹿児島弁で『なんとなく』を歌うくだりも可笑しい)、その中で真理アンヌの眼の力や存在感が鈴木清順『殺しの烙印』とあまり変わらないのが可笑しい→ハムとチーズ、ビール中瓶×1→午前4時頃就寝。
6月13日(月) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→ハム玉、キャベツのおつけ(揚げ玉)、ご飯、たらこ、佃煮(生あみ、糸切り昆布、きゃら蕗)、海苔→『人形佐七捕物帖 鮮血の乳房』(原作:横溝正史『山吹薬師』、監督:小野田嘉幹。鈴木信二、細川俊夫、浜野桂子、広瀬康治、上林絢、中村竜三郎、鮎川浩、小高まさる、鳥羽恵美子、山口多賀志、藤川洋子、北沢典子、伊達正三郎、山村邦子、高松政雄、松浦浪路、高村洋三、沢井三郎、三原葉子、泉田洋志、大原謙二、川部修詩、宮田文子。1959、新東宝)。推理、捕物、子供騙しがいい塩梅に組み立てられた捕物帳時代劇と見た。中村竜三郎の佐七は台詞回しがなんだかたどたどしくもあるが、人形っぷりはなかなか。手妻の場面のお秋=三原葉子は、まだ後年ほど脂ぎっていないのがやや物足りないが、衣装がその時代にあるまじき、というところがとてもよい(この辺がいい塩梅の子供騙しと思うところ)→『人形佐七捕物帖 めくら狼』(原作:横溝正史、監督:マキノ雅弘。水島道太郎、石黒達也、新珠三千代、R・テンプル、進藤英太郎、瑳峨三智子、小泉博、志村喬、本郷秀雄、田中春男、田崎潤、宇治みさ子、天野刃一。1953、東宝)。1953年に始まる『人形佐七』のシリーズでいうと(その前には1938年に『羽子板の謎』がある)、唯一の小泉博の佐七。第一作の『通り魔』が嵐寛寿郎で1959年の第八作『鮮血の乳房』第九作『裸姫と謎の熊男』が中村竜三郎のほかは、最後の『闇に笑う鉄仮面』までのうちの残りの十一作を若山富三郎が演っている。で、小泉博の佐七だが、頼りになる親分というよりはまだ若気が残った勢いのある男っぷりが出ていて、これはこれで観ていてとても心地よい(そういう意味では中村竜三郎による人物造形は少し中途半端か)。映画全体としては特筆すべき部分がよくわからなかったが、といってつまらなかったわけではなくむしろすーっと楽しい空気の中に引き込んでくれる娯楽映画のお手本のような作品と思ったが、若い佐七とお粂(瑳峨三智子)の可愛らしさが印象に残る。あとR・テンプルなる女優(日本人と思うが)の体技がものすごかった。存在感もなかなかのものだが、何者だろう? 序盤で佐七が「何が彼女をそうさせた」と語るのは、1930年の鈴木重吉監督作『何が彼女をさうさせたか』のことか?→ポテトサラダ、チーズハムサンドイッチ、カップヌードルPro、ビール中瓶×1→午睡→夕方、再開なった〈夢亀らーめん〉へ。しかしマスターはまた腰痛とのこと。大事でなければよいが。馬刺し、子供ラーメン、ビール中瓶×1→〈スタンド八九〉に寄って金宮酎ハイ×2。なんだかおなかが一杯になった→〈アダン〉が模様替えしていたので陣中見舞い、というか立ち寄っただけだが、ひまわりを購入→帰宅後即就寝。
6月14日(火) 朝5時起床→風呂→マヌカハニー→キャベツのおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯(煎り酒)、佃煮(生あみ、糸切り昆布、きゃら蕗)、海苔→食後一時間ほど横臥→昼、表参道に出て〈GENT&HONEY〉にて散髪。本日はA利さん急なお休みのためHやしさんご担当。ばっさり切ってもらう→〈ひがしや〉で土産買い、下北沢で途中下車して〈貝麺みかわ〉で昼。一杯飲んだあとの冷やし貝麺は絶妙であった→経堂着いてから住民税払い(なぜか今年は請求が来た)帰宅→午睡→ちんとん寄付の件、口上文案を修正し送付→キャベツのおつけ、ご飯、納豆、ズッキーニ炒め二切れ→『紅扇』(原作:田中澄江『母の舞う時』、監督:原研吉。高橋貞二、水原真知子、木暮実千代、幾野道子、小林トシ子、岩井半四郎、阿南純子、市川春代、十朱幸雄、吉川満子、水上令子、森川まさみ、水木涼子、北龍二、小園蓉子、三木隆。1952、松竹)。「中盤の回想部分が、ある意味主な要素とはいえ長過ぎる(途中で現在へ何度か戻ってほしかった)」と思ったところで、そういえば二年前に観たなと思い出した(まったく同じ感想を抱いた)。木暮実千代、市川春代、吉川満子、水上令子のやり取りの東京言葉の美しさを、今回も堪能。それだけでも後世に残すべき作品と思う。木暮実千代と森川まさみがぶつかり合い心を許し合う場面の背景で小園蓉子と三木隆が仲よく歌を歌っているのは、恐らく何かの暗喩だなと今回は思ったが、それを言葉にすると野暮なので言わない(観ながら言ったが)→フライドポテト、うずらの卵天ぷら、ズッキーニと鴨燻製とマッシュルームの炒め、ビール中瓶×1、芋焼酎水割り×1→夜1時頃就寝。
6月15日(水) 朝5時半起床→風呂→マヌカハニー→ニンジンと溶き卵のスープ(玉葱、ニンニク、生姜、粉末鶏がらスープ、ソフリット、クミンシード、カルダモン)、たらこチーズトースト→老父と昼食および買い物付き添い(〈幸楽苑〉にて中華そばロカボ麺、温泉卵。サミット)。くだんの不整脈は、今週精密検査、来週火曜日結果判明とのこと→時間があまったので、〈田中脳神経外科〉から〈本むら庵〉までの道程を確認し、病院に取って返し→待合室でぼーっと待っていると、夢亀マスター登場。本日ご一緒かもしれないのは伺っていたが、会うなり財布を忘れた! というので五千円お貸しする→私の診断は、次回MRIを8月29日に撮って治癒具合を確認する。それまでは今まで通りコルセットで背骨の稼働を抑えながらクスリを服用。クスリはまったく飲まない期間を設け、症状の変化を観察する。それで調子が悪くなることがあれば服用を再開したり、あるいは受診→クスリもらって、先に確認した通りの道程で〈本むら庵〉。おやつにせいろ一枚→〈サミット〉に寄って牛乳、ちりめんじゃこ、しらす、なめこを購入して帰宅→O形サイト更新(絵日記)→『ディア・ピョンヤン』(監督:ヤン・ヨンヒ。ヤン・コンソン、カン・ジョンヒ、ヤン・ヨンヒ、ヤン・ウンシン、ヤン・ソナ、ヤン・コノ、ヤン・コナ、ヤン・コンミン、ヘギョン、スノク。日韓、シネカノン)。自分にとってはまず「知らなかったことを学ばせてくれる」映画という側面が大きい。そしてこの映画で描かれる事実≠ゥら、国家というものと地べたで生きる人間との関係というものを、深く考えさせられる。戦後の平和な(と捉えてきた)日本に生まれ育った私には、国家というものは付かず離れずの相対的な存在としてそのときどきで自分との距離を自分で制御できるものだと思っているが、そうでない状況もあるということを(頭での理解ではなく)強烈に思い知らされる。終幕近く、入院した父親に母親への想いを語らせる監督の問いかけは、家族というものの本質を浮き彫りにするとともに、家族を振り回した父親に対する断罪、にも思えたが、それは少し行き過ぎた見方か。監督のカメラによる筆致≠ヘ終始淡々としていて冷静で、疑問に思ってきたことに対していかにも鋭く切り込んだり問題としてぶち上げたりはしないのだが、だからこそ却って静かな怒りのようなものを、観ているこちらが勝手に想像したのかもしれない→フライドポテト(細切り)、枝豆、セロリとピーマンとトマトと新玉葱のサラダ、鴨燻製、しらす、なめこのおつけ、ご飯、納豆、海苔、ビール中瓶×1、芋焼酎水割り×1→眠くなったが『クイズ!脳ベルSHOW』を見終えるまではなんとか起きていて、夜0時頃就寝。
6月16日(木) 朝5時半起床。白湯、マヌカハニー→風呂と風呂掃除→なめこのおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯、佃煮(生あみ、きゃら蕗)、海苔→『ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを』(監督:内川清一郎。萩原健一、高久昇、大泉滉、新珠三千代、大口広司、田中俊夫、松崎由治、横山道代、聖ミカ、山岡久乃、須賀不二男、堺正章、名古屋章。1969、東宝)。ザ・テンプターズの人気に乗じて適当な思いつきを早撮りで撮ったという趣きの映画だが、その軽さとスピード感が楽しさをもたらしていると思う。適当な思いつきと思われるにしては、唐突な丸山明宏のモノマネ、ハトの扱い、魔法、とりわけ喧嘩の場面での魔法の使い方など、笑いのツボはかなり押さえている(偶然かもしれないが)。新珠三千代や須賀不二男が普段とは異なりかなりコミカルで可愛らしい芝居をしているのは、ザ・スパイダーズの面々に合わせてのことだろうが、その可愛らしさが結果的に終幕の感動につながるところも面白い。ザ・テンプターズはコミカルというよりはカッコ悪いし、萩原健一が女走りというところも可笑しいのだが、音楽的にはサイケデリックの要素をかなり取り入れていて、そういうところも総合して、かなり面白さを感じた一本だった→午前中横臥→『学生心中』(原作:小谷剛、監督:森永健次郎。小林桂樹、木村功、中原啓七、織本順吉、宮城野由美子、宇野重吉、遠山幸子、田島義文、河上信夫、南寿美子、山本かほる、金子信雄、高野明子、美川洋一郎、柳恵美子、小田切みき。1954、日活)。若い二人の自然な恋愛感情とそれぞれの家の事情、それを取り巻く人間関係と経済状況が絡まり合う中で、最も優先されるべきはずの「若い二人の自然な恋愛感情」が一番弱い(そこに皺寄せがいく)様が描かれた作品。まあある意味よくある話ではあるが、人それぞれの事情や考え方がぶつかり合う中で一番弱いところが割りを喰うというそのよくある話を、絵造りも含めて丁寧に組み立てていると思った。大学生に僻み根性を持つ小学校上がりの金子信雄が、最初は匂いフェチ的な変態暴力不良として描かれつつ(木村功を殴り倒すときのライティング含めた絵造りは秀逸と思う)その心情を吐露していくところがとても印象的で、主人公二人(木村功、宮城野由美子)が結果としての心中に向かうクライマックスが美しいがやや冗長な中で、金子信雄の境遇に比べたらこの二人は幸せじゃないかと思わせられ、最終的には金子信雄のほうが印象に残ってしまうのは、この映画としては成功か失敗か。どうでもいい点ではあろうが、宮城野由美子が最初田舎でヤギを連れた垢抜けない少女として登場するのがのちにいきなり美しいキャバレーの女給になって主人公の目の前に現れる(実は女学生だった)のが、なんだか唐突で笑った(そのあとの議論の場面も可笑しくも微笑ましい)→きつねスパゲティ(油揚刻み、どんこ、生姜、ちりめんじゃこ、煎り酒、胡麻油)→『新しき天』(原作:牧逸馬、監督:鈴木重吉。南田洋子、林成年、青山敬治、小沢栄、山本富士子、村田知英子、見明凡太朗、北原義郎、姫路リエ子、岡村文子、滝花久子、藤田佳子、吉川英蘭、須田喜久代。1954、大映)。たまたま続けて観たからの感想になるが、『学生心中』での金子信雄の役割の(主人公たちとは別種かつ深さの異なる不幸を担う)登場人物がいない点で、映画の奥行きについて物足りなさを感じたし、周囲の人間の命運を握る人たちの明らかな自分本位の行動が周囲を不幸にしたという点が、物語としてはやや単純に思え、その分快心≠ノ劇的な効果が乏しいような気がしたが、果たして。山本富士子はもちろん、南田洋子の容貌だけでなく溌剌とした美しさが堪能できるのは、かなりの見所ではないかと思う→『愛しきソナ』(監督:ヤン・ヨンヒ。ヤン・ソナ、ヤン・コナ、ヤン・コンソン、カン・ジョンヒ、ヤン・チソン、ヤン・ヨン、チョン・ジョンスン、ヤン・コノ、ヘギョン、スノク、ヤン・ウンシン、ヤン・ヒョン、ヤン・ヨンヒ。日韓、スターサンズ)。国家や政治と家族、と単純に分けると、監督の描きたかったのはまず家族だったのではないかと思うのだが(もちろん極端に単純に観た場合だが)、そこに北朝鮮という国家の主張(入国禁止)が介入してくるという点で、もし仮に監督に国家や政治を描くつもりがまったくなかったとしても国家や政治を無視することはできないということの恐ろしさを感じる(監督がそれを描くことを意図していたかどうかにかかわらず)。という点と、息子たちを北朝鮮に送った父親の、悔恨も含んだ様々な想いの重さを、前作同様かそれ以上に感じた。私自身は国家よりも個人が優先されるべきと考えるので、ここまで個人に国家が影響する世界は早く是正されてほしいと願うが、そう願うだけでは済まない状況というものを、前作同様本作からも考えさせられた。たいへん底の浅い受け止め方かもしれないが、現段階ではそれが私には精一杯→菊水堂ポテトチップス、お好みミックス、サラダ(キャベツ、セロリ、ピーマン、トマト、ニンニクとしらす入り薄焼き卵、胡麻ドレッシング)、塩豆腐ときゅうりのニンニク生姜醤油和え、塩豆腐ムニエル風、なめこのおつけ、どんこ炊き込みご飯、納豆、ビール中瓶×1、芋焼酎水割り×1→寝ようと思ったところでプリンタ/スキャナの接続障害が発生したので確認し、一応解決。スキャナはドライバーが現在のmacOSのバージョンに対応していないので、機械にUSBメモリを挿してそこにスキャンで対処→午前2時過ぎ就寝。
6月17日(金) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→洋風おじや(ニンジンと溶き卵のスープ(玉葱、ニンニク、生姜、粉末鶏がらスープ、ソフリット、クミンシード、カルダモン)、溶き卵、ちりめんじゃこ)→シャワー→本日はまず〈中江クリニック〉。院長の順番はかなり待たされると聞いて覚悟したが、そんなでもなかった。前回採った血液の検査結果は、γ-GTと中性脂肪が要注意、それ以外は改善されているとのこと。食べる量は減っているので、まあ酒量だな。引き続き養生したい→クスリを受け取り(今回からひとつ変更)、電車で経堂へ。すずらん通り入り口でO形で待ち合わせ、〈パッポン食堂〉で八九マダムとM壁さんに合流(O形が午前中ボウリングをご一緒していた)。パッタイ、生ビール×1→バスで渋谷へ。道玄坂上で降りて、〈ユーロスペース〉にて『スープとイデオロギー』を鑑賞。(監督:ヤン・ヨンヒ。カン・ジョンヒ、ヤン・コンソン、ヤン・ヨンヒ、荒井カオル、済州4・3研究所の研究員たち。2021、東風)。監督の家族を題材にしたドキュメンタリーの、結果的にではあるが三部作(と言ってよいのかな?)の最終作。前二作『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』と大きく異なるのは、撮影しながら直面する、監督自身もよく知らなかった、あるいは予想できなかった事実への直面と、それによる混乱の大きさではなかろうか。そしてその混乱や整理のつかなさを素材として丸ごと煮込んで≠オまったところに、監督の覚悟を見たと、一回観た段階では思った。一本のドキュメンタリー映画としては完成した作品だし、ドキュメンタリー・シリーズとしても完結を見たと(勝手に)思っているが、前二作から本作へと踏み込んで描いてきた主題は、いろいろな形(映画に限らず)で語られていくのかもしれないし、受け止める側としてはそれを期待したい→バスで経堂へ戻り、ユリの木公園バス停で降りて〈山村〉で韓国料理。ナムル盛り合わせ(小)、キムチ盛り合わせ、焼きナス、ホルモン炒め、干しタラスープ、ご飯、生ビール×1、生マッコリ×1/2。少し甘めの味付けだったが、地元の名店の味を堪能。と思いきや、8月初旬で店仕舞いをするとのことで憮然。これを機に馴染みになろうかなと思ったのだが無念。できるかどうかわからないが、20人くらい集めて貸し切りで宴会を催してみたいと思った。それと、店のママさんがヤン・ヨンヒ監督のオモニと印象がかぶる。残した干しタラスープ、ご飯、プルコギキンパ、キムチを持ち帰り→経堂駅まで歩くも力尽き、タクシーで帰宅→帰宅後即就寝→夜中に起きて風呂→
6月18日(土) 朝10時起床。若干宿酔→干しタラスープ、プルコギキンパ→シャワー→『暗殺』(原作:司馬遼太郎『幕末』所収「奇妙なり八郎」、監督:篠田正浩。清水元、丹波哲郎、岡田英次、小沢栄太郎、佐田啓二、木村功、穂積隆信、立岡光、城所英夫、穂高稔、須賀不二男、水島真哉、竹脇無我、水島真哉、山路義人、青山宏、岩下志麻、日下武史、水島弘、葵京子、織本順吉。1964、松竹)。二年前に観ていたのに忘れていた(途中で気づいた)。観ている最中、清河八郎(丹波哲郎)という人物の多面性を描いたのかもしれないがそれがなに?と思ってしまうな、と思っていたが、二年前に観た際も「清河八郎の複雑で多面的なな人間性を描いているのはわかるのだが、だからなに、というこの映画この物語の急所をつかめなかった、という感じ」と書いていた。全体的に各場面、とりわけ回想的な挿話が冗長で、話の焦点が私にはつかみにかったのが、その要員か。清河八郎の情婦お蓮(岩下志麻)の拷問場面も、自分の女房にとんでもない場面を演じさせているのにそれほどの効果を感じなかったし、二年前同様やはり楽しめなかったが、佐々木唯三郎(木村功)が浪人したのち清河八郎を追いかける視線が完全に佐々木主幹(佐々木唯三郎の姿は現れない)のは唯一面白いと感じた→海苔巻き(納豆、ちりめんじゃこ、キムチ、揚げ玉)→夕方、まず経堂駅近くの画材屋〈画賛堂〉へ。〈ちんとんしゃん〉のお手洗い洋式化祝いにO形が描いた絵の額装依頼。以前一軒家で営んでいたときにはなんとなく入りづらかったのだが、こうして訪ねてみるととても親切でいい店だった→下北沢に出て〈無印良品〉で買い物(ピルケース)、〈マサコ〉で時間潰したのち(ビール)、〈貝麺みかわ〉で早めの晩(先日に続き冷やし貝麺)→O形が靴屋で靴購入ののち、〈mother's RUIN〉にて『MOTHER50周年記念 平和への祷り 水無月十八日夕べ ユーピン・ナイト』にお邪魔。西村雄介(guitar)、宮坂洋生(contrabass)。静かで柔らかく優しい音楽と、暖かいお客。小さい坊やが演奏中に一所懸命仮面ライダーとウルトラマンについて語り出すも、それを少しも邪魔と感じさせない音楽とお客の作る空気は平和に溢れていて、この時間をこのまま何かに閉じ込めて世界中にばら撒きたいと思った。終演後の酒席も楽しく、いい夜だった。以下、この日の演奏曲目。

01 Trade(ミルトン・ナシメント)
02 If You Could See Me Now(タッド・ダメロン)
03 All Or Nothing At All(アーサー・アルトマン)
04 Spring Is Here(リチャード・ロジャーズ/ビル・エヴァンス・アレンジ)
05 3 Views Of A Secret(ジャコ・パストリアス)

06 Bird Of Beauty(スティービー・ワンダー)
07 Happy People(アイアート・モレイラ)
08 Beauty And Beast(ウェイン・ショーター)
09 Lawns(カーラ・ブレイ)
10 What's Going On(マーヴィン・ゲイ)

enc. Better Git Hit In Your Soul(チャールズ・ミンガス)

→Galabox女史と三人で店を出て、駅で別れたのは覚えているが、電車に乗ってからの記憶なし。就寝時間も不明だが、特に事故はなかった模様。
6月19日(日) 昼過ぎまで宿酔で横臥→海苔巻き(きゅうり、キムチ、薄焼き卵)→シャワー→海苔巻き、きつねそば(うずらの卵、葱、どんこ、揚げ玉)→『カラヴァッジオ』(原題『Caravaggio』、監督:デレク・ジャーマン。ナイジェル・テリー、スペンサー・レイ、エミール・ニコラウ、デクスター・フレッチャー、マイケル・ガウ、ショーン・ビーン、ギャリー・クーパー、ティルダ・スウィントン、ナイジェル・ダヴェンポート、ジョナサン・ハイド、ロビー・コルトレーン、ジャック・バーケット、ノアム・アルマズ。1986、英British Film Institute (BFI))。ときに絵を撮っているのか映画の一場面なのかわからなくなるほどの活人画のような絵造りを全編通しているのは見事。説明が極めて少なく、一言人名をつぶやくだけなのに次の場面からの展開を眺めていれば話がすーっと頭の中に入ってくるような撮り方・構成の仕方もこれまた見事。その一方でミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオという人物に興味がない人までを引き込む力があるかといえばそこは疑問だし、ときおり朗読される詩や、あるいはナイフの意味するところなどは事情を知らなければ退屈に感じてしまうのだが(その辺は人によるか)、それでも最後の活人画には感動させられてしまう。感動させられて困る、というのが正直な感想(感動させられなければ悪口のひとつも言えるので)→『ニューヨーク 親切なロシア料理店』(原題『The Kindness Of Strangers』、監督:ロネ・シェルフィグ。ゾーイ・カザン、エスベン・スメド、ジャック・フルトン、フィンレイ・ヴォイタク・ヒソン、アンドレア・ライズボロー、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ジェイ・バルチェル、タハール・ラヒム、ニコライ・コペルニクス、ビル・ナイ、デヴィッド・デンシック、クリス・ベイカー、スコット・アンダーソン、リサ・コドリントン、パトリシア・マッケンジー、ダニエル・カッシュ。2019、加典丁独仏Entertainment One/SF Studios/Alamode Film/KinoVista)。ロシア料理店が舞台のひとつではあるものの、ロシアの国や文化や国民が物語に必須ではないから、やはり原題の『The Kindness Of Strangers』のほうがしっくりくる(もともとは『Secrets from the Russian Tea Room』だったらしいけれども)。それはともかく、暴力夫から必死に逃れつつ、子供たちに不安を与えないように腐心する母親の姿は、ロベルト・ベニーニ『ライフ・イズ・ビューティフル』やエイブ・フォーサイス『リトル・モンスターズ』に迫るものがあるし、母親クララ役のゾーイ・カザンはその役を見事に表現していると思う。追い詰められる母子三人といい、どんな仕事も身につかないジェフ(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)といい、悲惨な境遇については和らげず、しかし静かに描いていき、周囲からの暖かい助けも大仰には描かない点、難しい表現によく挑戦したなと思う(ほぼ墜落しているくらいに低空飛行を続ける人たちを専ら描き、彼らへの視線が温かいのもよい)。そしてどう見ても行き詰まった状況の中でどうしようもなく笑ってしまったり希望を捨てなかったりというところの描き方も考え抜かれたのではないかと思う。病院を辞める覚悟だった看護婦アリス(アンドレア・ライズボロー)に婦長が資金援助(看護婦が主宰するセラピーや無料食堂への)を申し出るところは少し甘い気がしたが、再見したらそこの意図をちゃんと理解できるかもしれない→明日の朝食の用意をしてから就寝。午前2時頃。
6月20日(月) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー→セロリの葉と油揚のおつけ、卵かけご飯(煎り酒)、佃煮(糸切り昆布、生あみ、きゃら蕗)、海苔→『天保水滸伝 大原幽学』(監督:山本薩夫。平幹二朗、江藤潤、花澤徳衛、鈴木瑞穂、大竹しのぶ、町田博子、江幡高志、山本哲也、浅丘ルリ子、高橋悦史、高岡健二、香山美子、滝沢修、新井和夫、下絛アトム、大場泉、ハナ肇、伊藤浩市、加藤武、高城丈二、川崎あかね、日下武史、藤岡重慶、田村貫、ナレーション:神山繁。1976、大映)。農協映画製作委員会の企画、製作に全国農村映画協会が名を連ねる、いわば教育映画であって、大原幽学という傑物の人となりと業績を広く知らしめるために作られたものと思うが、平幹二朗の大原幽学がもう単純にカッコよく、浅丘ルリ子、高橋悦史、香山美子、滝沢修、日下武史ら名優の芝居の切れ味もよく(浅丘ルリ子が農民に戻ってもバーの女にしか見えないのはまあご愛嬌か)、よくよく観るといろいろ抜けや穴があるような気もしたが、娯楽大作としてぼーっと眺めているだけでも楽しい映画だった→〈画賛堂〉で額装受け取るついでに〈しらかめ〉で昼、のつもりが〈しらかめ〉に振られ他にも振られ、結局〈ビーバートザン〉(電球)、〈画賛堂〉、〈箱根そば〉(岩下の新生姜のミニかき揚げ天といか天)、〈オオゼキ〉と逍遥。ヘルニア薬を土曜の夜から飲まずにいたら(もちろん意識的に、試しに)、四回分抜いて駅前まで行って帰るととさすがに右下半身の違和感はだいぶ増した。あと一回抜いたらやばいかな、明日は出かける用事がないのでやってみようかな→某社が決算のため、これから発注する案件の請求書だけ先に欲しいというので作成して送付。支払いは請求書の〆日(今月)通りにしていただけるとのことで、なんだかありがたい→風呂→鯛刺身、鰹刺身、焼きとうもろこし、トマトと玉葱とピーマンとセロリのサラダ、キムチ、ビール中瓶×1、芋焼酎水割り×1→そんなに飲み食いしてないのに眠くなってしまい、途中で失敬して横臥。ヘルニア薬結局服用→夜9時過ぎ起床→『恋に落ちたら…』(原題『Mad Dog and Glory』、監督:ジョン・マクノートン。デレック・アヌンシアティオン、ダグ・ハラ、エバン・ライオネル、アンソニー・カンナータ、ロバート・デ・ニーロ、デイヴィッド・カルーソ、ビル・マーレイ、キャシー・ベイカー、ジャック・ウォレス、マイク・スター、リチャード・バイザー、ユマ・サーマン、トム・トールズ。1992、米Universal Pictures)。それなりの年月勤め上げた鑑識課の刑事とそこそこ地位を築いたマフィアがひとりの女を間に小学生並みのケンカをするというのが可笑しい。マフィア(ビル・マーレイ)が最後に「友達になれると思ったのに」というところが、その芝居も含めて最高であった。デイヴィッド・カルーソとマイク・スター、デ・ニーロとビル・マーレイの決着が結局肉弾戦≠ネのも、緊迫感を醸し出しつつなんだか平和なのがよかった→『殺したいほど アイ・ラヴ・ユー』(原題『I Love You to Death』、監督:ローレンス・カスダン。ケヴィン・クライン、トレイシー・ウルマン、リヴァー・フェニックス、ヴィクトリア・ジャクソン、ジョーン・プローライト、ヘザー・グラハム、ウィリアム・ハート、キアヌ・リーヴス、ミリアム・マーゴリーズ。1990、米TriStar Pictures)。バカしか出てこないバカ映画で最高。主人公のケヴィン・クライン扮するジョーイの生命力はラスプーチン並みだが、殺そうとしている義母(ジョーン・プローライト)が何か食べていたり、殺されようとしているジョーイが殺し屋がいるのを見て「お客様になにか食べ物を出さなきゃ」みたいなことを言うのも、生命力というものの表現と見たが果たして。そして自分を殺そうとした家族を赦す終幕は感動して笑った→梅干し、ちりめんじゃこ、キムチ、芋焼酎水割り×3→午前3時就寝。
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