2022年07月10日

7月まとめ(1〜10日)


ビル・ホルダーマン『また、あなたとブッククラブで』、衣笠貞之助『女優』、『出動!ラーメン刑事』、クロード・ピノトー『ラ・ブーム』『ラ・ブーム2』、ヴィクター・レヴィン『おとなの恋は、まわり道』、「ヤンパパン」の謎、アキ・カウリスマキ『過去のない男』、『撮れた展。vol.2』於〈tefu代々木上原〉、長塚美奈子『豆助大手柄』、千歳船橋〈亜州太陽市場〉。

7月1日(金) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー→『仁鶴・可朝・三枝の 男三匹やったるでぇ!』(監督:長谷和夫。ミヤコ蝶々、笑福亭仁鶴、月亭可朝、安藤孝子、桂三枝、北竜介、小田草之助、倍賞美津子、内田朝雄、有島一郎、花菱アチャコ、天王寺虎之助。1970、松竹)。笑福亭仁鶴、月亭可朝、桂三枝の上方落語家三人がメディアで人気だから撮った、というだけの映画という印象。月亭可朝もまだ後年ほどクセが強くなく、水道管にガス管をつなぐなどのギャグは面白かったりもしたが、全体に笑いの規模は大きくない。そんな感じで話が進んでいって、最後は鉄道自殺しようとする有島一郎とそれを止めるミヤコ蝶々の芝居がやけに感動的で、そこだけが印象に残るような映画だった→小松菜と油揚のおつけ、ご飯、佃煮(糸切り昆布、きゃら蕗、一口穴子)、梅干し→『背後の人』(原作:有馬頼義、監督:八木美津雄。池部良、桑野みゆき、八木昌子、路加奈子、岡田英次、小沢栄太郎、清村耕次、槙芙佐子、北城真記子。1965、松竹)。二年ぶり二回め(もっとも途中まで観たことを忘れていた)。初見時には「反戦という趣もあるが、それよりも戦争はその“真理”(註:人と人との関係が出会う時と場合によって大きく異なる、と当時は理解)を描くための素材とされているようにも思った」という感想を得たが、確かに戦争の場面はほとんどないものの、池部良が岡田英次(戦後すぐに黒人米兵を刺し殺し時効直前まで逃亡していた)に言う「君は逃げたんじゃない。戦争への怒りを今日まで持ち続けたんだ」「君が殺したのは黒人兵じゃない、戦争だ」という言葉は重いということを、今回は感じた。桑野みゆきに関してはまだまだぜんぜん勉強していないが、本作の五年前の『秋日和』での印象を思い起こすと、かなり人間としての重みや魅力を感じる俳優になってきた頃なのかなと妄想するが(本作でも終盤の慟哭っぷりにはやはり泣かされる)、しかしこの二年後には結婚して引退してしまったんだな。ひとりのファンからすると、もったいないなあという感想になる→菊水堂ポテトチップス、鴨燻製、冷やし胡麻にゅうめん(温泉卵、紫蘇、オクラ、ごま油、ラー油)→『浮き雲』(原題『Kauas pilvet karkaavat』(Far away the clouds flee/Drifting Clouds)、監督:アキ・カウリスマキ。カティ・オウティネン、サカリ・クオスマネン、マルク・ペルトラ、カリ・ヴァーナネン、オウティ・マエンパー、エリナ・サロ、マッティ・オンニスマー、ユルィヨ・ヤルビネン。1996、芬Sputnik)。私が観た中での話になるが、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』や『コントラクト・キラー』に比べてファンタジー成分や娯楽色がほとんどない、現実の世界(ここではフィンランド)を写したドラマ構築という印象。独特の間やテンポ、あるいはほとんどみな無表情で笑う人がほとんどいないというのはこの監督らしい味わいと思うし、そういう意味でリアリズムを目指したものではないと思うのだが(いやどうだろう?)、明らかに笑いを仕掛けたようなところはなかったように思う。ひと組の夫婦が一度に失業し、貧すれば鈍すで何をやってもうまくいかず、しかし最後に光明が見えるというのは見様によってはご都合主義的でもあるが、それよりも人間の小ささ、可愛らしさの印象のほうが先に立ち、感動とはまた違うが、なんとも言えない気持ち(好悪でいえば好)にさせてくれる。監督が何を描きたかったかは私には明確にはわからなかったが、理解を求めるのではなく、また何度か観たいと思わせられた→チーズパン、牛乳/まつのはこんぶと冷麦茶の茶漬け→『ゲット・ショーティ』(原題『Get Shorty』、監督:バリー・ソネンフェルド。ジョン・トラヴォルタ、マーティン・フェレロ、デニス・ファリーナ、ロン・カラバトス、ビッグ・ダディ・ウェイン、リンダ・ハート、ボビー・スレイトン、ジーン・ハックマン、レネ・ルッソ、デイヴィッド・ペイマー、デルロイ・リンド、ジェームズ・ガンドルフィーニ、ジェイコブ・ヴァルガス、ジョン・グリース、ダニー・デヴィート、ルネ・プロポス、ベット・ミドラー、ミゲル・サンドヴァル。1995、米Metro-Goldwyn-Mayer (MGM))。ジョン・トラヴォルタが腕のいい取り立てやくざなのだろうがチンピラにも見える点で、主人公の人となりを把握するのに些か混乱を覚えたが、まあそれは些細なことで、一人前のやくざが実は映画マニアで…… という意外性の面白さをうまく活かした佳作と思った。映画館でトラヴォルタとレネ・ルッソが離れた席で心を通わせるところなどはうまいなあと思ったが、しかしどこをどうとは具体的に言えないのだけれども、どこかをもう少しどうにかしていれば、もう少し派手になって大傑作として迎えられたのではないかと思うが(たとえば実在のスターをちょい役でバンバン登場させるとかなのかな。よくわからない)、しかし個人的な好みで言えば、設定からするとやや平坦で外連味の少ない本作の味わいは嫌いではない。取っておきたかったが、おそらく放送局(ザ・シネマ)のほうの問題で映像が送信時に(もしかしたらこちらの受信時かもしれないが)荒れてしまっていて残念→キャベツとピーマンとトマトのサラダ、寄せ豆腐、枝豆、とんかつふた切れ、ビール中瓶×1、御酒×1→夜11時就寝。
7月2日(土) 朝5時起床。白湯、マヌカハニー→朝食用のスープ製作→シャワー→『また、あなたとブッククラブで』(原題『Book Club』、監督:ビル・ホルダーマン。ジェーン・フォンダ、ドン・ジョンソン、キャンディス・バーゲン、ジョナサン・オワイ、メアリー・スティーンバージェン、クレイグ・T・ネルソン、ダイアン・キートン、ケイティ・アセルトン、アリシア・シルヴァーストーン、アンディ・ガルシア、リリ・ボルダン、トミー・デュウィー、ジョン・シャーツァー、リチャード・ドレイファス、エド・ベグリーJr、マーセア・モンロー、ウォレス・ショウン、マリサ・チェン・モーラー、ジョセフ・ストロンバーグ、サビーナ・フリードマン-サイツ。2018、米Paramount Pictures)。老境に差しかかった四人の女性の恋をめぐるドタバタだが、四人が四人とも社会的にものすごく成功しているという点(そしてそれぞれが見つける相手も社会的成功者である点)が設定としては鼻につくが、観ている分には誰もが抱える悩みを悩んでいる普通の人たちに見える。その辺は脚本から演出、演技、絵造り、編集などなどにとても高度な技術を細心の注意を払って用いているという感じがして、その安定感は観ていてとても心地よい(特に四人の芝居は見事だったと思う)。終幕にかけて四人が四人とも収まるべき鞘に収まっていく様が、少しもたもたしている感じもしたが、四人の年齢を考えるとそのもたもたした感じが深みに転じていくようで、最後は予想していなかった落涙があった。観る側の年齢層が限られるかもしれないが、名作と言っていいのではなかろうか→じゃがいもとニンジンのスープ(粉末鶏ガラ出汁、玉葱すり流し、ニンニク、生姜、クミンシード、クミン、パプリカ、コリアンダー、ターメリック)、とんかつひと切、ベーコンチーズパン、ベーコンエピ、ビール中瓶×1→午睡→『女優』(監督:衣笠貞之助。土方与志、進藤英太郎、赤木蘭子、千石規子、山田五十鈴、志村喬、石黒達也、沼崎勲、薄田研二、三島雅夫、河野秋武、藤間房子、伊達信、永田靖、伊豆肇。1947、東宝)。島村抱月と松井須磨子の真実をどれだけ捉えているのかは私にわかることではないが、島村抱月が海外で学んで知識として得た新しい演劇≠目指しているのに対し、松井須磨子は知識という踏み台なしに演じるとは何か≠追求していく、という対比を読み取り、そこに於ける山田五十鈴の表現力の豊かさ、巧みさに驚いた(勘違いもあるとは思うが)。一方、周囲の演劇関係者たちはこういう環境にありながら旧態依然の徒のように描かれていて、実際の文芸協会や芸術座の関係者たちや遺族たちが本作をどう観たかは気になるところではある。ちなみに森繁久弥の映画初出演作だそうだが、この人かなという役者はいたがはっきりとはわからなかった。千石規子(娘役)も映画デビュー作だが、こちらははっきりわかる形で登場→菊水堂ポテトチップス、とんかつ1/2切れ、鴨燻製、じゃがいもとニンジンのスープかけクスクス(溶き卵)、ビール中瓶×1→『蛇娘と白髪魔』(原作:楳図かずお、監督:湯浅憲明。高橋まゆみ、目黒幸子、浜田ゆう子、松井八知栄、三宅邦子、北原義郎、平泉征、福原真理子、石黒三郎、伊達正、丸山修。1968、大映)。Wikipediaの記述によれば、「楳図かずおが「週刊少女フレンド」(講談社)に連載していた少女向け恐怖漫画作品『赤んぼ少女』、『うろこの顔』、『紅グモ』をベースに、その集大成として映画化された」との由。基本的には子供騙しの映画であって、特殊効果もこの時代ならではのものではあるが(あと、大邸宅なのに子供部屋と仏間と主人の部屋以外は天井裏しかないのか? とか)、その辺の色眼鏡を外して観ると、意外に丁寧に作られていることに感心する。小百合役の松井八知栄の芝居がけっこう上手いのと、お手伝いしげ役の目黒幸子の芝居と存在感が印象的だったのが記憶に残る。楳図かずおがタクシー運転手役で出てたようだが、観ている最中には気づかなかった→『宇宙人東京に現わる』(原案:中島源太郎、監督:島耕二。見明凡太朗、杉田康、岡村文子、渡辺鉄彌、山形勲、永井ミエ子、平井岐代子、川崎敬三、フランク・熊谷、河原侃二、目黒幸子、南部彰三、苅田とよみ、八木沢敏、斎藤紫香、夏木章、津田駿二。1956、大映)。これまたWikipediaを引くと、「友好的な宇宙人は1951年公開のアメリカ映画『地球の静止する日』、地球への天体衝突は同じく1951年公開のアメリカ映画『地球最後の日』で描かれており、『宇宙人東京に現わる』はこれら2作品の発想を合わせたような作品」との由。巨大?新天体Rが地球に接近するという筋立ては緊迫感がありはするものの、冒頭に出てくる〈宇宙軒〉なる一杯飲み屋とか、芸者遊びの真っ只中に宇宙人が登場するとか、宇宙人たちの会議の様子の場面では宇宙人の中に明らかに人間が入っているとか(宇宙人のキャラクターデザインは岡本太郎)、新天体が接近して子供達が天文台の地下に避難する様子とか、あるいは問題が解決したところの描写が小動物が穴から出てくるところに限られるとか(鳥は別)、全体にほのぼのした雰囲気がずっと感じられるのが面白い。『地球の静止する日』などとは違う、日本映画ならではの?特徴と言えるかもしれないが、果たして。目立った印象を残す役者はほとんどおらず、川崎敬三の動きが(ご本人の意図するところではないにせよ)いちいち笑いを誘うのが記憶に残るくらいか→まつのはこんぶ、ビール中瓶×1→夜10時頃就寝。
7月3日(日) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→朝のおみおつけ製作してからシャワー→塩豆腐(紫蘇)、ポテトサラダ(玉葱、ニンジン)、蕪のキムチ、まつのはこんぶの冷麦茶茶漬け、ホッピー×3→朝から『出動!ラーメン刑事』見て突っ走りすぎ午睡→午後3時頃起床→一部晩の支度してから、ビール飲みながら『出動!ラーメン刑事』の続き→『ラ・ブーム』(原題『La Boum』、監督:クロード・ピノトー。クロード・ブラッスール、ソフィー・マルソー、ブリジット・フォッセー、クリストファー・ボーネイ、ジャン=フィリップ・レオナール、アラン・ベジェル、ラエティティア・ガブリエリ、ローレンス・ジゴン、ベルナール・ジラルドー、シェイラ・オコナー、アレクサンドラ・ゴナン、ジャン・ピエール・カスタルディ、ドゥニーズ・グレイ、リシャール・ボーランジェ、ドミニク・ラヴァナン、アレクサンドル・スターリング、ディアーヌ・ベルゴ、フレデリック・ド・パスカル、?。1980、仏Gaumont)。改めて観て気づいたのは、主人公ヴィック(ソフィー・マルソー)の両親の、いったん壊れた愛が再生していく様と、ヴィックのほうは新しく愛を育むということを知る様の対比。その中で。ヴィックの経験の中でもいったん壊れた恋が再生していく、両親のそれと相似形のような展開もある。その構造が、思春期の子供たちの恋愛模様を描いただけではない、重層的な深みをもたらしているのではないかと思った。その上で、当時の風俗やはじめてのラ・ブームに向けての衣装選びなどの描写、理解のある曾祖母さんの言動、子供が心配で厳しくはするけれども愛して信頼している親の描き方など、様々な要素がいい塩梅で描かれ、配置されている点、劇映画として完成度も高いと思った。そして終幕の、いったん壊れた恋が再生したかと思ったところに新しい恋が生まれた? という終わり方が鮮やか。四十数年経った現在の評価は知らないが、私は残るべき名作と思う。当時フランスで流行っていたのかどうかはわからないが、2-Toneともまた一味違うスカの多用も好ましい(そして例の、ヘッドフォンの場面)→ニンジンのクミンバターソテー、フライドポテト(ニンニク、生姜)、キャベツとトマトとオリーブのサラダ、骨付きフライドチキン、瀬戸内海産しらすのマルゲリータ(L)×1/2、赤葡萄酒×1/4→『また、あなたとブッククラブで』再見→『ラ・ブーム2』(原題『La Boum 2』、監督:クロード・ピノトー。ソフィー・マルソー、ドゥニーズ・グレイ、ピエール・コッソ、ブリジット・フォッセー、シェイラ・オコナー、クロード・ブラッスール、クローディア・モラン、アレクサンドラ・ゴナン、ジャン=フィリップ・レオナール、ザボウ・ブライトマン、フィリップ・ケリー、アラン・ベーゲル、ジャン・ローヴレ、ジャニーヌ・スション、アレクサンドル・スターリング、ランベール・ウィルソン。1982、仏Gaumont)。人の書いたあらすじを読むとなるほどと思うのだが、映画自体はなんだかとっ散らかった印象。ソフィー・マルソーや他の登場人物も、前作ではその年頃ならではのこの世ならぬもの≠フ感じが色濃かったが、二年経ち劇中の時間も二年後である本作は、子供たちももうほとんど人間≠ノなっていて、前作の大きな魅力であった神秘性のようなものもあまりない。邪推するとするならば、前作で完結していた世界を、ヒットしたからといって続きを作れと言われて監督が不承不承…… とも思ったのだが果たして。本来ならこのまま続編を重ねるか、十年後に続編で完結などのほうが好ましかったように思う→午前1時頃就寝。
7月4日(月) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→シャワー→ドミノデラックス、ガーリックマスター(ひと切れずつ)→〈船橋まちづくりセンター〉にて参議院選挙期日前投票→〈中華司〉にて昼(餃子、ソース焼きそば、ビール中瓶×1)→午睡→O形サイト更新(トップ画像入れ替え)→老父の緊急時連絡先入力完了→『ナック』(原題『The Nack...and how to get it』、監督:リチャード・レスター。マイケル・クロフォード、レイ・ブルックス、リタ・トゥシンハム、ドネル・ドネリー。1965、英United Artists)。リチャード・レスターが『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』と『ヘルプ!4人はアイドル』の間に撮った映画とのことだが、変≠ニか新しい≠ノ裏付けや重みがなく、観ている最中なんだかずっとイライラしていた。劇中で、主人公たちの無軌道なふるまいを見た中高年たちがぶつぶつ文句を言っているが、私も彼らの仲間入りをしたということか。整合性を無視したような撮り方は斬新だったのだろうが、それでも最低限の型≠ヘ欲しいなと、今観ると思う。ちょい役でジェーン・バーキン、ジャクリーン・ビセット、シャーロット・ランプリングが出ているそうだが、まったくわからなかった→柿ピー、菊水堂ポテトチップス、ドミノデラックス、ガーリックマスター(ひと切れずつ)、ホッピー×1、ビール中瓶×1→午睡→いったん起きて『クイズ!脳ベルSHOW』→まつのはこんぶ、一口穴子、ホッピー×1、御酒×3→夜1時頃就寝。
7月5日(火) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー→蕪と油揚のおつけ、炒飯(司持ち帰り)→老父と昼食および買い物付き添い(〈深水庵〉にてとろろそば、〈サミット〉→ガソリン入れて帰宅→ビール→午睡→『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(原題『The Hangover』、監督:トッド・フィリップス。サーシャ・バレス、ジェフリー・タンバー、ブラッドリー・クーパー、ザック・ガリフィアナキス、ジャスティン・バーサ、エド・ヘルムズ、レイチェル・ハリス、コンスタンス・ブロージ、フロイド・レヴィン、マット・ウォルシュ、ブライアン・カレン、ヘザー・グラハム、ロブ・リグル、クレオ・キング、ケン・チョン、ファレロ・アライリマ、マイク・タイソン、マイク・エップス、マイク・ヴァレリー、ダン・フィナーティ。2009、Warner Bros.)。何度観ても面白いな。初めて観る≠ニいうことにして観ることがしやすいという性質もあるように思うのだが(今回はそうやって観た)、その性質がどこに起因するのかはわからない。でも観終えて少しすると、来年もまた観たいな、と思うようになる、不思議な映画ではある→キャベツとピーマンとトマトとオリーブのサラダ、骨付きフライドチキン、ガーリックマスター、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→夜8時頃就寝。
7月6日(水) 日付変わる前に起床→TYO関連作業(音源と譜面の一覧をHTML化)→シャワー→二度寝→午前11時起床→ベーコンエピ、アイスカフェオレ→『おとなの恋は、まわり道』(原題『Destination Wedding』、監督:ヴィクター・レヴィン。キアヌ・リーブス、ウィノナ・ライダー、テッド・ダボスト、DJ・ダレンバッハ、D・ロッシュ・ライト、グレッグ・ルーシー、ドナ・リン・ジョーンズ、マイケル・モガル。2018、米Aviron Pictures)。全編キアヌ・リーブスとウィノナ・ライダーと二人芝居、脚本、演技演出、絵造り、音楽がことごとくよくて、どいういいかといえば人間の行動や思考の縮図のようなものがこの二人の芝居でかなりの部分表現されていたような気になった点。それはまあいろいろなよくできた要素に釣り込まれた感想かもしれないが、全体的に穏やかな中に激しさが垣間見えたり、セックスの描写が大らかかつ妙なところで冷静だったり、とつぜんの引きの絵がいい塩梅で用いられたり、そんなところに感心して、小さなうねりを生じさせながら終幕の感動に持っていくようなところも好ましかった。思わぬ拾い物→『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』(原題『The Hangover Part II』、監督:トッド・フィリップス。ジェイミー・チャン、ニルット・シリジャンヤー、サーシャ・バレス、ブラッドリー・クーパー、エド・ヘルムズ、ザック・ガリフィアナキス、ジャスティン・バーサ、ジェフリー・タンバー、メイソン・リー、ケン・チョン、アルーン・シーブーンルアン、ニック・カサヴェテス、タンナー・マグワイア、ウィリアム・A・ジョンソン、エイディン・ミンクス、ディラン・ボヤック、ウィリアム・ジャン、ブライアン・カレン、ヤスミン・リー、ブラディ・スティーヴンス、ポール・ジアマッティ、マイク・タイソン。2011、米Warner Bros.)。だいたい覚えているし、忘れている部分も観ながら思い出すのだが、それでもああここはそう行くんだよな、と先回りして考えているだけで楽しい。何度か観てもジェット・コースターのような起伏のある展開は楽しくそして大笑いできるし、コメディとして傑作だったのだなあと改めて思った→柿ピー、煉瓦亭カレー煎餅、江戸むらさき、梅干し、海苔、ホッピー×4/キャベツとピーマンとトマトのサラダ(胡麻ドレッシング)、たこ焼き、鶏唐揚げ、オムそば、あさり汁(油揚、青葱)、ご飯、江戸むらさき、ビール中瓶×1、ホッピー×3→夜11時就寝。
7月7日(木) 朝7時半起床。白湯、マヌカハニー→シャワー→あさり汁、卵かけご飯(糸切り昆布)、海苔→『小さなスナック』(監督:斎藤耕一。山田真二、仲子大介、園江梨子、藤岡弘、木下節子、ケン・サンダース、徳永芽里、石井伊吉、パープル・シャドーズ、尾崎奈々、花かおる、清水将夫、ジュディ・オング、ビレッジ・シンガーズ、高橋昌也。1968、松竹)。ヒット曲の題名の「小さなスナック」という語だけから適当にでっち上げたという印象。ケン・サンダースがいい味を出していたり、誰かが電話に出たその直後にパープル・シャドーズが演奏を始めるのが可笑しかったり(電話終わるまで待てよ)、といった辺りは楽しかったが、ほかはちょっと辛いくらいにつまらなかった、というか、面白さを見つけることができなかった。ジュディ・オングが私的に語るようなところも面白いといえば面白いのかもしれないが、慣れない長台詞を言わされてジュディ・オング可哀想だな、という印象のほうが先に立つ→郵便局にて老父に頼まれた荷物発送→〈しらかめ〉まで足を伸ばして、蒟蒻指輪、ごま汁そば、ビール中瓶×1/2、御酒×1弱→午睡→シャワー→『ハングオーバー!!! 最後の反省会』(原題『The Hangover Part III』、監督:トッド・フィリップス。ジム・ラウ、ケン・チョン、ザック・ガリフィアナキス、ジェフリー・タンバー、ジャスティン・バーサ、ブラッドリー・クーパー、エド・ヘルムズ、サーシャ・バレス、マイク・ヴァレリー、ハリソン・フォーサイス、イク・エップス、ジョン・グッドマン、オリヴァー・クーパー、オスカー・トーレ、レラ・ローレン、メリッサ・マッカーシー、ヘザー・グラハム、グラント・ホルムキスト。2013、米米Warner Bros.)。前二作とフォーマットを変えたという点で、一回二回観た段階ではシリーズを終わらせようとしているのかなという視点で観た所為で満足感を得られず(冒頭のキリンと、終幕のタイトルロールのおっぱいだけが印象に残った)、あまり記憶に残っていなかったのだが、これはアラン(ザック・ガリフィアナキス)のことを描いた映画のシリーズなのだなと思い至った瞬間、すべてに合点がいった。本作は、あらかじめそうとは誰も思っていないが(むしろそれを終わらせるつもりの)壮大なバチェラー・パーティ≠セったのであり、その最後に結婚相手が決まって、さらにバチェラー・パーティに戻るという円環構造であった。とするならば、このシリーズは撮られなくても撮られないどこかで永遠に続くということになり、そう思い至るとよく考えられた最終作であったと思う。映画のシリーズ展開としては、映画人なら誰もが学ぶべき手法と思ったが、さてどうだろうか。私などがそんなことを言う前に(あるいは本作が撮られる前に)、とっくにそんなことは承知されていたのかもしれないが、果たして→キャベツとピーマンとトマトと新生姜のサラダ、ズッキーニとうずらの卵のニンニクソテー、枝豆、鶏唐揚げ、鴨燻製(おろし生姜)、あさり汁、ご飯半膳(江戸むらさき)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×3→夜0時就寝。
7月8日(金) 朝7時半起床。白湯、マヌカハニー→ぶなしめじと油揚のおつけ、卵かけご飯(まつのはこんぶ)、海苔→DU仕事の取材先や取材日程など少しわかったので整理等→午後、経堂駅前でT岡さんと待ち合わせ、家内と三人でまず口開けに〈Wine Stand Elmo〉。白を三種類と赤を一種類。赤は割とまあ普通にうまいという感じで、白はいずれも個性的。最後に出してもらったルーマニアのものが印象に残った(銘柄は失念)→続いて〈スタンド八九〉で楽しく飲み(ビール×1、ルリカケスロック×1、金宮酎ハイ×1ほか)、楽しかった記憶だけ残して解散。「ヤンパパン」の謎が解けたのがうれしかったが、一応ドイツ語を履修した身としては、気づかなかったのは恥ずべきか→帰宅後即就寝。
7月9日(土) 終日宿酔で横臥→朝、カップ天ぷらそば(水、うずらの卵×5)→昼、ぶなしめじと油揚のおつけ、まつのはこんぶ冷麦茶漬け→夕方、B電子の仕事をささっと(先日原稿入れたものの直し)→シャワー→『過去のない男』(原題『Mies Vailla Menneisyyttä』(Man without a past)、監督:アキ・カウリスマキ。マルック・ペルトラ、リスト・コルホネン、パヌ・ヴァウコネン、トム・ウォールーズ、アーッレ・カレン、エーヴァ・リーサ・ハイメリン、カレヴィ・ヘイナマー、アントン・ペルトラ、ヨーナ・カラスティ、カイヤ・パリカネン、ユハニ・ニユミラ、ヨウニ・マルヤランタ、マルコ・ハーヴィスト&ポウタハウカ(マルコ・ハーヴィスト、ユッカ・テーリサーリ、ユルキ・テリラ、ヨウニ・サールニオ)、カティ・オウティネン、サカリ・クオスマネン、アンティ・レイニ、ケイヨ・ニルヒネン、リーサ・ムストネン、スレヴィ・ペルトラ、アンニッキ・タハティ、エイラ・リトヴァネン、アンネリ・サウリ、マルック・パティラ、ヘンリー・アスティカイネン、エリナ・サロ、オウティ・マエンパー、エスコ・ニッカリ、ペルッティ・スヴェホルム、マッティ・ヴオリ、アイノ・セッポ、ヤンネ・ヒューティライネン。2002、芬独仏Sputnik)。冒頭の暴力沙汰以外は実に淡々とした味わいで、登場人物が多いのに気づかないほど。これだけ淡々としていながら飽きないのは、演出、芝居、そして音楽の素晴らしさ、それぞれの塩梅だと思う。いかにも寂しい女の部屋とか、そこにとつぜん流れるロックンロールとか、蘇生するジュークボックスとか。フィンランドの風物が珍しいというのもあるが、話の筋もいい具合に整理されていて、淡々と進む時間の流れに目を浸しているだけで、とても悲惨な設定から始まる物語なのに、不思議な心地よさを感じさせてくれる。後半、主人公がとつぜんロックバンドをプロデュースする辺りからなんとはなしの笑いが滲み出てきて、ふたりともいい歳なのに可愛らしい恋模様とか、仕事が決まっていく様とか(結局決まらないが)、薄日が差してくるような展開もよい。銀行強盗に巻き込まれるくだりもどこか笑いを含んでいるし、自分の正体がわかったあとにこれまた淡々と妻を他の男に渡すくだりも笑っていいんだかどうだかという微妙さが面白い。全体に、気づくか気づかないかの笑いの感覚が物語に心地よさを与えているのだなあと思う。救世軍下士官の女イルマ役のカティ・オウティネンの芝居が印象に残るが、その上司役でバンドで歌うアンニッキ・タハティがまたいい味わい→鴨燻製、キャベツとトマトとピーマンとちりめんじゃこのサラダ(オリーブ油、バルサミコ酢、黒胡椒)、ぶっかけそうめん(生卵、胡麻油、江戸むらさき、麺汁)、ビール中瓶×2→『街のあかり』(原題『Laitakaupungin valot』(Lights of the Outskirts/町外れの灯り)、監督:アキ・カウリスマキ。ヤンネ・フーティアイネン、マッティ・オンニスマー、アンティ・レイニ、イルッカ・コイヴラ、マリア・ヘイスカネン、マリア・ヤルヴェンヘルミ、ヨーナス・タポラ、メルローズ、スヴァンテ・コルキアコスキ、ペルッティ・スヴェホルム、カティ・オウティネン、アンナ・マリア・クリントルップ、ロイ・ローゼンブラッド、カリ・プルキネン、マルヤ・パッカレン。2006、芬独仏Sputnik)。『過去のない男』とは打って変わって、最後の最後まで救いがなかったし、笑いもなかった。わからなかっただけかもしれないが、しかし主人公がずっと踏みにじられ続けても、ほとんどの場面のどこかに何か微かな希望が漂っている感じはある。だからこそ、終幕の希望を失っていない≠ニいう趣旨の台詞が生きてくるのではなかろうか。『過去のない男』にも増して絶望と希望の絶妙なる均衡を狙った作品と思ったが、果たして。全編笑顔が描かれない映画ではあるが、主人公が刑務所の中でだけ笑顔を見せるのが記憶に残る→午前2時就寝。
7月10日(日) 朝9時起床→わかめと油揚のおつけ、ご飯、江戸むらさき、焼鮭→シャワー→昼過ぎ代々木上原に出かけ、まずは〈朝日屋〉で昼(カレーせいろ、ビール中瓶×1)→続いて〈tefu代々木上原〉にて、コマ撮りアニメーションの新作上映会『撮れた展。vol.2』にお邪魔。お目当ては長塚美奈子(みなまるこ)の杉浦茂原作の新作だが、以下、本展での上映作品とそれぞれの感想→『mushrooms』(作:宇賀神光佑)。会場展示で実物を拝見したが、木枠で構成された巨大でいびつな集合住宅(「木端のくに」というそうな)の中で、人間に似ているが不思議な形をした者たちが不自由しながらも楽しみを見出していく、という物語と思ったが、果たして。個々の存在の不自由そうな様子を演出したアニメーションもそれぞれ印象的だったが、おそらく横2m×縦1mくらいかそれ以上はある「木端のくに」を引きの絵で見せてのアニメーションが圧巻。物語の芯の部分を敢えてはっきりとさせなかったのか、あるいは私がそこをつかみ切れなかったのか、この作品で最も大事なところを実感できなかったのが心残り→『little』(作:小川翔大)。背が伸びないことに悩んでいた少年が、ある幻想をきっかけにひとつ成長する、という話であることはわかったが、恐竜になるというモチーフ(比喩なのかな?)がどういう意図だったのか、今ひとつつかめず。そこを理解することができなかったため、恐竜と妹との交流とか、博物館の恐竜の骨を修復するくだりとか、せっかくの場面場面の面白さを実感できなかったのが、やはり心残り→『豆助大手柄』(原作:杉浦茂、作:長塚美奈子)。杉浦茂漫画のアニメーション化としては大正解と思う。曲者と行動と表情、豆助の怒り方や対決の仕方、そして音楽も含めて随所に漂うストンと抜けるような味わいは実に杉浦茂的。音楽はあり物を使ったとのことなので、この作品のための音楽を作って入れ替えたものも観てみたい→『空に游ぐ』(作:松ア希光子)。私は手話はわからないが、人形を使ったコマ撮りアニメーションで手話での会話を再現するのはかなり大変だったのではないかと推察。雲が次第に鯨へと形を変えていき、主人公の坊やがそれに気づいたら周囲の、普段目の前しか見ていないような人々もそれに気づいて表情が変わっていくところは感動的だった。ひとつだけ、坊やのお母さんだけ鯨に気づかなかった?と思われるところの意味をつかみ損ねたが、あそこはお母さんも気づいていて、坊やが満足するまで待っていてあげた、と考えてもいいのかもしれない(ただし、言葉にするのは簡単だが、その解釈に自信はない)→『豆助大手柄』以外は物語を観る側に委ね過ぎている、という感想を持ったが、果たして→みなまるさんとご主人にご挨拶しておいとま→千歳船橋で降りて、新規開店した〈亜州太陽市場〉を冷やかし、結局スナックや袋麺などを買い物→〈秀〉で野菜買って帰宅→シャワー→キャベツとピーマンとトマトと新生姜とちりめんじゃこのサラダ、アル・ブジャ(インドのベビースターラーメン)、チッチャロン・バラット(豚の皮の唐揚げ)、枝豆、塩鮭、豚皮の唐揚げ、海苔と梅干しと江戸むらさき、冷麦茶漬け、ビール中瓶×1、ホッピー×3→夜9時就寝。
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