2022年07月31日

7月まとめ(21〜31日)


南有二とフルセイルズ『おんな占い』、ディーン・パリソット『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』、エミール・クストリッツァ『黒猫・白猫』、BULL WORKSのオーバーオール、老父入院そして延長、田井中圭『レオナと織原鉄工』、ロン・アンダーウッド『シティ・スリッカーズ』、デヴィッド・セルツァー『パンチライン』、「人間は皆神様が描いたマンガだな」、藤元芝裕、老父より電話。

7月21日(木) 朝6時半起床。白湯、マヌカハニー→まつのはこんぶ冷や麦茶茶漬け→クルマで粕谷の取材先まで。調べておいたコインパーキング、Google Map等で見た通り、1時間200円だった→取材はお話聞く時間が長くなり時間超過すると思ったが、写真撮影まででかっきり二時間ほどだった→途中でどこかで昼にするのも面倒になり、まっすぐ帰宅→冷やし納豆そば(生卵、刻み海苔)→DBKの輸入元より、修理可の旨と修理費の見積もり届いたので、その内容でお願いする。修理出来が明日22日、届くのが23日というのも助かる。昨日持ち込んでよかった→午睡→小松菜胡麻汚し、枝豆、鯖塩焼き、鶏手羽と大根とニンジンのスープかけご飯→シャワー→『クレイジー・グッド』(原題『Nobody's Fool』、監督:タイラー・ペリー。ティカ・サンプター、オマリ・ハードウィック、アンバー・ライリー、ミッシー・パイル、ウーピー・ゴールドバーグ、ティファニー・ハディッシュ、コートニー・ヘンゲラー、ネヴ・シュルマン、マックス・ジョセフ、キャンダス・ウェスト、エイドリアン・コンラッド、クリス・ロック、PJ・モートン、メカード・ブルックス。2018、米Paramount Pictures)。ラブ・ストーリーとしてはそんなに新味がないようにも思ったし、本物のチャーリー≠フ消え方も中途半端な感じがして(本物のチャーリー≠ェいた、という流れにそれなりの衝撃があっただけに)、物語の設計には少し不満を感じたが、ターニャ(ティファニー・ハディッシュ)の芝居から醸し出される存在感が見事で、それがこの映画の面白さを支えているように思った。ターニャのような人間が身内にいたら厄介だ、という現実味をきちんと伝えつつ、ぎりぎりのところで愛すべき人間ということも表し、それがやはりぎりぎりエンターテイメントになるか不快感や不安を与えるか、というところで踏ん張っている。その演出がときどき消化不良で、そこにはやはり不満を感じないではないが、そうした小さな不満をまあいいかと思わせるだけの手応えが、ターニャという登場人物にはあったと思う→『女吸血鬼』(原作:橘外男『地底の美肉』、監督:中川信夫。和田桂之助、三原葉子、矢代京子、池内淳子、中村虎彦、杉寛、千曲みどり、高松政雄、天知茂、和久井勉、浜野桂子、鮎川浩、水原爆、晴海勇三、五月藤江。1959、新東宝)。天知茂の吸血鬼っぷりはさすが。そしてさすが中川信夫…… とまでは言えないのは、本作がある程度子供向けとも思えるからだろうか。地下の秘密のアジトの描写や、小人はともかく海坊主の存在なおどがそう思わせる要素かと思うが、それでも妙な説得力を感じるところは、やはりさすが中川信夫というべきか(地下アジトでの逆再生の用い方などははっとした)。爺や(和田老人=杉寛)がものすごく怪しいのに結局なんでもなかったのはご愛敬ということでよいのかな?(出てきてしばらくは、吸血鬼の一味でも不思議がないくらいだったが、物語の前半でいつの間にか存在感を失い姿を消した) 三原葉子はすでに三原葉子として完成されていたが、池内淳子はまだ特徴が見出せないとか、そういうところも面白い映画であった→午前3時就寝。
7月22日(金) 朝6時半起床。白湯、マヌカハニー→シャワー→じゃがいもと油揚のおつけ、卵かけご飯(ちりめんじゃこ)、葉唐辛子ちりめん、錦松梅、海苔→終日DU仕事(取材音声起こし)→昼、トマトとピーマンととりめんじゃこのスパゲティ(ニンニク、クミンシード、クミン、ターメリック、パプリカ)→仕事の合間におから煮付け製作→シャワー→チッチャロン・バラット、アル・ブジャ、おから煮付け(どんこ、ニンジン、葱、蒟蒻、生姜。おから260gに対し、胡麻油大4、酒/みりん/煎り酒各大2、どんこの戻し汁を使った昆布出汁700ml)、ビール中瓶×2→一週間ぶりの飲酒は、ビール中瓶×2で眠くなり、夜7時いったん就寝。
7月23日(土) 午前1時半起床→DU取材音声起こしの残り。午前3時過ぎ完了→『サンダーボルト』(原題『Thunderbolt and Lightfoot』、監督:マイケル・チミノ。ジョージ・ケネディ、クリント・イーストウッド、ジェフ・ブリッジス、ジェフリー・ルイス。1974、米MGM)。朝鮮戦争帰りとベトナム戦争帰りに関する知識があれば深い鑑賞ができたかもしれないが、ひとまず表面的な物語を追っての鑑賞だと、意味はなくとも(わからなくとも)ぱーっと心が晴れるような場面もなく、心に響くところはほとんどなかった。サンダーボルトとライトフットの同性愛的関係を疑うことを楽しもうとすれば楽しめるが、それがこの映画の主眼かといえば疑問。でも世代の違う男の友情を描きたかったんだろうなあとは思うが、だとすると、そこの焦点もぼやけているというか、ピントの合わせ方に鮮やかさが欠けているように思ったでもそういうどっちつかずみたいな表現をしたかったのかもしれない。レッド役は見たことあるなと思ったら、『シャレード』などで印象的なジョージ・ケネディだった→チッチャロン・バラット、アル・ブジャ、ビール中瓶×1→朝5時就寝→朝9時起床。白湯→じゃがいもと油揚のおつけ、卵かけご飯、葉唐辛子ちりめん、錦松梅、海苔→DBKタオルウォーマー修理完了品届く。梱包が新品と同じで、妙に感激する→シャワー→夕方、まず経堂駅前の〈Wine Stand Elmo〉で一杯(いろいろ白五杯)。この店では初めてKちゃんの日。先月の麻雀でお会いして以来だが、働きっぷりに感心。で、 一二杯のつもりが五杯になった次第。最初のスパークリングと、次にもらったオレンジっぽい白が印象に残る。最後の二杯の、ガブ飲み用とされていたのは、確かにガブ飲みに向いている。どういう飲み方をしたいかで選ぶ、あるいは選んでもらうのもいいということか。いい時間を過ごした→高円寺に出て〈ちんとんしゃん〉。主目的は寄付贈呈だが、それ以上に楽しく過ごした。よくわからないがなんか楽しかった。茄子浅漬け、枝豆、ビール中瓶×1、御酒×2→平和に電車で帰宅→シャワー→冷やし山かけにゅうめん(オクラ、茗荷、おろし生姜)→夜11時就寝。
7月24日(日) 朝8時半起床。白湯、マヌカハニー→ねぎのおつけ(即席)、おむすび一ケ→終日DU仕事→『籠の中の乙女』(原題『Κυνόδοντας』(犬歯)、監督:ヨルゴス・ランティモス。クリストス・パサリス、アンゲリキ・パプーリァ、マリー・ツォニ、アナ・カレジドゥ、クリストス・ステルギオグル、ミシェル・ヴァレイ、Sissi Petropoulou、スティーブ・クリクリス、アレクサンダー・ブルガリス。2009、希Feelgood Entertainment)。子供達を外界に触れさせずに育てたら…… という話ではあるが、では両親がなぜそうしたのか、父親の考え方だとすれば母親はなぜ従ったのか、という点は描かれない。あるいはこれとわかるやり方では描かれない。ではなぜ描かなかったのか、という点と併せ、受け手に任せっきりというか考えさせるというのは、いささかやり過ぎの感はある(ついでにいうと、訓練に出している犬の存在も、何の比喩だかわかるようで考えるとわからなくなる)。だからといって退屈するわけでもなく途中で放り出してくなるわけでもなく、というのが、この映画の妙な魅力か。子供達を外界に触れさせずに育てるというのが両親の(あるいは父親の)好意から来ていたとしても、誤った家族観は決して健全な人間を育成しない、と捉えることもできる映画だが、それだけならありきたりでつまらないし、そうでない何かを妄想させる映画ではあった。と、ここまで書いてから監督のインタビューを読むといろいろ腑に落ちたのだが、それでもわかるようでわからない、だからといって退屈するわけでもなく途中で放り出してくなるわけでもない、簡単にわかりそうな主題ではない何かを妄想させる映画なのが、この映画の妙な魅力か、という印象は変わらない。『籠の中の乙女』という邦題は謎(なんで「乙女」なのか?)→チッチャロン・バラット、アル・ブジャ、菊水堂ポテトチップス、おから煮付け、ビール中瓶×2→午睡→サラダ(きゅうり、トマト、ピーマン)、鴨燻製、あさりバタ炒め、ホワイトシチュー(豚肉、あさり、ニンジン、じゃがいも、玉葱)、ご飯、ビール中瓶×1.5→食後休憩→DU仕事、取材内容のまとめ♀ョ了したので送付→午前2時就寝。
7月25日(月) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー→ホワイトシチューかけご飯→『暴力団・乗り込み』(監督:江崎実生。加原武門、小林旭、久遠利三、郷^治、梶芽衣子、山本麟一、木島一郎、南有二とフルセイルズ、安部徹、深江章喜、小早川泰子、喜多野純、三田村元、大浜詩郎、水島道太郎。1971、日活)。中年に差し掛かったがまだ若々しさがたっぷり残る小林旭、郷^治のいいやつっぷりと山本麟一の田舎ヤクザっぷり(怪力なのが可笑しい)、梶芽衣子の濡れ場、南有二とフルセイルズの不気味さなどは印象に残ったが、ヤクザ映画としては、特にこの映画だから、という点があるのかどうか、よくわからなかった。梶芽衣子と小林旭の心と心が火花を散らす様子が弱かったからかな。かといって小林旭、郷^治、山本麟一三者の友情と点も弱いし、小林旭と水島道太郎との絆の描き方も弱い。これらのいずれかにもっとぐっと来るものがあれば、印象もだいぶ違っていたのではないかと思う→もりそば(うずらの卵×3)→シャワー→『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』(原題『Bill & Ted Face the Music』、監督:ディーン・パリソット。アレックス・ウィンター、キアヌ・リーブス、ベック・ベネット、エイミー・ストック、ハル・ランドンJr.、エリン・ヘイズ、ブリジット・ランディ=ペイン、ジェイマ・メイズ、サマラ・ウィーヴィング、ジリアン・ベル、クリステン・シャール、ジョージ・カーティン、ホランド・テイラー、アンソニー・キャリガン、ダズマン・スティル、ジェレミア・クラフト、デイヴ・グロール、ウィリアム・サドラー、ダニエル・ドア、シャロン・ジー、パッティー・アン・ミラー、キンバリー・ストックトン、キッド・カディ、ベック・ベネット。2020、米Orion Pictures)。キアヌ・リーブスがひたすらかっこ悪いのが可笑しい、バカ映画の傑作ながら、監督が音楽とは何か≠ニいうテーマや分断されていく世界について真剣に考えた跡も感じられる傑作。世界を救う音楽を作るために、時空を超えた音楽家を選び邦題?という設定なのに、有名どころはジミ・ヘンドリックスとサッチモだけ、という適当な感じがまた可笑しい(他がモーツァルト、紀元前2600年の黄帝の下臣で音律を制定した伶倫=役名リン・ラン、俳優にしてドラマーのパッティー・アン・ミラー演じる架空の?原始人のドラマー・グロムというのも、マニアックなんだかよくわからなくて可笑しい)。ずっとゲラゲラ笑って観ていたのだが、知らないうちに終幕で感動を覚え、涙さえ流れた。役者がみんな達者かつ楽しそうなのもよいが、中でもビルとテッドの娘役のジェイマ・メイズ、サマラ・ウィーヴィングのバカで人がよさそうで魅力的な人物像が印象に残った。セラピスト役としてちょっとだけ出てくるジリアン・ベルは、最近見たなと思ったら、『クレイジー・パーティー』の女衒のトリーナを演った人だった→ゴーヤチャンプルー(豚肉、卵)、おから煮付け、焼きとうもろこし、ホワイトシチューかけご飯、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1、ホッピー×1→いったん就寝→深夜起床→『暗くなるまで待って』(原題『Wait Until Dark』、原作:フレデリック・ノット、監督:テレンス・ヤング。ジャン・デル・ヴァル、サマンサ・ジョーンズ、エフレム・ジンバリスト・Jr、アラン・アーキン、リチャード・クレンナ、ジャック・ウェストン、オードリー・ヘプバーン、フランク・オブライエン、ジュリー・ハーロッド。1967、米Warner Bros./Seven Arts)。スージー(オードリー・ヘップバーン)が中途失明の割には勘がいいという設定なのに、最初に男三人が部屋にいるのにあまりピンと来ていなかったのは、心理的(いるはずがないと思っている)には理解できるものの無理があるようにも思うし、電球を素手で外していくのも夢中だからというのもあるがそれでも熱いよなあと思うなど、まあどうでもいい突っ込みどころはあるし、そもそもオードリー・ヘップバーンでなくてはならない理由は何かという疑問も多少感じるのだが、怖がらせるほう(アラン・アーキン)と怖がるほう(オードリー・ヘップバーン)が見事なので(ヘンリー・マンシーニのやけに不安定な音楽の効果も大きい)、何度観ても最初から最後まで心地よい緊張感を味わいながら楽しめる。オードリー・ヘップバーンの盲人の動作を研究した上での芝居も、素直にすごいなと思う。設定や登場人物はとても簡素で最小限とも思えるのに、味わいは深い。こういう映画もまた、いまどきはなかなか撮られないようが気がする→午前4時就寝。
7月26日(火) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→ホワイトシチューかけご飯(煮込み)→午前中、老父買い物代行。千歳台のサミットで買い物し、届けて完了→『妖花伝』(原作:角田喜久雄、監督:加戸敏。橘公子、加茂良子、島田竜三、丹羽又三郎、林成年、三田登喜子、阿井美千子、真城千都世、天野一郎、若杉曜子、清水元。1960、大映)。まあなんというか可もなく不可もなくという印象だが、女悪党のお兼(阿井美千子)が基本的に悪女として様子がいいのに少し困るとほんとうに困るところは間抜けな感じだし、悪党の首魁の青山上野守に扮する清水元が終始間抜けなムードを醸し出していたりといったところは可になるのか不可になるのか。島田竜三の遠山左衛門尉はパタリロみたいだし、多分こっちが主人公であろう宇奈月兵庫=丹羽又三郎もなんだかパッとしない。というところを挙げていくと、遠山ものとしてカッコつけた映画のはずなのに間抜けという点を愛すべき作品なのだろうが、それでも観ている最中は可もなく不可もなくという印象ではある。からくり屋敷が出ているところは、まあ少し面白かったか→ヤムヤムインスタントヌードル・チキンフレイバー(葱、生卵、針生姜)→午後、表参道まで出て〈GENT + HONEY〉で散髪前回同様ぐっと短くしてもらった。しばらくはこれ→まっすぐ帰宅。千歳船橋で降りて、〈亜州太陽市場〉でチッチャロン・バラット購入。あとその前に電話で頼んでおいたたこ焼きとオムそばを〈あずまや〉で受け取り→シャワー→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、たこ焼き、オムそば、焼豚、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→クストリッツァ『黒猫・白猫』を観ていたが、途中で眠くなり、夜8時頃就寝。
7月27日(水) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→オクラと油揚のおつけ、海苔巻き、チマキ→『黒猫・白猫』(原題『Crna mačka, beli mačor』、監督:エミール・クストリッツァ。フロリアン・アイディーニ、バイラム・セヴェルジャン、サブリ・スレジマニ、ジャセール・デスタニ、アドナン・ベキール、スルジャン・トドロヴィッチ、ブランカ・カティク、リュビシャ・アジョヴィッチ、ザビト・メメドッフスキ、ゼダ・ハルテカコヴァ、サリア・イブライモヴァ、Minaza Alijevic、Javorka Asanovic、ネーナ・コスティック。1998、仏独ユAFMD/Arthaus Filmverleih/Komuna)。主人公親子が(主に父の所為で)のっぴきならない状況にあって、また映画の中の世界全体が狂っているのに(まあ日本人から見たらか)、何故か彼らは明るく、映画全体も明るい。その明るさが、うまく言えないが無垢な生命力とやけっぱちが入り混じっていたり、砂埃と湿気が入り混じっていたりするような独特な感触を持った明るさで、その味わいに触れているのが楽しい、というのが、一回めの感想。ものすごくごちゃごちゃととっ散らかった世界を構築しているが、しかし秩序というものではない一定の法則も感じられて、この監督は相当明晰な頭脳を持っているのだなあとも思う。動物たちが何の比喩なのかはよく考えないで観たが、クルマを食べる豚、夥しい数のアヒル、山羊、そして題名でもある黒猫と白猫が、ほぼ意味不明に動き回っているのを眺めるのも楽しい→即席ラーメン(焼豚、蒼葱、マッシュルーム、針生姜、うずらの卵×3、海苔)→『真夏の夜のジャズ』(原題『Jazz On A Summer's Day』、監督:バート・スターン/アラム・A・アヴァキアン。ジミー・ジュフリー・スリー、ルイ・アームストロング(リハ中)、セロニアス・モンク、チコ・ハミルトン(リハ中)、ソニー・スティット、アニタ・オデイ、ダイナ・ワシントン、ジェリー・マリガン・カルテット、ビッグ・メイベル・スミス&ニュー・ポート・ブルース・バンド、チャック・ベリー、チコ・ハミルトン・クインテット、ルイ・アームストロング・オール・スターズ、ルイ・アームストロング&ジャック・ティーガーデン、マヘリア・ジャクソン。1959、米Galaxy Attractions)。とてもひさしぶりに観て気づいたのは、原題が『ある夏の一日のジャズ』という点。『真夏の夜のジャズ』のほうがいわゆるキャッチー≠ナはあるが、原題のほうが(今から眺めれば)この優雅で素敵な一日をよく表しているように思う。あと、多分ジャズとして当時も先鋭的だったり本筋だったりする音楽は、実際の演奏順は知らないがこの映画では前半に一曲ずつ集められていて(ジェリー・マリガン・カルテットくらいまでか)、後半はチコ・ハミルトン・クインテットを除けばわかりやすくて親しみやすく人気がある音楽で占められているという点。この点で、最初に観たときもなんとなく不満を感じたような記憶があるが、とはいえあくまでも『ある夏の一日(のジャズ・フェスティバル)』を捉えた映像であって、集まる客たちの服装やふるまいなども含めて愛でるのが本作との正しい付き合い方ではないかなと思った→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、アル・ブジャ、ホッピー×3→午睡→DU仕事、「あ」のほうの初稿をまとめ。今回ご提案いただいたやり方は、いささか難儀したが、まあいい感じにまとまったかな→シャワー→稚鮎唐揚げ、キャベツとちりめんじゃこの塩昆布和え、マッシュルームソテー、オクラと油揚のおつけ、ご飯、納豆、ビール中瓶×1、ホッピー×1→午前1時就寝。
7月28日(木) 朝4時起床→DU「あ」分初稿見直して提出→二度寝→朝9時過ぎ起床。白湯、マヌカハニー→シャワー→オクラと油揚のおつけ、卵かけご飯、江戸むらさき、葉唐辛子ちりめん、錦松梅、海苔→DU仕事、昼過ぎにはもう一本の「エス」分初稿がほぼ完了→『ポルトガル、夏の終わり』(原題『Frankie』、監督:アイラ・サックス。イザベル・ユペール、セニア・ナニュア、アリヨン・バカレ、ヴィネット・ロビンソン、ブレンダン・グリーソン、パスカル・グレゴリー、カルロト・コッタ、アナ・ブランドン、マリア・ダ・ブイア、ジェレミー・レニエ、マリサ・トメイ、グレッグ・キニア、マニュアル・サ・ノゲイラ、マキシモ・フランシスコ、マルシア・ブレア、ジョアナ・クンハ・フェレイラ、ジュリア・ゲラ。2019、米仏葡Sony Pictures Classics/SBS Distribution/Midas Filmes)。人生の終わりを迎えた人間が人生をどのように終わらせるか、思った通りに行かないということも含め、ひとつの例示ともいえる作品と思った。イザベル・ユペールの大女優という設定は、家族≠ェ抱える諸問題を明確に描くためのものか(家族関係が多少複雑でも説得力が生まれるだろうから)。思った通りに行かないことも含め、家族間の諸問題を静かに解決していくしっとりとしたいい映画と思ったが、終幕の、夕焼けの中みんなが山(丘?)から降りてくるというところは、人生の終わりを描いた映画としてはやや安直な比喩に捉えられるのではないかと、余計な心配も覚えた→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、プチトマト、焼豚、カレーパン、ベーコンエピ、ビール中瓶×2→Tudorのバンドのにおいが気になり、外して軽く水洗いしようとしたところ、時計とバンドをつなぐふたつの部品のひとつを飛ばしてしまい憮然。永遠に失われたわけではないが、ごちゃごちゃした室内(私が悪いのだが)で探すのはなかなか難儀である。こりゃまた御徒町の工房の世話になるしかないかな。古時計はおそらく私が生まれる前の品だが、部品自体はさほど特殊なものではなく代わりの同等品を入手できると期待はするものの、果たして→午睡→先日神戸の〈ライオン屋〉に注文したBULL WORKSのオーバーオール(サロペット。〈Wine Stand Elmo〉でご一緒した先輩が着ていて気になりメーカーなど尋ねたもの)が届いたので試着してみたが、これは当たり。〈ワークマン〉のLサイズとウエストサイズが同じもののこちらはややタイト気味だったが、ボタンを外せばコルセット着用もバッチリ。ウエストのタイトな感じとそこから下のルーズな感じの塩梅もよく、姿見に写した感じでは違和感なかったと思う。作りもしっかりしておりポケット類の機能性もよさそうで、送料込みで3,500円とはよい買い物だった→キャベツとトマトとピーマンと鶏皮のサラダ、ズッキーニと鴨燻製の炒め、焼豚、ビール中瓶×1、ホッピー×2、金宮酎ハイ×1→夜1時頃就寝。
7月29日(金) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー→DU「エス」分初稿を見直し、見出し等付けて送付。これで今回の仕事は、直し発生に対応以外は完了→シャワー→じゃがいもと茗荷のおつけ、卵かけご飯(ちりめんじゃこ)、納豆、海苔→姉より電話あり、父の退院が二三日先になったとの由。狭心症の治療が今回計画の方法(バルーンカテーテルやステントの挿入)がうまく行かず、そうこうしている間にお手洗いに立った際に一分ほど意識を失い、頭を打っていないかが心配なのでCTスキャンを取るとのこと。心配ではあるが、時節柄見舞いに行けないので、病院からの連絡を待つほかあるまい→『レオナと織原鉄工』(撮影・編集:田井中圭。レオナ、織原武。2022)。『レオナと昭芝製作所』に続く、タップダンス/全身打楽器と工場の共演の第二弾。前作は「工場の共演」という趣で、今回も工場と対峙する演奏とダンスも半分くらいはあったが、鉄工職人(織原武)とのデュオという趣もあるのが新味か。繰り返し観ようと思うのに加え、生で観てみたい、と、何故工場との共演を思いついたのか聞いてみたい、とも思った→チッチャロン・バラット、鶏もも肉ハム、金宮酎ハイ、ビール中瓶×1→『ラスベガス万才』(原題『Viva Las Vegas』、監督:ジョージ・シドニー。エルヴィス・プレスリー、ニッキー・ブレア、チェザーレ・ダノヴァ、アン・マーグレット、ウィリアム・デマレスト。1964、米Metro-Goldwyn-Mayer (MGM))。まあ言ってみれば日本のGS映画のようなものであり、プレスリーが出ているというだけで中身はなんにもないが(と言ったら言い過ぎか)、それでもそれなりにコストをかけているよさはあるな、という感想。主題歌の『Viva Las Vegas』がクレージーキャッツの『ハロー・ラスベガス〜金だ金だよ』並にバカな歌なのが面白いのと、人気が出たばかりの頃のアン・マーグレットが輝いているのはこの映画の価値と思う→賄い当番→『清水ミチコ大感謝祭 in 武道館〜作曲法SPECIAL〜』(演出:伏見正康。清水ミチコ、飯田浩司、清水イチロウ、松尾スズキ、錦野旦。2022、WOWOW)。円熟味を感じないでもないが、『幸せの骨頂』の頃と比べるとモノマネの藝は粗くなったと感じるところがあったり、毒気が少し抜けたかなと感じるところがあったり。まあでも自分がたまたま知っていた昔と比べるからであろう。やや退屈するところもあったが、概ね面白く見た。弟については、何か売り出したい理由があるのかな? それとも一緒に演っていて心地よいということだろうか→カチュンバル(キャベツ、トマト、ピーマン、オリーブ)、焼き枝豆(胡麻油)、鶏もも肉ハム、じゃがいもと茗荷のおつけ、マッシュルームとベーコンのスパゲティ(青唐辛子)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→シャワー→『人形佐七捕物帳 佐七一番手柄』(原作:横溝正史『人形佐七捕物帳』、監督:手銭弘喜。堤 大二郎、西山浩司、中原早苗、長門裕之、勝部演之、林与一、三角八朗、一柳みる、山咲千里、北原佐和子、西郷輝彦、石井富子、平田桃介、西田健、マキノ佐代子、江見俊太郎、成瀬正孝。1990、テレビ東京)。原作のどの話を元にしたのかわからなかったが、まだ若く駆け出しの佐七を描いた作品、泣き虫だったりするのは、まだ若く駆け出しだからだろうか。子分の辰五郎とはまるで友達のような感じの描き方をしているが、この辰五郎を演じた西山浩司が、台詞もアクションも切れ味があってよい。また山咲千里も、ずっと地道に役者を続けていればよかったのに、と思わせる出来のよさだった。しかし全体には話の起伏がぼやけたような印象で(筋はわかるが物語の設計意図がよくわからないというか)、個々の役者の出来や好みや、そういう点がまず印象に残った。いやでも若く駆け出しの佐七を描こうとしたのも印象に残るか。頭で考えたらそうなのだが→午前2時就寝。
7月30日(土) 朝8時半起床。白湯、マヌカハニー→シャワー→じゃがいもと茗荷のおつけ、マッシュルームとベーコンのスパゲティ(青唐辛子)、温泉卵→DU「あ」のほう、昨日修正依頼があったのでこちらの見解を回答していた分、ひとまずこちらの見解で修正ということだったので、手を加えて送付(火曜日提出のご希望だったが、月曜日動けなくなる可能性があるので)→『「人妻」より 夜の掟』(原案・脚本:池田一朗、監督:土居通芳/市毛克己。藤田佳子、龍崎一郎、睦五郎、里見浩太朗、藤田陽一、桂小かん、三上真一郎、山口火奈子、松尾ジーナ、林栄子、夏海千佳子、新井茂子、北島三郎、辰巳柳太郎、山田太郎、加藤嘉。1969、日活)二年前に観たのを忘れていた。内容も、冒頭の昔の中華街の映像(海員閣の昔の看板や安記の出入り口が映る)から先はほとんど覚えていなかった。主人公(里見浩太朗)に片思いするフーテン・マミー=夏海千佳子の報われない女の芝居はなかなか心を打つが、全体にのんびり迷走している感じが漂っていて、そう感じるのは里見浩太朗がとつぜん歌手を目指してデビューにまで至ったり、里見浩太朗が岡惚れした人妻(藤田佳子)の終幕でそこまでするか? という行動だったりが影響しているものと思う。人妻の旦那(加藤嘉)の存在感も薄く、組のボス(龍崎一郎)の野望の描き方も中途半端。最初に観た際は「時間が経つのが長く感じられたが、妙に面白くて引き込まれるから不思議」と書いているが、二回めの今回は前述の通りフーテン・マミー=夏海千佳子の芝居に感心した以外は、ほぼ退屈だった→姉にメッセージ送ったら電話で返信。父の退院がいつになるか、未だわからないとのこと。現状、歩行困難なのと血尿があり、後者は医者によれば心配ないとのことだが、前者は退院後の生活に響く。詳しい状況がわからないので病院からの連絡を待つより他ないが、早く明確になってほしい→『ひまわり』(原題『I Girasoli』、監督:ヴィットリオ・デ・シーカ。ソフィア・ローレン、アンナ・カレーナ、マルチェロ・マストロヤンニ、グラウコ・オノラト、ギュナーズ・カリンスキー、ナディア・セレドニチェンコ、シルヴァーノ・トランクィ、リュドミラ・サベーリエワ、ジェルマノ・ロンゴ、ガリナ・アンドリーヴァ、マリーザ・トラヴェルシ。1970、伊Euro International Films)。ソフィア・ローレンの、夫の安否を役人に詰問するところ、夫(マルチェロ・マストロヤンニ)の消息を知ったときと再会と別離などの芝居に深い真実味があって、心を打たれる。義母とソフィア・ローレンの関係性が明確には描かれないがその背景が浮かんでくるような表現も、省略から何かを浮かび上がらせる演出としては地味ながら見事と思った。全体が戦争の影響による暗い影に覆われながら、冒頭の簡素な食事の場面など幸福そうな様子を描くところの明るさが醸し出すコントラストもまた見事。ひまわり畑と音楽の場面や、終幕のミラノ駅での別れの場面にも泣かされる。戦争の悲惨さを描いたというのはもちろんだが、戦争が時の本来持つ残酷さを増幅させる、というメッセージも含まれているように思ったが、果たして。ちゃんと理解はしていないが、マルチェロとソフィア・ローレンが結ばれる場面、二隻の舟に挟まれて隠れたり現れたり、というところは、映画表現としてとても美しいと思った→チッチャロン・バラット、菊水堂ポテトチップス、鶏もも肉ハム、江戸むらさき、梅干し、海苔、ビール中瓶×2→洗濯(大物だけ)→『シティ・スリッカーズ』(原題『City Slickers』、監督:ロン・アンダーウッド。ブルーノ・カービー、ビリー・クリスタル、ダニエル・スターン、パトリシア・ウェティグ、ウォーカー・ブラント、カーラ・タンブレリ、ロバート・コスタンゾ、ジェーン・オルデン、ジェイク・ギレンホール、リンゼイ・クリスタル、イヤードリー・スミス、ビル・ヘンダーソン、フィル・ルイス、デイヴィッド・ペイマー、ジョシュ・モステル、ヘレン・スレイター、ノーブル・ウィリンガム、モリー・マクルーア、ディーン・ハロ、カイル・カイル・セコー、トレイシー・ウォルター、ジャック・パランス。1991、米Columbia Pictures)。冒頭、馬鹿な中年男三人組が大騒動を引き起こすバカ映画だなと思い、全体的に牛に追い回される映画かなと思ったが、あにはからんや、映画だがビルドゥングス・ロマンのいい要素をたっぷり湛えたしみじみ感動する佳作だった。主人公たちが成長する過程でこれは絶対に無理だなという局面を乗り越えるところは、ファンタジーのよさも感じた。牧童頭がやけにカッコいい爺と思ったらジャック・パランス。生意気な牧童ふたりに主人公の情けなさそうな三人の中年が挑むところも素晴らしいし、仔牛のくだりや、しまいには牛たちもなんだか嬉しそうに撮られているなども、うまく言えないがああ映画を観ているなあという風情であった。主人公三人の家族がこれからうまく行きそうだ、と匂わせる終幕もよい→キャベツの塩昆布和え(針生姜、胡麻油、酢、黒胡椒)、じゃがいも細切りソテー(黒胡椒、バター)、スパゲティナポリタン(ベーコン、マッシュルーム、ピーマン、プチトマト、玉葱、ニンニク、生姜、赤唐辛子、クミンシード、カルダモン、コリアンダー、クミン、ターメリック、パプリカ、トマトケチャップ)、じゃがいもと茗荷のおつけ、ホッピー×6(中3×2)→シャワー→『パンチライン』(原題『Punchline』、監督:デヴィッド・セルツァー。ポール・マザースキー、サリー・フィールド、トム・ハンクス、ケイティ・リッチ、マーク・ライデル、キム・グライスト、マック・ロビンス、カンダンス・キャメロン・ブレ、ビアンカ・ローズ、ジョン・グッドマン、ローラ・ジャコビー、ベン・ハーティガン、ジミー・ブロガン、バリー・ソベル。1988、米Columbia Pictures)。大枠で言うとこれもまた家族の再生の物語とも言えると思うが、世界中のどこにでもありそうな家庭を残酷なまでにどこにでもありそうに描いているところ(深刻さの塩梅も含めて)は秀逸と思う。あるいは主人公のひとりスティーブン・ゴールド(トム・ハンクスとは気づかなかった)の落ちこぼれの医大生という設定とか。そうした土台の上に、人を笑わせることに取り憑かれた故の狂気があって、でもそれが天才の域に達しないところが、人間の妙味を味わされるようでまたよい(トム・ハンクスの病院での話藝は少し突き抜けていたが)。わかりやすいようで、簡単に言い表すのが難しい映画と思うが、石川淳の言う「低空飛行」が成功した作品であるとは思った。印象に残ったところを個々にあげると、「人間は皆神様が描いたマンガだな」というスティーブンの台詞、スティーブンとライラ(サリー・フィールド)の気持ちが通じ合う場面での控えめな雪の使い方、サリー・フィールドが地味に垢抜けていく様など。そして終幕の、「[]︎サイフが空っぽでも/人を笑わせられたら/街をさまよっても/心はほのぼの温かい/今夜の思い出を胸に/いつも笑顔を!」という歌(マイケル・ポラック詩曲『Remember Tonight And Smile』)が素晴らしかった→からすみ、御酒×3→午前2時就寝。
7月31日(日) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→シャワー→スパゲティナポリタン、温泉卵、じゃがいもと茗荷のおつけ→『浅草お茶の間寄席』にて藤元芝裕という女三味線漫談家の藝を初めて観たが、最近では珍しいような泥臭さい藝風が、私には面白かった。ちょっと注意しておこう→『フライトナイト』(原題『Fright Night』、監督:トム・ホランド。ロディ・マクドウォール、ウィリアム・ラグズデール、アマンダ・ビアース、ドロシー・フィールディング、スティーブン・ジョフリーズ、クリス・サランドン、ジョナサン・スターク、アート・J・エヴァンス。1985、米Columbia Pictures)。主役の高校生ふたり(チャーリー役のウィリアム・ラグズデールとエド役のスティーブン・ジョフリーズ)がバカ面なので、吸血鬼ホラーを装ったバカ映画かと思いきや、バカ要素は希薄で真面目に恐怖を採り上げた映画だったが、残念ながらホラーとしては中途半端。ロディ・マクドウォールの名優っぷりやウソから出た実といった展開はよかったが、全体的に作品の世界の中に真剣味が感じられず、エイミーの髪型が吸血鬼になったら変わるとか、エイミーは吸血鬼になったのに何故朝日を浴びて死なないとか、エドは明らかに死んだのに後日談でまったく触れられないとか、チャーリーの母親はクライマックスの夜夜勤で留守にしていたが帰宅して驚かなかったのかとか、細かいところはともかく、本作の劇中劇(TV映画)と同類の安っぽさだったし、終盤の吸血鬼との対決はだらだらと長くてだれる。好みの問題ではあるが、やはり高校生男子のバカさ加減を活用して、吸血鬼妄想で遊んでいるうちにほんとに信じてしまうとか、吸血鬼がもっと間抜けだとか、そんな映画にしてほしかったし、やりたいと思わなかったからやらなかったのだろうが、できないことではないと思った→『外濠殺人事件』(監督:池田博。大木実、城山順子、大泉滉、織田政雄、永井達郎、福岡正剛、千之赫子、諸角啓二郎、春日俊二。1960、松竹)。大木実のタクシー運転手が、轢いてしまった女(城山順子)に対し今の倫理では考えられない対応をするのだが、それは当時の倫理に基づく態度であってしかも気が動転した余計にぶっきらぼうになり、しかしだんだんと優しくなっていってついには惚れてしまう、という心の動きを踏まえた演出と芝居は面白かった。そのふたりが一緒になる際、下宿の隣の夫婦が親切で、ふたりの祝言に付き合ってくれるくだりもなかなかいい場面と思う。ただしその後はずっと救いのない方向に話は転がっていって、そういう話を作る目的がなんなのかは、ついに最後までわからなかった。拾った女を地回りから救うことが結局できたのかどうか、その辺が曖昧なのも気になる→チッチャロン・バラット、菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→シャワー→夕方父より電話あり。声の様子は思っていたより元気で安心する。身体の様子や水と割り箸がそろそろなくなるといった状況を聞き、姉にも伝える。早くても火曜日の退院ということで、O形にも協力をお願いする→『ビルとテッドの大冒険』(原題『Bill & Ted's Excellent Adventure』、監督:スティーヴン・ヘレク。クラレンス・クレモンズ、アレックス・ウィンター、キアヌ・リーヴス、バーニー・ケイシー、エイミー・ストック=ポイントン、ハル・ランドンJr、クラレンス・クレモンズ、ジョージ・カーリン、J・パトリック・マクナマラ、テリー・カミレッリ、ダンカン・マクラウド、ダン・ショア、トニー・スティードマン、ダイアナ・フランクリン、キンバリー・ケイツ、ロッド・ルーミス、クリフォード・デイヴィッド、ジェーン・ウィードリン、アル・レオン、ロバート・V・バロン、マーク・オグデン、トム・デューガン。1989、米Orion Pictures)。続く二作と比べてしまうとだいぶ大人しい印象ではあるが、それでも公開当時に観た人の気持ちになって考えると、バカ炸裂という印象は変わらない。なによりもキアヌ・リーヴスとアレックス・ウィンターが、会話中のバカの反応の仕方をよく研究しているようなところがたまらない。歴史上の人物の選択がみすず学苑のようなセンスだったり、ボウリング、ウオーター・スライド(ウォーター・ルー)、そしてショッピング・モールの場面など、歴史をちゃんと援用していないような行動(その偉人がそんな行動を取るか?)を取らせるなども、杜撰さというもののもつ面白さ、可笑しさを理解していたり意識していたりするようにも思う(穿ち過ぎか)。歴史の研究発表会のくだりも、歴史上の偉人を連れてきたって言ったってそれが本物かどうか教師は判断のしようがないのに成績はA(なんで先生や大人たちはそれで納得するのか?)、というところのご都合主義的結末が可笑しい。終幕の、ジョアンナ姫とエリザベス姫、そしてルーファスを交えたワイルド・スタリオンズの演奏がヘタクソなのも面白かった。ちなみに「Wyld Stallyns」は、正しくは「Wild Stalllions」(野生の種馬)でバカたちが綴りを間違えた、という設定と思うが、果たして。でも台詞では「スタリオンズ」と言っているのに字幕では綴りの通り「スタリンズ」だったり、あとイギリスを訪れた場面で「アイアン・メイデン」という台詞を「女だって!」(だったかな)としているのは、字幕制作上で配慮が行き届いていないところと思う→キャベツピーマンプチトマトのサラダ、枝豆、鶏もも肉ハム、ナチョス、ピザ四種(チチニエリ、サラーメ、フンギ、ボロネーゼ)計POCOサイズ二枚分、ビール中瓶×1、ホッピー×3→夜9時過ぎ就寝。
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