2022年08月20日

8月まとめ(11〜20日)


安達伸生『透明人間現わる』、揖保乃糸三神、ヤマハTHR5A 、森一生『あぶく銭』、川島雄三『銀座二十四帖』、新藤兼人『原爆の子』、千歳船橋〈鮨一喜〉、近藤勝彦『浪人吹雪』、森永健次郎『ザ・スパイダースの大騒動』、ベルナルド・ベルトルッチ『シャンドライの恋』、ひさしぶりのバンド演奏(カホン)とカオソイ、西荻窪〈ぷあん〉〈フランクフルト〉。

8月11日(木) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー→洗濯→鮭缶とぶなしめじとピーマンのスパゲティ→録画消化→冷やしたぬきそば→午睡→シャワー→わかめとじゃがいものおつけ(揚げ玉)、ご飯、納豆、錦松梅、海苔→夜0時就寝。
8月12日(金) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー→シャワー→汁かけ飯(わかめとじゃがいものおつけ、揚げ玉)→午前中、老父の買い物代行等(〈サミット〉で買い物。通帳記帳。郵便局にて健康保険料引き落とし手続き)。買い物はこっちに近いサミットで済むと思ったが、ティーバッグのお茶の銘柄でないのがあったので、結局いつもの三鷹のほうで買い物。老父はまだ歩き回るのは怖いようで、来週も買い物代行となる見込み。それ以外は元気そうで、食欲も戻ってきているとの由→帰途「こっちに近いサミット」に寄って昼の寿司など購入→鯖の押し寿司×3、ネギトロ巻き×2、わかめとじゃがいものおつけ→シャワー→『抜き射ち三四郎』(監督:山崎徳次郎。和田浩治、八代康二、楠侑子、笹森礼子、佐野浅夫、新井麗子、野呂圭介、田中明夫、弘松三郎、葉山良二、島津雅彦、林茂朗、山内明、嵯峨善兵、緑川宏、郷^治、山之辺潤一、加原武門、マイク・ダニーン、チコ・ローラント。1962、日活)。主題歌(作詞:滝田順、作曲:鏑木創、唄:杉山俊夫)がなかなかイカすが、物語の展開がときに妙に牧歌的になるのは、主題歌との呼応か、という気がしないでもない。その牧歌的な感じも面白いのだが、終盤の葉山良二、郷^治、楠侑子、和田浩治の対峙に必要な緊張感も殺いでいるような気もするのは穿ち過ぎか。ヒロインは笹森礼子だと思うが、楠侑子のとつぜんの悪女ぶりはなかなか鮮やかで、女優としてはこちらのほうが印象に残った。佐野浅夫は和田浩治が身を寄せる鰻屋の亭主で、あまり活躍はしないが(店から外に出ない)、絶妙な存在感だったように思う→『今宵妻となりぬ』(監督:田中重雄。高峰三枝子、皆川麗子、千明明子、原みさを、日高万里子、伊東光一、宇佐美淳、葉山千惠子、岡村文子、潮万太郎、吉井莞象、浦辺粂子、入江たか子。1947、大映)。放映元(衛星劇場)などによれば「恋愛映画の大作」とのことだが、確かに若い乙女(高峰三枝子)の恋心が様々な波紋を呼ぶけれども、肝心のお相手(宇佐美淳)の気持ちが脚本からも演出からも芝居からも伝わってこない印象で、兄嫁(入江たか子)がなぜ恋敵のような立場になるのかも受け手が想像するしかなく、この話のどこにどう胸を打たれたらいいのか、がよくわからなかった。高峰三枝子が「若い乙女」という役柄なのはわかるが、もともとの顔立ちが(今の私のような人間の目から見ると)人格者めいているので、「若い乙女」のような振る舞いに戸惑ってしまったとうのもまああるかもしれない。ただいずれにせよ「若い乙女」が恋に悩んで自分本位な行動を取ったことが兄嫁の死を早めてしまったわけだから、やはりこの話のどこにどう胸を打たれたらいいのか、はよくわからない。よくわからないまま結婚が成立し、物語は終わってしまった→冷やし納豆胡麻そば(生卵、刻み海苔)→DU仕事の初校戻りの連絡なくやきもきしていたが、結局初校戻りの作業はなしとのことで、来週の仕事はなし。なので少し飲酒(ホッピー×2)→なんだか内腿がかぶれたので(汗疹か、ダニか)風呂→夜11時過ぎ就寝。
8月13日(土) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→わかめと油揚のおつけ、ご飯、佃煮(葉唐辛子ちりめん、山菜甘辛煮)、海苔→『透明人間現わる』(監督:安達伸生。高原朝子、月形龍之介、夏川大二郎、小柴幹治、喜多川千鶴、六条奈美子、杉山剛、水の江瀧子、滝川泰、荒木忍、大美輝子、上田吉二郎、伊達三郎、上田寛、羅門光三郎、藤川準、由利道夫、湯浅豪啓、南部章三、矢野武男。1949、大映)。特殊効果に円谷英二。その出来栄えが素晴らしいのはもちろんだが、物語や造りは子供騙しと思いきや、悪人たちが博士の弟子を騙す手口や、物語の中でおやっと思わせる組み立て方や(透明人間の、そこに出るか? とか、今服着るか? とか)、透明人間がいるという前提の無対象演技などなど、見所は多かった。本作に出てくる洋館の外観は実在の建物と思うが、戦後の神戸に残ったそれらの建物を見ることができるのも、本作を観る楽しだと思う。敢えてひとつ残念に思った点を挙げれば、水の江瀧子以外の役者に光る印象がなかったところか(喜多川千鶴しかり、月形龍之介しかり)→菊水堂ポテトチップス、ホッピー×1/揖保乃糸三神(薄焼き卵、鶏胸肉ハム、オクラ薄切り、葱みじん切り、青紫蘇、おろし生姜、胡麻、揚げ玉)、御酒×1→憧れの揖保乃糸三神は、一口食べて納得だった。しかし薬味が多いと喉越しはともかく味わいは普通の素麺とさほど変わらなくなってしまう。ひとり頭二把茹でたが私には多過ぎたので、一把を冷えたまま食べ終わるよう腐心しつつ、途中で飽きを覚えないだけの最低限の薬味を添えるのが最良ではないかと思った。つまり食事≠ノ向くものではなく、夏の午後暑気払いの一杯のお供という趣なのかもしれないな→午睡→『透明人間と蠅男』(監督:村山三男。南部章三、北原義郎、花布辰男、浜口喜博、品川隆二、叶順子、見明凡太朗、伊東光一、鶴見丈二、春本富士夫、杉田康、毛利郁子、松平直子、伊沢一郎、中条静夫。1957、大映)。同じ大映で透明人間なわけだが、十年近くあとに撮られた作品だし、設定や物語も『透明人間現わる』とは無関係の模様。動物や物体が透明になる理屈にも無理があるし(人の目が感知しない波長の光線が当たっている間不可視になるのはわかるが、当て終えたあともずっと不可視というのはよくわからないし、復元装置が必要な理由もよくわからない)、蠅男が発生する(身体が縮んで空を飛べるようになる)理屈に至ってはまったくわからない。蠅男の犯罪を透明人間(厳密に言えば人間を透明にする技術)が暴くというのが話の骨格だが、蠅男という要素を持ってきたことで、透明人間ものという軸はぶれてしまったと思う(透明人間ものという前提があったかどうかは知らないが)。本作の特殊効果は円谷英二ではなく的場徹、日活(戦後大映に合併)入社以来撮影畑を歩み特殊撮影課の生え抜きで、円谷英二の薫陶も得ているが、本作での特撮は『透明人間現わる』を超える鮮やかさはなかったように思う。全体に、探偵小説や怪奇小説好きの子供が好みそうな味わいだった→サラダ(キャベツ、ピーマン、オクラ、オイルサーディン)、鶏胸肉ハム、ポークカレーライス(ニンジン、じゃがいも、玉葱、トマト)、ビール中瓶×1、ホッピー×4→午睡二回め→風呂→金宮酎ハイ二杯飲んで就寝。午前3時頃。
8月14日(日) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー。颱風が通り過ぎたはずだが、結局なんだかよくわからなかった→シャワー→ポークカレーライス、温泉卵→録画消化→チッチャロン・バラット、菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1/そうめん(胡麻)、御酒×1→〈鮨一喜〉予約(8/16火曜日)→一階の部屋を片付けて、たいへんひさしぶりにカホンを出して、基本のみ少し練習→風呂→以前から小さいギターアンプが欲しかったが、サウンドハウスのポイントが切れるというし、サイトを見たらヤマハのTHR5A が安くなってたので注文してみた。O形の歌の伴奏時に使えるかなと思ったが、果たして→サラダ(キャベツ、ピーマン、トマト、胡麻ドレッシング)、鶏胸肉ハム、ポークカレーライス、納豆、ホッピー×3→『あぶく銭』(監督:森一生。勝新太郎、藤岡琢也、酒井修、丘夏子、早川雄三、野川由美子、水上保広、高城丈二、成田三樹夫、北城真記子、五味龍太郎、伊達三郎、水野久美、天知茂。1970、大映)。勝新ら三人組の行動とか、あまりに理屈に合わないバカな動きも少なくないのだが、勝新の暴れっぷり(主に二箇所)でなんだか納得させられてしまう、というか、この映画に魅了されてしまう。終幕の、天知茂が加わっての大立ち回りがさらに見事。誰も幸せにならないのはこの手の映画の常としても、だからなんだという映画ではあるが、何度も観たい何かを不思議に感じる作品であった→『銀座二十四帖』(原作:井上友一郎、監督:川島雄三。森繁久彌(ジョッキー)、柴田新、久場礼子、三橋達也、佐野浅夫、浅丘ルリ子、月丘夢路、関弘子、渡規子、安部徹、大坂志郎、小夜福子、織田政雄、北原三枝、岡田眞澄、長谷部健、水の江滝子、江川美栄子、芦田伸介、河津清三郎。1955、日活)。森繁久彌の軽妙なおしゃべり(ジョッキー)や冒頭の柴田新と久場礼子のコントに始まり、安部徹、織田政雄、北原三枝、岡田眞澄、長谷部健らが軽い妙味を重ねていくので、銀座がモダンな印象そのままに舞台になっていると思わせるのと相まって軽い手触りの喜劇かなと思いきや、やはり冒頭の佐野浅夫がポン中から抜けきっていないことを匂わせつつ最後に重たい展開に持っていく、その塩梅の計算が見事だと、今回は思った。前回観たときの「1955年頃の銀座の活写、裏町の誇張的描写、物語の妙味、階段の使い方、その他洒落た作り、絵をモチーフにした謎解き、月丘夢路に北原三枝に幼い浅丘ルリ子、これはとんでもない傑作だと思う」という感想は変わらず→午前1時就寝。
8月15日(月) 朝9時起床→カレー炒飯(卵)→O形サイト更新(絵日記)→『ペイン・アンド・グローリー』(原題『Dolor y gloria』、監督:ペドロ・アルモドバル。アントニオ・バンデラス、ペネロペ・クルス、アシエル・フローリーズ、セシリア・ロス、ルイス・カレロ、アシエル・エチェアンディア、ラウール・アレバロ、ノラ・ナバス、セザール・ビセンテ、レオナルド・スバラグリア、フリエタ・セラーノ。2019、西Sony Pictures Releasing)。母と息子、男と男の友情、男と男の恋愛、回想と蘇生などについて描いた、しみじみいい映画と思った。といっても、蘇生についてはほんとうに蘇生したのかどうか明確には語られないが(たとえば『オール・ザット・ジャズ』の記憶があるので、余計にそう思うのかもしれない)、甚だしい体調不良と心の不調から活動を停止していた映画監督が、旧作の復刻上映を機会に過去と向き合い、回想を作品化することにより蘇生に至ったと見ることもできる。映画で繰り返し描かれる幼少期の回想が、映画の中で撮られる映画だった、という終幕を考えると、蘇生に至ったと考えておくほうが気持ちとしては晴れやかではある。美術、絵造りや演出については、アルモドバルにしては大人しいという印象だが、それはこちらの先入見によるものと思う(洞窟の家や診療室の壁の解剖イラストは素晴らしかったし、色彩はアルモドバルならではとは思った)→チッチャロン・バラット、菊水堂ポテトチップス、ホッピー×1→午睡→ひさびさに五種のダールほか製作。カレーは製作最終盤にとつぜん思い立ち鶏肉を加えて鶏と五種の豆のカレーになった(鶏はご飯に炒め合わせるつもりだったが変更→風呂→『原爆の子』(原作:長田新編纂の作文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』、監督:新藤兼人。乙羽信子、寺島雄作、英百合子、東野英治郎、殿山泰司、細川ちか子、清水将夫、滝沢修、北林谷栄、伊東隆、山内明、斎藤美和、下元勉、伊達信、高野由美、多々良純、芦田伸介、小夜福子、奈良岡朋子、宇野重吉、柳谷寛。1952、近代映画協会、劇団民藝/北星)。原爆投下から七年後の広島を舞台に、戦争と原爆がどれだけ広島の人たちに負担を強い続けているのかを静かに描く。シュールレアリスム映画の手法を援用したかのような激しい表現も見られるし、原爆投下の瞬間の表現は敢えてか無音だが深い哀しみを強く伝えてくるような手法を採っていると思うが、全体的にはどの場面も一枚絵として完成度が高くかつ静謐、軽薄な言葉を使えばスタイリッシュで、そうした絵造りによって感情の噴出を抑えようとしているようにも見える。そうした、深い悲しみや怒りを内包しつつ静けさを湛えた絵をほぼ音羽信子ひとりが背負うような形を貫くことで、原爆投下の影響と平和への希求を確かな手応えをもって伝えることに成功したのではないかと思った。が、何度も観てさらにもっと考えたい作品ではある→キャベツのライタ(ドライマンゴ入りヨーグルト)、ニンジンのアチャール、鶏と五種の豆のカレー、ポークカレー、ターメリックライス、ビール350ml缶×1、中瓶×1→午前2時就寝。
8月16日(火) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→キャベツのライタ(ドライマンゴ入りヨーグルト)、ニンジンのアチャール、鶏と五種の豆のカレー、ポークカレー、ターメリックライス→シャワー→昼は〈鮨一喜〉。三ヶ月ぶり二回め。枝豆、焼きごまどうふ、煮タコ、春子鯛、鯵、メイチ鯛、イシカゲ貝、白イカ、新イクラ茶碗蒸し、目鯛の柚庵焼き、マグロ赤身、鰯、アイナメ昆布〆、車海老、煮蛤、小肌、かんぴょう巻き、みそ汁、たまご焼、生ビール×2、御酒×1/2。前回に劣らず満足→途中の三角公園でひと休みしてから帰宅し午睡→『浪人吹雪』(原作:吉川英治『鼻かみ浪人』、監督:近藤勝彦。長谷川一夫、三木利夫、永井柳太郎、丸山定夫、中村健峰、椿澄江、竹久千恵子、千葉早智子、澤井一郎、市川朝太郎、花井蘭子、国堂黒天、大川平八郎、大崎時一郎。1939、東宝)。長谷川一夫が主人公不破数右衛門とその主人浅野内匠頭の二役なのだが、不破数右衛門のバカ正直っぷり、朴念仁っぷりが清々しいくらいによい。その朴念仁に、周囲の小物どもが奸計を働くわけだが、その奸計がセコいのも、却ってこの作品にはふさわしい。タイトルバックの音楽含め、全体にのどかで平和な忠臣蔵外伝といった趣か。ただし不破数右衛門の人となりや行動は、Webでさっと検索した範囲では、史実とは異なるようだ→『スキャンダル』(原題『Bombshell』(爆弾ニュース、悩殺美女など)、監督:ジェイ・ローチ。シャーリーズ・セロン、ジョン・リスゴー、ジョシュ・ローソン、マーゴット・ロビー、ニコール・キッドマン、ロブ・ディレイニー、マーク・モーゼス、マーク・デュプラス、ケヴィン・ドーフ、ケイト・マッキノン、ホランド・テイラー、コニー・ブリットン、アリソン・ジャネイ、ベン・ローソン、マルコム・マクダウェル。2019、米Lionsgate)。実際に起きた巨大メディア企業のスキャンダル≠ニ、そもそもその巨大メディア企業が抱える政治との癒着というメディア企業としての歪みを、実名で描くだけでなく登場人物も限りなく本人に似るように作り上げた超≠ェ付く問題作、であることは理解できたが、そもそも「実際に起きた巨大メディア企業のスキャンダル=v自体にほとんど興味を持たなかったので(女性への性的嫌がらせが告発されることは素晴らしいと思ったが、それ以上の興味を持たなかったという意味)、本作の価値を実感したかと言えば実感はできなかった。しかしこんな映画が作れるということ自体すごいことだし、日本と比べるとアメリカは自由だな(もちろんいろいろ圧力はあると思うが)と、うらやましく思った→お腹空かず、晩は酒肴と酒のみ。チッチャロン・バラット、菊水堂ポテトチップス、カレー二種、ホッピー×6→ヤマハのTHR5A 届いたが、開梱したら疲れてしまったので音は鳴らさず。明日にする→午前1時頃就寝。
8月17日(水) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→鶏と五種の豆のカレーライス、味噌湯→老父買い物代行(サミット)。また少し食欲落ちたとの由。来週の通院は車椅子を借りて付き添うことにした→船橋〈サミット〉にてビールと白葡萄種買って帰宅。セルフレジを試したら、バーコードの当て方を間違ったようで、ビールの会計が違っていたことにあとで気づいた。しかしその場に店員もいて咎め立てもなかったわけだから、まあいいか→そうめん(おろし生姜、青紫蘇、うずらの卵×4)、御酒×1→ヤマハのTHR5A に火を入れる。テレキャスターといつものフェンダーのセコいアコースティックで試したが、リヴァーブの効き具合も含めなかなかいい音と思った。PFで使う場合は、自分のすぐ横、客席の真前に置く感じと思うが、音量がそれで足りるかどうかはやってみないとわからないか→風呂→『黄金獣』(原作:島田一男、監督:志村敏夫。堀雄二、小杉勇、相丘峯子、久我美子、月丘千秋、田崎潤、千秋実、清川玉枝、千明みゆき、高田稔、清川荘司、伊藤雄之助、浦辺粂子。1950、新東宝)。観始めてから気づいたが、一年ほど前(2021年11月10日)に観ていた。すっかり忘れていた。その際の感想と本日の感想は同じなので、引き写しておく。「久我美子と月丘千秋の美しさ、ビルの外階段を使った逃走と追跡、酒場で卓上を歩く猫をいきなり外に放り投げ「酎をもう一杯!」と叫ぶ千秋実などなど、映画的な見所はいくつかあったし、同じ様な服を着た女が入れ替わったり、謎の女が主人公側の知己であったことの意外性など物語の面白さもあったのだが、なぜか最後まで心踊らず退屈を覚えた。全体的なテンポが(ごく一部の場面を除いて)もっさりしている感じがしたからかもしれない。田崎潤の手下の女たち(千明みゆきほか)が主人公たちを保護する振りをして拉致する流れなど、千明みゆきの存在感の鋭さが際立っていた所為か、却ってなんだかかったるかった」→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、オイルサーディン、トマト、チーズ、冷や茶漬け(山菜甘辛煮)、ビール350ml缶×4→夜9時頃就寝。
8月18日(木) 朝8時起床→鶏と五種の豆のカレーライス→居間のエアコンの清掃人来る。今夏は居間だけ効きが悪かったのだが、さてどうなるか→作業は小一時間で終了。新品のエアコンに変えてから二三年のはずだが、中はずいぶん汚れていたそうだ。劇的というほどではないが、気の所為ではなく効きがよくなったと思う→即席熊本ラーメン(茹で卵1/2、おろしニンニク、刻み葱、胡麻、海苔)→カホン練習。新曲で演ろうと思った、左右の手で8分音符刻みのツー・スリー、左足2拍4拍、右足3拍のパターン、演ってみると意外に難しく難儀したが、小一時間ほどでなんとか乗れるようになった。土曜日に使えるかはまだ不明。あと左足踏み続けは、ひとまず頭拍よっつはまだ不正確なもののなんとか。しかしこんなのは若い頃にやっておくべきことで、今からなんとかなるかしら→シャワー→『ザ・スパイダースの大騒動』(監督:森永健次郎。ザ・スパイダース、奈美悦子、川口恒、小柴隆、佐々木梨里、獅子てんや・わんや、由利徹、青空はるお・あきお、楠トシエ。1968、日活)。堺正章と井上順が魅力的なものの、奈美悦子も川口恒もあまり輝いておらず、ザ・スパイダース人気に寄り掛かっただけの早撮り、という感触だったが、終盤に向かうにつれ堺正章の持つ切なさが胸に迫って、しまいには感動を覚え、終幕の『あの時君は若かった』には涙するに至った。役者で印象に残ったのは、ヨッちゃん役の佐々木梨里と、短いコントのみながら獅子てんや・わんやだったかな。由利徹はお婆さん役を誠実にこなしたという印象で、あまり笑いには寄与していなかったのではないかと思ったが、果たして→『私は貝になりたい』(原作:藤哲太郎「遺書」(獄中手記『狂える戦犯死刑囚』所収)、監督:岡本愛彦。フランキー堺、桜むつ子、坂本武、十朱久雄、垂水悟郎、高田敏江、佐分利信、内藤武敏、河野秋武。1958、ラジオ東京テレビ)。実際には二等兵の戦犯に死刑が執行された例はないそうで、そういう意味では厳密には事実に基づいた物語ではないわけだが、上の人間の言うことには盲従せねばならないという日本の風習≠ェいかにバカバカしいものであるかを訴えかける作品として、語り継がれていくべきものと思う。そしてフランキー堺扮する主人公の叫びは、そういう主題を伝える力に満ちている。この作品が戦争だけに関連して観られてきたから、今日の日本のブラックな§J働環境が生まれたのではないかなどとも考えてみた→『シャンドライの恋』(原題『L'assedio』(包囲、攻略、閉鎖、しつこさ等)、原作:ジェームズ・ラスダン、監督:ベルナルド・ベルトルッチ。ジョン・C・オジャング、サンディ・ニュートン、シリル・ヌイ、デヴィッド・シューリス。1998、伊英Medusa Distribuzione)。物語の美しさ以上に、映像の魔法にするすると取り込まれるように観た。冒頭のジョン・C・オジャングに驚かされ、それが物語の中でどのように機能するのか何の説明も受けないまま、どこか官能的な気配を感じる色彩で綴られる映像の虜になり、何に感動したのかわからないまま感動した、という感じ。物語をほとんど意識しなかったのは酔っ払っていた所為もあろうが(物語については観終えたあと確認した)、仮に物語らしい物語がまったくない映画だったとしても、今回得た感動は変わらなかったものと思う。主役のサンディ・ニュートンの、不安と希望の入り混じったような人物造形も素晴らしかった→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、キャベツときゅうりの塩もみ、茄子とピーマンの味噌炒め、長芋ソテー、シャケ塩焼き、冷や茶漬け(まつのはこんぶ)、ビール350ml缶×2、金宮酎ハイ×2、御酒×6→夜0時頃就寝。
8月19日(金) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→わかめとじゃがいものおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→軽い宿酔のため横臥→ヤムヤム・トムヤム・シュリンプ・クリーム・ヌードル(胡麻)→カホン練習。ツー・スリーのパターン、BPM170までやってみた。まだもつれる→シャワー→『インフェルノ』(原作:ダン・ブラウン『インフェルノ』、原題『Inferno』、監督:ロン・ハワード。ベン・フォスター、オマール・シー、トム・ハンクス、フェリシティ・ジョーンズ、アナ・ウラル、シセ・バベット・クヌッセン、ポール・リッター、イルファーン・カーン、アイダ・ダーヴィッシュ。2016、米Columbia Pictures)。ダン・ブラウンの原作で『ダヴィンチ・コード』などの続編ということを知らずに観たのだが、知ってて観ても同じだと思う。ただただつまらなかった。歴史のネタを基にした謎解きも、物語のためには中途半端だったし、その謎に携わる人物がことごとくつまらない人物にしか見えなかった。以上は私の主観だが、客観的にどこに焦点を当てて観たら面白いのかが、よくわからない映画であった。せめてトム・ハンクスとフェリシティ・ジョーンズが火傷をするような恋に落ちるか、あるいは落ちるような匂わせがあればだいぶ違ったとは思うのだが、主役であろうこのふたりに、恋云々は別にして観る者にそれくらいなにか思わせる要素がなければどうしようもない。多額だったであろう製作費はお金の無駄、とまで思った→口直しに昨日観た『ザ・スパイダースの大騒動』。続けて二回めとなると、さすがに「しまいには感動を覚え、終幕の『あの時君は若かった』には涙するに至った」ということはなかったが、「終盤に向かうにつれ堺正章の持つ切なさが胸に迫って」という感想は変わらなかった→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、春雨サラダ(錦糸卵、きゅうり、ニンジン)、枝豆、焼きとうもろこし、エゴマの葉のキムチ、冷や茶漬け(まつのはこんぶ)、ビール中瓶×1、御酒×5→夜10時頃就寝。
8月20日(土) 朝7時半起床。白湯、マヌカハニー→わかめとじゃがいものおつけ、ご飯、山菜甘辛煮、ちりめんじゃこ→本日のリハの予習。相変わらず譜面と異なる拍の小節や譜割りがあるが、まあなんとかなりそうではある→シャワー→昼過ぎ西荻窪へ。まずは〈ぷあん〉にてカオソイ、ライオン黒ビール→特に町をぶらぶらすることなく、食後速やかにクルマから楽器を下ろしてカートでスタジオに搬入。スタジオのロビーで小一時間ぼーっとする→TYOひさびさのリハは新曲三曲。パット・メセニー『As It Is』、チック・コリア『Spain』、薬師丸ひろ子『Woman』。いずれも私はぶっつけだったが、曲の流れなどはすんなり身体に入り、以前演った『First Circle』のようにツボをつかむまで時間がかかるようなことはなかった→リハ後、以前から気になっていたハム・ソーセージ屋の〈フランクフルト〉に寄って、フランクフルトソーセージ、チキンローフ(スープ味)、ロースハム、ベーコンを購入。しかし帰宅後調べたらコンビーフがうまいらしい。次は買おう→多少渋滞はあったがまあすんなり帰宅→荷解き、シャワー→菊水堂ポテトチップスと、本日購入したフランクフルトソーセージ、チキンローフ(スープ味)、ロースハムで一杯やってたら急に眠くなり遅い午睡→ボウリングからO形帰ってきたので起きて、土産のドライカレー、チキンビリヤニでまた一杯→『脳ベルヒットスタジオSP』で笑い、『初恋の悪魔』の脚本の穴がだんだん大きくなってきたのを嘆き、さっき途中で諦めた『トスカの接吻』を最後まで観て、午前2時就寝→『トスカの接吻』(原題『Il Bacio Di Tosca』、監督:ダニエル・シュミット。1984、瑞T&C Film AG)。イタリア・ミラノにある「音楽家のための憩いの家」カーサ・ヴェルディに住う、オペラ歌手を中心とした老音楽家たちの暮らしを淡々と撮影したドキュメンタリー。住人ひとりひとりの証言を並列に並べたような、作り手の主観による演出や編集が目立たない作りがよい。音楽という仕事に対するひとりひとりの考えが述べられるのを聞くのももちろん貴重な機会だが、それよりも、それまでよぼよぼと動いていたようなご老人たちがいざ歌い始めるとものすごく生き生きと、そして現役時代には行えなかったような自由な表現を楽しむ様がなんともよかった。学生の頃に一度観ているはずだが、まったく忘れていたので初めて観るような印象であった。
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