2022年10月31日
10月まとめ(21〜31日)
今季初ストーブ、今季初秋刀魚、ジャック・リヴェット『セリーヌとジュリーは舟でゆく』、nelra『人間椅子』、歌舞伎『ゆうれい貸屋』、老父食欲回復。
10月21日(金) 昼頃起床→うどん(温泉卵、小松菜)→マダム岡地さん高岡さんに、一年前に演っていただいたライブの再演の打診→ヤマハTHR5を電池駆動で試してみる。ちゃんと本来のパワーが出ていると思う→あとタンバリンをちょっと練習→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、肉団子の煮物(生揚げ、ぶなしめじ、大根、ニンジン、生姜)、たらこスパゲティ(ピーマン、ぶなしめじ、バター、煎り酒、刻み海苔)、ビール中瓶×1、ホッピー×1、御酒×2→風呂→DU仕事、取材メモの整理→録画したTV番組見ながらだらだら飲酒(金宮酎ハイ×2)→午前3時就寝。
10月22日(土) 朝8時半起床。白湯、マヌカハニー→たらこスパゲティ(ピーマン、ぶなしめじ、バター、煎り酒、刻み海苔)、牛乳→昼前、クルマで西荻窪へ。まずは〈ぷあん〉で昼。カオソイ、ビール小瓶×1→スタジオに早めに行ったらいつもの部屋が空いていたので、30分ほど個人練習→時間通りにあとのふたり来て、本日は三時間みっちり。『Smile』、『Forget』、『First Circle』、『Spain』、『As It Is』、『Woman Wの悲劇』、『Butterfly』、『Rise Up』と、来月池袋で演る曲をひと通り。『First Circle』『As It Is』『Butterfly』は合わないところをちくちくと探求してみた。『Forget』は本日まったく初めてだったが、まあだいたいのアプローチは決まった→スタジオ後、〈フランクフルト〉で買い物して帰宅→荷解きして風呂→『陽炎』(原作:栗田教行、監督:五社英雄。樋口可南子、夏八木勲、本木雅弘、高橋長英、仲代達矢、緒形拳、北村和夫、川谷拓三、かたせ梨乃、白竜、清水ひとみ、荻野目慶子、竹中直人、高品格、岡田英次、芦屋小雁、丹波哲郎、神山繁、川地民夫、うじきつよし、岩下志麻。1991、松竹)。五社英雄は苦手かもしれないと思っていたが、本作は面白く観た。情念云々という割には、重厚な芝居をしているはずの名優もなんだか凄みが足りないように見えてしまうのは本作も同様だったのだが、筋とは関係のない変なお色気が面白いのは相変わらずで(他の作品では妙に現代的な踊りだったりするが、本作ではレズ・ショー)、しかしそれ以上に、外連味のある場面が多々あって、それが情念を色濃く伝えてくるのに役立っていたように思うが、果たして。終盤の、おりん(樋口可南子)がダイナマイトとピストルを持って岩松一家に乗り込む場面はなかなかの迫力だったし、か川谷拓三、かたせ梨乃、白竜、荻野目慶子、竹中直人、高品格ら脇を固める役者の存在もぴりっと効いていた。一応気になった点を挙げると映画冒頭の画面上のテキストにゴシック体をそのまま用いるのは興醒め、というのは時代としても、仲代達矢がくるくると回りながらおりんの住処に現れる場面には思わず笑ってしまったし、あとエンドロールにかかる主題歌(聖飢魔II『赤い玉の伝説』)もダサかったが、まあでもそれは枝葉末節で、エンドロールについては巨大な赤い月がばーんと登場するところで(いい意味で可笑しくて)笑ってしまったし、その後の映像処理や樋口可南子の決め台詞「往生しなっせ」を最後に持ってくるところも、やはりいい意味で可笑しくてよかった。その辺も含めて、繰り返し観たくなる何かがあったと思っている→菊水堂ポテトチップス、ガーリックソーセージ、コンビーフ、茹でニンジン、大根ソテー、納豆オムレツ、きつねペンネ(ちりめんじゃこ、ピーマン)、ビール中瓶×2、御酒×2→午前1時就寝。
10月23日(日) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→きつねペンネ→DU仕事、初稿手前の草稿を作成。どういうページにしたいのか、方向性などが見当つかないので、まずはこの状態を叩き台として提出し、ご希望を探る予定→3/18の野毛でのライブ、なんだかごたごたしたので参加を辞退。その会で大切なことはなにかを考えれば自ずとそういう結論に行き着いた→『グロリア』(原題『Gloria』、監督:ジョン・カサヴェテス。ジュリー・カーメン、バック・ヘンリー、ジョン・アダムズ、ジーナ・ローランズ、ジョン・フィネガン、バジリオ・フランチナ。1980、米Columbia Pictures)。説明的な台詞や場面なく物語はいきなり緊迫感を伴って始まるが、一言二言の台詞で状況がすっとわかる台本や編集が見事と、まず思った。ジーナ・ローランズ扮するグロリアが、あまり感情を露わにしないのにそこはかとない不快感を醸し出し、しかしそれがいつしか友人から預かった子供への愛着に変わる様がじわじわと伝わってくるところも面白いし、グロリアが唐突に銃を乱射する様子も面白い。話としては年齢も血のつながりも超えた愛情の生成ということかなと思うが、そのための道具立てとしてギャングと裏切り者の相克というのは頭で考えると大袈裟だが、映画を観ている最中はまったく気にならないというのも本作の面白いところだと思う→風呂→枝豆、タラモサラダ、ガーリックソーセージ、柿、ウィンナーソーセージ、きつねペンネトマトソース改、ビール中瓶×1、ホッピー×2、金宮酎ハイ×2→お笑い番組を三本見て、夜11時半就寝。
10月24日(月) 朝7時半起床。白湯、マヌカハニー→わかめのおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→DU草稿送付→昼、〈中江クリニック〉受診。降圧剤軽くしたら起床時血圧が上下とも10程度上がったので、薬量が元通りに→クスリ受け取り〈大橋とうふ〉で豆腐買って帰宅→ヤムヤム・グリーン・カレー・ヌードル(揚げニンニク、うずらの卵×3)→11/28のPFでのセッション遊び、O形とのデュオの際のギターにマルチ・エフェクターを使おうかなと思いいろいろ検討したが、結局すべてやめにして、エフェクター使わないでいくことにした。無駄な時間ではあったが、これはこれで建設的だったような気もする。とりあえず、マルチ・エフェクターの使い方は思い出した。これはざっとでも計画を立ててから扱わねばならない代物だった→『ねらわれた学園』(原作:眉村卓、監督:大林宣彦。薬師丸ひろ子、高柳良一、三浦浩一、眉村卓、明日香和泉、大石吾朗、岡田裕介、手塚真、赤座美代子、長谷川真由美、千石規子、鈴木ヒロミツ、ハナ肇、広瀬正一、南田洋子、内藤忠司、峰岸徹、山本耕一、ジミー原田&オールドボーイズオールスターズ、長谷川真砂美、檀ふみ、久里千春。1981、東宝)。1981年の少年少女が好きだったもののダサさをぎゅっと凝縮したような映画だが、大林宣彦の手にかかるとそれがとても愛おしいものになるから不思議。終盤にかけて『HOUSE』的な映像が展開するのも、あははと笑いながらやはりうれしくなっている。不思議ではあるが、この物語をこの素材で撮って、今観て鼻で笑って済んでしまう映画にならないのは大林宣彦だからこそ、というのはわかる→菊水堂ポテトチップス、ガーリックソーセージ、コンビーフ、柿白和え、サラダ(トマト、ピーマン、アボカド)、わかめのおつけ、栗ご飯、ビール中瓶×1、ビール350ml缶×1、ホッピー×2→この秋冬初めてストーブをつけた→仮眠→『吉原炎上』(原作:斉藤真一『絵草紙 吉原炎上 祖母紫遊女ものがたり』、監督:五社英雄。名取裕子、成田三樹夫、山本清、光石研、緒形拳、園佳也子、佐々木すみ江、二宮さよ子、山村聡、藤真利子、西川峰子、左とん平、岸部一徳、ビートきよし、根津甚八、かたせ梨乃、井上純一、竹中直人、益岡徹、河原崎長一郎、大村崑、成瀬正、小林稔侍、ナレーション:岸田今日子。1987、東映)。これまで観た五社英雄作品の中では、『陽炎』の次くらいに面白く観た。なんといっても明治時代の吉原を再現したセット(遊郭建築も町並みも)が見事。むろんどれだけ本物を再現したのかは知らないが、本物を知らない者を説得する力があるというそれだけで観る価値があると思う。物語に山はあるのに山を感じさせず、地べたでのごたごたをそのまま引き写しただけのように見えるのは、五社作品の特徴か。結局胸が締め付けられるのは主役の紫(名取裕子)と四人の遊女(二宮さよ子、藤真利子、西川峰子、かたせ梨乃)それぞれのその人≠フ芝居(例えば西川峰子の「ここ噛んで、ここ噛んで!」)だけで、彼女たちと関係する男たちや周囲の人たちが織りなす物語の機微はあまり伝わってこない。それでも「『陽炎』の次くらいに面白く観た」わけだから、それだけ吉原を再現したセットが凄かった、ということになるのか。ただ『陽炎』はもう一度観ても同じように面白く観られると思うが、こちらはもう一度観る際はときどき飛ばしてしまうような気もする→関西テレビ放送制作/フジテレビ系列放送のTVドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』、TV局員たち(主にバラエティ班)が冤罪事件を追うという話は、割と面白そうではある。一応主役?のひとりの眞栄田郷敦がどれだけ芝居がうまくなっていくかが鍵かな→午前3時就寝。
10月25日(火) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→わかめのおつけ、栗ご飯→日中はだらだらとギターの練習→きつねそば(うずらの卵×3)、御酒×1→風呂→『トンチンカン 怪盗火の玉小僧』(監督:斎藤寅次郎。堺駿二、夢路いとし、喜味こいし、翼ひかる、ミス・ワカサ、島ひろし、浅茅しのぶ、田端義夫、伴淳三郎、志茂山剛、清川虹子、藤乃高子、三井瀧太郎、西川ヒノデ、大江将夫、打田典子、杉山昌三九、尾上さくら、益田キートン。1953、東宝)。一年ほど前に観たのをすっかり忘れていた(田端義夫と伴淳三郎が普請している場面あたりで思い出した。一年前は「斎藤寅次郎作にしては気が入っていない感じ。火の玉小僧は誰か、という謎の追い方は面白かったし、浅茅しのぶはなかなかの名演だし、脇を固める名優たちも(子役も含めて)達者で楽しいのだが、なんか間が抜けている印象を得た。冗長な場面が多い所為か」と思ったが、今回は「気が入っていない感じ」「なんか間が抜けている印象」「冗長な場面が多い」とは思わなかった。火の玉小僧は誰か、という大きな謎を残しつつ、小さな殺人事件が人情を伴って解決していく様は楽しいし、大団円になってないのにめでたい踊りが繰り広げられるのも可笑しい。結末はちょっと悲しいというか、救いがないかな。逃すとか誤魔化すとか、なにか手はなかったかなあとは思う茄子炒め(酢、かつぶし)、揚げ塩豆腐、柿白和え、秋刀魚塩焼き(大根おろし、かぼす)、わかめのおつけ、栗ご飯、ビール中瓶×1→夜9時就寝→日付変わる前に起床→ビール飲みながら録画消化ののち、明朝の朝食作ってから就寝。午前3時頃。そういえばDU草稿はそのまま初稿にすることにしたそうで、初稿提出の作業はなくなった。11/10頃初稿戻りがあるとの由。
10月26日(水) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→ベーコンとピーマンのペペロンチーノ→老父買い物代行(サミットのみ)→O形も来てくれたので、ひさしぶりに深大寺にてそば。深水庵にて舞茸つけ汁そば→帰途、希望ヶ丘の外れの以前から気になっていた業務用食料品店に立ち寄ってみたが、目当ての洗い胡麻の大袋はなく、他もめぼしいものはなし。胡麻油の大瓶くらいか。本日は沖縄の塩とやけに安売りだったペンネをひと袋ずつのみ購入→午睡→『三匹の侍』(監督:五社英雄。丹波哲郎、桑野みゆき、藤原釜足、今橋恒、石黒達也、平幹二朗、上田吉二郎、多々良純、富田仲次郎、長門勇、井川比佐志、木村俊恵、佐藤京一、三原葉子、香山美子、青木義朗。1964、松竹)。五社英雄の出世作(TVドラマの演出を手掛けたのちに本作で映画監督デビュー)にして、TV版でまだ駆け出しの頃の丹波哲郎や浅草時代の長門勇の魅力を引き出した作品。そしてエポックメイキングな作品でもあるようだ。のちの五社作品と比べると、物語の起伏がはっきりしており、どこでどう自分の感情を動かしていいのかがよくわかる作りになっている。その点で、もしかしたら五社英雄の映画監督デビュー作にして最高傑作と言ってもよいのかもしれない。もちろん五社英雄には五社英雄の思いがあり、のちの作品に結実していったのだろうが、観ている側としては、後年の作品よりも何も考えずに親しめる作品と思ったし、それはそんなに間違った見方ではないのではなかろうか。黒澤明の影響が色濃く見られるのは映画監督デビュー作として考えればまあそうだなと思うだけだが、白黒の画面の絵造りの美しさは、絵の美しさを追求した(と私は思っているのだが)五社英雄の特徴が早くも現れている、と思うのだが、果たして→菊水堂ポテトチップス、茄子とピーマンのピリ辛味噌炒め、蕪と柿と塩昆布のサラダ(酢橘)、秋刀魚骨煎餅、コンビーフ、なめこと油揚のおつけ、ご飯、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→マダム/岡地/高岡三氏のライブの日にち決定(来年3月20日)→夜10時就寝→深夜起床→風呂→ビール飲みながら録画整理→午前3時頃就寝。
10月27日(木) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー→なめこと油揚のおつけ、卵かけご飯(ちりめんじゃこ)、海苔→ギター練習。だいぶできるようになったが、ときどきふと忘れることはまだある。各曲、少しずつ改良→『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(原題『Céline et Julie vont en bateau』、監督:ジャック・リヴェット。ドミニク・ラブリエ、ジュリエット・ベルト、アンヌ・ザミール、フィリップ・クレヴノ、ジャン・ドゥーシェ、アデル・タフェタス、ビュル・オジエ、マリー・フランス・ピジェ、ナタリー・アズナル。1974、仏Les Films du Losange)。『不思議の国のアリス』に着想を得たそうだが、そう思って見ないとそうは思わないし、そう思ってみても開始してからだいぶ経たないと(一時間以上)よくわからない。まあそう思って観ると、冒頭のセリーヌの落とし物とそれをジュリーが拾って追いかける(終幕では逆になる)が『アリス』のウサギを追いかけるアリスの比喩になっているのはわかるが、それでも懐中時計や「遅刻する」という台詞もないので、わかりにくといえばわかりにくい。そして長い(193分)。しかしだからといってつまらなかったり退屈したりするわけではなく、初めから終わりまでずっと女性ふたりが悪ふざけをしているような、その様がとても楽しいのが不思議だ→菊水堂ポテトチップス、ウィンナーソーセージ、蕎麦粉のガレット二種(ベーコン。揚げ玉)、ビール中瓶×1、ホッピー×1→風呂→『ゲアトルーズ』(原題『Gertrud』、監督:カール・テオドア・ドライヤー。ベント・ロス、ニーナ・ペン・ロード、アンナ・マルベール、ヴェラ・ゲビューア、ボード・オーヴェ、エベ・ロード、アクセル・ストロバイ。1964、丁Film-Centralen-Palladium)。日本で言ったら明治時代に夏目漱石が小説で表したような、新しい男女関係を示した作品のように思ったが、当時のデンマークの倫理感を知らないとなんとも言えない。それ以外は特に面白い(だろう)ところがよくわからなかった→鴨燻製、トマト、蕪の葉炒め(ニンニク、生姜、ベーコン)、油揚と大根とニンジンの煮物、なめこと油揚のおつけ、ご飯、かつおちりめんじゃこ梅、ビール中瓶×1、御酒×3→夜11時就寝。
10月28日(金) 朝8時半起床。白湯、マヌカハニー→即席卵スープ、ご飯、かつおちりめんじゃこ梅、海苔→ギター練習→『裁かるゝジャンヌ』(原題『La Passion de Jeanne d'Arc』(ジャンヌ・ダルクの受難)、監督:カール・テオドア・ドライヤー。ウジェーヌ・シルヴァン、ルネ・ファルコネッティ、アントナン・アルトー。1928、仏Gaumont)。ジャンヌ・ダルクの異端審問裁判の様子と、その直後の火刑を描いた映画ではあるが、ジャンヌ・ダルクを英雄ではなく(尋問調書に基づき)ひとりの人間として描いた、という側面もあるにせよ、神とはなにか、信仰とはなにかを問う映画といったほうが本質に近いように思う。異端審問官や神学者たちは、もっともらしい理屈を言うが、その言から透けて見えるのは神も方便という態度であり、信仰は自分たちに人々を従わせるための道具という態度である(だから信仰と恐怖を結びつける)。つまり異端審問官や神学者たちは信じている≠けではなくて、信じている<Wャンヌ・ダルクは結局信じる者は足元を掬われる♂H目になる。ではジャンヌ・ダルクの時代−−15世紀当時の宗教観を描こうとしたのか、本作制作時の宗教観を描こうとしたのはかは私には不明だが(後者とは思うものの)、そこを考えてこそ本作の真価を味わえるのではないかと思った。映画手法としては、もっぱら顔のアップで物語が進んでいくという点は面白いが、ジャンヌ・ダルク(ルネ・ファルコネッティ)の表情の意味が読み取れない場面が多々あった。ジャンヌ・ダルクの心が揺れに揺れた挙句火刑に処せられるところから暴動、制圧へと至る絵の爆発ぶりは圧倒的。本筋に大きく影響するものではないかもしれないが、拷問室の描写や見せ物・大道芸人たちの姿や技芸も本作の魅力と思うし、アントナン・アルトーの動く姿が見られるのも貴重ではある。些末なことかもしれないが、原題の「Passion」は「受難」と取られていることが多いようだが、本来は「キリストの受難」のこと。ジャンヌ・ダルクをキリストの比喩で描いたのか、あくまでも信仰への情熱(Passion)を貫いた姿を題名で表しているのかをちゃんと考えるのは、本作の本質からそれほど離れてはいないような気がしないでもない→蕎麦粉のガレット(ベーコンエッグ)→夕方クルマで三軒茶屋。いつものキャロットタワー地下にクルマを入れ、まずは〈安曇野〉で腹ごしらえ。鳥わさ、辛味大根そば、ビール中瓶×1/2→〈カルディ〉でビールとミックスナッツを買い、〈Stage PF〉へ。本日のメンバーはB電子、特許、M岡、Uりゃ、I崎さん、O形。O形とのデュオは、なぜかあがってしまい、ギターを弾く手に力が入り過ぎてしまった。失敗。ドラムは楽しく叩いた。『Someday My Prince Will Come』は初めて通しで叩き、途中拍を見失った気がしたが、あとで映像を見たらそんなでもなかったようだ→スイスイと帰宅→B電子から頼まれた原稿に追記の文を作成→風呂→菊水堂ポテトチップス、ミックスナッツ、鴨燻製、ビール中瓶×1、御酒×2→午前2時頃就寝。
10月29日(土) 朝8時半起床。白湯、マヌカハニー→舞茸のおつけ、ご飯、かつおちりめんじゃこ梅、海苔→昼、下北沢へ。中途半端に時間が余ったので、世田谷代田で降りてぶらぶら。元線路だった道の開発ぶりを堪能→〈ステージカフェ下北沢亭〉にて、演劇ユニット「nelra」公演『人間椅子』を鑑賞。「nelra」メンバーは森下ひさえ、上倉悠奈、それに音楽(作詞作曲演奏)担当の狩原庸輔。ゲストに山田拓未(もんぴぐ)と野崎数馬 (劇団丸福ボンバーズ)。野崎さんが営んでいたカレー店(惜しくも閉店)に食べに行ったご縁で本日の公演に伺った次第だが、初めのうちは、乱歩『人間椅子』を読むのとどう違う体験ができるのかなと思って眺めていた。話が進むにつれ演劇化した意味や椅子職人の男をふたり一役にした意味が(言葉にはできないが)なんとなくつかめてきて、それからはとても面白く拝見した。
ひとつまだわからないのが、椅子職人の男が原稿の束を読んでいる点。自分で書きながら喋っているのだとしっくりくるような気がしたが(男が手紙を書いた、という設定もあるので)、原稿の束を読んでいるのを見て、まさか台詞が覚えられないから…… という邪推もしてしまった。この点については、また少し考えてみたい。
とはいえ、結末にかけてたたみかけるような演出は見事と思った。とても楽しい時間を過ごせた。そして「演劇 コンテンポラリーダンス 現代音楽が交差する退廃の世界」という惹句はその通りだった→〈茄子おやじ〉か〈Curry Spice Gelateria KALPASI〉で遅い昼と思ったが、ちょうど下北沢カレーフェスの最中だったのでどこも入店待ちの列。じゃあしょうがないねと、〈Kebab Chef〉を思い出しトルコ料理へ。ビーフケバブラップセット、グラスビール、ラク。ひさびさのトルコ料理に、結果的に満足→帰途も周辺が混んでいるであろう下北沢駅を避け世田谷代田駅へ。豪徳寺で途中下車して〈冨永オリジナルデリカテッセン〉にて買い物経堂駅まで歩く→少し歩き疲れので〈スタンド八九〉で一杯。パンクの先輩も来て、しばし歓談。ちんぽ先生なる人もあとから来られて、やはり軽く歓談→〈アダン〉で花買って帰宅アダンさんともしばし歓談。我が家のクルマが動いているのを見て驚いたとか、夫婦仲がよくないのを「犬と猫の仲」という話で笑う→帰宅即風呂→夜8時過ぎ就寝→と思ったが短く浅い睡眠だけで目が覚めてしまった→鴨燻製、〈冨永オリジナルデリカテッセン〉のミニウィンナー、冷やしたぬきそば、ビール中瓶×1、御酒×2→深夜就寝。
10月30日(日) 朝8時半起床。白湯、マヌカハニー→舞茸のおつけ、ご飯、かつおちりめんじゃこ梅、海苔→NHK『演芸図鑑』の令和ロマンと藤あや子、TVK『浅草お茶の間寄席』のうめ吉は拾い物→海底撈旨辛だれの汁なし麺(叉焼)、ビール中瓶×1/2→そこから飲酒に雪崩れ込み、歌舞伎『ゆうれい貸屋』(原作:山本周五郎。片岡孝太郎、坂東三津五郎、中村福助、中村勘三郎、中村七之助。平成19年(2007年)8月、歌舞伎座)観ながら菊水堂ポテトチップス、海苔、薄切り叉焼、まつのはこんぶ、キャベツとトマトのサラダ、まいたけのおつけ、ご飯、たらこ、ビール中瓶×1、御酒×4。『ゆうれい貸屋』は、いい塩梅に笑わせてくれて、しみじみいい気持ちにさせてくれる、いい芝居だった。これは生で観たかった→夜10時就寝するも、鈍く継続する腹痛でしばし覚醒し用足しに起きる。朝まで続いた。
10月31日(月) 朝7時半起床。白湯、マヌカハニー→たぬきそば(うずらの卵×3)→鈍く継続する腹痛抱えたまま、老父と昼食および買い物代行(郵便局と杏林病院内ATMにて記帳。〈さいじょう〉にてしょうゆうどん、揚げ玉、おろししょうが。サミット。クリエイト)。老父はかけうどん普通盛りとごぼう天を残さず食べいてた。まだ体調は旧に復していないようだが、食欲はあるようだ→帰途サミットで酒買って帰宅→午睡→DUから入金あるはずが夕方になってもないので問い合わせ→B電子より依頼の追記、仕上がってたのに送るの忘れてたので慌てて送付→『ゆうれい貸屋』をO形に見せながら、イカゲソとワタホイル焼き、手巻き寿司(マグロ赤身、鰤、真鯛、イカ、カツオ、きゅうり、紫蘇、針生姜)、なめこ汁、ビール中瓶×1→風呂→TVドラマ見ながらチッチャロン・ブラット、海底撈旨辛だれの汁なし麺(キャベツ、トマト、卵)、ビール中瓶×2→夜1時就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記