2022年12月10日

12月まとめ(1〜10日)


渋谷毅『カーラ・ブレイが好き』、さかなの諸作品を聴く、『日本のジョージ・オールド』(高柳昌行参加作)、斎藤寅次郎『東京五人男』、J:COM騒動、ロバート・ゼメキス『魔女がいっぱい』、『ゴトー祭り』、大友良英『ゲキバン!』コンサート於有楽町〈I'M A SHOW〉、シュトーレン&ラム、安田公義『待って居た象』、二千円ギター調整出し、携帯電話新料金プランへの移行にてトラブル続出(J:COM側の不手際)。

12月1日(木) 午前1時起床→渋谷毅『カーラ・ブレイが好き』。相変わらず美しい。本作を機にまた聴き返したいと思う(最近そういうことが他にもあった)。市野元彦・外山明との共演『Childhood』も入手せねば→Tower Recordsのポイントが1枚分くらい溜まっていたのを思い出し(12月末に期限切れ)、Luz do Solの未入手版とともに注文→『三匹の牝猫』(原作:藤原審爾『誘惑計画』、監督:井田探。八代真矢子、郷^治、藤竜也、三崎千恵子、水上竜子、野川由美子、野呂圭介、天坊準、二本柳寛、久美悦子、宮阪将嘉、田村清臣、山田禅治、東恵美子、木浦佑三、松下達夫。1966、日活)。「牝猫」が三匹揃っていって友情が芽生える過程や、その過程での牝猫まり(野川由美子)の鮮やかさは印象に残る。一方、女三人の軽挙はやはり命懸けで生きる(やくざ含む)男たちの真剣さには敵わない、という話の流れをどう捉えるかは、私個人はまだ判断が微妙に揺らぐ。最後に牝猫まりだけ生き残って三人で建てようとしているアパートを守ろうとしているところで終わるので、救いがないわけではないが、その救いの残し方が中途半端というか言い訳のように感じてしまった。女三人に三様の男たちがまとわりつくのもまあそう考えて不思議はないが、もう少し整理できなかったかなとは思った。葉子(八代真矢子)には八代(藤竜也)という守護者がいるが、牝猫三匹対三様の男たちという闘いの助っ人としては、存在感の面では弱かったのではなかろうか→『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(原題『Mujeres al borde de un ataque de nervios』、監督:ペドロ・アルモドバル。カルメン・マウラ、フェルナンド・ギリェン、ロレス・レオン、フリエタ・セラーノ、アントニオ・バンデラス、ギレルモ・モンテシノス、マリア・バランコ、ロッシ・デ・パルマ、アナ・レザ、キティ・マンベール、アンビテ。1988、西Laurenfilm)。タイトルバックから物語冒頭のコラージュの面白さとか、イバン(フェルナンド・ギリェン)の登場場面のフェリーニを想起させる感覚とか、そういう要素で引っ張りつつ、物語で何か人間の重要なことを語るのかと思いきや、狭い人間関係の中でのドタバタで話は進んでいく。それがつまらないかと言えばそんなことはなくて、飽きずにどころかしばし大きく笑いながら楽しめるのだが、その楽しみが都会の洒落たアパートで鳥(鴨?)を飼っている暮らしぶりだったり、思い思いのセクシーな格好なのにちっともセクシーに見えない女たちの描きっぷりだったり、あるいはもっと短絡的にはマリサ役のロッシ・デ・パルマの顔だったりする。そういう表面的なところの映画の楽しみを提供しているようなところは、コラージュという手法に何か思いがありそうというところと呼応しているように考えるのは穿ちすぎか。それはともかく、ガスパチョのくだりなど細かいギャグも効いていて、とても楽しい映画ではあった→コンビーフ、オイルサーディン、ヤムヤムインスタントタイ焼きそばガイ・ヤーン味(ニンニク)、金宮お湯割×4→朝7時頃就寝→昼頃起床。今日は〈エア・ガレージ〉にギターの調整を依頼しにいこうと思ったが、寝坊したし天気も悪いのでやめにした→ぶなしめじと油揚のおつけ、卵かけご飯(胡麻)、海苔→『ある機関助士』(演出脚本:土本典昭。中島鷹雄、小沼慶三。1963、日本国有鉄道/岩波映画製作所)。機関士:中島鷹雄と機関助士:小沼慶三の上野−水戸間の往復乗務を追いながら、機関助士:小沼慶三の中央鉄道学園での常務訓練の模様や機関士、機関助士の運転操作以外の責任(事故時の対応、疲労度テストへの協力、常務引き継ぎの様子)などについて語られるドキュメンタリー。私などがこのドキュメンタリーを見て何か役に立つ要素はほとんどないし、また蒸気機関車愛好者でもないので楽しむ要素も少ないとは思ったが、それでも観てみると、蒸気機関車の妙に生き物めいた走行姿にはわくわくするし(ちなみに登場する蒸気機関車はC6238とC6222)、「素早く行動する人はものをよく見ないで動作を起こすからミスにつながる」「機械だけに頼らず自分の目と手で確かめる」「事故を起こしてから疲れていたという言い訳は通用しないので、休めるときにきちんと休んでおく」といった教訓も得た→『東京五人男』(監督:斎藤寅次郎。横山エンタツ、花菱アチャコ、柳家権太楼、古川緑波、石田一松、戸田春子、田中筆子、鳥羽陽之助、石田守衛、飯田ふさ江、藤間房子、森川君子、高勢実乗、高堂国典、永井柳筰、江藤勇、小高つとむ、山田長政、江藤勇。1946、東宝)。日本映画専門チャンネルの「鉄道開業150周年 想い出の列車たち」という企画で採り上げられていた作品だが、エンタツ・アチャコがチンチン電車の運転手・車掌であるというだけで、特に鉄道がテーマの映画ではない。それよりも、戦後すぐの焼け野原の東京をそのまま撮った絵がとにかくすごい。そして戦後の世相をこれでもかと反映した、農家や役所の威張りっぷり、持てる者の横暴さを、一応笑いに包んでいるものの、かなり赤裸々に描いている。そういう反骨的とも言えようところに、何もかも失った日本をゼロから建て直していくぞという決意やバネのある姿勢が窺える一本と思う。別に隠れてはいなかったかもしれないが、隠れた名作の趣あり→チッチャロン・ブラット、生海苔酢の物、チキンローフ、蒸し野菜(カリフラワー、ニンジン、キャベツ)、茹でウインナー、生海苔と葱のおつけ、ご飯、江戸むらさき、ビール中瓶×1、御酒×3→いったん就寝→日付変わる前後に起床→『チンチン55号ぶっ飛ばせ!! 出発進行』(監督:野村芳太郎。萩本欽一、坂上二郎、塚田茂、佐藤蛾次郎、沢村貞子、伴淳三郎、珠めぐみ、今陽子、長沢純、奈美悦子、皆川おさむ、藤岡弘、キラーズ、中山千夏、小川ローザ、ミヤコ蝶々、水前寺清子、尾崎奈々、内田朝雄。1969、松竹)。これまた長男の坂上二郎と母親の沢村貞子がチンチン電車勤務で(ちなみに家族は全員交通関係の仕事に就いているという設定)、そこに居候することになった萩本欽一もチンチン電車勤務となるだけで、「想い出の列車たち」というほどの鉄道映画ではないと言えるかもしれないし、いや言えるかもしれない。それはともかく、制作時点での流行歌や風俗を取り入れた喜劇映画としてはよくできていると思った。さすが野村芳太郎、というか、同じような時期に松竹はなぜ山田洋次にあんなに撮らせたのだろうと考えてしまう。設定や物語になにか深みがあるわけではないし、萩本欽一はややクセがうるさい感じだし、坂上二郎の暴力が恋を成就させるというのも今となっては好ましくない表現だし、なにか語るべきものの多い作品ではないが、ただただ楽しませてくれるという点では一級の作品と思う→午前3時頃就寝。
12月2日(金) 朝8時半起床。白湯、マヌカハニー→生海苔と葱のおつけ、卵かけご飯、海苔→B電子よりカセットテープを送っていただいた『日本のジョージ・オールド』(高柳昌行参加作)を聴く。これは楽しいな。高柳のギターはいわゆるバイショー≠ナはあるが、ムード音楽のアルバムとしては素晴らしい→喜ばしいきっかけではないが、とてもひさしぶりにさかなの諸作品を聴き始める。まずは『BLIND MOON』『LITTLE SWALLOW』『LOCOMOTION』。やはりその音楽は素晴らしい。リアルタイムでほとんど聴いてこなかったのが悔やまれるバンドではある→風呂→かけうどん(うずらの卵×3、葱、針生姜)→夕方経堂駅前でしゅりんぷKさんと待ち合わせ、O形と三人でまずは〈Wine Stand Elmo〉で一杯。それから〈つきや〉角打ちを経て本日のお目当て〈夢亀らーめん〉へ。〈桂花〉がお好きだというしゅりんぷさんに喜んでいただきなにより。それから〈太陽堂〉に移動するも、私はダウン気味になってきたので先においとま。楽しくてずいぶん盃が進んだ→帰宅後即就寝。夜10時ころか? 夜中どさっと音がして目が覚めたが、酔っ払ったO形が着替えようとして倒れた音だったので笑った。
12月3日(土) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー→カップヌードルカレー(うずらの卵×3)→宿酔というか、昨日から飲み過ぎ翌日の腸の不調が増幅した形で続いている。本日は抜く→『恋愛適齢期』(原題『Something's Gotta Give』(何かを妥協しなきゃ)、監督:ナンシー・マイヤー。ジャック・ニコルソン、アマンダ・ピート、ダイアン・キートン、フランシス・マクドーマンド、キアヌ・リーヴス、ジョン・ファヴロー、ポール・マイケル・グレイザー、レイチェル・ティコティン、ピーター・スピアーズ。2003、米Columbia Pictures)。前半の、中高年の男女が出会って反目するが心が通じて…… という流れは実にありきたりで退屈を覚えるが、そこはさすがジャック・ニコルソンとダイアン・キートンであった。意地悪な見方をすれば、この二人に頼りっきりという言い方もできるが。しかし前半のジャック・ニコルソンの病への倒れ方や、後半のダイアン・キートンの大泣きっぷり、そしてセックスの最中に血圧測定を始めるくだりなどは、きちんと経験を積んで生きてきた大人でも人間とはやはり可笑しいものという視点で笑うことができ、物語のありきたりな点を気にせず楽しませてくれる(ジャック・ニコルソンがセックスできるかどうかの判断として階段昇降を行う場面で、ジミー・クリフ『You Can Get It If You Really Want』がかかるのも可笑しい)。ずと楽しい気持ちで鑑賞できる映画ではあったが、しかし最終的に幸せを得る過程があっさりしていて、深い感動は感じなかった。それを求めて制作したのでなければ、それでよし→カップヌードルPro(胡麻)→J:COMから新しい料金プラン用のSIMが届いたが、SIMロック解除が必要な模様(何も考えずにSIMを挿し替えたら認識されなかった)。よくわからないので、明日祖師ヶ谷大蔵のJ:COMショップに行くことに→生海苔と葱のおつけ、鶏粥(ぶなしめじ、油揚)→『魔女がいっぱい』(原作:ロアルド・ダール、原題『The Witches』、監督:ロバート・ゼメキス。クリス・ロック(声)、ジャジール・ブルーノ、オクタビア・スペンサー、ジョゼッテ・サイモン、アシャンティ・プリンス・アサフォ、ミランダ・サーフォ・ペプラ、アン・ハサウェイ、コーディー=レイ・イースティック、モルガーナ・ロビンソン、スタンリー・トゥッチ、クリスティン・チェノウェス(声)、チャールズ・エドワーズ。2020、米Warner Bros.)。よくできたファンタジーだが毒は少なく、展開も読みやすく、安心して楽しめる趣。CG全開な点はうまく機能していたと思ったが、まだCGがそれほど発達していなかった1990年版も観てみたい(ストップモーションが多用されていたとか)。ネズミの造形については割とありきたりのCGという感も強いが、アン・ハサウェイはじめ魔女の造形(つるっぱげとか手足の先とか)だけでCG大正解という感じもするし、魔女が次々ネズミになるところのCG演出も可笑しい(本筋とは関係ないが、終幕近くに登場するネズミの遊園地のCGデザインも楽しかった)。「毒は少なく」とか「ネズミの造形については割とありきたりのCG」といった負の印象は、おばあちゃんがソウル音楽好き(物語冒頭のフォー・トップス「Reach Out I'll Be There」、オーティス・レディング「Doc Of The Bay」、アイズレー・ブラザーズ「It's Your Thing」と、終盤のサマンサ・ジェイド(原曲はシスター・スレッジ)「We Are Falily」)という設定が効果的に使われている点などで薄くなったようにも思う。一点、子供たちがネズミから人間に戻れないという設定に対してどのような感想を抱いたらいいのかは、よくわからなかった→風呂→『中国女』(原題『La Chinoise』、監督:ジャン=リュック・ゴダール。ミシェル・セメニアコ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジュリエット・ベルト、ジャン=ピエール・レオ、レックス・ド・ブリュイン、オマール・ディオプ、フランシス・ジャンソン、ブランディーヌ・ジャンソン、エリアーヌ・ジョヴァニョリ。1967、仏Athos Films)。話の筋を大雑把に理解することはできるが、かといって五人の革命家≠フ政治的主張を整理して理解すればこの映画の理解につながる、というわけでもなく、ただ革命を志向することのバカバカしさが描かれていることを承知しつつ(最後に部屋の持ち主?が現れ、最後に残った革命家≠ノ普通に原状回復を言い渡すところなど、革命家≠スちを冷ややかに見ているとしか思えない)、訳がわからないまま眺めるのが本作との付き合い方ではないかと思った。それにしても、絵としてはとても美しい映画である。それがまた革命家≠スちがごっこ遊びをしているように見せていると思う→本日は一滴も飲まなかった。午前4時半就寝。
12月4日(日) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー→生海苔と葱のおつけ、鶏粥→本日午後、祖師ヶ谷大蔵のJ:COMショップを訪ねる予定だったが、高円寺〈JIROKICHI〉での『ゴトー祭り』の日だと思い出し、申し訳ないがキャンセル。明日に振替→慌てて支度し、開演ぎりぎりに間に合う→で、出演バンドは二番線、古菊槙後上、カシミズ、Band Masters、まめまめなっつ、素人ブル自慢ショーの6つ。この並びの中で特異なバンドといったものはなかったが、全体に安心して楽しめる感じで、充実した時間を過ごす。どのバンドもしっかり自分たちの世界を伝えてきて面白かったが、敢えていえば古菊槙後上のボーカルの若い女性の堂々とした歌と歌いっぷりに感心した→ひさしぶりに会うみなさんにもご挨拶でき(何人か直接話せなかったが)、気持ちとしてはお腹いっぱいになったので早々においとま→千歳船橋で降りて〈藤木商店〉の焼き鳥か〈春日屋〉の揚げ物を買って帰ろうと思ったがどちらも休み。〈結〉で鶏唐揚げ買って帰る→昨夜感心した『魔女がいっぱい』観ながら蕪と柿のサラダ、トマト、チッチャロン・ブラット、チキンローフ、ヴァイスヴルスト、鶏の唐揚げ、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→本日はバンドをたくさん聴いた所為か途中で眠くなり、早々に就寝→深夜起床→来年2/25のライブ告知用の仮チラシデザインを制作。Adobe Illustratorを使えるPCを起動するのが億劫なので、表計算ソフト(Numbers)ででっち上げたが、自分たちのプリンタなどで印刷するならまあこれでよいかという感じではある→朝8時就寝。
12月5日(月) 昼頃起床。白湯、マヌカハニー→豆腐と葱のおつけ、鶏粥(卵)→風呂を沸かしたが時間配分を間違え、入浴せずに祖師ヶ谷大蔵へ→〈J:COMショップ〉にて携帯電話のプラン変更がうまく進まない件について説明を受ける。申し込んでからSIM到着までの顛末はまったく向こうのミスで、社内連絡がうまくいかず「予約番号」とやらの期限が切れるぎりぎりにSIMが届き、しかもSIMが届いたあとにこちらで行うべき工程の説明がまったくなかったとのこと。まあどこにミスがあり、どうすれば解決するかはこの場で判明したし、このあとはそんなに時間がかからないようなのでよしとする→時間が余ったので、有楽町に出る前に〈岡田屋〉で遅い昼。餃子、油淋鶏、カニ炒飯を各1/2、ビール中瓶×1.5→日比谷まで出て有楽町までぶらぶら。雨が降ってきたのでただ歩いただけ→まだまだ時間あまったので珈琲飲んで時間潰し、有楽町マリオンの敷地内?の本日の開場〈I'M A SHOW〉へ。出演者からご招待いただき、大友良英『ゲキバン!』コンサートを鑑賞。大友良英が映画やドラマのために制作した音楽を演奏するコンサートだが、第一夜のこの日は現在放映中の『エルピス』のための音楽が中心で、脚本の渡辺あや、プロデューサーの佐野亜裕美と大友良英との鼎談も交えての演奏だった。生演奏にはドラマの一部として聴いた際とはまた違った感興があり、音楽そのものへの印象が新たになったし、鼎談ではドラマの制作が始まるまでと始まってからの秘話や、その間のプロデューサーの境遇など、興味深い話が尽きなかった。「その間のプロデューサーの境遇」などは個人の話ではあるが、それがドラマにどのように反映されているのかを知ったことは、ドラマ再見時の印象にも影響(いいほうの)があるように思う。以下曲目だが、一部順序が異なるかもしれない。

01 ロング・グッドバイ オープニングテーマ
02 青い凧Main Title
トーク
03 Elpisメインテーマ
04 ElpisメインテーマSlow version
05 ElpisメインテーマRock version

トーク
06 アンビエント
07 災い〜バディ
08 明日、明後日、そして
09 闇
10 トーク
11 TVファンク
12 夜明け
13 エルピステーマ

enc. その街の子供

演奏:大友良英(g)、江川良子(sax) 、鈴木広志(sax)、今込治(tb) 、近藤達郎(key, ハモニカ)、江藤直子(p)、かわいしのぶ(b)、イトケン(ds, プログラミング)、上原なな江(perc)

→終演後、出演者の中の知己おふたりにご挨拶しておいとま→丸ノ内線を四谷三丁目で下車し、〈dress〉で一杯→あとは平和に電車で帰宅→『エルピス』本日の放映分見ながらチッチャロン・バラット、柿ピー、金宮お湯割×3。〆にカップ天ぷらそば(うずらの卵×3)→結局風呂サボって、午前2時頃就寝。
12月6日(火) 朝9時半起床。白湯、マヌカハニー→豆腐と葱のおつけ、鶏粥(卵)→風呂。三日ぶり→来年2/25のライブ告知用の仮チラシ、希望によりTYOの写真を差し替えたものを制作し送付→海苔かけきつねそば(刻み海苔、葱)、御酒×1→『エルピス』を一話めから見返してみることにした。今まで割といい加減に見ていたと思っていたが、見返してみると細部まで割と覚えているな→午睡→チッチャロン・バラット、小松菜おしたし、鮭と舞茸とぶなしめじのホイル焼き、オイルサーディン、なめこ汁(油揚)、茸粥、ビール中瓶×1、御酒×1→TYOの演奏についての改善案をしたためてみたら長くなってしまったが、そのまま伝達。要は1)全体的に一本調子な印象を改めたい。そのためには同じコード進行の循環を繰り返す箇所で、ギターのコードポジションを工夫したり、他の楽器でどう変化をつけていくかを明確にしたい 2)日々のリズム練習(メトロノーム裏拍鳴らし)をお願いしたい、の二点→夜11時過ぎ就寝。
12月7日(水) 朝9時半起床。白湯、マヌカハニー→なめこ汁(油揚)、ご飯、生卵、納豆、海苔→洗濯→賄い当番。鶏と蕪のカレーライスを作ろうと思ったが、いろいろ手を動かしているうちに結局インド式になってしまった→料理しながらチャールズ・ブロンソン、アラン・ドロン出演『さらば友よ』を1/3ほど。チッチャロン・バラット、柿ピー、ビール中瓶×1→晩をほぼ拵えてから風呂→『劇場版 ルパンの娘』(原作:横関大、監督:武内英樹。どんぐり(竹原芳子)、深田恭子、小沢真珠、渡部篤郎、瀬戸康史、栗原類、麿赤兒、信太昌之、マルシア、藤岡弘、、小畑乃々、橋本環奈、伊吹吾郎、太田莉菜、大貫勇輔、市村正親、我修院達也、観月ありさ、岡田義徳。2021、東映)。三雲玲(観月ありさ)を襲った不幸とそこから始まる一族の確執のエピソードがいささかかったるかったが、全体的にはTVドラマ放映時と同じようなバカバカしさを押し通した点はよかった。特にこのシリーズでの小沢真珠、大貫勇輔は最高と思う。せっかくの映画版なのだから、絵造りがTVドラマ風のペラペラなままなのは残念に思ったが、まあ視聴者サービスということなのかもしれない。その辺、『コンフィデンスマンJP』の方法と異なっているのは興味深い→五種のダール、鶏と蕪と蕪の葉のコルマ、なめこのラッサム(なめこ汁改造)、ポテトサラダ(クミンシード、バター、バルサミコ酢)、クッチュンバー(キャベツ、ピーマン)、パパド、ジャポニカ玄米バスマティ米ご飯、ビール中瓶×1.5→夜10時いったん就寝→深夜起床→『さらば友よ』(原題『Adieu l'ami』、監督:ジャン・エルマン。チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロン、オルガ・ジョルジュ・ピコ、アンドレ・デュマ、ブリジット・フォッセー、マリアンナ・ファルク、エレン・バール、ベルナール・フレッソン、ミッシェル・バルセ。1968、仏伊Twentieth Century Fox)。誤って撃ち殺してしまった男への責任からの友情と、たまたま纏わりつかれた男と同じ境遇に陥っての友情の、男と男のふたつの友情を描いた作品で、そこで描かれる友情≠ニいう曖昧で目に見えないものの描かれ方にも感心するが、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの佇まいとか存在感とか、そういうものがあってこそというのが言葉ではなく伝わってくる点に痺れる。特にブロンソンの、他の映画でもそうだが身体の中に何か一本芯が通っているような佇まいが、他の出演作に比べても堪能できるような気がした(が、果たして)。説明が少なくて話が早い展開も心地よい。一方、女をおもちゃにした謎の遊びのルールや展開とか、よくわからない点もなくはなかった→『雨の訪問者』(原題『Le Passager de la Pluie』、監督:ルネ・クレマン。マルレーヌ・ジョベール、マルク・マッツァ、アニー・コルディ、ジル・アイアランド、ジャン・ガヴァン、ガブリエレ・ティンティ、エレン・バール、コリンヌ・マルシャン、ジャン・ピア。1970、仏伊CCFC)。簡単に言ってしまえば、ある事件と金を追っていた男が真相に迫るが、真実を暴くとひとりの女の名誉に関わるので、そこについては不問のまま本来の目的だけ果たして去っていく、その男の優しさ、ということになると思われるが、物語の中の核心と物語で語りたいことの核心との周りで物語が揺蕩うという印象もあって、そこが面白くもあり、ピリッとしない物足りなさも感じた。救いがあるようなないような、話がわかりにくいわけではないのに妙な余韻が残る作品であった→朝7時就寝。
12月8日(木) 朝11時起床。白湯、マヌカハニー→『アメリカン・エピック』、年末ぎりぎりに菊川に新しくできた映画館〈Stranger〉で上映するとわかり、慌てて予約→五種のダール、鶏と蕪と蕪の葉のコルマ、なめこのラッサム(なめこ汁改造)、ジャポニカ玄米バスマティ米ご飯、ポーチドエッグ→『待って居た象』(監督:安田公義。横山エンタツ、柳家金語楼、大友柳太朗、志村喬、伊達三郎、武田徳倫、上田吉二郎、星ひかる、吉田喜一郎、喜多川千鶴、大美輝子、中村メイ子、南部章三。1949、大映)。エンタツと金語楼とで気楽で楽しい喜劇かと思いきや、戦時中で動物園の猛獣を殺さねばならないという悲惨な状況の悲しさがまず描かれ、つらい映画かなと思って観ているとエンタツと金語楼が二頭の象を伴って楽しそうに(つらさもまた楽しそうに描かれつつ)逃避行をして、最後は感動して泣かされるという、一見地味なのに感情の振れ幅の大きい映画であった。エンタツと金語楼の会話の間の可笑しさはさすがだし、エンタツが身体中から埃を叩き出す場面のバカバカしい可笑しさ、頭の怪我によって毛が抜けて金語楼がハゲるというギャグの泣き笑いなど、見どころも多い。ヒロイン(喜多川千鶴)が光る場面が少ないという憾みは残るが、喜劇の良作と思う→夕方、とてもひさしぶりに吉祥寺の外れの〈エア・ガレージ〉訪問し、二千円ストラトを調整依頼。ナットを交換、弦高とオクターブを調整、という感じとの由。川内さんお元気そうでなにより→帰途三鷹新川の〈クリエイト〉に寄り、老父の明日の買い物で頼まれて居たものを先に購入→ガソリン補給して帰宅→風呂→柿ピー、チッチャロン・バラット、トマトとアボカドと柿のサラダ、ポテトサラダ(クミンシード、バター、バルサミコ酢)、クッチュンバー(キャベツ、ピーマン)、花椒ソーセージ、五種のダール、鶏と蕪と蕪の葉のコルマ、ジャポニカ玄米バスマティ米ご飯、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→夜9時頃就寝→深夜起床→金宮酎ハイ、お湯割り飲みながら録画消化および『待って居た象』を再見して、午前3時頃就寝。
12月9日(金) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→五種のダール、鶏と蕪と蕪の葉のコルマ、ジャポニカ玄米バスマティ米ご飯、目玉焼き→老父と昼食および買い物代行(〈なかじょう〉にてかけうどん、舞茸天、おろし生姜。〈サミット〉)。父は血圧も下がり、体調は先週よりよくなっているようだ。ただお昼をご一緒する人たちがひとりまたひとりといなくなり、人との会話があまりないというのが心配ではある→郵便局にて頼まれた荷物発送してから帰宅→2/25のライブのチャージ金額決まったので、チラシに反映し、店にも確認。OKとのことで、今月から告知開始となる→『ウイークエンド』(原題『Weekend』、監督:ジャン=リュック・ゴダール。ジャン・ヤンヌ、ミレーユ・ダルク、ジャン=ピエール・カルフォン。1967、仏Athos Films)。もうずいぶん観ていないのでほぼ忘れていたが、今回得た感想としては、この辺まで『気狂いピエロ』から抜け出せなかったのだな、『気狂いピエロ』から登場人物の魅力を抜いてより殺伐とした世界を描こうとしたのかな、それにしてはゴダールお得意?の笑いの感覚は随所に感じられる、負のジャック・タチという趣も感じた、渋滞の描き方がバカバカしくよい、差別や階級分断の戯画化、唐突に出てくるドラム演奏が可笑しい、などなど。冒頭の、登場人物の表情が判別できない照明の当て方と人間関係がわかるようでわからなかったので、また確認したい→柿ピー、チッチャロン・バラット、カップヌードル濃厚クラムチャウダー、ビール中瓶×2→晩の支度(ビアブルスト、ロースハム、トマト、ピーマン、ニンニク、トマトケチャップのペンネ、クスクス)→午睡→夜10時過ぎ起床→『勝手に逃げろ/人生』(原題『Sauve qui peut (la vie)』、監督:ジャン=リュック・ゴダール。ジャック・デュトロン、ナタリー・バイ、ミシェル・カサーニュ、セシル・タネール、ポール・ミュレ、ミシェル・グレゼール、ロジェ・ジャンドリー、ベルトラン・カザシュス、ニコル・ウィッチ、アンナ・バルダッチーニ、フレッド・ペルソンヌ、ローラン・アムステュツ。1980、仏MK2 Diffusion)。恥ずかしながら初見。で、物語は追えるものの何を伝えたいのかはまったくわからなかったが、わからないなりに、ひとまずわかろうとせず、映画の進行に目と耳を委ねることの面白さ、というものがゴダール映画のひとつの魅力なのだなということを再認識した。しかしこれが商業映画復帰第一作というのにも畏れ入る→『レッド・サン』(原題『Red Sun』、監督:テレンス・ヤング。チャールズ・ブロンソン、三船敏郎、アラン・ドロン、中村哲、田中浩、キャプシーヌ、リカルド・パラシオス、ウルスラ・アンドレス、モニカ・ランドール。1971、仏伊西米Les Films Corona)。お互いの立場から反目し合わざるを得ない男ふたりが共通の目的を持って行動せねばならなくなり、その過程で友情が生まれる、という物語自体は目新しいものではないが、江戸末期の日本から渡米した侍と仲間に裏切られた列車強盗とがその「男ふたり」という設定と、「男ふたり」をチャールズ・ブロンソンと三船敏郎が演じるというこの二点だけで、もう成功を約束されたような映画。チャールズ・ブロンソンと三船敏郎は体幹がぶれず姿勢がいつもしっかりしているのに対し、ブロンソンを裏切ったアラン・ドロンの姿勢がいつもぐらぐらしているのは、監督の意図がどうかはわからないが、登場人物の設定として効いていると勝手に考えたりした。ウルスラ・アンドレスがそれほど特異な印象を与えなかったのは、男ふたりの友情がモチーフになっている故か。これも考え過ぎか→ビアブルスト、ロースハム、トマト、ピーマン、ニンニク、トマトケチャップのペンネ、五種のダール、クスクス、金宮酎ハイ→午前3時頃就寝。
12月10日(土) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→ビアブルスト、ロースハム、トマト、ピーマン、ニンニク、トマトケチャップのペンネ、五種のダール、クスクス→昼過ぎクルマで西荻窪へ。まずは〈ぷあん〉にてカオソイ、ビール中瓶×1。今年二月からひと月〜ふた月に一回訪ねていて、ようやく店の人に顔を覚えられた模様。今はなき〈遊々満月洞〉の話もできてうれしかった→一ヶ月ぶりのTYOでの演奏は、一ヶ月ぶりなりの劣化が見られたが、新しい(かつ細かい)音楽的アイデアも伝えられてよかった→〈フランクフルト〉で買い物して帰宅→J:COMでの携帯電話新料金プランへの切り替えにまた不具合生じたとのことで、さすがに憮然。新人のミスは仕方がないとはいえ、それをカバーしたりサポートしたりする社内体制はないのかと疑問。最終的には電話口に出た担当者を怒鳴りつけたが、途中で12月5日の担当者ではなく代理の人とわかるというオチまでついた。たいへん草臥れ、またがっかりした→何か楽しいものを見ようとNTV『The W』の録画を見てみるが、最初の何組かがまったく面白くなく、むしろ不快になった。続く何組かは面白かったが、番組の構成などを考えるとその先また同じような不快を感じさせる展開もあり得るなと思い、途中で視聴中止→O形の仕事の資料として『小さな恋のメロディ』のDVDが出してあったので観る。映画がまだ始まる前、DVDのメニュー画面が表示された段階で物語を最後まで思い出し、あの場面とあの場面で感動するのだよなと思ったらもう泣けてきた→『小さな恋のメロディ』(原題『Melody』、監督:ワリス・フセイン。マーク・レスター、ジャック・ワイルド、シェイラ・スティーフェル、キース・バーロン、トレイシー・ハイド、ケイト・ウィリアムス、ヒルダ・バリー、ロイ・キニア、ジェームズ・コシンズ、ケン・ジョーンズ、ケイス・キナー、ドーン・ホープ。1971、英British Lion Film Corporation)。ダニー(マーク・レスター)の両親やその友人たちが決して上流階級ではない点の描写として、婦人会に出かける母親のアクセサリーがやけに品がないものだったり、クルマは所有しているがバンパーの錆びたようなクルマだったり、という点の描写の細かさを新たに発見(今まで気づかなかったのが迂闊なだけか)。あとジャック・ワイルドの芝居のうまさ、その巧みさを物語や世界の構築にうまく活かしている点、ジャック・ワイルドに比べると自然に振る舞っているだけとも思えるマーク・レスターとトレイシー・ハイドの活かし方(実は芝居がものすごくうまいのかもしれないとも思った)などを強く感じたのも、今回ひさしぶり(二年ぶり)に観て得た新味であった→菜の花おしたし、ヒラメと鯛の刺身(紫蘇)、トマト、ロースハム、蕪のおつけ、ご飯半膳、梅干し、海苔→午前1時頃就寝→午前5時起床。J:COMの不手際について、申し込みから本日までの顛末を時系列に書き出し、その中で生じた疑問点を整理→午前7時就寝。
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