2023年04月10日

4月まとめ(1〜10日)


『タモリ倶楽部』終了、〈スタンド八九〉壮行会、劇団S.W.A.T!第64回公演〜楽屋シリーズ エピソードX〜『楽屋の逆襲』 於下北沢〈「劇」小劇場〉、深作欣二『道頓堀川』、タナダユキ『浜の朝日の嘘つきどもと』、洗面所の排水管が詰まる、清水宏『小原庄助さん』、味噌仕込み第一弾(風邪のためO形まかせ)。

4月1日(土) 終日宿酔で横臥→朝新玉葱と油揚のおつけ、ご飯、納豆、うずらの卵×4、海苔、昼カップヌードル(生卵)。食事によってなんとか復活→『タモリ倶楽部』最終回、『タモリ倶楽部』らしくぐだぐだあっさり終わる→録画整理→サラダ(キャベツ、新玉葱、トマト、新生姜)、豆腐と油揚のおつけ、ご飯、納豆→『キューティ・ブロンド3』(原題『Legally Blondes』、監督:サヴェージ・スティーブ・ホーランド。ベッキー・ロッソ、ミリー・ロッソ、クリストファー・カズンズ、リサ・ベインズ、ボビー・カンポ、エイミー・ヒル、ブリタニー・カラン、クロエ・ブリッジス、チャド・ブロスキー、クリストフ・サンダース、カーティス・アームストロング、クナル・シャーマ、ターニャ・チザム、テオ・オリバレス、ローズ・アブドゥー。2009、米MGM)。前二作で主人公だったエル・ウッズ(リース・ウィザースプーン)が法律家として成功したのち、空き家となったカリフォルニアの彼女の家にイギリスから親戚一家が越してくる、その一家の双子の娘がやはりブロンドで、エルと同じように自由(正義、と言ったほうがいいか)を求める行動や騒動を起こし、その中で問題解決に当たって成長していく−−という話で、エルについては話だけで本人がまったく出てこないという点で、同じシリーズ名ではあるが別物と考えたほうがよいと思う(リース・ウィザースプーンが主役を務める『Legally Blonde 3』も2022年に制作され欧米各国やカナダ、オーストラリア、南米では公開されているが、日本では未公開)。出てこないといえば、ブロンド双子(アニー=ミリー・ロッソ、イジー=ベッキー・ロッソ)のライバルのティファニー(ブリタニー・カラン)のIT長者の大富豪の父親が出てこないのも、ティファニーのバックグラウンドが曖昧に終わり残念。その辺を除けば、『キューティ・ブロンド』シリーズの第一作めをうまく焼き直した青春映画として、とても楽しめた。話はバカのように単純な勧善懲悪なのに、軽くあははと笑わせながら時を忘れて楽しませる制作術は大したものだと思う。ブロンド双子が奨学生仲間と地道に知恵を絞るとか、ブロンド双子の父親(クリストファー・カズンズ)の実に誠実そうな人物像とか、映画全体を彩る浮かれピンクから想像される展開とは異なった印象を与える塩梅は、なかなかよい感覚と思った→菊水堂ポテトチップス、カップ天ぷらそば、ビール中瓶×1、御酒×1→午前2時就寝。
4月2日(日) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→豆腐と油揚のおつけ、ご飯、たらこ、梅干し、海苔→TVK『浅草お茶の間寄席』、古今亭今輔をひさしぶりに聴き大いに楽しむ。ネタは「雑学刑事」→晩の支度(ピザを取ることにしたので、スープとサラダのみ)→風呂→『笑点』見ながら飲み始めたが、すぐに眠くなってしまいいったん離脱→一時間ほどで起きて『キューティ・ブロンド』(原題『Legally Blonde』、原作:アマンダ・ブラウン、監督:ロバート・ルケティック。アランナ・ウバック、ジェシカ・コーフィール、リース・ウィザースプーン、リサ・アーチ、マシュー・デイヴィス、シチ・ラウ、ナタリー・バリッシュ、ジェイムス・リード、テイン・マクルア、オズ・パーキンス、メレディス・スコット・リン、ケリー・ニクス、ホランド・テイラー、セルマ・ブレア、ルーク・ウィルソン、ジェニファー・クーリッジ、ブルース・トーマス、ヴィクター・ガーバー、ジョン・カペロス、アリ・ラーター、ラクウェル・ウェルチ、フランチェスカ・P・ロバーツ、リンダ・カーデリーニ、グレッグ・セラーノ。2001、米Metro-Goldwyn-Mayer)。三回め。前回(2021年6月)の際の感想は「あり得る/あり得ないのぎりぎりの線の話をぎりぎりあり得ると思わせる風な演出に感心した。主人公はかなり屈辱的な目に遭うのだが、話の流れの中ではそれほど重々しく感じさせない、という塩梅もよい。ほぼ説明はないが、それでも主人公の出自がほの見えてくる演出と芝居も素晴らしいし、ファッションがまた絶妙、褒めるところの多い作品だが、それを主張しないような軽さがまたよかった」。今回もほぼ同じだが、主人公エル・ウッズ(リース・ウィザースプーン)の、言いたいことはきちんと筋立てて主張するが、それが自分の感情にあまり影響しない、という人物造形が、「屈辱的な目に遭うのだが、話の流れの中ではそれほど重々しく感じさせない」というところにつながっているのではないかとも思った。あとリース・ウィザースプーンの芝居は浮かれブロンドの類型を演っているようでいて、けっこう細かい気持ちの変化などが伝わってくる。全体的に、話、場面、登場人物の感情の機微や変化などの設計がかなり緻密なのではないかと、今回は感じさせられた→チッチャロン・バラット、ラッサム風スープ(タマリンド・ベース、チャナダール、トゥールダール、新玉葱、ニンジン、トマト、ニンニク)、サラダ(キャベツ、新玉葱、トマト、薄焼き卵、パパド、オリーブ油、白ワインビネガー)、骨付きフライドチキン、チリガーリックポテト、ピザMサイズ(ニューオーリーンズBBQソース)1/2、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→夜9時前就寝→深夜起床→『キューティ・ブロンド』復習→『キューティ・ブロンド ハッピーMAX』(原題『Legally Blonde 2: Red, White & Blonde』、監督:チャールズ・ハーマン・ワームフェルド。リース・ウィザースプーン、ジェシカ・コーフィール、アラナ・ユーバック、ジェニファー・クーリッジ、ルーク・ウィルソン、ジャック・マッギー、スタンリー・アンダーソン、サム・パンケイク、オクタヴィア・スペンサー、ジェームズ・アーバニアク、ボブ・ニューハート、レジーナ・キング、メアリー・リン・ライスカブ、J・バートン、サリー・フィールド、ルース・ウイリアムソン、ダナ・アイヴィ、ブルース・マッギル。2003、米MGM)。二年ぶり二回め。前回の感想は「前作に比べるとあり得ないほうに傾いているという印象だし、かなりご都合主義的な展開だが、観ていて楽しいのは前作同様。こちらは批判的に観る隙も多かったが、とはいえ嫌いにはなれない。ファッションは主人公の地味な装いにも気が配られていて前作よりも力が入っているように思ったが、果たして」。特に新発見はなかったが、主に動物愛護法案の提出と成立について「かなりご都合主義的な展開」「批判的に観る隙も多かった」のに、観ている最中は(もちろん気づいてはいるものの)それがあまり気にならない制作術については、一作め同様感心した。エル(リース・ウィザースプーン)が挫折から次の一手を見つける展開については、一作めほどの驚きはなかったかな(法律事務所をクビになったらすぐに政策秘書、という展開は、ファッション好きの学生が法学部へ、よりも設定自体が鮮やかさに乏しいので、そう受け取るのは仕方あるまい)→骨付きフライドチキン、チリガーリックポテト、ピザMサイズ(マルゲリータ)2切れ、ラムコーク×4→午前4時頃就寝。
4月3日(月) 昼頃起床。白湯、マヌカハニー→豆腐と油揚のおつけ、卵かけご飯、海苔→ギター練習→カップきつねそば→風呂→『キューティ・ブロンド3』と『キューティ・ブロンド ハッピーMAX』。どちらかというと鑑賞ではなく酒肴のひとつとして→サラダ(キャベツ、アボカド、新玉葱、トマト)、焼き鳥4本(つくね、レバー、皮、軟骨、正肉)、ピザMサイズ(マルゲリータ)3切れ、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2、ラムソーダ割×2→夜10時頃就寝。
4月4日(火) 昼頃起床。白湯、マヌカハニー→ラッサム風スープ、目玉焼き、トースト(粉チーズ、オリーブ油)→特に何もせず、風呂→チッチャロン・バラット、釜揚げ花巻蕎麦(うずらの卵×3、葱)、ビール中瓶×1→夜は経堂〈天ん洋〉にて〈スタンド八九〉壮行会。ペーソスの島本慶の歌の余興があった以外は、いつもの面々で楽しく飲んだという趣。豚しゃぶサラダ、揚げ物(魚フライ、エビフライ、鶏唐揚げなど)、マグロかま焼き、刺身盛り合わせ(鯵、マグロなど)、酒はビールだけにした(が、途中で吐いた)→二次会にも参加。ここはほぼ記憶なし。記憶ないまま帰宅して就寝。
4月5日(水) 目が覚めたら案の定宿酔。老父の買い物代行は午後にさせてもらう→昼過ぎまで寝て、昨夜〈天ん洋〉から持ち帰ったおむすびひとつ食し、午後1時過ぎ出発。本日は〈サミット〉のみ。まだ全身に酒が残っている感じだったので慎重に運転したが、吐き気、咳、腹痛などでの運転はまあまあ辛かった。買い物代行は無事遂行→帰宅して冷やし月見蕎麦→午睡→午睡から起きてすぐに晩。サラダ(キャベツ、トマト、新玉葱)、〈天ん洋〉から持ち帰った魚フライ・エビフライ・鴨燻製、わかめと油揚のおつけ、ご飯、納豆→少し復活したので、深夜映画鑑賞。まずは『東京の女<新音声版>』(原作:エルンスト・シュワルツ『二十六時間』、監督:小津安二郎。江川宇礼雄、岡田嘉子、田中絹代、奈良真養。1933、松竹キネマ)。制作の背景としては「シナリオが完成する前に撮影を始め9日間で撮り上げた」そうだが(Wikipedia)、確かに初見時から即成感は感じていたように思う。特に姉(岡田嘉子)の裏の顔を知った弟(江川宇礼雄)が自殺するまでの間に、もういくつかの展開なり弟の行動の描写なりがあったほうが自殺≠ノ納得できたのではなかろうか。私が敢えて瑕疵≠ニ感じたのはその点くらいで、岡田嘉子の女の二面性の表現と江川宇礼雄と田中絹代の裏表のないまっすぐな人間の表現の対比や、今観てもモダンな感覚を感じさせられる絵造りなど、今なお見るべき点の多い作品とは思う。<新音声版>ということで、風吹ジュンと佐野史郎による台詞とト書き音声に加え(ト書き音声は思い違いかもしれない)、音楽も追加されていたが、これはちゃんとした弁士と楽士を起用したほうがよかった。台詞は棒読みで場面場面での感情が伝わって来ず、音楽にいたってはエリック・サティ『ジムノペディ一番』の誤用≠セけが印象に残った。『ジムノペディ』は姉弟の場面で使われるのだが、曲の発想から言っても曲調から言っても、またこの曲の世の中での聴かれ方から言っても誤用≠ニ言って差し支えないと思うが、果たして(2023/4/13追記:「姉の裏の顔」と「弟が自殺」の背景には、当時の共産主義運動とその弾圧があったようだ。またそれを知らなくても、自分が死ぬことで姉が楽になる=夜の仕事をしなくてもよくなる、という弟の心情を感じ取ることもできよう。上記の「瑕疵」については、どうも<新音声版>に気に入らない部分を感じたことで、感情的になにか批判をしたくなったということのように思われる。恥ずかしいことだが、一応追記しておくとともに、感想の訂正とする)→『その夜の妻<新音声版>』(原作:オスカー・シスゴール『九時から九時まで』、監督:小津安二郎。笠智衆、岡田時彦、斎藤達雄、八雲恵美子、市村美津子、山本冬郷。1930、松竹キネマ)。役者の役作り、カット割り、冒頭のビル街から強盗犯(岡田時彦)の暮らす部屋に至るまでの美術と絵造り等々、すべてに渡って小津のモダニズムを堪能できる作品と思う(これが1930年の作品というから恐れ入る)。強盗犯の妻(八雲恵美子)と刑事(山本冬郷)の逆転に次ぐ逆転の場面はやや冗長に感じたが、その冗長なやり取りののち逃げたと思った強盗犯が戻ってくるところの格好のよさには、思わずよっと声をかけたくなる。物語の流れとしては、強盗犯は部屋の感じから美術家(グラフィック・デザイナー?)らしいので、その職業では生活が辛い、という背景を少しだけでも描いて欲しかったかな。これまた<新音声版>だが、音楽の用い方も効果音の当て方も、そして竹下景子と寺田農の喋りも納得できるものだった。『東京の女』と何が違うのだろう。『東京の女』の『ジムノペディ』の明らかな誤用≠ヘ別にして、何が違うのか、再確認しておきたい→勢い余って当代中村勘九郎の『浮かれ心中』(2022年7月・大阪松竹座)の録画も見る。中村勘三郎のは生でも録画でも大いに楽しんだので、期待したりしなかったりの鑑賞であったが、さすがに勘三郎のときのなにか特別な感じは弱かったが、十分過ぎるほど楽しめた。今後も定期的に興行して、当代勘九郎なりの『浮かれ心中』を作り上げていってもらいたいし、いつか舞台で拝見できるのを楽しみに待ちたい→塩煎餅、御酒×2→午前4時就寝。
4月6日(木) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→わかめと油揚のおつけ、ご飯、佃煮(松茸昆布、木の芽)→三月末からの坐骨神経痛の症状悪化、昨日は朝晩とも椎間板ヘルニア用のクスリ(痛み止め、神経の炎症抑制など)を飲んだが、著しい改善はなく、今朝もまた服用→風呂→昼過ぎ下北沢に出て、劇団S.W.A.T!第64回公演〜楽屋シリーズ エピソードX〜『楽屋の逆襲』を見物(於下北沢〈「劇」小劇場〉)。

冒頭、「帝国のマーチ」がかかり、どんな始まり方をするのかなと思ったら、ほんとうにダース・ベイダーのようなキャラクターが出てきてまず笑う(ベタなギャグの力を思い知る)。

コロナ禍をモチーフやメタファーとして採用した芝居は何本か見たが、コロナ禍が日常となった日々のことをほぼ現実に近い形で物語の土台にしたものは初めて(ロシアのウクライナ侵攻を話題に組み込んだことについては、芝居の背景となる時期の世相を明確にする、という以上の効果がわからなかったが、果たして)。

本番直前に公演が中止になるというのも生々しいくらいに現実味があるが、そこにいくつもの(いろんな種類の)笑いを重ねていく作り方は、コロナ禍の苦労(今でも続いているが)を想起させつつ、コロナ禍にも日常≠ェあったのだなと、少し安心するような気持ちにもさせられる。

そして、自分たちは無力だか出来ることをやり続けていく、という終幕に向かう流れには感動し、目頭が熱くなった。

冒頭同様、ベタな笑いの扱い方が巧み(わかっていてもテンポや間で笑わされてしまう)なのも、いつも通り楽しませてもらった。座長・四大海と清水浩智のグダグダ(のように演出された)掛け合いがあまりなかった?のはその部分の愛好者としては残念だが、四大海のマイクスタンドを使ったコント?は相変わらず最高だった。

演技について論評できるほどの素養はないが、どの役者にも今までの作品以上に円熟味のようなものを感じたのは実感なので、記しておく(次回作以降への期待も込めて)。

物語の組み立てとしては、迷い犬の捜索と陣中見舞いの漫才コンビのくだりに、なんとはなしの違和感を感じた(意図はわかったつもりではいるが、違うやり方もあったのではと思ったのは全体の中でそれらの部分のみだった)。もっともこれは私の理解の問題ではあろうが、一応観劇直後の感想として、これも記しておく→涼さんにご挨拶ののち、(新雪園)に移動し遅い昼。アサリの老酒漬、熗豚耳環(豚耳の辛タレ入り冷菜)、翠玉牛肉(チンゲンサイと牛肉炒め)、炒麺(五目焼きそば)、ビール中瓶×1.5(新雪園)→千歳船橋で降りて、〈秀〉〈オオゼキ〉〈肉の大丸〉で買い物して帰宅→午睡→O形具合悪くなる(花粉症の症状かと思っていたら風邪っぽいし熱も出てきているという)。とりあえず私はうがいして、夜は別々に寝ることにする→『道頓堀川』(原作:宮本輝、監督:深作欣二。真田広之、松坂慶子、佐藤浩市、山ア努、片桐竜次、渡瀬恒彦、カルーセル麻紀、横山リエ、古館ゆき、柄本明、名古屋章、安部徹、成瀬正、加島潤、加賀まりこ、大滝秀治、紗貴めぐみ、浜村純、坂内真基、岡本麗。1982、松竹)。映画冒頭の場面の松坂慶子には、もうこりゃ惚れるという魅力を感じた。その松坂慶子も、途中から実はいい人だとわかる加賀まりこも、素っ裸で踊る古館ゆきも、女優はそれぞれ魅力的ながら、それほど強い印象は放たない。物語の中心は共にハスラーである(父は過去形だが)父と息子(山ア努と佐藤浩市)であって、そこに苦画学生である真田広之と松坂慶子の(ある意味道ならぬ)恋がからんでくるという構成と思うが、なんだかもう、物語の構成よりもひとつひとつの総話に泣かされたり心動かされたりという感じであった(たとえば松坂慶子が真田広之に言う「うち、邦ちゃんと一緒に暮らしたい(略)あかんか?」という、なんとはない台詞など)。石川淳がいうところの「低空飛行」で紡いだ映像物語と考えると傑作ではないかと思った。本日初見というのが恥ずかしいくらい。あと冒頭に登場する犬の存在が効いているのと、真田広之が一応アクションを見せるのが可笑しい、という点が印象に残った→肉の大丸製焼豚二枚、塩煎餅、トマト(粉チーズ)、うずらの卵の目玉焼き(卵×5)、刻みキャベツ(胡麻油、酢)、焼き海苔、納豆そば(生卵)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→小津『出来ごころ』途中まで観てから就寝。午前4時頃。
4月7日(金) 朝9時起床。蕎麦湯、マヌカハニー→わかめと油揚のおつけ、卵かけご飯、海苔→B電子からの依頼原稿、旧機種をほぼそのまま流用できたので差分のみ書き換えたのち、一応ご提案として製品の特長がすぐにわかるような形に少し書き換え、提出。午前中に完了→『出来ごころ<新音声版>』(原作:ジェームス・槇(小津安二郎)、監督:小津安二郎。坂本武、突貫小僧、大日方伝、谷麗光、伏見信子、飯田蝶子、山田長政、西村青児、加藤清一。1933、松竹キネマ)。「喜八もの」と呼ばれる作品群の第一作。坂本武と突貫小僧(青木富夫)がどちらもとてもいい顔、いい表情で、話の組み立てと合わせて落語の呼吸を感じ、見る落語といった趣も感じた。突貫小僧の泣きっぷりも見事。日本の東京の下町の風景をそのままカメラに収めたようでいながら、小津一流のモダニズムも感じるし、坂本武が北海道行きの船からやっぱり東京に帰ると海に飛び込み丘を目指す終幕など、海岸沿いにポプラ並木が見える所為か、洋画のような趣も感じさせられる。これまた<新音声版>で、台詞とト書きの音声は倍賞千恵子と寺田農が担当、落ち着いているし各登場人物の感情も伝わってくる、見事な話藝だった。音楽も「ユーモレスク」以外は知らない曲だったが、いずれも場面ごとの空気や意味や感情をよく伝える選曲や音量だったと思う→即席ラーメン(焼豚×2、白髪葱、おろしニンニク)→B電子原稿OK。忘れないうちに伝票送る→晩の支度。本日はポークカレー一点のみにしたので、ソフリット入れたりポレンタでとろみをつけたり、いろいろしてみる。メインは豚こま500g一挙投入。あと付け合わせとして新生姜の甘酢漬けを作ってみた→風呂→チッチャロン・バラット、ポークカレーライス新生姜甘酢漬け添え、ビール中瓶×1、ホッピー×1→『緋牡丹博徒 花札勝負』の途中で眠くなり就寝。夜11時頃。
4月8日(土) 午前3時起床→『緋牡丹博徒 花札勝負』(監督:加藤泰。藤純子、古城門昌美、沢淑子、山本麟一、南利明、嵐寛寿郎、小池朝雄、天津敏、関山耕司、内田朝雄、柴田美保子、石山律、高倉健、若山富三郎、丸平峰子、藤山寛美、清川虹子、汐路章、待田京介。1969、東映)。改めて、シリーズ全八作(および『シルクハットの大親分』シリーズ二作)の中でも、出色の出来だなあと思った(他の作品も再見したらまた感想が改まるかもしれないが)。すべての場面が一枚絵として成り立つような美しさを保ちつつ、花岡彰吾(高倉健)が若いふたり(杉山次郎=石山律と金原八重子=柴田美保子)を見逃すところ、藤純子の最初の立ち回り(50分くらいから)、熊虎(若山富三郎)の鮮やかな立ち回り(58分くらいから)、そして終幕に向かう高倉健対嵐寛寿郎と秀上手くの大立ち回りといった見どころをつないでいく構成の妙も見事と思う。出来のよい歌舞伎をずいぶん参考にしたのだなあと、勝手な推量をしたくなる。当時で言えば主役たちよりも大スターである若山富三郎や清川虹子をそんなにたくさん出さずに、しかしぐっと物語と画面を締めるように効果的に見せている点も心憎い→『浜の朝日の嘘つきどもと』(監督:タナダユキ。高畑充希、柳家喬太郎、甲本雅裕、大久保佳代子、佐野弘樹、六平直政、吉行和子、神尾佑、大和田伸也、光石研、竹原ピストル。2021、ポニーキャニオン)。福島・南相馬に実在する1923年(大正12年)開館の映画館〈朝日座〉(開館当初は〈旭座〉。1952年に改称)を存続させるための町の人々含む様々な人々の奮闘を描いた物語。本作とそれに先立つ同名のTVドラマでは〈朝日座〉が常設館として再生しているが、実際の〈朝日座〉は1991年に閉館、その後地元有志により2008年に「朝日座を楽しむ会」が発足。以来、不定期で上映イベントなどを行っている。本作に先立つTVドラマが作られ、そこでは再生した〈朝日座〉に生きる希望を失ったひとりの映画監督(竹原ピストル)が訪ねるところから話が始まり、まだ東日本大震災からの復興途上でもあるのに2019年の東日本台風やコロナ禍に見舞われる中、〈朝日座〉に集う人たちに励まされて再生に向かう、という内容だそうだが(未見)、本作はその前日譚−−つまり〈朝日座〉が再生するまでの物語に当たる。館主(柳家喬太郎)が閉館を決意し所蔵するフィルムを燃やし始めたところに、過去にこの映画館を訪ねたことがある高校教師(大久保佳代子)に再生を頼まれたひとりの若い女性(高畑充希)がやってきて再生に奮闘する、という次第だが、(TVドラマ版を知らないと)物語の発端の筋立てに無理があるなあと思いつつ観ているうちに、各役者の演技力や魅力(どちらかと言えば「魅力」のほうが優っているか)もあってか、次第に引き込まれていく。画面もそれほど魅力的な趣ではないのに、何か映画的魔術が発揮されているのかもしれない。ただし六平直政、吉行和子、大和田伸也、竹原ピストルについては、ドラマ版を知らないとそれぞれの背景がわからず、説明不足かなとは思う。あと〈朝日座〉取り壊し〜スーパー銭湯を開業、という流れの中で、スーパー銭湯の中に映画館を入れるという選択肢がなかった点についても説明不足を感じた。東日本大震災を背景にして、東北地方(に特有なのか、日本全体がそうなのかは直ちに断言できないが)の閉鎖性についてかなり突っ込んで表現している点も面白い(が、実際に福島にお住まいの方々にはどのように映ったのだろうか)。まったく知らなかったので、意外な拾い物だった。なお映画館を舞台にした映画だけに、古い映画がいろいろ引用されるが、登場順に並べると右のとおり。D・W・グリフィス『東への道』(1920)、増村保造 『青空娘』(1957)、北野武 『キッズ・リターン』(1996。台詞の引用のみ)、瀬川昌治 『喜劇 女の泣きどころ』(1975)、バスター・キートン『文化生活一週間/キートンのマイホーム』(1920)、ジャコ・ヴァン・ドルマル『トト・ザ・ヒーロー』(1991。題名のみ引用)、杉作J太郎『怪奇!!幽霊スナック殴り込み!』(2005。題名のみ引用)、ホアン・シー『台北暮色』(2017)。『台北暮色』は、高校中退〜卒業資格取得を経て大学卒業後の浜野あさひ(高畑充希)が映画配給会社に入社後初めて買い付けた映画、という設定になっていた→ポークカレーライス新生姜甘酢漬け添え、ホッピー×2→朝8時頃就寝→午前11時起床→即席ラーメン1/2(葱、ニンニク、生姜、焼豚、うずらの卵×1)→『ニンゲン合格』(監督:黒沢清。豊原功補、留美、冬音ゆかり、橋本沙紀子、西島秀俊、大杉漣、役所広司、洞口依子、戸田昌宏、山村美智子、菅田俊、諏訪太朗、バター犬たろう、アル北郷、ガンビーノ小林、哀川翔、麻生久美子、りりィ、大鷹明良、鈴木ヒロミツ、井上肇、岡村洋一。1999、松竹)。主人公(西島秀俊)が事故で十年間昏睡している間に一家は離散、そして主人公は十年ぶりに目を覚まして自分の道を見つけつつあったのに、終幕ではあっけなく死んでしまう。しかし不思議と明るさや救いも感じさせられる。主人公への交通事故加害者(大杉漣)が自分の心を守るために理不尽な破壊行動に出て、それが主人公のもうひとつの覚醒を呼び覚ますという展開も、理不尽は理不尽として、主人公が人生をきちんと終わらせられるようになるひとつのきっかけと考えると、なんだか納得させられた(その辺、『ドニー・ダーコ』を少し思い出した)。抑揚のまったくない時間が続いていると思えばとつぜん爆発するその間合いや、場面によっては人物の顔をはっきり映さない(主人公の父親役の菅田俊など最後まで顔がはっきりわからない)手法が印象に残る。主人公の葬儀でようやく離散した家族が一堂に会するが、その場面は決して登場人物に寄らずあくまでも俯瞰で撮り続けるというのは、皮肉を効かせているのかなと思ったが、果たして→トースト(オリーブ油、塩、粉チーズ)、ビール中瓶×1→風呂→晩の支度→キャベツの甘酢漬け、トマト(粉チーズ、オリーブ油、バルサミコ酢)、ポークカレーライス、ターメリックライス(新玉葱、ニンニク、白ワインビネガー、バター)、ぶなしめじのおつけ、ビール中瓶×1。ターメリックライスはほんとうはレモンを使いたかったが、白ワインビネガーでもまあまあ。もう少し酸味を効かせたいかな。あと粉チーズとオリーブ油とバルサミコ酢で和えたトマトは、カレーに混ぜるのになかなかよい副菜だった→O形より洗面所の排水管が詰まったようだというので見てみる。洗面所の下の排水管が割と簡単に外れるようなので、洗面所に溜まった水はひとまず排水管の接続部を緩めて排水。それから洗浄剤(パイプユニッシュ)を投入して様子を見るが改善せず。明日詳しく見てみることにする→『小原庄助さん』(監督:清水宏。大河内傳次郎、風見章子、飯田蝶子、清川虹子、田中春男、清川莊司、杉寛、宮川玲子、鮎川浩、日守新一、川部守一、坪井哲、今清水基二、高村洋三。1949、東宝)。家柄というもののバカバカしさを冷徹に眺めながら、家柄を持つからこそ与えられるものをすべて、静かに周囲に与えながら、家柄というものを滅ぼしていく、小原庄助こと杉本左平太(大河内傳次郎)の静かで弱々しい革命の軌跡を描いた映画、と捉え、その点に深く感動した。杉本左平太は決してただの怠け者ではなく、学問もあれば柔道も身につけている(柔道については、とつぜん受身を子供たちに見せる場面でも十分と思ったが、終幕近くで押し入るコソ泥たちに対する技の見事なことといったら)。大した人物であることは間違いないが、変わりゆく世の中に於いて自分が無力であることを悟り、自分の生活を静かに革命する。そのあくまでも周囲に逆らわず静かな様子に、却って底知れない凄みを感じる。すべてを失って(いや捨てて)歩き出す小原庄助のもとに、兄に連れ去れらたはずの妻が戻り、「小原庄助さん」「始」で終わるところも憎い。これは紛れもない傑作だと思う。マーガレット中田(清川虹子)の存在は本作の中で浮いていたように思うが、後半の選挙のくだりでの村の文化<Aピールへの伏線か。あと変なかつ無意味な比較になるかもしれないが、この主人公を森繁久弥が演っていたと思うと(年齢的に本作の制作年での登用は微妙だが)、大河内傳次郎のすごさをより実感できると思った→『卒業』(原題『The Graduate』、原作:チャールズ・ウェッブ、監督:マイク・ニコルズ。ダスティン・ホフマン、ウィリアム・ダニエルズ、エリザベス・ウィルソン、ウォルター・ブルック、アン・バンクロフト、マーレイ・ハミルトン、キャサリン・ロス、ブライアン・エイヴリー。1967、米Embassy Pictures)。人妻と肉体関係を持った挙句にその娘と恋に落ちるというのは、1967年当時としてもスキャンダラスだったのかな? と、今観ると思うが(子供の頃に観た際はもちろん驚いたし妙な刺激を受けたが)、まあ、主人公の心理描写も含めた映画的技巧の斬新さと合わせて、当時の受け手には刺さったのだろう。成り上がり者で過干渉の両親や既存の道徳観から逃れることを、主人公の大学卒業とかけて『The Graduate』(直訳すれば「卒業生」か)という題にしたと思うと陳腐な気がするが、これもまた当時はどうだったかがわからないとなんとも言えない。一箇所、呼吸音がずっと続く場面で(どの場面かは忘れてしまった)その呼吸音が「アーメン、アーメン」と聴こえたのだが、あれは意図的なのだろうか→鮭中骨缶詰、ポークカレー、ホッピー×1(中×5)→夜0時頃就寝。
4月9日(日) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー→居間の床で寝るのも慣れたが、おそらくこれでいったん終わりだろう→洗濯→ぶなしめじのおつけ、オムカレーライス→O形がほぼ復調したので、ベッドのシーツを替えてもらい、少し仮眠→少しと思ったが午後4時起床→洗面所下の排水管の外れる部分を外してみたが、詰まりの原因はそこではなくその先。その先は素人には手に負えなさそうなので、明日光リビングを呼んでみることにする→晩はピザを取ることにして、野菜の副菜のみ製作→深作欣二『上海バンスキング』を酒肴のひとつに、チッチャロン・ブラット、トマトと新玉葱のサラダ(粉チーズ、バルサミコ酢)、ニンジン洋風煮物(チキンコンソメ、つぶしニンニク)、骨付きフライドチキン、チリガーリックポテト、ピザMサイズ二種(アメリカン+ピーマンとコーン、シーフード・スペシャル(トマトソース))1/2ずつ、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→途中で赤葡萄酒のグラスを倒し憮然。着ていたものなどすぐに洗濯→味噌仕込みの準備(樽を洗浄して大豆を水に浸ける)→夜11時頃就寝。
4月10日(月) 午前1時起床。ひさびさに寝床で寝て熟睡したのか、早くに目が覚めてしまった→『学生ロマンス 若き日<新音声版>』(原作:伏見晁、監督:小津安二郎。小藤田正一、結城一郎、松井潤子、高松栄子、斎藤達雄、小倉繁、坂本武、大国一郎、山田房生、笠智衆、日守新一、飯田蝶子。1929、松竹キネマ)。ぐうたら学生の生態をユーモラスに描いてたドタバタ喜劇だが(ハロルド・ロイドの影響が窺える、らしい)、登場人物がみな明るくて屈託がなく魅力的。主人公のひとり渡辺(結城一郎)も、図々しくてひどいやつだが何か憎めない魅力を発している。ペンキ塗りたてから落ちた手袋、そして顔に手の痕が残るといったギャグの応酬も、今となってはベタだがしかし今見ても面白い。当時の日本の下宿や宿屋が舞台のひとつだが、小道具に舶来物を多く配すること(フランク・ボーゼージ『第七天国』のポスターやペナント類、主人公ふたりが着ているセーターのメッセージ「SMACK FRONT ONLY」や逆さRのデザインはじめ衣装デザインも含む)や演出、絵造りで、やはり小津モダニズムを十分に味わわせてくれる。<新音声版>ということで、竹下景子と佐野史郎が声(台詞、ト書き)を担当しているが、佐野史郎の声ののんびりした感じは作品に合っているものの、やはり坂本頼光などの弁士の説明で観たいと思ってしまう。音楽の付け方が控えめなのはよいが、『私の青空』やフォスター『スワニー川』などの名曲メドレーなどは、よく知られている曲だけにいろいろ余分な情報が頭に浮かび、いささか鑑賞の邪魔であった→塩煎餅、金宮お湯割り×3→午前4時就寝→朝9時起床。白湯、マヌカハニー→ぶなしめじのおつけ、ご飯、温泉卵、佃煮(松茸昆布、木の芽)、海苔→どうも風邪を引いたようで鼻の裏側が痛むので、食後就寝→昼過ぎ起床→うどん(焼豚、葱、生姜)→昨夜味噌仕込み用の豆を水に浸けてから寝たのだが、風邪のため作業が億劫なので、O形に頼む。すまない→午後も少し寝て、小腹が空いたのでピザ4切れ(アメリカン+ピーマンとコーン、シーフード・スペシャル)、梅おむすび二ケ、ビール中瓶×1→また寝る→右脚ふくらはぎの痛みで目が覚め、この上坐骨神経痛も悪化かと思ったら、脚がすこし攣っただけだった→さくらインターネットへの誤送金が発覚したのだが(aokiosamu.jpドメインの使使用料を誤って2回支払っていた)、過剰支払い分はサーバー使用料に充当と決まり、過剰支払い分での不足分を送金して解決→深夜なかなか寝付けず、ホワイトシチュー(鮭)×3、ビール中瓶×1→そのうち就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記