2023年05月10日

5月まとめ(1〜10日)


八王子〈時谷堂百貨〉、The Questions(70〜80年代のアイルランド出身のバンド)、トム・ダルトン原作のTVドラマ(英Channel 5)『アガサと殺人の真相』『アガサとイシュタルの呪い』『アガサと深夜の殺人者』、ひさしぶりの〈Jazz Keirin〉、ミカ・カウリスマキ『世界で一番しあわせな食堂』、小沢茂弘『五人のあばれ者』(片岡千恵蔵)、森一生『おけさ唄えば』(市川雷蔵、橋幸夫)。

5月1日(月) 朝9時起床。白湯→カレーライス、温泉卵→洗濯(昨夜替えた寝間着に洗剤の芳香剤のにおいが残っていたため)→午睡→老父から預かった通帳記帳に出たついで、〈ミスターミニット〉が時計修理を受け付けているというのをネットで知ったので下北沢の店を訪ねてみたが、当てハズレ。電池交換はしてくれるが液漏れ修理には不対応とのこと。小腹も空いていなかったので、なにもせずに帰る→帰宅して調べたらセイコーの時計の修理を受け付けてくれる店はいくつか見つかった(〈フジ時計サービス〉が受けてくれると思い込んでいたので、「セイコー 修理」で検索していなかったのが不覚)。ひとまず目安の料金を父に連絡する→映画『オールウェイズ』(スティーヴン・スピルバーグ監督、リチャード・ドレイファス主演、オードリー・ヘップバーン出演)を途中まで→菊水堂ポテトチップス、キャベツとピーマンとトマトのサラダ、とんかつ、うずらの卵漬け(ウスターソース、ソフリット、赤唐辛子粉末)、荻窪ラーメン(焼豚、もやし、葱)、ビール中瓶×1、ホッピー×1→午睡→『オールウェイズ』(原題『Always』、監督:スティーヴン・スピルバーグ。ジョン・グッドマン、リチャード・ドレイファス、エド・ヴァン・ナイズ、ホリー・ハンター、ブラッド・ジョンソン、オードリー・ヘップバーン、マーグ・ヘルゲンバーガー、ロバーツ・ブロッサム、ダグラス・マクグラス、キース・デイヴィッド。1989、米United Artists)。敢えて艶や華を抑えたように見えるのは、オードリー・ヘップバーン(これが最後の映画出演となった)を際立たせるためかな、と邪推したくなる映画だった。しかし抑えるにしても抑え過ぎで、最終盤でドリンダ(ホリー・ハンター)があんな無茶をしたら普通はすぐにお叱りを受けて始末書ものだよなとか、ピート(リチャード・ドレイファス)がせっかく去る決意をしたのだから終幕でドリンダとテッド(ブラッド・ジョンソン)が抱き合うくらいしないと物足りないとか、粗ばかりに目が行ってしまった→ペヤングカップ焼きそば、ホッピー×2→風呂→午前2時就寝。
5月2日(火) 朝7時起床。白湯→胡麻玉そば→老父買い物代行(サミット)。5月の予定の調整など→〈川松〉にて予約しておいた鰻重を受け取り、O形実家へ。お義母さんもお元気そうでなにより→帰途、かねてから気になっていた八王子の帽子店〈時谷堂百貨〉へ。道順は心配していたより簡単で、次回は気軽に行けそうだが、距離はやはりちょいとある。といっても基本的に甲州街道真っ直ぐだし家からだと一時間半くらいの様子なので、半日くらいのつもりで出かけるか、村山うどんなどと組み合わせて一日見るか、という感じか。店内は思ったよりも広くはなかったが、頭がいくつあっても足りないと思わせられる品揃えで、選ぶのもなかなか迷う。夏のパナマの新調も考えたが、春先から秋口まで気軽に被れるもののほうがいいかなと思い、ぱっと目について値段も手頃な英国FAILSWORTHの(ただし製造は中国)ペーパーストロー製のハットを購入。店員ふたりに接客してもらったが、親切だし気さくだし、遠いけどまた訪れたいと思った→帰途は甲州街道を仙川二丁目を都道118号に右折して、桐朋学園や祖師谷公園の脇を抜けて希望丘方面へ。都道118号は祖師谷公園と駒澤大学野球部グラウンドの辺りから新しい道(東京都市計画道路幹線街路補助線街路第54号線)になっていてちょいと戸惑ったが、榎の交差点で右折せず直進で環八の千歳台交差点に向かえるようになっていた→〈サミット〉に寄って買い物→帰宅後すぐ飲酒開始。NHK BSプレミアムの『MUST BE UKTV』の最近の録画を見ていたら、The Questionsというバンドがまったく知らなかったがよかった。映画『シングストリート』に出てくる子供たちのバンドのようで、曲は当時流行りの曲調に影響受けまくりながら、心の底から楽しそうだし、コーラスの女性の踊りがなにより素敵。意外な収穫だった。一応調べてみると、「1970年代後半から1980年代初頭にかけて活動したスコットランドのポップバンド」とのことで、「在学中にレコード・デビューを果たしたが、1980年6月に学校を卒業後ポール・ウェラーの目に留まり、ザ・ジャムのライブのオープニング・アクトを務めたのち、ポール・ウェラーが主宰していたRespond Recordsと契約。その後アルバムを一枚リリースしたがあまり売れず、1984年に最後のコンサートを行い解散」とのこと。ちなみにそのアルバム『Belief』は、20年後に日本のトラットリア・レコードからCDとして最初されたそうだ(以上英語版Wkipedia情報)。本日胸を射抜かれた女性コーラスは、Maureen Barryという人の模様だが、詳細は不明→菊水堂ポテトチップス、キャベツとピーマンとトマトのサラダ、昼の鰻重の残り、焼豚、なめこ汁(油揚)、カツ丼小、ビール中瓶換算×2→食後即就寝→日付変わる前に起床し風呂→『乾いた花』(原作:石原慎太郎、監督:篠田正浩。三上真一郎、池部良、加賀まりこ、原知佐子、東野英治郎、宮口精二、杉浦直樹、佐々木功、平田未喜三、藤木孝、竹脇無我、山茶花究。1964、松竹)。前回(2021年3月)の感想「観終えてから深読みした解説などを読むとああなるほどと思うが、観ている最中は形だけヌーヴェル・ヴァーグなどと思ってしまい、少しもピンと来なかった。印象に残ったのは加賀まりこの不思議な美しさだけか。とはいえ、深読みしたくもならなかったのは、自分の問題ではある」。今回もやはり、松竹ヌーヴェルヴァーグっぽいような斬新な映画表現≠意識し過ぎ、という印象を得た。しかしその割には、時間経過を示すワイプを普通に使っていたりする。まあ映像としてはカッコいいなとは思うし、今回は池部良の存在感もなかなかと思ったが、私には今ひとつガツンと来ない映画ではある。何かを見逃しているのかと思うと悔しい。武満徹と高橋悠治が手がけた音楽が素晴らしく、音楽を堪能するという意味でまた観てもいいかな→チッチャロン・バラット、焼豚、ビールロング缶×1、御酒×3→朝5時就寝。
5月3日(水) 昼過ぎ起床→なめこ汁(油揚)、卵かけご飯、海苔→軽い宿酔。終日なにもせず→夕方午睡→晩は抜こうかと思ったが、午睡の間に空腹を覚えたのでいただくことにする。揚げ物(レンコン、ニンジン、新じゃが、煮干し出汁殻)、穴子缶詰、トマトとピーマンと新生姜のサラダ、なめこ汁(油揚)、豆茶飯、ビールロング缶×1→東後の7月のイベント(CON TON TON VIVO)のチラシのデザイン案作成。どうも間延びしたデザインになってしまうが、ぎりぎりまとまった感じにはなった→『アガサと殺人の真相』(原題『Agatha and the Truth of Murder』、監督:テリー・ローン。スタチャ・ヒックス、ジョシュ・シルヴァー、マイケル・マケルハットン、ルース・ブラッドリー、リアム・マクマホン、クレア・マクマホン、ピッパ・ヘイウッド、ブライアン・マッカーディー、アメリア・デル、リチャード・ダブルデイ、デレック・ハリガン、ティム・マッキナリー、ルーク・ピア、ディーン・アンドリューズ、ブレイク・ハリソン、サマンサ・スパイロ、ベベ・ケイヴ、ラルフ・アイネソン、シェイマス・オハラ。2018、英Channel 5)。アガサ・クリスティが1926年12月3日から11日間行方不明になったというのはほんとうの話とのことだが、その詳細は自伝に於いても不明。その11日間に何があったかを想像力で補い、アガサ・クリスティ本人が殺人事件に遭遇しその謎を解いた、という設定で物語が進む。アガサ・クリスティの作家として、あるいはひとりの女性としての葛藤も、事件解決への流れの中でいい塩梅で描かれていて、大作というわけではないが深い好感を感じさせられる。8人6組の容疑者それぞれに次々とスポットが当たっていってはひっくり返される中盤以降の展開や、正体を隠して事件解決に当たっていたアガサ・クリスティの正体が意外なタイミングでバレてしまう話の運びも面白かった→金宮酎ハイ×2→朝方5時頃就寝。
5月4日(木) 朝10時過ぎ起床。白湯→葱入り炒り卵、酢昆布、なめこ汁、豆茶飯→今日も『MUST BE UKTV』。本日はアズテック・カメラとザ・ポーグスが面白かった。ザ・スミスやその他同様の抑揚に乏しい構成の曲を演るバンドは、今となっては軒並み退屈してしまう。耳が肥えたのか歳をとったのか→『アガサとイシュタルの呪い』(原題『Agatha and the Curse of Ishtar』、監督:サム・イエーツ。ジョナ・ハウアー=キング、ジェームス・スタッドン、リンゼイ・マーシャル、ダニエル・ゴスリング、ジャック・ディーム、キャサリン・キングスリー、コル・ファレル、マーク・ランバート、ウォレス・ハモンド、ワリード・エルガディ、ブロナー・ウォー、ワジ・アリ、ロリー・フレック・バーンズ、クリスタル・クラーク、スタンリー・タウンゼント。2019、英Channel 5)。前作の舞台から4年後、40歳になったアガサ・クリスティが旅先のイラク(この中東旅行もほんとうの話とのこと)で遭遇した殺人事件の謎を、前作に引き続き解き明かすという物語。4年後にしてはアガサ・クリスティが老け過ぎ?という気がしないでもないが(前作のアガサ役ルース・ブラッドリーは制作時32歳、本作のアガサ役リンゼイ・マーシャルは制作時41歳)、まあそういう細かいことはどうでもいいか。ひとりの考古学者(ということでいいのかな?)が殺害されたことからアガサ・クリスティが推理に乗り出すが、殺人の裏にある事件とその意外な犯人(たち)が浮かび上がってくる様は、地味ながら見応えがあった。そこに離婚直後のアガサ・クリスティの新たな人生への歩み出しも絡んできて、これまた謎解きの緊張感となんだかふわふわと楽しい味わいが同居したドラマであった。ちなみに前作も本作も、アガサ・クリスティは(本人も会社も)物語作りには関わっておらず、トム・ダルトンという人のオリジナルのようだが、この書き手の詳細についてはヨークシャーを拠点に活動する夫婦による映像・映画制作チームらしい→カレーもやしそば(即席ラーメン、焼豚、胡麻、もやし炒め−もやし、ピーマン、ニンニク、生姜、クミンシード、ガラムマサラ、パプリカ−、新生姜、白胡麻)→風呂→『アガサと深夜の殺人者』(原題『Agatha and the Midnight Murders』、監督:ジョー・スティーヴンソン。ブレイク・ハリソン、ヘレン・バクセンデイル、モーガン・ワトキンス、エリザベス・タン、トーマス・チャンヒン、スコット・チャンバース、ジーナ・ブラムヒル、ジャクリーン・ボーツウェイン、ジョディ・マクニー、アリスター・ペトリ、ヴァネッサ・グラス、ダニエル・カルタジローン。2020、英Channel 5)。悪くはない、というか、かなりよくできたミステリー・ドラマではあるが、この調子でこのシリーズを続けられても観る気はあまり起きないし、かといってこれを最終作として三部作となるのにもなんだか抵抗を感じる。舞台がほぼ地下室なのでなんだかスケールが小さい気がする、というバカのような理由の所為も少しあるが、アガサ(ヘレン・バクセンデイル)以外の登場人物の背景が前二作と比べて見えにくいという所為もあるような気がする。なかなか難しいものと思う→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、昨夜の残り物、チーズ、わかめ酢、わかめと油揚のおつけ、鶏ささみ粥、納豆、ビール中瓶×1、ホッピー×1→午前1時頃就寝。
5月5日(金) 朝8時半起床→わかめと油揚のおつけ、粥、納豆→『キング・オブ・コメディ』(原題『The King of Comedy』、監督:マーティン・スコセッシ。エド・ハーリヒー、ジェリー・ルイス、ルー・ブラウン、サンドラ・バーンハード、ロバート・デ・ニーロ、リチャード・バラッツ、ダイアン・アボット、マーゴ・ウィンクラー、シェリー・ハック、ジョージ・キャップ、ロブ=ジャメール・ウェス、キム・チャン、ジューン・プルドム、フレデリック・デ・コルドヴァ、トーマス・M・トラン、リチャード・ディガルディ、チャールズ・スコセッシ、マーディック・マーティン。1983、米Twentieth Century Fox)。何度観てもルパート(ロバート・デ・ニーロ)とマーシャ(サンドラ・バーンハード)の狂い方が最高で、また前者が常に冷静に狂っていて後者が高揚して狂っている、その対比が面白い。気狂いを描いた映画、と受け取ってもじゅうぶんに面白いが、特にルパートのほうを身の回りの物事すべてを自分に都合よくしか考えられなくなった人≠ノ敷衍?して考えると、自分が歳をとったりすることでそういう傾向になっていないかどうか、と怖くなる。その意味では、終幕は救いのようでいてしかしルパートの妄想かもしれないという含みを持っていて、基本的にわかりやすい映画とは思うが、いろいろな示唆に富んでいるようにも思う。細かいところだが、ルパートがリタを誘って中華料理屋でデートをし、自分の妄想(妄想とは思っていない)をいろいろ語っているときに、背後でニヤニヤしている男(チャック・ロウ)がいるのが、妙に印象に残った→菊水堂ポテトチップス、冷やし刻み胡麻そば(温玉、刻み葱、刻み海苔)、ビール中瓶×1、ホッピー×1、御酒×1→午睡→まず烏山川緑道を歩いて〈ミラベル〉を訪ね、T後の誕生日プレゼントに焼き菓子を購入。それから宮の坂駅まで歩いて、世田谷線で下高井戸→〈三友〉と新店〈おさかなランド〉で買い物してから〈Jazz Keirin〉へ。ひさしぶりにT後夫妻と飲酒。楽しく酔っ払った。わかめのぽん酢、参豆腐、いりこ天、かしわ天、鳥皮揚げ、冷奴、蒸し鶏サラダ、青ぶっかけ、ビール小瓶×2、黒糖焼酎ロック×5→徒歩にて帰宅。途中〈すき家〉で牛丼等買ったが、まったく記憶なし。
5月6日(土) 宿酔で終日横臥→カレーライス(昨晩の帰りすき家で購入したもの)→夕方風呂→昨夜の打ち合わせ通り、groove-to-go.comドメインの廃止手続き→牛丼(昨晩の帰りすき家で購入したもの)、生卵、ビール中瓶×1→夜10時就寝。
5月7日(日) 朝9時起床→味噌湯、磯部焼き→老父の時計、セイコー・キネティックのほうはその後調べたところ特殊な機構ということなので、結局セイコーのサービスセンターに修理を依頼することにする(郵送後見積もり)→冷やし胡麻玉そば→『落第はしたけれど<新音声版>』。(原作・監督:小津安二郎。里見健児、関時男、若林広雄、月田一郎、横尾泥海男、斎藤達雄、三倉博、横山五郎、山田房生、笠智衆、田中絹代、青木富夫、二葉かほる、大国一郎。1930、松竹キネマ)。同じ下宿に住む仲間の中でひとり落第する高橋を演じる斎藤達雄の、複雑な感情を伝える演技(主に顔の表情か)が見事で、なんとも言えない味わいを味わわせてくれる。カンニングの手法(シャツの背中にに予想解答を書いたり教授の背中に解答を貼ったり)、下宿の向かいの喫茶店へ注文を伝える方法(影絵)、五人の落第仲間の奇妙なステップ、せっかく新たにカンニング解答を仕込んだシャツを洗濯に出されてしまう等々、ギャグがギャグとして際立っているのも本作の特徴か(しかしこれは小津の同種のサイレント作品を再確認しないとなんとも言えない)。(おそらく)時代を風刺しつつ、喜劇映画として笑いを振り撒きながら、最後に子供(青木富夫)と喫茶店の女給(田中絹代)で救いを演出しつつ、落第したほうが楽しそうだと皮肉を効かせる、実によくできた一編と思う。<新音声版>では声を風吹ジュンと佐野史郎が担当。『東京の女』や『学生ロマンス 若き日』を観た際と同様、説明は活動弁士にお願いしたかった。あと音楽を使い過ぎで、エリック・サティ『ピカデリー』は映画冒頭や終幕の雰囲気に合っているとはいえ、落第五人組が試験会場に入る際に行進風に歩くからといってラヴェル『ボレロ』は雰囲気が違い過ぎる(行進で『ボレロ』を使うのに、その後の「奇妙なステップ」には音楽がつかないのもなんだか疑問)。せっかくの音をつけるという企画なのだから、すべてを一新した<新新音声版>も検討してもらいたいくらいだ→『朗かに歩め<新音声版>』(原作:清水宏、監督:小津安二郎。吉谷久雄、高田稔、川崎弘子、坂本武、伊達里子、毛利輝夫、松園延子、鈴木歌子。1930、松竹キネマ)。物語の構成と画面の構成の二点に於いて、非常な美しさを感じさせられた。後者では、やくざ者(高田稔)の住む部屋の女性ボクサーのポスターや壁の絵と光の入り具合などははっとするほど美しかったし、登場人物の表面的な造形も含む絵造りは、同時代の欧米の映画の影響が強いとはいえ、よくぞここまで、という出来栄えと思う。やくざ者がカタギの女(川崎弘子)を好きになりやくざの足を洗う、という話が最終的にうまく運ぶのは、きれい事といえばきれい事だが、それでも何か納得させられるのは、清水宏が原作を書いているからか。やくざ者の子分(吉谷久雄)の改心も、そういう物語を真実味を持って成立させるのに大きな役割を担っていたと思った。ご都合主義的な展開がまったくないではないが(やくざ者がカタギの女と知り合うきっかけとしてカタギの女の妹=松園延子が駒のように使われている点とか、足を洗う際に仲間=伊達里子と毛利輝夫が意外にあっさり引き下がるとか)、総合的に考えると、とても気持ちのよい映画を観た、という印象が残る。<新音声版>という点では、中井貴恵と風間杜夫の声はよくはまっていたという印象の一方、音楽は、『落第はしたけれど』などよりはマシとはいえ、大事な別れの場面でフォスター『スワニー川』という曲が想起させるイメージや歌詞の内容まで広く知られている楽曲が流れるなど、やはりもう少し考えてもらいたいところがあった。が、その一方で、(おそらく)ジャンゴ・ラインハルトによるジプシー・ジャズは冒頭の追跡のひと幕によく合っていたし、やくざ者がやくざな生活をやめようとするときにかかる『The Song Is Ended』も、その場面の気分にとてもよく合っていたと思う。ちょい役で、おそらく横尾泥海男、斎藤達雄、青木富夫が出ていたと思うが、本作のクレジットにはなく、青木富夫についてはネット上の情報でも確認できず→菊水堂ポテトチップス、青海苔煎餅、キャベツとトマトとちりめんじゃこのサラダ、稚鮎唐揚げ、鰯刺身、しじみ汁、稚鮎炊き込みご飯、ビール中瓶×2→夜8時頃いったん就寝→すぐに起床→風呂→『小津と語る』(監督:田中康義。スタンリー・クワン、アキ・カウリスマキ、クレール・ドニ、リンゼイ・アンダーソン、ポール・シュレイダー、ヴィム・ヴェンダース、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)。1993、松竹)。香港、フィンランド、フランス、英国、米国、ドイツ、台湾の映画監督が小津安二郎の映画や受けた影響について語るインタビュー集。「最初に観た小津映画」についてヴィム・ヴェンダーズを除く六人が語るが、『東京物語』が四人、『秋刀魚の味』が二人、という結果。サンプルが六人では何も語れないが、敢えて言えば小津映画が広がっていく先鋒はやはり『東京物語』なのだな、と思われる点は、まあ感慨深いといえば感慨深い。本作の音楽(ほぼBGMと言ってよいだろう)は一応斎藤高順の名前がクレジットされているが、シンセサイザーも多用したと思われるような薄い感じの音楽で、これならどれかの映画のオリジナル音源をふたつかみっつ流すくらいのほうがよいのではと思ったが、「シンセサイザーも多用したと思われるような薄い感じの音楽」は時代の要請だったのか。その辺はよくわからないが、音楽はいっそのことなくてもよかったと思う→最近見ている『MUST BE UKTV』にて、The Toy Dolls、Tha Cramps、シンディ・ローパーなどを堪能→ビール中瓶×2→朝方就寝。
5月8日(月) 朝9時起床。白湯→しじみ汁、稚鮎炊き込みご飯(うずらの卵×3)→夢亀氏より脊椎専門の外科病院をご紹介いただく。今のところまた症状は落ち着いているが、近々行ってみようと思う→録画整理→温胡麻そば→O形の取材に付き合う形でコンビニのブリトー、ビール→午睡→晩の支度→『世界で一番しあわせな食堂』(原題『Mestari Cheng』(マスター・チェン)、監督:ミカ・カウリスマキ。チュー・パック・ホング、ルーカス・スアン、ヴェサ=マッティ・ロイリ、アンナ=マイヤ・トゥオッコ、カリ・ヴァーナネン、パウラ・ミエッティネン、カリ・コイブカンガス、タン・チャオ、ハンヌ・オラヴィスト、ヨンネ・カーレトコスキ、ヘルカ・ペリアホ。2019、芬SF Film Finland)。フィンランド北部の田舎町に滅多に見ない(初めての?)アジア人(中国人)親子(父と息子)が訪ねてきて、町の人々が好奇の目で遠巻きに眺めながら、次第に打ち解けていく、という物語のテンポや間の取り方、人間同士の間に関係ができていく様の描き方が、とてもよい。大きなあるいはショッキングな事件は起こらないが、それでいて深くそういう状況の中でのいろいろな人間≠深くそしてとても優しい視線で描いた作品と思う。町の人の様子などについくすっと笑ってしまう場面はあるものの、笑いを狙うような要素を意図的に組み込んでいるわけではないが、よくできた人情喜劇と言ってよい作品だろう。作品の舞台は「ポホヤンヨキ」とされていて、町の名前は架空とのことのようだが、ラップランド地方の町という設定とのこと(劇中でラップランドのことを歌った民謡が歌われる。そしてラップランドに住むサーミ人と、ドイツ軍の軍服を着させられたフィンランド軍人、そしてロシア軍人が言葉の壁にぶつかりながら心を通わせていくアレクサンドル・ロゴシュキン『ククーシュカ ラップランドの妖精』を思い出す)。ちなみに原題は「(料理の)マスター、チェン」というほどの意味だが、邦題はなんだか物語の背景にあるそれぞれの苦労が表されておらず気の抜けたような題名に感じる(「苦労」の表現は難しいにしても、物語の重要なモチーフである魚のスープを織り込んだような邦題は検討されなかったのか?)。とはいえ英題の「A Spice for Life」もなんだか調子はずれではあるような気もする→キャベツとピーマンのサラダ(胡麻、オリーブ油、酢、煎酒、黒胡椒)、トマトのちりめんじゃこ和え(粉チーズ、黒胡椒)、ニンジンのクミンバターソテー(にんにく、黒胡椒)、鰯骨煎餅、鰯塩焼き、しじみ汁、稚鮎炊き込みご飯、鰯わた塩辛、ビール中瓶×1、ホッピー×2→風呂→『五人のあばれ者』(原作:比佐芳武、監督:小沢茂弘。高田浩吉、高松錦之助、富士真奈美、片岡千恵蔵、山形勲、千秋実、大坂志郎、里見浩太朗、原田甲子郎、佐々木孝丸、岸田今日子、片岡栄二郎。1963、東映)。初代中村仲蔵が『仮名手本忠臣蔵』の定九郎の役作りの工夫を話の発端に、その役作り(黒羽二重に献上博多帯の浪人姿)のヒントにした三十石の小旗本此村大吉(片岡千恵蔵)とその仲間たちの物語に移行していく、そして恩人大吉に対する仲蔵の誠意が無頼旗本どもが集う鬼神組の妬みを買い、鬼神組の卑怯な奸計と大吉たち「五人のあばれ者」(山形勲、千秋実、大坂志郎、里見浩太朗)との対決に発展していく、という話の組み立て方が心憎い。両者の間に挟まれるおいち(富士真奈美)の儚げだが芯は強そうな美しさと、下町の跳ねっ返りが老中の側室になった蓮月院(岸田今日子)の気品を備えた気風のよさも印象に残る。「五人」のうち三人が倒されてしまうところが苦いが、妻に先立たれた若侍座光寺源三郎(里見浩太朗)と生まれてすぐの赤ん坊においちが寄り添う終幕には希望がある。終盤、蓮月院の存在感がやや薄くなる憾みはあるが、ときどき観たくなる作品とは思う→金宮酎ハイ×4→午前4時頃就寝。
5月9日(火) 昼過ぎ起床→しじみ汁、稚鮎炊き込みご飯+炒り卵→やや宿酔→老父からの頼まれごとふたつ(腕時計修理見積もり依頼出し、クリーニング出し)→コンビニのブリトー、ビール中瓶×1/2→『いつかギラギラする日』(監督:深作欣二。萩原健一、千葉真一、石橋蓮司、多岐川裕美、樹木希林、荻野目慶子、木村一八、安岡力也、JACKS'N'JOKER、八名信夫、原田芳雄、六平直政。1992、松竹)。話の発端から展開すなわち金策に困った若者・角町(木村一八)が強盗に参加するまでは、どう展開するか予想もつかないわくわく感があったし、その後も個々のシーンの演出で面白みを感じる箇所はいくつもあった。しかし木村一八は芝居の切れ味はいいものの、この時点ではまだ主役と肩を並べるだけの輝きや藝はなく、物語の中で焦点が当たる度に冒頭で感じたわくわく感が萎えてくる。と、そもそも現金輸送車を襲って奪った金を四人で山分けしているところのプロ三人(萩原健一、千葉真一、石橋蓮司)のプロらしからぬ油断(余裕の延長ではないように見えた)がこの映画にとって致命的な瑕疵であるように思えてきてしまう。それと、終盤のカーチェイスが長過ぎたり、八名信夫率いるヤクザたちが中途半端にコミカルだったり、単に仕事として殺しを命じられた殺し屋の原田芳雄のあの殺され方はないよなと思わせられるものだったり(見せ場が必要だったのだろうが)、本作に入り込むことを躊躇う要素がどんどん気になり始めてしまった。最初から最後まで変わらず目が離せなかったのは荻野目慶子で、演出もそれに応えた芝居もものすごいものがあったが、それだけに最後に笑う者として残して欲しかったとも思う。荻野目慶子の芝居はまた観たいが、そのために本作を観返す、ということはないだろうな→風呂→『クリーピー 偽りの隣人』(原作:前川裕『クリーピー』、監督:黒沢清。馬場徹、西島秀俊、東出昌大、大谷智子、竹内結子、佐藤直子、戸田昌宏、香川照之、藤野涼子、川口春奈、池田道枝、笹野高史、最所美咲。2016、松竹)。監督が謎解きや犯人探しを主眼とした作品とは考えなかったのかもしれないが、それでも原作を知らない人間でも容易に犯人がわかってしまうのは、少し興醒めではあった。深読みもしてみたもののそこまでのひねりはなかったが、それは原作がある映画だからではあろう。しかし原作のあらすじだけでも追ってみると登場人物も話の展開もずいぶん異なっているから、じゃあなんでそこだけ原作に合わせたのかな、という疑問も生じる。それと、原作をかなり刈り込みいろいろ改変を加えて二時間の映画にわかりやすくまとめた、収めたと思う一方で、とても低レベルな疑問、たとえば薬物だけであんなにマインド・コントロールがうまくいくのかとか、刑事(東出昌大、笹野高史)があからさまに怪しい家の奥に続く廊下の奥にほとんど警戒もせず入っていくのか(それもふたりも)とか、西野雅之(香川照之)は自分の手を汚さないという設定だが西野澪(藤野涼子)の母親(最所美咲)だけは自分で撃っているので終盤で高倉幸一(西島秀俊)がお前は自分じゃ撃てないだろうと迫っていくところでほんとに撃たないのには疑問を感じるとか(もちろん撃つ場面も入れていたのはこの場面の緊張感を高めるためだろうが)、終幕で高倉のマインド・コントロールが解けた(されていなかった?)理由とか、そんな疑問が次々に湧いてきてしまい、自然と『Cure』で感じた説得力と比較してしまう。つまらなかったわけではないし、竹内結子の芝居には(このあとの『コンフィデンスマンJP』二本と同様)大いに感心したが(なのでこの映画の四年後の死はとても残念)、残念ながら不満のほうが多く残った作品であった。香川照之の芝居についてやり過ぎの感じを感じたのは、おそらく2020年のほうの『半沢直樹』の印象が残ってしまっている所為で(もっとも番組宣伝くらいでしか見ていないのだが)、本作を先に観ていたらサイコパスの人物構築がうまいなと感心していたのではないかとは思った→薄焼き卵とキャベツ・ピーマン・新玉葱のサラダ(胡麻、オリーブ油、酢、煎酒、ちりめんじゃこ)、わかめと油揚のおつけ、グリーンピースご飯、ビール中瓶×1→午前2時就寝。
5月10日(水) 朝7時半起床。白湯→わかめと油揚のおつけ、グリーンピースご飯→老父買い物代行(サミット)→青木達之・御亡父・御亡母の墓参。昨年は身体を壊し失敬したので、二年ぶり→〈深水庵〉にて昼。天ざる、ビール小瓶×1。本日連休直後で〈湧水〉が臨時休業だったため、また天気がよかった所為もあり、非常に混んでいて食券制だった→深大寺から甲州街道に出て都道118号経由、セブン-イレブンにてhonto.co.jpの本代支払い、サミットでビール買って帰宅→『MUST BE UKTV』のソウル/ファンク特集?見ながらネギトロ巻き、チッチャロン・バラット、ビール中瓶×2→午睡→風呂→サラダ(キャベツ、ニンジン、胡麻、オリーブ油、酢、胡麻油、小海老、ニンニク、クミンシード、卵)、アボカド(わさび煎酒、新生姜)、うずらの卵漬け、鰯刺身、わかめと油揚のおつけ、ご飯、納豆(新生姜)、ビールロング缶×1.5→『御存じ いれずみ判官』(原作:陣出達朗、監督:佐々木康。丘さとみ、片岡千恵蔵、千秋実、有馬宏治、明石潮、薄田研二、山形勲、石黒達也、北龍二、松風利栄子、仁礼功太郎、天草四郎、片岡栄二郎、月形龍之介、進藤英太郎、木暮実千代、加賀邦男、阿部九洲男、時田一男、宇佐美淳也、三原有美子、武田正憲、市川小太夫、徳大寺伸。1960、東映)。「いれずみ判官」ものとしては16作め(1950年の1作め『いれずみ判官 桜花乱舞の巻』から10年で16本、最終的には12年で18本撮られている)。物語を構成する要素がちょいと多いという憾みはあるが、冒頭すぐに片岡千恵蔵の立ち回りでまず引き込まれ、終盤の狂言仕立て(将軍家慶御覧の能狂言会にて鬼神の面をつけた相良鶴之丞=市川小太夫の口から新作?狂言にて事件の真相が語られ、?と思っていたらその正体はなんと遠山金四郎=片岡千恵蔵)から能舞台をお白洲に見立てた(能舞台にも白洲はあるか)裁きへの流れにはスカッとさせられる。その新作?狂言の稽古はいつしたのかという疑問は残るが、それもどうでもよくなるくらいの爽快さ。雪翁(月形龍之介)の台詞回しが狂言に(一箇所だが)釣られるところも可笑しい。つい先日観た『五人のあばれ者』では山形勲が豪放磊落な正義感だったが、本作では月形龍之介と並んできちんと悪役を演っているのが見られたのも、個人的にはうれしい一本だった→『おけさ唄えば』(監督:森一生。市川雷蔵、橋幸夫、寺島雄作、水原浩一、玉置一恵、浜田雄史、大杉潤、水谷良重、東良之助、金剛麗子、尾上栄五郎、島田竜三、寺島貢、中村鴈治郎、原聖四郎、小桜純子、三木裕子。1961、大映)。序盤で「精神」という言葉が出てきて、時代劇なのに? と思ったが、「思考、言動を伴わない実力行使」という台詞も出てくるのでわざとだなとわかり、仕舞いには「チャンス」という言葉も出てきて笑った(当時の流行り言葉「こりゃシャクだった」は些か使い過ぎ)。市川雷蔵扮する一本松の千太郎が、人のよい父親が悪い親類に騙されて落ちぶれたから自分は悪い人間になる、と修行の旅に出ているという設定で、しかしまったく悪人になれない、という話の組み立て方が面白い。そして男装のお勝(水谷良重)にからかわれながら実は、という流れもよいし、ここもなんだか嬉しくなって笑った。橋幸夫はちょい役といえばちょい役だがとつぜん歌い出すとさすがに場をかっさらっていく。中村鴈治郎は登場時間や場面としては少しだが、やくざの親分らしさを見せるよりもお座敷でのとつぜんの踊りがまあ見事(これを見るだけでも本作を繰り返し観たい)。全体にいい塩梅で色っぽい映画なのも好ましく、軽い時代喜劇でいて細かいところでも手抜きや考えの足りないところを一切感じさせないのも見て取るべきと思う。後世に残るような大仰さのある大作ではないが、こういう映画を名作、傑作と呼びたいと思う。軽さ≠燻s川雷蔵の大きな魅力であると思い知らされる一本。千太郎につきまとう(最後は旅に同道する)お君=三木裕子はまったく知らない役者だったが、なかなかの存在感を発揮していた→金宮ポンジュース割り×4→午前4時就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記