2023年06月20日

6月まとめ(11〜20日)


宝井一凛の新作講談の会『悪い人たち....第一回』(「東日流外三郡誌と和田喜八郎」)、志村敏夫『旗本やくざ』(原作:山中貞雄。嵐寛寿郎)、木村久迩典『山本周五郎のヒロインたち』読了、アラン・アーカッシュ『ロックンロール・ハイスクール』(製作総指揮:ロジャー・コーマン、原案:ジョー・ダンテ)、廣木隆一『あちらにいる鬼』、渋谷毅/市野元彦/外山明『Childhood』、加藤崇之/柳家小春『和ボサ』、板倉文/MA*TO/小川美潮映画『MADO』サウンドトラック、杉江敏男『ジャンケン娘』、高円寺〈サイゼリヤ〉と〈ちんとんしゃん〉、村山三男『女中さん日記』。

6月11日(日) 朝10時起床→Uさんにもご挨拶してA星家おいとま。午前11時出立→幕張PAにて朝食。野菜かき揚げそば→帰途は京葉道路から首都高に乗り換え、幡ヶ谷出口で降りて高円寺へ。両国辺りでちょいと混んだ以外はすいすいと→移転後初の〈HACO〉にて宝井一凛の新作講談の会『悪い人たち....第一回』を拝聴。

一席めは十二代田辺南鶴(田辺一鶴の師匠)作の『曲馬団の女』。戦死した(と思われた)男のヤクザな弟が、男の家に嫁≠ニして入り込んだ元曲馬団の女に一喝されて姿を消してしまうところは肩透かしを喰らった感じだったが、戦死した(と思われた)息子を想う老母の心に影響されて心を入れ替えた女が、最後にはすべてを晒してなおその家の人間として迎え入れられる物語の機微に感動を覚えた。

続いてはゲストで津軽三味線の山本大。三曲披露されたが、曲名がわかったのは最後の「十三の砂山」(高橋竹山作)のみで、これの演奏が曲弾き(特殊奏法?)を駆使した、しかし技巧が表現に直結していて心をつかんでぐらぐら揺さぶるような、ものすごい演奏だった(この曲のみ部屋を真っ暗にして、特殊奏法?の手元を見せなかった)。二曲めは門付の際に用いたといわれる、津軽の厳しい風雪に耐えるよう皮が厚く調弦も低めの三味線による津軽三味線名曲(津軽じょんがら節など)のメドレーで、これまた東京者にとっては珍しい響だった。特に「十三の砂山」の演奏で、この方はジャズなど他のジャンルの音楽との共演も面白いだろうなと思ったのだが、あとで調べたらもうとっくの昔から「ジャズ、ロック、クラシック、民族楽器、朗読などの他ジャンルとのコラボレーションなども行い、現代の生きた音楽に果敢なチャレンジを続けてい」たのだそうだ(公式ホームページ https://hoendo.jp/dai.html より引用)。

仲入りはさんで本日のお目当て「東日流外三郡誌と和田喜八郎」。どちらかというと『東日流外三郡誌』の内容よりもそれを巡る騒動を講談に仕立てたという印象。主に東北の人たちの『東日流外三郡誌』への想いをたっぷり味わわせてもらった。今後文書の内容にももっと踏み込んた聴講になっても、また聴きに行きたいと想う(私は東北の人たちはホラ話が好きなのではないか≠ニ思っているので、その辺りの地域性などにも踏み込んでもらえると、個人的には嬉しい)。

最後にご主演のご両名で『東日流外三郡誌』に関するおしゃべり。ここではもともとこのネタを宝井一凛に薦めた山本大の『東日流外三郡誌』蘊蓄が面白かった。「キリストの墓」の話題も少し出たのが嬉しかったが、そこに触れるなら和田文書との比較として竹内文書にも触れて欲しかったかな。とはいえ東北の謎≠語る会ではないので、そこはいいのか→一凛さんにご挨拶してお暇(山本大さんに「真っ暗闇での演奏がすごかった!」と感想を伝えたら、「実は弾いてないんですよ」とお答えになったのが可笑しかった)→パル商店街の、以前と同じ建物の一階に移転した〈花菜〉でカレー弁当購入。そういえば高円寺駅のガード下がどんどん再開発されていてびっくり。〈HACO〉の移転もそのためらしいのだが、ということはガード下が完全に再開発されてしまうのか。これは衝撃的である→高円寺からの帰途も渋滞などなくすいすいと帰宅→荷解きと風呂→カレー弁当、ビール中瓶×1→食後即就寝。夜9時前。
6月12日(月) 深夜起床→『五辨の椿1 復讐編 焼死体をすり替えた美女の謎』(原作:山本周五郎、監督:山本邦彦。古手川祐子、近藤正臣、赤塚真人、田村高廣、冷泉公裕、生田悦子、樋口悟郎、江原真二郎、尾藤イサオ。1987、テレビ朝日)→『五辨の椿2 完結編 白い肌に秘めた復讐の簪』(原作:山本周五郎、監督:山本邦彦。近藤正臣、古手川祐子、尾藤イサオ、冷泉公裕、江原真二郎。1987、テレビ朝日)。これまた原作の筋を、山本周五郎の滋味の再現にあまり頓着することなくなぞったという印象の映像化であった。おその(古手川祐子)の父親喜兵衛を演じた田村高廣はさすがに見事だったが出番は短く、与力青木千之助役の近藤正臣はじめ名の知れた役者たちもあまり個性を発揮したという感じでもない。古手川祐子はなかなかハマっていたが、もう少し脂っ気が感じられないほうがおそのの役柄には合っていたかもしれない。細かいことだが、原作では現場に落ちているのは一片の花びらのはずだが、この映像化では山椿の花一輪が丸ごと落ちていた。映像化に当たり仕方がないのだろうとは思うが(花びら一枚だけだと椿の花という印象が強く残らない)、しかしそれでは『五辨の椿』という題名が活きないのではないか→落花生、割れ煎餅、ホッピー×1/2→朝方5時半就寝→午前11時起床。白湯、マヌカハニー→味噌湯(うずらの卵×1)、磯部焼き→『旗本やくざ』(原作:山中貞雄、監督:志村敏夫。荒木忍、中川晴彦、上田吉二郎、大和七海路、嵐寛寿郎、木戸新太郎、海老江寛、鳳八千代、寺島雄作、吉川みよ、杉山昌三九、本松一成、丘眞琴、芝田信、嵐三右ヱ門、市川猿十郎、松浦築枝、京山美智子。1955、東宝)。題名がちょいとおざなりな感じだが、紛うことなき娯楽時代劇の傑作だと想う。物語の核をなす事件としては、時間の重みもあるなかなか厄介なものでそれがどう解決されるかという興味は持続するし、その一方で事件の周囲を彩る正義と悪と悪の犠牲者の面々の行動や発言は、ときに呑気で可笑し味があって、その辺の塩梅がとてもよい。そのよさの何割かはアラカンが担っていて、なにしろいわゆる貴種流離譚の「貴種」であって「貴種」ならではの頼り甲斐を醸し出しつつ、「腹を切っても痛いだけだな」「しまった」「(敵に怪我をさせて)大丈夫ですか、失礼しました」といったどうでもよい台詞に妙なる可笑しさをまとわりつかせるのである。そんなつもりでアラカンの台詞を聴いていると、とつぜん「たわけになって、初めて世の中の喜びや哀しみがわかりました」などいい台詞をしみじみと語ったりする。そしてそのアラカン=なりひら小僧の親、おじ、兄弟が現れてものすごく貫禄があるのに実は若者だと思わせるのも可笑しい。アラカンを取り巻く仲間たち−−さんぴん山左衛門(中川晴彦)、ニッ目左膳(上田吉二郎)、ましらの半次(木戸新太郎)たちもそれぞれ個性的で魅力的だし、なによりおさらばお小夜(大和七海路 )の気風のよさったらなかった。思わぬ拾い物であった。事件が解決してどうするのかなと思っていたら、アラカンが釣りに興じていてみながその周囲に集まってのんびりしているという終幕も珍しくてよい→『泥棒と殿様』(原作:山本周五郎『泥棒と若殿』、監督:津島勝。火野正平、橋爪淳、山本愉和、佐藤綾、夏八木勲。2000、松竹(製作・放映局不明)。火野正平=泥棒のなんとも言えない味わい(それまでの苦労がちゃんと活きているような人柄)と橋爪淳=殿様の剣は強いが生活力がなくおっとりしている感じの塩梅がとてもよく、TVドラマとしては隠れた(というのはネットにほぼ情報がなかったからだが)名作でないかと思った。結果的に泥棒になった人間だろうが元は殿様だったのが追いやられた立場だろうが、ひとりの人間はその気になれば自由に生きていけように、ただただ自由に安穏に暮らすだけのことが許されない社会というものを、特にそれについてことさらな批評を展開せず見せていくというやり方には好感を持った。山本周五郎ならではの滋味を感じたし、冒頭の可愛らしい屋台崩しとか、随所に挟み込まれる犬ころのカットとか、映像表現としての面白さも味わえた→菊水堂ポテトチップス、落花生、コンビーフ、卵とハムとトマトの炒め、冷胡麻かけそば、ビール中瓶×1、ホッピー×2→夜8時過ぎいったん就寝。
6月13日(火) 深夜起床→『「十三号待避線」より その護送車を狙え』(原作:島田一男、監督:鈴木清順。内田良平、上野山功一、水島道太郎、小沢昭一、長弘、山本かほる、初井言栄、新井麗子、松下達夫、野呂圭介、青木富夫、岩崎重野、安部徹、渡辺美佐子、夏今日子、久松晃、芦田伸介、弘松三郎。1960、日活)。まだ鈴木清順色の色濃くない時期の作品と言っていいだろうか、サスペンス・アクションとしては、アクションがそれほど売り物にはなっていないものの、基本をきちんと押さえているという印象。もっとも「アクションがそれほど売り物にはなっていない」とは言え、クルマに引きずられる水島道太郎とか、吐出口を開けて油が垂れている状態のタンクローリーに縛られた水島と渡辺美佐子を乗せてクルマを走らせ垂れている油に火を点けて炎がタンクローリーを追っていく中からの脱出とか、意外に身のこなしが軽い芦田伸介とか、あとになって思い返すと見どころは少なくない。また「基本をきちんと押さえている」上で、ひとつひとつの場面の構図が意図を持って(と思われる)美しく作られていて、また編集のリズムもよく自然と画面に引きつけられるという点、さすがと思う。そして『殺しの烙印』に至るまでの作品や『ツィゴイネルワイゼン』以降の作品を観る上で、この辺りまでの作品を押さえておくのは重要だなとも改めて思った(自分について言えば、『殺しの烙印』や『ツィゴイネルワイゼン』から入ってしまったのはある意味間違っていたかもしれない)→『流れ星十字打ち』(原作:南条範夫、監督:渡辺実。林成年、水原浩一、大杉潤、安田祥、沖時男、南条新太郎、杉山昌三九、富田仲次郎、遠山金四、藤川準、三田登喜子、春風すみれ、中村玉緒、千葉敏郎、東良之助、志摩靖彦、浜田雄史。1958、大映)。いったい手裏剣を何本持ち歩いているんだとか、ぱっと見たところ300対1の戦いになりそうで期待してたらただ逃げるだけとか、最終的には敵方の女に助けられるわその女は死なせてしまうわとか、意外なツッコミどころがいくつかあったのは面白かったし、忍び込んだ先で初めて会う隠密同士がなんだか同じ会社の違う部署から来た人同士みたいな会話だったのも可笑しかったが、なんというかこの映画の本質的なところでのこの映画ならではの面白さというのがよくわからなかった。主役の林成年に、大スターならではの過剰な要素がなかったからかなと思ったが、果たして→落花生、ゴーヤと豚バラ肉の炒め、じゃがいもと油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔、ビール中瓶×1→午睡、というか午前中仮眠→結局午後起床→荻窪ラーメン(もやし炒め(ニンニク、生姜)、ゆで卵×1/2、焼豚→風呂→木村久迩典『山本周五郎のヒロインたち』読了。山本周五郎作品の読書指南としては有用と思う一方、『男としての人生―山本周五郎のヒーローたち』同様、著者が山本周五郎作品を読んで得た解釈を再検討したり客観視することなく補強した牽強付会気味の論評であるという印象を持った。実際には「再検討」も「客観視」もしているのだろうが、成果物にその跡が見られない(私には見て取れない)ので、そういう印象になるのだろうと思う。あと梗概がわかりにくいなあと思うのだが、編集者の目は通っているのだろうから、私の読解力が拙いのか。とはいえ、梗概を読んでその作品内の人間関係や事件の模様を把握するのになんだか手間がかかるのだが→『女渡世人』(監督:小沢茂弘。藤純子、芦屋雁之助、水森亜土、鶴田浩二、斎藤浩子、北村英三、白木みのる、夏川静江、遠藤辰雄、木暮実千代、汐路章、川谷拓三、正司玲児、正司敏江。1971、東映)。時期としては「緋牡丹博徒」シリーズや「日本女侠伝」シリーズの終わり頃で、引退作『関東緋桜一家』の一年前。藤純子を中心とした任侠映画もそろそろ出涸らし気味で、スターの起用を鶴田浩二だけにして予算を押さえて当時の人気者(白木みのる、正司玲児、正司敏江、水森亜土)で水増しして製作したのでは? と思ってしまう一作。物語もそれまでの焼き直しという印象が強い(映画表現としても、冒頭の和風西部劇か? という場面以外はあまり記憶に残るものではなかった)。ただそれでも十分楽しめるのはすごいことだし、なんならこのパターンを長谷川伸の諸作の跡を継ぐ古典=iスタンダード)として歌舞伎などに援用してほしいとも思う。細かいところだが、川谷拓三がほんのちょい役だし小さくしか映らないのに、ひと目であっ川谷拓三とわかる(細かい体の動かし方なども含めて)とのはすごいなと思った→菊水堂ポテトチップス、ゴーヤと豚バラ肉の炒め、塩豆腐とトマト、そら豆、じゃがいもと油揚のおつけ、ご飯半膳、たらこ、ホッピー×2→『ロックンロール・ハイスクール』(原題『Rock 'N' Roll High School』、監督:アラン・アーカッシュ。デイ・ヤング、ヴィンセント・ヴァン・パットン、マリー・ウォロノフ、ローレン・レスター、ポール・バーテル、P.J.ソールズ、ダニエル・デイヴィス、テリー・ソーダ、クリント・ハワード、アリックス・エリアス、リン・ファレル、ラモーンズ、ハービー・ブラハ、ドン・スティール。1979、米New World Pictures)。エグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)がロジャー・コーマン、原案がジョー・ダンテ。ラモーンズのロックンロールを禁じられた高校生たちが新しい校長や学校と戦う、という話ではあるが、真剣さとか真面目さとか暗さがまったくないバカ映画なのがとてもよい。そもそも映画冒頭に”winning isn't the most important thing.... It's the only thing!(勝つことが全てではない)"と示されるのだから、新しい校長や学校と戦うのも、ただロックンロールを楽しみたいというだけのことで、そのために学校を爆破までするのだが、重さがないのでただただスカッと痛快なだけである。何かが解決するわけでもないただスカッとするだけ、という点が、素晴らしいと思った。優等生ケイト・ランボーに扮するデイ・ヤングとラモーンズ・フリークの不良娘リフ・ランデルに扮するP.J.ソールズが魅力的。ラモーンズがかなりの時間出演し、演奏はもちろん多少芝居するのもまた面白い→歌舞伎座新開場柿落としの『十八世勘三郎に捧ぐ お祭り』(坂東三津五郎、中村福助。平成25年4月)見てから就寝。午前1時。
6月14日(水) 朝7時起床。白湯、マヌカハニー→じゃがいもと油揚のおつけ、おむすび小ニケ(梅干し、たらこ)→老父買い物代行(〈サミット〉のみ)。本日は昼食を一緒するはずが、脚がまた痛いとのことで中止になったが、買い物を届けてみると部屋の中では普通に過ごせているようでひと安心→家の近くの〈サミット〉で昼やビール、明日作ろうと思うカレーの材料を購入し帰宅→寿司(7ケ+巻物6ケ)、ビール350ml缶×2→午睡→『天使の涙』(原題『堕落天使』、監督:ウォン・カーウァイ。ミシェル・リー、レオン・ライ、コン・トーホイ、チン・マンライ、金城武、チャーリー・ヤン、チャーリー・ヤン、斎藤徹。1005、香Block 2 Pictures)。もともとは『恋する惑星』の中の一エピソードだったが割愛され、そのエピソードを元に製作された、とのことだが、『恋する惑星』がヒットしたので一度は捨てた物語を再利用した、という感じか。と、少し意地悪な見方をしたくなるくらい、表面しかない映画だった。そもそも3つのエピソードからなる構成を構想した『恋する惑星』から落としたものなのだから、この話も加えた『恋する惑星』を作り直すべきだったのではないかとも思う(興行的な発想は別にして、一度構想した作品を完成させるという観点で言えば)。『恋する惑星』は刑事と警官の話だったから、殺し屋と不法侵入のケチな犯罪者の話を組み合わせればそれなりに完成した映画になったと思うのだが、『恋する惑星』で落とした話だけでもう一本作るというのは企画の段階で失敗だったのではなかろうか。と思ってしまうのも、やはり本作単体で何か心を打たれるような映画にならなかったからではあろう。『恋する惑星』以上に、人間を描こうという態度が希薄に思えるし、人間が物語の駒にすらなっていない、というのが正直な感想→たぬき煎餅、レタス新玉葱トマトピーマンハムのサラダ、鯖塩焼き、わかめと油揚のおつけ、ご飯(コンビーフ、うずらの卵)、ホッピー×1/2、御酒×3→『ロックンロール・ハイスクール』再見してから就寝。夜10時頃。
6月15日(木) 昼頃起床。白湯、マヌカハニー→わかめと油揚のおつけ、おむすび一ケ(たらこ、しらす干し、海苔)→録画消化など→賄い当番→風呂→キャベツとピーマンとしらす干しのサラダ(胡麻油、白ワインビネガー、塩、黒胡椒)、ポテトベーコン(クミンシード、バター)、キノコ入りビーフカレー(舞茸、ぶなしめじ、おろしニンジン&玉葱、玉葱みじん切り、トマト、パセリ、ニンニク、生姜、青唐辛子、クミンシード、カルダモン、コリアンダー、クミン、ターメリック、パプリカ、ガラムマサラ、塩、黒胡椒、牛乳、ウスターソース、レモン汁)、ジャポニカ・バスマティ米ブレンドご飯、新生姜酢漬け、ビール中瓶×1→小一時間仮眠→『あちらにいる鬼』(原作:井上荒野、監督:廣木隆一。寺島しのぶ、豊川悦司、宇野祥平、広末涼子、蓮佛美沙子、高良健吾、丘みつ子、村上淳、佐野岳、諏訪結衣、太田結乃。2022、ハピネットファントム・スタジオ)。道ならぬ恋とか、道ならぬ恋にどうしようもなくはまり込んでいく人間像(嘘をつくことも含めて)とか、それに振り回される周囲の人間とか、そういう人間の営みを描いた映像物語としては文句はないしそれなりに心動かされはしたのだが、観る側にある程度そういう姿勢がないと全体に薄味ではあった。そしてなにより、女主人公のモデルが瀬戸内寂聴というだけで興醒めというか、少し美しく描き過ぎという憾みが残る。そこをなるべく気にしないで観るのが本作を楽しく鑑賞するコツか。まあ出来上がった作品はフィクションなのだから、長内みはる(寺島しのぶ)=モデルは瀬戸内寂聴と白木篤郎(豊川悦司)=モデルは井上光晴がそんなに悪い人間ではない(実際にいたら迷惑だが愛すべき人間にも見える)ように描かれている点は、悪くはないのではないかな、とは思った。エンディングテーマの浜田真理子「恋ごころ」にはちょっとハッとさせられた→カレー小皿×2、金宮酎ハイ×2→午前4時半就寝。
6月16日(金) 朝9時半起床→わかめと油揚のおつけ、カレーライス小皿(うずらの卵×2)→『パンズ・ラビリンス』(原題『El laberinto del fauno』、監督:ギレルモ・デル・トロ。イバナ・バケロ、アリアドナ・ヒル、セルジ・ロペス、セザール・ベア、マリベル・ベルドゥ、アレックス・アングロ、ダグ・ジョーンズ、ロジェール・カサマジョール、エウセビオ・ラザロ。1006墨西米、Wild Bunch)。内戦後のスペイン、フランコ独裁政権樹立後もまだ生き残った人民戦線派が戦闘を続ける中、母親が独裁政権側の冷酷な大尉と結婚したひとりの少女が、燻り続ける戦闘の現場で迷宮の守護神「パン」と出会い現実と幻想の世界を行き来する…… という話。「パン」は少女以外の人間には見えないが、「パン」から手渡されたマンドラゴラの根は人間にも見えるなど、現実と幻想の境界が曖昧なのが面白い。最後に少女は死ぬが幻想の世界では王女の座に帰還する、その曖昧な結末の描き方も面白いとは思ったが、しかし全体に心躍るような要素が少ないというか、真面目だなーというバカみたいな感想を得てしまった(妖怪「手の目」のような怪物が一瞬研ナオコに似る場面は笑ったが)。抵抗することの意味≠フようなメッセージもあるように思ったが、現実-幻想の間での少女の冒険をハラハラしながら見守る、というのがこの映画の楽しみ方なのかなとは思う→大狸、醤油たぬき、釜揚げそば、ビール中瓶×1→午睡→夕方〈ホルモン やま〉にてマカベー師匠、ガラボ嬢と宴。ガラボ嬢には先日所望されたTシャツをお渡しし、お返しにCD三枚いただく(渋谷毅/市野元彦/外山明『Childhood』、加藤崇之/柳家小春『和ボサ』、板倉文/MA*TO/小川美潮映画『MADO』サウンドトラック)。こういうやり取りはうれしい→続けてもう一軒とお初の〈Baresco〉へ。気持ちのよい店だったが、酔っ払っててちょいとはしゃいでしまったし、そもそも私はやや場違いかな。まあでも今度はひとりで行ってみよう→平和に歩いて帰宅。カップ天ぷらそば啜って就寝。夜0時頃。
6月17日(土) 宿酔で午後まで横臥。食欲まったくなし→と思ったが、起きてまず冷やし月見うどん(もみ海苔、おろし生姜)、それから割とすぐにキャベツと油揚のおつけ、ビーフカレー、焼豚とレタスチャーハン。食欲回復→渋谷毅/市野元彦/外山明『Childhood』は(とても月並みな言い方だが)三人のインタープレイの当意即妙としか言いようのない妙味を味わった。加藤崇之/柳家小春『和ボサ』は想像していたものの半分の速度の歌(冒頭の「春の小川」など)の心地よさったら。「月の沙漠」の和声の素晴らしさにも舌を巻いた。板倉文/MA*TO/小川美潮映画『MADO』サウンドトラックは、映画を観ていないのでなんとも。今さらながら映画観たいな→風呂→『花様年華』(In the Mood for Love)(監督:ウォン・カーウァイ。マギー・チャン、レベッカ・パン、トニー・レオン、ライ・チン、スー・ピンラン。2000、香仏Block 2 Pictures)。1966年という時代背景や穴に向かって秘密をささやく≠ニいう台詞がカンボジアでの終幕につながっていること、時系列を曖昧に描いたことなどの面白さ、興味深さは理解したが、感動は覚えず、心に残る一本にはなり得なかった。とはいえ、これまで観たウォン・カーウァイの映画では一番しっくりきたのだが、それは大人の切ない恋愛模様を落ち着いた筆致≠ナ描いていたからだろうと思う。いずれ好みの問題だが、積極的にまた観たいとは思わなかったけれど、機会と時間の余裕があれば再見してもよいとは思った。音楽は、英題?が「In the Mood for Love」なので「I'm In the Mood for Love」を期待したが違った。あと聴いたことがある音楽だな、と思ったら、鈴木清順『夢二』のテーマ曲が使われていた→『欲望』(原作:小池真理子、監督:篠原哲雄。板谷由夏、桂亜沙美、高岡早紀、津川雅彦、筒井康隆、大森南朋、村上淳、中村久美、利重剛、吉田日出子。2005、メディア・スーツ)。板谷由夏の慈悲深さも感じさせる美しさ、津川雅彦や利重剛はもちろん高岡早紀の達者さ、吉田日出子の配し方のデザイン的なよさ、中村久美の地味な色気など、見るべき点がないわけではないが、そもそもの底の浅い文学趣味と、薄っぺらさを感じてしまう映像が、見るべき点のよさを相殺してしまう、という印象。板谷由夏や高岡早紀の芝居から人間の業の深さを感じはしたので、もう少しなんとかならなかったかなと思う→落花生、醤油たぬき、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→午前4時就寝。
6月18日(日) 朝9時半起床。白湯、マヌカハニー→キャベツと油揚のおつけ、磯部焼き→『みをつくし料理帖スペシャル 前編 心星(しんぼし)ひとつ』(原作:田郁、監督:柴田岳志。小日向文世、安田成美、蒔田彩珠、麻生祐未、萩原聖人、黒木華、佐藤めぐみ、波岡一喜、森山未來、国広富之、柳下大、永山絢斗、木村祐一、星田英利、大庭愛未、安藤美優、成海璃子、徳井優、富司純子。2019、NHK)→『みをつくし料理帖スペシャル 後編 桜の宴(うたげ)』(原作:田郁、監督:柴田岳志。徳井優、小日向文世、黒木華、安田成美、蒔田彩珠、佐藤めぐみ、麻生祐未、森山未來、永山絢斗、木村祐一松尾スズキ、伊武雅刀、萩原聖人、成海璃子、木村祐一、村杉蝉之介、大庭愛未、安藤美優、柳下大、永尾まりや、中原丈雄、田中要次、村上新悟、岩谷健司、神崎貴孝。2019、NHK)。スペシャル版ドラマということで、これまでのドラマ(TV朝日全二回、NHK全八回)や映画版、あるいは原作から得る登場人物や物語設定などの基礎知識が必要な作りになっていて、特に前編の冒頭は何も知らないで観ると話の組み立て方が下手なのでは? と思ってしまうような出来栄えではあった。が、観進めていくうちにだいたいのところが飲み込めてくるような作りになっている点は評価したい(ある程度はネット上の情報を追いながらの鑑賞で追いついたところはあるが)。主人公澪の、不幸な生い立ちなりの劣等感や謙虚さも持ちつつ料理という仕事での誇りを持ち続ける人物像を、黒木華は見事に表現していたと思う(他のドラマ版/映画版の役者−−北川景子、松本穂香−−の出来栄えが想像できないほど)。本作とは直接関係ないが、もう少し歳を取って中年〜老年になた黒木の芝居に期待とも思わせられた。他の役者も概ねしっくり来る芝居を見せてくれたと思うが(芳=安田成美、小松原=森山未來は予想以上だった)、戯作者清右衛門=木村祐一はまあご愛嬌として、肝腎要のあさひ太夫=成海璃子が予想外で、とてもじゃないが旦那衆が大枚叩いた花魁には見えなかったのはいささか残念。物語は前編が想い人から思いがけぬ求婚があったものの、武家へ嫁ぐことと料理の道とを考えあぐねた結果求婚を断る−−しかしその責を求婚したほうの小松原=森山未來が負うという話、後編は吉原の料理屋〈翁屋〉の主人伝右衛門=伊武雅刀が、同じく料理屋〈登龍楼〉の采女宗馬=松尾スズキに店の買収を持ちかけられ、それを澪の料理と幼馴染(だがもう会える立場にない)の花魁あさひ太夫=成海璃子の機転が救い、それをきっかけに幼馴染同士がひと時の再会を果たすという話。どちらも人情の機微をうまく描いた映像物語だった。返す返すも、あさひ太夫=成海璃子の芝居だけが残念であった(後編の機転〜再会の芝居が決まっていれば、大傑作にもなり得たと思う)→青海苔たぬき、菊水堂ポテトチップス、金宮酎ハイ×1→午睡→夕方千歳船橋駅前に出て、おとつい〈Baresco〉で店主とバッタリあった〈あずまや〉を訪ね一杯。店に入るなり「あっこないだは」と我々を認識してくれたのがうれしい。塩キャベツ、牛すじ玉子つつみ、イカバター、たこ焼き2ケ、かすうどん、ビール中ジョッキ×1、レモンサワー×2。平日は午後4時からの営業となったそうだが、それでもいい店だなあとつくづく→お腹いっぱいで苦しくなったので、O形には申し訳ないが買い物を失敬して帰宅→午睡→8/18の告知の件を三人に連絡→シャワー→『ジャンケン娘』(原作:中野実、監督:杉江敏男。美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、岡村文子、瀬良明、山田真二、沢村貞子、浪花千栄子、高田稔、小杉義男、南美江、小川虎之助、一の宮あつ子。1955、東宝)。美空ひばりの藝、江利チエミのストンと明るいキャラクター、そして雪村いづみのお人形さんのような美しさだけで成り立っているような映画(もちろん江利チエミにも雪村いづみにもそれぞれの藝があってそれも重要だが、このふたりの場合は藝よりもその存在が際立っているように思った)。物語も話の組み立て方も、正直なところおざなりな印象ではあるのだが、この時期のこの三人が揃っているだけでも、映画の奇跡と言いたくなる。映画の(後世に残る)面白さというのは、そういうところもあるんだなあと思う。細かいところでは、冒頭の映画撮影場面で本作の監督がちょっと姿を見せる?ところ(ディレクターズ・チェアに「T. SUGIE」とある)や、江利チエミと雪村いづみがマンボを踊るところ、三人が空想という設定でレビューの舞台で歌い踊るところ、など→菊水堂ポテトチップス、落花生、チッチャロン・バラット、冷やし納豆にゅうめん、ビール中瓶×1、ホッピー×2→『みをつくし料理帖スペシャル 後編 桜の宴(うたげ)』を見返してから就寝。午前3時頃。
6月19日(月) 昼頃起床。バナナシェイク→キャベツと油揚のおつけ、磯部焼き→夕方高円寺へ。ちょいと早めに着いたのでまず一杯と、なぜか〈サイゼリヤ〉へ。爽やかにんじんサラダ、柔らか青豆の温サラダ、エスカルゴオーブン焼き、ビール中ジョッキ×1、白葡萄種デキャンタ(500ml)×1/2。なんだか妙に回ってしまった→それから本日の主目的の〈ちんとんしゃん〉。しかし酔いが回ったままで、ビール中瓶×1/2飲んでからは烏龍茶×2。とはいえ、いつものYYコンビやO先輩、Y先輩らと楽しく歓談。相変わらずの会話の渦を堪能→平和に電車で帰宅→シャワー→『女中さん日記』(原作:畔柳二美、監督:村山三男。花布辰男、平井岐代子、南左斗子、清水谷薫、入江洋佑、村田定枝、坂口芙沙子、矢島ひろ子、中条静夫、品川隆二、桜井喜美子、萩野元彦、松岡紀公子。1956、大映)。前回(2021年12月)に観た際と感想は同じ:「田舎から出てきて裕福な家庭に仕える女中の生活を暖かく見守るお話、という面と同時に、田舎から出てきた貧乏で学のない若い女子を優しさを装って差別的に描いているようにも見えるのは、今この時代に観るからだろうか。しかし最終的には、こんな優しい人たちがいるのだろうかと感動し、心が洗われる思いがする。冷静に考えれば綺麗事に過ぎる映画だが、観ている最中はそれがそんなに気にならないのは、南左斗子の芝居のある種の迫力によるものではなかろうか」。主人公の女中さんわかば(南左斗子)の言葉遣いはほんとうに面白い。そして彼女の田舎の妹役として、松岡きっこ(当時は松岡紀公子)が出ているのには、本日配役を見ていて初めて気づいた→『一等女房と三等亭主』(原案:並木透、監督:小森白。関弘子、轟夕起子、伊藤雄之助、小川虎之助、大谷伶子、関千恵子、小林桂樹、鮎川浩、松本朝夫、三好栄子、荒川さつき、新井麗子。1953、新東宝)。伊藤雄之助が弱々しい役も達者なのはもちろん知っているが、まだ若いというだけでなく青年っぽい雰囲気の役をこなしているのがおかしい。小林桂樹の豪快な若者、関千恵子のやり手セールスウーマン、そしてもちろん轟夕起子の(今でいう)キャリアウーマンっぷりも素晴らしい。途中、「一等女房と三等亭主」の関係がぎくしゃくする辺りから少しだれるし、平板な感じも感じさせられる映画だが、終わってみれば幸せな気持ちになる→菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、キャベツ千切り塩昆布和え、冷やし刻みそば、ビール中瓶×2→午前3時就寝。
6月20日(火) 朝10時起床。バナナシェイク→青葱と油揚のおつけ、おむすび一ケ→九月の茅ヶ崎館宿泊(玉川奈々福の会関連)について連絡業務など→もやしそば(荻窪ラーメン、ひき肉もやし炒め、茹で卵1/2)→読書(山本周五郎全集)と午睡→読書(アポリネール傑作短編集)と風呂→『女中さん日記』再見しながら晩。菊水堂ポテトチップス、チッチャロン・バラット、ズッキーニ炒め(ニンニク)、焼きとうもろこし、チーズ、ベーコンと赤緑ピーマンとトマトのペペロンチーノ(麺200g、ニンニクふたかけ潰して薄切り、青唐辛子×1を斜めそぎ切り、ベーコン二枚、ピーマン計三ケは縦短冊切り、トマト一ケは厚めのイチョウ、煎酒大さじ×1、塩ひとつまみ、梅昆布茶小さじ1/2、オリーブ油大さじ1。以上の半分が今晩の一人前)、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→午前2時就寝→と思ったが眠れず、本日ご依頼いただいたポートフォリオ(経歴と仕事サンプル)のまとめを朝まで→朝6時就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記