2023年07月31日
7月まとめ(21〜31日)
『ザ・ニュースペーパー7月公演Part102』 於有楽町朝日ホール、山本周五郎「新潮記」、山本周五郎原作・小泉堯史監督『雨あがる』、蜂鳥あみ太+pf佐藤真也「四谷ぼっち巴里祭〜シャンソンしか歌わない日」 於四谷三丁目〈CON TON TON VIVO〉。
7月21日(金) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー→ぶなしめじと油揚のおつけ、鯵茶漬け→昆布佃煮製作。今回は酢昆布ではなく、油も使わず、醤油とみりんのみの味付けにした。ただし水分をほぼ飛ばし切ったところでお酢を大さじ1かけ回し強火で飛ばしたら、さっぱりした風味も加わりよりいい味になった。これは成功(材料分量手順すべて記録も取った)→『肉体の野獣』(監督:土屋啓之助。川喜多雄二、高松政雄、三原葉子、三田泰子、瀬戸麗子、飯田公夫、沖啓二、渡辺高光、中村虎彦、魚住純子、三条魔子、若杉嘉津子、市川美千子、山村邦子。1960、新東宝)。八木正生の音楽は秀逸だったが、映画が安易な日活アクション狙いといった味わいだったので、徒にヌーヴェル・ヴァーグ風味を付け加える効果にしか機能していていなかった。そもそも川喜多雄二に魅力が感じられず、何故あんなにモテるのか? という疑問だけが残る、まあちょいとどうでもよい映画であった。残念→大根とどんことオクラの煮物(鯖出汁)、トマトと卵の炒め(青葱、ニンニク)、鯖醤油煮缶詰、じゃがいもと新玉葱のおつけ、ご飯、昆布佃煮、ホッピー×2、ビール中瓶×1、御酒ロック×2→夜10時就寝。
7月22日(土) 朝8時起床。シャワー→じゃがいもと新玉葱のおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯、昆布佃煮、海苔→『五辨の椿』第5話観て完結したので、データと感想。『五辨の椿』(原作:山本周五郎、脚本:中島丈博、監督:黛りんたろう、野田雄介。第1話初出:堺雅人、国仲涼子、林家いっ平、中森友香、奥田瑛二、西巻正人、秋吉久美子、原田健二、四保河真莉、植本潤、阿部寛、阿南健治、蟹江一平、国本武春/第2話初出:野村祐人、隆大介、及川光博、竹中直人、江守徹、宮地雅子、東田達夫、加納幸和、つるぎみゆき/第3話初出:新村あゆみ、石定浩二/第4話初出:桂木梨江、秋間登/第5話初出:左時枝。2001、NHK)。おしの、というかそれを演じた国仲涼子にスポットを当てた(当てたくて作った)印象だが、肝心の国仲涼子の芝居に技術も魅力も感じられなかったので、作品として残念な印象が残ってしまった。国仲涼子の色気のなさを話に活かした場面もあったが(菱川国宣=竹中直人との場面など)、まあ苦肉の策だったか(と、これも印象=j。堺雅人、奥田瑛二、秋吉久美子、宮地雅子など脇を固める役者陣の中には印象に残る芝居もあったが、印象に残る人ほどあまり出さないという印象もあった。脚本=(ここではすなわち)原作のアレンジがよかっただけに、返す返すも残念であった→昼前日比谷へ。昼どうしようかなと思ったが、ちょいと歩いてひさしぶりに〈泰明庵〉、ちょいと混んでたがうまいことふたり入れて、万願寺唐辛子素揚げ、そら豆、冷辛味そば、ビール中瓶×1。いずれもどうってことないものではあるが、それが幸せである→食べ終えたらちょうどよい時間だったので、有楽町〈朝日ホール〉へ。本日は『ザ・ニュースペーパー7月公演Part102』見物。今回も受付付近でスタッフとして携わるYM嬢にばったり。お元気そうで何より。ひとまずロビーで仮眠→で、本公演見物二回めの今回は、昨年の7月公演と比べると少しおとなしいというか、笑いが爆発しない感があった。その一番の要因は、前回の「海中風景」(ワカメ、マグロ、熱帯魚たち、サカナくん、すしざんまい社長)のような政治や世相と関係のない、ただただバカしいネタがなかった所為だろうと思う。ああいうのがひとつ挟まると、風刺という藝に奥行きが出るような気がするのだが、果たして。今回のネタは、演説とインチキ手話(岸田文雄)、バイデン/トランプ/ボリス・ジョンソン/プリゴジンの演説、政治討論(岸田文雄、河野太郎、官房長官、長妻昭、岡田克也、野田佳彦、志位和夫)、「およげ!たいやきくん」替え歌(マイナンバーの件だったと思うが記憶に自信なし)、安倍晋三追悼対談(麻生太郎、菅義偉)、大谷翔平、ロボットR-800、皇室コント、2033年のニュース。あ、一応「政治や世相と関係のない、ただただバカしいネタ」としてロボットR-800があったのか。でもこの辺は退屈してうとうとしてしまった。あと、モノマネ(顔マネか姿マネというが正確か?)はとても似ているもの(バイデン/トランプ/ボリス・ジョンソン/プリゴジンの早変わりや河野太郎からくいだおれ太郎への変わり身は見事だった)とまったく似ていないものがあるのだが、まあその辺はご愛嬌というか、そういう杜撰とも思えるところがあるのがこのグループの楽しいところだとは思う→今回の切符を手配してくれたお馴染みYさんはじめ、Oさん、おふたりのご友人の先輩お二方で、まずは銀座インズ2二階の〈ビアレストラン創作居酒屋ノア〉にて(本日のお目当てが開店するまでの間)ビール中ジョッキ×1→時間になったので同ビル地下一階の〈ハタハタ屋敷〉に移動。セリとじゅんさいのサラダ胡桃ドレッシング、ハタハタへしこ漬け焼き、比内地鶏の出汁巻き玉子、いぶりがっことマスカルポーネ、がっこ三点盛り、叩きキュウリのばっけ味噌、秋田産桃豚のバラ巻おろしポン酢串、焼きたんぽ ずんだ焼き、御酒2合。おしゃべりも楽しかったが、何をしゃべったかはすっかり忘れてしまった→三軒めもご一緒しようかと思ったが、Oさんお帰りになるということで、駅も我々と同じなので、お送りしがてら一緒に帰ることにする→平和に電車で帰宅。千歳船橋で降り、〈オオゼキ〉で買い物→シャワー→冷やし月見うどん(揚げ玉、紫蘇、あおさのり)啜ってから就寝。就寝時間不明。
7月23日(日) 昼前起床→じゃがいもと新玉葱のおつけ、ご飯、しらす干し、昆布佃煮、うずらの卵×2、海苔→O形の新連載宣伝用チラシ改訂し印刷発注→『霧の夜ばなし』(監督:萩原遼。黒川弥太郎、山根寿子、長谷川一夫、入江たか子、菅井一郎 、鳥羽陽之助、田中春男、鬼頭善一郎、清水将夫、清川荘司。1946、東宝)。お客にはもちろん自分の店の雇人や抱えの職人にも誠実な友禅工房の主人が、市場を我が物にして私腹を肥そうと企む悪徳役人・問屋の振る舞いに柔らかく抵抗しながら、最後の最後に爆発して…… という物語はよいと思うが、物語ではなく映画表現として一本骨がないというかなんだかふにゃふにゃしていて、せっかくの長谷川一夫を楽しめなかった。長谷川一夫の「柔らかく抵抗」は柔らか過ぎてせっかくの若者の活きのよさ−−黒川弥太郎、清川荘司が好演−−を殺していたし、「最後の最後に爆発して……」の「爆発」そのものもまったく表現されない。古い映画だから巻やフィルムの一部が欠損していたのかもしれないが、衛星劇場で放映されたものを観る限り、せっかくの長谷川一夫(そして黒川弥太郎、山根寿子、入江たか子、清川荘司)なのに残念な映画であった→菊水堂ポテトチップス、あおさのり乗せたぬきそば、ビール中瓶×1→午睡→『山本周五郎全集』第一巻の「新潮記」読了。山本周五郎満四十歳のとき、『日本婦道記』が直木賞に選ばれた(そして辞退した)年の作品。作家として飛躍する頃の作品と言えるかもしれないが、「甲辰の事」以降の水戸・高松の量松平家のことなど歴史を背景に、年代を超えた様々な議論(日本国家論だったり、天皇論だったり、日本の宗教論だったり)が交わされるのが面白い。一応チャンバラの場面もあるが、事が決するのはほぼ議論や話し合いだったりもする。議論小説の面白さもあり、また主人公のひとり(早水秀之進)の成長物語の面白さもあり(その意味ではビルドゥングスロマンと言ってもよいだろう)、冒険小説の面白さもある。また政治を超えた人と人との交流を描いた(しかしそこにも政治は介入する)面白さも感じた。戦時下の作品故、天皇や神道に関する言及や武士の生き方への言及などはいろいろな角度から読んでみる必要はあろうが、ひとつの傑作であることは間違いないと思う→シャワー→かねてから考えていた夫婦デュオをどなたかにご指導いただく件、どういうタイミングにしようかなと思っていたが、とりあえず歌とギターの譜面を作ってみようと思った。で、『髪がゆれている』に着手(まずはイントロのギターのみ)→『さぶ』(原作:山本周五郎、監督:戸田幸宏。森永悠希、杉野遥亮、木竜麻生、白本彩奈、田辺桃子、水橋研二、佐戸井けん太、やべきょうすけ、村杉蝉之介、吉村界人。2020、NHK BSプレミアム)。原作との各登場人物の強弱の塩梅は改めてきちんと比較してみないとなんとも言えないが、印象としては、ちょいとさぶ(森永悠希)より栄二(杉野遥亮)のほうが強かったかもしれない(これでは『さぶ』ではなくて「栄二』ではないか? とも思った)。とはいえ原作を念頭に置かず観てみると、森永悠希も杉野遥亮も、あるいはさぶが惚れる(でも栄二が好きな)おのぶ(木竜麻生)も、栄二がもともと惚れていたおすえ(白本彩奈)も、若い役者がなかなかよく、世間の人情のなさと人足寄場での優しさの対比も印象に残るし、人足寄場での乱暴者に対する耐えて耐えて爆発という塩梅もよく、いい映像ドラマだったとは思う。しかしそれでも、杉野遥亮がちょっとカッコよ過ぎな点は些かバランスを欠いているようには思ったし、人足寄場の人たちは少し優し過ぎるかなとも思った。なかなか難しいものだ→ゴーヤと甘唐辛子と鶏ささみの炒め、ビール中瓶×1、ホッピー×1→朝方5時就寝。
7月24日(月) 朝10時半起床→舞茸のおつけ、ご飯、しらす干し、うずらの卵×2、海苔→『髪がゆれている』の歌とギターの譜面、だいたい完成。自分でつけた変てこな和声のコード名が難しい(というか不明)→『ブレスレス』観ながら鰯丸干しと野菜のソテー(ピーマン、トマト、ニンニク、クミンシード)、フライドポテト、ピザPOCOサイズ×2(チチニエリ、サラーメ)、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/4→満腹で胃が苦しくなり映画途中で断念し仮眠→日付変わる前に起床→『ブレスレス』(原作:ジャン=リュック・ゴダール/フランソワ・トリュフォー、原題『Breathless』、監督:ジム・マクブライド。リチャード・ギア、ノラ・ゲイ、ジャック・ルスティッグ、ヴァレリー・カプリスキー、ウィリアム・テッパー、ヘンリー・G・サンダース、リサ・ジェーン・パースキー、ワルデマール・カリノフスキ、ロバート・ダン、ジョン・P・ライアン、ミゲル・ピネロ、ブルース・ヴィランチ、ジョージ・オールデン、ユージン・ローリエ、アート・メトロノ、ギャリー・グッドロウ、ジェームズ・ホン。1983、米Orion Pictures)。三、四十年前に観た際は、ゴダールの名作をめちゃくちゃに撮り直したバカ映画という印象を得たが、改めて観てみると、冒頭のクレジット(BASED UPON THE MOTION PICTURE "A BOUT DE SOUFFLE" FROM THR SCREENPLAY BY JEAN-LUC GODARD OF THE STORY BY FRANÇOIS TRUFFAUT)に始まり、マンガや映画の引用、哲学的に聞こえないこともない会話等々、『勝手にしやがれ』やゴダール映画に敬意を評した、優等生的な作品であることにちょいと驚いた。ジェシー(リチャード・ギア)が書店でマンガ『Silver Surfer』に読み耽っている際に見知らぬ少年がとつぜん『Silver Surfer』の批判を始めるというのも、ジェシーの生き方に疑問を呈する役割を担っているようで、意味がなさそうな場面にも見えるものの、ジェシーのバカ陽気な様子に暗さを投じていると思った。あるいはモニカ(ヴァレリー・カプリスキー)が「あなたに愛されたい だけど一方ではそれが怖いの 私の人生プランが壊れそうで」という台詞はもっともだしなんでそんなもっともで重たいことを言うのかと思っているとジェシーが「プランを変えりゃいい」と返すとか、バカ陽気さと暗さ、重さをうまく混ぜ合わせようとしているとは思ったが、しかしその塩梅はうまく行ったのだろうか、その辺はよくわからない。ラストシーンもジェシーの葛藤を、ジェリー・リー・ルイスの『Breathless』と感傷的なピアノ演奏とを混ぜ合わせることで表現しているのだと思うが、これももっとバカ爆発みたいな方向に持っていったほうが、観たあと何も残らない映画≠フよさが活きたのではないかと思う(そもそも元の話に教訓などないのだから)。バカ陽気さと暗さ、重さの塩梅を除けば、細部にも(失敬ながら)意外に凝っていて、そういうところを味わうことを考えると繰り返しの鑑賞に耐える作品とは思う。あと、全然関係ないのかもしれないが、デイヴィッド・リンチ『ワイルド・アット・ハート』(1990)にこの映画の影響があるやなしや(主題は異なるし全然違う映画だが、バカ男とバカ女、クルマの爆走、という点で似ていると言えないこともない)という点を考えたのはちょいと面白かった→『暗闇仕留人』観てから朝方就寝。
7月25日(火) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー→舞茸のおつけ、卵かけご飯(しらす干し)、海苔→昼間特に何もせず。晩の支度など→シャワー→『君も出世ができる』(監督:須川栄三。フランキー堺、高島忠夫、十朱久雄、藤村有弘、益田喜頓、有島一郎、浜美枝、中尾ミエ、沢村いき雄、雪村いづみ、アーネスト・A・リクター、マージョリー・M・リクター、ジェリー伊藤、植木等。1964、東宝)。雪村いづみの「アメリカでは」と高島忠夫の「タクラマカン」によるデュエットの楽曲構成とか、フランキー堺の「動」(「躁」と言ってもよいかもしれない)と高島忠夫の「静」の対比、および躁状態の中での高島忠夫の何気ない一言の可笑しさとか、細部に渡る神がかった(そこまで言うのは大袈裟か?)ような細部の演出に、今回は感心を覚えた。あとは前回(2022年2月)の感想と同じ。「端正な美術に黛敏郎の精緻な音楽、そして気の狂ったミュージカルシーンと純情な恋愛模様。昭和の高度成長期のにおいがぷんぷんとしているところも含め、日本のミュージカル映画の歴史にしっかりと名を刻む傑作と思う。時代故の貧乏くささも感じないではないが(その点は何度も繰り返し観る上ではいささか辛い)、左記の部分に加え益田喜頓、有島一郎、十朱久雄、藤村有弘までもが踊るミュージカルシーン、植木等が唐突に現れいつの間にか姿を消すミュージカルシーンは、それを補って余りある。繰り返すが傑作」→トマトとピーマンとオイルサーディンのサラダ(新生姜、粉チーズ)、ピザPOCO二種(ボロネーゼ、フンギ)、野菜スープ(キャベツ、ニンジン、新玉葱、ニンニク、豚バラ干し肉)、鰯とピーマンのスパゲティ、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→食後仮眠→深夜起床→『暗闇仕留人』を見たあと『花形歌手 七つの歌』(監督:枝川弘。江利チエミ、神楽坂はん子、津村謙、近江敏郎、美空ひばり、田端義夫、越路吹雪。1953、大映)。前回(2022年2月)の感想と概ね同じではあるが、今回はトリに登場する越路吹雪の色気−−こういう女が現実に目の前にいたらふるいつきたくなるような類ではなく、なんとも言えない気持ちにさせられる人間の女の色気を超えた色気−−にノックアウトされ、結果、「背景となる物語や小芝居は必要だったのか、という疑問」などどうでもよくなってしまった。以下、一応前回の感想「芸能プロダクション?の社長が、花形歌手の歌唱を収めたテープを盗まれてしまい、ラジオ局?への納品に間に合わない(納品できないと借金が返せない)。そこで各人気歌手が歌っている現場に忍び込み、こっそり録音した歌で間に合わせよう…… という物語の中で七人の歌手のヒット曲を紹介していくという映画だが、正直なところ、背景となる物語や小芝居は必要だったのか、という疑問は残る。それでも江利チエミと越路吹雪は登場して歌い始めるだけで画面に目が釘付けになるが、他の歌手についてはそういうこともなかった。まあ珍しい映画だしこういうものがあったことを知ることができただけでも幸運ではあるが、せめて歌手をもっと魅力的に見せる工夫はなかったのかなとは思う」→ホッピー×3→朝方就寝。
7月26日(水) 朝8時半起床→野菜スープ(キャベツ、ニンジン、新玉葱、ニンニク、豚バラ干し肉)、鰯とピーマンのスパゲティ→老父買い物代行(サミットのみ)→特に買い物せず帰宅。胃の調子が悪ようで食欲もあまりなく昼を抜こうと思ったのもあるが、しかし帰宅したら空腹を覚えた→菊水堂ポテトチップス、即席ラーメン(胡麻、生卵、刻み葱、焼豚)、缶ビール×2→午睡→『雁金屋草紙』(原作:鳥越碧、監督:蔵原惟繕。藤竜也、佐久間良子、富田靖子、神崎愛、伊藤孝雄、菊池健一郎、草笛光子、戸川京子、岸部一徳。1991、ABC) 第1回時代小説大賞受賞作のドラマ化。テレビドラマデータベース( http://www.tvdrama-db.com/ )から引用すると「尾形光琳・乾山兄弟の愛と芸術を雁金屋の女奉公人の視点から描く」という話で、まあその通りというしかない。原作を読んでないのでわからないが、「その通り」を人間が演ったという程度で、映像作品にした意味や魅力はよくわからかなった。ついでにいうと、この時期の佐久間良子の魅力も。戸川京子が演じる女のいやらしさ≠フようなものがとても印象に残った以外感想はないのだが(戸川京子は女優として大成したのではないかと改めて思う)、今観る故の画質の悪さなどもその原因かもしれない。あと恥ずかしながら、何故か山本周五郎原作と勘違いして観た所為もあると思うが(これは完全に私の落ち度)、いずれにせよ、まったく入り込めなかった→枝豆、ゴーヤ唐揚げ、フライドポテト、甘唐辛子素揚げ(おろし生姜)、鰯骨煎餅、納豆と海苔、大根と油揚のおつけ、ご飯、昆布佃煮、ビール中瓶×2、ホッピー×2→早々に就寝。
7月27日(木) 朝10時起床。白湯→大根と油揚のおつけ、卵かけご飯(納豆)、海苔→『お助け信兵衛人情子守唄』(原作:山本周五郎『人情裏長屋』、監督:吉川一義。畠田理恵、西山浩司、織本順吉、岡本信人、前沢保美、高橋英樹、出光元、田中好子、谷啓、有川正治、松村雄基、ダチョウ倶楽部、藤吉久美子。1995、日本テレビ)。ある意味世を拗ねた℃が市井の人たちに混ざって気楽に暮らす中で、いろいろな事情を抱えた人たちと出会い、己の生き方を定めていく、という物語だが、赦すことが自分を変える/自分が成長するきっかけになるという教訓も、説教くさくなく伝えてくるところがよい(原作の味わいを活かしていると言ってもよいかもしれない)。高橋英樹はただ強く頼り甲斐があり正しいだけでなく、ふざけたり怒ったり悩んだり、人間臭いところもいい塩梅にきれいに見せる芝居が見事。長屋の娘・蕎麦屋の孫のおぶんちゃんを演じた畠田理恵という役者はまったく知らなかったが(その後羽生善治と結婚して引退したとのこと)、心がきれいな娘の芝居がよく、印象に残った。谷啓扮する道場主の、弱っちいのに実はすべてを飲み込んでいるという人物造形もよかった。二時間ドラマだが思わぬ拾いもの→店主急病にてしばらく休んでいた〈あづまや〉再開と知り、夕方訪ね一杯。まだしんどそうだったが恢復に向かっているようでなにより。塩キャベツ、イカバター、アスパラベーコン、豚玉、ビール中ジョッキ×2、レモンハイ×1→帰宅後午睡→シャワー→『フォードvsフェラーリ』(原題『FORD V FERRARI』、監督:ジェームズ・マンゴールド。マット・デイモン、ノア・ジュプ、クリスチャン・ベール、カトリーナ・バルフ、ジョン・バーンサル、トレイシー・レッツ、レモ・ジローネ、ジョシュ・ルーカス。2019、米Twentieth Century Fox)。私の頭が悪い所為かもしれないが、物語の本筋であるフォードとフェラーリの確執に触れる前に、フォードのレース参戦に大きな力を貸した市井のしかし腕は確かなレース・ドライヴァー/メカニックを思わせぶりに登場させたために、いったい何を描こうとした映画なのかがなかなかつかめなかった。しかも「フォードvsフェラーリ」の前提の(私にとってはわかりにくい)説明部分に一時間ほど時間が費やされたため、その間に何の話だか頭を回転させるのも快楽の範疇を超え、辛さのほうが優ってしまった。残念。物語に関しては、日本語版Wikipediaの「あらすじ」が明晰でわかりやすいのに笑ったが、この「あらすじ」が要らないくらいに話が整理されていれば(あるいは観る者が引き込まれるような工夫がなされていれば)印象はだいぶ変わったのになあと思う。もっとも、「フォードvsフェラーリ」についてよく知っている人にとっては何の苦もない理解なのだろうが、しかしあまり/まったく知らない人を露骨に切り捨てなくてもよいのになとは思った→豚玉、たこ焼きぼうず、菊水堂ポテトチップス、冷かけそば(うずらの卵×2)、ビール中瓶×1、ホッピー×2→午前1時就寝。
7月28日(金) 朝8時起床。蕎麦湯、マヌカハニー→ 大根と油揚のおつけ、卵かけご飯(塩昆布、胡麻油)、海苔→午前中特に何もせず→冷やし中華(きゅうり、トマト、焼豚、薄焼き卵)→午睡→『雨あがる』(原作:山本周五郎、脚本:黒澤明、監督:小泉堯史。寺尾聰、宮崎美子、松村達雄、奥村公延、原田美枝子、大寶智子、頭師孝雄、杉崎昭彦、都家歌六、小熊恭子、三船史郎、吉岡秀隆、山口馬木也、仲代達矢、井川比佐志、児玉謙次、重水直人、隆大介、檀ふみ、下川辰平、保沢道子。2000、東宝/アスミック・エース)。同じ原作の『時代劇スペシャル 道場破り』(1982、FNN)の若山富三郎と本作の寺尾聰を比べると、本作の寺尾聰演じる三沢伊兵衛の人柄のほうが原作に近いように思った。もっとも比べてもしょうがないし、また映画版の『道場破り』(内川清一郎監督、1964年。三沢伊兵衛:長門勇)を見ていないので、原作に近い近くないを言っても意味はないのであるが、まあ感想として。本作は黒澤明が撮ろうとしていたが脚本執筆途中で亡くなり、弟子に当たる小泉堯史が跡を継いで完成させただけあって、黒澤明作品の雰囲気が色濃いが、本人が撮らなかったのがよかったのか、あるいは晩年になっていろいろな力が抜けて本人が撮ってもこうなったのか、とても柔らかな感じが心地よかった。雨に降り込められた宿の人たちは、冒頭のどんちゃん騒ぎで意外な藝達者ぶりを見せる以外に存在を主張する場面はあまりないが、しかし彼ら抜きで主な物語が進んでもその存在をずっと感じさせるようなところも面白い。存在感の話で言えば、伊兵衛の妻たよを演じる宮崎美子もやはり冒頭からあまり存在を主張する役ではないが、最後の最後にぴっしゃとした台詞をにこやかに叩きつける鮮やかさが取って付けたようでないところは、やはり冒頭から計算され尽くした演出と芝居があったからこそだと思う。原作通りの簡素な物語を大事した静かで小さい(という印象の)作品ながら、得るものが多い名作と思う。ところで終幕の夫婦が並んだ後ろ姿の絵が小津っぽいのだが、それにはなにか意図があったのだろうか?→夕方四谷三丁目〈CON TON TON VIVO〉へ。シャンソン歌手の蜂鳥あみ太を初めて拝聴(共演はピアノの佐藤真也)。この日は「四谷ぼっち巴里祭〜シャンソンしか歌わない日」と銘打った公演で、シャンソンしか歌わないならジャック・ブレルを聴きたいなと思ってたら、なんと一曲めがジャック・ブレル。とはいえ酔っ払って曲名は失念したが(あとから思い出すと、「Ça va (Le Diable)」だったような気もするが、定かではない。このほかも含め計三曲ジャック・ブレルを歌ってくだすった)、クルト・ヴァイルの曲やエリック・サティ「Je Te Veux」(歌手ご本人の訳詞がまた素晴らしかった)なども聴かせてくれて大満足の夜であった。曲名はことごとく失念したが、メモにはマリー・ギャランド∞気狂いワルツ∞君踊るとき∞すすけた橋桁≠ネどが残っているので(第二部の「Je Te Veux」以後はこっそり録音もした)、おいおい整理しようと思う→終演後歌手ご本人とお話しする機会があったので、ジャック・ブレルが聴けてよかった旨を伝える。あと「メケ・メケ」や「暗い日曜日」も聴きたかった旨や、「暗い日曜日」のエノケン版の話などもしたが、レオ・フェレの『悪の華』からなにか聴きたいと思ったのにお伝えするのを忘れた。〈CON TON TON VIVO〉ではキューバンサンド、ビール小瓶×1、赤葡萄酒三杯→その後〈dress〉に寄りラムソーダ割×2→平和に電車で帰宅。経堂駅からはタクシー→シャワー→『暗闇仕留人』見ながら豚生姜焼き、トマトときゅうりのサラダ、ビール中瓶×1、ホッピー×2→午前3時頃就寝。
7月29日(土) 昼前起床→おじや→昨日のまとめ→出雲式釜揚げそば(うずらの卵×2)→ひさびさにカレー製作(五種のダール)→シャワー→茄子ピーマン煮浸し、枝豆、じゃがいもクミンバターソテーバルサミコ酢和え、トマトとオクラとチーズの白ワインビネガー和え、五種のダール、ジャポニカバスマティブレンドご飯、ビール中瓶×1、ホッピー×2→フジTV『THE CONTEへの道』はまったく面白くなく、唯一最後に出た四天王の少年と宇宙人のコントが鑑賞に耐えるものだったが、『THE CONTE』に勝ち上がったのはコンビニエンスストアのアルバイト店員をモチーフにした、よくある変な人物をいじる@゙のものだった。まあ吉本デキレースというやつか(あとで確認したら四天王は松竹芸能だった)→本編の『THE CONTE』は『〜の道』と比べるとさすがに水準以上のものがほとんどと思ったが(まあ水準と言っても私がそう思っているだけのものだが)、青色1号(太田プロ)の、居酒屋での注文のちょっとした言い間違い(ネギトロ玉子→ネギトロ王子)を膨らませていくコントが抜群に可笑しく、ひいひい言いながら笑った。チンピラの兄貴の言い間違いを子分がかばって店員に詰め寄りつつ、店員の笑いが収まらないのと言い間違いをからかうような様子に自分も笑いが止まらなくなる、その間がとてもよかったし、いったん笑いだしてから「ネギトロ王子」という言い間違いを店員とふたりでいじり倒すところの勢いというか加速度というか、それが素晴らしかった→『山本周五郎全集』第一巻ようやく読了。第一巻最後の「菊屋敷」も、幸せとは何かを静かに問う名作であった。「新潮記」のように天皇肯定の論がない分主人公志保の人間像をすんなり受け入れることができたが、しかし山本周五郎の「天皇肯定の論」は私が「新潮記」を読んで勝手にそう名付けただけであって、他の(同時期のものも含む)作品を読んで判断していかなければなるまい→朝方5時就寝。
7月30日(日) 昼前起床→じゃがいもクミンバターソテーバルサミコ酢和え、トマトとオクラとチーズの白ワインビネガー和え、五種のダール、ジャポニカバスマティブレンドご飯、ビールロング缶×1→山本周五郎「ゆうれい貸屋」(全集第二十三巻)読みながら午睡。これはやはり面白いなあ。適度をちょいと超えた色っぽい記述の塩梅がよい→晩の支度→シャワー→昨夜の『THE CONTE』をまた見ながら、レタスとアボカドのサラダ、茄子のアチャール、鴨燻製、五種のダール、ジャポニカバスマティブレンドご飯、ビール中瓶×1、ホッピー×1→O形サイト更新(絵日記)→『ひばり姫初夢道中』(監督:大曾根辰夫。美空ひばり、高田浩吉、森川信、西川ヒノデ、小林重四郎、川田晴久、宮城千賀子、神楽坂はん子、ダイナブラザース、永田光男、鮎川十糸子、伴淳三郎、青山宏、ミス・ワカサ、島ひろし、堺駿二、富本民平、林喜美枝。1952、松竹)。2022年1月に観た際と感想はほぼ変わらないが、「高田浩吉が歌わなかったのが残念」は勘違いで、映画冒頭の行列の際に歌っている。あとは美空ひばりがまだ余分なものがついていない感じ≠ニいうのが発見、でもないが、新たに得た感想か。「美空ひばりがお姫様なのにどこであんなにたくさんの藝を身に付けたのだろう」は何度観てもまったくその通りで、紛れ込んだ旅藝人一座の興行でのメドレーはなんでそんなに歌って踊れるというところが可笑しい。本作のハイライトと言っていいかもしれない。以下2022年1月の感想「もはや感想を見つけるのが難しい類の映画ではあるが、美空ひばりがお姫様なのにどこであんなにたくさんの藝を身に付けたのだろう、という点は疑問と面白さと両方を兼ね備えていると思う。高田浩吉が歌わなかったのが残念だが、その分川田晴久が歌った、という感じか。しかし全体に、いい役者を揃えたのに活かしきれていないという印象はあった」→午前3時就寝。
7月31日(月) 朝8時起床→五種のダール、ジーラライス、ポーチドエッグ→老父買い物代行(サミット、記帳)→寿司(まぐろ×2、しめさば、大葉漬け真いか、煮あなご、活〆まだい×2、活〆はまち×2)、ビール中瓶×1→午睡→晩の支度→シャワー→レタスオイスターソース炒め(生姜、豚バラ干し肉)、きゅうりとわかめの酢の物(あおさのり)、ニンジンオクラ油揚の煮物(ニンニク)、即席ラーメン(焼豚、どんこ、刻み葱)、ビール中瓶×1、ホッピー外のみ→『雨あがる』再見。やはり素晴らしい。ケーブルTV経由の信号が少し荒れていたのが残念→『女吸血鬼』(原作:橘外男『地底の美肉』、監督:中川信夫。和田桂之助、三原葉子、矢代京子、池内淳子、中村虎彦、杉寛、千曲みどり、高松政雄、天知茂、和久井勉、浜野桂子、鮎川浩、水原爆、晴海勇三、五月藤江。1959、新東宝) ちょうど一年前に観たのをすっかり忘れていた。その際(2022年7月31日)の感想と変わらず。「天知茂の吸血鬼っぷりはさすが。そしてさすが中川信夫…… とまでは言えないのは、本作がある程度子供向けとも思えるからだろうか。地下の秘密のアジトの描写や、小人はともかく海坊主の存在なおどがそう思わせる要素かと思うが、それでも妙な説得力を感じるところは、やはりさすが中川信夫というべきか(地下アジトでの逆再生の用い方などははっとした)。爺や(和田老人=杉寛)がものすごく怪しいのに結局なんでもなかったのはご愛敬ということでよいのかな?(出てきてしばらくは、吸血鬼の一味でも不思議がないくらいだったが、物語の前半でいつの間にか存在感を失い姿を消した) 三原葉子はすでに三原葉子として完成されていたが、池内淳子はまだ特徴が見出せないとか、そういうところも面白い映画であった」→午前2時就寝。
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