2023年08月20日

8月まとめ(11〜20日)


クリスティーナ・リンドストロム/クリスティアン・ペトリ/ビョルン・アンデレセン『世界で一番美しい少年』、小津安二郎『青春の夢いまいづこ』、〈行辺〉、稲垣浩/山田達雄/田村高廣『地獄の蟲』、〈むらさきmusic〉、ジョージ・ギャロ『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』、マダムギター長見順(Vo, G, P)×高岡大祐(Tuba)×岡地曙裕(Ds) 於四谷三丁目〈CON TON TON VIVO〉、金子あい一人語り『ゆうれい貸屋』 於〈ちんとんしゃん〉。

8月11日(金) 朝11時起床。白湯、マヌカハニー→鶏もも肉とふなしめじのカレーライス(ニンジン)(納豆、しらす干し)→O形サイト更新(『四歳児』告知)→譜面修正。『乙女のワルツ』『Me, Japanese Boy』の二曲分。これは一二小節程度の修正で完了→『愛されちゃって、マフィア』(原題『Married to the Mob』−ギャングと結婚して−、監督:ジョナサン・デミ。ポール・レイザー、アレック・ボールドウィン、キャプテン・ハガティ、チャールズ・ネイピア、ミシェル・ファイファー、ジョーン・キューザック、エレン・フォーリー、オーラン・ジョーンズ、マーセデス・ルール、ジェイソン・アレン、アンソニー・J・ニッキー、マシュー・モディーン、オリヴァー・プラット、フランク・ジオ、ゲイリー・ハワード・クラー、フランク・フェラーラ、ディーン・ストックウェル、ゲイリー・ゴーツマン、ナンシー・トラヴィス 、テリー・ウィルソン、マリア・カルニロワ、ジーン・ボルカン、ジョセフ・L. ・'Mr. スプーン'・ジョーンズ、トレイシー・ウォルター、'シスター'・キャロル・イースト、Pe' De Boi、バズ・キルマン、クリス・アイザック、アル・ルイス、ラルフ・コーセル。1988、米Orion Pictures)。マフィアのボス(ディーン・ストックウェル)が自分の女とデキていた部下(アレック・ボールドウィン)を殺した挙句、その妻(ミシェル・ファイファー)に手をつけようとしたことによる騒動を描いたコメディ、という感じではあるが、話の展開や笑いどころよりもまずミシェル・ファイファーの魅力を楽しむ感じの作品だった。それに加えてボスの妻(マーセデス・ルール)のコメディエンヌっぷり(怖い女という役柄なのだがその怖さが可笑しい)が見事で、それもあって映画の出来云々よりもふたりの女優の芝居を楽しんだという次第。テンポがいささかもっさりしていたり、文句をつけたい様子は多々あれど、最終的にはたいへん楽しんだ。邦題はちょいとダサすぎやしないかな→キャベツ千切り塩昆布和え、ししゃも唐揚げ、鶏もも肉とふなしめじのカレー、もりそば、ビール中瓶×1、うすめホッピー割り×1→早めに軽めの晩にして、夕飯後仮眠。昨日と同じく、ちょっと食べただけですぐに腹が(文字通り)膨れてしまう。またこの土日くらい断食して様子を見るか→『暗闇仕留人』録画消化と録画整理→『世界で一番美しい少年』(原題『The Most Beautiful Boy In The World』、監督:クリスティーナ・リンドストロム/クリスティアン・ペトリ。ビョルン・アンドレセン、※ルキノ・ヴィスコンティ、イェシカ・ヴェンベリ、※マルガリータ・クランツ、※ミリアル・サンボル、大家エーヴァ、アン・ラーゲストローム、※沢渡朔、マックス・セキ、酒井政利、池田理代子、アニケ・アンドレセン、シルヴァ・フィルメル、ロビン・ロマン−−※は過去映像からの引用/音声のみも含む、無印は本作のために取材・撮影。2021、瑞Juno Films)。ビョルン・アンドレセンというスウェーデンに生まれた一少年が、映画『ベニスに死す』の主役としてヴィスコンティに見出されたことで栄光と苦難に満ちた−−いやほとんど苦難ばかりのようなのだが−−人生を歩まざるを得なくなった足跡を追ったドキュメンタリー。この映画を全面的に信じるならば、ヴィスコンティの所業は昨今ハリウッド映画界を中心とした「Me Too運動」やあるいは日本のジャニーズ騒動と同じ根を持つ性的搾取と思う(法的にどうかはわからないが、犯罪と言ってもよいのではなかろうか)。そしてヴィスコンティがビョルンを守りさえすれば(『ベニスに死す』撮影後、ヴィスコンティがビョルンを突き放すように扱ったのは、性的関係を拒否されたからではないかと邪推してしまう)、あるいは日本での過酷な仕事はなかっただろうし、それがひいてはのちの人生の不幸な側面にもつながっているように思う。しかしそうした境遇を静かに受け入れながら、静かに老いていって、静かにダメな人間になっているビョルン・アンドレセンの姿がなんとも印象に残る。資料としては、『ベニスに死す』のタジオ役を探すオーディションのドキュメンタリーである『タジオを求めて』の一部が見られるのは、今となっては貴重か→炒め葱割下煮、ピーマン焼き、茄子のアチャール、ところてん、酎ハイ×2、ビール中瓶×1→午前4時過ぎ就寝。
8月12日(土) 朝10時半起床。白湯、マヌカハニー→わかめと油揚のおつけ(揚げ玉)、ご飯、納豆、海苔、うずらの卵×1→粥製作。本日はこれのみで行こうと思うが、果たして→『悲しき口笛』(原作:竹田敏彦、監督:家城巳代治。大坂志郎、美空ひばり、原保美、津島恵子、山路義人、徳大寺伸、菅井一郎、神田隆、水島光代。1949、松竹)。本作を観る度に、美空ひばりの魅力の本質とはそのフリークス性であり、その魅力が最も輝いているのが本作ではないかと思うし、今回もそう思った。あとは前回(2021年1月)に観た際の感想(以下「」内に引用)と同じだが、「美空ひばりの映画デビュー直後(初主演?)」とあるのははっきり「初主演」に訂正。あと「映画として傑作かどうかといえばどうかな」については微妙だが、美空ひばりのフリークス性の採り上げ方を考慮すると、会うべき人たちのすれ違いの組み立て方のうまさなども含め、佳作とは言ってよいと思う。「やけにさっぱりしたタイトルロールがまず印象に残る(なんであんなにさっぱりしているんだろう?)。それと戦後風景のきちんとした描き方や(といっても戦争を知らない私がそう感じるだけだが)美空ひばりの汚し方なども印象に残る。まあでも、物語としては思いつきがちな感じではあるし、映画として傑作かどうかといえばどうかな。美空ひばりの映画デビュー直後(初主演?)という記念碑的な価値はあろうが、それ以上はよくわからなかった」→譜面作業、「髪がゆれている」の細部もほぼ完了→シャワー→『鬼平犯科帳』(原作:池波正太郎、監督:小野田嘉幹。峰岸徹、石倉英彦、二代目中村吉右衛門、勝野洋、岩下志麻、本田博太郎、平泉成、遠藤憲一、栗田よう子、蟹江敬三、梶芽衣子、世良公則、高津住男、石橋蓮司、神山繁、尾美としのり、藤田まこと、東根作寿英、久我陽子、多岐川裕美、道場六三郎、江戸家まねき猫、三代目江戸家猫八、綿引勝彦、藤巻潤、高橋悦史、三代目中村歌昇。1995、松竹)。十二分に面白く、吉右衛門も相も変わらずカッコよい。特に気風のよさと情け深さを感じさせる台詞回しはいつまでも味わっていたいと思う。とはいえ、映画化する意味はよくわからなかったが、それは家のセコいTVで観た所為もあろう。というか、TVでヒットしているシリーズを映画館のでかいスクリーンでも観てほしいと思い制作されたのだろうとは思うし、あれだけTVシリーズが続いている中での映画化をTVで観たらもう仕方ないか。いや映画化するなら、やはり家のTVで観てもこれぞ映画、と思わせられるものが欲しかったかな→菊水堂ポテトチップス、枝豆、オイルサーディン、鶏もも肉とふなしめじのカレー、ナスのアチャール、わかめと油揚のおつけ、粥(梅干し)、ビール中瓶×1、酎ハイ×1→夜9時一旦就寝。
8月13日(日) 午前0時頃起床→『青春の夢いまいづこ』(監督:小津安二郎。大山健二、江川宇礼雄、笠智衆、斎藤達雄、田中絹代、坂本武、葛城文子、伊達里子、武田春郎、二葉かほる、水島亮太郎、飯田蝶子。1932、松竹)。学生たちが着ている「P」の字のTシャツやベーカリーの看板はもとより、着物をだらしなく着て座卓でビールを飲んでいる主人公の一人・堀野哲夫(江川宇礼雄)の父(武田春郎)の姿や卓上の様子さえモダニズムを感じさせる。その堀野哲夫が父の急死を受けて会社を継ぎ、そこに仲間三名(大山健二、笠智衆、斎藤達雄)が入社させてもらうことによって生じる友情の亀裂や、ベーカリーの娘(田中絹代)を巡る恋の鞘当てなどの物語、堀野哲夫にしつこくつきまとう令嬢の遠ざけるために父があいつはひどい息子だとひと芝居打つ様子や入社試験で若社長(堀野哲夫)が仲間たちにカンニングをさせるくだりなどのギャグも冴えていて、編集の間やテンポもよく、一言で言って完璧な映画と思う。現代にも通ずるものがあるので、リメイクしたらどうか…… と考えてもみたが、まあダメだろうな。終幕の、会社の屋上から新婚旅行(斎藤達雄、田中絹代)の列車を仲間たちが見送るのは、『秋日和』で繰り返されている→御酒×3→朝方就寝→昼頃起床→わかめと油揚のおつけ、葱入り炒り卵乗せ鶏粥→ギター練習と譜面の調整。まだまだ間違いがあった。明日も引き続き→シャワー→『バタリアン』(原題『The Return of the Living Dead』、監督:ダン・オバノン。クルー・ギャラガー、ジェームズ・カレン、トム・マシューズ、ビバリー・ランドルフ、ジョン・フィルビン、ジュエル・シェパード、ミゲル・A・ヌネス・ジュニア、ブライアン・ペック、リネア・クイグリー、マーク・ヴェンチュリニ、ジョナサン・テリー、キャスリーン・コーデル、ドン・カルファ。1985、米Orion Pictures)。ジョージ・A・ロメロ『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のコメディ的パロディ、とされているようだが、パロディというよりは柳の下の〜的な作品だったし、ゾンビに襲われる登場人物がことごとくバカではあったが、しかし主人公のひとりフランク(ジェームズ・カレン)の友人の不良たちも含めバカたちのバカ度が笑いを生むまでに至っておらず(とつぜん吹き出した「トライオキシン245」の所為で、前半の舞台になった医療会社倉庫に保管されていた半分に破られた犬の死体や蝶の標本まで生き返るのが可笑しかったりなど、多少は笑ったところもあったが)、結末も助けを求めた軍人(ジョナサン・テリー)を通じて主人公たちがゾンビから逃れていた施設ごと爆破されてしまうという、結果的には単に悲惨なだけの映画であった。エンドロールも本編の映像を繋ぎ合わせただけで、工夫があるわけでもない。どこがよかったのか、なぜ話題になったりヒットしたりしたのか(当時話題になったのはなんとなく覚えている)、シリーズ化(全五話)までされたのは何故なのか、まったくわからなかった。そもそも「バタリアン」も日本公開時につけられた独自のタイトルだ(字幕に一度か、「バタリアン」という語が出てくるが、台詞では言っていない)。ちなみに本作からタイトルだけ拝借した堀田かつひこの漫画『オバタリアン』は1988〜1989年の作品、これがヒットしたから本作も話題になったのかもしれないが、それにしては時期がずれている(本作の日本公開は1986年)。と、文句しか出てこない映画だが、観ていて不快な感じはせず、なんとなく好感を持ったのが不思議だ→キャロットラペ(桃)、ポークソテーとマッシュポテト、レタス玉葱ピーマンのスープ、パン、ビール中瓶×1、赤葡萄酒(オヤジの1リットル)×1/2。最近晩の時間にあまり食も酒も進まないことがほとんどだったが、今日は気持ちよく飲み食いできた。少しだけでも節制を心がけたからだろうか→夜10時頃就寝。
8月14日(月) 午前0時頃起床→『バタリアン』復習と録画整理→ギター練習→朝方就寝→昼頃起床。白湯、マヌカハニー→レタス玉葱ピーマンのスープ、鶏卵粥→『藤圭子 わが歌のある限り』(監督:長谷和夫。天知茂、藤圭子、田村亮、長門勇、斉藤理香、梶浩昭、伴淳三郎、三角八郎、扇千景、吉田栄子、左とん平、梶正昭、牧紀子、坂上二郎、穂積隆信。1971、松竹)。藤圭子の幼少期からレコード・デビュー〜初リサイタルまでの軌跡を追った作品で、その「軌跡」がどこまで真実かはわからないが(登場人物の名前は微妙に変えてある)、しかし「軌跡」部分と藤圭子本人の歌の分量のバランスが悪いなあというのが第一印象。歌が始まるとおっ、と思わせられるのに、そこに行き着くまでが長い。とはいえ、主に長門勇と伴淳三郎の芝居のうまさで、「軌跡」部分も観てしまうのだが。藤圭子を見出す作曲家・石中(石坂まさをがモデルだろう)を天知茂が演じているのだが、これがなんとも微妙なミスキャスト? という感じで落ち着かない(藤圭子を殺してしまいそうだ)。石中が藤圭子に入れ上げる姿に思い悩む妻役の牧紀子が、カッコよ過ぎてあまり悩んでいるようには見えないのだが、なかなかの存在感。その一方で圭子の母役の扇千景や恋人役の田村亮は意外に存在感や華がなかった。圭子のデビュー曲のシングル盤を聴いて「うまいだけ。有名になりたいという心が見えていて、我々吹き溜まりの人間の心がわかっていないようだ」と酷評するスナックの客=坂上二郎の存在はかなり効いていた。ところで藤圭子は劇中では松平圭子という本名≠ナ語られるが(実際の本名は阿部純子)、芸名を「藤圭子」にするくだりはなかったもののように思う。しかしステージで「それでは藤純子の〜」と紹介されるナレーションが入っているのは、実際のリサイタルの映像を使ったからだろうか。だとしたら映画の作りとしては杜撰だが、その辺は要確認→午後中江クリニック。先月採血した検査の結果は、中性脂肪が少し高めなだけで尿酸値も含めなんの問題もなかった。拍子抜けかつ安心。血圧の診断も含め、5分で終わった→クスリ受け取ってから、ひさびさに〈行辺〉。刺身(鯵、白イカ)、トキシラズ塩焼き、寿司(卵、マグロ、かます、煮穴子、カツオ)、あら汁、ビール中瓶×1、御酒×1 1/2。新子が切れていたのが残念だが(来週はもう成長してしまっているとのこと)、刺身はいうまでもなく、トキシラズもいい感じで、そしてかますと煮穴子とマグロの寿司にああとため息、それが店内にかかっていたドナ・サマー「Love to Love You Baby」の喘ぎ声と重なったので笑った→帰宅後午睡→シャワー→『ウェディング・ハイ』(監督:大九明子。篠原涼子、中村倫也、関水渚、尾美としのり、皆川猿時、高橋克実、佐藤晴美、山田佳奈実、宮尾俊太郎、八木将康、泉澤祐希、川野直輝、浅利陽介、河邑ミク、池田鉄洋、六角精児、岩田剛典、前野朋哉、中尾明慶、片桐はいり、伊勢志摩、臼田あさ美、久保田磨希、中川大輔、岡野陽一、向井理。2022、松竹)。まず出だしのテンポが悪く、最初の15分くらいでかったるくて観続ける気が失せる。話を転がすのを字幕に頼り過ぎでいちいち気が削がれるし、「誰それは〜」という形でその都度スポットが当たる人物が多過ぎて話の軸がなかなか見えてこない。それぞれ披露宴でスピーチしたり新郎新婦の紹介映像を作ったりなど重要な存在ではあるが、それぞれの背景を事前に詳しく描く必要があるのか疑問(披露宴の中のそれぞれの場面でさらっと伝えてくれれば十分ではないか)。そしてそれは当然、物語を構成する要素が多過ぎるという点にもつながっていて、最終的に最初の新郎新婦紹介映像やスピーチが長過ぎて途中で披露宴の時間を切り詰めなくてはならない≠ニいう多分最大の山場になったであろう展開がまったく活かされなかった(太鼓演奏、創作ダンス、マジック、マグロ解体ショーをいっぺんに行う、というアイデアは面白かったが、全体の話の組み立て方がうまくないので、アイデア倒れという印象だった)。で、そこにさらにご祝儀泥棒と新婦の元カレ≠フ乱入という要素を乗せてくるものだから、もうなんだかわからないし、ご祝儀泥棒と元カレ≠フ追いつ追われつにスカトロネタを持ってくるのもいただけない(スカトロネタが悪いのではなく、活かせていないからただ不快なだけであった)。さらにさらに物語の冒頭にちょっとだけ出てきたバーのマスターがご祝儀泥棒の捕物に貢献するのが「伏線回収」のつもりなのだろうが、その「冒頭」で肝心の技を披露していないので(言葉による説明だけ)、伏線回収ではなく辻褄合わせに思える(こんな使い方なら、バーのマスター自体登場させなくてよかっただろう)。しかしたとえば三谷幸喜『有頂天ホテル』だって要素の多い物語だったが、左記のような感想を得ることはなかった。要するに、脚本のバカリズムはアイデアをいろいろ思いついたがそれを活かすセンスや技量がなかったということではないかと思うが、バカリズムはちょっと甘やかされ過ぎではないかな。本作については、作っている側(監督はじめスタッフ、役者たち)が面白いと思っているのかすら疑問。若手はともかく、いい役者を揃えているだけに、とても残念な駄作と思った→あまりにつまらなかったので『マネー・ピット』を再見し気分を直してから朝方就寝。
8月15日(火) 昼頃起床→鶏卵粥→J:Com来たりてインターネット接続用のモデムを交換。なんで交換が必要だったのかは結局わからず→ギター練習。テレキャスターを少しメンテナンスしたが(弦高下げ、弦への専用油塗布)、あまり弾きやすくならないな→シャワー→茄子とズッキーニのソテー、枝豆、鯖醤油煮缶詰(針生姜)、粥、梅干し、ビール中瓶×1、赤葡萄酒一杯→ギター練習→夜0時頃就寝。
8月16日(水) 朝8時頃起床。白湯、マヌカハニー→野菜スープ、粥、炒り卵→老父買い物代行(サミット)。それから〈はま寿司〉に寄り、ネット注文分を受け取り。ついでに追加注文→亡母の祥月命日ということで、老父宅にて昼食。寿司(まぐろ、サーモン山わさび、甘えび、活〆まだい、大葉漬け真いか、煮あなご、こはだ、鯖押し寿司。計16ケ)。昔の写真を見せてもらいながら長居した→帰途〈サミット〉船橋店で買い物して帰宅→ギター練習。昨日よりはいい感じになった。というか、弾きにくいギター(テレキャスター)でも柔らかみが出てきたというか→シャワー→菊水堂ポテトチップス、レタスとトマトとオクラのサラダ(ちりめんじゃこ)、豚こまと玉葱とピーマンの炒め、舞茸と油揚のおつけ、粥半膳(ちりめんじゃこ、ビール中瓶×2→ひさしくO形の歌と合わせていなかったので泥縄式に四曲演ってみたが、サボってた分のツケも含めて明日ありのままを見てもらうというつもりのほうがよいと判断。ギターはその後も少し練習。まだところどころ間違えるがご愛嬌の範囲かな→『地獄の蟲』(原作:稲垣浩、監督:山田達雄。柳沢真一、吉永唯志、今村民路、三堀優、三島謙、柳家小さん、三遊亭圓歌、佐藤陽子、戸上城太郎、逗子とんぼ、伊沢一郎、沢竜二、天方保、田村高廣、宮下順子、佐藤光、大槻茂、松山省二、高杉政雄、太田優子、松戸寿江、香川良介、花岡菊子。1979、マツダ映画社)。1938年に稲垣浩監督・阪東妻三郎主演で制作されたが、終幕の自決の場面で晒の腹巻に血が滲むなどの描写が内務省の検閲にひっかかりお蔵入り。その稲垣浩による原作・脚本をそのままの形で、阪妻の長男・田村高廣主演で再映画化したのが本作。話としては、主人公・黒雲団十郎がふとした勘違い(実父を殺したと思い込む)で一介の強盗から本当の悪を自覚するところ以外はそれほどひねりは感じなかったが、無声映画時代の表現を現代にうまく活かした絵造り(効果音と音楽のサウンドトラックは演出物件としてフィルムに組み込まれている)と、終盤の大立ち回りはとても魅力的。話を知っていても何度も観たくなる、映画的魔術を湛えた作品と思った。すぎやまこういちによる弦楽・吹奏楽の八重奏団の音楽も、絵造りが無声映画時代の感じを採用したことを考えれば意外性があり、しかし本作にはよく合っていて印象的だが、左記の大立ち回りの場面で主題歌である桑原野人歌唱の「第一章 地獄の蟲」(作詞:なかにし礼)がかかるのは、いいんだか悪いんだかよくわからなかった。この歌は映画が始まる前の黒画面でかかり、タイトルバックでもかかるので、なにかしらの意味を持った楽曲なのだろう→金宮酎ハイ×1→午前4時就寝。
8月17日(木) 朝8時頃起床→舞茸と油揚のおつけ、ご飯半膳、江戸むらさき、海苔→本日の受講の資料を印刷しようとしたがプリンタ認識せず焦る。結局はなんとかなった→支度して11時出立→途中、〈深水庵〉で昼(冷やしたぬきそば)→東八、新小金井街道、府中街道、五日市街道。一時間ちょっと早く着いたので、〈コメダ珈琲〉で休憩→旧友の営む〈むらさきmusic〉ラボにて、夫婦デュオの編曲・演奏について御指南いただく。四曲披露したうち、「白い波」「Me, Japanese Boy」は細かい点を除いてお褒めいただいたが、「髪がゆれている」は「白い波」とアプローチが似ている/サンバ風のところが効果的でない、「乙女のワルツ」は前半が(狭義での)ワルツの態をなしていないので後半ロックになるところの効果が薄い、とのご意見。確かに「サンバ風」も「ロック」も、好意的に聴いてくれる人以外には伝わらない(伝えようとする工夫や強さが足りない)とは自分でも思う。よい課題をもらった。扉を叩いてよかった。それ以外はパンディロはじめフレームドラムのお試しなど。ひさしぶりにいろいろ話をできたのも楽しかった。〈むらさきmusicラボ〉がクルマだと意外に近い(行きやすい)のも発見→帰途、〈サミット〉船橋店にて晩用の寿司など購入→シャワー→『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』観ながら菊水堂ポテトチップス、レタスとトマトとピーマンのサラダ(ちりめんじゃこ)、寿司7ケ(マグロ、トロビンチョウ、イカ、卵、エビ、その他)、ネギトロ軍艦、鉄火巻き、炙り寿司5ケ×1/2(炙りいか、炙り金目鯛、焼きハラス、柚子塩びんちょうハラモ、炙り〆さんま)、ビール350ml缶×3→映画の途中で眠くなり、夜9時頃就寝。
8月18日(金) 朝5時頃起床→『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』復習。(原題『The Comeback Trail』、監督:ジョージ・ギャロ。ロバート・デ・ニーロ、ザック・ブラフ、トミー・リー・ジョーンズ、モーガン・フリーマン、エディ・グリフィン、ジャーメイン・ワシントン、エミール・ハーシュ、パトリック・マルドーン、デジレ・ジェラルディン、ケイト・カッツマン、クリス・マリナックス、アイリーン・マッカーナン。2020、米Cloudburst Entertainment)。ギャングからの借金を返せなくなったB級映画プロデューサーが、主演俳優を撮影中に死なす(殺す)ことで保険金を得る詐欺を思いつき実行に移すが、図らずも傑作を撮ることになって…… というベタは物語をベタなままにうまく組み立てた傑作、名作、いや佳作かな。これがたとえばタランティーノならひと捻り、ふた捻りを加えて傑作≠作ったかもしれないが、捻りがなくても繰り返し観たくなる作品を作ることができる、という好例とも思う。主人公の三人(デ・ニーロ、トミー・リー・ジョーンズ、モーガン・フリーマン)がそういう呼吸をよくわきまえた名優というのもあるだろうが(モーガン・フリーマン扮するギャングのボスが映画好きというのが、これまたベタではあるがスパイス的に効いている)、そういう呼吸をわきまえる域にはまだいないような女映画監督役のケイト・カッツマンなどの存在が輝きつつ映画の肝の部分に効いているのもよかった。映画冒頭の『尼さんは殺し屋』の騒動、人気俳優(パトリック・マルドーン)の転落死のくだり、老名優デューク(トミー・リー・ジョーンズ)をスカウトに行った先の俳優専門老人ホームでのゾンビ映画をにおわせる描写、名馬?バタースコッチの名演、殺されるはずが何度も窮地を脱するデューク、殺すはずが何度も死にそうな目に遭いしかしいつも無事なマックス(ロバート・デ・ニーロ)−−いい加減な発言や態度がまた可笑しい−−などなど、笑いはいずれも大きいものではないが、物語の中での効かせ方もよく考えられていると思う。本編での笑いは大きいものではなかったが、エンドロールで『尼さんは殺し屋』予告編(本編の一部?)が流されるのには大笑いした。と、無邪気に笑って楽しんだ一方で、役者を殺そうとするくらいではないと名作は撮れない、という皮肉なメッセージも感じさせられる→パン4切れ(オイルサーディン、ちりめんじゃこ)、ホッピー割り×1→午前中横臥→昼過ぎ起床→舞茸と油揚のおつけ、卵かけご飯(ちりめんじゃこ)、海苔→夕方四谷三丁目〈CON TON TON VIVO〉へ。三回めのマダムギター長見順(Vo, G, P)×高岡大祐(Tuba)×岡地曙裕(Ds)。一回めは一回めで、手探り手探りなのがよい爆発を生んでいたと思うが、今回はほぼバンドとしての安定感と相互信頼を伴ったインタープレイという趣。私の力が足りず集客が思わしくなかったのでまたすぐにとは言いにくいが、またぜひお願いしたい。演奏曲目は

01 百姓の娘
02 地域マンボ
03 ハナウタ
04 おとうさん、アレどこいった?
05 サー中村

06 ハレルヤ
07 ブルージー音頭
08 Which would you like beef or chicken?
09 加藤さんのテーマ
10 One Day

enc. 乾杯のうた

いつもそうだと思うが昨夜は特に、音楽の形式としてではなく、魂のあり様や表出の仕方としてのブルースなのではないかななどと考えた。店ではサルサ&チップス、タコス、赤葡萄酒×1+α→終演後〈dress〉に移動しさらにラムをストレートで。もうこの時点から記憶なしだが、平和に?タクシーで帰宅。
8月19日(土) 宿酔で終日横臥→途中冷やし月見納豆ぶっかけうどん(揚げ玉、おろし生姜、刻み葱、刻み海苔)食べて、また夜まで横臥→レタスとピーマンとオイルサーディンのサラダ、わかめと油揚のおつけ(揚げ玉)、ご飯、錦松梅→昨日の録音から曲順などをメモ→だらだらと過ごして午前3時就寝。
8月20日(日) 朝9時起床。白湯、マヌカハニー→血圧高騰。おとついの晩と昨日の朝クスリ飲まなかった所為かなとも思ったが、一日抜いただけではそう変わらないはずとも思う。血圧は未だに謎→シャワー→わかめと油揚のおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯(ちりめんじゃこ、納豆)、海苔→金曜日にご用命いただいたB電子の仕事、本日夜と明日明後日外出の予定であることを思い出し、少しラフだがひとまず第一稿上げて提出→読書。山本周五郎「ゆうれい貸屋」の予習?復習?ついでに、「百足ちがい」「つばくろ」。歌舞伎の『ゆうれい貸屋」も→舞茸きつねスパゲティ(にんにく、生姜、青葱、黒胡椒、青海苔、煎酒)、御酒×1/2→夕方高円寺に出て、〈ちんとんしゃん〉にて、俳優・演出家の金子あいによる一人語り『ゆうれい貸屋』(山本周五郎原作)を堪能。

原作が落語的ではあるし、着物姿で座布団に正座し動き少なく語る形も落語にかなり近いが(表面的な違いといえば、書見台があるのと、人物の演じ分けでわかりやすく上下を振らないくらいか)、そんな落語の形に原作をほぼそのまま読む≠ニいう落語では普通用いない方法(と思うが果たして)を持ち込んだり、あるいは落語的ではない演出・演技手法の工夫を取り入れたりした成功例、というようなことを思った。

物語の前段、主人公の怠け者の桶屋の弥六のもとにお染ゆう女が最初に登場するところの「う……ら……め……し……や……なあ」にゾッとするくらい怖く感じさせられそんな感想を思いついたのだが、しかしこれについては怪談噺で用いられるような表現かもしれない。だがこれ以外にも、落語ならもう少しあざとく笑いを取りに行くところでそうは行かない、でもそれが却ってこの物語の真髄を伝えてくるような効果を生んでいる、という点も多数あったと思う。

むろん金子あいご自身も落語から様々なことを学んでいるものと思うが、落語側も(とりわけ最近は若手や女流を売り出そうとしているようだから)金子あいが今回提示したような演出・演技手法の工夫を取り入れてもいいのではないか…… といった余計なお節介も素人ながら考えた。

ちなみに前述の「人物の演じ分けでわかりやすく上下を振らない」については、登場人物ごとに声色を極端に変えたりということもなかったと記憶する。人物の演じ分けは主に台詞の言い回しで工夫していたように思うが、目を瞑って聴いていてもその演じ分けは鮮やかだった。

そういえば『ゆうれい貸屋』は歌舞伎にもなっていて、私が録画中継で観たもの(2007年歌舞伎座、片岡孝太郎、坂東三津五郎、中村福助、中村勘三郎、中村七之助出演)は笑いの多い演出だったが、本公演での笑いは原作に沿って組み立てたという印象で、聴き手を笑わせる≠フではなく、どこでどれだけ笑うかの裁量を聴き手に委ねていた印象、しかしその分原作が問いかけている人の在り方の機微のようなもの−−色っぽいところも、だらしないところも、魅力的なところも、人を気遣うところも、正しいところも、哀しいところも、そしてそれらの裏にある様々な要素も−−をまっすぐに増幅しているように感じた。そこに小説を語って聞かせる≠アとの大きな意味があるように思った。

以上勘違い思い違いもあるとは思うし、それに読み返してみるとなんだか偉そうで恐縮至極だが、感想まで。今年山本周五郎熱が再燃しているところに偶々この公演のことを知った次第、美しく端正な話藝から感じさせられる緊張感と、原作の機微を活かした笑いと弛緩とを、心地よく十二分に味わわせてもらった今回の一時間強の語りによる『ゆうれい貸屋』、これはいいものを体験した。

→懇親会も楽しく、いい塩梅に酔う。演者ご本人とのおしゃべりも楽しく、またとてもひさしぶりにタカオさんにお会いできたのも嬉しかった→平和に電車で帰宅→シャワー→冷水で戻したカップ天ぷらそばを肴にビールロング缶×1→午前2時頃就寝。
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