2023年08月31日
8月まとめ(21〜31日)
ひさびさの野毛逍遥(大島コーヒー店、グリルミツワ、旧バラ荘)、川上アチカ/港家小そめ/玉川祐子/港家小柳『絶唱浪曲ストーリー』 於〈横浜シネマリン)、横浜中華街、グレタ・ガーウィグ『バービー』、テリー・ジョーンズ(モンティ・パイソン)『ミラクル・ニール!』、フランシス・フォード・コッポラ『ゴッドファーザー』シリーズ全三作、北海道白老産ムラサキウニ、祖師ヶ谷〈カフェ・ムリウイ〉の夏限定屋上ビアガーデン。
8月21日(月) 朝9時起床→わかめと油揚のおつけ、ご飯、錦松梅、梅干し、海苔→昨夜の感想を認めてから、昼過ぎ野毛に向けて出発→午後1時過ぎ着→移転なった〈萬福〉に寄ってみたら満席で入れず(店のおばちゃんに「一杯?」と聞いたら「店の中に入ってごらんよ、空いているように見える?」と返されたが、なんであんなに不機嫌そうだったのだろうか)。野毛の町をぶらぶら歩いてから、〈大島コーヒー店〉にてベーコンたまごサンド、生ビール×2。ここはここで普通に落ち着けるいい店。ただしジャズがかかってるかなと思ったら、スティーヴィ・ワンダーだったが、不満はなし→長者町のほうに歩いて、〈シネマリン〉周辺の道や駐車場を確認→午後3時少し前に宿に入れてもらい、しばし休憩・午睡→夕方ミツワグリルにてコーンスープ、トルコライス、ビール中瓶×1→そのまま飲み行くつもりだったが、少し食休みしたくて宿に戻る→軽く眠ってから夜9時過ぎ〈旧バラ荘〉へ。逗子海岸米兵連続傷害事件(2022年7月)の「迅速な救済判決を求める署名」に協力するためというのが主目的だが、それはそれとして楽しく飲む。ジントニック×2、ラフロイグのストレート×2。そういえば本日昼過ぎ野毛に来てから、初めて人間らしい会話をしたように思う→帰途コンヴィニエンス・ストアに寄り追加の酒と明朝の食事を購入→宿に戻ってシャワーののち、焼かまぼことんこつラーメン味、牛焼肉のトルティーヤ3巻き、ビール350ml缶×2で読書→午前1時就寝。
8月22日(火) 何度か目を覚ましたり朝食(牛焼肉のトルティーヤ1巻き)を食べたりしながらうとうとしつつ、朝8時半起床→9時過ぎチェックアウトし、〈シネマリン〉へ移動→『日光物語』(監督:五藤利弘。スネオヘアー、三坂知絵子、武藤十夢、大高洋子、吉永アユリ、万登香、九十九一、伊藤克信、大桃美代子、岩瀬顕子、内藤忠司、ベアーズ島田キャンプ、宝田明、岩瀬顕子、栩野幸知、和宥、鎌田規昭、城之内正明。2022、新日本映画社)。旅の女性(武藤十夢)に亡き妻の面影を見たぐうたら男(スネオヘアー)が、旅の女性のために奮闘し、恋心も抱くが、最終的には失恋する−−という物語はよいと思うが、その物語を構成する場面ごとの演出の多くを外しているように思った。たとえばぐうたら男の営む喫茶店での常連客との他愛のない口喧嘩もぐうたら男の口調がちょいと強過ぎてこれじゃあ常連でも寄りつかなるのではという塩梅だし、大事なものを探しにきた旅の女が大事なものを落としたら中を覗かれた! と怒ったあとそれを受け入れる様子も少し不自然、さらに旅の女がいくら親切にされたからってぐうたら男の家の夕食を作るくらいに入り込むというのも不自然に思える(あれではぐうたら男が結婚まで考えてしまうのには無理はないが、それ以前に無理があるように感じてしまう)。また武藤十夢の芝居のできなさが追い討ちをかけて(他の役者のチグハグな感じも武藤十夢のレベルに合わせたのかなと邪推してしまう)、全体的にはせっかくの物語を活かせなかったという印象。ちなみに本作は宝田明の遺作で、宝田明は輪王寺門跡という役、『男はつらいよ』で言えば午前様の役どころだが、撮影時は御歳88歳。自由に遊んでいるように見える芝居は面白かったが、立っている場面では実際には立っていられず、おつきの役のひとがいつも後ろで支えている(宝田明が少しふらっとすると一緒にふらっとする)のは、可笑しいと言えば可笑しいし、痛々しいと言えば痛々しい→『絶唱浪曲ストーリー』(監督:川上アチカ。港家小そめ、玉川祐子、港家小柳、玉川奈々福、沢村豊子、港家小ゆき、玉川太福、富士綾那。2023、東風)。ちんどん月島宣伝社で親方そしてちんどん奏者として活躍しながらも、港家小柳の浪曲に惚れていつの間にか入門した港家小そめ(ちんどん屋としては堀田祐子)の、港家小柳や沢村豊子との触れ合いから名披露目興行までを追ったドキュメンタリー。狭い場所での撮影が多い所為か、見難いなと思う画面が多かったが、物語として人為的に組み立てようとはしていないように見える編集が名披露目興行での感動(本気で泣いた)につながっていくようなところは素晴らしいと思った。港家小そめの師匠港家小柳そして師匠の死後預かってもらった沢村豊子に対する口調は一見ぶっきらぼうだが、それでいて愛情や心配に溢れているところも、過剰な映像的増幅なしにとてもよく伝わってきた。話がどう進みどう落ち着くかわかった上で何度も観ても、なにか気持ちのよい風が伝わってくるようなドキュメンタリー作品と思った。本作をそのまま浪曲にできるというわけではもちろんないが、本作そのものが浪曲である、という印象も得た→昼を食べて土産を買うには少し手元不如意かなと思って一応銀行口座の残高を確認したところ、国が貧乏人に支給するお金が振り込まれていたのでさっそく引き出す→中華街に移動し昼食と土産購入、と思ったが当てにしていた〈南粤美食〉はすでに準備中になっていて、他は一品の量とお腹の調子を考えて断念。土産も〈清風楼〉が臨時休業だったので、〈萬来〉でいつもの麺(今回は縮れ)、スープ、それに今回は焼売を買って了とする。夏休みだからだろう、中華街はものすごい人出だった。ほとんどが若い人たちで外での飲み食いが多いようだったから、老舗店内などはすいていたのかもしれない→帰途はスイスイ。2時半頃中華街を出て、3時過ぎには東京着→シャワー→焼きかまぼことんこつラーメン味、ポテトサラダ、ロースカツ、冷かけ月見蕎麦(刻み海苔)、ビール中瓶×2→午睡→グリーンリーフとピーマンとトマトのサラダ、オクラのおしたし、上海もち米と肉焼売、えのきと油揚のおつけ、ご飯半膳、納豆、ビール中瓶×1→夜0時就寝。
8月23日(水) 朝9時半起床。白湯、マヌカハニー→えのきと油揚のおつけ、ご飯、梅干し、納豆、錦松梅、海苔→B電子原稿、一箇所だけ修正要望があったので、直して送付→『絶唱浪曲ストーリー』のプログラム読了。監督へのインタビュー記事を読み、なるほどあのクローズアップの多用(感想に書いた「狭い場所での撮影が多い所為か、見難いなと思う画面が多かった」)にも考えがあったんだなと納得→夕方から早お夕飯にと〈代一元)にて青椒肉絲ハーフ、餃子、チャーハンをO形と分け合い、ビール中瓶を1 1/2。それにしても、食べる量は十年ほど前の半分になったなあ→帰宅後午睡→深夜起きて菊水堂ポテトチップス、〈萬来亭製麺所〉のラーメン(縮れ麺、醤油スープ。葱、焼豚)、ビール中瓶×1 1/2、ホッピー×2→午前3時就寝。
8月24日(木) 朝8時半起床→えのきと油揚のおつけ、卵かけご飯(煎酒、胡麻油、錦松梅)、海苔→出かける時間まで横臥→午後、老父買い物代行(サミット、クリエイト)。買い物届けてから〈所澤クリニック〉。これは定期検診だが、どうも出かけるとなると気がせいて血流が上がり心臓が痛くなるようだ。今のところ、すぐに治るのだが→帰宅してシャワー→菊水堂ポテトチップス、グリーンリーフとトマトのサラダ、ゴーヤチャンプルー、えのきと油揚のおつけ、ご飯半膳、錦松梅、梅干し、ビール中瓶×2 1/2→『阪東妻三郎の生涯』を観てたが、途中で眠くなりいったん就寝。夜8時過ぎ。
8月25日(金) 夜中覚醒したが起床はせず、朝8時起床。白湯、マヌカハニー→味噌湯(揚げ玉)、梅おむすび(海苔)→少し横臥してから出かけ、表参道〈GENT+HONEY〉にて散髪。ビール350ml缶×1→新宿に出て〈DUG〉で昼(ダグットサンド、生ビール×1)。読書。山本周五郎『思い違い物語』読了。これまた面白く、しみじみいい話。上手い役者で舞台化、映画化してほしいな→〈新宿ピカデリー〉にて『バービー』見物。マニアじゃない観客にもマニアが観たらさぞ面白いだろうところが伝わってくるし、思ってたよりきちんと作られた、いい映画だった。幅も奥行きもたっぷりあるので、観てすぐに自分の狭い了見で意見するのは拙速というものだなあと思った。帰途、すれ違う男がみんな「ケン」に見えた。しかし女が「バービー」に見えることはなかった。その辺の考察は、拙速にではなくゆっくり考えたいが、これまた意外に、能天気なバカ映画のようでいて影響力を持った映画でもあると思う。以下データと感想。(原題『Barbie』、監督:グレタ・ガーウィグ。マーゴット・ロビー、エリカ・フォード、エメラルド・フェネル、イッサ・レイ、ハリ・ネフ、アレクサンドラ・シップ、エマ・マッキー、ライアン・ゴズリング、シム・リウ、キングズリー・ベン=アディル、チュティ・ガトゥ、マイケル・セラ、ケイト・マッキノン、アン・ロス、アメリカ・フェレーラ、アリアナ・グリーンブラット、コナー・スウィンデルズ、ジェイミー・デメトリウ、リー・パールマン。2023、米Warner Bros.)。バービー人形をモチーフにしているだけあって、ポップとかキッチュとかそういう形容をまず思い浮かべるし、実際バービーワールドはそういう設えになっているのだが、映画全体としてはそういうモチーフと人間を描くことの塩梅が考え抜かれた、とても誠実に作られた作品と思った。劇中「男社会」という言葉が出てきたり、確かにフェミニズムの視点から男と男中心の社会を揶揄したり批判したりといった側面もあるが、同時に女に対しても(牙とまでは言わないが)疑問の目が向けられている。つまり男女どちらのジェンダーに対しても腹立たしい≠謔、な意地の悪い視線が織り込まれているのだが、そういう毒(というほどのものでもないかな)と笑いの塩梅がよくて、そういう点もうまく作られているなあと思う。そういう意味では、本作を観て拙速に怒りを表明するというのは、単にその人が世界をどういう風に見ているかの表明に過ぎず、それに屁理屈をつけて語るというのはバカを表明していことに他ならないのではなかろうかとも思った。大きな目で見れば、自分とは何者か、それは自分だ、ということを見つめ直して生きていこうという映画であって、素直に観れば勇気づけられることの多い作品ではないかと思う。ただ男のひとりから見たら、バービーが婦人科を訪ねる終幕は少し生々しかったかな。しかしこれも私の視線の至らなさを表しているのかもしれない。蛇足だが、マニアが喜ぶネタが多数盛り込まれていて、その上マニアじゃなくてもここはマニアが喜ぶところだな≠ニいうのがわかる作り、それがさりげなくないところが、好みで言えばよかったとも思った→終映後、〈お多幸〉で一杯。煮凝り、イカゲソ揚げ、おでん(ちくわぶ、すじ、がんも、たまご、こんにゃく、大根、鶏つくね)、ビール中瓶×1、御酒×2→〈Second Line〉に移動しビール小瓶一本だけ。ゼローズのメンバーいらしてて話も弾んで嬉しかった→平和に電車で帰宅→経堂駅からタクシーに乗ろうとしたら、悪天候でもないのにまったくクルマ来ず。しかし歩く体力がない気がしたので、停留所遠くてもバスでと乗ったら、運転手がものすごく人格者で、さらに幸せな気持ちになる→シャワーとヨーグルトアイスクリーム→本日の『必殺仕留人』見てから、夜10時就寝→と思ったが、『愛ある限り私は歌う ‘82美空ひばりリサイタル』観始めたら前半の洋楽スタンダード・ナンバーがなかなかよく、最後まで観てしまった。以下データと感想。『愛ある限り私は歌う ‘82美空ひばりリサイタル』(美空ひばり。1982、日本コロムビア)。1982年6月26日、中野サンプラザホールでのリサイタルの模様。頭から十曲めくらいまでの洋楽(ポップスとジャズ)のスタダードの歌唱がやけによかった。美空ひばり45歳、歌手として一番いい時期だったのかなとも思ったが、まあそれは個人的な好みだろう。しかし後年の、もう少し偉そうになってから失ったものがまだ漲っているという印象はあった。歌唱曲目は、マイ・ウェイ、スター・ダスト、バラ色の人生、ラブ・ミー・テンダー、帰らざる河、テネシー・ワルツ、トゥー・ヤング、虹の彼方に、月光価千金、二人でお茶を、恋人よ我に帰れ、髪、夾竹桃の咲く頃、思い出と一人ぼっち、恋のパープル・レイン、唇に花 シャッポに雨、ラストダンスは私に、想い出のサンフランシスコ、あなたしか見えない、霧のロンドン・ブリッジ、ボーイ・ハント、大人になりたい、ヴァケイション、恋人よ、あなたのすべてを、そっとおやすみ、ひとりぼっち、最後の一本、ある女の詩、むらさきの涙、悲しい酒、リンゴ追分、むらさきの涙→夜0時就寝。
8月26日(土) 朝7時半起床。白湯、マヌカハニー→粥製作。五分粥に生姜とにんにくを叩き潰してからみじん切りにしたのとえのきのぶつ切りを加え、顆粒の鶏出汁と塩で味付け。食べる前に卵粥にする予定→えのき卵粥、白髪葱(胡麻油、煎酒)、焼豚→特に宿酔でもないが、午前中横臥→〈萬来亭製麺所〉のラーメン(縮れ麺、醤油スープ。青葱、葱、玉葱、焼豚、海苔、青海苔、ガリ)→『ゴッドファーザー』(原題『The Godfather』、原作:マリオ・プーゾ、監督:フランシス・フォード・コッポラ。サルヴァトーレ・コルシット、マーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、ジェームズ・カーン、モーガナ・キング、タリア・シャイア、ジャンニ・ルッソ、リチャード・コンテ、リチャード・カステラーノ、エイブ・ヴィゴダ、ジョン・マルティーノ、ジュリー・グレッグ、レニー・モンタナ、ジニー・リネロ、ビト・スコッチ、ガブリエレ・トレ、アル・パチーノ、ダイアン・キートン、アル・マルティーノ、ジョン・カザール、ジョン・マーリー、アル・レッティエリ、トニー・ジョルジオ、トム・ロスキー、スターリング・ヘイドン、コラード・ガイパ、アンジェロ・インファンティ、フランコ・チッティ、シモネッタ・ステファネッリ、サーロ・ウルツィ、ビクター・レンディナ、ルディ・ボンド、ドン・コステロ、ルイス・ガス、アレックス・ロッコ。1972、米Paramount)。間違いなく映画史に残る金字塔であるわけだが、今まで横目で眺めたことしかなかった私にとっては公開から50年経った今観ると、さすがに衝撃を覚えることはなかった。抗争下に於るドンパチもあるが今観るとそれほど派手なものではなく、本作の尺の中では時間もそう長いものでなく、むしろマフィアの各ファミリー間やファミリー内部での会談、駆け引きなどの場面のほうが圧倒的に多い。そのため全体的に起伏がそれほどあるわけでもない意外に静かな映画という印象を得るのだが、しかし三時間弱という長尺の中、退屈したり長く感じたりということはほとんどなかった。シチリアの場面の鮮やかさによる息抜き≠煌ワめて、三時間にした納得できる理由がちゃんとある映画だなというのが、実質的な初見での印象(ほんとうはもっと深いところを観なければならないのだろうが)。役者それぞれの人物造形もやはり極端に際立った特徴を持たないように演出されているようだが、家業には着かず堅気の軍人だったマイケル(アル・パチーノ)の、堅気からマフィアへと覚悟を固め行苦中での変貌ぶりは見事。あと、終わってみれば端役だったシチリアでのマイケルの妻アポロニアを演じたシモネッタ・ステファネッリは、ごく少ない表情の変化でアポロニアの心情を見事に表現していて、とても印象に残った→菊水堂ポテトチップス、ゴーヤチャンプルー、鮭とえのきのポターホイル焼き、わかめと油揚のおつけ、えのき粥、ビール中瓶×2→シャワー→『阪妻 阪東妻三郎の生涯』(製作・演出:松田春翠。田村高廣、森静子、環歌子、久世竜、稲垣浩、伊藤大輔。ナレーター:松田春翠、沢登翠。構成・インタビュー:佐藤忠男。1980、マツダ映画社)。題名の通り、役者デビューからスターへ、戦前から戦中戦後へ、そして父としての姿と、映画スター阪東妻三郎の軌跡を追ったドキュメンタリー。松田春翠の説明が、何故か頭にすっと入ってこないが、繰り返し観ているうちに阪妻という人間の歩みを飲み込めていくような作品。阪妻はもちろん戦前戦後の映画スターの当時の作中での姿(尾上松之助、沢田正二郎、月形龍之介、市川幡谷、高木新平、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門、林長二郎(長谷川一夫)、片岡千恵蔵、高勢實乘、園井恵子、永田靖、長門裕之(子役)、三島雅夫、滝沢修、田村静子、山田五十鈴)の姿が拝めるのも嬉しい→『デンジャラス・ビューティー』(原題『Miss Congeniality』、監督:ドナルド・ペトリー。メアリー・アシュリー・グリーン、サンドラ・ブロック、アーニー・ハドソン、ケン・トーマス、ジョン・ディレスタ、ガブリエル・フォルス、ベンジャミン・ブラット、キャンディス・バーゲン、ウィリアム・シャトナー、スティーヴ・モンロー、マイケル・ケイン、ヘザー・バーンズ、メリッサ・デ・ソーサ、ディアドラ・クイン、ファラ・ホワイト、ウェンディ・ラクエル・ロビンソン、エイシャ・デマーコス、ジェニファー・ガレイス。2000、米Warner Bros.)。展開や結末こそ違うし、企画・発案者や脚本家が知っているかどうかはわからないが、要は『虫めづる姫君』的な話ではある。若い女性FBI捜査官(サンドラ・ブロック)のその「虫めずる姫君」感の描き方はなかなかうまいし、笑うときに鼻を鳴らすとか歩き方や食べ方の汚さとか、ぎりぎりのところまで攻めているように思った(荒んだ独居生活のデザインも同じく)。で、伝説の美容コンサルタント(マイケル・ケイン。優美な感じがいい感じに可笑しい)がその汚さを美しさに矯正していく様子は『ピグマリオン』的でもあるが、そこからミス・アメリカ・コンテストに流れていくくだりはコメディとして(ずば抜けているわけではなく平均的な水準ではあるが)一級品と思った。脇役の人物造形までよく考え抜かれているなあというのも、ざっと観ただけで伝わってくる。ちなみに本作を観るのは二回めだが、途中まで以前観たことをすっかり忘れていたものの、感想は一回めと(「エンドロールの音楽がカッコよかったが、BTという人がリミックスしたトム・ジョーンズの『She's A Lady』だった」も含めて)ほぼ同じであった。ちなみに原題の『Miss Congeniality』の「Congeniality」は「人間同士の適合性」くだけて言えば「相性」「一緒にいて気持ちがよい」という意味だが、これに敬称「Mr.」をつけて「Mr. Congeniality」とすると、「気さくな人」「人気者」「誰にでも好かれている人」というような意味になるようだ。よって『Miss Congeniality』は女性の「誰にでも好かれている人」になるわけだが、主人公グレイシーの性格を皮肉りつつ物語の結末を暗示しているものと思う→鴨燻製、ペヤングソース焼きそば、薄めホッピー割り×1、ビール中瓶×1、御酒×2→午前4時就寝。
8月27日(日) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー→『デンジャラス・ビューティー2』(原題『Miss Congeniality 2: Armed and Fabulous』、監督:ジョン・パスキン。アーニー・ハドソン、サンドラ・ブロック、ジョン・ディレスタ、フェイス・ミントン、イヴ・ゴードン、キム・モーガン・グリーン、オードリー・ヴァシレフスキー、レジーナ・キング、ディードリック・ベーダー、レジス・フィルビン、ジョイ・フィルビン、ヘザー・バーンズ、ウィリアム・シャトナー、ルシア・ストラス、レスリー・グロスマン、ニック・オファーマン、アブラハム・ベンルービ、デヴィッド・プローヴァル、モリー・ゴットリープ、トリート・ウィリアムズ、エンリケ・ムルシアーノ、エリザベス・ローム、マルセロ・タバート、スティーヴン・トボロウスキー、ドリー・パートン、ドン・ペリー、アイリーン・ブレナン、ブライアン・ショートル、ヴィク・チャオ、ドン・ミロー、アラン・ジェームス・ルジエッティ、ブラッド・グランバーグ、トッド・シェリー。2005、米Warner Bros.)。一作めと同じフォーマットを使ってさらなる傑作、というシリーズはいくつもあるが、本作は観ている最中はそこまで至らなかったかな、という印象。グレイシー(サンドラ・ブロック)の女らしくなく暴力的なキャラクターは封印してFBIの顔≠ニしてきれいな役回りにし、その役どころを新しく赴任してきたサム・フラー(レジーナ・キング)に任せたり、誘拐事件の真相を見つけ出していく過程のミステリー的面白さだったり、いろいろ一作めとは違う面白さを提供しようという工夫はあるのだが、なんとなく丁寧さに欠けるように思えた次第。しかし最後まで観てみるとそういうことはほとんど気にならなくなり、回収は予想していたが小学生プリシラ(モリー・ゴットリープ)の願いを最後に叶えたり、グレイシーとシェリル(ヘザー・バーンズ)の友情が確認されたり、グレイシーとサムが最終的には心を通じ合わせたりなどなどに感動も覚えた。前回のマイケル・ケインの役どころは今回はディードリック・ベーダーが担っていて、それが終盤の女装クラブでのドタバタの可笑しさに活きているのもよい。ラスベガスでのエージェント、ジェフ(エンリケ・ムルシアーノ)とジャネット(エリザベス・ローム)の破局についてもう少し丁寧に描かれていたら満点だったかな。原題の「Armed and Fabulous」はそれぞれの単語の意味はわかるし、サブタイトルとしての意味もなんとなくわかるが、これ、という邦訳が不明。「Armed」がサムで「Fabulous」がグレイシーなのか、あるいはグレイシーとサムとを合わせて「Armed and Fabulous」なのか→鴨燻製、ピーマン焼き、ところてん(青海苔、揚げ玉)、チーズ入り薄焼き卵、わかめと油揚のおつけ(揚げ玉)、五分粥、納豆→『ミラクル・ニール!』(原題『Absolutely Anything』、監督:テリー・ジョーンズ。ナレーション:クリストファー・チェサー、犬のデニス:モジョ、サイモン・ペグ、ケイト・ベッキンセイル、ミーラ・サイアル、宇宙人の声:ジョン・クリーズ、サンジーヴ・バスカー、宇宙人の声:マイケル・ペイリン/テリー・ギリアム/テリー・ジョーンズ、ジョアンナ・ラムリー、ロバート・バサースト、エリック・アイドル、マリアンヌ・オルダム、エディー・イザード、エマ・ピアソン、ジュディ・ロエ、宇宙人の声:エリック・アイドル、ネヴィル・フィリップス、ロブ・リグル、犬のデニスの声:ロビン・ウィリアムズ、アレクサ・デイビーズ、ブライアン・コックス。2015、英Lionsgate UK)。さすがモンティ・パイソン製コメディ、食堂のおばちゃん(ジュディ・ロエ)と主人公の教師ニール(サイモン・ペグ)との会話「今日はネズミ肉か戦死者の煮込み」「校長の丸焼きがいいな」という会話や、ニールが全能の力を授けられてすぐに犬の糞を片付けようとしたらウンコが自分で歩いて行ったり安ウィスキーにシングルモルトになれと言ったら酒瓶が酒屋に歩いて行ったり、あるいは宇宙人の攻撃(これもニールが望んだものだが)で死んだ生徒を蘇らせろと望んだら死者がすべて蘇ってしまうといった小ネタから、宇宙人たちの造形と会話、最後はニールが人間の奢りを反省するその横で犬が地球を破滅から救うといった壮大な?オチまで、皮肉の効いた笑いがたまらない(終幕を『お熱いのがお好き』の「完璧な人間はいない」で〆るあたりの軽さもまたよい)。ニールが意中のキャサリン(ケイト・ベッキンセイル)と初めて愛を交わす際、ちょうどニールの力≠ェ切れていた(つまりキャサリンの酩酊とニールに対するちょっとした興味が偶然作用した結果、という普通によくある話)というのも面白い。評価はさんざんだったようだが、力を入れ切らなかったような安易に思える点も含めて、傑作ではないかと思う。なおモンティ・パイソン全員が集まったのは映画でいえば1983年の『人生狂騒曲』以来とのこと。また犬のデニスの声はロビン・ウィリアムズが担当しているが、これが最後の映画出演となる(声だけではなく映像に出演した最後は2014年公開の『ナイトミュージアム/エジプト王の秘密』)。本作のアフレコを行ったのちの自殺(2014年8月11日)というのが、なんともやるせない→グリーンリーフとトマトとオイルサーディンのサラダ、茹でニンジン、御酒×2→食後仮眠→夜10時頃起床→『ミラクル・ニール!』復習→『美空ひばり・森進一の花と涙と炎』(監督:井上梅次。美空ひばり、森進一、林与一、北竜介、佐々木孝丸、島田正吾、北上弥太朗、尾崎奈々、村上不二夫、矢島美智子、槙芙佐子、なべおさみ。1970、松竹)。序盤10分くらいまでの編集が、乱暴なのかスピード感の演出なのかよくわからないが、心地よいようで居心地悪く、なんだか面白い。序盤の主人公藤花霞(美空ひばり)の夢に出てくる唐突な妄想踊りにも意表をつかれる。しかもその妄想踊りが途中何度か繰り返され、最後の新舞踊に結実されるのがまた井上梅次ミュージカルらしくてよい。とはいえ梅次ミュージカルとして観なければ、「林与一がそんなに二枚目だったり(物語に必要な)いい人に見えなかったり、妄想の踊りの場面は必要かどうかと思わせられたり、いろいろな疑問は残る」という感想は前回と同様。あと林与一は一応ミュージシャン(サックス、バンマス)役なのにミュージカル部分には参加してこないなとか。まあそういうところも含めて愛すべき作品、と思わせられるのもまた可笑しい→割れ煎餅、ビール中瓶×2→午前4時就寝。
8月28日(月) 朝10時起床。白湯、マヌカハニー→わかめと油揚のおつけ、卵粥、錦松梅、納豆→『アウトサイダー』(原題『The Outsiders』、原作:S・E・ヒントン、監督:フランシス・フォード・コッポラ。C・トーマス・ハウエル、ダレン・ダルトン、パトリック・スウェイジ、ロブ・ロウ、マット・ディロン、トム・クルーズ、エミリオ・エステベス、ラルフ・マッチオ、ダイアン・レイン、ミシェル・メイリンク、グレン・ウィスロー、レイフ・ギャレット、トム・ウェイツ。1983、米Warner Bros.)。最初に観たのはもう40年ほど前で、その際はよさがわからなかった。今回改めて観て、町から逃げたポニーボーイ(C・トーマス・ハウエル)とジョニー(ラルフ・マッチオ)が廃教会に潜伏中、ポニーボーイがロバート・フロストの詩「Nothing Gold Can Stay」を暗唱したあとの会話、ジョニー「僕らは別か?」ポニーボーイ「彼らの方が別だよ」から、自分が周囲と違うということは、町や仲間を離れてみて初めてわかる、というメッセージを受け取ったが、それが妥当かどうかはわからない。わからないが、この映画が放つ重要なメッセージのひとつではないかなと思った。そしてそもそも、アメリカの田舎の少年同士の関係性が感覚的にわからないし(日本のそれとも通ずるものはあると思うが、どこか根本的に違う)、他人の死から学ぶことは確かに多いけれども他人の死を経てしか理解に至らないというような描き方の理由、「Nothing Gold Can Stay」は朝日で「stay gold」は夕日という対比の理由もよくわからない。ひとりの少年の成長譚という意味では監督が言ったという「この作品は若者だけのためではなく青春を過ごしたすべての人々のため」はわかるが、それを私が観る意味は、結局今回もわからなかった。エバーグリーンであることはわかるが、その有り難さはわからない、という感じか。映画デビュー直後でまだそれほど売れていなかったトム・クルーズ、ロブ・ロウやデビュー直後とはいえすでにスターだったダイアン・レイン、俳優としても知られ始めていたトム・ウェイツ、すでに落ち目だったレイフ・ギャレットが出演していることは、恥ずかしながら今回初めてきちんと認識した→菊水堂ポテトチップス、もりそば(揚げ玉)、ビール中瓶×1→シャワー→『ゴッドファーザー PART II』を観始めたものの、途中で退屈してしまい(これはバカ話を始めてしまった自分たちの所為)、後日ちゃんとひとりずつ観ることにして、『美空ひばり・森進一の花と涙と炎』に変えてさらに笑う。それから『私の葬送行進曲 勝新太郎篇』。これは素顔の?勝新が見られる拾い物だった→グリーンリーフと玉葱のサラダ、マッシュポテト、ソーセージ盛り合わせ、ミートローフ、チーズ、パン、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1→夜10時頃就寝。
8月29日(火) 朝10時起床。珈琲→昼は〈JAZZ KEIRIN〉にていか天ぶっかけ。本日はクルマで出かけてみたが、赤堤通りを松原6丁目で左折し甲州街道に出る道程は、ちょいと遠回りだがうちからだと最も理に適っているような気もする。飲まずにうどんだけなら〈JAZZ KEIRIN〉での滞在時間は短いから、駐車場代も一時間分(400円程度)で済む→八百屋と〈三友〉で買い物して帰宅。〈三友〉ではつい調子に乗って生うに(北海道白老産ムラサキウニ)を購入してしまった(まあ半額だったこともあり)。新秋刀魚は一尾380円、これはまあぎりぎり現実的な値段か。しかし女房売っても新秋刀魚≠ニいうご時世になってきたな→ビール中瓶×1飲んでから午睡→シャワー→手巻き寿司(秋刀魚、かつお、鰯、ウニ、生しらす、きゅうり、紫蘇、茗荷、酢飯、海苔)、鰯と秋刀魚の皮炒り、鰯と秋刀魚のワタホイル焼き、ビール中瓶×1、御酒×1。北海道白老産ムラサキウニはさすがにうまかった。100g全部ぺろっと行ってしまった。秋刀魚も痩せている割には脂乗りよし。鰯は太ってたし、生しらすと鰹もよい風味。家で魚堪能したのはひさしぶり→夜10時就寝。
8月30日(水) 朝5時半起床。白湯、マヌカハニー→『ゴッドファーザー PART2』をIntermissionまで→鰯と秋刀魚の皮炒り、鰯と秋刀魚のワタホイル焼き、きゅうり、鰹漬けソテー、ビール中瓶×1→午前中横臥→ 〈萬来亭製麺所〉のラーメン(縮れ麺、醤油スープ。葱、焼豚、生卵)→『ゴッドファーザー PART II』(原題『The Godfather Part II』、原作:マリオ・プーゾ、監督:フランシス・フォード・コッポラ。アル・パチーノ、|オレステ・バルディーニ、マリア・カルタ、ジュゼッペ・シラート、|ジェームス・ゴナリス、タリア・シャイア、トロイ・ドナヒュー、モーガナ・キング、マイケル・V・ガッツォ、G・D・スプラドリン、ダイアン・キートン、ロバート・デュヴァル、ジョン・カザール、ジョー・スピネル、ドミニク・キアネーゼ、リチャード・ブライト、トム・ロスキー、マリアンナ・ヒル、|ロバート・デ・ニーロ、フランク・シベロ、ガストーネ・モスキン、ピーター・ラコート、|フェイ・スペイン、リー・ストラスバーグ、ダニー・アイエロ、カーマイン・カリディ、|サベリア・マゾーラ、レオポルド・トリエステ、|サルヴァトーレ・ポー、|ジャンニ・ルッソ、エイブ・ヴィゴダ、ジェームズ・カーン。1974、米Paramount)。マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)時代の抗争劇と、ドン・コルレオーネ(ヴィトー・コルレオーネ)(ロバート・デ・ニーロ)がシチリアからアメリカに渡り隆盛を極めていく過程とが並行的に描かれる。前者がファミリーを守るために戦いながらもそのファミリーが次第に崩れていき家族も妻も仲間もどんどんいなくなっていくのに対し、後者は仲間や地域の人々の信頼を得ながら町の顔役へとのし上がっていく、その対比がマイケルの力量や時代の違いを写していて面白いし、つまるところヤクザ稼業を追求していけば待っているのは崩壊のみという結論と思うが、それを仄めかすかのように描いていく塩梅もよく考えられていると思う。そして終幕に、まだドン・コルレオーネ健在のときのコルレオーネ家の幸福な様子(長男ソニー=ジェームズ・カーンがマイケルの海兵隊志願に猛反対するが)が提示され、マイケル時代になってからのコルレオーネ・ファミリーの凋落?崩壊?を強調するような結末になっている。と、整理してみるとわかりやすそうだが、実際に観ている最中は何が描きたいのかな? という雲をつかむような印象があって、しかし観終えてみると左記のような整理がさっと頭の中で結ばれるのが、そして三時間半近く(220分)の長尺で雲をつかむような物語の進行ながらそれほど退屈さを感じさせない(かといってハラハラどきどき目が離せないというわけでもない)のが不思議といえば不思議な映画である。そういう映像物語の構築技術も含めて、やはり映画史に残る作品ということなのだろうと思った。しかしかといって、大きな感動を覚えないのも不思議(むろんこれは私個人の好みや感覚の問題ではある)→『ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期』(原題『The Godfather Coda: The Death of Michael Corleone』、原作:マリオ・プーゾ。ドナル・ドネリー、アル・パチーノ、ジョージ・ハミルトン、ロバート・シッチーニ、タリア・シャイア、イーライ・ウォラック、アンディ・ガルシア、フランク・ダンブロシオ、ジョー・マンテーニャ、ビト・アンツォフェルモ、ソフィア・コッポラ、アル・マルティーノ、ダイアン・キートン、ブリジット・フォンダ、ジョン・サヴェージ、リチャード・ブライト、エンツォ・ロブッティ、ヘルムート・バーガー、ヴィットリオ・デューズ、ラフ・ヴァローネ、マリオ・ドナトーネ、ミッシェル・ルッソ、フランコ・チッティ。1990/2020再編集、米Paramount)。前作から16年後の撮影ということで、マイケル(アル・パチーノ)とコニー(タリア・シャイア)は相当に老け込んでいるが、その老け方と役作りが見事(マイケルの元妻ケイ役のダイアン・キートンはそんなでもなかったが)。マイケルの娘メアリー(ソフィア・コッポラ)がいかにもヤクザの家で育ったわがまま娘っぷりを好演し、また女記者グレース(ブジリット・フォンダ)と共にいい塩梅に安っぽい色気で本作に華を添える(前二作ではこういう役どころは印象に残らなかったのだが、果たして)。また中盤のヘリコプターによる銃撃(ドン・アルトベッロ=イーライ・ウォラックの指示によりジョーイ・ザザ=ジョー・マンテーニャが実行したとされる)や、その実行犯ジョーイ・ザザの暗殺、そして終盤、見事オペラ歌手として活躍を始めたマイケルの息子アンソニー(フランク・ダンブロシオ)の晴れの舞台での暗殺の動きの緊張感あふれる描き方など、前二作に比べると今まで親しんだ映画の面白さをより味わえる作品、という印象を得た。そして老いてさらに糖尿病に苦しみ、愛娘を目の前で殺されるマイケルの姿に、ヤクザ稼業の虚しさ、ヤクザ稼業の人生とはなんだったんだろうという感慨を実感させられる。シリーズ三作とも、明確に違いがわかるという態ではないが、ひとつの長い叙事詩的物語を三作に展開させているようでいて、一作ごとに微妙に異なる味わいを味わえるように工夫しているのだなと思ったけれども、これまた果たして。三作とも長尺だしものすごい好きな映画というわけではない(と今回思った)からそう繰り返し観ることもないと思うが、またいずれその「ひとつの長い叙事詩的物語を三作に展開させているようでいて、一作ごとに微妙に異なる味わいを味わえるように工夫」をより深く知りたくなったら観ようかなとも思う→グリーンカールとオクラとトマトのサラダ(バルサミコ酢、オリーブ油、粉チーズ)、西洋煮物(ソーセージ、ニンジン、じゃがいも、にんにく、固形コンソメ、黒胡椒)、ブナシメジとしらす干しとピーマンのきつねスパゲティ(生しらす生姜和え、紫蘇)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→食休み、うとうと→シャワー→録画整理(『暗闇仕留人』最終回など)。金宮酎ハイ×2→午前4時就寝。
8月31日(木) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→ ブナシメジとしらす干しとピーマンのきつねスパゲティ→老父買い物代行(サミット)と記帳→おろしそば(深水庵)。本日は揚げ玉出てなくて残念→帰途ガソリン入れ、〈サミット〉船橋店にて買い物して帰宅→おやつにネギトロ巻き×4、ビール中瓶×1→午睡→夕方ぶらぶら歩いて祖師ヶ谷〈カフェ・ムリウイ〉の夏限定屋上ビアガーデンへ。本日は天候もよく、吹き過ぎる風も心地よくて最高。日が暮れたら、富士山もくっきり見えてきた。今年は今日が最初で最後と思うが(最終日9/3は来れそうではあるが)、来年もぜひやってもらいたい。シンシン・デ・ガリーニャ(ブラジル風とり肉煮込み)、ハートランド(生)×2、モヒート×1、ハイボール×1→帰途もぶらぶら歩いて。都合一時間→シャワー→午睡というか仮眠→夜10時過ぎ起床→『ランブルフィッシュ』(原題『Rumble Fish』、原作:S・E・ヒントン、監督:フランシス・フォード・コッポラ。ローレンス・フィッシュバーン、マット・ディロン、ニコラス・ケイジ、トム・ウェイツ、クリストファー・ペン、ヴィンセント・スパーノ、ダイアン・レイン、ソフィア・コッポラ、グレン・ウィスロー、ウィリアム・スミス、ノーナ・マニング、ダイアナ・スカーウィッド、デニス・ホッパー、マイケル・ヒギンズ。1983、米Universal Pictures)。同年に撮られた『アウトサイダー』と比べると、妄想やモーターサイクルボーイ(バイクボーイ=ニコラス・ケイジ)の他人とは違う視界(色がない)といった、ありのままの現実ではない特定の個人の観見ている世界≠ナ物語を構築しようとしたという印象。そのため、『アウトサイダー』以前の『ゴッドファーザー』シリーズなどでも見られなかった、映画の作り物としての面白さとか作り手の表面的な個性のようなものを前面に押し出したという印象もあった。とはいえそういう見方が妥当かどうかや、そういう見方が正しいとしてその意図はなんだったのかについては、まだ明確にはわからない。アメリカン・ニュー・シネマやヌーヴェル・ヴァーグのようなことをしたかったのかなとも思ったが、それも不明ではあるものの、モーターサイクルボーイの言動を通じて自分の生きるべき場所を探す≠ニいうメッセージはなんとなく伝わってきた。それを弟であるラスティ・ジェイムス(マット・ディロン)に伝えるためにモーターサイクルボーイは帰ってきたのだが、モーターサイクルボーイにとって故郷はすでに自分の生きるべき場所≠ナはなくなっていて、その死(警官に殺される)をもってその辺を象徴させたのかなとも思ったが、果たして。旅から帰ってきたモーターサイクルボーイが以前と違って暴力を空しく感じたりペットショップのランブルフィッシュ(闘魚)にシンパシーのようなものを寄せていたり、とう描写から、そんなことを考えた。しかしアメリカは広い国で移民の国で、自由に故郷を離れて一旗上げるのが普通という印象もあるのに、本作のような田舎に燻っている若者の話が多いように思えるのも、また面白くはある→鴨燻製、燻製卵、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→午前3時就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記