2023年09月20日
9月まとめ(11〜20日)
ジョン・カーペンター『透明人間』、ブルース・ベレスフォード『ドライビングMISSデイジー』、『シネマ歌舞伎 牡丹灯籠』(片岡仁左衛門、坂東玉三郎、中村七之助、片岡愛之助、坂東三津五郎)、宝井一凛の新作講談の会『悪い人たち....第二回』(「牡丹燈籠」)、嘔吐。
9月11日(月) 午前11起床→舞茸と油揚のおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯(しらす干し、青海苔)→特に何もしないまま晩。納豆こねてキャベツ千切りにしたくらい→アボカドソースのサラダ(キャベツ千切り、ピーマン、トマト、オクラ、醤油、バルサミコ酢、酢、オリーブ油、バリの塩、黒胡椒)、鴨燻製、メヒカリ唐揚げ、舞茸と油揚のおつけ、ご飯半膳、納豆、ビール中瓶×1、ホッピー×2→食後眠くなって就寝。夜8時→深夜起床し『ライジング若冲』をO形に見せながらホッピー×3→銀座の年末のお座敷落語復活の報。即予約→午前2時就寝。
9月12日(火) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→舞茸と油揚のおつけ、たたき梅、錦松梅、うずらの卵、しらす干し、海苔→食後急に眠くなり、昼過ぎまで横臥→『陽のあたる家』(原作:真山美保『草青みたり』、監督:田畠恒男。紙京子、野添ひとみ、前田正二、村山延子、轟夕起子、槙芙佐子、高橋豊子、桜むつ子、小畑やすし、水原真知子、田浦正巳、日守新一、坂本武、水島光代。1954、松竹)。戦後すぐの貧しい家庭とそれを取り巻く人々を描いた人情喜劇−−笑いを主眼にしたものではないし、悲しい出来事も多いが、終幕に救いがありそれこそ「陽のあたる」ので、悲劇の対として喜劇と呼びたい。何より、身に不幸が降りかかった際の轟夕起子扮する母ちゃんの受け入れ方−−肯定的に諦める−−は、生きていく態度として前向きであり、滑稽といえば滑稽だが、観る者に生き抜く術を教えるものではなかろうかと思う。強く印象に残る作品ではなかったが、しみじみといい映画→ピザパン、カレーパン、コーヒー牛乳→『血と海』(原作:早船ちよ『母系の海』、監督:野村孝。三好久子、東野英治郎、和泉雅子、小石真喜、佐々木すみ江、伊藤るり子、浜田光夫、山中康司、佐藤正三郎、高島稔、北林谷栄、伊丹慶治、峰三平、澄川透、玉村駿太郎、下條正巳?。1965、日活)。昭和30年代の漁村の生態と、移りゆく時代の中で置かれた境遇とを、あけすけに描いた作品、と受け取った。同じ立場のもの同士のいがみ合いや、性愛に於る卑怯な行為なども描かれるが、そうした後ろ暗さを包み込むような、漁村の漁師、尼さん、事務方の人たちの明るさと逞しさが頼もしい。という風に捉えるのは実際を知らないからだろうが、実際は救いがない状況だったのかもしれないし、それを追求しなかったのは、劇映画としては正解だったのではないかと思う。実際に漁業に携わっている人たちや漁村の人たちが観たら、どんな感想を抱くのだろう→O形が栗ご飯の支度をしてくれたので、サラダ、寄せ豆腐、あさり汁を用意→菊水堂ポテトチップス、サラダ(キャベツ、ピーマン、オクラ、トマト、おろし生姜、胡麻ドレッシング、うずらの卵)、寄せ豆腐(刻み生姜、刻み葱、刻み海苔、煎酒)、あさり汁、栗ご飯、ビール中瓶×3→夜10時頃就寝。
9月13日(水) 朝8時起床。白湯、マヌカハニー→ あさり汁、栗ご飯→シャワー→老父買い物代行(サミットのみ)。本日の夕刊と明日の朝刊の購入を頼まれる(内閣改造の詳細を知りたいとのこと)→西荻窪に寄って、〈はつね〉で昼と思ったが満員+行列で諦め、熊本ラーメンの〈ひごもんず〉を初訪問。おそらく基本の熊本ラーメンである「ラーメン」自体に大きな特徴はないように思ったが(卓上のニンニクは自分で潰すというのが面白いが)、〈桂花〉より角が立ってない感じで、〈夢亀ラーメン〉には達していないが許容範囲ではあった。酒場としては機能しなさそうだし、店として(熊本ラーメン以外に)特別な魅力もなさそうだが、西荻の選択肢のひとつにはなると思う→〈フランクフルト〉で買い物し帰宅→聞き慣れない電子音がしているのでなにかと思ったら、火災報知器の電池切れ。どうしたらよいかよくわからなかったが、とりあえず外して電池の型番確かめ〈ヨドバシ〉に注文→新聞は、セブン-イレブンに電話したら一般紙夕刊の取り扱いはないとのこと。で、新聞販売所に電話してみたら、なんと届けてくれるという。いきなりセブン-イレブンに行かなくてよかった→B電子の新規ご用命の原稿、不明だった詳細も確認できたので、ざっとまとめて第一稿送付→おやつに菊水堂ポテトチップス、ビールロング缶×1→午睡→B電子原稿、修正依頼があったので、検討結果とともに改稿送付→老父に頼まれた夕刊は無事配達あり→賄い当番→サラダ(キャベツ、ピーマン、ニンジン、オクラ、ニンニク、ロースハム、粉チーズ、白ワインビネガー、オリーブ油、バリの塩、黒胡椒)、納豆オムレツ(青葱、青海苔、煎酒)、フィンガーサラミ、あさり汁、栗ご飯、ビールロング缶×2→食後例によって眠くなって横臥→日付変わる前に起床→『透明人間』(原題『Memoirs of an Invisible Man』、原作:H・F・セイント、監督:ジョン・カーペンター。チェヴィ・チェイス、ロザリンド・チャオ、ジェイ・ガーバー、マイケル・マッキーン、パトリシア・ヒートン、ダリル・ハンナ、ジム・ノートン、サム・ニール、スティーヴン・トボロウスキー、バリー・キヴェル、ドナルド・リー、ジョナサン・ウィガーン、グレゴリー・ポール・マーティン、1992、米Warner Bros.)。望んだわけでもないのにとつぜん透明人間になってしまった男の顛末を淡々と描いていて、しかし山場も小さくギャグも小さいのに、なんだか飽きずに眺めてしまった。そんなに変でもないのに変な映画という印象が残ったり、秘密警察?が透明人間を見つけたのに、それを自分個人のエージェントにしようとするスケールの小ささも可笑しい。拾い物→金宮酎ハイ×2→午前4時就寝。
9月14日(木) 午前11時起床。白湯、マヌカハニー→あさり汁(あさりなし、溶き卵)、栗ご飯→『裏窓』(原作:コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)『It Had to Be Murder』、原題『Rear Window』、監督:アルフレッド・ヒッチコック。ジェームズ・スチュアート、ロス・バグダサリアン、フランク・キャディ、サラ・ベルナー、ジョージン・ダーシー、ジェスリン・ファックス、レイモンド・バー、アイリーン・ウィンストン、セルマ・リッター、ランド・ハーパー、ハヴィス・ダヴェンポート、グレース・ケリー、ジュディス・イヴリン、ウェンデル・コーリイ。1954、米Paramount Pictures) 何度観たかわからない映画だし、犯人も話の筋もわかってるが、それでも毎回楽しく観られるし、快い緊張感も覚える。話の筋や仕掛けは単純だが、その上でちょっとずつ描かれる裏窓から眺めた市政の人々の生活≠フ描き方の塩梅が素晴らしいと思う。今回の鑑賞での新発見?といえば、アームチェア・ディテクティヴというジャンルをちょっと違う角度から眺めたのかなとか、人の好奇心の募っていく様の描き方とか、今まで覗いていた側が見られる立場に逆転する面白さとか。あと作曲家≠フ家でのパーティで『モナリザ』が大合唱で歌われるのは、今回初めて気づいた。そしてグレース・ケリーの美しさは何年経っても色褪せないな−−と今回も思ったのだが、そもそもグレース・ケリーを見て美しいと思う、その感覚はどうやって植え付けられ培われたのだろうという疑問も覚えた→菊水堂ポテトチップス、ビールロング缶×1→〈ヨドバシカメラ〉より火災報知器用の電池届いたので、さっそく交換→賄い当番→サラダ(キャベツ千切り、ピーマン、トマト、オクラ、コンビーフ、オリーブ油、酢、粉チーズ)、カレー煮物(じゃがいも、ニンジン、ニンニク、ウィンナー、チキンコンソメ、ガラムマサラ)、枝豆、舞茸とベーコンのスパゲティ(バター、牛乳)、ビール中瓶×1、ホッピー×1→顔だけ洗って夜8時半就寝→日付変わる前に起床→風呂洗って入浴。風呂に浸かるのは六月以来だから、三ヶ月ぶりか→『母を恋はずや』(監督:小津安二郎。加藤清一、野村秋生、坂本武、吉川満子、奈良真養、青木しのぶ、大日方伝、三井秀男、笠智衆、松井潤子、逢初夢子、飯田蝶子、光川京子。1934、松竹キネマ)。残念ながらフィルムの第一巻と最終の第九巻が失われているため、個人の感想書きとはいえなかなか結論めいたことを言うのは難しい。観ていて思ったことを書き連ねるとするならば、母役の吉川満子は大学生の母にしては若過ぎる感があるものの、芝居がしっかりしているのはいうまでもないし、息子たちの対応から母親としての人間像がくっきり浮かび上がってくる演出は素晴らしいなとは思った。あとはチャブ屋=i日本在住の外国人や、外国船の船乗りを相手にした「あいまい宿」のことだが、この映画のように日本人が出入りすることもあったようだ。女性が相手をしてくれ、店によっては買春行為も行われる遊興酒場で、一階が酒場やダンスホールで二階が個室という構成だという)という逃げ場があるのはいいな、という、映画とは関係のない感想だが、そのチャブ屋で見られる小津的なモダン感覚はファンとしては楽しい。Wikipediaによれば「小津は異母兄弟という複雑な設定にしてしまったので散漫になってしまったと述べている」そうだが、その辺も感想を書きにくい要因ではないかとは思う。兄弟がなにかのきっかけでまったく同時に同じ動作で亡父愛用のパイプを咥えるところくらいしかギャグがない−−というか、全体を見てから、このギャグはなくてもいいと思ったのも、これまた感想を書きにくい要因のひとつではある。<新音声版>ということで、声は吹雪ジュン、風間杜夫が担当。声と音楽については、特に不満なし。ということは、本作に対する違和感がなかったということで、立派な仕事と言うべきだろう。なお父役として岩田祐吉も出演しているが、現存するフィルム(第二巻〜第八巻)には写真(遺影)しか登場しない→山かけそば(刻み葱、揚げ玉、うずらの卵×3)、ホッピー×2→『必殺まっしぐら!』消化。全体に笑福亭鶴瓶の芝居の所為でふにゃふにゃした印象が勝ってしまったが、最後の元締めたちと秀との闘いを軸に頭から見たら、また印象が変わるのだろうなと思った→明日の晩はダールを作ろうと思い立ち、豆を水に浸けてから、朝7時就寝。
9月15日(金) 午前11時半起床。白湯、マヌカハニー→舞茸とベーコンのスパゲティ(バター、牛乳)→午後中調理→カチュンバル(キャベツ、ロースハム)、カレー煮物(じゃがいも、ニンジン、ニンニク、ウィンナー、チキンコンソメ、ガラムマサラ)、ゴーヤとベーコンのアチャール、フロマジェダフィノワ(チーズ)、五種のダール、わかめと青葱と油揚のおつけ、ジャポニカバスマティブレンドご飯、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→食後即就寝。夜9時頃。
9月16日(土) 深夜起床→ふと思いついて、買い物等用のメールアドレスを変更することにする。メールアドレスを作成し、まずはここ数日の間に取り引きがあったアカウント、十件ほどのメールアドレスを変更。ついでにApple IDのメールアドレスも変更しようとしたら、旧IDでサインインできず(パスワードはちゃんと記録しておいたのだが)、旧IDでパスワード変更し、IDを新しいメールアドレスに変更したあとも、サインイン時には旧IDのメールアドレスが表示される。なんだかよくわからずハマってしまったが、とりあえず新ID(メールアドレス)とパスワードでアクセスできることは確認したし、iCloud経由でのiPhoneなどとの連携も確認したので、深煎りはしないことにした。しかしよくわからない→『ドライビングMISSデイジー』(原題『Driving Miss Daisy』、原作:アルフレッド・ウーリー(1987年発表の戯曲)、監督:ブルース・ベレスフォード。ジェシカ・タンディ、エスター・ローレ、ダン・エイクロイド、シルヴィア・カーラー、パティ・ルポーン、ウィリアム・ホール・Jr、モーガン・フリーマン、レイ・マッキノン、アシュリー・ジョジ、ジャック・ルッソ。1989、米Warner Bros.)。「自分は人種的偏見は持たない」と言いながら、老黒人運転手(モーガン・フリーマン)をなかなか受け入れようとしないユダヤ系老婦人(ジェシカ・タンディ)。受け入れない理由には自分では気づかない人種的偏見も多少あるが、自分はまだまだ衰えていない(運転も大丈夫なはず)という矜持もあるし、息子(ダン・エイクロイド)の言うことを聞きたくないというお年寄りらしい意地もある。その辺の複雑さを監督も役者もよく表現しているなあと思った。そしてモーガン・フリーマンの人間ができている感じ≠ェ、観る者に安心をもたらすのと同時に、それまでの人生の歩みの中で味わった苦労も表現していると思えてくる辺りもたまらない。黒人やユダヤ人が不当な差別を受ける描写はほぼないのだが(明確なのは、ふたりがアラバマへ向かう途中に遭遇した警官二人組の態度くらい)、普段の生活の中では(特にある程度知的な階級の中では)はっきりとした偏見や差別はほとんどなく、しかし世間や世界には様々な偏見と差別が満ちているということを、それとわかるようにきちんと描いているのはむしろ現実味を感じるし(むろん当時のアメリカ社会を実際に知る人にとってはいろいろ意見もあるだろうが)、その中で人間同士の裸の魂が触れ合う様には感動させられた。息子役のダン・エイクロイドの、基本的にはもののわかった善人なのだが周囲の人種的偏見への無理解には抵抗する術もなく、諦念を感じながら自分が生きるべき生き方を受け入れている、という感じも、鮮やかな芝居ではないが(鮮やかでないところが)見事と思った→五種のダール、コンビーフ、ホッピー×2→朝7時就寝→昼頃起床ー→わかめと青葱と油揚のおつけ、五種のダール、ジャポニカバスマティブレンドご飯、コンビーフ、ポーチドエッグ→晩の支度→風呂→『ドライビングMISSデイジー』再見。二日続けて観ても魅力が減じないのはいい映画の証拠→続けて『マルコムX』を途中まで。「A Change Is Gonna Come」の場面を見ようと思ったが、その前に眠くなってしまった→野菜炒め(キャベツ、ニンジン、ウィンナー)、ポテトサラダ(ロースハム)、鴨燻製、フィンガーサラミ(白髪葱)、五種のダール、ビール中瓶×1、ホッピー×1、赤葡萄酒×1/2→夜11時過ぎ就寝。
9月17日(日) 宿酔で昼過ぎまで横臥→わかめと青葱と油揚のおつけ、ドライカレー→本日は節制することにして、粥製作→風呂→長芋千切り(ロースハム細切り、刻み海苔、醤油、出汁醤油、胡麻油、わさび)、煮干し出汁殻胡麻油和え(酢、七味唐辛子、青海苔)、わかめと青葱と油揚のおつけ、粥(油揚、ロースハムみじん切り、生姜みじん切り)、納豆、うずらの卵×3、ビール中瓶×1→明日の宝井一凛の講釈『牡丹灯籠』鑑賞に備えて、『牡丹灯籠』の圓朝原作を復習というか予習というか→ついでに歌舞伎の『シネマ歌舞伎 牡丹灯籠』(原作:三遊亭円朝、脚色:三世河竹新七、脚本:大西信行、演出:戌井市郎、シネマ歌舞伎監督:中谷宏幸。中村七之助、二世中村吉之丞、片岡松之助、上村吉弥、中村錦之助、坂東三津五郎(三役)、片岡愛之助、片岡仁左衛門、坂東竹三郎、中村壱太郎(二役)、坂東玉三郎、中村歌女之丞、坂東功一、坂東玉雪、片岡嶋之亟。2007年10月歌舞伎座にて上演。2009、松竹)。第一幕は、圓朝の原作でいうと02「臥龍梅/お露新三郎」(医師山本志丈の紹介ででお露と新三郎が出会う)のあとから、お国と源次郎の平左衞門殺害〜12「お札はがし」(伴蔵とお峰がお露の幽霊から百両を受け取って仏像を隠しお札をはがす)〜新三郎の死まで。そして第二幕として、第一幕と同じくらいの時間を費やしてその後日談(伴蔵とお峰の関口屋開店と繁盛〜伴蔵とお国の浮気〜第一幕での悪事の露見と破局)が描かれる。黒川孝藏・孝助の存在は省略され、その代わりに第二部の酌婦おうめが第一部で平左衞門(坂東竹三郎)とともに殺される飯島家の女中お竹として再生し(共に中村壱太郎)、伴蔵お峰(片岡仁左衛門、坂東玉三郎)が新三郎に支えていた頃より親しかったおろく(中村歌女之丞)が第二部でもお国を訪ねてくることで、第一部と第二部をつなぐ役割となっている。また圓朝自身(坂東三津五郎)が高座≠ノ登場し、狂言回し的に話を先に進める仕掛けとなっている。第一幕はよく知られたお露新三郎(中村七之助、片岡愛之助)の怪談の部分だが、第三場「伴蔵の住居」では伴蔵を手のひらで転がすようなお峰=玉三郎の芝居で大いに笑いを取る演出、これが芝居をだれさせず、またその直後の「お札はがし」〜新三郎の死に至る怖さへと急転・落下するダイナミズムに寄与しているのだなと思った。笑いといえば、第二幕でも第三場「関口屋の店」にてお国と浮気している伴蔵を咎めるお峰の芝居が笑いを生んでいた。こちらは終幕の破局への影響はあまりなかったように思うが、怪談≠フ部分だけが捉えられがちな『牡丹灯籠』が実は人間の深い悪業だったり浅くちんけな悪行だったり、そういう人間の馬鹿な部分を描こうという作品であることを、長大な原作からその本質をなす部分をぎりぎりまで削り出しつつ一本の芝居(娯楽)として成立させるための工夫であるとは思った。おそらく原作よりも、女の怖さ、男の小悪党的な浅はかさを強調している(戯画化している)格好になっているのではないかと思うが、因果応報譚としてもずっしり来として手応えがあり、見応えのある構成であるとは思う。ただし、お露新三郎の存在の意味がよくわからないという不満は残るようにも思った(単にお国とお峰伴蔵=悪の犠牲者とも思えるが、そう考えるとふたりの物語が重た過ぎてうまく消化できない)。一応メモとして芝居の構成を記しておくと、第一幕:第一場「大川の船」(気晴らしに船遊びをしながらも新三郎に会いたいお露のため息と、飯島家を乗っ取ろうと企むお国源次郎の会話)、第二場「高座」(圓朝による物語発端の説明)、第三場「新三郎の家」(幽霊になったお露が訪ねて来て新三郎と愛を交わす、それを伴蔵が目撃)、第四場「平左衛門の座敷」(お国源次郎が平左衛門と女中お竹を殺害)、第五場「伴蔵の住居」(幽霊を目撃してきた伴蔵をお峰が叱咤し、お露から百両せしめる交渉をするよう伴蔵を説得)、第六場「講座」(延長がお札はがし前後の説明)、第七場「伴蔵の住居」(仏像を盗んできた伴蔵の元に百両が降り注ぎ、お峰がそれを震えながら数え、伴蔵お札はがしを決意)、第八場「萩原家の裏手」(お露と乳母お米の幽霊に催促され、伴蔵がお札をはがす)、第九場「新三郎の家」(お露が新三郎を取り殺す)。第二幕:第一場「野州栗橋の宿はずれ」(お峰伴蔵がお露からせしめた百両を元手に開いた関口屋をおろくが訪ねてくる。その側で落ちぶれた源次郎とその土地の酌婦となったお国の様子が描かれる)、第二場「高座」(圓朝による説明)、第三場「関口屋の店」(伴蔵浮気の一切を馬子久蔵=三津五郎からお峰が聞き出し、訪ねてきたおろくを受け入れる)、第四場「関口屋の店夜更け」(お峰が伴蔵を給弾、なぜかいい人情噺風に展開したのち、おろくがとつぜんお峰伴蔵の旧悪を暴露し始める)、第五場「夜の土手の場」(お国と同じ店で働く酌婦のおうめが実は平左衛門と共に殺した女中お竹の妹とわかり、お国の善人としての一面も見せつつ、お国源次郎が破局。いきなり善人の一面が出てくるのが疑問ではあるが、なかなかの名場面)、第六場「幸手裏」(お峰伴蔵の破局)。なお「シネマ歌舞伎」としての出来栄えは、他作もそれほどきちんと観てきたわけではないので、私には評価不可能→『花の不死鳥』(監督:井上梅次。美空ひばり、森田健作、長谷川哲夫、小川ひろみ、松尾弘子、園井啓介、芦田伸介、井上孝雄、柳沢真一、石坂浩二、牟田悌三、橋幸夫、ディック・ミネ、高橋圭三。1970、松竹)。二年前に観たのを忘れて再見。感想は二年前と同じなので、そのまま引用。「井上梅次お得意の失笑音楽映画。美空ひばりと井上孝雄が互いに見つめ合う顔を交互に映すショットとか、美空ひばりが覆面歌手として登場するとか、父娘のわだかまりが溶けるところで『裏町人生』が謳われるとか、なんとも言えない味わい。多分作り手の意図するところの感動はまったく味わえないが、愛すべき作品であると思う」。ひとつ付け加えると、瀬戸香(美空ひばり)が父親の作曲家瀬戸貴一郎(芦田伸介)に「あなたにはこういう新しい歌(夫下条和彦=長谷川哲夫の作品)がわからないんだわ」と言いながら歌った歌が見事など演歌なのが、(当時としては新しい歌だったかもしれないが)今となっては可笑しい→ホッピー×2→午前5時就寝。
9月18日(月) 午前11時半起床。白湯、マヌカハニー→玉葱のおつけ、卵粥、納豆、梅干し→『シネマ歌舞伎 牡丹灯籠』について自分の理解のためのメモをまとめつつ、『牡丹灯籠』自体についてあれこれ思索→高円寺〈HACO〉にて、宝井一凛の新作講談の会『悪い人たち....第二回』(「牡丹燈籠」)を見物。ゲストに薩摩琵琶の川嶋信子。
一席めは(今日現在では)元内閣官房副長官及び内閣総理大臣補佐官・木原誠二の「妻の元夫不審死事件」をネタに「ニュース講談的な」と銘打った「リアル悪い人たち 木原事件」。河内音頭の新聞詠みのような面白さを感じた。もちろん、今のところは疑惑の段階ではあるが、それを酒場の噂話の面白さを保ちつつ、事実と憶測とをいい塩梅に行き来して、事件の全体像を楽しみながら飲み込ませてくれる藝に昇華させたと感じさせられた(毎晩酒場で喋っている?ならではのグルーヴ感も味わった)。講談にこういう手法(リアルタイムに進行している事件を語る)がもともとあったかどうか私はよく知らないが、真実を知る云々ということではなくある事件の全体像を飲み込ませてもらうという点では、こういう手法の話藝がもっとあってもよいと思う(もっとも、噂に尾鰭はひれがつけられて流布される危険性もあるから、会の規模や客筋などからの判断が必要になるが)。
続いてはゲストの川嶋信子による「いろは歌」(でいいのかな?)と「本能寺」。一応、琵琶の生演奏を聴いたことはあるのだが、ちゃんとした奏者の演奏を聴くのは初めてかもしれない(記憶にあるのはイタチョコ浄瑠璃での共演だけなので)。初めてなので感想もなにもないのだが、鶴田流ならではという、弦を擦りながら叩くような撥の使い方には、フリージャズに端を発する即興演奏の趣も感じた(本日の演奏は即興ではないと思われるが)。「まなびわ」という琵琶の一日体験教室も月一回開催しているそうなので、見聞を広めるために一度参加してみようかな。
仲入り後は宝井一凛と川嶋信子の共演で「牡丹燈籠」。主に川嶋信子が薩摩琵琶と語りで幽霊の心情表現などを担当、宝井一凛がこの世で起きている事象を担当という構成(細かくいうともっと複雑だろうが)。面白い試みだったが、ふたりの調和という点では、もう少し時間や回数が必要かなとも思った。それだけ難しい試みであるということかと思う。一回で終わらせてしまうのはもったいないので、何度か回を重ねてほしい。話の組み立て方は、幽霊お露の怖さと人間の怖さの対比にお国源次郎は使わず伴蔵お峰だけを用いていたが、この会の目的には適っていたとは思うし、こういう使い方≠ェできるのも古典名作の妙というものかと思う。
→終演後は一凛さんへ軽くご挨拶しただけでおいとま→〈抱瓶〉にて晩。ミミガーチップス、ゴーヤチャンプルー、マグロ天ぷら、ラフテー、沖縄焼きそば、生ビール中×1、瑞泉ロック×1.5→平和に電車で帰宅。と思いきや、経堂に着いた途端に酔いが回り、駅ホームや改札口を出たところのベンチで休憩。もう大丈夫かなとタクシーの列に並んだところでしかし盛大に嘔吐してしまった(止められなかった)。駅の窓口と交番に相談して、交番の警官が掃除に来てくれたがすぐにどこかに行ってしまったので、申し訳ないがそのままにしてタクシーで帰宅→帰宅後即就寝。
9月19日(火) 深夜に起きて、少し汚してしまった鞄や靴の清掃、そして風呂→いったん寝て起きてから食べようかなと粥煮たが、そのまま朝食。玉葱のおつけ(揚げ玉)、粥、錦松梅、うずらの卵×3、もみ海苔、カツオ梅→食後やはり眠くなり、午前中いっぱい寝る→昼過ぎに起きてペペロンチーノ(ベーコン)→何やってたか忘れたが、それから晩の支度→長芋千切り(胡麻、胡麻油、醤油、青海苔、刻み海苔、わさび)、ニンジンニンニクウィンナーの煮物(刻み生姜、チキンコンソメ)、玉葱ロースハム入りオムレツ(ウスターソース、青海苔)、玉葱のおつけ(揚げ玉)、粥、納豆、錦松梅→風呂→山本周五郎『花筵』(全集第三巻)読了。これまた傑作。改革派のひとりの妻であるお市が政争に翻弄される中で、「花筵」の工夫に成功し、それが改革に功を奏するという展開と、全体にわたる筆致が素晴らしい→明日の粥拵えてから、午前3時過ぎ就寝。
9月20日(水) 午前7時半起床。白湯、マヌカハニー→粥(うずらの卵×2、納豆、梅干し、もみ海苔)→老父買い物代行(サミット)および〈はま寿司〉にて予約しておいた寿司受け取り。その場で秋刀魚追加→老父宅にて寿司を一緒。ひとり分=まぐろ、サーモン山わさび、活〆まだい、大葉漬け真いか、煮あなごの計10個。父は前回は計15、6個食べてたはずなので、少し食欲落ちたかな。とはいえ元気そうでなにより。大正〜昭和初期の写真をたくさん見せてもらい、そのうちこちらで引き取る相談をする→午後2時過ぎおいとま。〈サミット〉にて茅ヶ崎に行くまでの本日入れて三日分のみ食料調達→時代劇専門チャンネルにて今週月曜から始まった『必殺渡し人』、観ているはずだが記憶なし。しかし高峰三枝子がお歳など感じさせない(いや感じはするが)色気と迫力。このとき御歳65というから驚く。比較しても仕方がないが、先週までの『必殺まっしぐら!』が霞んでしまうな→風呂→レタスとピーマンとトマトとオイルサーディンのサラダ、秋刀魚寿司、鯖押し寿司、なめこ汁、粥(江戸むらさき、コンビーフ)、ビール中瓶×1→昨晩四時間も寝ていないので、さすがに眠くなったので、夕方連絡をいただいたB電子の直しだけ手をつけて、夜10時半頃就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記