2023年09月30日

9月まとめ(21〜30日)


羽仁進/渥美清『ブワナ・トシの歌』、ゴダール『小さな兵隊』のアンナ・カリーナ、『小津安二郎の審美眼』展 於茅ヶ崎市美術館、〈居酒屋鷹〉、亀の子寄席「玉川奈々福 気合いっぽん浪花節vol.3」、サザンオールスターズのサウンドチェック(うるさい)、茅ヶ崎酩酊放浪、すき焼き昼食会、〈もつ焼きヨゾラ〉、大磯〈海そば〉と買い物、トラベルカホン欠品分ようやく到着、フランソワ・トリュフォー『柔らかい肌』、ゴダール『軽蔑』、紫蘇の実醤油漬け、『井筒屋(笠間稲荷)で落語と浪曲を楽しむ夕べ〜祐子百歳、笠間に帰る〜』 於〈笠間稲荷神社稲光閣〉。

9月21日(木) 深夜起床。目が冴えてしまったので、朝拵えようと思ってた鶏粥を製作→『必殺渡し人』録画消化して、朝方就寝→昼頃起床。本日出かけようと思ったが、気分が乗らず諦める→なめこ汁、鶏粥、しらす梅(かつぶし、刻み葱)、刻み海苔→『ブワナ・トシの歌』(原作:片寄俊彦、監督:羽仁進。渥美清、テントの子供:シク・クウ・バシュケエダ、下元勉、居候:ハミシ・サレヘ、居候の妻:ビビ・アグネス、食堂のボーイ:アレキサンダー・アウグスティ、少年:ギルバ・ハイディ、長老:ハイデイ・ギタポスタ、居候の友人:ダウイテ・ダラベ、村の男:ウイックリフ・マシンデ、もう一人の少年:ソンパウロ・サム、建設手伝い人:サイデ、カインボ、先生:ミエル・K・アンドリウ、郵便局員:マウルデイ・スレーマン。1965、東宝)。日本の建築技師がひとりで東アフリカのケニアとダンガニーカの国境に赴き、のちに来る日本人学者のためにプレハブ住宅を建てるわけだが、まず言葉もわからない日本人をたったひとりで派遣するか? という疑問は湧く、しかし原作がある話なので、まあそのとおりなのか。これは原作を読んでみないとわからない(調べると片寄俊秀は1962年に京都大学アフリカ類人猿学術調査隊の一員として、今西錦司隊長らと共にアフリカに渡った建築家≠ニいった記述が出てくるから、ひとりで現地に、はやはり映画の嘘≠ネのだろうか)。しかしそれが映画の嘘≠セとしても、ひとりで異文化に放り出された言葉も地理も風習も自然環境もわからない男がどうやって現地に溶け込み活動していくのか、という顛末を面白く見せる仕掛けとして受け入れたいと思う。またそういう映画的仕掛けに、渥美清という個性がぴったりはまる。先に現地に来ていた動物学者・大西博士(下元勉)にすがるが「あなたのような若い人でも日の丸の旗を背負ってないと仕事ができないんですか」と突き放され、途方に暮れるが、それでも屈託なく現場となる村を訪ねてカタコトのスワヒリ語で目的を果たそうとし、ぶつぶつ文句を言いながらもなんとなく順応していく様の可笑しさも含め、適任だったと思う。そして現地の人たちとの仕事に対する態度の違いとか、暴力に対する感覚の違いとか、そういう苦い側面もきちんと描きながら、最終的には人間同士≠フ交流を捉えていく。最初に書いたようにどれだけ事実に基づいているのかは今の時点ではわからないが、よい気持ちと感動をもたらしてくれる映画であることは間違いないと思う→菊水堂ポテトチップス、鰯骨煎餅、もりそば(刻み葱)、ビール中瓶×1→ちょいとだけB電子仕事(以前提出した原稿に加筆)→サラダ〈レタス、ニンジン、ピーマン、胡麻)、煮干し出汁殻酢油漬け炒め、剣先イカ刺身、鴨燻製、なめこ汁、鶏粥、ビール中瓶×1、ホッピー×1→夜10時頃いったん就寝。
9月22日(金) 深夜起床→『小さな兵隊』(原題『Le Petit Soldat』、監督:ジャン=リュック・ゴダール。ミシェル・シュボール、アンナ・カリーナ、ジャン=リュック・ゴダール、アンリ=ジャック・ユエ、ポール・ボーヴェ、ジョルジュ・ド・ボールガール、ジルベール・エダール、ラズロ・サボ。1963、仏Les Films Impéria)。「政治」については、当時の状況下に実感がないと感想の言いようがないが、「政治にかかわっていて寝る暇もないような人たちを描く」(Wikipediaより)については、まあそれを描いてはいるね、とは思う。しかしだからなんだとまでは、やはり今となってはわからない。『気狂いピエロ』(1965年)につながるような作品という印象と(撮影は1960年なので、その間に『女は女である』『女と男のいる舗道』『カラビニエ』『軽蔑』『はなればなれに』『恋人のいる時間』『アルファヴィル』がはさまるが)、アンナ・カリーナの魅力爆発という印象、あと拷問の場面の印象が残る、と言ったら身も蓋もないが、そんな印象が残る作品だった(拷問のうちのひとつは『気狂いピエロ』でも使われている)。これは映画とは直接関係ないが、ゴダールがアンナ・カリーナと出会った作品でもある。しかしアンナ・カリーナの魅力に心底参って撮ったような場面が多いから、あながち無関係でもないか→『テキサス』(原題『Texas Across the River』、監督:マイケル・ゴードン。スチュアート・アンダーソン、ピーター・グレイヴス、ローズマリー・フォーサイス、アラン・ドロン、ジョーイ・ビショップ、ディーン・マーティン、リチャード・ファーンズワース、ティナ・マルカン、マイケル・アンサラ、リンデン・チャイルス、ロイ・バークロフト。1966、米Universal Pictures)。ドン・アンドレア(アラン・ドロン)とサム・ホリス(ディーン・マーティン)の対比や関係性の描き方が鮮やかではないし(そんなに友情が芽生えたような描写もないように思う)、制作された時代から考えて仕方ないかもしれないがネイティヴ・アメリカンへの侮蔑的な描写は多いし、絵造りも望洋とした印象だし、スター二人を揃えたからあとはどうでもいいという感じも漂う作品ではある(絵造りに関していえば何故そこだけ合成を用いたのかわからない場面もあり、またその合成の出来がひどい)。その割にはアラン・ドロンの闘牛ギャグ、アラン・ドロンとコマンチ族のバカ息子イエロー・ナイフ(リンデン・チャイルス)との決闘場面の視界が二重四重六重になるギャグ、三角関係ギャグ、そして男ふたりが決闘でもたもたしている間にスピーディに勃発する女ふたりの闘いなどは思わず声を上げるほど可笑しい。石油が湧き出てどうなるかと思いきやインディアン≠フひとりが「そんな土地はいらん」と一言吐き捨てて映画が終わるのもなんだか可笑しいし、インディアンのひとりに「The Only Good Indian Is a Dead Indian」と言わせるのも可笑しい。映画としては適当この上ないという印象だが、憎めない作品であった→ホッピー×1、金宮酎ハイ×1→朝方就寝→昼頃起床→なめこ汁(うずらの卵×3)、鶏粥、カツオ梅、刻み海苔。カツオ梅は味噌を少し練り込んだほうがうまいな→晩の仕込み(麺つゆ薄めて油揚煮るだけだが)しつつ明日の荷造り→サラダ(レタス、ピーマン、トマト、バルサミコ酢、オリーブ油、塩、黒胡椒)、喩でニンジン(塩)、鴨燻製、イカわたホイル焼き、しらす入り炒り卵(青海苔)、素麺二把半(胡麻、おろし生姜、刻み葱、刻み油揚)、ビール中瓶×1→シャワー→Facebookにちょいと長い投稿してから、夜11時半就寝。明日は茅ヶ崎。
9月23日(土) 朝8時起床→昨夜の残りの麺つゆ、鶏粥、カツオ梅、白髪葱(胡麻油、醤油)→朝8時半出立→東名高速、横浜町田の手前から海老名PAまで渋滞(事故?)だったが、海老名PAを越えたらスイスイ。予定より多少遅れたが、まあだいたい予定通りに到着。「特P」で予約しておいた駐車場(一般民家)は少し入れにくかったが、これもまあなんとか→雨の中、〈茅ヶ崎市美術館〉まで歩き、『小津安二郎の審美眼』展を見物。映画の中で使われていた焼き物(『お早う』の唐津花入生、『彼岸花』の口朱ダミ菊透紋湯呑と染付立筋紋湯呑など)や本物の♀G画(『彼岸花』の岸田劉生『小流春閑』、『秋刀魚の味』の橋本明治『石橋』と会津八一『秋日』など)に関心。焼き物については本展のグッズとしてレプリカを作ればいいのにと思う(そう思うことはよくあるが)。あと各作品公開当時のポスターなども興味深かったが、海外で上映の際の宣伝ポスターはやはり感覚が日本と違い、面白い。中でも『秋刀魚の味』のフランス版ポスターは、後年のイメージ(極妻とか)を彷彿とさせるような岩下志麻の大写し、着物に夜の飲み屋街の風景が合成されていて、まったく『秋刀魚の味』の世界を表していなくて笑った。図録も貴重な一冊だが、焼き物や絵画や海外版ポスターがすべて収録されていないのは(予算の都合やいろいろな事情はあるのだろうが)残念→併設の喫茶店での休憩を挟んで二週観てから〈茅ヶ崎館〉へ移動。クルマ停めさせてもらい荷物を預け、昼へ→〈蘭〉で軽くラーメンでもと思ったが昼営業をやめてしまっていた。どうしようかなと思ったが、並びの〈居酒屋鷹〉の前でご主人と目が合ったので入ってみたところ、大将や女将、そして御常連とのおしゃべりが楽しく、いい店だった。今度はゆっくり飲みに来たい。焼きそば、ビール中瓶×1→ちょうどいい時間に早めに〈亀の子道場〉へ。しばし庭でお茶などいただいてから、定時に入場→半年ぶりの『亀の子寄席「玉川奈々福 気合いっぽん浪花節vol.3」』、まずは中川雅文館長とお弟子さんの三橋みどりの演舞、それから玉川奈々福による「ミニ浪曲講座」(曲師・沢村まみ)。初めてのお客でも要所で「待ってました」「たっぷり」「名調子」「日本一」などの声をかけやすくなるようなレクチャーを、客を笑わせリラックスさせながら簡潔に進めていくのはさすが。おそらく古くからの浪曲愛好家も楽しめる一席≠ノなっているのではなかろうか。

そして今回は若手ゲストということで(前二回は玉川奈々福独演会の形)、茅ヶ崎育ちだという天中軒すみれで「山内一豊の妻」(曲師・沢村理緒)。今年一月に名披露目したばかりとのこと、浪曲の魅力は「一声、二節、三啖呵」「その三位一体」と言われるそうだが、とても伸びやかで堂々としていて、私のような鑑賞入門者が聴いても気持ちのいい喉を味わわせてもらった。今後どう化けていくのか、楽しみである。

・浪曲師 天中軒すみれ(Facebookページ)
https://www.facebook.com/tntykn.sumire0402

仲入り後は再び玉川奈々福で、新作(古典ではないオリジナルという意味)の「金魚夢幻」(きんぎょゆめまぼろし)(曲師・沢村まみ)。

一匹の、大きな魅力があるわけでもない(でも実はある)和金と、その和金を生み出した金魚師の恋物語という荒唐無稽な話ながら、恐ろしいくらいの表現力・説得力で、話藝でしか表現できないような話であるが一編の映画を堪能したような満足感も残る高座だった(それだけ視覚的想像力も刺激された、ということを言いたかった)。

声と節と啖呵のよさはもとより、マクラの絶妙さにも感心するし、物語と演出の奇想っぷり、時事ネタも取り込んだふざけっぷりにも驚いた。そして金魚−−らんちゅうと和金−−を演じ分ける演技力にも。

和金が地球の反対側から世界の大河と海を泳いで日本に戻るという無理のあるスケールの大きさも、聴いている最中はただただ可笑しく心踊り、浪曲というジャンルに立脚しながらその範疇を軽々と飛び越えている、という印象。

浪曲のことはよく知らないので落語で喩えてみると、三遊亭白鳥の新作のような何考えてんだ!という意外性と楽しい破壊力を味わわせてもらったような心持ちであった。なにかとんでもないものを聴かせてもらった思いである。

実はこの日は午前中からなんとなく身体がふらふらしていて、会が始まる前は会が跳ねたらすぐに宿に帰って休もうかなとも思っていたのだが、「金魚夢幻」を聴いている途中から今日の酒はうまそうだぞ、と気持ちが切り替わった。

→終演後、クリアファイルやCD(玉川奈々福が八代亜紀と共演した「六条御息所の恋」収録のCDシングル『想い出通り』)を購入し、一度〈茅ヶ崎館〉に戻り休憩→茅ヶ崎駅前までぶらぶら歩き、〈ABC〉なるバルにて本日の打ち上げに参加。何度かご一緒したことがあるSS木さんと、そのご友人というこちらは初対面の酒○さんと同席。荻窪がホームグラウンド?というおふたりとO形との四人で楽しく飲む。ちょっとはしゃぎ過ぎたか。生ハム、フライドポテト、フィンガーフード各種、ビール中ジョッキ×2、赤葡萄酒多数→会がはねたのち、もう一杯と会場近くの〈THE BAR MAIN〉というオーセンティックバーへ。この辺りから記憶なし。O形によれば一杯飲んで店を出たとのこと。しかし何を飲んだかは記憶なし→続いて並びに見つけた〈Soul Train2〉に立ち寄るが、これまた記憶なし。O形によればここもそれほどはしゃいではなかったとのことで、まあ安心か→しかしここを出てからなぜかまったく道がわからなくなり、〈茅ヶ崎館〉に辿り着けなくなる。少し酔いが覚めたところで運よくタクシーが通りかかったので、連れ帰ってもらう→おそらく日付変わる前には帰館。即就寝。
9月24日(日) 朝8時起床→鮭塩焼き、ハムサラダ、おみおつけ、ご飯等。宿酔で朝食食べらるか不安だったが、ぺろっと食べ切った→休憩後、〈茅ヶ崎市美術館〉まで小津展の図録を買いにぶらぶら→昼は昨日の会の主催者と運営の方々、出演者に混ざってすき焼きの会。考えてみたら我々はただの客なのに、なんだか申し訳ない。しかし奈々福さんもすみれさんも曲師の沢村まみさんも、とんでもないサービス精神を発揮してくださって、会の最中は楽しく飲食。ありがたい→みなさんをお見送りしてから午睡→珈琲。若旦那と楽しくおしゃべり。ついつい喋り過ぎてしまったが、サザンオールスターズのコンサートの周辺の話とか、加山雄三銅像の周辺の話とか、バーナード・リーチや萬鐵五郎の話とか、いやあ楽しかった→晩は以前から気になっていた〈もつ焼きヨゾラ〉。地元の若い人たちで賑わっていて、最初のうちは居心地が悪かったが、店のお兄ちゃんふたりがとてもいい人で、最終的にはくつろいでいた。きゅうり(エゴマ味噌)、おつまみ焼豚、もつ焼き5本盛り合わせ、生ビール中ジョッキ×3。食べきれず、しかし持ち帰りはやってないとのことだったが、ごめんねーと謝っていたらどこかから箱を調達してきてくれて、折にしてくれた。いい店だ→帰館後夜0時就寝。
9月25日(月) 朝8時起床→最中→風呂→朝10時チェックアウト。若旦那見当たらなかったので珈琲も諦めて、大磯へ→いつもの駐車場にクルマを停め、〈At Gallery N' CAFE〉の前を通ったらもう開店していたので、珈琲をいただく→ちょうどいい時間になったのでいったんおいとまし、〈大磯海そば〉にて早い昼(潮そば)→〈OISO connect〉にて魚と野菜を購入。魚前回と同じくジンダ、今回は鯖がなかったのでアオアジ(中)、それと鯖味醂干し→〈At Gallery N' CAFE〉に戻り、今度はTしま君もいたのでバカ話→午後1時くらいにおいとま。〈井上蒲鉾店〉ではんぺんと薩摩揚げ買い一路帰宅。スイスイのスイで約一時間→本日の朝ドラ消化しながら珈琲→昨日〈もつ焼きヨゾラ〉で食べきれず折にしてもらった肉と野菜を刻んでカレー風味のスープに。それとオイルサーディンと生しらすのペペロンチーノを製作→シャワー→先日Amazonで購入したトラベルカホンの欠品分(ストラップと六角レンチ)が届いたので、使用に問題ないか確認し、欠品発覚から本日の解決までをまとめて販売店の評価として投稿→アオアジのカルパッチョ(ツルムラサキ、オクラ、ピーマン、ニンニク)、ホルモンカレースープ、オイルサーディンと生しらすのペペロンチーノ、ビール中瓶×1.5→夜9時就寝。
9月26日(火) 深夜起床し、茅ヶ崎〜大磯での三日間の日記をまとめ→午前3時頃就寝→朝8時前起床。白湯→ホルモンカレースープ、オイルサーディンと生しらすのペペロンチーノ(釜揚げしらす追加)→午前中特に何もせず。八代亜紀のCDシングル『想い出通り』を聴いたくらい。玉川奈々福参加の「六条御息所の恋」は二回聴いた→千歳船橋駅前に出て、まずは〈一仁〉で昼。季節の野菜天ぷら、おろしそば(十割)、ビール中瓶×1→〈秀〉〈オオゼキ〉で買い物したところで雨が少しだけ落ちてきたので、洗濯物を取り込むべく私は先に帰宅。もっとも帰宅する頃にはまったく雨は落ちてこなくなったので、洗濯物には手をつけず→午睡→ジンダ唐揚げ、煮干し出汁殻唐揚げ、アオアジ骨煎餅、茄子天、はんぺん刺身、わかめと油揚のおつけ(揚げ玉)、生しらす釜揚げしらすご飯(うずらの卵×1)、ビール中瓶×1、御酒×2→食後即就寝。夜9時頃。
9月27日(水) 深夜起床し、『亀の子寄席「玉川奈々福 気合いっぽん浪花節vol.3」』の様子と感想をまとめてFacebookに投稿(1,800文字になった)→シャワー→いったん就寝→朝8時起床→わかめと油揚のおつけ(揚げ玉)、生しらす釜揚げしらすご飯(生卵)、海苔→老父買い物代行(サミット、生協)→帰途の甲州街道上りが珍しく?かなりの渋滞。昼前後では珍しい。なにかあったのだろうか→『柔らかい肌』(原題『La Peau douce』、監督:フランソワ・トリュフォー。ジャン・ドサイ、ネリー・ベネデッティ、ポール・エマニュエル、サビーヌ・オードパン、ジャン・ラニエ、ローランス・バディ、フランソワーズ・ドルレアック、ジェラール・ポワロ、ドミニク・ラカリエール、ダニエル・セカルディ、カトリーヌ・イザベル・デュポール、ジャン=ルイ・リシャール。1964、仏Athos Films)。妻と娘と仕事を大事にしてきた真面目な中年男が飛行機で出会った若いスチュワーデス(当時の呼称)と恋に落ちすべてを失うという、ありきたりな物語かつ派手な絵造りや演出があるわけでもないなのに、不思議と惹き込まれる映画。浮気相手のニコルに扮するフランソワーズ・ドルレアックは佇まいだけで魅力的ではあるが浮気旅行の途中でジーンズからスカートに履き替える場面の、そのジーンズ姿の尻とか、あとは美しい目が印象に残るほかは、あからさまな姿態を見せるわけでもなく、しかしそれが却って愛を交わす¥齧ハの体臭が匂い立つような描写につながっているのではないかと思った。そしてそのニコルのことを好きになっていく最中の、ただの間抜けな中年男ピエール(ジャン・ドサイ)の姿が映し出される際の、ジュルジュ・ドルリューの音楽がその場面を喰うぐらいに美しいのも、よい塩梅。結末は衝撃的ではあるが、そこに至るまでの陳腐といってもいいような話をこれだけ魅力的に撮るというのは−−サスペンス映画もかくやというくらい緊張感が続く場面もあり、また『死刑台のエレベーター』の結末を想起させるような写真を使った話の流れも見逃せない−−、ものすごいことだと思う。なお主人公は文藝評論家だが、講演の一部が印象に残ったので、引いておく。「明快な調和に達した自己省察です/ジッドの晩年の文章から−−/主義を持たぬこと∞説教をしないこと∞議論でも先に引き下がること∞だが なお 探索する人々がいるだろう−−∞誰を信ずべきか∞そう信ずべきは−−∞真実を探究する人だけで∞真実を見出した人を疑い−−∞すべてを疑え∞自分以外は=v。私は自分自身も疑うべきと思うが、それ以外は概ね賛同→はんぺん、さつま揚げ、菊水堂ポテトチップス、しらすかき揚げ、煮干し出汁殻唐揚げとニンジンの南蛮漬け、釜揚げそば(揚げ玉、うずらの卵×2)、ビール中瓶×2→午睡→風呂→ツルムラサキとトマトとオクラのサラダ、ジンダ唐揚げ南蛮漬け(ニンジン)、はんぺん、わかめと油揚のおつけ、しらす粥(かつお梅、釜揚げしらす)、ビール中瓶×1.5→夜0時就寝。
9月28日(木) 朝6時起床。白湯、マヌカハニー→わかめと油揚のおつけ(揚げ玉)、卵粥(錦松梅、もみ海苔)→午前中横臥して読書、少し睡眠→かけそば(はんぺん、さつま揚げ、釜揚げしらすかき揚げ、わかめ、揚げ玉)→午後なにしてたか失念→菊水堂ポテトチップス、鯵骨煎餅、ニンジンかき揚げ、割れ煎餅、海苔、カツオ梅、茄子と油揚のおつけ(揚げ玉)、ご飯半膳、納豆、ビール中瓶×2、ホッピー×1→明後日の笠間-水戸は、却って面倒なので水戸一泊をやめて日帰りにした。よって〈リバーサイドホテル〉キャンセル→夜8時いったん就寝。
9月29日(金) 日付け変わるくらいに起床→風呂→『×ソーゾーシー』(ディレクター:千葉昭人。春風亭昇々、玉川太福、瀧川鯉八、立川吉笑、又吉直樹。ナレーション:藤谷理子。2023、テレビマンユニオン/日本映画専門チャンネル)。若手創作話藝集団である「ソーゾーシー」(春風亭昇々、玉川太福、瀧川鯉八、立川吉笑)が、自分たち以外の人間が提供するネタで落語と浪曲を拵えて喋るという企画の、今年7月13日に深川江戸資料館小劇場にて催された第一弾公演の様子を映像に収めたもの。第一弾公演では漫才師/作家の又吉直樹(ピース)が詠んだ十句の自由律俳句からひとり二句ずつ拾い、そのうちのどちらかで落語/浪曲を拵える。好き嫌いを別にすれば面白い企画だが、しかしその十句の「自由律俳句」という代物が、1.商店街をモーゼのように進む自転車、2.ベースだけ脱退しそうな服装に見える、3.憎しみの痕跡がパレットに残っている、4.ベランダからサイレンが止まった辺りを見る、5.ラジオの時報だけが祝ってくれた、6.風に舞うビニール袋をみんな見上げていた、7.相槌が話を追い越していった、8.おばけか蜃気楼かで揉めている、9.爆音で鳴る煩悩と夜が明ける、10.雨粒を避けられると得意げにずぶ濡れ。日常の中で目に飛び込んできた光景の切り取り方は面白い(のかもしれない)が、それぞれこれだけ文字数を費やすのであれば、私には単に五七五にまとめる努力を放棄した、生ぬるい表現のように受け取れてしまう。本来は五七五の枠に収めるという厳格性を持った俳句という表現方法の持つ厳しさを保ったままその形式に囚われない、というのが自由律俳句ではないかと私は思っていて、そうでなければただ「日常の中で目に飛び込んできた光景の切り取り方」だけで成り立つことになってしまい、ならばわざわざ「俳句」の範疇に入れる必要がない(一行詩とでもなんとでも呼べばよい)。という点がまず気になったので、自由律俳句×新作落語/浪曲、という企画のアイデアはよかったが、結果的に冠に「生ぬるい」が付いてしまったので、企画倒れではなかったかというのが大雑把な感想。あと、又吉直樹というお笑い≠ノも片足を突っ込んでいて作文も散文主体の(ある意味焦点のぼやけた)人選ではなく、俳句表現を追い求めている人を組ませたほうが、「×」(かける)の意味が出てくるようにも思った。もっともそれをソーゾーシーの四人が受け止め切れるかどうかはまた別の話ではあるが、受け止め切れたら今回の結果よりももっとずっしりとして表面的でない落語/浪曲が生まれたのではないかとも、妄想に近いけれども思う。さて各落顔/浪曲であるが、まず春風亭昇々で「一族」(1と2を拾い、1を採用)。講談を模して膝を叩きながら台詞を変なところで切ったのち「どこで切るんだよ」と突っ込むのはちょっと笑ったが、それ以外は。モーゼのネタとサゲも活きてなかった。2を捨てた理由として「ベース≠ェ何を指しているのかわからなかった」とのことだが、「脱退」と書いてあるのにバンドのベースとすぐにわからないのかな。続いて玉川太福「ベランダの母」(曲師玉川みね子)(3と4を拾い、4を採用)。なんとなく泉昌之のマンガを思い出すような(大衆文化雑学の捉え方の)ネタはともかく、昇々との話藝の出来の差は歴然。まったく集中してなくても、いつの間にか耳が向いているし、耳が向くと自然に目も画面を追っている。でもネタはひねりも奥行きも感じられなかったが、「サイレン」の種類を特定しなかったという点には納得。お次は瀧川鯉八「いちについて」(5と6を拾い、6を採用)。聴き慣れている所為もあるが、序盤での引き込み方はすごいなと思う。6を採用しながらそれを噺の重要な部分に持ってこなかったという話の構築も仕方も。ちゃんとすべて鯉八節になっていた。ただしサゲは弱かったかな。でも「一目見て作りやすいと思った」という5を採用しなかったところは面白い。トリは立川吉笑「霊か楼か」(7と8を拾い、8を採用)。マクラでの鯉八の採り上げ方はなかなか。本編は、大阪弁?はうまかった、くらいだった。サゲもなんだか苦し紛れで鮮やかでなかった。ちなみに吉笑とは関係ないが、7の「相槌が話を追い越して」について又吉が「高田文夫と話していたときのこと」と言っていたのは可笑しかった。で、最後にもういくつか不満を述べれば、又吉直樹を交えたフリートークが常識的でおとなしかったこと、各藝の最中のカメラワークが細か過ぎてうるさかったこと、句をいったんばらして三題噺的に構築する(構築しつつ句意もきちんと、あるいは意味を転換させて取り入れつつ)という試みがなかったこと、などを挙げておく。次になにと「×」されるのかは、まあ期待→生卵、ビール中瓶×1、御酒×1→午前4時就寝→朝10時起床。白湯、マヌカハニー→茄子と油揚のおつけ、ご飯、山椒の実醤油漬け、カツオ梅、納豆、海苔→『軽蔑』(原題『Le Méris』、原作:アルベルト・モラヴィア、監督:ジャン・リュック・ゴダール。ジョルジア・モル、ラウル・クタール、ブリジット・バルドー、ミッシェル・ピコリ、ジャック・パランス、フリッツ・ラング。1963、仏Marceau-Cocinor/伊Interfilm)。前回(2018年1月)に観て以来すっかり忘れていたが、「ラウル・クタールの撮影風景と配役・スタッフ・その他情報の音読で始まるのは今見ても新鮮」という感想は今回もまったく同じ。白を背景に赤と青が印象的な配色、断片的に流れる音楽、ジョルジュ・ドルリューの音楽、小島の高台の風景、不意に訪れる無駄な死などなど、『気狂いピエロ』にも引き継がれる要素が多数観られる点で、『気狂いピエロ』の習作のような印象もある。とつぜん理由もなく?訪れる夫婦(ブリジット・バルドー、ミッシェル・ピコリ)間の危機をよそに、フリッツ・ラングが淡々と(しかも失敗作であることが予感される)映画を撮っているというのがなんだか可笑しいが、そのフリッツラングの「毎朝パンのために/ウソを売っている市場∞売り手にまじって並ぶ私は希望に満ちて=vという台詞にブリジット・バルドー扮する妻≠ェ「それはなんですか?」と問うと「ハリウッド=v答えるのに続いて「B・Bの詩の一部だ」、そのあとミッシェル・ピコリ扮する夫≠ェ「ベルナルト・ブレヒトですね?」と話に割り入るのもやはりなんだか可笑しい(今となっては通じないギャグ?かもしれない)。あと妻≠ェ発する「軽蔑」という言葉の意味するところが最後まで明かされないところに、これまたなんとなくではあるが、『勝手にしやがれ』のパトリシア(ジーン・セバーグ)が最後まで「デギュラス(dégueulasse)という言葉の意味を理解せず映画が終わる(ミッシェル「C’est vraiment dégueulasse.」、パトリシア「Qu’est-ce qu’il a dit ?」、警官「Il a dit : Vous êtes vraiment une dégueulasse.」、パ「Qu'est ce que c'est dégueulasse?」)のを思い出したが、しかし改めてこの会話を追ってみるとパトリシアは「dégueulasse」という言葉の意味はわかったが自分がなぜ「dégueulasse」なのかがわからない、のかもしれないと思った。『軽蔑』の感想とは関係ないが、そういうことを思ったということを備忘のために記しておく(ネットをちょいと検索してみたら、左記とは反対に捉えている人もいた)→ニンジンかき揚げ、アオアジ骨煎餅、ペヤングソース焼きそば、ビール中瓶×1、御酒×1→午睡→風呂→明日クルマでなくて電車で行くプランを思いついたので調査。これは当たりかな→ピーマンとトマトとオクラのサラダ、はんぺん、さつま揚げ、油揚煮付け、茄子と油揚のおつけ、ご飯半膳、紫蘇の実醤油漬け、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→夜1時就寝。
9月30日(土) 朝6時起床→味噌湯、卵かけご飯、紫蘇の実醤油漬け、海苔→9時少し前に出立。まず新宿に出てみどりの窓口にて切符買い、〈ベルク〉でベルクドッグ調達。新宿湘南ラインのホームに早めに赴き、ビール買ったりしながらグリーン車の列に並ぶ→あとはビール飲んだり本読んだりうとうとしたりしているうちに小山着。水戸線に乗り換え笠間で下車。午後1時過ぎ。それにしても北関東に向かうのに新宿湘南ラインというのも、妙な感覚だ→駅を出てロータリーから東のほうへ伸びる「やきもの通り」を歩いてみるが、特に焼き物店はなし。東京よりはましだが日差しと湿気にまいる。「八軒町」という信号を左折するとすぐに目指す蕎麦屋(I崎が教えてくれた)〈手打百藝・泰然〉が見つかるが、無念にもすでに準備中。並んでいるお客に聞くと、12時過ぎにはすでに受付を締め切り、それから一時間経ってもまだ中に入れないという→諦めてそのすぐ近くにある蕎麦屋〈たけ川〉へ。〈百藝〉にほど近いだけに、〈百藝〉に劣らぬ蕎麦なのか、あるいは〈百藝〉にあぶれた客が来るから経営が成り立っているのか、どちらかかなと思ったら、後者だったので笑った。天ざる、ビール中瓶×1。でも地元に人には愛用されている模様→食後やきもの通りを進んでからギャラリー通りへと左折し、笠間工芸の丘を訪ねてみようとも思ったが、暑さと疲労で断念。その途中にある笠間焼きの店〈かつら陶芸〉を素見したら猫がデザインされたマグカップがあったので、S野からいただいた絵のお礼にとA星さん分と合わせてふたつ贈る。我が家用にはご飯を炊く際に入れるとふっくら炊き上がるという「備前玉」を購入→〈かつら陶芸〉から元来た道を少し戻り、少し丘の上になる住宅街を抜けて、笠間の繁華街へ。笠間小学校の前を通り、〈笠間稲荷神社〉の参道入口まで来たので、入口手前にある〈かさま歴史交流館井筒屋〉(もともと本日の催しの会場を予定していた施設)で一服→それから本日の会場である〈笠間稲荷神社稲光閣〉にて、『井筒屋(笠間稲荷)で落語と浪曲を楽しむ夕べ〜祐子百歳、笠間に帰る〜』を見物。まずこの日の演目は下記のとおり。

万葉亭小太郎・・・・・目黒のさんま
港家小そめ・・・・・・水戸黄門漫遊記尼崎の巻(曲師玉川祐子)
(仲入り)
トークコーナー・・・・玉川祐子、港家小そめ、万葉亭小太郎
玉川祐子・・・・・・・力士伝越の海勇蔵(曲師沢村博喜)
お開き・・・・・・・・玉川祐子「チャンチキおけさ」

万葉亭小太郎という方のことはまったく存じ上げなかったのだが、笠間市の職員として働きながら、特技の落語を活かして地域の落語会・演藝会を催したりボランティア活動をされている方のようだ(ただしご本人にお聞きしたわけではなく、ネット上から得た情報)。この会も、万葉亭小太郎主催の落語・演藝会「井筒屋の夜会」のゲストに当地出身の玉川祐子を招こうとしたのが発端という紹介が、この会の中であったと思う。

続く港家小そめ「水戸黄門漫遊記尼崎の巻」、港家小そめの浪曲を聴くのは今日で二回めだが、二回とも話の前半で節の音程が微妙になる(ちょうどいいところに落ち着かない)ところがあるのが、私には気になった。もっともそれはこちらの耳の所為かもしれないし、調子が出てきてからの啖呵と節のうねり具合は、前回(9月7日)木馬亭で聴いた時よりも優っているなあと感じた。かなり前に一度か二度チンドンの演奏(確か林幸治郎、高田洋介両氏との共演で、そのときはゴロスを叩いていた)を拝聴し、信頼の置ける実演者であるという印象を得たのをよく覚えているので、その浪曲もまだまだ追っていきたいという思いを新たにした。

藝そのものとは直接関係ないかもしれないが(いや関係ないことはないのだと思うが)、港家小そめが玉川祐子を気遣いながら並んで歩く姿を見るだけでも、一編の浪曲を聴いたようないい心持ちになる。

仲入り後のトークコーナーでは、玉川祐子の著書『100歳で現役! 女性曲師の波瀾万丈人生』(杉江松恋の聞き書き)に書かれているのとほぼ同じことをお話になっていたが、ご本人の口から聞くと、著書の読後感とはまた違う感触なのが面白かった。それはまあ当たり前か。でも聞けてよかった。

続いて玉川祐子が唸った浪曲「力士伝越の海勇蔵」は、亡きご亭主玉川桃太郎の十八番だったとのことだが、うまく言えないけれども、私の年齢だと聴けなかったかもしれない、時間と経験に培われた真物の藝に触れることができたいう印象。うまいとかどうとかという目盛りでは測れない藝をずっしりと受け取った。実に貴重な体験であり、それだけでも往復五、六時間かけて聴きに行った甲斐があったと思う。

それで終わりかなと思ったら、玉川祐子が得意だというグーチョキパーの秘技(片方の手で順番にグーチョキパーを作り、もう片方の手ではひとつ遅れでグーチョキパーを作る。つまり右手先行だとすると、右手グー、右手チョキ/左手グー、右手バー/左手チョキ〜を繰り返す)を高速で披露してボケ防止によいという話をしたのち、最後に玉川祐子の三味線でみんなで歌を歌いましょうということになり、何故か「チャンチキおけさ」を歌ってお開き。

最後はなんだかよくわからなかったが−−ちなみに客層としては、落語や浪曲の客というよりも、お住まいの地域での催しに集まった地元の方々がほとんどという印象。浪曲を聴きながら声をかけるお客はほぼゼロ(私が観察した範囲では私含め二名)だったが、話の中で笠間のこと(古い旅館のことなど)が出てくると客席が嬉しそうにざわざわとするのが、なんだかよい感じだった。

地元の方々と触れ合う機会は(会の前後も含めて)ほぼなかったのだが、会場でご老女がひとり、家内の着ていたものに興味を持ったのかとつぜん「それはどうやって作ったの?」と話しかけてこられたのが面白かった。

→終演後、玉川祐子への誕生祝いメッセージを認めてすぐにおいとまし、駅まで15分ほど歩いて、18:36笠間発の水戸線に乗車。友部で常磐線に乗り換え、ほぼ予定通り20:27北千住着。常磐線がなんだかやけに蒸し暑くまいった→ひさしぶりに北千住に来たので、〈永見〉で休憩。牛煮込み豆腐、マグロブツ、カレーコロッケ、ビール大瓶×1。特別なものがないのにすべてが最高という、いい酒場である→平和に千代田線で座って経堂着→〈オオゼキ〉で買い物して帰宅→シャワー→ビール飲んでたら調子が出てきたので、赤葡萄酒を開けて『フラッシュ・ゴードン』。バカ映画に笑ってから就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記