2023年10月10日
10月まとめ(1〜10日)
ホー・メンホア『北京原人の逆襲』、マイク・ホッジス『フラッシュ・ゴードン』、原田治夫『恋を掏った女』、『タイガー&ドラゴン』何度めか、瀬川昌治 /渥美清/佐久間良子『東映列車シリーズ』、瀧川鯉八落語会「若草の会 〜理事長、かく語りき〜」 於〈日本橋社会教育会館〉、エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ/フランソワ・クリュゼ/オマール・シー『最強の二人』、新藤兼人『北斎漫画』、劇団S.W.A.T!劇団結成40周年記念公演『「S.W.A.T!魔法大戦」〜デビルVSウィザード〜』 於新宿〈シアター・トップス〉、新宿〈お多幸〉初持ち帰り。
10月1日(日) 昼前起床→最強どん兵衛かき揚げそば。出汁に鰹の香りが強調されているのはわかったが、高級感を狙ったかき揚げは中途半端で歯応えを失っていて、特に「最強」とも思わなかった。かき揚げが安っぽくてサクサクしている普通のほうがいいかな→O形の仕事の手伝い(プロフィールの編集)など→『北京原人の逆襲』(原題『猩猩王』おそらく想像上の猿と人に似た怪獣の「王」ということではないかと思われる。英題は「The Mighty Peking Man(強大な北京原人)」、監督:ホー・メンホア。クー・フェン、ダニー・リー、シャオ・ヤオ、リン・ウェイツー、イヴリン・クラフト。1977、香ショウ・ブラザース)。そもそも北京原人って身長25m(劇場パンフレットでの記載。映画では100mはあると思わせる描写もある)もないよな、とまず突っ込みたくなるが、原題は『猩猩王』だし、元々は『キングコング』のリメイクを目論んだ映画だそうなので、邦題や字幕に突っ込むべきなのか。まあそういうところも含めて、緊迫感をもたらす恐怖映画ではあるのになんだかのんびりした雰囲気の漂う作品で、ヒマヤラで北京原人≠ニ暮らす美女アー・ウェイ(エヴリン・クラフト)が豹を手なずけている場面などかなり可笑しい。あとは探検家チェンフォン(リー・シュウシェン)がアー・ウェイを香港に連れていく最中に贈る服がなんであんなデザインなのだろう(そして試着しただけで捨てられるがその話はその後続かない)とか、モータウン・ソウルを真似たような音楽が音楽としてはよくできていて画面と合わないとか、とにかくなにか変な味わいを積み重ねていった映画という趣。ちなみに北京原人≠フキャラクターデザインや特撮は日本人スタッフが担当したとのこと→菊水堂ポテトチップス、鯖味醂干し、アオアジ骨煎餅、茄子ピーマン味噌炒め、オニオンスライス、わかめのおつけ、ご飯半膳、江戸むらさき、ビール中瓶×2、御酒×1→『笑点』に玉川祐子ご出演。本日101歳のお誕生日。耳がお悪いようなのでさすがにというかなんというか、トークコーナーはなく玉川太福の高座での曲師としてのみ登場→食後眠くなり早々に就寝。
10月2日(月) 深夜起床→風呂→『フラッシュ・ゴードン』復習。(原題『Flash Gordon』、原案:アレックス・レイモンド、監督:マイク・ホッジス。マックス・フォン・シドー、ピーター・ウィンガード、サム・J・ジョーンズ、メロディ・アンダーソン、ジョン・モートン、バーネル・タッカー、ウィリアム・フットキンス、トポル、ジョージ・ハリス、ブライアン・ブレスド、オルネラ・ムーティ、ティモシー・ダルトン、スタンリー・レバー。1980、米Universal Pictures) 。子供の頃に観たいと思ったものの機会がなく、ようやく観られた。一回めは酔っ払っていたこともあり、話の冒頭から悪の宇宙人とアメフトで戦うというバカな場面もあり、最後までゲラゲラ笑って観たが、二回め素面で観てみると、実は画面が安っぽいだけであまりバカ要素はなく、とはいえ悪の宇宙人たちがみんなバカみたいではあるものの、割とおとなしいSF映画、という印象に変わった。オーラ姫(オルネラ・ムーティ)がそれなりにエロいムードを醸し出すものの爆発するほどではなし。たまたまフラッシュ・ゴードン(サム・J・ジョーンズ)−−バカっぽい二枚めであるが、これまた性格づけが中途半端−−と同じ飛行機に乗り合わせただけのひとり旅の旅行会社の社員の女性デイル・アーデン(メロディ・アンダーソン)が悪の宇宙人相手に妙な強さを発揮するのと、洗脳されかけたハンス・ザーコフ博士(トポル)−−NASAを追放されたというマッド・サイエンティストだが、これまた人物造形が中途半端−−の「記憶を失う前にシェイクスピアやユダヤの律法、アイシュタインの方程式、ビートルズの歌まで… 繰り返した。これが私を守ったんだ」という台詞に教養が身を助けるんだな≠ニ思った、その二点が最も印象に残ったような気がする。とはいえ、観ていてつまらなかったり退屈したりするのと同時に、絵造りの安っぽさになんだか好感を覚えてしまうという点は(まあそういう映画がほかにないではないが)面白くはある→ビール中瓶×1、マルタイ棒ラーメン胡麻醤油(生卵、海苔)→午前4時就寝→朝10時半起床→わかめのおつけ、ご飯、錦松梅→おとついに続きO形の仕事の手伝い(プロフィールの編集)→『恋を掏った女』(原作:長谷川公之『特ダネを逃すな』、監督:原田治夫。石井竜一、金田一敦子、見明凡太朗、夏木章、武江義雄、若林祥二、伊藤一臣、叶順子、パトリシア・エリス、此木透、酒井三郎、穂高のり子、ジョー・オハラ、伊藤直保、若松健、石上正二、津田駿二、隅田一男、響令子、渡辺鉄弥、藤山浩一、湊秀一、原田玄。1958、大映)。小品ながら、ひとりの女の正体を巡り、新聞記者、女性カメラマン、喫茶店のマスターとマダム、チンピラ、探偵、スリなどが絡み合う話の組み立て方がいい塩梅だし、少しだけとはいえ和製スクリューボール・コメディのような味わいがあって、ところどころ当時の欧米の映画の洒落ている(と日本人が感じた)ところを取り入れていたりと、見るところの多い作品であった。「ひとりの女」の結末部分の人情味にも泣かされる。拾い物→千歳船橋駅前に出て、老父から頼まれた通帳記帳ののち、〈中江クリニック〉。特にないが、体重をあと3kg減らせとの指示。涼しくなってきたから少し運動するか→と言っているそばから〈エンド・ロール〉にて人参のムース甘海老コンソメのジュレ、カツオのタルタルルバーブローゼル、秋刀魚のコンフィキノコへべす、ビール小瓶×1、白葡萄酒一杯。油が多い所為かやはり満腹になるのが早かったが堪能。音楽の選曲とつなぎがよいのに、今さら気づいた→薬局でクスリ受け取ってから帰宅→風呂→先週で終わった『あまちゃん』の隙間を埋めようと、ひさしぶりに『タイガー&ドラゴン』を観始める。ひとまず単発の二時間ドラマだった「三枚起請」と、連続ドラマになってからの第一話第二話「芝浜」「まんじゅうこわい」。つくづくよくできているなあと感心。伊東美咲は、前回通しで観た際(何年前だったか)には顔の造形が古臭いという印象であったが、記憶にあるよりきちんと芝居してたなあ、という印象。岡田准一は天才落語家という設定には無理がある(あり過ぎる)が、何をやってもうまくいかない若者っぷりはなかなかよかったのだなと、改めて思った(立派な顔に生まれていまうと中年になってから苦労するなとも)→金宮酎ハイ、ホッピー、御酒→午前2時頃就寝。
10月3日(火) 朝7時半起床。白湯→目玉焼きサンドイッチ→老父買い物代行(サミットのみ)。iPhoneを持って出るのを忘れ、買い物リストを確認できずに焦るが、品目数と普段買わないもの/普段買わない数量をなんとなく覚えていたので、老父の所望通りの買い物を完了→帰途下高井戸に寄り、まずは〈Jazz Keirin〉で昼。この秋初のきのこつけ汁うどん(豚肉、油揚、葱、ぶなしめじ、舞茸)、いか天→〈三友〉と八百屋で買い物して帰宅。八百屋で聞いてみたが、残念ながら紫蘇の実は置いていなかった→居間のエアコンのフィルターを掃除→午睡→風呂→昨日に引き続き『タイガー&ドラゴン』。本日は『茶の湯』と『権助提灯』の回。長瀬智也の芝居がうまいというわけではないがちゃんと場面場面にはまっているということを改めて確認→鰯刺身(紫蘇)、キャベツ千切りとピーマンとトマトとしらす干しのサラダ、わかめのおつけ、ご飯、納豆、とろろ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイと御酒適量→夜11時頃就寝。
10月4日(水) 朝7時半起床。白湯、マヌカハニー→青葱のおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯(しらす干し)、とろろ、納豆→『喜劇「夫」売ります!』(原作:岸宏子『ある開花』/花登筺『喜劇・売らいでか!』、監督:瀬川昌治。武智豊子、芦屋小雁、フランキー堺、森光子、多々良純、浦辺粂子、佐久間良子、川崎敬三、橘ますみ、安芸秀子、田武謙三、三木のり平。1968、東映)。夫の売り買い≠ニいうモチーフを軽く面白可笑しく描いているものの、田舎町(ここでは伊賀上野を舞台にして忍法の監視術的側面とそこから派生した町の人たちの噂好きという側面を捉えている)の閉鎖性と閉じているなりの腐り方をけっこうずっしりと暗く描いていて、その辺の捉え方によっては社会派映画の側面を見て取れるかもしれない。佐久間良子扮する神代家当主の女性上位っぷりにもグッとくるが、夫(フランキー堺)にも姑(安芸秀子)にも虐げられた嫁の森光子の逆転っぷりが見事。終幕のどんでん返しも面白い→卵サンドイッチ(玉葱みじん切り入り)、たい焼き、牛乳→『喜劇 急行列車』(監督:瀬川昌治 。渥美清、鈴木ヤスシ、大原麗子、小沢昭一、根岸明美、桜京美、佐々木伊都子、天野女津子、真木亜紗子、西村晃、宮城けんじ、東けんじ、田沼瑠美子、佐久間良子、三原葉子、左卜全、江原真二郎、三遊亭歌奴、関敬六、谷本小夜子、楠トシエ、加藤順一、丸山紀美恵、大森不二香、坂本香織、石崎吉嗣、村上不二夫、川尻則子、小塚十紀雄、桑原幸子、北川恵一。1967、東映)。東京から九州へ向かう寝台特急列車二本を舞台に、一本め(長崎行き)では渥美清扮する専務車掌の若い頃の勤務路線で見かけた女子学生−−特急列車で再開したときは離婚寸前の人妻−−(佐久間良子)への淡い恋心を面白可笑しく描き(渥美清がうっかり車内放送を通じて心のうちを独白する場面はかなり可笑しい)、また車内の様子もホステス五人にからかわれる学生(小沢昭一)や新婚夫婦とそこに割り込む乗客(宮城けんじ、東けんじ、田沼瑠美子)、あるいは不良乗客掛(鈴木やすし)と食堂車ウェイトレス(大原麗子。この時期はホステスやパンスケ役が多かったので、そう考えると珍しい役)との恋模様やスリ騒ぎ(三遊亭歌奴、三原葉子)などなど、賑やかにまた笑いを交えて物語を進める。二本め(西鹿児島行き)では様子ががらっと変わり、渥美清の佐久間良子への恋心の描写はそのままに、渥美清が専務車掌としていかに信頼できる人間かを、心臓病の手術を受けるために乗車した鉄道好きの少年への人情や、車内で産気づいた若妻への対応などを通じて描いていく(不良とウェイトレスがその姿に感化され、終幕で改心して結婚を決意するのが面白い)。全体的になんだか生ぬるい笑いの喜劇映画でありながら、話が後半に進むにつれ不思議に目頭が熱くなってくる映画だった。渥美清の子供達の名前が全部列車の名前だったり(長男に至っては「急行」)、とつぜん色っぽくなる佐久間良子と夢オチ、渥美清のカメラ目線(三回)など、妙に印象に残る仕掛けもあったりして、見始めたときに感じた「生ぬるい笑い」に反して、観終えてみると心地よい手応えを感じた→風呂→晩の支度(おみおつけ、サラダなど)→サラダ(キャベツ、ピーマン、ニンジン、トマト、オクラ、おろしニンニク、胡麻油、酢)、オニオンスライス(うずらの卵、かつぶし、出汁醤油、オリーブ油)、鰯ローズマリー焼き、パン、じゃがいもとわかめのおつけ(揚げ玉)、ご飯(しらす干し)、とろろ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ/お茶割り×2→『タイガー&ドラゴン』、本日は「厩火事」と「明烏」。前者の古田新太と清水ミチコで泣き、後者の春風亭昇太と薬師丸ひろ子で笑う。よくできているなあ→『喜劇 団体列車(監督:瀬川昌治 。渥美清、市村俊幸、原直人、南幸伸、仲塚康介、佐久間良子、ミヤコ蝶々、由利徹、笠智衆、城野ゆき、楠トシエ、河野秋武、上田吉二郎、中村是好、秋山敏、大辻伺郎、小沢昭一、三遊亭歌奴、東ひかり、宮城けんじ、東けんじ。1967、東映)。『喜劇 急行列車』に比べると、映画全体から伝わってくる何か≠ヘあまり感じられなかったか。大枠の話としては渥美清扮する助役試験に落ち続けている国鉄職員が未亡人の佐久間良子に恋し最後には振られるという、前作のパターンを踏襲。その中に渥美清のゴリラ?のモノマネや温泉にとつぜん現れるワニ、前作と同じような夢オチなどの笑いと、若く生意気な国鉄職員(大辻伺郎)を更生させたり未亡人の坊やと暖かい交流をしたりその坊やが蒸気機関車に轢かれそうになるのを助けたりといった感動を呼ぶ挿話とで構成されていて、主人公の渥美清と周囲の人たちの人情味のある交流や罪のない勘違い(見合い相手=城野ゆきに対する態度は悪意がないとはいえちょっと酷いが)なども交えて人間≠描くのは前作と同じ。とはいえ観終えてなにかを受け取ったという手応えは、前作に比べて少なかった。それはおそらく、前作と違って最後には主人公がちゃんと妻を娶る(なんと物語の中ではまったく興味を示さなかった見合い相手を)というハッピーエンドとは関係ないものと思う。映画の本筋とは関係ないが、劇中で歌われる東ひかりの「駅弁小唄」は妙に印象に残る→『喜劇 初詣列車』(監督:瀬川昌治。渥美清、西村晃、佐久間良子、トシ伊藤とザ・ブレイブメン、園佳也子、上田吉二郎、若水ヤエ子、川崎敬三、中村玉緒、楠トシエ、城野ゆき、左卜全、小林裕子、財津一郎、大泉滉、ピンキーチックス、小松政夫。1968、東映)。シリーズ三作のうち、最も安心して楽しめる喜劇と思った。一作めは笑いよりもメッセージが重く、二作めはメッセージ性は強くなくしかし笑いもそんなに強くなく、で、本作はメッセージ性を高めるのではなく笑いの側面を少し強化したという感じか。渥美清扮する上越線の車掌が今は藝者になっている同じ小学校出の憧れの女性(佐久間良子)に新潟で再開し酔っ払いにからまれているところを助けるがいつの間にか芸者のカツラをかぶっていたりとか、憧れの女性の失踪した弟(小松政夫)を探しているうちに前衛芸術家たち(財津一郎、大泉滉)の中に入ってアクションペインティングや前衛音楽の演奏に加わったり、フーテンたちから飲まされたクスリでラリったりなどなど、笑いの量は多い。その一方、人間を描くという側面で言えば渥美清が親父を思い出すとか死んだおじさんを思い出すとかは言われるが結局はモテない、くらいで、観終えてみれば題名の「初詣列車」も、事件がすべて解決したあとの大団円に使われただけだったし、主人公が列車の車掌という設定も人間を描くという点ではほぼ活かされておらず、そういう意味では物足りなさも感じる(特に一作めに比べて)。とはいいつつ、財津一郎や大泉滉、そして川崎敬三の芝居の可笑しさ、若い中村玉緒の魅力、ゴーゴー喫茶のガールズバンド(ピンキー・チックス)、シリーズお馴染みの夢オチ(焼き芋をズボンのポケットに入れるのは一作めのギャグの繰り返しか)などなど、娯楽的要素は多く、その結果、冒頭に書いたような「シリーズ三作のうち、最も安心して楽しめる喜劇」という感想に至った。佐久間良子が東映の当時の路線や方針と折り合わず、それを渥美清も応援する形で四作めは実現しなかったとのことだが、続いていれば一作めのような要素がまた復活したり、笑いが深化していったり、いろいろな可能性はあったのではないかと思う→午前3時就寝。
10月5日(木) 朝8時半起床。白湯、マヌカハニー→じゃがいもとわかめのおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯(しらす干し)、海苔→(週明けのレッスンに向けてようやく)ギター練習開始。まったく忘れてはなかったが、さすがに不安定な感じ。どちらもだが、特に右手と弦の位置関係が不安定→山かけそば(刻み葱、刻み海苔、うずらの卵×2)→階段昇降運動60回→『天国の大罪』(監督:舛田利雄。吉永小百合、松方弘樹、西田敏行、オマー・シャリフ、清水綋治、本阿弥周子、東山紀之、斉藤暁。1992、東映)。第一部「日本モスキート街」での濡れ場、第二部「家族」のカナダでの銃撃とカーアクション(スタントはいただろうが)と、吉永小百合が意外にがんばっているなとは思うが、その吉永小百合扮する女検事のちに弁護士が、その職業なのになんであんなに頭が悪いのだろう(いくら愛は盲目とはいえ)という点に端を発し、全体にそれはあり得ないのでは、という点が気になってしまう映画だった。たとえば、歌舞伎町をモデルにしたと思われる日本モスキート街での銃撃戦はまあいいとして、取調室を外国人マフィアのボス(オマー・シャリフ)とその愛人(吉永小百合)だけにするとか、そのボスが捕まる前まで堂々と姿を晒して愛人宅に出入りするとか。なんだか誰かが思いつくまま語った話をそのまま映画にしてみましたという印象だったが、その割には東映東京撮影所敷地内に雑居ビル街のオープンセットを建てたり、カナダロケをしたというから、観ていてわけがわからなくなり、脳から締め出したくなってしまった。検事の上司部下が長い不倫関係にあり、その部下(女性)が外国人マフィアのボスに助けられて愛人関係になり、ボスを元愛人だった検事の手から助け、安全な生活を求めて逃れたカナダでボスを付け狙う香港マフィアにまた襲われるがなんとか逃げる、という映画と整理はできようが、だからなんなんだというのはよくわからない(言葉でも感情でも)映画だった→風呂→晩の支度→本日から『新・必殺仕置人 』。まずは一回め見ながら一杯。大志田礼子がよかったのに、レギュラーでなくて残念(本作では若い女性枠は鮎川いずみ)→『タイガー&ドラゴン』、本日は「猫の皿」と「出来心」。前者の高田亭馬場彦(高田文夫)が可笑しく、話も泣かせる。ただし岡田准一の落語がちっともうまくない(天才という設定なのに)のは残念。後者はとうとつにシャンソンを歌う西田敏行が面白いし、若さゆえ功を焦って失敗したヤクザ(笑福亭鶴瓶)の二代め(塚本高史)を救う話に「出来心」を援用したのはよかったと思う。回を追うごとにいろいろ異なる面白さを味わわせてくれて大したものだ→菊水堂ポテトチップス、舞茸と鮭のバター醤油焼き、サラダ(キャベツ千切り、ピーマン、トマト、オイルサーディン、紫蘇、生姜、胡麻油、酢)、じゃがいもとわかめのおつけ、ご飯、納豆、長芋とろろ、ビール中瓶×2→夜10時就寝。
10月6日(金) 深夜起床→『黒の試走車(テストカー)』(原作:梶山季之、監督:増村保造。高松英郎、田宮二郎、見明凡太朗、船越英二、上田吉二郎、長谷川季子、菅井一郎、大山健二、目黒幸子、叶順子、谷謙一、酒井三郎、響令子、小山内淳、白井玲子。1962、大映)。増村保造/高松英郎/産業スパイ(ついでに目黒幸子)と来ると本作の四年前に撮られた『巨人と玩具』を思い出すが、実際、話も観ているときの感触も似ている。高度経済成長期の社会の光と影を描く「黒シリーズ」の第一弾に増村保造と高松英郎を持ってきたのはまあ正解と言えるかもしれない。当時の企業間戦争が実際にどんなものだかは私には知る由もないが、そう思われていることを本当らしく描くという点では優れていると思った(企業間戦争に本物の戦争の影が色濃いというのも、今となってはわからないが本当らしく思えるし、なんとも言えない気持ちになる)。バーの場面の網目のシルエットや「黒の試走車」のデザインなど、絵造りも秀逸と思うし、産業スパイの正体が明らかになっていく過程もけっこうな緊張感と鮮やかさを併せ持った塩梅だった。人の心を失った企業戦士小野田を演じた高松英郎もさることながら、産業スパイとして操られた平木(船越英二)の芝居も印象に残るが、しかし小野田が平木を攻め落とす場面で敢えて窓を開けっ放しにしておく描写は、いかに平木の自白を録音していたからといって、いささか不自然に思った(自白が強制されたものなら録音音源の証拠としての強度は下がるとも考えられるから、証言者の安全は確保しようと思うのが普通ではなかろうか)。またそこから田宮二郎扮する小野田の部下朝比奈が人間らしさを取り戻すための議論も、今の視点で見れば少し底が浅いかなと思わないでもないが、全体的にはシリーズの企画の第一弾としてよくできた作品と思った→『黒の報告書』(原作:佐賀潜『華やかな死体』、監督:増村保造。宇津井健、殿山泰司、仲村隆、近藤美恵子、見明凡太朗、高松英郎、叶順子、潮万太郎、神山繁、弓恵子、緋桜陽子、上田吉二郎、小沢栄太郎、高村栄一、大山健二、小山内淳、村田扶実子。1963、大映)。こちらは出世前の若手検事と古参の敏腕弁護士の闘いをほぼ捻りなく描いた一作。法に触れないように細心の注意を払いながら、私のような法律を知らない人間が見たらそれはずるいな≠ニ思ってしまうような手口で容疑者への嫌疑を無効にしていく弁護士=小沢栄太郎の手腕と、ただただ証人の証言がひっくり返る様に怒りと焦りを露わにする検事=宇津井健の裏表のない(つまり頭の使い方が単調な)仕事ぶりの対比が主で、途中から勝負の行方が見えてしまう点は少し物足りないが、現実は案外こんなものかもしれない。検事は左遷されるが、これから経験と手柄を積めばまだ出世の望みがありそうなことは示唆されるし(検事の上司に扮する見明凡太朗の言葉も厳しくも暖かい、終幕で改心を見せた証人(叶順子)や彼を引き続き応援する先輩検事(高松英郎)や老刑事(殿山泰司)もいて、主人公が負ける物語ではあるがその先の明るさも見える。殿山泰司、上田吉二郎、小沢栄太郎、これらと比べると若手だが神山繁、この四人の芝居を見るだけでも観る価値のある一作と思う→金宮酎ハイ×2、マルタイ棒ラーメン胡麻醤油(叩きニンニク×2)→朝方5時就寝→午前11時起床。白湯、マヌカハニー→じゃがいもとわかめのおつけ、卵かけご飯、納豆(青海苔)、海苔→『黒の札束』(原作:佐野洋原作『重い札束』、監督:村山三男。川崎敬三、藤山浩二、三条江梨子、見明凡太朗、中条静夫、藤原礼子、岡崎夏子、高松英郎、宮川和子、杉田康、春本富士夫、北城寿太郎。1963、大映)。贋札犯罪は割に合わないというだけの話のように思えるが、ひとりふたりで手探りで始めて、次第に人が増える緊張感とチーム感が出てくる面白さ。川崎敬三の頭はいいがときおり自身がなさそうな表情を見せる芝居がよいし、他の当時の若手(偽札犯たちを演じる高松英郎、宮川和子、杉田康と、川崎敬三の恋人役の三條江梨子)たちそれぞれの特徴を強調したような芝居も印象に残る。やはりシリーズ一作め『黒の試走車』に比べると一本調子ではあるし、宮川和子と杉田康が通じているのを宮川の亭主である高松英郎がまったく気づいていないと思われたのも不自然だが(川崎敬三が三條江梨子の男関係に執拗にこだわるのと対比させたのかもしれない)、左記の若者たちと、若者たちが偽札に関わるきっかけとなった印刷工場主を演じた見明凡太朗とその情婦藤原礼子らの深く考えているようでいて案外脆く弱い、どこにでもいるような人間像をうまく描いているとは思った→表参道まで出て〈GENT & HONEY HEAD DESIGN〉にて散髪。本日はA利さんお休みということで残念。と思ってたらいらした。あとから男性客二人ばかり来たから、それでお休み返上したのかもしれない→気持ちよく散髪してもらい、半蔵門線で水天宮へ。瀧川鯉八落語会「若草の会 〜理事長、かく語りき〜」開場までの間、〈浜町藪そば〉で一杯。板わさ、天ぷら、おろしそば、ビール中瓶×1、御酒×1/2→本日の会場の〈日本橋社会教育会館〉に向かう途中、佃煮と煮豆の〈ちとせ屋〉で買い物。初めてなのでちょいと期待→会場近くの喫茶店を調べてはあったのだが、本日すでに閉店だったので、会場の外で夕涼み(季節外れだ)→開場時間の少し前にエレベーターに乗り会場へ。整理番号順の入場でけっこうあとのほうだったが、開場時点で列に並んだのが半分程度だったようで、好きな席を選べた。前回最前列に座りうとうとしてしまったので、その反省もあって本日は最後列へ→ほぼ定刻通りに開演。本日の演目は
瀧川鯉八・・・・・・・勝手にしやがれ
瀧川鯉八・・・・・・・厚化粧
瀧川鯉昇・・・・・・・武助馬
(仲入り)
瀧川鯉八・・・・・・・若草
瀧川鯉昇・鯉八・・・・理事長のお言葉
仲入り前の鯉八二席はいずれも初めて聴くもの。「スナックのママ」の間と声、パンダ、ロバート・ジョンソン、実印、合気道。そして声。物語を構築しないような言葉の羅列と間でもって笑いを紡いでいく手法と話藝は、半年に一度くらいしか聴かない所為もあるだろうが、聴く度に冴えていくような気がする。
ゲストに師匠の瀧川鯉昇。ナンセンスな「武助馬」を持ってきたのはこの会には正解と思った。
鯉八「若草」は前回との違いはよくわからなかったが、これは何度聴いても笑うネタでなかいかと、今回改めて思った。
→ロビーで主催の土井ラブ平さんにご挨拶しておいとま→まっすぐ地下鉄と小田急線で帰宅→階段昇降運動60回→風呂→『タイガー&ドラゴン』見ながら飲酒。本日いただいた鰹の佃煮、購入したはぜの佃煮とぶどう豆がうまくて、つい酒を過ごした。就寝時間不明。
10月7日(土) 宿酔にて午前中横臥→しらすとオイルサーディンとキャベツのペペロンチーノ、パン→昨夜見たのにほぼ覚えていなかった『タイガー&ドラゴン』の第10話と最終話を確認。見ている最中に昨夜見たんだなあと思いだした。ついでに特典ディスクもすべて鑑賞→フライドポテト、ニンジンかき揚げ、キャベツとピーマンとトマトのサラダ、あさり汁、ご飯半膳、佃煮(あさり、葉唐辛子)、ビール中瓶×2→ちょいと風邪気味?の気がしたので、風呂サボって夜11時就寝。
10月8日(日) 朝5時起床。風邪のような症状は霧散していた→風呂→『最強の二人』(原題『Intouchables』、原作:フィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴ『Le Second Souffle』、監督:エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ。フランソワ・クリュゼ、オマール・シー、オドレイ・フルーロ、アブサ・ダイヤトーン・トゥーレ、シリル・マンディ、サリマタ・カマテ、アンヌ・ル・ニ、アルバ・ガイア・クラゲード・ベルージ、クロティルド・モレ、トマ・ソリヴェレ、グレゴリー・オースターマン、ドロテ・ブリエール・メリット、キャロライン・ブール、クリスティアン・アメリ。2011、仏Gaumont)。原題は英語の「untouchable」に相当する語で、日本語にすれば「触れてはならない(こと)」「触れられない(こと)」になる(「南インドの不可触賎民」という意味もある)。日本語としてこなれた訳は難しいとは思うが、そうは言っても『最強のふたり』はやけくそが過ぎる邦題と思う。まあそれはともかく、主人公である貧困層に属する移民の黒人青年ドリス(オマール・シー)の、富豪が相手だろうが、場所がギャラリーやオペラハウスだろうが、富豪が自宅に呼んだオーケストラを目の前にしていようが、そして自分を雇った富豪が重度の身体障害者であろうが、それらを特別視することなく振る舞うその演技・演出が気持ちのよいものだった。またそれに応えそれを受け入れる富豪フィリップ(フランソワ・クリュゼ)の懐の大きさ(を表現する芝居と演出)、フィリップの秘書や世話人たちの人間味も、観ていて心洗われる思いがした。ドリスの芸術(音楽、美術)に対する率直な感想や、やはりアース・ウィンド&ファイヤーが最高とオーケストラの面々まで巻き込む場面、そして終幕に向かう仲でのフィリップ、ドリス双方の粋な計らいなど、観る者を楽しませようとする工夫も随所に感じられる。派手さはないが名作。ちなみに本作のモデルとなった人物が書いた本(実話)を元に(その実話に基づき撮られたドキュメンタリー番組がきっかけで)作られた映画だが、介護者ドリスに当たる人物がほんとうはアルジェリア出身だったり(ドリスはアフリカ系)、フィリップの妻がほんとうは介護者が雇われてから他界していたり、介護に当たった期間がほんとうは十年だったり(映画では一年)、映画化に当たってはかなり物語を作り込んだそうだ→かつお佃煮、鰯骨煎餅、あさり汁、卵かけご飯、海苔、ビール中瓶×1→朝寝→昼ごろ起床→明日のレッスン用に「Me, Japanese Boy」の譜面ちょいと書き換え→釜揚げそば(刻み葱、自家製揚げ玉)→ギター練習→晩はピザを取ることにしたのでサラダのみ製作→『花実のない森』(原作:松本清張、監督:富本壮吉。角梨枝子、園井啓介、若尾文子、江波杏子、船越英二、田村高廣、川島真二、響令子、川畑愛光、仲村隆、浜村純。1965、大映)。観ながら取ったメモをそのまま引き写すと「田村高廣と若尾文子の無駄遣い」「園井啓介の深みのなさもあるが、田村、若尾への演出(芝居以外への演出も含む)がダメなのでは」「園井啓介と江波杏子は恋仲としてはまったく釣り合わないように見える」。これらのメモからひとまとまりの感想を書きたいとは思わないくらい、原作の物語の面白さだけに寄りかかった映画と思った。終幕にちょっとだけ出てくる浜村純の何かを含んだ表情だけが、映画を観終えてみると印象に残った、という感じもしないでもない。用字も含めた題名、田村高廣、若尾文子という要素に期待しただけに残念→サラダ(キャベツ、ピーマン、トマト、ニンニクとオイルサーディンの油ドレッシング)、フライドポテト、チキンナゲット、ピザPOCOサイズ二種(ボロネーゼ、チチニエリ)、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→『最強の二人』再見→明治座創業者150周年記念前月祭『大逆転! 大江戸桜誉賑』の録画を1/3ほど観てから就寝。夜11時頃。
10月9日(月) 深夜起床→風呂→『かげろう絵図』途中まで→金宮酎ハイ×1→朝方6時過ぎ就寝→朝10時過ぎ起床→あさり汁、ご飯、佃煮(あさり、葉唐辛子)、海苔→なんとなく体調優れず(宿酔ではない)、雨で寒いこともあり、本日のむらさきレッスンは延期させてもらう。申し訳ない→『かげろう絵図』(原作:松本清張、監督:衣笠貞之助。須賀不二夫、松本克平、山路義人、滝沢修、木暮実千代、山本富士子、矢島ひろ子、柳永二郎、河津清三郎、瀬古佐智子、阿井美千子、永田靖、黒川弥太郎、坂東簑助、市川雷蔵、志村喬、春本富士夫、賀原夏子、伊沢一郎。1959、大映)。松本清張の原作を名匠衣笠貞之助が凝りに凝った大道具小道具を用い、市川雷蔵と山本富士子を中心に須賀不二夫、柳永二郎、山路義人、滝沢修、木暮実千代、志村喬ら名優を脇に配して製作した映画なのに、なにかピンとこない。市川雷蔵扮する島田新之助が大奥政治とは何の関係もなく、家族や隣人が巻き込まれたから関わるわけだが、新之助の背景が剣術道場主?という以外わからないから、なんであれだけ活躍できるのかという疑問が常に浮かぶというのもあるが、そもそも「原作の完結前に公開された映画となり、この結果、ストーリーは原作と比べて簡略化され(略)続篇の製作が予定されていたが、未製作」(Wikipediaより)とうことだから、評価のしようもない。ただし続編未製作は原作者の意向だったそうだが、いかに「原作の完結前に公開」という事情があったからとはいえ、この出来なら松本清張の気持ちがわからないでもない。なんだか二本続けて役者無駄遣いの映画を観てしまった→釜揚げ月見そば(刻み葱)→『勝手にしやがれ!! 強奪計画』(監督:黒沢清。哀川翔、前田耕陽、二瓶鮫一、正村大樹、薬袋哲宏、雅まさ彦、浅川剣介、七瀬なつみ、大杉漣、柴田照子、菅田俊、洞口依子、浜健志、石原ゆり、葛原光生、國村隼。1995、ケイエスエス)。明らかにダメな医者(菅田俊)だけでなくチンピラ(哀川翔)をして「天使に会った」と改心させかけた幼稚園保母(七瀬なつみ)もダメなバカ人間だったという設定は面白いが、そのほかは何故『CURE』の二年前にこれなのか≠ニいう感想が先に立つほど、主人公二人(哀川翔、前田耕陽)のダメさ加減に始まりすべてが中途半端で、面白いところがほぼまったくわからなかった。でもシリーズ全六作作られたそうだし、すべて黒沢清が監督(作品によっては作品も)しているから、それなりにヒットはしたのだろうか。いやそれとも哀川翔主演で最初から六作くらいの企画だったのか。残り五作、よほど時間があれば観てもいいが(観ないとちゃんとしたことは言えないし)、しかし特に観たいとも思わない→梅干し、ハゼ佃煮、燗酒、金宮お湯割×2/キャベツ塩揉み、ピザPOCOサイズ(フンギ)、ホワイトシチュー(鮭、玉葱、ニンジン、じゃがいも)、金宮酎ハイ×2→食後即就寝。
10月10日(火) 日付変わる前に起床→明治座創業者150周年記念前月祭『大逆転! 大江戸桜誉賑』を観終えたが、久本雅美が芝居も歌もひどいのに驚いた。コロッケ・ショウの趣があるのはまあご愛嬌だが、全体的に冗長で特にお家乗っ取り?の要素はなくてもいい(その分上演時間を刈り込んだほうがよいのでは)と思った。松平健はフィナーレの『マツケンサンバII』では草臥れていたが、それもまたおかし。檀れいの舞台での見事さ鮮やかさには改めて感心→風呂→『大学は出たけれど<新音声版>』(原作:清水宏、監督:小津安二郎。高田稔、木村健児、坂本武、飯田蝶子、田中絹代、鈴木歌子、大山健二、笠智衆、筑波雪子。1929、松竹)。全編70分のうち現存するのは11分だけなので、脚本を読む際に全体の映像を想像する役にしか立たないと思うが、それでも「サンデー毎日」のくだりや、主人公(高田稔)の居室やカフェのインテリアに、小津流のユーモアやモダニズムの好みを味わうことはできる。ただし映画冒頭、日守新一扮する洋服屋と大学を卒業して少し浮かれている高田稔のやり取りがあって、それがあってこそ続く面接の場面での落胆ぶりが際立ったのだろうから、その洋服屋の場面が失われているのは残念。そういえば今回の鑑賞でも面接の場面での秘書役の坂本武と、カフェの客でちらっと映る笠智衆をきちんと認識しなかったので、これはまた観なければなるまい。あと、Wikipediaの『大学を出たけれど』のページには「野村芳太郎版」という記述があるが(1955年)、こちらはこちらで面白そうなものの、他のサイトであらすじを見てみたらまったく別の映画であった(出演者に斎藤達雄、日守新一、高橋貞二、北龍二の名前があるので紛らわしい)。まったく知らなかったので、一応備忘として記しておく。なお<新音声版>での声は、竹下景子と風間杜夫が担当。これは文句なし→『突貫小僧<新音声版>』(原案:野津忠二、監督:小津安二郎。青木富夫、斎藤達雄、坂本武。1929、松竹)。これまた全編38分のうち現存するのは18分のみ。ただし近年より欠落の少ない16mmフィルムなどが発見されているそうだが、今回衛星劇場で放映された<新音声版>は18分版、また現在一般に公開されているものは本来18fpsで映写するものを現代の企画の24fpsで映写されるので、今回も上映時間14〜15分となっている。とはいえ、話自体は人さらいがさらった子供に翻弄されるという軽喜劇なので、作品の本質を捉えられないというほどではないと思う。子供(青木富夫=突貫小僧)にどんな演技指導をしたのかの詳細は想像するしかないが、人さらいを演じる斎藤達雄と坂本武が達者なこともあり(小津の演技指導のおかげ、といった評も見られる)、ただただ気楽に笑って観ていられる喜劇にまとまっている。作品自体になんらかの教育的だったり社会的だったりする主張やメッセージがあるわけではないと思うが、これもまた若き小津の手腕の表れとして、現存しているのが貴重な一作であると思う。なお<新音声版>の声は倍賞千恵子と寺田農。これも不満はないが、背景音楽に「Song Of The Vagabonds」(「蒲田行進曲」の原曲)やエリック・サティ「Le Piccadilly」を用いるのはちょっとおざなりと思う→『北斎漫画』(原作:矢代静一、監督:新藤兼人。緒形拳、宍戸錠、大村崑、樋口可南子、西田敏行、佐瀬陽一、乙羽信子、田中裕子、愛川欽也、初井言榮、フランキー堺、今井和子、観世栄夫、大塚国夫、殿山泰司。1981、松竹/富士映画)。言わずと知れた葛飾北斎の生涯を描いた″品だが(北斎は緒形拳)、娘のお栄(葛飾応為)(田中優子)の画業についてまったく採り上げていないのは残念に思うものの、世に認められた北斎の画業についてはばっさり切り落としたような構成(『富嶽三十六景』や曲亭馬琴『椿説弓張月』への挿絵などについては言及はあるが)と、もっぱら葛飾北斎の人物≠ニその周囲の人たちの対応について描いていこうとする姿勢が、なんだか小気味よい。そして北斎や馬琴がなかなか世の中に認められない様子、北斎の育ての親の首吊り、蘇った?お直(樋口可南子)とタコの絡みといったグロテスクな描写なども何故かあっけらかんと明るい印象なのも面白い。歴史上の人物の生涯をひもとくというよりも、その「あっけらかんと明るい」映画表現が、本作の本質的な魅力ではないかとすら思う。細かいところだが、馬琴(西田敏行)が婿に入った下駄屋のお百(乙羽信子)が、北斎の画業や馬琴が手掛ける黄表紙に冷淡ながら、実は暖かい人柄であったりする、そのそっけない描写もよかった。木管・金管楽器のアンサンブルを中心にした林光の音楽も素晴らしい→鰹佃煮、ホワイトシチュー、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→朝7時就寝→朝10時起床。白湯、マヌカハニー→ホワイトシチュー、パン→昼過ぎ、早めに新宿に出たので〈DUG〉で一杯(白ビール)→〈シアター・トップス〉にて劇団S.W.A.T!劇団結成40周年記念公演『「S.W.A.T!魔法大戦」〜デビルVSウィザード〜』観劇。記念碑的作品ということもあると思うが、いつになく強力な渦が渦巻くのに心地よく巻き込まれたという印象。笑いに関しては脚本で計算したものに笑わされたと思うが、物語の流れというよりその表現の力のものすごさに感動を覚え、何に泣いているのかわからないまま目頭が熱くなった。いつもの役者陣の芝居に感心したのはもちろん、若手の中西雷人の後半、特に悪魔の「ランゴ」が乗り移っていく様子の芝居には驚いた。いいもの見たな→観劇後〈お多幸〉に移動して、揚げ銀杏、マグロブツ、煮凝り、栃尾油揚焼き、おでん(ちくわぶ、こんにゃく、すじ、大根、玉子、ねぎま、里芋、しらたき)、ビール中瓶×1.5、御酒×1。本日楽日にてバラシがある涼さんと合流できず残念→平和に電車、経堂駅からはタクシーで帰宅→仮眠→〈お多幸〉でおでん持ち帰りしてもらったら汁をたくさんくれたので、じゃがいもと玉葱を煮込んでみる。新宿の〈お多幸〉を初めて訪ねてからもう四十年くらいになると思うが、持ち帰りは初めて、洒落た缶に入れてくれるとは初めて知った→風呂→『笑点特大号』と『新必殺仕事人』、それから〈お多幸〉の汁で煮たじゃがいもと玉葱でビール中瓶×2→午前3時就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記