2023年11月20日
11月まとめ(11〜20日)
排水溝高圧洗浄、パトリス・ルコント『仕立て屋の恋』、脱退、〈むらさきmusicラボ〉三回め、移転前ギリギリで初〈ウチデノコヅチ〉、関根光才/趣里/菅田将暉『生きてるだけで、愛。』、下北沢〈Jazzと喫茶 囃子〉および〈No Room For Squares〉、アムロジピン増量。
11月11日(土) 朝8時半起床→ぼーっとしている間に光リビングが排水溝の高圧洗浄に来たので、洗浄機を置いてもらうためにクルマを近くの駐車場に移動し、また横臥→11時前に作業終えられたので、起床しクルマ移動→じゃがいもと油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→O形サイト更新(『四歳児』新作公開)→即席ラーメン(焦がし葱ニンニク、胡麻、薄切りロースハム)→『黒い画集 ある遭難』(原作:松本清張、監督:杉江敏男。伊藤久哉、和田孝、児玉清、香川京子、那智恵美子、松下砂稚子、土屋嘉男、天津敏。1961、東宝)。登山の行程に巧妙に仕掛けた罠による殺人と、それを解く被害者(児玉清)の従兄の容疑者(伊藤久哉)への追求が、実際の鹿島槍で行われたロケーション撮影によって強い緊張感とともに描かれていた。遭難があったパーティの参加者のひとり(和田孝)が克明に書いた手記が、遭難が不可抗力によるものであることを裏付けながら、実は容疑者の犯行の裏付けにもなるという点、おそらく原作をなぞってはいるのだろうが、従兄槙田二郎を演じた土屋嘉男の慇懃無礼な様子がその読み解き方の緊張感をよく増幅させていたと思う。また従兄にその行動に移らせた被害者の姉を演じた香川京子の無垢な様子の芝居もよく効いていた。犯行の原因となった容疑者の妻(松下砂稚子)の不貞の様子が言葉だけの説明だった(と思うが見逃したかもしれない)のがちょいと残念→『十代の狼』(原作:角田喜久雄『汚れたハンカチ』、監督:若杉光夫。花柳礼奈、木下雅弘、杉山俊夫、梅野泰靖、青山恭二、伊藤周子、吉行和子、松下達夫、垂水悟郎、佐野浅夫、田中敬子、日野道夫、斎藤美和、大滝秀治、原ひさ子、内藤武敏。1960、日活)。浅草を根城にする愚連隊と、その中のひとり(青山恭二)の恋と仲間への反抗を描いた小品。恋の相手は吉行和子なのだが、撮影時すでに25歳になっているのに、なんだか後年の面影がなくてわからなかった(ちなみに松竹『由起子』で映画デビューののち、日活と契約して『にあんちゃん』に出演した翌年の出演作)。日活作品としては、これ以前に『洲崎パラダイス赤信号』『太陽の季節』『狂った果実』『ビルマの竪琴』(以上1956年)、『幕末太陽傳』『嵐を呼ぶ男』(以上1957年)、『陽のあたる坂道』(1958年)、『ギターを持った渡り鳥』(1959年)などがあることを考えるととても地味な作品だが、老刑事(佐野浅夫)の勘での拳銃強盗犯の追い込みなどはいい塩梅の緊張感を味わえた→風呂→菊水堂ポテトチップス、里芋とニンジンの煮物、茄子とピーマンのピリ辛味噌炒め、わかめと油揚のおつけ、ご飯半膳、うずらの卵×2、ビール中瓶×2→早々に就寝→日付変わる前に起床→『仕立て屋の恋』(原題『Monsieur Hire』、原作:ジョルジュ・シムノン『Les Fiançailles de monsieur Hire(イール氏の婚約)』、監督:パトリス・ルコント。マリエル・ベルトン、アンドレ・ウィルム、ミシェル・ブラン、マリー・ガイデュ、サンドリーヌ・ボネール、リュック・テュイリエ、フィリップ・ドルモワ、ミシェル・モラーノ。1989、仏UGC)。主人公である仕立て屋のイール(ミシェル・ブラン)の、変態に見える(設定としても性犯罪の前科がある)のに悪い奴には見えない、その塩梅がとてもよい。演出と芝居、両方のうまさを感じる。イールに近づくアリス(サンドリーヌ・ボネール)の態度も、何かを探るのとイールに惹かれるのと、その境界をずっと揺れているように見えるのがまたよい。いずれも感情的な表現を押さえに押さえたことが功を奏していると思ったが、果たして。しかしそういう表現の仕方が、終幕に向けての感情の爆発を際立たせていたとは思う。イールという変なやつを中心に置いた群衆の描き方(ボウリング、現場検証、スケート場)や無関係だがいわくあり気な人物の挿入、小物の使い方なども印象に残る(モルモットを登場させる意味は明確には理解できなかったが)。ちなみに映画の原題はただ『イール氏』だが、原作は『イール氏の婚約』。この「婚約」(Les Fiançailles)も意味あり気だが、映画はイールのアリスへの静かだが深い愛情を描いていると思われるのに、敢えて邦題を「恋」としたところにも妙味を感じた→『江戸っ子繁昌記』(監督:マキノ雅弘。中村錦之助、お菊、長谷川裕見子、千秋実、桂小金治、坂本武、高橋とよ、柳永二郎。1961、東映)。怪談の『番町皿屋敷』と落語の『芝浜』がモチーフなわけだが、町人の妹が(大名と旗本の違いはあれ)殿様≠フ側室としてお屋敷に上がったという点は『妾馬』の要素も少しあるか。それにしても怪談の『番町皿屋敷』と落語の『芝浜』がモチーフ、という発想がなんだか面白いし、『皿屋敷』の部分は青山播磨がお菊を殺す顛末が、将軍家より預かった赤絵の高麗十枚皿が陰謀によりあらかじめ割られていた、実は青山播磨はお菊を深く愛していた、というご都合主義も面白い。またそういう話に白柄組と町奴の喧嘩がちょっとだけ絡んでくるおざなりな展開も可笑しい。で、だからなんだという映画ではまったくないのだが、ただただ中村錦之助と長谷川裕見子の芝居に心を動かされるものの、観終えて何も残らないのがとてもいい→茄子とピーマンのピリ辛味噌炒め、イカ塩辛、イカ塩辛とご飯(小皿)、御酒×4→朝6時就寝。
11月12日(日) 朝11時起床。珈琲→わかめと油揚のおつけ、ご飯、生卵、納豆、海苔→スタジオ以外はネット経由で書き言葉で伝え合うしかないのだから、言葉を尽くそうとすべきでは≠ニいうメッセージの返答があまりにわかってない≠烽フだったので、引導を渡してTYOの件ケリをつける。まあ、スッキリした→『悪魔の手毬唄』(原作:横溝正史、監督:渡辺邦男。八代万智子、神田隆、小野透、五月藤江、高倉健、小林裕子、石黒達也、山口勇、増田順司、志村妙子=太地喜和子、大村文武、永田靖、中村是好、花澤徳衛、不忍郷子、山本麟一、北原しげみ。1961、東映)。スポーツカーにサングラス、洋装でさっそうと登場する金田一耕助=高倉健、という部分でキワモノと思ってしまうが(一度観てそう思っていた)、改めて観ると推理ものとしてなかなかどうして、という感じであった。ちなみに高倉健の洋装の金田一とその秘書白木静子(北原しげみ)が登場するのは、片岡千恵蔵の金田一耕助シリーズを踏襲しているそうだが、50年代〜60年代初頭の高倉健が片岡千恵蔵のサブみたいな形の出演作が多いことを考えると、なるほどなと思える。この路線の金田一耕助ものも、もっと撮られていたらなあと思った。事件の中心となる仁礼令嬢役の志村妙子がのちの?太地喜和子だとはまったく気付かなかった。次に観る際は注意しておこう→ベーコンエピ、里芋とニンジンの煮物、油揚とぶなしめじと卵閉じ(青葱、生姜)、はんぺん、鰯のトマトソテー(ニンニク)、わかめと油揚のおつけ、ご飯半膳(しらす干し)、ビール中瓶×2→風呂→風呂→『セクシー田中さん』、どんどん面白くなってくるなあ。そして生見愛瑠の活かし方がとてもよい。製作陣もかなりわかっている人たちではないかと思う→金宮酎ハイ×2→午前3時就寝。
11月13日(月) 朝7時半起床。白湯→宿酔のため二度寝。O形との待ち合わせ〜昼はやめにして、〈むらさきmusicラボ〉現地集合とさせてもらう。申し訳ない→小一時間ほど眠ってから起きて、わかめと油揚のおつけ、卵かけご飯、海苔→クルマで〈むらさきmusicラボ〉に向かう。今日は東八道路はほどほどにして人見街道〜吉祥寺通りから連雀通り経由にしてみた。片側一車線だし信号多いし踏切もあるしで時間は少し余計にかかるが、ずっと国分寺崖線の上を走るので、小金井街道や新小金井街道から行く際の坂道発進がないのは楽だった→で、本日のレッスンはサンバのリズムということで、まずはサンバ・スタイルのトライアングルの体験、それからダウンビートの体験、さらにダウンビートを感じながらの発声練習をしてから、先生が打楽器で参加しての「白い波」披露。私のギター演奏にすぐに影響が現れるわけではないが、リズムの感じ方はずいぶんよい方向に変わったと思う。本日もよいレッスンであった→前回同様、また東八道路沿いの〈はま寿司〉で寿司購入し帰宅→寿司(かんぱち、まぐろ、しめさば、大葉漬け真いか、煮あなご、活〆ぶり、活〆まだい、真あじ、かっぱ巻、鉄火巻、納豆巻)、ビール中瓶×1→食後眠くなったので就寝。途中右脚の脛の外側が痛くなりそうな気配で飛び起きクスリ飲んだが、「腰椎椎間板ヘルニアに因る坐骨神経痛」のぶり返しではなく、ただ攣っただけのようだった。
11月14日(火) 深夜起床→昨日のレッスンで勧められたKids Percussion(ナカノ)製のウッド・エッグシェイカーを注文→金丸裕子著『自由が丘画廊ものがたり』の感想を書き始めたら、朝までかかってなんだか長いのを書いてしまった→朝5時就寝→昼頃起床。お茶→〈夢亀らーめん〉のあとに入る〈ウチデノコヅチ〉が本日現店舗最後の営業とのことで、試しに行ってみる。〈二郎〉系と聞いていたのであまり期待はしていなかったが、悪くないな。小盛りがレギュラーメニューなのもよい。味も思ったほど濃くなかったが、食べ終えた頃には少ししつこさを感じたから、次回は「薄め」で頼んでみよう→帰宅し少しぼーっとしてから風呂→割れ煎餅、イカの塩辛、ベーコンエッグ、甘唐辛子炙り、ビール中瓶×1→午睡→晩は酒なしで、牛コマ野菜炒め(ピーマン、甘唐辛子、玉葱、ぶなしめじ)、トマトとしらす干し、茄子と油揚のおつけ、ご飯半膳、しじみ佃煮→『生きてるだけで、愛。』(原作:本谷有希子、監督:関根光才。趣里、菅田将暉、松重豊、石橋静河、仲里依紗、織田梨沙、西田尚美、田中哲司。2018、クロックワークス)物語の設定を映画の公式ページからそのまま引くと、「生きてるだけで、ほんと疲れる。鬱が招く過眠症のせいで引きこもり状態の寧子と、出版社でゴシップ記事の執筆に明け暮れながら寧子との同棲を続けている津奈木。そこへ津奈木の元カノが現れたことから、寧子は外の世界と関わらざるを得なくなり、二人の関係にも変化が訪れる」。その「鬱が招く過眠症」に悩まされることへの怒りを露わにする寧子(趣里)と、「出版社でゴシップ記事の執筆に明け暮れながら」会社から無理ばかりを押し付けられるのを静かに受け入れることで自分のバランスを保とうとする津奈木(菅田将暉)、どちらもいい芝居だなと思った。このふたりの芝居のよさもあり、とても辛い状況の話ながら、途中までは仄かな救いが感じられて、観ていて妙なる気持ちにさせられる。「元カノ」(仲里依紗)の登場によって寧子はとあるカフェバーでのアルバイトを始めるのだが、そこの経営者夫婦とアルバイト(田中哲司、西田尚美、織田梨沙)の寧子への対応の、優しいけれども逃げ場をなくすかのような善人ぶりの様子がまた絶妙。そしてある破局を迎えるのだが、そこからの救済のありやなしやがきちんと描かれなかった点に不満を感じはした。寧子と津奈木については、同じような境遇の人たちのことを考えると描きにくいのは理解できるが、あとに残された「元カノ」とカフェバーの善人たちがどんな気持ちでどう生きていくのか(あるいはふたりがこの人たちと再び交わるのか)を想像せよというのは、いささか乱暴に思えたのである。その点、原作がどう処理をしているのかを確認しないとなんとも言えないが、映画を一度観終えた段階では、「生きてるだけで、愛。」というメッセージは伝わってくるものの、最後逃げたな、というのが正直な感想であった。それにしても趣里は役者としてかなりの逸材だなと思う→金宮お湯割り×2→午前4時就寝。
11月15日(水) 朝8時半起床。白湯→犬飯→老父買い物代行(サミット)→どこにも寄らず帰宅→昨日深夜(月〜火の深夜)に注文したKids Percussion(ナカノ)製のウッド・エッグシェイカーがもう届く。ラボで試したものと比べ塗装が厚いので(そのモデルしか売ってなかった)響きが少し鈍いが、先生によれば振っているうちに乾いてきて音がよくなってくるだろうとのこと→しらすのペペロンチーノ(ベーコン、生どんこ、ピーマン、ニンニク)、割れ煎餅、ビール中瓶×1→『魔性の夏 四谷怪談より』(原作:鶴屋南北、監督:蜷川幸雄。阿藤海、萩原健一、関根恵子、石橋蓮司、勝野洋、小倉一郎、夏目雅子、森下愛子、石丸謙二郎、内藤武敏、赤座美代子、鈴木瑞穂。1981、松竹)。『四谷怪談』をちょいと目先を変えて撮ってみたような、面白いところがひとつもない作品、という雑な感想しか思いつかなかった。『四谷怪談』を青春群像としてドラマ化、という評(自称?)も目にしたが、その辺の消息は冒頭の海辺で遊んでいる場面にしか感じなかった。伊右衛門を取り巻く小物ひとりひとりの像がほぼ描かれなかったのだから、まあ仕方あるまい。ケレン味の奇想もなく(と思われ)、せっかくの萩原健一、関根恵子、石橋蓮司、勝野洋、小倉一郎、夏目雅子、森下愛子、赤座美代子などなどがもったいなかったな→『生きてるだけで、愛。』再見。感想は同じ→牛コマ野菜炒め、イカの塩辛、コンビーフ、鰯ローズマリー焼き、キャベツ、茄子と油揚のおつけ、舞茸炊き込みご飯、ビール中瓶×1、金宮お湯割×4→夜8時半就寝。
11月16日(木) 深夜起床→風呂→TVの録画をダラダラ見たり『仕立て屋の恋』を再見したりしながら、金宮酎ハイ×2→朝方就寝→午前11時起床。お茶→茄子と油揚のおつけ、舞茸炊き込みご飯(うずらの卵×2、しらす干し)→「最近6弦ウクレレを弾いてて思いついた曲」、一応の完成(採譜も含め)。二週間くらいさぼったか→夕方下北沢に出て、まずは〈Jazzと喫茶 囃子〉で一杯。グリッシーニの生ハム巻き、ビール中瓶×1。なかなか落ち着くよい店だった→少し散歩したり古本屋を素見したりしたのち、〈新雪園〉で高岡さん、O形と落ち合い、飲酒開始。アサリの老酒漬け、豚耳の辛タレ入り冷菜、煎餃子、麻婆茄子、五目チャーハン、ビール中瓶×3、ウーロンハイ×1→〈No Room For Squares〉に移動し、ジントニック×4。ここも初訪問だがよい酒場だった→記憶なくして帰宅。カップ天ぷらそばを啜ったようだが、記憶なし。
11月17日(金) 宿酔にて終日横臥→昼過ぎ月見うどん(葱)→また横臥→ニンジンとカリフラワーのしらす和え、マッシュポテト、あさり汁、ご飯、納豆→風呂→『新必殺仕事人』見ながらビール中瓶×1→午前2時過ぎ就寝。
11月18日(土) 朝8時起床。白湯→マッシュポテト、あさり汁、ご飯(納豆、うずらの卵、しじみ佃煮、海苔)→〈中江クリニック〉受診。ここのところ起床時血圧が高くぼーっとするので、アムロジピンを増やしてもらう→クスリ受け取り〈オオゼキ〉で揚げ玉、〈土井商店〉で卵買って帰宅→釜揚げそば(生卵、揚げ玉、葱)→本日新野画伯の個展に伺う予定だったが、クスリ飲んでもまだぼーっとした状態が続くので(朝154/102、昼141/96)、観に行きたい気持ちをO形に託して失敬することにする→風呂→入浴後も140/92でぼーっとするのは治らない。ダメだな→『黒い画集 第二話 寒流』(原作:松本清張、監督:鈴木英夫。小川虎之助、中村伸郎、平田昭彦、池部良、小栗一也、新珠三千代、梅野公子、加代キミ子、飛鳥みさ子、荒木道子、吉岡恵子、多田道男、浜村純、宮口精二、志村喬、北川町子、田島義文、丹波哲郎。1961、東宝)。物語冒頭の重役会議(銀行の場合そういう名称なのか知らないが)が終わったあと重役ふたりの会話「どうせ波に乗るなら寒流より暖流だよ」に、すべてが集約されている話だった。そしてその「暖流」はこの話の中では平田昭彦扮する桑山常務というのが、とてもわかりやすく描かれていて、そこまでわかりやすく描いていいのかとすら思う。池部良扮する沖野一郎は、桑山常務の贔屓だったのだが、いち課長から支店長に抜擢されたあとに得た良客である、池袋で料亭を営む前川奈美=新珠三千代を桑山常務に奪われる形で「寒流」に乗らざるを得なくなるわけだが、そんなくだらないきっかけで「寒流」に乗らざるを得なくなるというのも、まあ現実の引き写しなのだろう。セコい正義感と恨みを持つが故に池部良が「暖流」に乗れなかったり、平田昭彦が「暖流」であるが故にピンチをなんなく乗り切っていったり、という様子が淡々と、しかしそれだけに残酷に描かれる点は面白い(一度「寒流」に乗ってしまったら、チャンスや味方と思われるものもなんの役にも立たないという、その身も蓋もない感じも)。ただしその一方、終幕までずっと後味の悪さしか残らない、淡々と撮った小品ながら救いのなさにとても重たい手応えを感じた。ところで映画化された『黒い画集』シリーズは全部で三作だが、なぜこれだけ「第二話」とつけたのかな?(しかもシリーズとしては三番め) なんとなく想像はつくが、ちゃんとした事情を知りたい→鰯骨煎餅、焼き海苔、わかめ酢の物(葱、生姜)、トマトサラダ(あおさ海苔、オリーブ油)、すき焼き(牛バラ、小松菜、生どんこ、葱)、あさり汁、ご飯半膳(うずらの卵×3)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→『滝の白糸』(原作:泉鏡花『義血侠血』、監督:島耕二。若尾文子、沢村貞子、星ひかる、若原一郎、光岡龍三郎、潮万太郎、早川雄二、近藤美恵子、菅原謙二、吉井莞象、苅田とよみ、見明凡太朗、滝花久子、小杉光史、斎藤紫香。1956、大映)。このとき23歳の若尾文子=滝の白糸がなんとも初々しい。物語は基本的には原作通りなので、本作の価値はほぼその一点にあると言ってもいいかもしれない(原作には登場しない世話役≠フお安を演じる沢村貞子の芝居も地味ながら見どころではあろう)。原作と異なるのは、白糸が無罪となり村越欣弥(菅原謙二)と結ばれるという点で、これはおそらく本作のひとつ前の京マチ子版(1952年)からではないかと思うが、これは白糸への死刑判決と村越欣弥の自殺では救いがなさすぎるというのもあろうし、また戦後になって原作が書かれた明治時代(明治27年)とは法的価値観が違うというのもあろう。しかし安易な解決であるとも言えると思う。ひとつの娯楽映画として観る分にはこれでいいのだろうとも思うが、原作の終幕の意味をもう一度考えてみるべきだなとは思った→夜0時就寝。
11月19日(日) 朝8時半起床。白湯→本日も高血圧。159/102。昨日、朝にアムロジピン2.5mg×2と処方されたが、夜飲んだほうが朝が楽かもしれないという素人判断にて、朝夕一錠ずつを試してみることにする→あさり汁(揚げ玉)、すき焼き乗せご飯(卵とじ)→午前中特に何もせず(散髪の予約くらい)→カレーラーメン(マルタイ棒ラーメン胡麻醤油、葱、生姜、ニンニク、うずらの卵×3、クミンシード、コリアンダー、クミン、ターメリック、パプリカ、赤唐辛子粉、牛乳)→『薔薇のスタビスキー』(原題『Stavisky...』、監督:アラン・レネ。ジャン・ポール・ベルモンド、シャルル・ボワイエ、フランソワ・ペリエ、アニー・デュプレー、クロード・リッシュ、ロベルト・ビサッコ、シルビア・バデスク、ジャック・アイザー。1974、仏Compagnie Commerciale Française Cinématographique (CCFC))。1933年末にフランスで発生した疑獄事件である「スタヴィスキー事件」をモチーフに、主犯であるセルジュ・アレクサンドル・スタヴィスキーの最後の数ヶ月間を描いた作品ということだが、どれだけ事実に即しているのかは知らないけれども、映画化に当たっての物語構成の意図が理解できず、ただ事実(と思われる事柄)をダラダラと並べただけのように見えてしまった。トロツキーがフランスに渡ってくるくだりも意味がよくわからず、スタヴィスキーの劇場のオーディションにやってくるドイツ娘(のちにトロツキーの取り巻きになる)(シルビア・バデスク)が魅力的だったがやはり映画の中で活かされていないように見えて、肝心のスタヴィスキー(ジャン・ポール・ベルモンド)も鮮やかさに欠け人間的魅力に乏しいように見えてしまい、後半はかなり退屈してしまった。よっていいも悪いも、私には評価不可能な作品であった(ただ、登場人物を含む絵造りに現実味もなにか想像力を刺激する要素も見当たらなかったことは記しておく)。アラン・レネは『二十四時間の情事』『去年マリエンバートで』の衝撃が大き過ぎたため却ってよくわかっていない作家ではあるが、なんだかますます混乱してしまった→朝から昼へかけての血圧の下がり方は昨日と同じ、とはいえ入浴なしで136/94だから、降圧剤の効果は昨日より出てはいるのか。そんなに違わないか。ぼーっとした感じは未だなくならない→晩の支度。ピザを取ることにしたので、野菜関連のみ→キャベツトマトピーマンのサラダ(胡麻ドレッシング)、温野菜(カリフラワー、ニンジン、小松菜、ニンニク、チキンコンソメ、粉チーズ、黒胡椒)、フライドポテト、骨つきフライドチキン、ピザ(ドミノデラックス)ふた切れ、ビール中瓶×1、赤葡萄酒二杯→なんとピザふた切れでお腹いっぱい眠くなり、夜7時過ぎ就寝→夜10時頃起床→風呂。ネットでたまたま見た情報に従い、ホホバオイルを頭(と鼻)に塗ってから洗い流してみたが(皮脂がよく落ちるとのこと)、結果は如何に→『セクシー田中さん』見ながら晩に残したピザふた切れ、ビール中瓶×2→午前1時過ぎ就寝。
11月20日(月) 朝10時半起床。白湯→起床時血圧、上は下がりつつあり、下は変わらず100超→リゾットもどき(昨夜の温野菜、卵、粉チーズ)→明日の行動計画(三ノ輪、浅草)→『千夜、一夜』(監督:久保田直。田中裕子、阿部進之介、ダンカン、田島令子、長内美那子、尾野真千子、小倉久寛、安藤政信、白石加代子、山中崇、田中要次、宮田佳典、瑛蓮、山村真也、諏訪太朗、竹本純平、平泉成。2022、ビターズ・エンド)。佐渡島(の漁村)が舞台だが、日本の田舎のどうしようもない閉塞感がひしひしと感じられた(といっても想像するだけで実際のところは知らないのだが)。夫が失踪したふたりの女性(田中裕子、尾野真千子)が主人公で、帰ってこない夫を諦めるかどうかとその道筋がひとつの主題と思ったが、その過程を芝居で見せていく田中裕子と尾野真千子が見事なのはもちろん、漁村で以前から田中裕子を慕う春男を演じるダンカンとその母の白石加代子、春男の親戚を演じる諏訪太朗と竹本純平の芝居が、そういう状況の中での切なさを増幅させていた(尾野真千子の夫役の安藤政信には、申し訳ないがなんらかの深い印象を得ることがなかった。悪いわけではないのだが)。ふたりの寡婦≠ノ対し、田中裕子にはダンカン、尾野真千子には同僚役の山中崇という、彼女たちを想ってくれる人がいるというのは、彼女たちにとって救いなのだろうか、という点(疑問)も、あるいはもうひとつの主題だったかもしれない。本作にとってはどうでもいいことかもしれないが、実にゆったりとした時間の流れを撮っているようでいて、現実の鑑賞時間の長さはあまり感じなかった点も記しておく→割れ煎餅、子持ち公魚甘露煮、ピザ(マルゲリータ)4切れ、ビール中瓶×2→晩の支度→風呂→ピザ(マルゲリータ)2切れ、トマトとピーマンのサラダ(レモン果汁)、洋風海苔の酢の物、鯖水煮缶(酢、赤唐辛子、クミン)、葱と油揚のおつけ、ワイン漬けらっきょう、五種のダール、バスマティ米ご飯、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1、赤葡萄酒二杯→『All That Jazz』(監督:ボブ・フォッシー。ロイ・シャイダー、ジェシカ・ラング、フィル・フリードマン、ウィリアム・レマッセナ、デヴィッド・マーギュリーズ、ジョン・リスゴー、リランド・パーマー、エリザベート・フォルディ、デボラ・ジェフナー、アーノアルド・グロス、クリフ・ゴーマン、スーザン・ブルック、アン・ラインキング、スローン・シェルトン、キース・ゴードン、アンソニー・ホランド、マックス・ライト、ロバート・レヴィン、マイケル・トラン、ベン・マスターズ、ジュールズ・フィッシャー、ベン・ヴェリーン、キャサリン・シリフ。1979、米Twentieth Century Fox)。後述の『ショーガール』に途中で飽きて(11月21日)、ショーの世界を描いたものなら(ラスヴェガスとブロードウェイの違いはあるが)断然『All That Jazz』を観たいと思ってパッケージソフトを探して観た次第。ロイ・シャイダーがジョー・ギデオンの人たらしっぷりを濃厚な魅力でもって演じている点やショーの演出に於いてなにも思いつかないと悩むところ、妻と別れても深いところでわかり合っているところ、ジョーの現在の恋人との関係や現在の恋人と実の娘とがジョーを楽しませようと踊るところ、こんなにいい人生を送ってきたのに内心は現実には出会わなかった理想の女性=天使(アンジェリーク。ジェシカ・ラング)を求めているところなどなど、すべてに心躍る。終幕のミュージカル場面は何度観ても泣かされるし、エンドロールに敢えてベタな『ショウより素敵な商売はない』(There's No Business Like Show Business。歌唱はオリジナルの映画からエセル・マーマン)を流すのも憎い。一度観ると何度も続けて観たくなる魅力を再認識した→夜11時就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記