2023年11月30日

11月まとめ(21〜30日)


『桂小すみ ひとり会』 於経堂〈さばのゆ〉、山口和彦/中島ゆたか/梅宮辰夫/ぴんからトリオ『夜の歌謡シリーズ 女のみち』、金丸裕子『自由が丘画廊ものがたり』出版記念会 於高円寺〈ちんとんしゃん〉、『小学館の図鑑NEO 音楽』、ガス・ヴァン・サント『小説家を見つけたら』、衣笠貞之助『歌行燈』、つつじケ丘〈GYUGYU BURGER〉、『茫洋たる大陸 Vol.4』(佐藤芳明、田中邦和) 於祖師ヶ谷大蔵〈カフェ・ムリウイ〉。

11月21日(火) 朝9時半起床。白湯→起床時血圧、本日は上が高めで下が改善(153/96)。体重が71kgを切りほぼ70kgに近くなったが、これは排便の量が多かっただけ所為のような気もする→葱と油揚のおつけ、五種のダール、バスマティ米ご飯、ポーチドエッグ→若干風邪気味? 本日の外出は取りやめにする。GHへの返礼(先日いただいたらっきょうワイン漬けほかへの)は年末にしよう→『ショーガール』(原題『Showgirls』、監督:ポール・バーホーベン。エリザベス・バークレー、デューイ・ウェーバー、ジーナ・ラヴェラ、ジーナ・ガーション、アル・ルシオ、アラン・レイキンズ、カイル・マクラクラン、グレン・プラマー、リン・トゥッチ、ロバート・デヴィ、リーナ・リッフェル、グレッグ・トラヴィス、パトリック・ブリストー、ミシェル・ジョンストン、ウィリアム・ショックリー。1995、米MGM/UA Distribution Co.)。魅力がないわけではないが、笑いとか引いた演出がほとんど見当たらず、平板な印象もあった。ラスヴェガスの場末のクラブと大型ホテルのショー、どちらも関わっている人々が微妙に下品な感じは現実に即しているのかもしれずそういうところは面白いが、主役のふたり(ノエミ=エリザベス・バークレー、クリスタル=ジーナ・ガーション)は表情も含めもっぱら下品な印象だけを与えるように演出されていて、多面性がないように思えたのは残念。「アルヴィン・エイリーに教えを受けた」という男性ダンサーのジェームズ(グレン・プラマー)が口ばかりで、ノエミがラスヴェガスで最初に職を得た場末のクラブに出演するもその道を諦めて結婚し妻の実家の雑貨屋で働くことになる、というくだりが切なく、冒頭から登場するジェームズの存在の意味がよくわからなかったのだが終盤のこのくだりで一応納得。先述のとおり笑いがほとんどない(場末のクラブの太ったヘンリエッタくらいではなかったか)のが残念だったが、終幕でノエミが物語冒頭とまったく同じ男(ジェフ=デューイ・ウェーバー)のクルマにまたヒッチハイクで乗る、というところは笑った。と、何も知らずに観たところ安っぽい印象のほうが強く残ったのだが、あとで調べたらポール・バーホーベンが『ロボコップ』『トータル・リコール』『氷の微笑』に続いて撮った作品だった(このあと『スターシップ・トゥルーパーズ』『インビジブル』と続く)。ということは一応ハリウッド大作だったのかな? そういう印象を得ることはなかったが→O形サイト更新(絵日記)→昼の血圧は132/89。四、五日少し高かったが(特に下が90を超えていた)、改善されつつあるのかな→『All That Jazz』復習→菊水堂ポテトチップス、タケノコ水煮、胡麻そば(うずらの卵×2)、ビール中瓶×2→まだ風邪気味なので、夜8時いったん就寝→2時間ほどで起床→『メリーに首ったけ』(原題『There's Something about Mary』、監督:ピーター・ファレリー/ボビー・ファレリー。ジョナサン・リッチマン、トミー・ラーキンス、ベン・スティラー、シンディ・オリヴァー、キャメロン・ディアス、ダブル・アール・ブラウン、ウィル・クーガン、キース・デイヴィッド、マーキー・ポスト、ジャッキー・フリン、レニー・クラーク、クリス・エリオット、ヒラリー・マシューズ、マット・ディロン、ジェフリー・タンバー、リン・シェイ、ハービー・フリン、サラ・シルヴァーマン、カンディ・アレクサンダー、マーニー・アレクセンブルグ、リー・エヴァンス、ハーランド・ウィリアムズ、ロブ・モラン、ワーレン・タシヤン、ブレット・ファーヴ。1998、米20th Century Fox)。二年くらい前(2022年1月)に観た際の感想「バカで軽くてくだらない笑いのネタをまずはたくさん出しておいてから、それらが可能な限り効果を発揮するように精緻に組み立てた、という印象」や六年前の感想「実にくだらない可笑しさは最初に見たときと同じ感触」は変わらぬものの、今回はストーカーという社会問題について意外にきちんと真正面から取り上げているのだな、と認識を新たにした(というのは今までちゃんとそこを見なかっただけなのだが)。ストーカー問題をかなり深刻に捉えながら、しかし嫌な感じを残さないよう笑いに転換して観る側に届けるような映画造りの藝は見事だなと思う。そこに注目して観ていくと、伏線の回収の仕方(軽さやくだらなさも含めて)などなど大きな笑いの中に細やかな心配りが随所に見られることに気づく。つくづく名作(という呼び方は似合わないとも思うが)だなあと思った→イカ塩辛、五種のダールとご飯(小皿)、金宮酎ハイ×3→午前4時就寝。
11月22日(水) 朝8時起床。白湯→葱と油揚のおつけ、ドライカレー(五種のダール)(小皿)→出発まで横臥→老父買い物代行(サミット)→〈はま寿司〉で予約の寿司受け取り老父宅へ。昼食を一緒(まぐろ、活〆ぶり、活〆まだい、大葉漬け真いか、真あじ、煮あなご)。煮あなごだけこちらにくれたが、10個はペロッと行っていたので(食後の洋梨も少し食べていた)、食欲は衰えていないようだ→あとPCメンテナンスして帰宅→午睡→風呂→菊水堂ポテトチップス、ドライカレー(小皿)、ビール中瓶×1→夜は〈さばのゆ〉にて『桂小すみ ひとり会』を見物。寄席以外で拝見拝聴するのは初めてだが、半分以上はおしゃべりだった。このおしゃべりがいわゆる話藝≠ニいうような感じでもなく、思ったことや日常的なことをおしゃべりするだけといえばするだけなのだが、とても楽しい。ネタも、尺八で「Amazing Grace」を吹くとか、「さわぎ」を主題にアラブ風だったりアルゼンチンタンゴ風(ピアソラ風)だったりのオリジナル曲を歌うとか、表面的・記号的な取り組みや創作(簡単に言えばパロディ)が多いと思うが、パロディ≠ナあっても本質の捉え方やそのジャンルへの洞察がしっかりしているというのか、表現としては表面的・記号的だとしても伝わってくるものの手応えはなかなかのものと思う。音楽的な素養(西洋音楽の素養のほうが強いようにお見受けする)に確固たるものがあるという理由もあると思うし、だから門外漢でも楽しめるのだろうとも思うが、邦楽を深く聴いてきたような人にはどう捉えられるのだろうかな、とも思った。以下演目。

伊勢音頭
さのさ
さわぎ
泥棒番付
説教強盗(おてもやん)
Amazing Grace(尺八)
吉原さわぎの主題による組曲隅田川より「ナイルの風」「ピラニアの塩焼き」
長崎さわぎ

→終演後ハイボール×2。会場でばったりお会いした高円寺のチャーリーや手拭い屋氏、そして桂小すみご本人と歓談→ひと足先に失敬し、とてもひさしぶりに〈まことや〉にてカキ塩ラーメン、ビール中瓶×1/2。一年ぶり以上のように思うが、以前よりおいしくなっていてびっくり→旧〈ユメカメラーメン〉の看板が12月に開店予定の〈ウチデノコヅチ〉になっているのを確認しつつ帰宅。帰宅後即就寝。
11月23日(木) 深夜起床。昨夜の『桂小すみ ひとり会』の感想まとめなど→『夜の歌謡シリーズ 女のみち』(監督:山口和彦。中島ゆたか、賀川雪絵、ぴんからトリオ、梅宮辰夫、荒木一郎、角梨絵子、渡辺やよい、須賀不二男、葵三津子、殿山泰司、小林稔侍。1973、東映)。シリーズ第九作、とのことだが、そんなシリーズがあるのも知らなかった(不覚)。本作はほどよいどうでもよい感じ≠フ映画で、その塩梅がよい(殿山泰司が一場面だけ登場するが、その際の台詞など実に適当に書いたような感じである)。まったく適当に撮ったようでいて、ぴんからトリオの芝居の尺が長いのが意外な効果を生んでいると思ったが、Wikipediaの記述によれば「中島ゆたかのヒロイン抜擢は、カネボウのCMに出ていた中島を見染めたぴんからトリオからの強い推薦」だそうだから(ほんとうのところは知らないが)、ヒット曲に基づいて映画を作るに当たってその歌手を立てたり意向を聞いたりという作業はあったのかもしれない。ちなみに「夜の歌謡シリーズ」のラインナップが以下の通り−−『柳ヶ瀬ブルース』『盛り場ブルース』『命かれても』『夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース』、『夜の歌謡シリーズ 長崎ブルース』『夜の歌謡シリーズ 港町ブルース』『夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース』『夜の歌謡シリーズ おんな』『夜の歌謡シリーズ 女のみち』『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』『夜の演歌 しのび恋』。ただし最初の三作は、『伊勢崎町ブルース』の公開後遡ってシリーズに入れられたようだ→海苔、ビール中瓶×1→朝6時就寝→朝8時起床時→野菜ポタージュ、ビリヤニ→表参道に出て、〈GH〉にて散髪、ビールいただきながらバカ話。至福→〈higashiya〉で菓子買って帰宅→冷やしたぬきそば(うずらの卵×3)、御酒→食後の菓子(豆大福、本蕨、銀杏餅、やぶれ饅頭)ののち午睡→風呂→夕方高円寺。〈ちんとんしゃん〉にて、金丸裕子『自由が丘画廊ものがたり』出版記念会。とてもよい会だった。ちょっと酔ったり肩が痛くなったりで、二時間ほどで失敬→平和に電車で帰宅(小田急線にて少し睡眠)→録画消化したり、『夜の歌謡シリーズ 女のみち』再見したりしてから、午前1時頃就寝。サッポロ一番醤油ラーメン半分と、ビール中瓶×1.5。
11月24日(金) 朝10時半起床→野菜ポタージュ+ペンネ→昨日届いた『小学館の図鑑NEO 音楽』を書見。子ども向けの図鑑という企画だが、なかなかどうして、世界の様々な音楽や楽器の説明が、簡潔ながら痒いところに手が届いていて、知っていると思っていたことについても認識を新たにさせられたりした。全ページではないが、世界の音楽や楽器についてQRコードを通じてネット上に用意された実演映像や音源を鑑賞できる仕組みになっていて、それもただその音楽の演奏や楽器の音色のあらましがわかるというだけでなく、特に楽器の実演についてはその楽器を使った豊かな音楽表現に触れてもらおうという編集方針を取っていると思われるのが素晴らしい(「豊かな音楽表現」という言い方もおざなりだが、ここで私が表現にこだわっても仕方がないので敢えて)。ちなみに音源の実演者の中には類家心平(トランペット)、関島岳郎(テューバ)、大熊ワタル(クラリネット)、田中邦和(サクソフォン)、外山明(バラフォン、クリン、ドラムセット、ボテ)、吉田悠樹(二胡)、四家卯大(チェロ)、等々力達(tatsu)(エレクトリックベース)と、私が何度も生演奏を聴いたことがある方々がおられるのだが、それぞれ顔が見える≠謔、な演奏なのが嬉しい。先に書いたような「その楽器を使った豊かな音楽表現に触れてもらおうという編集方針」という見方が当たっているならば、他の楽器の見本演奏も、私がお名前を知らない(今まで演奏を聴いたことがない)だけで、素晴らしい演奏が記録されているのではないかと予想する。それについてはまた時間を見つけてゆっくり聴いていきたいと思う。これまたよい本に出会えた→カップヌードル(うずらの卵×2)→風呂→菊水堂ポテトチップス、トマトピーマンしらす干し、牡蠣と鱈の寄せ鍋(舞茸、ぶなしめじ、榎、白菜。醤油ニンニクタレ、味噌と胡麻油)、うどん、ビール中瓶×1、御酒×2→夜10時就寝。深夜一度起きて、『図鑑NEO 音楽』付属のDVDを鑑賞。こちらは図鑑本体への興味を増幅させる仕掛け、という位置付けと思ったが、図鑑の記述を補完する役割もあると思った。飲酒はなし。
11月25日(土) 朝10時半起床。白湯→牡蠣と鱈の鍋+うどん(生卵、揚げ玉)→『シン・ちむどんどん』(監督:ダースレイダー、プチ鹿島。ダースレイダー、プチ鹿島、畠山理仁、下地ミキオ、サキマ淳、小渕優子、玉城デニー、下地ななえ、阿部岳、泉健太、志位和夫、山本太郎、高良鉄美、福島みずほ、前泊博盛(政治学者、経済学者、沖縄国際大学大学院教授)、高里鈴代(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表ほか)、田母神俊雄、元山仁士郎(「辺野古」県民投票の会代表ほか)、菅義偉、中山吉人、山城博治(沖縄平和運動センター顧問)。2023、ネツゲン)。沖縄の基地移転問題(普天間→辺野古)を通じて沖縄の現在や立場、沖縄の人たちの考えと反対運動、さらには日本という国の本質=i問題を先送りし、解決しなければなかったことにする、民主主義が機能していない)を浮き彫にするドキュメンタリーとして見応えはあったが、前半の2022年度沖縄知事選の様子を撮影した部分の各候補への切り込み方について物足りなさを感じ(TVドラマ『ちむどんどん』に関する話のぶつけ方や切り込み方がその象徴)、それが尾を引いてせっかくのダースレーダーの、辺野古のゲート前でのラップも、警備員たちに届いていない(警備員たちに人間の心がない)ことについて何かをぶつけるような激しさも感じられず、全体的になんだかもやもやしたものが残った。戦っているようで戦っていないというか、いや戦うのが目的の映画ではないのか、いやでも基地賛成派≠竍沖縄を植民地とみなしている人たち≠ニの対峙はなかったように思う。その辺見逃している可能性はあるし、そうなら申し訳ないが、そんなわけで公式サイトに並べられた賛辞、たとえば「鹿島さんのしつこい質問攻めは健在、より磨きがかかって候補者を追及する」(本作のプロデューサー大島新)、「政治のために市民同士が分断を余儀なくされる沖縄で、自由すぎる二人がその双方を行き来しながら」(長野智子)、「彼らの語り口はあくまで冷静で洒脱で」(てらさわホーク)、「高度に計算された第一級のドキュメンタリー」(古谷経衡)にもまったくピンと来なかったのだが、おそらく私の見方が至っていないのかもしれない。再見はしてみよう→昆布出汁殻で佃煮を製作→『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』(監督:斎藤武市。中島ゆたか、谷隼人、関山耕司、八代亜紀、奈良あけみ、殿山泰司、小林千枝、田辺一鶴、谷本小夜子、片山由美子、須賀不二男、佐々木功、岡田奈津子、小林稔侍。1973、東映)。シリーズ前作の『女のみち』と比べると、「歌謡」の部分の主役である八代亜紀がまったく活躍せず、『なみだ恋』の歌の内容と物語が関連するわけでもなく(もっとも『女のみち』も関連していたわけではないが)、当時のヒット曲の題名と歌手をちょい役に借りて、夜の女とヤクザを主人公に適当に撮った映画、という趣だった。殿山泰司と須賀不二男びのスケベ親父っぷり(前者が「社長」、後者が「先生」多分司会議員か何か、という感じ)は見事だし、『新造人間キャシャーン』の主題歌で歌手活動を再開したばかりの佐々木功(ささきいさお)(『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌で大きく名前が知られるのは翌1974年)が色悪を熱演していたり、見どころがないわけではないのだが。野球場で女(中島ゆたか)と別れ話を終えた谷隼人が、別れようとして走っているのにホームベースにスライディングするところは笑った→菊水堂ポテトチップス、トマトピーマンしらす干し、牡蠣と鱈の寄せ鍋(舞茸、ぶなしめじ、榎、白菜。醤油ニンニクタレ、味噌と胡麻油)、ご飯半膳、自家製昆布佃煮、ビール中瓶×2→食後しばし横臥→風呂→『小説家を見つけたら』(原題『Finding Forrester』、監督:ガス・ヴァン・サント。ジミー・ボビット、ロブ・ブラウン、ショーン・コネリー、フライ・ウィリアムズIII、ダマニー・マシス、ダミアン・リー、ゼーン・コープランドJr.、グレン・フィッツジェラルド、エイプリル・グレース、ステファニー・ベリー、バスタ・ライムス、マット・マロイ、アンナ・パキン、F・マーリー・エイブラハム、マシュー・ノア・ワード、マイケル・ピット、トム・カーンズ、マイケル・ヌーリー、リチャード・イーストン、マット・デイモン。2000、米Columbia Pictures)。観始めて最初に思ったのは、音楽がとてもよいという点。音楽単体も素晴らしいし、場面ごとへのハマりかたにも少し驚いた。単純な反応とは思うが、消えた老作家ウィリアム・フォレスター(ショーン・コネリー)が文才のある少年ジャマール・ウォレス(ロブ・ブラウン)にタイプライターを使って文章の書き方を教えるところでジャズ調の音楽になるところでは心躍った。音楽は『モ'・ベター・ブルース』『ジャングル・フィーバー』『マルコムX』『クルックリン』『クロッカーズ』『ゲット・オン・ザ・バス』『サマー・オブ・サム』『インサイド・マン』『セントアンナの奇跡』『ブラック・クランズマン』『ザ・ファイブ・ブラッズ』などスパイク・リー作品の音楽を多数手掛けてきたテレンス・ブランチャードだった。納得。ウィリアム・フォレスターが書かなくなった理由が少し陳腐かなと思ったが、消えた老作家と少年の友情、少年が陥る窮地とやけっぱちと老作家の(何かを吹っ切っての)救済は感動的だった。エンドロールに差し掛かる終幕で、少年と友人が老作家が残した部屋から眺められるバスケットコートに出ると、次々に以前の仲間たちが集まってくる描写もよい。いい映画だった→釜揚げ蕎麦(揚げ玉、うずらの卵×2、もみ海苔)、ビール中瓶×1、御酒×3→『メリーに首ったけ』再見してから就寝。午前4時頃。
11月26日(日) 昼過ぎ起床。お茶→おじや(牡蠣と鱈の寄せ鍋、卵)→特に何もせず→風呂→晩の支度→菊水堂ポテトチップス、茹でニンジンしらす和え(ニンニク醤油タレ)、鯖水煮缶のオムレツ(クミンシード、ローズマリー、生姜、玉葱みじん切り、トマト、塩、黒胡椒)、おみおつけ寄せ鍋改、ご飯、自家製昆布佃煮、ビール中瓶×2。魚の缶詰や瓶詰めで作るオムレツに、ちょっと可能性を感じた(大袈裟)→ひさしぶりにアコースティック・ギターを二階に下ろしてギター練習。メトロノームを裏(1カ2カ3カ4カ)で取りながら、身体でツー・ビート(1・2−3・4−)を感つつ、ギターで曲を弾いてみる。今さらではあるが、難しいな→『セクシー田中さん』と『小説家を見つけたら』。金宮お湯割り×5→午前3時就寝。
11月27日(月) 朝8時半起床。白湯→おみおつけ寄せ鍋改(揚げ玉)、卵かけご飯(しらす干し、しじみ佃煮)、海苔→なにもしないまま午睡→ここのところ、昼も高血圧。昼寝からの起床後で149/104→〈サミット〉にて買い物、帰途灯油も購入→菊水堂ポテトチップス、ハムレタスサンドイッチ、ビール中瓶×1/2→晩の支度→風呂→舞茸と油揚のおつけ、チキンキーマ(舞茸、ニンジン、白菜)、春菊とトマトのアチャール、ジャポニカバスマティ米ご飯、納豆、らきょうワイン漬け、ビール中瓶×1/2→『悪魔が来りて笛を吹く』(原作:横溝正史、監督:斎藤光正。二木てるみ、宮内淳、仲谷昇、西田敏行、夏木勲、中田博久、関谷ますみ、斉藤とも子、原知佐子、鰐淵晴子、石浜朗、村松英子、小沢栄太郎、池波志乃、山本麟一、梅宮辰夫、浜木綿子、中村玉緒、藤巻潤、村田知栄子、京唄子、中村雅俊、田中春男、勝野賢三、加藤嘉、北林早苗、佐川二郎。1979、東映)。金田一耕助が西田敏行ならでは、という趣が感じられず、絵造りや演出もなんだか中途半端でTVの二時間ドラマのような印象。玉虫伯爵(小沢栄太郎)の妾役の池波志乃だけが、横溝作品の「オソロシイ」感じに合っていたが、しかし池波志乃は残念ながらまったく重要な役ではない。好印象としては、あとは斉藤とも子ががんばってた、というくらいか(話によれば『野性の証明』での主役を勝ち取れず、本作が映画初出演とのこと)→ビール飲みながら『クイズ!脳ベルShow』見て就寝。午前3時。
11月28日(火) 朝10時半起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、キーマカレーライス(ポーチドエッグ、しらす干し)→『歌行燈』(原作:泉鏡花、監督:衣笠貞之助。柳永二郎、角梨枝子、倉田マユミ、町田博子、山本富士子、荒木忍、市川雷蔵、信欣三、上田吉二郎、賀原夏子、村田扶実子、見明凡太朗、守田学、浦辺粂子、佐野浅夫、花布辰男、小沢栄太郎、小野道子。1960、大映)。改めて、よくこんな話を思いつき書いたものだと感心。冒頭の、観世流家元の嫡子恩地喜多八(市川雷蔵)が田舎天狗(荒木忍)の鼻をへし折る場面−−「しかし盲さん、あんまり自惚れるもんじゃないよ。鰻のほかに鯛もあるんだ、それをわかればいい」「それほど聴きたきゃ東海道を上って恩地の台所からでも来るがいいさ」「妾を二人も置いて田舎者を相手にしていれば、誰しも天狗になりやすいものです。あんたの旦那さんには悪かったが、これで少しは考え直してくれるだろう」というという台詞回しの、むしろ田舎天狗よりも奢った若気の至りの冷たい感じがぞくっとするほどよく表現されている。話はあくまでも現実的な、ダメな若者が苦労をして本来自分がいるべき場所に戻ってくるというもので、幻想的な物語ではないわけだが、心を入れ替えた喜多八が田舎天狗の娘お袖(山本富士子)と再会し能を教える場面はとても幻想的に見え、しかも心が震える(再会までの間、もう少し喜多八が苦労するリアリズム的場面があってもよかったかなとも思ったが)。そして終幕の、喜多八の父源三郎と鼓の名人辺見雪叟(信欣三)の座敷に身請けされる寸前のお袖が偶々やらされ、そこで喜多八から教わった「玉の段」を舞う場面は、柳永二郎と信欣三の受けが静かだが神懸かっていて、身体が震えるような感動を得た。細かいところだが、その場面の座敷の障子の描写がまた素晴らしかった。ちなみに物語は原作からだいぶ翻案?されているようなので、あらためて原作に当たってみたい→キーマカレーライス(納豆、うずらの卵×2、小皿)、牛乳→夕方ぶらぶら下高井戸。まずは八百屋と〈わくわくお魚ランド〉で買い物→近くの割と新しい?喫茶店で一服→ひさびさの〈Jazz Keirin〉にて一杯。かしわ天、わかめポン酢、緑の煮込み、ビール小瓶×1、黒糖焼酎ロック×1。酒肴と黒糖焼酎ロック数口でとつぜん満たされ過ぎになり、うどんはゆっくりと楽しむ。酔いはそうでもなかったがかなりお腹一杯になり(弱くなったものだ)、途中で座って休憩したりしながら、ふらふら歩いて帰宅→しじみの砂抜き開始してからいったん就寝→日付変わる前に起きて風呂→『天守物語』(原作:泉鏡花、監督:坂東玉三郎。島田正吾、市川団蔵、南美江、坂東玉三郎、市川左団次、宮沢りえ、隆大介、宍戸開、坂東彌十郎。1995、松竹=松竹富士)。幻想の描き方としては鈴木清順『オペレッタ狸御殿』に似ている−−というか思い起こさせるものがあるのだが、突き抜け方に不足を感じた。作り物としての美しさや面白さを追求しているだろうに、美し過ぎて笑っちゃう、ような感じがまったく感じられなかったのが残念。玉三郎も、映像作品で観ると舞台を観る際の美しさが半減しているように感じられて、もっともこれはアップで撮られるから仕方ないのだが、しかしクライマックスで(まだ若くて若いなりの美しさの残る)宍戸開と並んで大映しというは厳しいのではないかと思う。むろん、引きの場面での芝居は素晴らしく、家のセコいTV画面で観ていても、舞台で観るのと同じような感動を覚えはするのだが。とても細かいところだが、タイトルロールの冒頭で、原作者よりも先に「監督:坂東玉三郎」と出したのには、いかなる意味があるのだろうか? 本作の責任はすべて監督にある、という意味かなとも思ったが、よくわからなかった→『笑点特大号』見ながら菊水堂ポテトチップス、キーマカレー、ビール中瓶×2、金宮お湯割り×2(梅干し)→午前4時頃就寝。
11月29日(水) 昼頃起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、ドライカレー(うずらの卵都合4つ、納豆)→昨日と今日の『新必殺仕事人』消化→ししゃも味醂干し、菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→午睡→春菊トマトとピーマン、じゃがいもお焼き、鰯香草焼き玉葱ソテー添え、白菜と油揚のおつけ、ご飯、昆布佃煮、しらす干し、薄い金宮水割り×2→風呂→『グッドモーニング、ベトナム』(原題『Good Morning, Vietnam』、原作:エイドリアン・クロンナウア、監督:バリー・レヴィンソン。ロビン・ウィリアムズ、フォレスト・ウィテカー、ノーブル・ウィリンガム、J・T・ウォルシュ、ブルーノ・カービー、ラルフ・タバキン、ダン・スタントン、ロバート・ウール、ジュニー・スミス、リチャード・ポートナウ、クー・バ・グエン、チンタラー・スカパット、ドゥング・タン・トラン。1987、米Buena Vista Pictures)。皮肉や反骨も盛り込んだコメディを基調としつつ、主人公クロンナウア(ロビン・ウィリアムズ)とベトナムの少年(青年?)ツアン(ドゥング・タン・トラン)との友情、ベトナム人たちとの交流、クロンナウアのDJを楽しむアメリカ兵たちの様子(渋滞の米第1歩兵師団のトラックの場面)などを笑いと感動を交えて描きながら、ベトナム戦争の際の当事者なのに真実を知らない能天気なアメリカ人と、アメリカの許しがたい行為を目の当たりにして冷徹に真実を見つめているベトナム人≠ニの温度差を残酷なまでに鮮やかに描いていると思った。クロンナウアのDJの際の喋りが(上官から睨まれる程度に)過激ながら(しかし兵士たちの戦意を叩き壊すほどではない程度に)ぎりぎり生温く、その生温い感じに基づいた笑いが物語の大部分を構築しているからこそ、その「温度差」の提示が鮮やかに描かれたのだろうなとも思う。ツアンの「朝鮮戦争を招いたのは?/米軍ね/紛争の正しい処理に/まったく無関係の米軍」という叫びが耳に残る。ちなみに主人公には原作者とまったく同じ「エイドリアン・クロンナウア」という名前がつけられているが、原作者によれば自分の実生活は映画の中ではほとんど反映されておらず、自分は映画の中のクロンナウアのような破壊的な人物ではなく、正式な共和党員(つまり保守主義者)である。英語教師としても汚い言葉やニューヨークのストリートスラングは教えなかった≠ニ語っているそうだ。また原作者は自分のベトナムでの体験にTVのコメディシリーズ『M*A*S*H』および『WKRP in Cincinnati』を混ぜた形のアイデアを思いつき、それが本作に結実したとのことだが、本作の脚本を手がけたミッチ・マーコウィッツは、左記の『M*A*S*H』の中の何作かを手がけている→ビール中瓶×1、金宮お湯割り×2→午前2時半就寝。
11月30日(木) 朝8時起床。白湯→白菜と油揚のおつけ、卵かけご飯(あおさ海苔)、海苔→老父買い物代行(サミット)と通帳記帳。帰途、以前から気になっていた〈所澤クリニック〉近くの〈GYUGYU BURGER〉にてハンバーガーとキューバンサンド、フライドポテトを持ち帰り。ついでに向かいの〈ダイエー〉で牡蠣とみかんなど購入→昼はハンバーガー類とビール中瓶×1。柑橘系?の味がするような気がするソースがいいのか悪いのかわからなかったが、味、大きさともに満足(大きさについては大き過ぎないという意味)。次はソースを入れないシンプルバーガーを注文してみよう。老父買い物代行の際の新たな楽しみができた→午睡→本日夜は祖師ヶ谷大蔵〈カフェ・ムリウイ〉に田中邦和+佐藤芳明のライブを聴きに行く予定だが、ライブ時の食事の提供をやめてしまったとのことで、出かける前になにかお腹に入れようと、牡蠣と小松菜のペペロンチーノ(生どんこ、ニンニク、おろし生姜)を製作→夜は祖師ヶ谷大蔵〈カフェ・ムリウイ〉にて、佐藤芳明(アコーディオン)と田中邦和(カヴァル)の『茫洋たる大陸』を見物。ブルガリア、ルーマニアなど中・東欧の音楽と、ブラジルのショーロの曲、エチオピアのゲタチュウ・メクリヤの曲、アンコールにはジャズ・スタンダードの「I'm Confessin' (That I Love You)」。どちらかというとものすごい技巧を楽しみそれが感動につながった、というライブだったが、自分としてはあまり体験してこなかった類の音楽、演奏だった。ホットワイン×1、ウィスキーお湯割り×4→往復とも徒歩。歩いているうちにちょうどよい感じにはなるが、そろそろ歩き始めは寒い季節になった→帰宅後食べ飲み散らかしながら、『銀の長靴』(監督:市村泰一。頭師佳孝、二瓶十久也、由美かおる、南都雄二、柴田美保子、谷幹一、千之赫子、香山美子、藤原釜足、清川虹子、奈美悦子、三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗、ミヤコ蝶々、長谷川明男、大村崑、十朱久雄、三宅邦子、佐藤チカ、山内明、砂塚秀夫、高野真二。1967、松竹)。物語は貧しい家庭(水上生活者)に生まれた子供をみんなで助けようという清く美しいものだが、とにかく由美かおるの踊りが、技術的にはいろいろあるがそういうところを乗り越えて美しく魅力的。あれは天賦の才というものだろうか、表現力が並とは違うという感じ。それ以外は人情喜劇として平凡とも言えるし、絵造りとしては貧乏くさいが、てんぷくトリオや谷幹一、ミヤコ蝶々、大村崑などクセの強い藝達者が要所を押さえていて、観ていて飽きることはない。ほんわかしたアイドル映画と思って観たが、なかなかどうして→午前4時頃就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記