2024年06月10日

6月まとめ(1〜10日)


島耕二/京マチ子『新女性問答』、ピエール・モレル/ジョナサン・リース=マイヤーズ/ジョン・トラボルタ『パリより愛をこめて』、長谷川伸シリーズ(『町のいれずみ者』)、ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツ『Projection / The Complete Inspiration and Power Live / 『インスピレーション&パワー14』完全版』、ニュー・ディレクション(高柳昌行 & 阿部薫)『リアルジャズ』、高柳昌行アクションダイレクト『Dedicated To Mr. Tonoyama / 66th Regular Concert At JeanJean : July 24. 1989』、シャンタル・アケルマン『家からの手紙』、武蔵新城〈麺楽 軽波氏〉初訪問、須田さん墓参、横山隆一/瑞穂春海/笠置シヅ子/堺駿二『ペ子ちゃんとデン助』、池尻大橋〈つくしのこ〉再訪。

6月1日(土) 昼頃起床→アキ・カウリスマキ特集の感想まとめとか、連絡業務(クダラナのスポンサードの相談事)など→冷やし花巻月見たぬきそば(ちりめんじゃこ)→食後も同じ感じとギター練習→菊水堂ポテトチップス、クレソン新玉葱トマトのサラダ、ニンジンかき揚げ、茄子揚げ浸し、鯖塩焼き、ぶなしめじと油揚のおつけ、ご飯、キムチ納豆、ビール中瓶×2→夜9時過ぎ就寝。
6月2日(日) 深夜起床→『新女性問答』(監督:島耕二。京マチ子、滝花久子、川崎敬三、菅原謙二、矢島ひろ子、ジョー・オハラ、八木沢敏、船越英二、杉山峯子、進藤英太郎、大浜千鶴子、織井茂子、奥田宗広とブルー・スカイ、南方伸夫、泉静治、大塚弘、斎藤紫香。1955、大映東京)。企業乗っ取りや政略結婚などを背景に置きつつ、それらは物語のツマであって、お嬢さん専務の活躍の愛らしさや可笑しさを楽しんでもらおうという作品と見た。妹(大浜千鶴子)を政略結婚から救おうとする大阪の老舗繊維会社の専務の地位にある社長の娘(京マチ子)が、自分の女の魅力でもって政略結婚の相手である東京の新興繊維会社社長(船越英二)を誘惑する、という筋立てで、その「女の魅力」を発揮しようとする京マチ子がなんとも可愛らしさ爆発で、それだけでこの映画が成り立つと言いたくなるほど。船越英二や、京マチ子の会社の新入社員役の菅原謙二の可笑しさを湛えた芝居も見どころ。特に菅原謙二が放つオーストラリアをネタにした笑いは、当時は斬新だったろうし、今観ても絶妙な可笑しさがあった。京マチ子が溺れるふりをして湖に落ちるのにしっかり泳いでいたりとか、船越英二と最後の対決≠する際の和装がまるでくノ一風だったりとか、随所にいい塩梅の笑いが散りばめられていて、軽い味わいを楽しめるコメディであった。冒頭の無言劇は、物語全体に対してそれほど活きてないとは思ったが(それでちょいと長く感じた)、最後まで観てから思い返せば本作の味わいには合っているモダンな感じを醸し出していたと思う。拾い物であった。ところで1939年にも『新女性問答』という映画が撮られているが(監督:佐々木康。松竹)、こちらは原作に「斎藤良輔」のクレジットあり。話も弁護士を目指す女性を中心とした立場の異なる女性たちの物語なので、本作とは別物だろう→煮干し出汁殻唐揚げ、鴨燻製、金宮酎ハイ×2→午前4時半就寝→午前11時起床。白湯→『パリより愛をこめて』(原題『From Paris with Love』、原案:リュック・ベッソン、監督:ピエール・モレル。ジョナサン・リース=マイヤーズ、リチャード・ダーデン、カシア・スムトゥニアク、ジョン・トラボルタ、イン・ビング、シェムズ・ダマニ、アンバー・ローズ・レヴァ。2010、仏英米EuropaCorpほか製作/EuropaCorp. Distribution配給)。ひよっ子の優等生と百戦錬磨の型破りがコンビを組んで事件を解決に導く、という話なのでありきたりと言えばありきたりではあるが、ジョン・トラボルタが「百戦錬磨の型破り」の役でやたら強くて頼りになるという設定とジョン・トラボルタの芝居が可笑しく、それだけで最後まで楽しめる作品、という趣であった。「ひよっ子の優等生」を演じたジョナサン・リース=マイヤーズという役者のことはまったく知らなかったが(2005年の『エルヴィス』でエルヴィス・プレスリー役だったそうだが、それも観ていない)、ジョン・トラボルタの「百戦錬磨の型破り」をいい塩梅に引き立てていて、よい役者だと思った、ほかの出演作(1994年の『マン・オブ・ノー・インポータンス』以降40近い作品に携わっているようだ)も観てみたい→菊水堂ポテトチップス、グリル鮭缶(玉葱みじん切り、粉チーズ、トマトケチャップ)、トマトソテー(ニンニク、粉チーズ、あおさ海苔)、ぶなしめじと油揚のおつけ、鰹梅ご飯(ちりめんじゃこ)、海苔、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→午睡→風呂→『新女性問答』を再見しながら飲酒。鴨燻製、炒り卵(ちりめんじゃこ、かつ節、ニンニク)、ニンジン煮物(ニンニク)、グリル鮭缶(葱みじん切り、粉チーズ、トマトケチャップ)、きつねそば、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×3→夜0時過ぎ就寝。
6月3日(月) 朝7時起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ(揚げ玉)、鰹梅ご飯(ちりめんじゃこ)→〈中江クリニック〉受診。前回の血液検査の結果は、概ね問題なく、肝臓など非常にいい数値ですね≠ニのことだった。検査したのはひと月前、まだ〈下高井戸シネマ〉に徒歩日参する前でほとんど運動などしていない時期だったのに不思議だ。ただし尿酸値とγ-GTは基準値を超えていた→〈中華日和〉にて昼。餃子、アサリと青のりのつゆそば、ビール中瓶×1。ずっと以前(現在の場所に移転する前の駅南側にあったとき)、評判を聞いて訪ねてみたらうまいまずいよりも塩っぱいのが気になってそれ以来行っていなかったが、今日は優しい、というか練れた味わいでよかった。また訪ねてみよう→クスリ受け取り〈秀〉〈土井商店〉と買い物して帰宅→冷蔵庫の野菜室掃除→午睡→風呂→トマト赤ピーマンキャベツのサラダ、ひじき煮付け(ニンジン)、鮭中骨缶詰と海苔と新玉葱の酢の物、ぶっかけ月見稲庭うどん(揚げ玉、おろし生姜、胡麻油)→昨日は、夜酒を抜くつもりで昼飲んだのだが、午睡したらすっかり忘れ夜も飲んでしまった。本日はその失敗を繰り返さぬよう、夜は炭酸水のみで済ませた→夜10時就寝。
6月4日(火) 朝6時半起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、ねこまんま(ちりめんじゃこ、うずらの卵×2、胡麻油)、海苔→『長谷川伸シリーズ 町のいれずみ者』(原作:長谷川伸、監督:河野寿一。近藤正臣、河原崎建三、大原麗子、田坂都、富田仲次郎、藤岡重慶、北林早苗、左右田一平、波田久夫。ナレーター:小沢栄太郎。1972、NET/東映)。ヤクザ(藤岡重慶)の奸計によって島送りになったがとある手柄によって刑期より早めに帰ってきた若者(近藤正臣)が、暖かい家族(弟とその妻=河原崎建三、大原麗子)に見守られつつも世間からは偏見の目で見られ、最後には命を賭して自分の名誉を守るという簡潔な物語ながら、ヤクザに憧れる若者を利用するヤクザと大店の主人、利用された若者を無邪気に白い目で見る長屋の人々、頭から若者を疑いの目で見る十手持ち(富田仲次郎)、若者を信じて受け入れながらも暗い気持ちを隠せない弟、直感だけで若者を信じて優しくする若い女性(田坂都)、島から帰ってきた若者が関わるという偏見のある事件を公平な目で見ようとする役人(左右田一平)らの人情の機微を細やかに描くことによって、見応えのあるドラマとなっていたと思う。これは原作由来ではあるが、若者がヤクザに憧れながらも正義感を捨てていないという描写−−島抜けをしようとした浪人たちを取り押さえたことで景気が軽くなり、江戸に戻ってからはその浪人のひとりを見つけまた命がけで捉えようとする−−を軸にした物語の構成が鮮やかなのも、一時間に満たない本作に心捉えられる所以だろう。若者の元恋人(北林早苗)の心の動きがあまり描きこまれていないように思われたのが残念だが、それ以外の主要な配役−−近藤正臣、河原崎建三、大原麗子、田坂都、左右田一平−−の芝居もよかった→続いて『一本刀土俵入』も観たが、今週の放映は前編のみだった→ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツ『Projection / The Complete Inspiration and Power Live / 『インスピレーション&パワー14』完全版』を改めて鑑賞(先月末製品盤を送っていただいていたので)。生々しいまでの途轍もない生命力に改めて驚嘆。土の地面を数ヶ月放置していて気がつくと取り返しがつかないくらいに植物が繁茂しているというような暴力性も想起させられた。その生命は演奏開始後概ね20分くらいで頂点に達し、そのあとは少しも力を緩めず、どこまでも増幅して渦巻いていく(音量や圧が多少下がったと感じるところはあるが、弛緩はない)。わざわざ集中力を保とうとしなくても耳が勝手に音のほうを向き続けて、身体が震え、由来のわからない笑いすら込み上げてくる。もっと若い時期に聴いたら、性的興奮すら覚えていたかもしれない。そして、その生命の力≠ェ「音量もバラバラで、一方のチャンネルが著しく音量が小さくなっていることも」あるような「途中で切れたり、途中から始まっている断片」から修復・再生されたという認識も、本CDを体験する上で重要と思う(「」内は、修復に当たった大友良英によるライナーノーツの文章より引用)。1973年に行われたこのもの凄い演奏と、それを修復・再生した気の遠くなるような(と推察される)作業とは、表現の方法や技術としてはむろん異なるものの、価値としては同等のものであると言うべきかもしれないと思った→昼は老父の用事(通帳記帳など)がてら、今月で店仕舞いすると聞いたまだ未訪のジンギスカン屋〈羊をめぐる旅〉にて、ジンギスカンセット(オーストラリア産肩ロースとランプ3枚ずつ・お野菜・小鉢・スープ・ライス(小))、グラスビール×1。肉はよいものだったが、我が家は家でもできると思うと1,480円は割高に思えるし、もうすぐ食べ終わるというときに空いた皿を下げにくるのも落ち着かなくて癪である。昼食としては満足したが、閉店までにもう一度はないな→セブン-イレブンに寄って、〈Tower Records〉に注文してあった富樫雅彦『RINGS』受け取り帰宅→ニュー・ディレクション(高柳昌行 & 阿部薫)『リアルジャズ』も製品盤にて改めて鑑賞。こちらのほうは『Projection / The Complete Inspiration and Power Live / 『インスピレーション&パワー14』完全版』と比べると人様に読んでほしいような言葉がすらすらと出てこなかったが、ただただものすごい対話だな≠ニ感じた。これくらい手応えのある対話≠ヘ、もはや文学≠竍思想≠ニいう分野では生まれ得ないのではかろうかと、根拠もなく思った(音楽では今でもこういう対話≠フ場に出会うことができるのだが)。そして程度のよくない(いや著しく悪いと言わねばならないかもしれない)元の音源をここまでにしたエンジニアの苦労が偲ばれる。ここで繰り広げられる演奏そのものは聴く人それぞれがそれぞれの感想を得るしかないが、製品≠ニして完成させたエンジニアの存在には必ず思いを馳せてもらいたいものと思う→そして特典ディスク(先の二枚を同時購入の場合)の高柳昌行アクションダイレクト『Dedicated To Mr. Tonoyama / 66th Regular Concert At JeanJean : July 24. 1989』もものすごかったな。ただこれは音質の関係か、演奏の場で聴きたかった→『家からの手紙』(原題『News from home』、監督:シャンタル・アケルマン。声:シャンタル・アケルマン。1976、仏白Paradise Films製作)。ベルギーからニューヨークに渡って映画の勉強をしていた若きシャンタル・アケルマンが、ニューヨークの風景を撮影し編集した映像に、母親からの手紙のシャンタル自身による朗読を乗せた≠ニいう態の映画で、その前提で観たとしても、冒頭のクルマの動きが微妙に変だったり(道路が悪いだけかもしれないが)、ある程度時間が経つまでまったく人気のない町ばかり映していたり、母親からの手紙がなぜあなたは返事をくれないのか≠ニいう内容が多かったり、とつぜんけっこうな長さのほぼ無音の映像が流れたり、終幕の船がマンハッタンを離れていく映像がこれまた異様に遅い速度・長さだったり、解釈に困るような作品ではある。なんとか解釈を試みようと、たとえばシャンタルはこの映画を撮るために、わざわざ母親に返事をあまり出さないようにして、母親からの哀訴に満ちた頼りを引き出したのではないか≠ニか、「終幕」の異様な長さは自身が母親から心離れていく様を表現してみたのか、などと邪推はしてみたが、それでも訳がわからない。本作の紹介などを検索してみても、「初短編『街をぶっ飛ばせ』を手がけた後に渡米したシャンタル・アケルマン監督が、ニューヨークの街並みを映しながら、母からの手紙を朗読。寂しげな異国の風景と娘を想う母の気持ちがマッチした映像詩」(ザ・シネマ https://cineclub.thecinema.jp/videos/86dc8741-110a-4b7f-b65b-34fde946f383?gad_source=1&gclid=Cj0KCQjw9vqyBhCKARIsAIIcLMHUo1bE7fWhsbR8XbBGK96wcZfR8m0OAefQ_neLNtxdZajG0PK2D9saAhVQEALw_wcB# )だったり、「都会の寂しさと、遠く離れた家族の距離がエレガントな情感を持って横たわる映画という手紙」(キネマ旬報WEB https://www.kinejun.com/cinema/view/98066 )、これまたよくわからない。そして英語版Wikipediaには1971年、21歳だったシャンタル・アケルマンはニューヨークに移り住み映画を作った。本作の撮影は彼女がベルギーに戻り1975年の『ジャンヌ・ディエルマン〜』で批評的成功を収めたのちに行われた≠ニあって、製作の時系列すらよくわからなくなってくる(音声も撮影時に録音されたものではなくあとから追加されたそうだ)。よくわからないと言えば、ニューヨークの住所を示すような看板やバスの行き先表示には日本語字幕がつくのだが、これもなんとなくはわかるものの、日本(外国)での公開に当たってそういう指示があったのかなども不明である(さらに言えば、「母親からの手紙のシャンタル自身による朗読を乗せた≠ニいう態」ではあるものの、原題は「Letters」ではなく『News from home』なのも、考察の余地があると思われる)。それでいて、何も考えずに絵を眺めているとその美しさに心捉えられたりする。もう少しちゃんと調べたり考えたりすれば多少は正解に近づくのかもしれないが、今のところはなんとも不思議な作品であり、不思議な映画作家であるというところに落ち着くほかはない、という状況である(まだ理解は及ばないが、スターチャンネル通信の記事 https://www.star-ch.jp/contents/special_article/164 は参考になりそうなので、URLをメモとして残しておく)おやつに菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→午睡→枝豆、ひじき煮付け、手巻き寿司(鰯、鰹叩き、キムチ納豆、紫蘇)、なめこ汁(油揚)→風呂→午前1時過ぎ就寝。本日も夜は飲酒なしで終わった。
6月5日(水) 朝6時起床。白湯。やはり夜飲まないと朝調子がよい。当たり前か→なめこ汁(揚げ玉)、卵かけご飯(ちりめんじゃこ、塩昆布)→朝7:50頃クルマで出立し、午前中一杯、車椅子押して老父の外受診療付き添い(杏林)。血液検査も心電図も退院直後と変わりなく全体的には良好。心音も問題なし。脚のむくみは劇的な改善策はどうもなさそうで、結局のところはいろいろ様子見ながら、ということのようだ→〈松本楼〉にて昼。スパゲティナポリタン。父は天ざるうどんを平らげていた。食欲に関してはもう心配はないようだ→車椅子押して父を住居まで送り、ガソリン補給して昼過ぎ帰宅→天気がいいので洗濯→『特別編必殺仕事人 恐怖の大仕事 水戸・尾張・紀伊』(脚本:野上龍雄/大津一郎/筒井ともみ、監督:工藤栄一。中村主水、菅井きん、白木万理、中条きよし、鮎川いずみ、三島ゆり子、伊吹吾郎、三田村邦彦、西川のりお、上方よしお、小林かおり、冨田浩太郎、田中典膳、御木本伸介、横山やすし、フランキー堺、岡田英次、芝本正、京マチ子、岡八郎、花紀京、西郷輝彦、松尾嘉代。ナレーター:園佳也子。1981、朝日放送、松竹製作/テレビ朝日系列放送)。「必殺シリーズ」の長時間スペシャル第一弾、水戸・尾張・紀伊の御三家に対する仕事≠ニいう筋立てはスケールが大きく、また本作直後の『必殺仕舞人』の元締・坂東京山(京マチ子)が本編に先駆けて登場するなど話題性は高いし、仕掛けも絵造りも「必殺シリーズ」らしい出来栄えではあるし、今回の「仕事」が判明する前半や中条きよし、岡田英次が登場する中盤辺りまでの緊張感もなかなかなのだが、製作当時の漫才ブームに乗ろうとして中途半端に終わった所為か(横山やすし、西川のりお/上方よしおなどが登場)、途中から間延び、水増しの印象があり、無理に2時間弱にしなくてもよかったのになと、いささか退屈してしまった。中村主水が主役の「必殺シリーズ」に於いての笑い≠ヘ中村主水(藤田まこと)、りつ(白木万理)、せん(菅井きん)が担えばいいのではないかと思わせられる一作だったが、まあ当時の流行(漫才ブーム)を取り入れようとして企画倒れになったのかもしれないし、そういえば笑福亭鶴瓶(必殺まっしぐら!)や斉藤清六(必殺橋掛人)などの失敗例もあったなあと思い出した。記念すべき長時間スペシャル第一弾ではあるが、再見はないかな→菊水堂ポテトチップス、鰹ソテー乗せサラダ(キャベツ、枝豆、赤ピーマン、トマト、玉葱、胡麻油、オリーブ油、酢、胡椒、粉チーズ)、豚肩ロースニンジン葱潰しニンニクの煮物、冷やし山かけそば(刻み葱、うずらの卵×2、もみ海苔)、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×2→午睡→O形サイト更新(絵日記)→風呂→『にっぽん泥棒物語』(監督:山本薩夫。三國連太郎、杉狂児、田川恒夫、花澤徳衛、北林谷栄、緑魔子、市原悦子、今井健二、伊藤雄之助、江原真二郎、鈴木瑞穂、西村晃、佐久間良子、五月藤江、山本勝、加藤嘉、室田日出男、千葉真一、加藤武、永井智雄。1965、東映)。第二次世界大戦後、喰うために<jセ歯医者や泥棒(土蔵破り)となりその方面で才能を発揮した男・林田義助(三國連太郎)が、土蔵破りの犯行途中にたまたま目撃した松川事件(本作内では杉山事件)について法廷で証言することで、杉山事件の犯人と目されていた三人(木村信=鈴木瑞穂など)の冤罪を晴らす。そこで映画は終わるが、義助の法廷での証言からは、義助が次第に考える人≠ニして成長していく様が伺えてくる−− といった映画と受け止めた。とはいえ、主演の義助役の三國連太郎はじめ土蔵破り仲間たちや母親役の北林谷栄、故買屋役の花澤徳衛、義助を取り調べる(そして杉山事件に関しては騙し討ちにする)刑事役の伊藤雄之助らの東北弁が真に迫りすぎていて、そうした理解に至るには少々骨が折れた(『にっぽん泥棒物語』という題名が、松川事件が絡んでくることをまったく想像させないということもある)。特に序盤はまったく話についていけずいささか困ったのだが、義助が旅先でねんごろになり娶った藝者として市原悦子が登場して劇中の空気を変えるのはさすが。その後伊藤雄之助、終盤の裁判の場面に向けて加藤嘉、室田日出男、千葉真一、加藤武が登場するに至って、映画の愉しみ≠ニ言っていいような展開となり引き込まれていくうちに、「そうした理解に至」った次第。特に法廷でのやり取り(義助と伊藤雄之助や検事=加藤武)が、義助が至って真面目に答弁しているのに笑いの渦が次第に大きくなる展開は見事と思った。なお「〜義助の法廷での証言からは、義助が次第に考える人≠ニして成長していく〜」というのは私個人の感想で、映画がそれを描くことを主眼していたかどうかはわからないが、劇中の杉山事件に関してはそのモデルとなった松川事件の報告書である松川事件対策協議会・松川運動史編纂委員会編「松川十五年 真実の勝利のために」を忠実に援用し、劇中に組み立てているそうだ→午前2時就寝。
6月6日(木) 朝7時半起床。白湯→なめこ汁(揚げ玉)、ご飯(ちりめんじゃこ)、温泉卵、キムチ納豆→昨日の『伝七捕物帳』見てから経堂駅前に出て、〈スパイスワラ〉にて不足スパイス購入し、ついでに〈オオゼキ〉にてスパゲティの在庫補充分とニンニクとレモンを購入→風呂→菊水堂ポテトチップス、きつねスパゲティどんこニンニク入り、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→晩の支度しながら『火曜サスペンス劇場 掏摸 女の敵を許すな! 男はサビついた黄金の指の復活に、すべてをかけた』(原作:和久峻三『掏摸男の危険な恋』、監督:杉村六郎。藤田まこと、南美江、平田満、平泉成、山口裕子、長山藍子、近藤正臣、金子研三(木樽研三)、あき竹城、根岸季衣、二宮さよ子、山口美也子、福田豊土、遠藤征慈、渥美國泰(渥美国泰)、麻丘めぐみ。1993、NTV)。映画かな? と勘違いして録画。見始めてすぐに勘違いに気付いてからは、他の用事に手をつけてしまい、ほとんど真剣に観なかった。感想などを記すには要再見だが、このぐらいの時期まではTVで何気なく見るようなドラマでも、配役という意味では(今となっては)贅沢ができたなあと改めて思った。クレジットによれば東京太が出ているそうだが、これも見逃したのでやはり要再見→午睡→豚肩ロースと戻しどんこのカレーライス(小皿×2)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→夜10時頃就寝。
6月7日(金) 朝6時半起床。白湯→なめこ汁(揚げ玉)、豚肩ロースと戻しどんこのカレーライス(小皿)、目玉焼き→須田さんの墓参に伺おうと思い立ち、昼頃出立。途中、〈Day Drip Coffee〉の前を通ったら店主にばったりお会いしたのでご挨拶→出かける前に調べてみたら〈カルパシ〉の新業態のラーメン店が途中にあるとわかり、まずは武蔵新城駅近くの〈麺楽 軽波氏〉にて昼。鶏醤油、マトンわんたん。醤油は私にとってはこれこれ、という醤油ラーメンで、プラス、スープにも、あるいは二種類の焼豚(「インド産カシアシナモン使用の華やか豚バラチャーシュー」「低音でじっくり火入れしたしっとりローストポーク」)にも、〈カルパシ〉ならではの行き届いた心を感じ(もう一軒、千歳船橋のラーメン店〈MAIKAGURA〉出身の方が携わっているそうだが、そちらは未訪なので、〈MAIKAGURA〉との関連性はまた後日)。そしてマトンわんたんを一口齧ったら、ああこれはここでしか味わえないラーメンだなと納得。今のところ面白味が奈辺かわからない土地だが、クルマだと30分程度だし道も簡単なので、他のスープ(淡麗煮干し鶏醤油 、強煮干し鶏醤油 、柚子鶏白湯)やカレー、アチャールなども試しに行ってみたいと思う→さらにクルマで5分ほど南下し、須田さんの眠る〈安楽寺〉へ。となりの〈いなげや〉で花と線香を求め、お寺の駐車場にもすんなり。様子はわかったので、またときおり伺おう→帰途もすいすい→世田谷通り沿いの〈サミット〉で買い物ののち、〈Day Drip Coffee〉にて珈琲休憩。店主も須田さんのお通夜にいらしてたそうで、当夜の経堂周辺の様子などを語り合う→昨夜録画しておいたNHK『SONGS』の「新しい学校のリーダーズ 〜個性で "はみ出す" 4人の素顔〜」を見ながらビール中瓶×1。やはりこのグループはいいな。ただ、振り付けも演出も四人で考えているとのことだが、音作りや運営、あるいはいわゆるコンセプト・メイキングには大人≠煌ヨわっていると思われるので(偏見ではあろうが、二十代の若者としては表現や運営への心配りが細かいところまで行き届きすぎていると思う)、その辺をもっと掘り下げてほしいなと思った(もちろんこの番組でなくてもよいので)。あと旧芸能界≠フ人たちがすでにすりよってるのだなあとか→風呂→『伝七捕物帳』見ながら、菊水堂ポテトチップス、鰯ワタ焼き、煮干し出汁殻醤油煮、枝豆、豚肩ロースと戻しどんこのカレーライス(小皿。ジーラライス)、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×1→夜10時頃就寝。
6月8日(土) 朝5時起床。白湯→なめこ汁、豚肩ロースと戻しどんこのカレー、焼き飯(卵、ちりめんじゃこ)→早起きしすぎたからか、食後眠くなり一時間ほど横臥→読書→『ボクサー』(監督:寺山修司。白井義男、郡司信夫、具志堅用高、菅原文太、清水健太郎、小沢昭一、佐々田季司、サルバドール・タリ、鈴木ヤスシ、蘭妖子、亀淵友香、伊佐山ひろ子、新高恵子、大泉滉、若松武、久地明、ガッツ石松、唐十郎、春川ますみ、田井中浪子、地引かづさ、名和宏、ファイティング原田、海老原博幸、柴田国明、西城正三、輪島功一、根本豊、夏樹陽子。1977、東映)。クレジットにはないが、菅原文太が企画した、寺山修司としては唯一の商業映画であり、大手で撮った映画だそうだ(そして力石徹の葬儀≠フ七年後の作品)。「大手で撮った」「商業映画」ということもあり、劇中の食堂に集う常連客たちこそ天井桟敷の面々はじめクセのある役者が集まっているし、天井桟敷的な?絵造りも見られるものの(終盤のあんな場所にあんな風に佇む電話ボックスはない!≠ニ叫びたくなる場面は印象に残る)、それほどケレン味のないただカッコいい絵も多いし、スポ根青春映画としてとてもよくできた作品と思う(エグい%W開もあるにせよ)。日本のボクサーの人生の顛末が延々と語られる、悲惨のにおいのする部分もあるが、そういうスパイス≠煌ワめ、とてもいい塩梅に作り上げられた一本と思う。ただし、寺山修司の映画≠ニ思って観進めていると、そのいい塩梅に作り上げられた≠ニいう部分にもどかしさのようなものを覚えないでもない。その辺りは、鑑賞に臨む態度を定めるのがなかなか難しい映画と思った→カレーパン、菊水堂ポテトチップス、オイルサーディンとトマト(クレソン茎オイル漬け、粉チーズ)、冷やしたぬきそば(紫蘇、うずらの卵×2)、ビール中瓶×2→午睡→風呂→『真実の瞬間(とき)』(原題『Guilty by Suspicion』、監督:アーウィン・ウィンクラー。クリス・クーパー、サム・ワナメイカー、ゲイラード・サーテイン、ジョージ・ウェント、ロバート・デ・ニーロ、パトリシア・ウェティグ、マーティン・スコセッシ、バリー・プリマス、ルーク・エドワーズ、アネット・ベニング、ベン・ピアッツァ、ジーン・カークウッド、トム・サイズモア、スチュアート・マーゴリン、ロクサン・ドーソン、アダム・ボールドウィン、ケヴィン・ペイジ、アル・ルシオ。1991、米Chartoff-Winkler Productions製作/Warner Bros.配給)。1940年代後半から吹き荒れたハリウッドの赤狩り=iマッカーシズム)を描いた作品。冒頭に「1947年 米国下院の非米活動委員会はハリウッドに赤狩りの手を伸ばした/委員会への協力を拒否する者は告訴されて実刑判決を言い渡され/最高裁も彼らの上告を/取り上げようとしなかった/また委員会の公開・非公開の席に喚問され/証言を求められた者は/共産党員と思われる友人・知人の/名を挙げぬ限り/仕事に就くことができなかった」と字幕で状況を説明したのち、赤狩り≠ノ反抗した映画監督デヴィッド・メリル(ロバート・デ・ニーロ。実在の映画監督ジョン・ベリーがモデル)を中心に、ハリウッドで仕事を追われたり密告したりなどなどの当時の悲惨で混乱した様子を綴っていく。ブルース・クック原作のジョン・ローチ監督作『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』が話題になったのも記憶に新しいが、遡ること四半世紀前に同じ問題を採り上げた映画があったとは、不勉強にして知らなかった。ハリウッドの赤狩り≠フ実態を知るという点では貴重な映画ではあろうが、資料的にきちんとしている分、謎の提示に引き込まれるというようなことはなかった。とはいえしっかり作られたいい映画とは思う。なお原題は「疑わしきは有罪」といったような意味であるが、推定無罪≠ニいう考え方が当時はなかったのだなと思ったのであるが、実際には果たして→菊水堂ポテトチップス、キャベツ千切り(ちりめんじゃこ、オリーブ油、酢、黒胡椒、粉チーズ)、カレー納豆オムレツ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→夜11時半過ぎ就寝。
6月9日(日) 朝8時起床。白湯→ 豚肩ロースと戻しどんこのカレーライス(うずらの卵×2、小皿×2)、金宮酎ハイ×2→『薩陀峠の対決』(原作:行友李風『修羅八荒』、監督:山崎大助。八代万智子、近衛十四郎、徳大寺伸、稲垣美穂子、東千代之介、里見浩太朗、小柴幹治、尾上鯉之助、堀正夫、原健策、木内三枝子(三島ゆり子)、富永佳代、香川良介、立川さゆり。1962、東映)。とある一夜、京二条城の御金蔵から何者かによって四千両が奪われた。偶然、二条城勤務の同僚である尺八の名手浅香恵之助(東千代之介)が気に喰わぬ三輪与一郎(小柴幹治)が、酒の勢いで浅香恵之助に表へ出ろ≠ニ喧嘩を売り自分が先に雨の中外に出たところ、四千両強奪の賊とばったり出会い斬り殺される。与一郎殺害の疑いをかけられた浅香は、たまたま賊が落とした印籠を拾ったこともあり、四千両の行方を追いかつ与一郎殺害の汚名を晴らすために単身江戸へと向かう−− というのが発端で、四千両強奪は実は松平安芸守(香川良介)が裏で糸を引き二条城の蔵頭堀内(原健策)を動かしていたと最後にわかるのだが、この松平安芸守があの松平安芸守(浅野光晟。赤穂浅野家の親戚で「忠臣蔵」の主要な関係者)かどうかがひっかかる。本作の物語の時代が判然としないが(原作を読めばわかるのだろうが)、もしあの松平安芸守だとすれば「忠臣蔵」のあとだろうけれども、しかしそういう史実はないようである。まあそれはともかく、賊の首領たる陣場弥十郎(近衛十四郎)と浅香恵之助の「薩陀峠の対決」が(題名にもなっているわけだから)一番の見せ場のはずだが、ここは割とあっけない。その直前(だったと思うが)、浅香恵之助を慕って江戸から京に上り、また江戸へと行く浅香恵之助を追いかけてきた江戸節お駒(八代万智子)が屋外で弾く三味線と座敷で吹く浅香恵之助の尺八の息がぴったり合う場面のほうが、よほど印象に残る(そのときの八代万智子の表情が素晴らしい)。江戸に着いてからもなにかピリッとしないが、芝金蔵院での陣場弥十郎・浅香恵之助・三輪滝太郎(冒頭で殺される三輪与一郎の弟。里見浩太朗)と松平安芸守配下たちとの立ち回りはさすがに見事。そして終幕、息を引き取った鏡月院(陣場弥十郎配下の女。稲垣美穂子)と陣場弥十郎が小舟に乗せられまるで補陀落渡海のように沖に流されていく絵は感動的ではあるが−− しかし特に何か特別な手応えを感じることはなかった一本ではあった。やはり最も印象に残ったのは、「屋外で弾く三味線と座敷で吹く(略)尺八の息がぴったり合う場面」かな→『ピザ 死霊館へのデリバリー』(原題『Pizza』、監督:カールティク・スッバラージ。ヴィジャイ・セードゥパティ、レミヤ・ナンビーサン、ウィーラ・サンタナム、カルナカラン、アードゥカラム・ナレン、ジャヤクマール、レカー・スレッシュ、プージャー・ラーマチャンドラン、ジョイ・バドラニ。2012、印Thirukumaran Entertainment製作/Sangam Films配給)。主人公はピザ屋の配達員なのだが、日本人からするとなぜピザ屋≠ニ思ってしまうものの、まあそれは偏見というものだろう。むしろなぜピザ屋の配達員≠ニいう疑問のほうがまだ正しいだろうが、おそらく結婚したい(しなければならない)状況にあるが満足に稼げる仕事に就いていない≠ニいう象徴として、ピザ屋の配達員という立場が選ばれたのではなかろうかと思う。インド映画ということで、設定についてそれだけ思考を巡らせなければならないというのはやはり偏見であろうとは思うが(あるいはインド人にとっての幽霊とは何か、という単純な疑問とか)、逆に言えば、こうした偏見≠他の国で撮られた映画でも(設定を理解するという文脈で)働かせてもよいのではなかろうかな(何も考えずに受け入れてしまうのは怠慢ではないかな)と思った。で、1)ピザ屋の配達員が結婚せざるを得ない状況になり、2)配達先で恐怖体験をして、3)それには一応伏線があって、で、4)その裏に1と関連したちょっとした陰謀というか誤魔化しというかがあり、5)それがうまく運びそうになったところでどんでん返しがある、というなかなか凝った(いやそうでもないか)筋立てではあるのだが、肝心の2と5があまり怖くないので、観終わって結局、なぜピザ屋∞なぜピザ屋の配達員≠ニいう設定への疑問へと立ち戻ってしまうのであった。2から4への展開がなかなか緻密だっただけに残念。ちなみに本作はヒンディー語ではなくタミル語作品で、言語圏としてはインド最南部の東側に位置するタミル・ナード州(州都はチェンナイ=旧マドラス)だから(映画内の台詞でも隣に位置するケーララ州が出てくる)、その地域の文化を知ることも、なぜピザ屋∞なぜピザ屋の配達員≠煌ワめ本作での恐怖のあり方等々への理解に必要なのかもしれないとは思った。なおちなみに、本作は2014年、監督アクシャイ・アッキネーニによってヒンディー語映画としてリメイクされている(ベンガル語によるリメイクもあるそうだ)→菊水堂ポテトチップス、冷やしとろろうどん(揚げ玉、うずらの卵×1、刻み海苔)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→午睡→→午睡→夕方ちょいと〈さばのゆ〉に出かけ一杯やろうかなと思ったところに夕立来て気持ちが萎え、外出取りやめ→『ペ子ちゃんとデン助』(原作:横山隆一、監督:瑞穂春海。堺駿二、殿山泰司、笠置シヅ子、横尾泥海男、中川健三、青木放屁、日守新一、吉川満子、高木敬子、紅あけみ、服部リズム・シスターズ−山本輝子・和子−、高倉敏、高屋朗、河村黎吉、岡村文子、沢村貞子、安部徹。1950、松竹)。本作の企画の背景はまったくわからないが、横山隆一『ペ子ちゃん』の連載が1948年11月22日から1949年11月30日まで、『デンスケ』の連載が1949年12月1日から1955年12月31日まで(共に毎日新聞)、また『フクちゃん』もまだ朝日新聞にて連載中で(1936年10月1日から1971年5月31日まで)ペ子ちゃんやデンスケも登場しているそうだから、漫画の人気にあやかって実写映画を作ろう、人気俳優とコメディアンを集めて、主人公は当代人気歌手の笠置シヅ子で行こう、という感じではなかったろうかと推察される。笠置シヅ子は『東京ブギウギ』を1948年に発表した直後のブギウギ期真っ最中だし、本作の主題歌『ペ子ちゃんセレナーデ』や挿入歌『買物ブギ』が本作公開と同じ1950年だから、それほど間違った推察でもないとは思う。映画の設定や筋立て、雰囲気は(細部は違うし映画オリジナルの部分はあろうが)横山隆一の原作そのものと思われるような朗らかで呑気でいたずらはあっても毒っ気のほとんどない笑いに溢れているが、人間が演じているなりの人間臭さや体温が感じられるのが実写化としていい塩梅ではある。喜劇映画として優れていたり特異だったりするわけではないが、こういう映画が普通に日常にあるのはよいことだと思う(今はこういう映画やTVドラマが足りないとも思った)。堺駿二が序盤で拾った犬とずっと一緒にいて、終幕でペ子ちゃんに振られて犬を抱いてとぼとぼと去っていく姿は、チャップリン映画のようなペーソスを出してみたかったのだろうが、これも嫌味がなくよかった(それでしみじみ終わると思いきや『買物ブギ』をもう一度聴かせるという演出が効いていたのもあるが)。ああ『買物ブギ』といえば、この放送では「つんぼ」「めくら」まできちんと流していた。この時代としては悪意はなかったろうし、私個人としては不快感はまったくないが、歌詞の中の役割としては「つんぼ」「めくら」を笑いとして用いているので、やはり普通には(地上波とか映画館での上映とか)流せないだろうな。ホームドラマチャンネルという(誰も観ていないだろう−−失礼!)放送だからこそだったかもしれない→ジャガイモ薄切りソテー、ゴーヤチャンプルー、アーティチョーク油漬け、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×3→『水色の恋』の伴奏音源をちょっといじったり、合わせてギター録音してみたり。明日のレッスン用にはひとまず音源はこれで、あとはiPhoneへの送信とギターアンプで鳴らした際のバランスの確認か→寝ようとしたらO形がかなりの腹痛を訴え心配したが、そのうちスヤスヤ眠っていた。午前2時頃就寝。
6月10日(月) 朝8時起床。白湯→ わかめと油揚のおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯(塩昆布、かつぶし、胡麻油)、海苔→『ペ子ちゃんとデン助』復習→風呂→冷やしたぬきそば(うずらの卵×2)→『水色の恋』のオケ、Bパートにも12弦ギター入れたりして、ひとまず完了。打楽器に生音(当り鉦とか)入れたかったが、今回ので行ってみてまたいろいろ考えよう。iPhoneで音源鳴らしてアンプのAUX INから入力も問題なし→iPhone落として画面のガラス割れ。直せば使えるが、メモアプリでの文字入力に難が出てきてたりするしそろそろ買い替えどきかとSEを注文→夕方宮の坂まで歩いて世田谷線で三軒茶屋、池尻大橋まで歩いて、K丸さんよりおお誘いいただいた〈つくしのこ〉再訪。K丸ご夫妻と会食。色々楽しい会話が弾むのはいつものことだが、ご主人が音楽好きで高柳昌行と阿部薫の話まで出たので驚いた。ポテトサラダ、枝豆、水茄子、刺身盛り合わせ、ニシン塩焼き、もつ鍋、御酒多数→往路と同じ道程で帰宅→シャワー浴びて就寝。午前1時頃就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記