2024年06月30日

6月まとめ(21〜30日)


ロバート・ハートリング原作/ハーバート・ロス『マグノリアの花たち』、そんぽの家懇談会、「生方ノリタカ(A.K.A NORI UBUKATA)THÉRÉSYN(テルミン超進化形=テレシン)お披露目LIVE」 於下北沢〈風知空知〉、ひさびさのGiulietta Machine 於西荻窪〈アケタの店〉、最後の〈GENT&HONEY〉、佐分利信『愛情の決算』、玉川奈々福「奈々福、独演。銀座でうなる、銀座がうなる 浪花節で三十年 記念の会」 於〈観世能楽堂〉。

6月21日(金) 朝10時起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、ちりめんじゃこご飯(胡麻油、醤油、うずらの卵×2、青海苔)→ギター練習。「水色の恋」のBパートでギターにオブリガードを織り込む方法を模索(伴奏音源制作で一応完成とした部分)。解決は見たが、流れるように弾けるまでになるのはまだまだ→冷やし茄子天そば(うずらの卵×2、刻み葱)→フランス語修正確認→O形サイト更新(絵日記)→『マグノリアの花たち』(原題『Steel Magnolias』、原作:ロバート・ハートリング、監督:ハーバート・ロス。ダリル・ハンナ、トム・スケリット、ジュリア・ロバーツ、サリー・フィールド、ドリー・パートン、サム・シェパード、オリンピア・デュカキス、ディラン・マクダーモット、シャーリー・マクレーン、アン・ウェッジワース、ビル・マッカチオン。1989、米TriStar Pictures)。冒頭は一見ゴチャゴチャしているように感じるが、その町にやってきたアネル(ダリル・ハンナ)の戸惑い、結婚パーティ当日を迎えたイーテントン家(サリー・フィールド、ジュリア・ロバーツ、トム・スケリット)の混乱、落ち着いた朝を迎えたトルーヴィ美容室(ドリー・パートン、サム・シェパード)をほとんど何の説明もなく描きつつ、そこに常連客(オリンピア・デュカキス)とイーテントン家の女性がやってきて、イーテントン家の主人と仲の悪い?未亡人ウィザー(シャーリー・マクレーン)も現れて、自然に物語の中の人間関係がすっと飲み込めるように設計されている点に感心した。物語の山場はイーテントン家の娘シェルビーが糖尿病を患っており子供を産んではならない身体ながら結婚、出産の道を選び、そして命を落とすという流れだが、その周囲で進んでいく女たちの日常や次第に結束が固まっていく様子が、日常をそのまま写し取ったようでいて、気がつくと観る者を惹きつける魅力を放っているようなところが、しみじみいいなと思った。原作の戯曲は完全に女性だけの会話劇とのことなので、そちらもいつか鑑賞してみたい→菊水堂ポテトチップス、豆カレー(粉チーズ)、鮭缶(青海苔、黒胡椒、塩)、炒り卵(青葱、ニンニク、トマトケチャップ)、ビール中瓶×3、金宮酎ハイ(レモン)×2→夜9時就寝。
6月22日(土) 朝6時起床。白湯→シャワー→ぶなしめじと油揚のおつけ、ご飯、キムチ納豆、海苔→行きがけに〈サミット〉にて老父に頼まれた買い物→30分ほど早く老父宅到着。懇談会の会場も準備がまだのようなので、エレベーター前のベンチで待つ→懇談会は例年通りの、のらりくらりとした要領を得ないものだった。資料も説明も丁寧ではあるのだが、肝心のところとか、そこを明確にしないか? というところは(受け手側としては巧妙にとも思う)隠したりぼかしたりしている。しかし以前は他の入居者のことも考えいろいろ問い糺したりもしたのだが、もうそういう意欲はほとんどなくなってしまった。今回「介護外サービス」というのが新たに設けられ30分2,750円かかるというのだが、毎月家賃などと一緒に支払っている「生活支援サービス費」とはどう区別するのか。以前だったら質問するところだが、結局のところ老父の用事は私が片付ければ済むのであって、「生活支援サービス費」の問題は未だ残るが、実質的には何も変わらないのである→〈なかじょう〉にて老父とO形とうどん食べて(ぶっかけうどん、イカ天、ナス天)帰宅→午睡はさみ、深夜まで飲酒。菊水堂ポテトチップス、海苔巻き煎餅、水茄子浅漬け、鯵たたき(おろし生姜、紫蘇)、ビール中瓶×1.5、金宮蕎麦茶割り×5→午前1時就寝。
6月23日(日) 朝9時半起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、ご飯(キムチ納豆、ちりめんじゃこ)、海苔→『若さま捕物手帖』前後編をはさんで豆カレー、冷やしなめこそば(油揚、刻み海苔)、ビール350ml缶×2→『若さま侍捕物手帳 地獄の皿屋敷』(原作:城昌幸『若さま侍捕物手帖 双色渦巻』、監督:深田金之助。清川荘司、團徳麿、星十郎、横山エンタツ、原健策、朝雲照代、圓山榮子、水野浩、山手弘、大川橋蔵、星美智子、時田一男、高松錦之助、有馬宏治、加賀邦男、長谷川裕見子、東宮秀樹。1956、東映)→『若さま侍捕物手帖 べらんめえ活人剣』(原作:城昌幸『若さま侍捕物手帖 双色渦紋』、監督:深田金之助。大川橋蔵、星十郎、横山エンタツ、加賀邦男、星美智子、原健策、中野市女蔵、矢奈木邦二郎、高松錦之助、長谷川裕見子、東宮秀樹、圓山榮子、山手弘、朝雲照代、熊谷武、山口勇。1956、東映)。二本でひとつの物語で、『地獄の皿屋敷』が前編、『べらんめえ活人剣』が後編に当たる。印象に残ったのは前半での若さま=i大川橋蔵)の台詞「決まってるじゃねえか、いい酒あるところ、必ず若さまありさ」と、後半の大詰め、横川出羽守(加賀邦男)の屋敷にて本作の肝となる「呉須の皿」をラグビーボールのように投げたり受けたりの大立ち回り、そしてその大立ち回りの中で「般若面」の正体が「呉須の皿」の持ち主山岡帯刀(高松錦之助)の娘小百合(長谷川裕見子)であるとわかる当たりか。あとは全て解決してからの若さま≠ニお糸(星美智子)のツンデレ展開かな。愛しい女を従えながら日がな一日のんびり飲んでいる若侍が、実は葵の御紋を背負っていて、ひとたび事あらば首を突っ込み見事に解決する、という話は珍しいものではないが、しかし文句のつけようのない明朗時代劇と思う。ところで『若さま侍捕物手帖』の映像化についてとつぜん気になり調べてみたところ、映画化は新東宝、東映合わせて13本(第一作と第二作の『地獄の皿屋敷』『べらんめえ活人剣』がひとつの物語の前編後編なので、これを一作と考えた場合)。本作は『若さま侍捕物手帖』の映画シリーズとしては五本め、新東宝から東映に移ってからの一本め(そのうち私が観たことがあるのは東映時代の1957年『若さま侍捕物帖 鮮血の人魚』、1958年『若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷』、1960年『若さま侍捕物帖』、1961年『若さま侍捕物帖 黒い椿』)。ちなみに東映に移ってからは大川橋蔵の当たり役だったが、新東宝時代は黒川弥太郎と坂東鶴之助が若さま*を努めている。またTVドラマとしては、『若さま侍捕物手帳』(関西テレビ、1959年)全39話で夏目俊二、『若さま侍捕物帖』(日本テレビ、1967年)全17話で若六代目市川新之助(十二代目市川團十郎)、『若さま侍捕物手帖』(関西テレビ、1973年)全22話で林与一が、若さま*。また単発ドラマとして『若さま侍捕物帳』(テレビ朝日/国際放映/前進座、1978年)で田村正和、『若さま侍捕物帖 陰謀渦巻く江戸城大奥の秘密』(1991年1月2日、東映・テレビ朝日)で東山紀之が演じていたそうだ。城昌幸の原作は1939年(昭和14年)から1970年代?(昭和40年代)までに300篇書かれた捕物帖≠ニしては一種のスタンダードだったそうだが、映像化も1991年までは少なくとも作りたい≠ニいう人がいたということになるが、今となっては昔話か→夕方下北沢に出て、〈風知空知〉にて「生方ノリタカ(A.K.A NORI UBUKATA)THÉRÉSYN(テルミン超進化形=テレシ)お披露目LIVE」を見物。

テレシンとはテルミンとアナログ・シンセサイザーを組み合わせた楽器で、生方ノリタカが2014年より設計・製作、そして演奏活動を始めたもの。テルミンからの電気信号でアナログ・シンセサイザーを発振させ音色などを制御できる点と、通常のボリュームアンテナのほかに感圧式のタッチパッドでも発音や音量制御ができる点が特徴と理解したが、果たして。

で、ようやく製品化がなり日本でも販売が開始されるということで、この催しはそのデモンストレーションも兼ねたライブイベント。予定としては前半がトークショー、後半が琴、打楽器を加えてのセッション、会の始まる前と終わった後に来場客による試奏だったが、生方ノリタカが会場に着いていざテレシンの音を出そうとしたところ不調で、原因を探ったら基盤のハンダが剥離していたとの由。

で、我々が会場に着いたときには、たまたま客として来場していたハードウェアに詳しい?方による修理中で、そのまま一時間半〜二時間くらい、修理の模様を見ながら生方ノリタカとゲストのテルミン奏者街角マチコとの雑談を聞くことになったが、それはそれで興味深い話題や知らなかった知識も得られた(ちなみに不具合はハンダが外れただけでなく、ピッチアンテナのジャックが不調だったり日本の電源では電圧が足りなかったりなどもあったようだ)。

しばし休憩ののち、本来のトークショー開始。これはテレシンの機能や各部に関する具体的な説明と、街角マチコを生徒としたレクチャー。

そして本来の終演時刻近くなって、ようやく演奏開始。メンバーは生方ノリタカ(テレシン)、今西紅雪(琴)、立岩潤三(KORG WAVEDRUM Oriental、小物打楽器)。この三人で即興と今西紅雪の楽曲「秘色の雨」を演奏したのち、岡野勇仁(ピアノ)と街角マチコ(テレシン)が加わり生方ノリタカはボーカルに回って、デイヴィッド・ボウイ「Space Oddity」を演って終演(全体にリハーサルなしで演奏したようだが、「Space Oddity」は途中でリズムがやや見失われたなど、いささか残念な演奏ではあった)。

で、肝心のテレシンはといえば、詳しく確認できなかったがVCO(波形選択)、VCF(各種フィルター)、エンベロープ・ジェネレーターなどアナログ・シンセサイザーの基本機能は網羅されていると思われ、またテルミンからの音程にシンセサイザーの音程をどの程度追従させるか(おそらく「ANTENNA TRACKING」というつまみ)も搭載されていて、聴き手の感情の琴線にかなり深く激しく触れるような音響表現が可能な楽器と思った。また共鳴弦が搭載されているのも特徴、共鳴弦を直接弾くことができるほかテルミン+シンセサイザーの音からの共鳴度合いも制御できるようで、かなり多彩な表現が期待できそうだ。私などが買える楽器ではないが(値段も含めて)、いつか機会があればちょいと音を出してみたい→と思ったが、この日はなんだか草臥れたし試奏希望者の列もあっという間に長くなっていたので、断念しておいとま。生方さんには昨年A星邸でお会いしたので少し話もしたかったが、ご挨拶だけで失敬した→帰途豪徳寺で降りて〈ガーデンオブジョイキッチン〉に寄って一杯。剣先イカとシシトウのアヒージョ、しば漬けポテサラ、ゴーヤのクミンマリネ、生パスタミートソース、赤葡萄酒3杯。マダムのご子息は御成婚だそうでめでたい→歩いて帰宅。ハイボールの缶があったので飲んだが途中で飽きて、夜0時就寝。
6月24日(月) 朝9時起床。白湯→えのきと油揚のおつけ、ご飯、水茄子味噌漬け→午前中特になにもせず(『若さま侍捕物手帖』について大雑把にネットで検索など)→昼過ぎ千歳船橋駅前に出て、まずは〈そば一仁〉で昼。かきあげ天せいろ、ビール中瓶×1→食後O形と分かれてこちらは〈ビーバートザン〉へ回って浄水器のフィルター購入→帰宅して昨日の日記まとめ(テレシン関連など)→夕方から飲酒。キャベツとトマトとオクラのサラダ、枝豆、ポークソテー(マッシュポテト、ピーマンソテー)、えのきと油揚のおつけ(生卵)、缶入りハイボール(9%)350ml缶×2、ビール中瓶×1→夜9時いったん就寝。
6月25日(火) 午前2時半起床。シャワー→『浪曲子守唄』(原案:成澤昌茂、監督:鷹森立一。千葉真一、織本順吉、武智豊子、下沢広之、赤木春恵、秋山敏、須賀良、今井健二、安部徹、一節太郎、瑳峨三智子、根上淳、河合絃司、大原麗子、浦辺粂子、土山登志幸、山之内修。1966、東映)。「浪曲子守唄」といえば一節太郎の大ヒット曲で、本作も「浪曲子守唄」をモチーフにした歌謡映画だが、歌の主人公が「土方渡世」「飯場がらす」でしょぼくれた印象なのに本作の主人公(千葉真一)はいかさま博打を専門とする流れのヤクザ。物語の冒頭では採石場の人足をしているが、すぐに親方(たぶん織本順吉)と喧嘩してまた子供(下沢広之)を連れた放浪の旅に出、仕方なくいかさま博打に手を出して土地のヤクザの追手(秋山敏、須賀良)に追われるという設定。行き着いた東京・浅草でもヤクザの木崎一家(親分が安部徹、一の乾分が今井健二)に草鞋を脱いで、そしてそこで「逃げた女房」(瑳峨三智子)と再会。子供を取ったり取り返したりしているうちに町娘(大原麗子)に助けられるものの、最後は木崎一家、そして追手に味方する敵対ヤクザ一家(根上淳ほか)と主人公が大立ち回りをするのだが、これが千葉真一だけあってさすがに見事な切れ味。最後は「逃げた女房」がその様子を見て、また我が子を捨てた罪の意識に苛まれ気が触れてしまい、主人公は町娘に子供を預けて警察に自首しに行って終幕。元となった歌の世界をほとんど踏襲していないながら、千葉真一はじめ主要役者の芝居がよく、劇中の主要登場人物の行動・移動の奥行きや間もよく、観ているうちに一本の映画として名作の域に達しているのではないかと思った。下沢広之(のちの真田広之)はまだまだただの子役という風情だが、大原麗子が映画デビュー二年め(出演作品数としてはおそらく12本め)ながら堂々たる女優っぷりを披露しているのも、「名作の域」という印象に寄与しているのではないかと思う。とはいえ「続」を作ったのはやり過ぎではないかとも思うが、観ていないのでなんとも言えないし、大原麗子も続投、千葉真一の相棒に田中邦衛、どんな役かは知らないが花沢徳衛、沼田曜一、中村是好、河津清三郎そして嵐寛寿郎も出演しているから、これまたいい方に予想を裏切られるかもしれない→金宮酎ハイ×3→朝6時就寝→朝9時起床。白湯→えのきと油揚のおつけ、ご飯(ちりめんじゃこ、塩昆布)、温泉卵→フランス語校正作業。今回で最後になってしまったかと思うとなんとも→菊水堂ポテトチップス、冷やし花巻そば、ビール中瓶×1→午睡→夕方クルマで西荻窪へ。まずは腹ごしらえと、〈flat PASTA & COFFEE〉なる生パスタの店で、フライドポテトアンチョビバター、サーモンとブロッコリーのレモンクリームソース、ビール小瓶×1。ちょいと地味な味付けではあったが、誠実な感じの料理だった。そうしょっちゅう訪ねたいかと言えばそうでもないかなと思うが(特にこの季節は風が通らず蒸し暑い店というのもある)、西荻窪で遊ぶ際に腹を満たす店としてはひとつの候補にはなると思った→ちょいと散策し、昔懐かしい「第二内田マンション」などを眺めたのち、本日のお目当て、〈アケタの店〉にてGiulietta Machine−−江藤直子(key)、大津真(g)、藤井信雄(ds)、西村雄介(b)−−のライブを鑑賞。演奏曲目は下記の通り。

01 Samba Giulietta
02 Transcendental Pool
03 Arios
04 曲名不詳
05 Rain Tree
06 曲名不詳
07 Smith

08 Caprica
09 Branca
10 曲名不詳(小川美潮と演っている曲のインスト)
11 Free Improvisation〜Emir〜Lounge
12 Mar〜Africo (including free improvisation)

enc.
13 Oyo
14 Nanan

ひさびさの今回は、江藤直子の歌なし、すべてインストゥルメンタルにて。その所為か? お馴染みの曲も編曲、表情、感触などが異なり、またフリー・ジャズ的、フリー・インプロヴィゼーション敵なアプローチも多かった。特に後半の「Mar」と「Africo」のメドレーで「Africo」の途中から、ドラムソロに続いてギター、ベース、ドラムの完全即興に突入し、いい間でドラムがリズムキープに戻りピアノがこの曲のテーマで切り込んで、すーっと曲に戻るところなどかなり痺れた。

→30年ほど前、ライターとしてフリーになってすぐにお世話になった(そして多大なるご迷惑をおかけした)編集者Y田さんと数十年ぶりに再開しびっくり(すっかりご無沙汰しているY須賀さんともお知り合いと知りさらにびっくり)。メンバーのみなさんにもちょいとご挨拶しておいとま。クルマでスイスイ帰宅→午前1時就寝。
6月26日(水) 朝7時起床。白湯→えのきと油揚のおつけ、卵かけご飯(ちりめんじゃこ、塩昆布)→老父買い物代行(サミット。今回も家の近所で済んだ)。都知事選は老父住居内で期日前投票ができるとの掲示があったので、その旨伝える→〈GYUGYUバーガー〉と〈ダイエーグルメシティ〉で買い物して帰宅→シャワー→GYUGYUバーガー、フライドポテト、ビール中瓶×1→午睡→午後は〈GENT&HONEY〉現店舗にて最後の散髪。すわ引退かと心配していたが、いろいろ活動の方向を模索されているそうで、ひと安心。洗髪やマッサージで世話になっていた若い人も次の行き先が決まっており、スタイリストとしてデビューするそうでめでたい。現店舗最後の本日も一杯いただき、せっかくなので記念写真を撮ってもらっておいとま→平和に電車で帰宅→シャワー→本日も『伝七捕物帳』で飲酒開始。海苔巻き煎餅、煮干し出汁殻(醤油、胡麻油、酢、七味唐辛子)、枝豆、トマトチーズ、葱と油揚のおつけ、粥半膳、白髪葱、ビール中瓶×1.5、金宮酎ハイ×6→夜0時就寝。
6月27日(木) 朝9時半起床。白湯→葱と油揚のおつけ、粥半膳(うずらの卵×2、塩昆布、かつ節、白髪葱)→『愛情の決算』(原作:今日出海『この十年』、監督:佐分利信。佐分利信、土屋嘉男、沢村宗之助、杉山治久、南美江、原節子、千葉一郎、小林桂樹、三船敏郎、内田良平、田中春男、堺左千夫、中村知、賀原夏子、八千草薫、恩田清二郎、浜田百合子、藤間紫、渋沢準、沢村いき雄、塩沢登代路、水の也清美、河美智子。1956、東宝)。戦争でこそ部下を率いる軍曹だったが復員してからはうだつの上がらない楢崎雄吉(佐分利信)は、一応仕事に就いていたし貫禄は備わっているから戦場で死んだ部下=画家田口良三(内田良平)の妻勝子(原節子)と所帯を持ち生活の面倒を見ることになるが、その妻を戦場での部下大平俊太郎(三船敏郎)に取られそうになる。しかし楢崎は妻をなじるでもなく許すでもなく、何もなかった≠アとにして今までの生活を続けようと希望する…… といった物語を、それぞれの感情の機微も細やかに描きつつ、湿っぽく粘っこく重ったるい話として展開させながら、白黒のコントラストの高い鋭利な画面でもって綴ることで、得も言われぬ手応えを残す映画、と思った。妻勝子の心が加速度をつけて離れていきそして女の魅力も加速度をつけて増していく中、職を失ったり仕事を得てもうまく行かなかったりしながらも平静を保つ楢崎の姿は、たとえばメルヴィル『代書人バートルビー』を想起させる不気味な迫力さえ感じさせる。と同時に、妻と家庭を大事にしようとしながら/職場でも誠実に働こうとしながら、軍曹≠ゥら抜けきれず周囲に理解されない(妻には同情してくれただけで愛情ではなかった≠ニ思われてしまう)男の哀しさの表現も見事と思った。また楢崎と勝子の関係の変化も、平林の存在が大きくなる以前から、たとえば突然の居候(後述の吉野八郎とその家族)の出現、楢崎の怪我と入院、勝子の堕胎と楢崎の失業、勝子の就職、なかなか職に就けない楢崎と、その過程が丁寧に描かれている上に、平林と勝子が逢瀬を重ねる中でまず亡夫田口のこと(つまり男女間の愛情)を思い出さされそこに外国映画『奥様は顔が二つ』(ジョージ・キューカー監督。1941年)の中吊り広告に目をやる姿が映されるなど念入りだ。戦後なんとか復員したものの、事業を当てて大金持ちになる者(武内康平=小林桂樹)や学生に戻ってから新聞社に入り社会的地位を得る者(大平=三船敏郎)もあれば、元の職業である警官に戻る者(木原実=田中春男)、落ちぶれたが「事業を当てて大金持ちに」なった戦友に助けられなんとか暮らす者(吉野八郎=千葉一郎。楢崎もそうであろう)もあり、寸借り詐欺を繰り返しながらついに窃盗で捕まる者(東郷一彦=堺左千夫)もありと、戦後のいろいろな人のいろいろな命運を厳しく見つめる視線にも感心した。終幕は、何もなかった≠アとにしようとする楢崎を勝子が見限って列車(勝子を家に送り届けた大平が直後に山下駅から列車に乗車しているところから考えると、おそらく世田谷線)でどこかへ向かう場面だが、昔の知り合い(おそらくバラックに住んでいた頃の)に息子のことを聞かれたのち、勝子はくるりと踵を返して画面の奥のほうに歩いていく。これが列車の進行方向と逆であれば、元の鞘に収まりに行くのだな、という解釈もできるのだが、しかし車窓の外は真っ暗で、列車の進行方向は曖昧である。ここの判断は観る者に任せたのかなと思うが、果たして。ネット上で見かけた感想としては、大平の元へ行くという解釈が多かったが、息子が楢崎の元に残る決断をしたことを考えると、勝子が戻る可能性もなくはないと思うのだが。その他、八千草薫の存在感と本作内での行末とか、武内が愛人にやらせている〈クラブ八重〉のデカ箱ぶりが斬新だったり(数十年経ったあとに実際に作られた芝浦〈GOLD〉よりも斬新と思う)、勝子が小鳥を逃す場面だったり、沈鬱で重々しい楢崎がとつぜんおどける場面があったり、佐分利信自身も小学校を出てから俳優となり芽が出るまで相当苦労を重ねたようなのでその経験が本作にも出ているのかなどなど、いろいろ語りたい要素の多い映画でもあった。ちなみに佐分利信は1950年から59年までの間に14本の映画を監督しており、本作は11本めの監督作品。またこの期間は小津作品で言えば『お茶漬の味』(1952年)、『彼岸花』(1958年)に出ているので(1960年には『秋日和』に出演)、小津が佐分利信監督作の出来栄えや作風についてどう語っていたのかも(不勉強ならが知らないので)調べてみたい→鮭缶とキャベツのナポリタン(刻み葱、ニンニク、オクラ)、金宮酎ハイ×2、ビール中瓶×1/2→『愛情の決算』復習→煮干し出汁殻浅漬け、今川製菓あられミックス、煮物(油揚、ニンジン、ジャガイモ、葱、ニンニク、生姜、レモンの皮、鶏ガラ出汁顆粒、醤油)、ピーマン焼き、炒り卵、金宮酎ハイ×4、ビール中瓶×1、御酒×4→夜11時過ぎ就寝。
6月28日(金) 朝10時半起床。白湯→葱と油揚のおつけ、卵かけご飯(青海苔)、海苔→『愛情の決算』の感想まとめ。なんだかたくさん書いてしまった→風呂→晩の支度→菊水堂ポテトチップス、煮干し出汁殻、キャベツサラダ(胡麻油、酢、粉チーズ)、茄子のアチャール、舞茸と油揚のおつけ、バターチキンカレーライス(オクラ、ニンジン、玉葱、青葱)、ビール中瓶×1→『パラレル・マザーズ』(原題『Madres paralelas』、監督:ペドロ・アルモドバル。ペネロペ・クルス、イスラエル・エレハルデ、カルメン・フローレス、ミレナ・スミット、アイタナ・サンチェス=ギヨン、ロッシ・デ・パルマ、アリス・デイヴィス、アイノア・サンタマリア、フリエタ・セラーノ、アデルファ・カルボ。2021、西El Deseo製作/Sony Pictures España配給)。産院での赤ん坊の取り違えと、それによるふたりの母親(それぞれの母親を入れれば四人の母親)それぞれと互いの関係の物語に、スペイン内戦(1936〜1939年。主に反乱軍ファランヘ党による共和派への弾圧と虐殺)に対する「歴史の記憶法」の実施(具体的には主人公ジャニス=ペネロペ・クルスの先祖の遺骨の発掘)を絡ませた作品。「産院での赤ん坊の取り違え」云々だけの映画であれば題名の意味(直訳すれば並列する母親たち)も表面的に理解しやすいのだが、そこにスペイン内戦の話が絡んでくると、ふたつの母国=i共和派と反乱軍)という意味も込められているのかと考えが進むが、しかしそこから先はよくわからない。遺骨の発掘は物語の発端、ジャニスが法人類学者アルトゥロ(イスラエル・エレハルデ)に依頼するところは描かれるものの(それがジャニスが妊娠するきっかけになった)、終幕で本格的な発掘が描かれるのはやや唐突なようにも思う。その唐突さは、アルモドバルの特徴なのかもしれないが、赤ん坊の取り違え、アナ(ミレナ・スミット)の赤ん坊(実はジャニスの子)の死去、アナのベビーシッターとしての住み込み、ジャニスとアナの性愛と進む話にアナとその母親(アイタナ・サンチェス=ギヨン。女優への夢を諦められず娘への対応がおざなりになっている。劇中ではロルカの『老嬢ドニャ・ロシータ』の主役を射止めるが、おそらく自身は富裕層=反乱軍側ではないかと推察される)の物語が絡んだ挙句の内戦の話と遺骨発掘だから、やはり混乱する、というか、簡単に理解したと言うのが憚られる映画ではあると思う。その混乱、理解への未到達は、映画を〆る「声なき歴史などない/焼き尽くし 破壊し 偽ろうとも−−/人の歴史は口を閉ざす/ことを拒む」という、軍事政権と戦ったウルグアイ出身のジャーナリスト、エドゥアルド・ガレアーノ(1940〜2015年)の言葉を読んでも変わらなかった。まあ、不勉強が祟ったのだと思う。ただしそのあたりが飲み込めなくても(ほかにもアナがレイプされたことの意味、エレナ=ロッシ・デ・パルマの存在の意味、最初にベビーシッターとして雇っていたアイルランド人留学生の存在の意味など、理解が及んでいない点は多々ある)、色彩の美しさ、主にペネロペ・クルスとミレナ・スミットの芝居と魅力(ミレナ・スミットは長編への出演が二作めというから驚く)など繰り返し観たくなる要素も多いから、繰り返し観ながら、「そのあたり」を理解していきたい→金宮酎ハイ×4→午前2時就寝。
6月29日(土) 朝7時起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、バターチキンカレーライス(オクラ、ニンジン、玉葱、青葱)、ポーチドエッグ→『パラレル・マザーズ』感想まとめ。書いていて、スペイン内戦についての無知が露呈した。その辺をもう少し学ばないと、本作の理解には到達しないな(到達しなくても楽しめる映画ではあるけれども)→昼前銀座に出て(日比谷駅下車で徒歩)、まずは〈ビヤホールライオン銀座7丁目店〉にて一杯。タラピー、ザワークラウト、黒ビール中ジョッキ×1→それから本日のお目当て、「奈々福、独演。銀座でうなる、銀座がうなる 浪花節で三十年 記念の会」 於〈観世能楽堂〉。

東家千春・・・・・・・開口一番 草加宿場のおせん茶屋(曲師:沢村理緒)
玉川奈々福・・・・・・風説天保水滸伝 飯岡助五郎の義侠(曲師:広沢美舟)
タブレット純・・・・・清水次郎長伝〜お民の度胸(曲師:玉川奈々福)および玉川奈々福とのトークコーナー
(仲入)
玉川奈々福・・・・・・研辰の討たれ(曲師:広沢美舟)

開口一番の東家千春『草加宿場のおせん茶屋』は、煎餅がどうやって生まれてなぜ煎餅と名付けられたかをバカバカしく語る一席。東家千春という人は初めて聴いたが、可愛らしさと軽さと独特の個性を持った人で、この軽くてバカバカしい話に実にピッタリだった。楽しい時間であった。

さて本日のテーマは「逃げないひと、逃げるひと」ということで、玉川奈々福はまずは飯岡の海難事故から逃げずに復興に取り組んだ若き飯岡助五郎の姿を語る新作「風説天保水滸伝 飯岡助五郎の義侠」(原作:伊藤桂一)。あくまでも印象として、ではあるが、玉川奈々福の藝というよりは、若き助五郎が飯岡の地に腰を落ち着けてから、災害に遭い、この地を救うために大借金を背負って船を作り故郷三浦半島に戻って復興を手助けしてくれる若い衆を集め雇うという、(今となっては使いにくい言葉だが)男気に溢れた行動の様子を楽しんだ。いわゆる「天保水滸伝」の物語を楽しむ上でも、この辺りの知識は大事だと思う。

本日のゲスト、タブレット純は、いきなり浪曲「清水次郎長伝〜お民の度胸」を披露。一応浪曲の形≠ノはなっているし、声の魅力はもちろんあるし、お民の人物像や語り口の色っぽさは楽しかったが、話の流れが何度か寸断されたり、お民の人物像が(それ単体はよいが)物語の感触を登場時だけ変えてしまったり、浪曲の態≠ヘなしていないものであった。とはいえ、その辺も含めてタブレット純の魅力であるから、十分楽しい高座ではあったのだが(心配はないと思うしこんなことを書くのは失礼とお節介の極みだが、役者や歌手の素人落語の一部の人のような思い上がりが生じなければよいと思う)。

仲入り後は「逃げるひと」で、ちょいとしたいたずらから巻き込まれた仇討ち騒動から町人上がりの俄か侍が逃げに逃げる物語「研辰の討たれ」。木村錦花の作、平田兼三郎の脚色による作品だが、ここでは中村勘三郎への当て書きで野田秀樹が新たに書いた「野田版研辰の討たれ」を浪曲化。拝聴した時点では、以前歌舞伎座で観た「野田版研辰の討たれ」のことをすっかり忘れていたので、ただただ玉川奈々福の芝居を浪曲化する手腕と話藝を楽しんだ。歌舞伎の世界から望月太左衛(太鼓など)、竹井誠(笛)とふたりのお囃子も参加、また(多分)本日共演の東家千春や沢村理緒や手伝い?に見えられていたと思しき曲師の沢村まみなどが楽屋から野次馬の声≠ナ参加していたのも楽しい。

→会場には講演会のO塚さんK丸さんI田さんはじめ見知ったお顔多数にて、まあみんなで一杯ということで再び〈ビヤホールライオン銀座7丁目店〉。ソーセージ盛り合わせ、フライドポテト、小鰯唐揚げ、ナポリタン、つぶ貝、黒ビールグラス×4。三月の茅ヶ崎でも楽しく会話してくださったYパパと同席となり、またいろいろ話が弾んだ。楽しかった→ちょいと草臥れて、会計後先においとま→車内ではうとうとしたが、平和に電車で帰宅→即シャワー(まずは汗を流すのみ)→最近の日記で飛ばしていた箇所を埋める作業(不完全)→そういえば、と、中村勘三郎主演の「野田版研辰の討たれ」(2005年。中村勘三郎襲名記念の公演)の録画を探し出し、本日の玉川奈々福版を思い出しながら鑑賞。なるほど、芝居を浪曲化する過程でかなりの省略を行なっていることとその必然性が確認でき、勘三郎主演のこの芝居の出来栄えを考えればかなり挑戦的な試みでありそれを見事に成し遂げていたということがわかった。奈々福の浪曲を鑑賞している最中は「ただただ(略)楽しんだ」わけだが、すごい藝に触れていたんだなあと再確認→今川製菓あられミックス、ビール中瓶×2、御酒×2→日付変わってから就寝。
6月30日(日) 朝10時起床。白湯→ぶっかけそうめん(うずらの卵×2、刻み葱、おろし生姜、青海苔)→日記まとめ(まだまだ)→鮭缶とキャベツのナポリタン(ピーマン、ソフリット)、金宮酎ハイ×5→ギター練習など。練習というほどのものではなかったか、メトロノーム使っただけ→風呂→『三上博史 歌劇 -私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない-』(作:寺山修司、演出・音楽・美術:J・A・シーザー。三上博史、演劇実験室◉万有引力。音楽:横山英規(Bass)、エミ・エレオノーラ(Piano)、近田潔人(Guitar)、ASA-CHANG(Drums)。2024、メディアミックス・ジャパン/ポスターハリス・カンパニー)。寺山修司没後40周年ということで、開場60周年を迎えた紀伊國屋ホールにて今年2024年1月9〜14日に催された公演の録画中継。寺山修司がご存命の頃ほぼそのままのムードかなと思ったが、果たして。それはまあ没後40周年ということでよいのかもしれないが、三上博史の体型がやや?ダブついているように見えたのはいただけなかった。もちろん三上博史が出演する意義はあるわけだが、もし身体を絞れないのであれば、三上博史が考える寺山修司の世界を表現できる役者をほかに起用してもよかったのではなかろうか。もちろん以上が私の大いなる勘違いで、あの体型がこの芝居の成立に欠かせないのであれば、特に文句はない→菊水堂ポテトチップス、海苔チーズ、焼きとうもろこし、チキンカレー、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4、御酒×2→いつの間にか就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記