2024年08月10日
8月まとめ(1〜10日)
イングマール・ベルイマン『処女の泉』、トマス・ヴィンターベア『アナザーラウンド』、浅草二泊三日−−寿司〈水喜〉、もんじゃ〈穂里〉、〈一代〉、にゅうおいらんず 於〈浅草演芸ホール〉八月上席昼、月の鳥 於〈なってるハウス〉、焼肉〈本陣〉−−、「!SON SON SON!」 於下北沢ボデギータ。
8月1日(木) 朝8時起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、きつねスパゲティ→老父買い物代行(サミット)。9月頭の「2日、4日」の予定を「4日」一日にまとめてもらう(いずれも杏林を訪ねる予定なので)→〈松葉茶屋〉にて昼(十割せいろ)。本日はいつもの駐車場(植物園第二)から遠回りをして、植物園正門から深大寺の墓場を通ってみたが、気持ちのよい散歩だった→ガソリン入れ、家近くの〈サミット〉で買い物して帰宅→シャワー→枝豆、心太、ビール中瓶×1→午睡→菊水堂ポテトチップス、鰯なめろう、平飼い卵(生)、ビール中瓶×1、金宮水割りおよび緑茶割り×6→いつの間にか就寝。
8月2日(金) 朝8時起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、ご飯(塩昆布、たたき梅、海苔)→キャッチコピー案を先日だーっと書き留めた11案から5案選んで送付→午睡(午前中だが)→ぶっかけ月見たぬきそうめん(刻み葱、青さ海苔、おろし生姜)→『処女の泉』(原題『Jungfrukällan』、監督:イングマール・ベルイマン。グンネル・リンドブロム、ビルギッタ・ヴァルベルイ、マックス・フォン・シドー、グドルン・ブロスト、アラン・エドワール、ビルギッタ・ペテルソン、アクセル・スランガス、オスカー・ジャング、アクセル・デューバリ、トール・イセダル、オヴェ・ポラス。1960、典Svensk Filmindustri)。「エステルイェートランド地方に伝わる13世紀のバラッド『ヴェンゲのテーレの娘たち』を原案」(Wikipedia)としたそうだが、神の存在を問いかける≠るいは神の沈黙≠描いたという点では、『第七の封印』と共通するテーマを持った映画と思われる。裕福な地主のテーレ(マックス・フォン・シドー)と妻メレータ(ビルギッタ・ヴァルベルイ)、娘カーリン(ビルギッタ・ペテルソン)は、いずれも敬虔なキリスト教徒だが、養女のインゲリ(グンネル・リンドブロム)は異教の神オーディンを信奉しており、苦労知らずでわがまま放題が許されるカーリンを呪詛している。カーリンとインゲリのふたりが教会へ蝋燭を奉じるために馬で出かけた際、インゲリはカーリンと言い争いになりカーリンをひとりで教会へ向かわせるが、こっそり跡をつける。と、山羊飼いという三人の男たちがまだ処女であったカーリンを強姦し、殺してしまう。で、その後山羊飼いたちは偶然に?テーレの家に辿り着き、いったんは家に入り込むが悪事が露呈し、テーレは幼く罪のない少年(男たちの犯行には加担せず、しかしその様子を見て罪の意識に苛まれ嘔吐する)までも含む三人を殺してしまう。カーリンの亡骸の元へ駆けつけたテーレは、神の沈黙=|−カーリンが無惨に犯され殺されたことと、自身が冷酷な復讐に手を染めたことを、神が看過したこと−−を糾弾しつつ、しかしなお神の救済を求めるために、カーリンの遺体が放置されたこの場所に教会を建設することを約束する。と−−カーリンが横たわっていた場所から、いつの間にか泉が湧き出している。といった物語だが、そもそもテーレは娘の溺愛、メレータはそれへの嫉妬、カーリンはわがままと、それぞれ罪≠抱えているわけで、神はずっと彼らの罪≠看過してきた≠けだ。そこにイングマール・ベルイマンの神に対する深い絶望感(その裏には神への強い期待があったと思われるが)を感じるとともに、泉を遣わすというのが神の意思であるということならば、それが赦しなのか拒否なのか−−教会を建てるという土地に恵みの水をもたらしたのか、泉を湧き出させることでその土地を建築に向かないようにしたのか−−という解釈の広がりを突きつけられるような気がした。ところでカーリンとインゲリの道中で川を渡る際に、橋守りの老人が登場するが、この老人がインゲリにいろいろな魔術的な秘薬?を勧める場面がある。この老人は、インゲリが信奉するオーディンを象徴しているのかなと思ったのだが、オーディンについてざっと見てみると「北欧神話の主神にして戦争と死の神」とのことだそうなので、その解釈は当たらないかなと思ったが、戦争と死のほかにも魔術と狡知、万物、災いを引きおこすもの、誘惑に長じたもの等々の呼び名があるそうなので、結局よくわからなかった→晩の支度→キャベツピーマントマト(青海苔、オリーブ油、酢)、洋風煮物(鶏もも、じゃがいも、ニンジン、葱、ニンニク、生姜、鶏ガラ出汁顆粒)、たらこスパゲティ(刻み海苔)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→夜8時過ぎいったん就寝→二時間ほどで起床→『FALL/フォール』(原題『Fall』、監督:スコット・マン。グレイス・フルトン、メイソン・グッディング、ヴァージニア・ガードナー、ジェフリー・ディーン・モーガン、ジュリア・ペイス・ミッチェル、ジャズパー・コール、ダレル・デニス。2022、米Capstone Globalほか製作/Lionsgate Films配給)。ダン(メイソン・グッディング)とベッキー(グレイス・フルトン)のコナー夫妻が友人のハンター(ヴァージニア・ガードナー)とフリークライミングを楽しんでいる最中、ダンが落下により死亡。嘆くベッキーを慰め勇気づけるために、ハンターが計画したのがなんと使われなくなったまま放置されている高さ600mのテレビ塔への登頂=B登頂は一応成功するが、錆だらけで放置され保全もされていなかった塔は、塔の頂上へのハシゴが崩れ落ち、ふたりは頂上に取り残される−− という設定からして、そんなの危ないに決まっている、ただのバカふたり(十歳前後くらいまでの子供の発想と行動である)を撮っただけの映画じゃないかと観続ける気を失う。とはいえ、ハンターがもともとダンと恋仲だったりとか、塔に着いた際に装具したハゲワシの伏線がちゃんと回収され塔の頂上に襲いにくるとか、まあ面白い部分もありはしたが、しかし最後にベッキーが助かって終わるものの救出の様子は一切描かれないし、そもそも法に触れる行動でありまた世間的に糾弾されておかしくない行動なのに、救出後の話にも一切触れられず、拍子抜けした。エンドロールで流れる腑抜けた歌(歌詞は失念)に失笑して、鑑賞は終了→O形サイト更新(絵日記)→『必殺仕事人』『剣客商売'73』見ながら一杯(心太、御酒×4)→午前3時過ぎ就寝。
8月3日(土) 朝10時起床。白湯→舞茸のおつけ、たらこスパゲティ→ギター練習。「私の青空」の紙芝居の背景ギターがなかなかピタッと決まらない→ぶっかけ月見たぬきそうめん(刻み葱、青さ海苔、おろし生姜)→シャワー→ひとまず現状で、間の取り方などは若干調整しながら、三曲の紙芝居+歌と演奏の模様を撮影してみる。磨き上げていくための基礎にはなったかな→動画編集して関係者に送付→ゴーヤソテー、洋風煮物(鶏もも、じゃがいも、ニンジン、葱、ニンニク、生姜、鶏ガラ出汁顆粒)、水茄子のカレー、トマトと卵の炒め、鶏皮とぶなしめじのスパゲティ(白髪葱、ニンニク、生姜、クミンシード)、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×4→トマス・ヴィンターベア『アナザーラウンド』観たが途中から酔っ払ったので、データや感想はまた後日→夜10時就寝。
8月4日(日) 朝8時起床。白湯→舞茸のおつけ、鶏皮とぶなしめじのスパゲティ→支度して12時出立→一時間半ほどでスイスイ浅草着→宿(ビューホテル)に荷物預け、初訪問の寿司の〈水喜〉にて昼。握り梅、鰻寿司、ビール中瓶×1.5。ここは当たり→〈演芸ホール〉にて前売り券購入ののち、iPhoneの充電器を忘れたので、これも初訪問の〈演芸ホール〉横の〈ドンキホーテ〉にて買い物→15時宿にチェックイン→シャワー、午睡→18時ころ出かけて、五目もんじゃ+あさり、しいたけバター焼き、焼きそば、ビール中瓶×1.5(穂里)。もんじゃは自分で焼かせてもらったが、やはり細かいところは店の主人の指導がありがたかった。覚書ということで書いておくと、もんじゃを鉄板にぶちまけたらすぐに、かなり薄い薄皮を残して具を寄せるということ。ここの思い切りが重要だと→〈入山煎餅〉の顛末をいろいろ伺う。あとその界隈の人々は、醤油を塗る前の白焼の煎餅≠特別に?売ってもらって、子供の歯固めに利用したそうだ→〈一代〉にちょいと寄ってなす、ピーマン、酎ハイ×2→本日はその辺で切り上げて、宿横の〈ライフ〉でビール買って帰館→菊水堂ポテトチップス、ビールロング缶×2→午前2時就寝。
8月5日(月) 朝9時起床→宿一階のパン屋へパン買いに行き、朝はその中のチーズパン→10時半演芸ホールへ。今回は整理券を配らないというので甘く見ていたら、意外に列ができていた。が、前売り券買ってたしいつもの最後列に難なく座る→以外、本日の演目。
前座 桂れん児・・・・山号寺号
三遊亭遊かり・・・・・ちりとてちん
坂本頼光・・・・・・・活弁『ジャックと豆の木』(1902年エジソンフィルム)
山遊亭金太郎・・・・・人間動物園
春風亭昇也・・・・・・たけのこ
ナオユキ・・・・・・・漫談
三遊亭遊雀・・・・・・金明竹
林家今丸・・・・・・・紙切り
三遊亭遊之介・・・・・青菜
瀧川鯉昇・・・・・・・鰻屋
(仲入り)
柳亭小痴楽・・・・・・松山鏡
桂宮治・・・・・・・・道灌
北見伸&スティファニー
・・・・・・・・・・マジック
春風亭柳橋・・・・・・小言念仏
春風亭昇太・・・・・・短命
桂小すみ・・・・・・・音曲
三遊亭小遊三・・・・・ん廻し
噺家バンド「にゅうおいらんず」
・・・・・・・・・・大喜利
01 リンボージャズ
02 セレソ・ローサ
03 東京ドドンパ娘(小遊三歌唱)
04 セントルイスブルース(小遊三歌唱)
05 バーボン・ストリート・パレード(昇太歌唱。桂宮治tp参加)
06 聖者の行進(桂宮治tp参加)
にゅうおいらんず:三遊亭小遊三(tp, vo)、桂小すみ(p)、春風亭昇太(tb, vo)、春風亭柳橋(banj, mc)、片山士駿(ss)、高橋徹(dr)、ベン片岡(b)
三遊亭遊かりは、TVではよく見かけるものの高座を拝聴するのは初めて。「ちりとてちん」の改作だが、嫁姑という設定にするとちょいと生々しさが出過ぎるかな。その点で、ある種の話藝ではあるけれども、私にとっては落語≠ナはなかった。小痴楽寝坊による遅刻で先に上がった遊雀「金明竹」は力の抜け具合が見事だなあと感心。本日落語≠ニしては最も印象に残ったかもしれない。小痴楽は結局、仲入り明けてすぐのいわゆる「食いつき」に登場。寝坊で遅刻しておいてやんやと受けるのは藝人冥利に尽きようが、食いつきを譲った宮治の胸中を考えるとなかなか複雑な心持ちになる。ここまでただただ素直に面白かった・笑った・感心した・印象に残ったのは、坂本頼光、ナオユキ、三遊亭遊雀、瀧川鯉昇、柳亭小痴楽、北見伸&スティファニー、春風亭昇太、桂小すみ(もちろん個人的な好みや鑑賞眼の出来もある)。さてにゅうおいらんずは、新曲にも果敢に挑戦(01、03、05)。大いに楽しんだし、桂小すみの加入によりリズムが圧倒的に安定したと思うが、私が受け取っていたにゅうおいらんずらしさ≠ヘ次第に薄れてきたような気がする。あと締めの音楽コントは、やはりそれまで地味にバンドを支え小遊三と昇太を盛り立てていたドラムとピアノが最後の最後に暴走する≠フが面白かったと思う。賑やかし役(カッコよく?言えばアジテーターか)の宮治はその役割においては見事と思うが、締めを担うのはまだ早いかなー→志乃多寿司助六弁当1/2、ビール350ml缶×3→宿に戻ってカレーパン、クロワッサン、チーズパン、ビールロング缶×1→午睡なしで〈なってるハウス〉へ。本日は月の鳥(渋谷毅(p) 、石渡明廣(g) 、ゲスト:外山明(ds))。一応CDは持ってるし愛聴していたのだが、曲名はまったくわからず。ただただ耳と身体を楽しませてもらって今日の日を終えた。月の鳥も御三方それぞれの演奏も、もう少しまめに聴きたいな。結構聴覚が鈍ってきていたように思う→「浅草 深夜」で検索してヒットした飲食店、観音裏〈曙湯〉近くの〈紅の灯 ノヴ〉を訪ねてみたが(事前に電話してみたが出なかったが、ひょっとしてと思い向かってみた)、案の定休み。さあどうしようかと店を物色しながら六区のほうに戻ったところ、宿の正面(国際通り沿い)に〈本陣〉なる焼肉屋が賑やかに営業中なのを見つけ入ってみたら、これが当たり。いい焼肉と多少がさつだが気持ちのよい接待を適正価格で楽しめた(年中無休、午後から翌朝まで営業している?ようなので、今後も世話になりそうだ。ただし「完全予約制」という情報もあり)。ナムル盛り合わせ、タン塩、カルビ、ハラミ、ロース、レバー、カルビうどん、すべて満足。酒はビール中瓶×2→宿に戻ってシャワー→午前1時頃就寝。
8月6日(火) 朝10時半起床→塩パン1/2、ミルクコーヒー→荷造りして12時前チェックアウト→〈梅園〉で豆かん買い、〈翁そば〉で冷やしたぬきでもと思ったが列ができてて断念。宿のパン屋で晩のものを買って帰宅。帰途もスイスイ→二日分の『虎に翼』『ちゅらさん』消化しつつ菊水堂ポテトチップス、カップラーメン(オーソドックスな醤油)、ビール中瓶×2→午睡→キャベツ千切り(生姜とニンニク細切り、オリーブ油、酢)、鯨すじ煮缶詰、たぬき抜き/花巻抜き(おろし生姜)、ビールロング缶×1/2、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→夜10時過ぎ就寝。
8月7日(水) 朝7時半起床。白湯→豆かん1/2→老父買い物代行(クリエイト、サミット)→〈GYUGYUバーガー〉で昼を買おうと思ったら休み。仕方がないので家の近所の〈サミット〉にて食料買い出しついでに寿司購入→鯖寿司、鉄火巻き、ビール中瓶×1→午睡→たぬき抜き/花巻抜き(おろし生姜)、生卵(しらすぼし、揚げ玉、青海苔)、枝豆、御酒×4→再び午睡→めんつゆ仕込んだり、明朝のおつけ作ったり→『長谷川伸シリーズ たった一人の女』(原作:長谷川伸、監督:大西卓矢。山口崇、松本留美、金子信雄、河野秋武。ナレーター:小沢栄太郎。1973、東映/NET)。大店?のお嬢さんと旅鴉が恋に落ちて土地を逃げ、命をかけて一緒になったものの、お嬢さんは苦労が祟り病没。その旅鴉、旅鴉に兄を斬られたヤクザ、娘を失った大店の主人夫婦が一同に会する(ヤクザと主人夫婦は直接は会わないが)雪の場面が印象に残る。お嬢さん(おえん)役の松本留美の芝居の鮮やかさに比べ、旅鴉和四郎役の山口崇がぱっとしない印象もあったが、終幕のくだんの雪の場面での、潜戸からぬっと入ってくるところと、雪の中でしばし佇んだのちに去っていくところはなかなか見事だった→『長谷川伸シリーズ 刺青奇偶』(原作:長谷川伸、監督:マキノ雅弘。菅原文太、吉行和子、万代峰子、江幡高志、川谷拓三、高津住男。ナレーター:小沢栄太郎。1973、東映/NET)。お仲を演じた吉行和子がとにかく見事。菅原文太もしっかりと半太郎を演じていたが、やや喰われた♀エあり。とはいえ、いい「刺青奇偶」を見せてもらった→出汁殻(昆布、かつ節、煮干し)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→朝6時半就寝。
8月8日(木) 午前11時起床。白湯→シャワー→しじみ汁、卵かけご飯(しらすぼし、青海苔、胡麻油、醤油)→お腹が張って(宿酔の一種)、日中特になにもせず→冷やし花巻たぬきそば(刻み葱)→晩の支度。キーマカレーを拵えることにしたが、おとついキャベツを使い切り、芯の部分が出たので、細かく刻んで混ぜ込んでみた。出来は上々→『アナザーラウンド』復習。(原題『Druk』、監督:トマス・ヴィンターベア。スーセ・ウォルド、マグナス・ミラン、ラース・ランゼ、マッツ・ミケルセン、トマス・ボー・ラーセン、マリア・ボネヴィー、マグナス・シャアロプ、サイラス・コーネリアス・バン、ヘレーネ・ラインゴード・ノイマン、ヴァルダマー・ビアー・ハンセン、アルバート・ルドベック・リントハート。2020、丁蘭瑞Zentropa Entertainments、Film i Väst、Topkapi Films、Det Danske Filminstitutほか製作/Nordisk Film Distribution、September Filmほか配球)。人生の停滞期に及んだ四人の中年男性教師−−歴史担当のマーティン(マッツ・ミケルセン)、体育担当のトミー(トマス・ボー・ラーセン)、心理学担当のニコライ(マグナス・ミラン)、音楽担当のピーター(ラース・ランゼ)−−が、ニコライの四十歳の誕生日に集まって飲酒したのをきっかけに、フィル・スコルドゥールなる精神科医/心理療法士が唱えた人間の血中アルコール濃度は常に0.05%であることが望ましい≠ニいう主張を証明する実験を開始。授業中にも0.05%を保つ∴酒を続けてみたところ、最初のうちはいろいろと都合よくことが運ぶ。しかし次第に血中アルコール濃度が上がり、職場でも家庭でも問題を引き起こすことに。そして犠牲者も出て−−という物語。全体的に静かな印象だが、実際には四人の酔っ払いぶりの描き方はけっこう賑やか、なのに静かな印象が残るところが不思議な映画ではある。「犠牲者」とは体育教師ピーターのことだが、校長の前で酔態をさらしそのまま酔った状態で愛犬と海に出るという、自殺とも事故ともつかない死に方をするのだが、ここはもう少し救いが欲しかったと思った。とはいえ、残された三人がそれぞれいったんは破局を迎えつつ新たな人生を構築していくきっかけとして、またピーターがサッカーを教えていた小学生メガネ坊≠ニの友情の泣かせる描写として、決して無駄な死≠ナはなかったと思う。そして彼らが教えていた学生たちが無事卒業しその祝いの席(港でのパーティ)でマーティンが酔っ払って実に楽しそうに踊る(ピーターは若い頃ジャズバレエ≠習っていたという設定)様は、わけもわからず感動的であった。真に言いたかったであろうことは曖昧模糊のまま受け取ったが、静かに感動させられるいい映画だった。ちなみに原題の『Druk』は、本作の言語であるデンマーク語だと暴飲暴食≠ニいったような意味らしいが、辞書によっては、あるいはオランダ語やスウェーデン語ではプレッシャー∞圧力≠ニいう意味もあるようだ。また英題・邦題の『アナザーラウンド』は、(酒を)もう一杯≠ニ(人生を)もう1ラウンド≠ェかけられた題名かなと思ったが、果たして→枝豆、キーマカレー(小皿)、しじみ汁、ビール中瓶×2→『まむしの兄弟 刑務所暮らし四年半』(監督:山下耕作。菅原文太、遠藤辰雄、野口貴史、川地民夫、浜木綿子、大泉滉、丸平峰子、江波多寛児、城幸生、ひし美ゆり子、渡瀬恒彦、三島ゆり子、女屋実和子、三益愛子、鎌田和佐、曽根晴美、南利明、小松方正、待田京介。1973、東映)。『まむしの兄弟』シリーズとしては5本め、先日観た『まむしと青大将』(シリーズ最終作)の四本前ということになるが、たまたま最近観たということで『まむしと青大将』と比べると、話が、要素は少ないのに、ちょっととっ散らかっているというか整理されていないという印象か。あとバカなセリフも応酬というまでには至らず(おそらくこのシリーズの目玉であろう税金に関する台詞−−今回は渡瀬恒彦による−−「オレは税金だって一回も払ったことがねえんだ、おかしくてショバ代なんか払えるか!」はあったが)、またヒロイン浜木綿子はあまり迫力がなく脇のひし美ゆり子はいい迫力がありそうなのに出番が少なかったり、なんだか軽さの中に潜む重みの妙味みたいなものがなくて爆発寸前で不発、という印象が残った。それでも最後の立ち回りはめちゃくちゃの楽しさがあり、結果としては満足→キーマカレー(小皿)×2、金宮酎ハイ×4→午前3時就寝。
8月9日(金) 午前8時起床。白湯→しじみ汁、キーマカレーライス(ポーチドエッグ、しらすぼし)→『姉妹』(監督:岩間鶴夫。美空ひばり、笠智衆、淡路恵子、沢村貞子、津島恵子、若原雅夫、文谷千代子、多々良純、伊沢一郎、水上令子、吉川満子、望月優子。1953、松竹)。獣医一家の三姉妹の物語ではあるが、長女鷹子(津島恵子)と末っ子美鳩(美空ひばり)は姉妹や家族のことを考えて振る舞うのだが、次女つぐみ(淡路恵子)だけは自分のことしか考えず、姉の想い人矢口一平(若原雅夫)を無邪気にあっさり奪ったかと思えば、犬の受診に現れた金持ち関根俊則(伊沢一郎)にも想いを寄せて一平をあっさり捨ててまったりする。その次女の性格というか人格というか、人となりとその背景(今まで家族の中でどう思われていたのか)がほとんど描かれていないので、この映画の物語世界がなんだかぎくしゃくしているものに見えてしまった。ちなみに脚本は若き橋田寿賀子が担当しているが、若い頃も粗雑なところがあったのだろうか、と邪推してしまう出来栄えと思った。金持ち(その母親の吉川満子も含めて)の価値観が歪んでいて最後にそれにみんなが気づくという展開も陳腐と言えば陳腐だし(ちなみに金持ちはつぐみを口説くのだが実は愛人がいたというオチ)、末っ子が金持ちに疑念を感じてヒスを起こしたあとの冷遇のされ方も話の流れ(というかこの家族の関係性)からするとちょっと唐突で激し過ぎで−−ヒスを起こした直後は沢村貞子扮する母親が夫笠智衆に「思春期なんですよ」とユーモアを湛えた台詞を言ったりするだけにその後の展開への落差が激し過ぎる−−、あるいは物語の中での一平という存在の価値や一平の下宿の主人庄さん(多々良純)の位置付け・機能が(本来明確でなくてはならない存在だろうに)明確でなく、やはり物語の設計や均衡の取り方に難ありと見た。三姉妹の両親(笠智衆、沢村貞子)の芝居の力と、あと脚本・演出的には美空ひばりの歌(全四曲)が入る間がよかったのが(とはいえ、末っ子がヒスを起こしてみんなに冷たくされたのちお面を被っておどけて歌う場面は、それでみなの心が溶けるのかと思えばそうではなく、なんだかみじめな感じが強過ぎていたのだが)、本作の鑑賞を多少でも楽しいものにしていた(あと淡路恵子が可愛らしい女性を演じるのが珍しい?とか)。それがなかったら観続けるのは辛かったかもしれない→冷やしわかめそば(オクラ、揚げ玉、刻み葱)→午睡→キャベツピーマントマトオイルサーディン(オリーブ油、酢)、インド風煮物(じゃがいも、ニンジン、玉葱、ニンニク)、キーマカレー、オクラピクルス、心太、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→夜8時過ぎ就寝。
8月10日(土) 午前9時起床。白湯→しらすぼし、しじみ汁、キーマカレーライス、ビール中瓶×1→午睡→『怪談色ざんげ 狂恋女師匠』(監督:倉橋良介。水原真知子、桂小金治、日守新一、北上弥太郎、紫千代、名和宏、田崎潤、森美樹、高山裕子、万代峰子、柳家金語楼、杉山清子、雪代敬子、花菱アチャコ、瑳峨三智子、寺島貢。1957、松竹)。物語は三遊亭圓朝『真景累ヶ淵』をほぼそのまんまと思われるが、主人公の踊りの師匠おせんはなぜか笠森稲荷の近くに住んでいるという設定で、いわば笠森お仙=B『真景累ヶ淵』にほんの少しだけ河竹黙阿弥『怪談月笠森』の要素を混ぜ入れたという趣と思ったが、その意図はよくわからなかった。物語の中ですべての破局を支配しているかのようなどんどろ坂の仁蔵を田崎潤が好演(怪演?)しているものの、破局のきっかけを作った色悪宗次郎の名和宏がときおりピリッとせず、また怪談部分も宗次郎を乗せた駕籠の駕籠かきがふっと消え去り、宗次郎が慌てて駕籠を降りると道端の古びた祠に自身の生首を見つける≠ニころ以外は怖くも湿っぽくも嫌な感じもなく、最終的には冒頭〜序盤のおせん=水原真知子の美しさの記憶だけで観続けたような次第であった。クライマックスの、おせんの弟直吉(北上弥太朗)と仁蔵、宗次郎の死闘がもっと泥まみれの地獄絵図だったら印象も違ったか、とも思ったが、ここにあまりエグ味を与えてしまうと、終幕のおせん茶屋=i直吉と、直吉を助けた町娘のお政=瑳峨三智子が営む)の平和でほのぼのとした絵面(宗次郎と仁蔵からひどい被害を受けた梵字屋和兵衛=日守新一とその娘お吉=雪代敬子が訪ねてくる)がもっと浮いたものになってしまうかな。桂小金治、柳家金語楼、花菱アチャコといった当時の人気藝人の起用が今となっては却って仇となった趣もあり(彼らの藝風だけでなく、笑いを挿入する箇所もずれているように思った)、原作(題材?)にした作品を薄めてしまったという印象の題名負け作品と思ったが、公開当時どういう評価だったのか、ぜひ知りたいとも思う→冷やし月見そば(揉み海苔、刻み葱、揚げ玉)、御酒×1→夕方下北沢、〈ボデギータ〉にてソンのイベント「!SON SON SON!」にお邪魔。おひさしぶりの吉田さんのDJ、そしてTogo y Tres Lindas Cubanasの演奏。空調が不調で店内たいへん暑かったが、暑いのも楽しい一夜だった。ひさびさのボデギータの料理(エビのアヒージョ、ナチョス・チリ・ビーンズ、ローストチキン1/2、豚のコロコロ揚げ)も酒(赤葡萄酒×1)も含めて、いやー楽しかった。K賀さんやSげる君に久しぶりに会えてうれしい。お腹も満足→店出たらちょうどタクシー来たので乗せてもらって帰宅。家の近くの〈すきや〉で牛皿とカレーライス購入→シャワー→牛皿、ビール中瓶×1.5→就寝時間不明。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記