2024年08月20日

8月まとめ(11〜20日)


中川信夫/宮園純子/大信田礼子/賀川雪絵『妖艶毒婦伝 人斬りお勝』、『ハングオーバー トリロジー』(Blu-rayボックス)購入、田宮虎彦/新藤兼人/長門裕之/宇野重吉『銀心中』、田坂具隆/京マチ子/久我美子『長崎の歌は忘れじ』、「マリバールフェスティバル2024」(ウラバンナ’極実、櫻井芳樹+高岡大祐) 於新座個人宅、紙芝居+歌と演奏のリハーサル。

8月11日(日) 宿酔で半日横臥→冷やしカレーライス、しらすぼし→ギター練習(フルアコ慣れ)したり、バリカン検討した結果パナソニックの「ボウズカッター」を注文したくらいで、特に何もせず→菊水堂ポテトチップス、煮干し出汁殻、インド風煮物、スパゲティ・ボンゴレ・ビアンコ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→早々に就寝。
8月12日(月) 朝8時起床。白湯→葱とわかめのおつけ、スパゲティ・ボンゴレ・ビアンコ→ギター練習。練習というか、立って弾くとどんな感じかを改めて確認(かなり弾けなくなる)→冷やし月見そば(揚げ玉、刻み葱)→午睡→心太/葱とわかめのおつけ、黒豆粥(青葱、ニンジン、ニンニク、鶏ガラ出汁顆粒)→『長谷川伸シリーズ 道中女仁義』(原作:長谷川伸、監督:佐々木康。美空ひばり、香山武彦、浅丘ルリ子、藤岡重慶、川谷拓三、神田隆。ナレーター:小沢栄太郎。1973、東映/NET)。美空ひばり扮する御殿の縫三が敵討ちのために渡世人の男に身を窶して旅をしている≠ニいう設定で、その渡世人縫三に湯女おのぶ(浅丘ルリ子)が惚れる、というのが話のひとつの背骨なのだが、本作で見る限り、その設定にも展開にも無理があるなあというのが正直なところ。いくら渡世人姿とはいえ女であるとわからないはずはないし(というのが言い過ぎでも、女ではないかという疑念くらいは生じるはずではないか)、お大店の令嬢だったお縫がいつの間にあれだけの喧嘩と博打の腕(そして度胸)を身につけたのか、という点も説明がないので不思議である。その無理のある設定をすっと受け取らせるだけの何か(1950年代などの美空ひばり出演作にはあった)が感じられなかったのが、まあ残念ではあったが、それはそれとして浅丘ルリ子の女っぷりとか、終盤の仇討ちの成就とか、観終えてみれば楽しい時代劇鑑賞ではあった。美空ひばりを出すと一曲は歌ってもらわざるを得ないのか、本作でも一曲歌っていたが、これはあってもなくてもよいんじゃないかな。まあしかし、ひばりファンへのサービスか→ギターの立ち弾き練習続き。大きな進展はないが、多少練れてきたかなあという感じ。頭ではわかっている(覚えている)のに間違うのをなんとかしたい。何度も繰り返すしかないか→『長谷川伸シリーズ 直八子供旅』(原作:長谷川伸、監督:土居通芳。萬屋錦之介、御木本伸介、波乃久里子、高橋昌也、神田隆。ナレーター:小沢栄太郎。1973、東映/NET)。ひとりの女(おなつ=波乃久里子)を巡る男二人(和泉の直八=萬屋錦之介、多九蔵=御木本伸介)のもつれた関係(多九蔵の一方的な嫉妬)、多九蔵との立ち回りで怪我を負い病んだ直八を助けるためのおなつの身売り、子供のためにいったんおなつの元を離れた直八が旅の途中で世話になった土地の親分から押し付けられた仁義、その仁義のために斬りつけた相手が実は土地の親分の弟と判明、そこで窮地に陥った直八を救うのがたまたまそこに居合わせた多九蔵、という、因果が巡るというのかなんというのか、様々な実在の人生の不可思議な因縁を写しとったかのような物語を、抑えた芝居と演出で実のある表現に昇華させた、という印象。カッコいいだけでなくいろいろな悲哀≠見せてくれる萬屋錦之介の藝には感心させられる→『妖艶毒婦伝 人斬りお勝』(原案:高橋猛、監督:中川信夫。富田仲次郎、今井健二、大信田礼子、宮園純子、杉義一、山岡徹也、近藤正臣、西村晃、賀川雪絵、曽根晴美、沢淑子、若山富三郎、小林千枝、三島ゆり子、河合絃司。1969、東映)。題名が示す物語に入るまでが長いという印象があり、たとえばお勝(宮園純子)が甲府勤番頭絵塩崎嘉門(絵塩崎嘉門)に捉えられ父真壁弥兵衛(西村晃)は殺されるが辛くも脱出。その後真壁家の従者だった男鹿甚九郎(曽根晴美)を頼るも今は悪女おきわ(沢淑子)に毒されていてお勝はおきわに一服盛られて遊女に売られ、そこで再度の脱出。そしてやっと、もともと剣術の素養のあった道場の令嬢お勝が「人斬りお勝」としての成立を見るという次第だが、そこまでの展開が長く、そして重いので、題名とそこまでの展開に違和感を覚えてしまうというのがひとつの不満。あとは終盤に登場する天馬軍兵(若山富三郎)の存在が唐突かつ物語内での役割が不明という不満も感じたが、宮園純子と、お勝を陰から守る旅人お留以(大信田礼子。実は塩崎嘉門の同行を探る奉行所の手先)、この二人の魅力がその不満を補って余りある、という印象が、最終的には残った。繰り返し観ても、要素が多くてごちゃごちゃした感じも残ってしまいはするだろうが、それでも味わい尽くしたい、と思わせられる一本だった。宮園純子が歌う挿入歌「白刃恋歌」もよい。ちなみに宮園純子主演で三作撮られたシリーズもので(ただし登場人物や物語に同一性、連続性はなし)、『般若のお百』、本作、『お勝兇状旅』の順となるが、そうとは知らず『お勝兇状旅』だけ録画し忘れたのが残念。次の機会は逃さないようにせねば。あと近藤正臣がお勝の弟真壁林太郎役で出演しているが、TVドラマ『柔道一直線』(1971年)で注目を集める前の作品だからか、まだ際立った個性を発揮していない様子を鑑賞できるのは、今となっては貴重かもしれない→菊水堂ポテトチップス、オイルサーディンとピーマン(酢醤油)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2、御酒×1→午前2時半就寝。
8月13日(火) 朝7時半起床。白湯→葱とわかめのおつけ、黒豆粥→食後仮眠→バリカン配達待ちのため居間で待機(特に何もせず)→冷やし月見そば(刻み海苔、刻み葱、オクラ)→午後も待機→『妖艶毒婦伝 般若のお百』(原案:高橋猛、監督:石川義寛。岡田千代、宮園純子、芦屋雁之助、南原宏治、村井国夫、若山富三郎、高野真二、堀田真三、山城新伍、中村錦司、三島ゆり子、小松方正、関山耕司、小島恵子。1968、東映)。シリーズ一作めだが、二作め『人斬りお勝』同様、主人公(本作ではお百=宮園純子)が本領を発揮するまでの前段階が長い。要素が多いのはいいが(仕方ないが)、90分の映画で「般若のお百」という人物像が成立するまでに約40分(般若の彫り物除く)。それからお百が復讐を開始するまでまた20〜30分というのは、ちょいと焦らし過ぎと感じる。素人考えではあるが、前提と「般若のお百」の成立は30分くらいに刈り込んで、「般若のお百」としての成長を挟み、目指す仇との闘いは暗闘も含めたっぷり、みたいな感じのほうが退屈しないのではなかろうか。お百の想い人恩田新九郎(村井国夫)の憎き仇である仙石伊織(南原宏治)のところに斬り込んで、その妻雪(小島恵子)もろともギロチンを使った拷問・殺害(殺すのは仙石伊織のみ)と進む展開が鮮やかなだけに、やはり全体の構成は残念に思う。また『人斬りお勝』と比べると、大信田礼子、賀川雪絵、沢淑子のような(芝居も、あるいは芝居が派手でなくても本人にクセがある)役者の散りばめようが少なかったのも不満のひとつ。彫り師を演じた三島ゆり子はなかなかだったが、佐渡金山の人足頭権十郎(小松方正)や人足の中国武術の名人南蛮鉄の文造(関山耕司)は、もっと目立ってもよかったと思う。と不満を述べつつ、十二分に楽しみはした→夕方バリカン届き、すぐに使おうかと思ったが途中で充電切れたらとんでもないことになると気づき、念のため充電。満充電になるのに12時間かかるというので、明日の午前中の用事が済んでから試用することにした→シャワー→『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(原題『The Hangover』、監督:トッド・フィリップス。ソンドラ・カリー、サーシャ・バレス、ジェフリー・タンバー、ブラッドリー・クーパー、ザック・ガリフィアナキス、ジャスティン・バーサ、エド・ヘルムズ、レイチェル・ハリス、ブライアン・カレン、ヘザー・グラハム、ケン・チョン、マイク・タイソン、ファレロ・アライリマ、マイク・エップス。2009、米Legendary Entertainmentほか製作/Warner Bros.配給)。二年ぶりに鑑賞。真剣に観たわけでもなく、酒食のお供だったので、ただただ笑って観た。観るのは少なくとも三回めか四回めだし、むろん記憶にある場面や観ているうちに思い出す展開が多いわけだが、それでもただただ笑って観ることができる。大したもんだなと思う。物語のアイデア、省略と構築の大胆さ(「省略」はラリって記憶をなくすという展開にも由来していると思われる)、細かい台詞の可笑しさなどに加え、アラン(ザック・ガリフィアナキス)の育ちはいいし頭もいいがADHDと幼児性の傾向も顕著≠ニいうキャラクターの可笑しさはもちろん、スチュ(エド・ヘルムズ)の人物や発言からはごくよくいるような人物だがラリっているときの行動の落差が可笑しい≠ニいう人物造形も、本作を何度観ても笑う大きな要因になっていると、今回は思った→『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』(原題『The Hangover Part II』、監督:トッド・フィリップス。ジェイミー・チャン、ニルット・シリジャンヤー、サーシャ・バレス、ブラッドリー・クーパー、エド・ヘルムズ、ザック・ガリフィアナキス、ジリアン・ヴィグマン、ジャスティン・バーサ、ジェフリー・タンバー、メイソン・リー、ケン・チョン、アルーン・シーブーンルアン、ニック・カサヴェテス、タンナー・マグワイア、ウィリアム・A・ジョンソン、エイディン・ミンクス、ディラン・ボヤック、ウィリアム・ジャン、ブライアン・カレン、ヤスミン・リー、ブラディ・スティーヴンス、ポール・ジアマッティ、マイク・タイソン。2011、米Legendary Entertainmentほか製作/Warner Bros.配給)。『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』と同じく酒食のお供。「記憶にある場面や観ているうちに思い出す展開が多い」「それでもただただ笑って観ることができる」その他の感想も同様。三作めについては、観た回数も少ないのでほぼ忘れているが、シリーズ三作通して自分にとってはある種のエヴァーグリーン≠セなと思う→菊水堂ポテトチップス、キャベツオクラピーマントマトのサラダ(バルサミコ酢、オリーブ油)、チキンナゲット、ピザPOCOサイズ(ボロネーゼ、チチニエリ)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×5→ 「Me, Japanese Boy」のイントロなし版を検討。「遠い昔、どこかの国に」のあとにAメロを頭から弾き始めると、ちょうどよい感じになった→夜10時就寝。
8月14日(水) 深夜起床し、『ハングオーバー』二作の感想まとめ、Blu-rayボックス『ハングオーバー トリロジー』(中古)を見つけて注文、「Me, Japanese Boy」再検討後の参考音源を編集(頭の不要部分を切ったのみ)など→午前4時就寝→朝7時起床。白湯→卵おじや、キッコーマンサクサク醤油→老父買い物代行(クリエイト、サミット)→〈松葉茶屋〉にて昼。十割せいろ→家の近くの〈サミット〉で買い物して帰宅→鉄火巻き、鯖寿司、ビール中瓶×1→午睡→シャワーと散髪。初めてのセルフ坊主、最初のうちは頭頂部ばかり短くなり途方に暮れたが、バリカンを滑らせる方向を工夫したり横と後ろはより短い毛長にしてみたら(頭頂部は5mm)、最終的にはなんとかなった。どうも設定した毛長で全体が丸く刈られるわけではないようだ(刃が当たる角度にもよるのだろう)。仕上がりはかなり毛長にバラツキが出たが、まあいいか、という程度(であると思うが、果たして)→『チャーリーズ・エンジェル』(原題『Charlie's Angels』、監督:マックG。LL・クール・J、ルーシー・リュー、キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、トム・グリーン、マット・ルブランク、ビル・マーレイ、サム・ロックウェル、ケリー・リンチ、ティム・カリー、ルーク・ウィルソン、クリスピン・グローヴァー、メリッサ・マッカーシー、ジョン・フォーサイス(声のみ)。2000、米Columbia Pictures)。直前に観た『ハングオーバー』二作同様酒食のお供(もっといえば酒肴の一品として)ゲラゲラ笑いながら観ただけではあるが、これもやはり何度観ても最高。同じことは前にも書いたかもしれないが、エンジェルの三人(ルーシー・リュー、キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア)が恋のことになると任務中でもすっと普通の女の子≠ノ戻るところの塩梅がとてもよいと思う。現実にはあり得ないけれども現実味があって、とてもよい(三年前に観た際の感想では「役者が全員、とりわけ主役のルーシー・リュー、ドリュー・バリモア、キャメロン・ディアスの三人が、実際にはいないような魅力的な人物像を創造しながら実際にいそうな現実味や可愛らしさも提供するという点に、改めて舌を巻いた」と書いている)→菊水堂ポテトチップス、フライドポテト、ニンジンかき揚げ、舞茸かき揚げ、ピーマン天ぷら、枝豆、ピザPOCO(カプリチョーザ)、ビール中瓶×2、カリモーチョ×6→夜11時就寝。
8月15日(木) 朝7時起床。白湯→ピザPOCO(サラーメ)→『世界放浪』フランス語チェック(第19話最終確認)→しらすぼしのかき揚げ、鮭缶とキャベツのスパゲティ(ニンニク)、ビール中瓶×1.5→めんつゆ仕込み→『ハングオーバー トリロジー』届いたので再生チェック。二作めのディスクの特典映像の、監督と(ダグ役除く主演三人が一作めのヒットで増長して鼻持ちならない人間になった、とう設定の偽ドキュメンタリーがとても面白かった。監督名などチェックしていないが、笑い≠ノ対するセンス、技術、熱意に感心→『ハングオーバー!!! 最後の反省会』(原題『The Hangover Part III』、監督:トッド・フィリップス。ジム・ラウ、ケン・チョン、ザック・ガリフィアナキス、ジェフリー・タンバー、ジャスティン・バーサ、ブラッドリー・クーパー、エド・ヘルムズ、ソンドラ・カリー、サーシャ・バレス、ロジャー・シュエレール、ジリアン・ヴィグマン、ジェイミー・チャン、マイク・ヴァレリー、シルヴィア・クリエル、ハリソン・フォーサイス、マイク・エップス、ジョン・グッドマン、オリヴァー・クーパー、オスカー・トーレ、メリッサ・マッカーシー、ベティ・マーフィー、ヘザー・グラハム、グラント・ホルムキスト。2013、米米Warner Bros.)。二年前(2022/7/7)に観た際(おそらく封切り時に観て以来三度め)、なんだかややこしい感想を書いていたが、要はバチェラー・パーティは終わらない≠ニいうことだな、と今回観て思った(バチェラー・パーティの気分≠ニいうことも含めて)。いやまたややこしく考えたくなっているが、そういう悪あがきの可笑しさ≠、ひとりの「育ちはいいし頭もいいがADHDと幼児性の傾向も顕著≠ニいうキャラクター」を重要な位置に置くことで増幅したり特定の可笑しさを際立たせたりしながら描いたシリーズ、と理解した。その辺も含めて考えると、やはりシリーズとして傑作だったんだなあと改めて思う。「なんだかややこしい感想」は下記のとおり。「前二作とフォーマットを変えたという点で、一回二回観た段階ではシリーズを終わらせようとしているのかなという視点で観た所為で満足感を得られず(冒頭のキリンと、終幕のタイトルロールのおっぱいだけが印象に残った)、あまり記憶に残っていなかったのだが、これはアラン(ザック・ガリフィアナキス)のことを描いた映画のシリーズなのだなと思い至った瞬間、すべてに合点がいった。本作は、あらかじめそうとは誰も思っていないが(むしろそれを終わらせるつもりの)壮大なバチェラー・パーティ≠セったのであり、その最後に結婚相手が決まって、さらにバチェラー・パーティに戻るという円環構造であった。とするならば、このシリーズは撮られなくても撮られないどこかで永遠に続くということになり、そう思い至るとよく考えられた最終作であったと思う。映画のシリーズ展開としては、映画人なら誰もが学ぶべき手法と思ったが、さてどうだろうか。私などがそんなことを言う前に(あるいは本作が撮られる前に)、とっくにそんなことは承知されていたのかもしれないが、果たして」→菊水堂ポテトチップス、キャベツトマトしらすぼしのサラダ、てんまさ一口餃子(16ケ)、ビール中瓶×1.5、御酒×2→夜11時頃就寝。
8月16日(金) 深夜起床→『ハングオーバー!!! 最後の反省会』の感想まとめ→フルアコギター練習。立ち弾き(というかストラップでぶら下げての演奏)も、構え方とか左右の手の力の抜き加減がなんとなくわかってきて、弾きにくくはなくなってきた。精進あるのみ→ギター弾いているうちに、ちょいと雨風が強くなっていよいよ台風到来かと思ったが、すぐに収まった。本番は日の出ののちか→録画消化しながら海苔(サクサク醤油)、御酒×3→朝7時就寝→昼過ぎ起床→じゃがいもと油揚のおつけ、卵かけご飯(しらすぼし、青海苔)→ギター弾いた(練習にはあまりなってない)のみ→キャベツトマトオクラオイルサーディンのサラダ、てんんまさ一口餃子(9ケ)、海苔(サクサク醤油)、心太、ビール中瓶×1.5、御酒×1→食後ちょっとギター(フルアコ)弾いてから就寝。夜9時過ぎ。
8月17日(土) 深夜起床→『夕顔夫人』(原作:団鬼六、監督:藤井克彦。鶴岡修、渡辺とく子、谷ナオミ、中丸信、桂たまき、宮井えりな、高橋明、横田楊子。1976、日活)。今となっては、ということもあると思うが、映画として物語を組み立てる方法や人物造形などが雑だし美しくない。生花の家元である島原夢路(谷ナオミ)が堕とされていく過程は十分に面白いし劣情を催させられるし、人間花器≠ネどの表現もおお、という感じではあるが、女性器に筆をはさんで字を書かせるなどは実際に映像化すると滑稽感のほうが先に立つ。諸々残念→『男の歌』(原作:菊島隆三、監督:高橋治。吉田輝雄、杉浦直樹、菅原文太、石黒達也、初名美佐子、中村是好、三井弘次、幾野道子、浅茅しのぶ、コロムビア・ライト、コロムビア・トップ、左卜全、須賀不二男、高宮敬二、岡乃桃子、浜村純、五味勝雄、大泉滉。1962、松竹)。ヤクザ稼業に身を落とした青年中村純三(吉田輝雄)がシノギの最中にプロボクサー(杉浦直樹)とコーチ(菅原文太)に出会い、ボクシングへの夢を抱くようになり、紆余曲折の上自らの持つ力を暴力≠ゥらスポーツ≠ヨと向かわせるのに成功する、という物語。話自体は、私はは特に面白くはなかったが、世話になった親分や兄貴分に頼まれた八百長を土壇場で裏切る展開はなかなかスリリング(とはいえ、ただ暴行を受けるだけでケリはついたのか?)。あと青年の恋人光子役の初名美佐子の芝居や台詞回しはとてもよかった。純三に向かっての「あんた今のままじゃ能無しのチンピラよ。チンピラの缶詰が歩いているみたい」などの台詞は可笑しさと可愛らしさの塩梅がよく、印象に残る→『銀心中』(原作:田宮虎彦、監督:新藤兼人。乙羽信子、殿山泰司、長門裕之、宇野重吉、下條正巳、安部徹、河野秋武、利根はる恵、菅井一郎、小夜福子、相馬幸子、北林谷栄、細川ちか子。1956、日活)。第二次大戦中、東京(おそらく阿佐ヶ谷)で床屋を営む夫婦喜一と佐喜枝(宇野重吉、乙羽信子)の元に夫の甥珠太郎(長門裕之)が主張にやってくる。やがて喜一も珠太郎も戦争に取られるが、珠太郎は無事帰ってくるものの喜一は戦死の報せが。先に夫戦死の報を受けておりやや自暴自棄になっていた佐喜枝は、珠太郎と店を再起する中でやがて珠太郎を愛するようになり、ふたりは男女の関係へ。しかしそこに実は生きていた喜一が帰ってくる…… という、戦中戦後には珍しくなかったであろう悲劇≠描いた小説を、(原作を読んではいないがおそらく)忠実に映像ドラマ化した、という印象。珠太郎は夫婦の幸せを考え自分の気持ちを犠牲にして最後は東北・花巻温泉まで逃げていくが、そこで出会った藝者が佐喜枝によく似ていて−−その藝者梅子を乙羽信子が二役で演じているところそしてその芝居は映画として仕掛けてきた≠烽フと思われるし、とても鮮やかに印象に残るが、それ以外は徒に扇情的な表現を用いることもない。しかし主に乙羽信子の芝居の力で、戦争は多くの(すべてのと言っても言い過ぎではなかろう)人間の人生を狂わせるものである、というメッセージが強烈に伝わってくる。表現として直接的に反戦≠謳っているわけではないが、見事な反戦映画であると思う→金宮酎ハイ×6→朝6時就寝→昼前起床→じゃがいもと油揚のおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯(青海苔)→『銀心中』復習→菊水堂ポテトチップス、冷やしたぬきそば(刻み葱、オクラ)、ビール中瓶×1→午睡→咋深夜に観た映画三本の感想まとめ→晩の支度(スープ餃子用の野菜カレースープ)→シャワー→トマト(酢)、焼き餃子(7ケ)、スープ餃子(トマト、キャベツ、ニンジン、青葱、ニンニク、しょうが、青唐辛子、鶏がらスープ顆粒、クミンシード、八角、クミン、コリアンダー、ターメリック、パプリカ、めんつゆ)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×6→『長崎の歌は忘れじ』(原作・監督:田坂具隆。アーリントン・ロールマン、フランシス・デーニ、杉丘毬子、町田博子、山内明、久我美子、根上淳、鶴見城二、竹下叡、江森茂、齋藤晃朗、滝沢修、山中政和、瀧花久子、京マチ子、東山千栄子、若尾文子、香取啓介、星光、長谷部健。1952、大映)。戦後、アメリカ人の音楽家ヘンリー・グレイ(アーリントン・ロールマン)が長崎を訪れ、戦争中に捕虜となり未完成の楽曲を遺して死んだ日本人音楽家(山内明)の家族を探す。その過程で、原子爆弾を落とされた日本人の、アメリカ人への様々な感情が描かれるという映画だが、ヘンリー・グレイが正し過ぎ/理解があり過ぎのきらいがあったり、原爆で視力を失った日本人音楽家の妻にして箏曲家の綾子(京マチ子)以外の日本人は第二次大戦に於ける日本人の罪≠受け入れていたり、いささかご都合主義的な要素も感じはしたけれども、戦争下に於ける怨み≠フ問題を仄めかしたり、戦争下で人はいかに赦し合うかという主題や平和への希求が見え隠れしたり、なかなかに考えさせられる映画であった。「未完成の楽曲」の作者が結局誰だったのかという謎解きもあり、音楽を通じて綾子の心が溶けるという展開もあり、美しい心の持ち主しか出てこないながら、それでも映画が成立するという好例でもあると思う。枝葉末節だが、綾子の妹でホテルで伯父(叔父?)牧原宗雲(滝沢修)の作る磁器の売り子をしている桃子(久我美子)が、停電に遭遇して「停電ってエチケットを知らないのね。アプレゲールなんだわ」と漏らす台詞は可笑しくて印象に残る。あとちなみに、映画冒頭で「ミリタリズム」という語が出てくるが(途中でも)、なぜ「軍国主義」と日本語で明確に語らなかったのかは不明(なんとなく想像はできるが)→『亡命記』(原作:白藤茂、監督:野村芳太郎。岸恵子、(小林トシ子)、シリヤ・ポール、佐田啓二、陳又新、佐分利信、笠智衆、伊藤雄之助、浦辺粂子。1955、松竹)。第二次大戦前夜、日中戦争の最中、日本人女性左千子(岸恵子)と中国人留学生顔紹昌(佐田啓二)が出会い、恋に落ちる。二人は結婚して南京に渡り、顔紹昌は南京新政府(汪兆銘が蔣介石に対抗して1940年に樹立した、いわゆる日本の傀儡政権。1945年、日本の降伏とともに解散し、主要な党員の多くは反逆罪を理由に処刑された)への協力を始めるが、日本の敗戦と共に蔣介石率いる重慶国民政府から追われる身に。妻子の安全を考えた顔紹昌は離婚を決意し妻子を日本に送り、ひとり逃亡の身となる。そして二人は神戸で再会し新生活を始めるも、幾多の苦難に遭遇。それを乗り越えていく様子を描いた映画ということになる。どの程度史実を反映しているか(あるいは史実との相違があるか)はわからないが、日中戦争〜第二次世界大戦を通じて日本側についた中国人たちの苦難と、その世界の人なった日本人の苦難を十二分に理解させられた気持ちになる。ただ、苦難と救いが平坦に描かれていく印象があり、そのためこの映画で訴えたいこと、観る側が汲み上げねばならないことが、少しぼんやりした印象は受けた。その辺りは何度か観返して飲み込んでいく必要があるだろう。顔紹昌と左千子の間に生まれた娘慧子をシリヤ・ポールが演じていて、決して芝居が悪いわけではないのだが、インド人を父に持ちすでにその民族的個性が容貌に表れている俳優を、中国人と日本人の間に生まれた子供の役に起用した背景はよくわからなかった(人種云々という話ではなく、単に見た目の話として)→朝5時就寝。
8月18日(日) 昼過ぎ起床→スープ餃子かけご飯(生卵)→キャッチコピー仕事の修正要望の反映作業。説明っぽくなり過ぎるので、本日帰宅後まだ要作業→夕方、クルマで新座へ。学生の頃からの友人S真理嬢の、自宅でのお誕生日記念ライブ「マリバールフェスティバル2024」を鑑賞。出演はウラバンナ’極実、櫻井芳樹+高岡大祐のふた組。ウラバンナ’極実はピアノ弾き語りで、ウラバンナというバンドのレパートリーと、本日の誕生日を祝う歌。バンドではリコーダー担当で、本日もリコーダーの演奏を予定していたそうだが、なんと持ってき忘れたとのことで、ピアノ弾き語りのみの演奏となった。美しい中に独特の陰や苦味があるような印象で、一度聴いてすっと飲み込める感じでない楽曲が面白かった。櫻井芳樹+高岡大祐はアコースティックギターとテューバのデュオで、ギターはアンプ通しだが、アコースティック・デュオと言ってよいだろう。楽曲の演奏だが、テーマ(主旋律)以外は即興的要素を積み重ねて音楽が作られていく感じか。木造民家の和室という環境に寄り添いつつも、その空間の響きや広がりを思いのままに変容させていくような演奏を楽しんだ。演奏曲目は以下のとおり。

01 旅行(大原裕)
02 Mary Hartman, Mary Hartman(チャーリー・ヘイデン)
03 ニュースペーパー(大原裕)

04 Lawns(カーラ・ブレイ)
05 Flowers(高岡大祐)
06 カンデラ(桜井芳樹)

イベント自体はとてもゆるい進行で、各セットの合間はただのホームパーティかと錯覚するような酒食とおしゃべりの時間を楽しんだ。クルマだったのでほとんど飲めなかったのが残念。主催のS真理嬢も私同様青木達之らの遊び仲間だったという話で、高岡さん驚く。あとは江戸川区の酒場の話とか、いろいろ。実に楽しい時間だった→帰途はもう夜中近かったので渋滞もなくスイスイ→煮干し出汁殻、焼き餃子10ケ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→『夢のハワイで盆踊り』の途中(序盤)で眠くなり、午前2時前就寝。
8月19日(月) 朝8時起床。白湯→キャッチコピー修正案、再検討・調整の上提出→スープ餃子かけご飯→食休み(仮眠)→冷やし月見そば(刻み海苔、刻み葱、揚げ玉)→連絡業務など→家庭内リハーサルしようと準備するも、ビール飲んだら眠くなり午睡→起きて小時間ほどリハーサル。完成はまだまだ先だが、目鼻はついたか→『長谷川伸シリーズ 殴られた石松』(原作:長谷川伸、監督:大西卓夫。大友柳太朗、松方弘樹、目黒祐樹、富田仲次郎、伊達三郎、三条泰子。ナレーター:小沢栄太郎。1973、東映/NET)。旅の途中で侍(田仲次郎)に兄を理由もなく惨殺された常吉(目黒祐樹)に出会った森の石松(松方弘樹)が、親分清水次郎長(大友柳太朗)や大政(伊達三郎)の協力と理解を得つつ、常吉の仇討ちに加勢し目的を遂げる。一度は侍への襲撃に失敗し重罪で捉えられた常吉に本懐を遂げさせるために、次郎長自ら身代わりとなって唐丸籠へ入るくだりの大友柳太朗に痺れる。松方弘樹の石松もなかなか新鮮な役作りだったし、題名の由来となっている次郎長が、なんで俺を牢から出すのを一日延ばし、常吉と女を一日だけ添わせてやらなかったんだ、と石松を叱り殴る≠ニいう結末の表現を鮮やかにしていたと思う(これは本作ではなく原作の功績だろうが、常吉が何年も経って解き放たれ女と添い遂げるが、石松はその前に都鳥の吉兵衛に騙し討ちに会ったためそれを知らなかった、という後日譚も泣かせる)。あと、常吉の女(三条泰子)が仇の侍を誘惑し常吉が来るまでひと所に留めようとするくだりもなかなかスリリングでよかった→『長谷川伸シリーズ 瞼の母』(原作:長谷川伸、監督:山下耕作。高橋英樹、村井国夫、山田桂子、月丘夢路、江幡高志。ナレーター:小沢栄太郎。1973、東映/NET)。若き高橋英樹(このとき三十の少し前)の番場の忠太郎はカッコよく、母水熊のおはまを演じた貫禄のついた月丘夢路も印象に残るが、「瞼の母」としては可もなく不可もなくという感じか。ちなみに結末は、稲垣浩版のような最後に忠太郎と母娘が出会うもの(原作でいえば「異本(二)」ではなく、母娘は追ってくるが忠太郎が姿を見せない、オリジナルに沿ったものだった→キャベツピーマントマトオクラのサラダ、煮干し出汁殻、水茄子カレー(クラッカー)、焼き餃子(7ケ)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→食後就寝。今日は何回寝てるのか。
8月20日(火) 深夜起床。シャワー→『亡命記』復習→『夢のハワイで盆踊り』(監督:鷹森立一。舟木一夫、高橋元太郎、堺正章、本間千代子、桂伸治、加藤治子、浜田たえ子、高見理紗、笠智衆、風見章子、北龍二、ロイ・ジェームス、コロムビア・ローズ、船村徹。1964、東映)。本作と同じく舟木一夫・本間千代子のコンビで撮られた『君たちがいて僕がいた』(1964)がヒットしたことを受け、同年に撮られた青春映画。今となっては貴重な東映青春路線映画(1964〜65年に6〜7本撮られたのみ)の一作だが、とにかく『夢のハワイで盆踊り』という題名が強烈。これだけで記憶に残ると同時に、ある種のキワモノ映画という印象が残ってしまうが、映画自体は若者たちの青春模様と、ハワイ移民の苦労と郷愁、および日本に残された家族との間に残る痼りなどの人間模様が描かれる、いい味わいのあるドラマではある。とはいえ、まあ即成のアイドル映画ではあるし、ハワイに憧れる舟田夏夫(舟木一夫)がなかなか資金が貯まらないのにグランドホテル支配人の娘風間美代子(本間千代子)の鶴の一声でハワイに行けたり、舟田夏夫の友人たちも建築家志望の高木源一郎(ご本人が元々歌手出身)はのど自慢の賞金で、寿司屋の息子でホテルの調理場で働く松井正也(堺正章)はハワイのボーイ試験に合格?とかで、仲間たちがみなハワイに集合するなどのご都合主義的な展開も多く、総合的には珍作という趣ではあろう。ハワイ移民の老人を笠智衆、その息子との結婚は反対され日本へと渡った嫁(舟田夏夫の母)を加藤治子が演じているのが、かろうじて「いい味わいのあるドラマ」という印象に寄与したといってもよいかと思う。それにしても『夢のハワイで盆踊り』という強烈な題名をそのまま感動の(笑)ラストシーンにしてしまうという力技も、そこに笠智衆の太鼓演奏を持ってくることで、なんだか妙に感動させられてしまう→カップ麺(醤油ラーメン)、金宮酎ハイ×5→朝7時就寝→朝10時起床。白湯→玉葱と油揚のおつけ(揚げ玉)、卵かけご飯(サクサク醤油)→支度して、途中の昼は抜きで、〈むらさきmusicラボ〉へ。今回はO形のボイストレーニングのあとは、来週催される夏の子供会?で披露する紙芝居+歌と演奏のリハーサル。ギターは相変わらず間違えることが多いし、まだいろいろ不安は残るが、当日の現場でリハーサルできたのと、会の様子を主催者から聞けたことで、楽しく演奏できそうな気にはなってきた→帰途、いつものように東八道路沿いの〈はま寿司〉に立ち寄り寿司購入→昼抜きだったのでシャワーサボって酒食。菊水堂ポテトチップス、寿司(まぐろ、えび、活〆はまち、活〆まだい、真あじ、大葉漬けアカイカ、納豆巻き)、ビール中瓶×2→午睡→本日のリハーサル映像を編集して(前後カットしたくらい)皆に送付→録画消化とぶっかけそうめん(揚げ玉、おろし生姜、青海苔)、金宮酎ハイ×4→朝5時就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記