2024年09月10日

9月まとめ(1〜10日)


Sunset Films『HEART OF AMERICA』、はじめとおおじfeat.田村麻紀子 於浅草〈HUB〉、新藤兼人/乙羽信子『強虫女と弱虫男』『午後の遺言状』『愛妻物語』(乙羽信子生誕百年記念)、クリント・イーストウッド『恐怖のメロディ』、Love Handles野毛〈Sam’s Bar〉出演決定。

9月1日(日) 朝10時起床→茄子と油揚のおつけ、卵かけご飯(青海苔)→めんつゆ仕込みつつギター練習→昆布とかつ節出汁殻、冷やし花巻そば→シャワー→茹でオクラ生姜醤油和え、茄子ソテー、豚バラ生姜焼きとキャベツ千切り、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→夜9時就寝。もう少し何かしたと思うが、忘れているのでひとまずそのまま。
9月2日(月) 朝9時起床。白湯→茄子と油揚のおつけ、ご飯、たたき梅、海苔→「逢いたくて逢いたくて」の譜面手直し。ついでに譜面音源再生しながらギターと歌の練習。曲が難しいのに加え、「すきなのよすきなのよ」のところでどうしても泣いてしまい、なかなか進まない→「マルちゃん 謹製 野菜たっぷり貝だし塩らーめん」冷やし→午後〈中江クリニック〉。クスリ一週間開けてしまったが、特に問題はなし→薬局でクスリ受け取り、〈オオゼキ〉でそば購入ののち、O形と待ち合わせて〈てんまさ〉で一杯。しそ餃子×10、一口餃子×10、ビール中瓶×1.5(てんまさ)→帰宅、シャワー→夢亀マスターがいつの間にか郵便受けに入れておいてくださった映像集『HEART OF AMERICA』を拝見しながら一杯。なるほど、それほど特別ではないのかもしれないが、ちょいとアメリカ旅行しても行き着かない風景が映されていて、とても心地よい作品だった→菊水堂ポテトチップス、おからコロッケ、寄せ豆腐(かつ節、ニンニクタレ)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→「逢いたくて逢いたくて」弾き語り練習。全然できないのに、繰り返し練習したくなる。声は昨日や今日の昼よりも出てきたような気がする→『マニアの受難』再見しながらまだまだ飲んで、深夜就寝。
9月3日(火) 朝9時起床。白湯→じゃがいもと油揚のおつけ、ご飯、納豆、海苔→昼はギター練習を少しだけ。だいたい覚えているはずなのに、弾いていると脳の処理が追いつかなくなってくる感じ→シャワー→じゃがいもと油揚のおつけ、卵かけご飯→夕方浅草に出て、〈HUB〉にてはじめとおおじfeat.田村麻紀子。演奏曲目は下記のとおり。

01 ??
02 Sweet Sue, Just You (Will J. Harris, Victor Young)
03 I Wonder(Cecil Gant)
04 Blue Turning Grey Over You (Andy Raza, Fats Waller)
05 Dippermouth Blues(King Oliver, Louis Armstrong)
06 ? Home

07 Ja-Da (Bob Carleton)
08 Exactly Like You (Jimmy McHugh)
09 On the Sunny Side of the Street (Jimmy McHugh)
10 You Don’t Love Me(Don Albert, Louis Cottrell, Jr.)
11 Smiles (J.W. Callahan, Lee S. Roberts)
12 Shine ( Cecil Mack, Lew Brown, Ford Dabney)

13 ??※木村おおじスネア股はさみ
14 All Of Me (Gerald Marks, Seymour Simons)
15 Royal Garden Blues (Clarence Williams, Spencer Williams)
16 胸の振り子(佐藤ハチロー、服部良一)
17 ??※ニューオリンズの葬送曲

enc. What a Wonderful World (Bob Thiele (as "George Douglas"), George David Weiss)

今年の4月以来だが、4月と比べると木村おおじのドラムが格段に精気を取り戻しており、他のメンバー、特に田村麻紀子がそれに応えて普段より(私が気が付かなかっただけかもしれないが)感情を揺さぶるような音を出していたという印象(小林創はいつもどおりの印象だが相変わらず自分でも気づかない痒いところにさっと手を伸ばしてくるような素晴らしい演奏だった)。満足。シュリンプ&チップス、シェパーズパイ、アンチョビキャベツ、タコパッチョ、ハブエール×1、赤葡萄酒×1/2→病気療養中だというドラマー三輪朋彦を支援する目的というタオルを購入し、平和に電車で帰宅→シャワー→ビール中瓶×1→午前2時就寝。
9月4日(水) 朝6時半起床。白湯→犬飯(じゃがいもと油揚のおつけ、生卵)→老父付き添いにて〈杏林大学病院〉。前回(6月5日)とまったく同じ展開「朝7:50頃クルマで出立し、午前中一杯、車椅子押して老父の外受診療付き添い(杏林)。血液検査も心電図も退院直後と変わりなく全体的には良好。心音も問題なし。脚のむくみは劇的な改善策はどうもなさそうで、結局のところはいろいろ様子見ながら、ということのようだ」→〈松本楼〉にて昼。スパゲティナポリタン。父は天ざるうどんを平らげていた(これも前回とまったく一緒)→父を住まいに送り届けてから〈サミット〉で買い物、郵便局の用事を済ませ、すべて届けておいとま→揚げ玉もらいに〈松葉茶屋〉ついでに十割せいろ→帰宅して洗濯、シャワー→た抜き(うずらの卵×3)、ビール中瓶×2→午睡→ひとくち餃子10ケ(ニンニク、クミンシード)、キャベツ千切り(生姜)、ジャガイモバターソテー(ニンニク、カルダモン)、ひとくち餃子10ケ(バター、牛乳)、目玉焼き、海苔、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×6→朝5時就寝。
9月5日(木) 朝9時半起床。白湯→洗濯→じゃがいもと油揚のおつけ(揚げ玉)、ご飯、納豆(うずらの卵×2、青海苔)→『強虫女と弱虫男』(監督:新藤兼人。小川吉信、山村弘三、殿山泰司、宮田勝、乙羽信子、山岸映子、戸浦六宏、川口敦子、若宮忠三郎、観世栄夫、中村良子、佳川ヨコ、草野大悟、浜田寅彦。1968、松竹)。廃坑となった九州の炭鉱(福岡県山田市の上山田炭鉱)にしがみつくようにしか生きることができない(生活保護を受給して暮らしている)父親と家族。その中から母親と長女が身を売って稼ぐ決意をし、京都に出てサロン(ネグリジェで接客する)で働き出す。その福岡と京都での人間模様を通じて、男の弱さ、馬鹿さ加減と、女の強さ、持てるものからの差別や腕力による支配などなどを描いた喜劇、と言ってよいかと思う(本作予告編では「セックス喜劇」と銘打っていた)。戦う、と意を決してからの炭鉱夫の妻フミ子の物事に動じない様子を乙羽信子が好演。また映画デビュー間もない山岸映子も母フミ子を手本にしぶとく生きる娘に成長する娘キミ子の様子を見事に演じている。決してカラッとした映画ではなく、汗臭いしどんなにうまく戦っても腕力にはねじ伏せられる(逆襲もするが)という描写もあって嫌な感じも感じるが、それでもなにか明るさや救いのようなものを湛えた映画と受け取った。林光の、R&BやR&Rを独特の方法で調理したような音楽も印象的だし、佳川ヨコが歌う主題歌「強虫女と弱虫男の歌」も面白い。余談だが、観ている最中川島雄三も撮りそうな話だなと思ったが、それはおそらく『しとやかな獣』を思い出したからだろう。実際、『しとやかな獣』の脚本も本作と同じく新藤兼人である→『處女峰』(原作:富田常雄、監督:木村恵吾。若山セツ子、乙羽信子、上原謙、清水将夫、轟夕起子、田中春男、竹河豊子、見明凡太朗、町田博子、潮万太郎、根上淳、由利恵子、山田禅二。1950、大映)。おそらく比較的規模の大きい電気工事会社を営む谷口英助(清水将夫)に三人の娘−−長女梢(轟夕起子)、次女葉子(乙羽信子)、三女花世(若山セツ子)−−があり、この裕福な家庭に育った三姉妹がいろいろと間違いを犯しながら、それぞれ成長し幸福をつかんだり自分のバカさ加減を知っていったりする、という物語と思うが、きちんとした教育を受けてきただろうに、その「間違い」が過ぎるというのが第一印象。長女梢の傲慢な態度や、三女花世の感情の制御が効かない様子を見ていると、単に子育てに失敗したという話なのではないかと思ってしまう(そもそも幼女と三女の起伏の激しい性格は、誰からの遺伝でどのように形成されいったのだろうかという疑問も湧く)。脚本に難ありか? と思ったらこれも(原作はあるが)新藤兼人だった。1940年の『南進女性』以来約40本の脚本を手がけての本作だから、「脚本に難あり」という印象はおそらく間違っているのだろう。実際、左記のような疑問を感じつつ、最終的にはなにかずっしりとしたものを受け取った、心地よい読後感のようなもの≠ェ残った。しかしそれは、性格や行動に問題がありつつも確かな芝居の力で魅力的な人物像を表していた轟夕起子、乙羽信子、若山セツ子、あるいは上原謙や根上淳の存在が大きかったのかもしれない→冷やし山かけそば(青海苔、生卵、刻み海苔)→本日の『一心太助』『必殺仕事人』消化しながらビール中瓶×1。『一心太助』には笠智衆が老いた泥棒の役で出ていて、なかなかいい味わいだった→午睡→『午後の遺言状』(原作・監督・脚本:新藤兼人。乙羽信子、瀬尾智美、内野聖陽、杉村春子、松重豊、観世栄夫、朝霧鏡子、木場勝己、永島敏行、上田耕一、田中光紀、菊池誠、石井麗子、大原康裕、峰松佑貴、津川雅彦、遠藤守哉、三木敏彦、馬場当。1995、近代映画協会製作/日本ヘラルド映画)。乙羽信子の遺作であり、杉村春子の映画出演(主演)最終作に当たる作品(ただし本作のあとに、乙羽信子は没後の2000年に製作された殿山泰司の生涯を描いた新藤兼人『三文役者』に、殿山に関する過去の証言フィルムを編集する形で出演。また杉村春子は本作公開と前後する形で放映されたNHK連続テレビ小説『春よ、来い』に大学教授役として出演している)。新藤兼人にとっても最晩年の作品となるが、本作のあと映画は2011年の『一枚のハガキ』まで五本、脚本は2009年の『HACHI 約束の犬』まで七本を手がけている。なお朝霧鏡子は長らく女優業から遠ざかっていたが、本作で45年ぶりの復帰を果たした(その後1997年の市川準監督『東京夜曲』、1999年の井筒和幸監督『のど自慢』に出演)。物語は築地小劇場時代から活動を続けてきた老大女優の森本蓉子(杉村春子)が静養のために自身の山荘に来訪。その管理人である柳川豊子(乙羽信子)や結婚を控えたその娘あけみ(瀬尾智美)、とつぜん訪れる元女優の旧友登美江(朝霧鏡子)とその夫藤八郎(観世栄夫)、山荘に押し入る強盗(木場勝己)と強盗を捕まえた警部補(永島敏行)、そして山荘の木々の手入れをしていたが蓉子来訪の前に自殺した老人ろくべえ(台詞にのみ登場)などとの交流≠通じて、自らの死と生を改めて考え始めるというもの。老境に、もっといえば死に限りなく近づいた人間の心の揺れをどこか客観的に−−それほど深刻にではなく−−描いているが、長年舞台で活躍してきた女優−−生活の中での所作や話し方がずっと芝居じみている−−を主人公に据えることがその客観性や徒な深刻さを避けた語り口を保つのに寄与しているのではなかろうかと思ったが、果たして。旧友とその夫が最終的には心中したり(心中を予感させる緊張感の演出は見事と思ったが、心中に至る際の赤い風船の用い方はちょいとしつこいと感じた)、あけみとその恋人両岡大五郎(松重豊)の結婚に際しての「足入れ式」という儀式(初夜の予行演習のような古い風習)が行われたり、観る者の感情を揺さぶる要素も少なくないのだが(能の稽古の最中にとつぜん押し入る強盗とそれへの老人たちの対応とか)、どこか淡々としていて滑稽でもあり可愛らしくもある感触を保ち続けているのに感心した→菊水堂ポテトチップス、醤油煎餅、カレーメシ1/2、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×5→笠智衆出演の『一心太助』再見してから、午前2時就寝。
9月6日(金) 朝10時起床。白湯→じゃがいもと油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→ギター練習(「逢いたくて逢いたくて」弾き語り)、『午後の遺言状』の感想まとめなど→ピザパン三切れ、コーヒー牛乳→ギタリスト加藤崇之氏がFacebookにて紹介されていた「歌心りえ」なる歌手の歌をYouTubeで拝聴してみたところ、レパートリーは自分にとってはあまり興味を持ってこなかった楽曲ながら、ケレン味のない素直な歌声の美しさに大いに感心。ちょいと調べてみたらなんと下北沢〈空飛ぶこぶたや〉店主の奥方であり、店でライブをやっているということを知り、早速来月のライブの予約を申し込んでみる。小さい会場故、応募人数によっては抽選とのことだが(もうけっこう話題になっているようなので、倍率は高いだろう)、当たるといいな→「逢いたくて逢いてくて」の譜面修正、歌詞入力、音源とPDF出力、次回の〈ラボ〉での研究課題の検討と連絡など。原曲聴き直しながら譜面修正して、少しだが理解が進んだ(ような気がする)→『一心太助』見ながら一杯。菊水堂ポテトチップス、キャベツとトマトのサラダ、ビール中瓶×1→それだけで眠くなってしまい、遅い午睡。譜面修正などで少し根を詰めたかもしれない→夜9時起床してシャワー→『強虫女と弱虫男』再見しながら引き続き飲酒。豚バラ肉と舞茸のソテー(ニンニク)、煮干し出汁殻、ひとくち餃子8ケ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→夜11時半就寝。
9月7日(土) 深夜起床→『愛妻物語』(監督・脚本:新藤兼人。乙羽信子、英百合子、香川良介、宇野重吉、清水将夫、菅井一郎、滝沢修、大美輝子、殿山泰司、殿山泰司、大河内傳次郎。1951、大映京都撮影所製作/大映)。新藤兼人初監督作品。監督作品に自分を投影した主人公を配するというのはまあないではなかろうが、それが初作品にして売れない駆け出しシナリオライターと苦労を共にして死んだ妻の物語≠ニいう点に、何とも言い難い感慨を感じる。実際、新藤兼人はこの映画を撮る8年ほど前に、自身の無名シナリオライター時代を支えてくれた最初の妻(内妻。映画スクリプターの久慈孝子)を亡くしており、つまり新藤兼人は記念すべき初監督作品に、なにか華々しい題材ではなく自身の悲しい体験に基づいた悲哀に満ちた物語を選んだわけだ。しかも映画は「みなさん、私は映画脚本を書いているシナリオライターです。私は映画のシナリオを書き始めてからもう十年あまりになりますが、才能も乏しくまだこれという作品を書いておりません。しかし私は映画を愛しております。いつかはいいシナリオを書きたいと努力しております。でも、一生そう思いながら死んでしまうかもしれません。それでも私は満足です。この物語の私の妻が、そう教えてくれたのです。私は苦しいことに出会う度に妻の言葉を思うては勇気を奮い起こしてまいりました。苦しさを乗り越えてまいりました。これからもずっとそうだろうと思います。いつも映画を見てくださるみなさんに、シナリオライターの物語もたまには興味があっていいのではないかと思います。ではみなさん、平凡なシナリオライターの小さな物語を聞いてください」という主人公の独白で始まるのである。映画の出来栄え云々よりもまずそのことに何か映画監督になる≠ニいうことへの覚悟を感じざるを得ない。と同時に、本作に自分から希望して出演した乙羽信子は本作で新藤兼人に出会い(映画デビュー作『處女峰』は新藤兼人脚本ではあるが)、続いて『原爆の子』に出演した辺りから新藤兼人(その当時ふたりめの妻と暮らしていた)と愛人関係になり、陰に日向に新藤兼人とその仕事を支えていくのである。新藤兼人と乙羽信子が実際に結婚したのはふたりめの妻の死後の1978年であるが、最初の妻やふたりめの妻とその辺りの事情を知らないと、まるで新藤兼人が自分と乙羽信子を主人公に撮った映画のような錯覚に陥る。これまた「映画の出来栄え云々よりも」先に、なにか運命的な作品であるような気分になってくる、なんとも不思議な感触のある映画である。で、さて「映画の出来栄え」であるが、駆け出しのシナリオライター沼崎敬太(宇野重吉)が戦時下で縮小していく映画産業の中でもがき、新天地を求めて京都の撮影所に移籍するも、採用試験として求められて提出したシナリオは名監督坂口(滝沢修)からストリーが書かれているだけで芝居が書けていない。最初からシナリオというものを勉強するんですね≠ニ一蹴され、シナリオライターとしての自信を失いかける。その沼崎を、親の反対を押し切ってついてきた妻孝子(乙羽信子)が励まし、一緒に苦労を重ねながら励まし立ち直らせる。しかし妻孝子は結核に倒れ、沼崎を残して死んでしまう−−という物語で、下積み時代の新藤兼人が溝口健二から「これはシナリオではありません、ストーリーです」と酷評され落ち込むも妻久慈孝子の励ましと協力によって立ち直るという実話に基づいているとされており、事実に基づいた大変な苦労の物語であることはわかる。わかるのだが、しかし沼崎のシナリオを酷評する名監督坂口はじめ厳しい意見をいう人間は出てきても悪い人間は出てこず、当の本人たちはつらいだろうが、見ているこちらはなんだかんだあっても君たちは幸せだったのではないか、という印象も得る。そうした印象を残すことが本作にとって失敗なのかそうでないのかはよくわからないが、話としてはお涙頂戴なのになにか美しいものを見せてもらった気持ちよさを感じてしまったことは、一応記録しておく(多分この映画を読み切れていない≠ゥら、そんな感想になるのだとは思うが)。それにしても宇野重吉は、すでに映画/舞台俳優として活躍していたとはいえ(歴でいえば20年弱)、このとき36歳、年齢としては当時としてもまだ若い部類と思うが(いやこの点はいい加減は判断かもしれないが)、すでに堂々たる名優≠フ存在感がある。それは持って生まれたものなのかななどと、映画とは関係のないことも印象に残った→た抜き(うずらの卵×3)、金宮酎ハイ×2、御酒×2→朝7時半就寝→昼頃起床。白湯→玉葱と油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→ギター練習(メトロノーム使用。および「逢いたくて逢いたくて」の細部の詰め)→菊水堂ポテトチップス、キャベツ塩昆布和え、焼き餃子と茄子、ビール中瓶×1、御酒×3→『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は主人公が書き手として売れ始めたところで終わり(あとは駆け足)、でよかったような気がした(原作はどうであれ、ドラマとしては)。同じくNHKの『団地のふたり』は滝山団地が出てくるということで楽しみにしていたが、おしゃれで知的な中年女性≠狙い過ぎていて期待外れだった→早々に就寝。
9月8日(日) 深夜起床→ギター練習など→飲酒せず朝5時頃就寝→午前11時半起床→冷やし刻みそば(うずらの卵×2)→→BSフジ『京都・磔磔(たくたく)〜酒蔵ライブハウスの50周年』鑑賞。〈磔磔〉へは恥ずかしながら一度も行ったことがないので、語れることは特にないのだが、出演する音楽家たちは(好みは別として)聴いていてただただ楽しかった。やはり時間≠ニいうのはいろいろな場面で重要な要素であると再確認。それにしても、同じ老舗ライブハウスでも〈LOFT〉とはずいぶん違うなあと再確認→次の「亀の子寄席」の日にちが決まったので、今度は宿泊をどうしようかなあと検討した結果、主に宿泊費の関係で〈東横INN茅ヶ崎市役所〉に決定。〈茅ヶ崎館〉はメールすら不通になっていたので電話する気にもならず(どういう状況なのだろう?)、〈8Hotel〉は週末挟むのでけっこう高額だった(インバウンドの影響による値上げのような気もするが、果たして)。もう一件民泊っぽい宿を見つけ写真、環境、金額ともによかったのだが、金額が折り合うプランだとキャンセルが効かないということで、〈東横INN〉に決定した次第。なお〈東横INN〉はもう一件あったがそちらは喫煙室しか空いてなかったため、〈茅ヶ崎市役所〉にした→シャワー→夕方早い時間に〈さばのゆ〉訪問。ビールを注ぐ名人がいらっしゃるとのことでお誘いしていただいたのだが、飲んでいるうちにあっ「〜日本全国〜桂宮治の街ノミネート」の広島の回に出られていた方だ≠ニ思い出す(「昭和のサーバーでしか出せない泡」と、ビールの泡だけを飲む「ミルコ」注ぎが思い出したきっかけ)。その旨名人(広島〈ビールスタンド重富〉の重富寛氏。参考 https://www.jbja.jp/archives/25931 )に告げると、「街ノミネート」に出られたのは弟さんのほうで、店も広島駅構内、サーバーも「昭和の」を参考に作り直したものとのことだった。私が頼んだのは一杯めに最適な「一度つぎ」、麦の香りを楽しめる「二度つぎ」、シルキーでなめらかな泡と苦味と炭酸を楽しめる「シャープつぎ」の三種類。肴はミックスナッツ、スナック(ポテトと椎茸)、フライドチキン→いささか人疲れして(文句ではないのだが、私から見ると酒場慣れしていないというか、酒場での作法が自分とはちょいと違う方々が多かった)、三杯でおいとま。まっすぐ帰ろうかと思ったが、昼に見た『京都・磔磔(たくたく)〜酒蔵ライブハウスの50周年』からの連想でYピン、Kヤさんを思い出し、〈DELHEIL89〉に寄ってみたところ、果たしてKヤさん中心にバカ話が展開されていたので、酒飲みとしてはワンバウンドしたくなりビール中瓶×1。買い物へと分かれたO形を呼んでみたら来たので、久々に〈89〉らしいバカ話を楽しむ。寄ってみてよかった。ビールもう一本飲んでからおいとま→家にたどり着いたら、お隣のT家夫人がいらしたので、しばし井戸端会議。十五年ここに住んでいるが、打ち解けて話たのははじめて。嬉しいな→シャワー→休憩(仮眠)→9月入ってからの日記をまとめたり補足したりなど→『カメラ=万年筆』観ながら鮭中骨缶。ビール中瓶×2→日付変わってから就寝。
9月9日(月) 朝10時起床。白湯→玉葱と油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→Love HandlesにYGWからのライブのお誘いを連絡→『無能の人』(原作:つげ義春、監督:竹中直人。風吹ジュン、三東康太郎、竹中直人、大杉漣、船場牡丹、須賀不二男、久我美子、山口美也子、神戸浩、マルセ太郎、いとうせいこう、神代辰巳、三浦友和、野村昭子、内藤陳、山田花子、鈴木清順。1991、ケイエスエス、松竹第一興行製作/松竹富士配給)。竹中直人初監督作品。いろいろ思い入れがあっての監督作品なのだろうが、如何せん、自分にとっての主人公の人物像が主演の竹中直人とは相入れず(あんなにギラギラした目つきではないと思うのだが)、その点だけでもう入り込めず、さらに原作漫画を表面的になぞっただけの演出のように思えてしまい、もうダメだった(「退屈な部屋」「日の戯れ」も挿入されているが、それも含めて原作に忠実に撮られた作品ではあるそうなのだが−−しかし鳥男の話などは、鳥屋の話ではなく主人公の話に代えられているし、骨董仲間も出てこず、カメラの話にも触れられなかったり、物語の要素としては原作との相違も目についた)。一度に通して観るのが苦痛で三回に分けたものの、一応最後まで観たが、感想はなし。喫茶店の場面で内藤陳、山田花子、鈴木清順が友情出演しており、友情出演にはほかにも青木富夫、泉谷しげる、井上陽水、岩松了、上野耕路、蛭子能収、周防正行、芹明香、つげ義春、根本敬、藤原マキ、布施絵理、松田政男、本木雅弘などの名前もあって、それぞれの顔を探してみるのも本作の楽しみではあると思うが、そうしてみる気力も湧かなかった→冷やしたぬきそば(うずらの卵×3)→なにしたか失念。ギターの練習(なんとなく)はした→『一心太助』見ながらソーセージエピ、マッシュポテト、生ハム、ハム、ブリーチーズ、バゲット、ビール中瓶×1、赤葡萄酒一杯→それだけで眠くなってしまい食後仮眠→夜9時頃起床→「逢いたくて逢いたくて」のギターにさらに少しだけ手を入れる。Bパートのベースラインを少し動かしてみたくらいだが、なんらかの雰囲気が出たと思う→シャワー→『恐怖のメロディ』(原題『Play Misty for Me』、原案:ジョー・ヘイムズ、監督:クリント・イーストウッド。クリント・イーストウッド、ジェームズ・マクイーチン、ドン・シーゲル、ジェシカ・ウォルター、ブリット・リンド、ドナ・ミルズ、デューク・エヴァーツ、クラリス・テイラー、アイリーン・ハーヴェイ、ジョン・ラーチ、ジョニー・オーティス、キャノンボール・アダレイ、ジーナ・パターソン。1971、米The Malpaso Companyほか製作/Universal Pictures配給)。クリント・イーストウッドの第一回監督作品にして、世に先駆けてストーカー≠ニいう存在の恐怖を描いた作品(当時ストーカーという言葉はまだ一般に認識されていなかった。タルコフスキーの1979年作『ストーカー』も、密かに獲物を追うハンター≠ュらいの意味だったとの由)。ストーカー≠ナある中年女イヴリン(ジェシカ・ウォルター)の行動の振れ幅の鮮やかさが恐怖を煽る演出は見事と思った。終幕のやるかやられるかの緊張感の高まる場面で、イヴリンがデイヴ(クリント・イーストウッド)に殴られてバルコニーから崖そして海へ転落する描写も鮮やか。そしてイヴリンのリクエストに応えている描写はあるものの最後まで映画内では流れなかった「Misty」がそこで流れるというのも心憎い。劇中、撮影当時のモンタレー・ジャズ・フェスティバルの様子が映されるが、その場面の冒頭でかなり早口なトロンボーンをを吹いているのは(トリプル・タンギングを使っているというアナウンスがあった)ジーン・コナーズ。ほかにジョニー・オーティスとキャノンボール・アダレイ、ジーナ・パターソンが映されている。というところも含めて、歴史や記録や記憶に残すべき映画と思う→野菜スープ(キャベツ、トマト、ニンジン、ピーマン、玉葱、ニンニク)、金宮酎ハイ×3→午前4時就寝。
9月10日(火) 朝9時起床→野菜スープ、ソーセージエピ、マッシュポテト、生ハム、ハム、ブリーチーズ、バゲット→Love Handlesでのライブ二回で演った曲を確認(過去のメールのやり取りなど引っ掻き回して)。いろいろ思い出してきた→ギター練習。一進一退の趣。自分で譜面書いて、頭では記憶しているのに、なんで弾くと間違えるんだろうか→昼過ぎまで横臥→午後、老父買い物代行(サミット)および〈所澤クリニック〉付き添いガソリン入れて帰宅→ペヤングソース焼きそば、ビール中瓶×1→午睡→いちぢくの生ハム巻き、煮込みハンバーグ(ぶなしめじ、茄子、トマト)、食パン1/4、赤葡萄酒七杯→風呂→12/7(土)のLove Handles野毛〈Sam’s Bar〉出演決定。四年を超えての出演実現→少しギター弾いたりゴミ出しの準備したりしてから、夜0時過ぎ就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記