2024年10月31日
10月まとめ(21〜31日)
宮藤官九郎/中村勘九郎/中村七之助/荒川良々『シネマ歌舞伎 唐茄子屋 不思議国之若旦那』、吉村公三郎/河原崎長十郎/乙羽信子『歌舞伎十八番「鳴神」 美女と怪龍』、『開館5周年記念 京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!』展 於嵐山〈福田美術館〉、京都〈すば〉〈壺味〉〈スパイスチャンバー〉、『愛と欲望の哲学対話』 於高円寺〈ちんとんしゃん〉、衆議院選挙投票、S・S・ラージャマウリ/ラーム・チャラン/N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア/アーリヤー・バット『RRR』。
10月21日(月) 朝7時起床。白湯→豆乳スープ(鶏もも肉、大根、ほうれん草、ニンジン、どんこ、舞茸、生姜)→老父のPCで、メールクライアントが標準メールから強制的にOutlookに切り替えられてしまいメール送受信ができなくなったというので、様子を見に。強制的に切り替えるなら設定も自動に引き継いでくれればいいのに、マイクロソフトは相変わらずクソ企業だ→まあなんとかなったのでおいとま。〈スリーガネシャ〉で昼買って帰宅→マトンカレー、サラダ(キャベツプチトマトきゅうり)、タンドリーチキン、ナン(以上半人前)、ビール中瓶×1→録画整理→風呂→『シネマ歌舞伎 唐茄子屋 不思議国之若旦那』(作・演出・監修:宮藤官九郎、シネマ歌舞伎ディレクター:岡田倫太郎/田中慎一。荒川良々、中村勘九郎、中村歌女之丞、片岡亀蔵、中村七之助、坂東新悟、澤村國久、中村扇雀、中村鶴松、中村由左衛門?、坂東彌十郎、中村獅童、澤村國矢、中村長三郎、中村勘太郎、中村虎之介。2024、松竹)。2022年10月の平成中村座の公演を収めたシネマ歌舞伎(宮藤官九郎の歌舞伎四作め)。落語『唐茄子屋政談』を、主な筋に於いてはほぼそのまま歌舞伎化したという趣で、知っている噺であるだけに特に前半は、若旦那徳三郎(中村勘九郎)の八百屋のおじさん(荒川良々)が冒頭の祭の場で時間を止めて♂フ舞伎の約束事を紹介したり、傾城桜坂(中村七之助)がルンバのような乗り物≠ノ乗って登場し金の切れ目が縁の切れ目を表すのに第二形態≠披露したり、あるいは徳三郎の代わりに唐茄子を売り捌く大工の熊(中村獅童)が客いじりをしたりなどは楽しかったが、それ以外はあまり乗れなかった。その辺、問題作である『シネマ歌舞伎 大江戸りびんぐでっど』と比較しながら観てしまった所為もあるが、徳三郎が天秤棒をかつげないというくだりはバレーボールのレシーブ≠煌ワめてちょいと長過ぎたのではないかと思うし、大工の熊が放つ「飾りじゃないのよ涙は」や「LOVEマシーン」のギャグなども弱かったような気がする。が、大工の熊の助けもあって唐茄子が残りふたつとなり、貧乏長屋のお仲(七之助が二役)・倅イチ(中村長三郎)のところで唐茄子と売り溜めを進呈したが因業大家(坂東彌十郎)に売り溜めを取り上げられてからの後半は、徳三郎が「第二吉原」に「吉原小門」から入り込んで小さくなったり大きくなったりという『不思議の国のアリス』的展開を見せ(勘九郎の息子ふたり−−若旦那(小)の勘太郎と若旦那(超ミニ)の長三郎−−が大活躍。また「メタバース」をネタにした展開でもある)、吉原田圃のカエルとあめんぼ(片岡亀蔵、中村扇雀、荒川良々の二役)も絡んできて、大いに笑わせてもらった。特にお仲の出奔した亭主眠善治郎(中村虎之介)が巨大化しているくだりや徳三郎の顔だけ巨大化し「[]︎バカでっけえ若旦那」という歌が歌われるのには大笑いだった。ほかにハロウィンネタ、「機関車唐茄子」という(大道具は使うが特に波及するわけでもない)駄洒落、漫才コンビ錦鯉のマネなど、小さい笑いのネタも多数散りばめられていて(時節柄コロナネタもあった)、最終的には大いに楽しんだし、お仲が貧乏を嘆く場面では涙も誘われ、気持ちよく鑑賞を終えた(登場人物の出し入れや関連の付け方なども、細かいところまで工夫されていたように思う)。徳三郎が弁当を使う場面で「まだお弁当を食べていない、こちらを使わせていただけませんでしょうか」というのは「弁当を使う」という表現がもう馴染みながないと判断したことからの苦肉の策だろうが、因業大家と徳三郎、大工の熊がやり合う場面での落語『大工調べ』の引用はあまり効いていないように感じられたのがちょいと残念。落語の引用といえば、聞いたか坊主三人(ひとりは中村鶴松)が放つ下ネタの流れで『十八檀林』や『鈴振り』が引用されていたのは、まあ小ネタだからだが、なかなか面白かった→菊水堂ポテトチップス、しらす入り炒り卵、胡麻汁花巻そば(どんこ出汁、うずらの卵×2)、ビール中瓶×2→『出町の柳』(原作:水上勉、監督:吉川一義。長山藍子、佐藤由紀絵、園佳也子、若山富三郎、浅野ゆう子、乙羽信子。1987、東映、KTV製作/FNN放映)。「京都サスペンス年末スペシャル」という枠のTV二時間ドラマ。京都の花街に暮らす女たちの営みを追いながら、かつて一度だけ身体を重ねて子までなした旦那(若山富三郎)が病で再起不能になったのち、娘に会わせようとする茶屋の女将(長山藍子)の葛藤を描いている。が、物語の中の現在と複数の回想の組み立て方がわかりにくいのに加え、「女将の葛藤」もわかったようなわからないような描写で、この物語の面白さがどこにあるのか、よくわからなかった。「旦那は借りもの、子は自分のもの」という若い藝者−−ではなく茶屋にゆかりはあるがバー勤め?の女(浅野ゆう子)はおそらく原作からの引用と思うが、それがまったく響いてこないという点は残念だった(少なくとも私はそれをどう響かせようとしていたのかがまったくわからなかった)。長山藍子の母親?役の乙羽信子はあんまり出てこないし、京都の風景もあまり出てこないし(冒頭の膨大な地蔵と蝋燭の場面は印象に残ったが、あれは化野念仏寺の千灯供養かな? 本作の舞台となった上七軒とはクルマで20分くらいの距離のようだが、本作との関係は不明)、水上勉原作ということで期待したが外れてしまった→午前1 時半就寝。
10月22日(火) 朝6時起床。白湯。目が覚めたらちょうどO形が出かけるところだった→雑炊(しらすぼし、白菜、卵)→『北野踊り』(原作:水上勉、監督:吉川一義。梶芽衣子、高橋かおり、草笛光子、乙羽信子。1991、FNN)。『出町の柳』と同じく、道ならぬ恋に末に子供を産んだ花街の女(梶芽衣子)とその娘(高橋かおり)の葛藤や、周囲の人たちの優しさを描いたドラマ。『出町の柳』と同じく上七軒が舞台で、そして『出町の柳』と同じく、この物語の面白さがどこにあるのか、よくわからなかった。せっかくの草笛光子(梶芽衣子が所属する茶屋の女将)があまり活かされていないような印象なのも残念だったが、娘の私は誰の子?≠ニいう疑問をはぐらかす尼僧役の乙羽信子の、はぐらかしながらも優しい様子にはさすがに心動かされた。まあ、本作といい『出町の柳』といい、こういう世界とこういう世界を描いた作品(水上勉がこういう世界を描いていた)ということを改めて知ることができたのは収穫と言えるかな→午前中、DUの「M」分の初稿作業。だーっと書いて規定の倍くらい。これならまあ縮められるだろう。続きは午後→どんこ入り刻みそば(刻み葱)→午後も続きをしたが、いい感じにまとまってきても規定の文字数に近づけると何かが逃げていく。その繰り返しで夕方→一息入れねばとシャワー。そして菊水堂ポテトチップス、じゃがいもとニンジンのスパイス煮(ニンニク、酢、オリーブ油、鶏ガラ出汁顆粒、塩、山椒入り七味唐辛子)、胡麻汁うどん(白菜、生姜、うずらの卵×2)、ビール中瓶×2→DUの「M」分の初稿作業、なんとかまとめまで。1200文字という注文だったが、1300文字が限界。あとは何かの構成要素ごと落とさないと、最終的な規定文字数には至らない(1300文字でも無理がある)。言い訳なども書き、明朝の提出準備→『歌舞伎十八番「鳴神」 美女と怪龍』(監督:吉村公三郎。瀬川菊之丞、東千代之介、片岡栄二郎、嵐芳三郎、中野市女蔵、河原崎国太郎、河原崎長十郎、殿山泰司、市川祥之助、吉田義夫、河原崎しづ江、乙羽信子、高松錦之助、田代百合子、日高澄子、浦里はる美。1955、東映)。脚本に新藤兼人。歌舞伎『雷神不動北山桜』の四幕目『鳴神』(正式には「雷神不動北山桜北山岩屋の場」)の映画化。江戸の芝居小屋で『鳴神』がかかっている様子が映され、百姓たちが朝廷に雨が降らなくて旱魃が続いている、どうにかしてほしい≠ニ直訴をするところから、映画は舞台から『鳴神』の世界に入り込んでいき、『鳴神』の世界そのものを描き出す。で、生き生きと動き出した『鳴神』の世界では、三千世界の雨を降らす竜神を滝壺に封印してしまった鳴神上人(河原崎長十郎)の呪術を破ろうと、朝廷一の美女であり才媛でもあるくものたえま姫(乙羽信子)が侍女みよし(日高澄子)とうてな(浦里はる美)を連れて乗り込み、酒と色気で籠絡し、注連縄を切って見事竜神を解放、巷に雨を降らせる…… という話だが、終幕はまた芝居小屋での上演の様子に戻る。全体に緊迫感があるというよりは、朝廷で公家たちが右往左往する様子も、鳴神上人の庵で弟子の白雲坊(殿山泰司)、黒雲坊(市川祥之助)そして鳴神上人自身が籠絡されていく様子も、なんだか呑気で可笑しい。ちなみに朝廷では、文屋豊秀(東千代之介)や小野春道・春風父子(瀬川菊之丞、片岡栄二郎)や関白基経(嵐芳三郎)はただただ呑気な雰囲気を醸し出しているだけのように見えたが(それがよいのだが)、早雲王子に扮する河原崎国太郎の飄々とした芝居は印象に残った。そしてなんと言っても乙羽信子の素晴らしさよ。鳴神上人の法力を解くのに「遊船叢」を読まねばならないから文学博士大江是時の孫娘であるくものたえま姫の力を借りる、という流れなのにいざというときに「遊船叢」の巻物をあっさり投げ捨て、酒と色気で立ち向かう様子がいい塩梅だった。ちなみに本作は前進座創立25周年を記念して製作されたものだそうで、河原崎長十郎、河原崎国太郎、瀬川菊之丞、嵐芳三郎という面々が顔を揃えているのはそのためだが(ちなみに本作の11年後の1966年には、全身座は『鳴神』をオーケストラ伴奏で上演するという試みを行なっている)、その中で、多少下駄を履かせてもらってはいるのだろうが、美しく魅力的で堂々たる存在感を放っているのも、さすが乙羽信子と思った(贔屓目か)。昔の歌舞伎の一端を垣間見ることができるのもうれしい。なお吉村公三郎の監督作品としては、『銀座の女』(1955年)などと同じ年の作品で、『若い人たち』(1954年)や『嫁ぐ日』(1956年)などに挟まれる格好だが、そういう時期に撮られたと思うと、その職人藝にも驚かされる→煮干し、葉わさび佃煮、ビール中瓶×1、御酒×2→午前2時半就寝。
10月23日(水) 朝7時起床。白湯→DUの「M」分の初稿提出→雑炊(しらすぼし、白菜、卵)、納豆→老父買い物代行(サミット×2)および昼食を一緒(はま寿司。まぐろ、大葉漬けアカイカ、活〆はまち、活〆まだい、真あじ、サーモン山わさび)。ちじみのステテコが買いたいというので〈オリンピック〉にも寄る。自分で買い物をするのはひさしぶりだから、楽しそうではあった→『少年探偵団 第一部 妖怪博士』(原作:江戸川乱歩、監督:小林恒夫。南原伸二、中原ひとみ、小森康充、原国雄、神田隆、宇佐美諄、岡田英次、檜有子、古賀京子、杉丘のり子、明石潮、斎藤紫香。1956、東映)→『少年探偵団 第二部 二十面相の悪魔』(原作:江戸川乱歩、監督:小林恒夫。小森康充、宇佐美諄、中原ひとみ、岡田英次、神田隆、原国雄、山形勲、泗水成一、伊藤慶子、南原伸二、飛鳥圭美。1956、東映)。江戸川乱歩の『少年探偵団』シリーズのうち、『妖怪博士』が原作。まあ言ってしまえば子供向けの子供騙し映画だし、実際に二十面層が少年探偵団の面々を騙すことで物語は進んでいくのだが、第一部ではひとり六役、第二部ではひとり五役を演じた南原伸二の変装ぶり(役作りぶりと言ったほうが正しいか)は見事だったし、全体に丁寧に作られたという印象。映画とTVドラマの違いはあるし、時代の違いもあるから比較しても仕方がないが、『江戸川乱歩シリーズ明智小五郎』ではなぜこの丁寧さが引き継がれなかったと思うと残念な気持ちになる。それはさておき、本作では怪人二十面相のアジトとなる洋館の仕掛けがいちいち面白く(そんなに数はないのだが)、また川崎ゆきお『猟奇王』を想起させられるようなところも(1951年生まれの川崎ゆきおが本作に影響を受けたのだとは思うが)感慨深い→葉唐辛子佃煮、海苔、冷やし月見そば、ビール中瓶×2、御酒×1→午睡→シャワー→そばつゆ仕込みながら、野菜炒め煮(白菜、どんこ、ニンジン、ニンニク、酢、クミンシード)、玉葱炒め(ベルのタレ)、昆布出汁殻、かつ節出汁殻、納豆、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4。
10月24日(木) 結局一睡もせず、4:20分出発。経堂発4:54の始発に乗る。空いてるだろうと始発にしたが、意外に混んでて窓側は完売。窓側じゃないと飲み喰いも落ち着いてできないので、水のみで京都まで→実際には、名古屋まではガラガラ。切符買うときに見た埋まっていた席≠ヘ、ほぼ名古屋から乗車だったようだが、埋まっているはずなのに名古屋でも人が乗ってこない席もあった。そんなものか→8:10京都着。新幹線構内のお手洗いが混んでて参ったが、改札出て北口方面に進んだら階上に飲食店街みたいなのがあり、そこのお手洗いは空いていた。覚えておこう→用を足したら何故か空腹感もなくなったので、京都駅では何も食べず、すぐにバスに乗り嵐山に向かう→間違えて京阪嵐山駅で降りてしまう。そしてそこからだと〈福田美術館〉に行くには湖月橋を渡らなければならないのに、途中で反対方向に歩いてしまった→午前中いっぱい〈福田美術館〉にて『開館5周年記念 京都の嵐山に舞い降りた奇跡!! 伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!』展見物して過ごす(しかしなんてえ題だ)。館内の喫茶店〈パンとエスプレッソ〉で遅い朝。ビーフパストラミとカマンベールのパニーニセット、珈琲→世界初公開だという「果蔬図巻」は一度通しで見ることができたが、二回めはまた一から並ぶのも草臥れるので、明日にとっておくことにする。それにしても、ぜんぜん新鮮そうに見えないのに、なんて活き活きしてる絵≠ネんだろう→嵐電嵐山駅前に出るが、観光地観光地していて鬱陶しいのでさっさと嵐電に乗って四条大宮へ。宿に入れるまでどうしようかなと数秒考え、五条の〈すば〉にて蕎麦で一杯やることにして、五条まで歩く→冷バラ海苔花巻、ビール(すば)。食べ始めて少ししたら外国人観光客が大挙して押し寄せたので(何故立ち食い蕎麦に十人もで)、そそくさと食べ終えて退散→鴨川縁でひと休みし、京都土産は何かないかと錦小路をぶらぶらしてみる。うーん、収穫なし→そのまま歩いて四条大宮に戻る。途中、幼稚園主催?のハロウィン・パレードに遭遇。可愛かった→宿(ホップイン四条大宮)に着いて早速チェックインしてシャワー→しばし横臥→O形合流したので〈壺味〉へ。開店30分後くらいだったが今回は満席。初めて立ち飲みカウンターに陣取る。大たこ焼き、丹波黒枝豆、野菜炒め、ねぎ焼き、ビール中瓶×3。二時間くらいいたうち、最後の30分くらいは座れた。今回もまんぞくまんぞく→宿に戻ってすぐ就寝→日付変わる頃起床→キリン氷結(500ml、レモン味)×2飲んで、午前4時ころ就寝。
10月25日(金) 朝7時半起床→ミニサンドイッチ、珈琲→宿を早め(朝9時)にチェックアウトし、嵐電で嵐山。昨日に続き〈福田美術館〉にて若冲展。本日は前売り券を用意しておき、第一展示室をすっ飛ばして『果蔬図巻』の部屋に直行したところ、私以外まだ誰もいなかったので、『果蔬図巻』と『乗興船』の二巻の巻物を、解説パネルも含めた全体を写真に記録することができた。作戦成功(フラッシュを炊かなければ写真撮影可と、昨日観終えてから知った)→他の展示は昨日じっくり観ていたのでさーっと流し、喫茶店で珈琲飲んで休憩、売店で自分への土産にと『果蔬図巻』モチーフの扇子を買い、さらば嵐山→嵐電で四条大宮に戻り、〈スパイスチャンバー〉まで歩き昼。キーマカレー小、ヨーグルト(トマト&キュウリ)、ビール小瓶×2→地下鉄で四条河原町に出て、電車に乗り換えれば京都駅、と思ったがよくわからず、川っぺりを五条まで歩いたが草臥れたので、多分かつて〈サンルート京都〉だったホテルの前からバス→京都駅の地下の〈志津屋〉で土産のカツサンド買い、15:13の新幹線で一路東京へ。車内で丹波黒豆柿の種、ビールロング缶×1→夕方6時くらいに経堂到着、まだ歩く元気はあったので徒歩で平和に帰宅→荷解きして風呂→二日間の録画消化しながら冷やしトマト、蒸し黒枝豆、丹波黒豆柿の種、志津屋カツサンドふた切れ、ビール中瓶×2→釣瓶落としのように眠くなり、夜10時頃就寝。
10月26日(土) 朝7時半起床。白湯→花巻月見そば→ぼおっとしている間に昼。ニンジンスープ(玉葱、ニンニク)、志津屋カツサンドふた切→午後は高円寺に出て、〈ちんとんしゃん〉にて伊藤直樹ファシリテーターによる『愛と欲望の哲学対話』に参加。「愛」と「欲望」について、1.何を言ってもいい、2.人の言うことに対して否定的な態度をとらない、3.発言せず、ただ聞いているだけでもいい、4.お互いに問いかけるようにする、5.知識ではなく、自分の経験にそくして話す、6.話がまとまらなくてもいい、7.意見が変わってもいい、8.分からなくなってもいい、というルールで対話し、結論を出そうとするのではなく問いを深めていく≠ニいうもの。最初に「愛と欲望はどちらがよいか」というテーマが提示され、「よいか」という簡潔な問いが却って答えを見つけにくいものに思えたが、私は「愛という言葉の定義づけはひとまず置いておいて、現在の社会的状況を考えると愛(のようなもの)が足りないために起きている不幸せが多いように思うので、愛と欲望のどちらがよいかと問われれば、今は愛と答える」と発言した。この中の「現在の社会的状況を考えると」についてはご参加の皆さんにあまり理解されなかったようだが(みなさんそれぞれご自分なりの「愛」の定義に基づき発言されていたので)、言葉の定義を固定させず、結論に辿りつかない対話は、今後それについて長く考え続けるきっかけとなるわけで、とても面白かった→二時間ほどの対話ののち、あとは酒。気持ちよく酔っ払って、酒席でのほとんどのことは忘れた。この日のためにあるような「研究」Tシャツが受けたのはうれしかった→平和に電車で帰宅、したと思うが、記憶なし。
10月27日(日) 宿酔で午後まで横臥。途中でカップヌードル(うずらの卵×2)→夕方、衆議院選挙投票。小選挙区のほうは自民、維新、参政、立憲の候補しかおらず困った→帰宅後再び横臥→じゃがいものおつけ、ご飯、丹波黒枝豆、葉唐辛子佃煮→DUの「FL」分の初稿作業。これに関しては記載希望情報を、取材音声起こしをだいぶ短くまとめた形でご提供いただいていたのだが、確認するとまったく文章になっていない箇所がほとんどだった(記載してほしい項目を並べただけ)。いったん現状で言葉を補い読める文にして、それで規定の文字数の倍以上。座談会参加者の発言をいくつか丸ごと削除してからさらに文字数調整する、という作業になった(司会者の発言は見出しにまとめた)。一応読める°L事にはなったのだが、この先は果たして→ビール中瓶×1飲んで就寝。午前1時。
10月28日(月) 午前4時半起床。風呂→『セーラー服色情飼育』(監督:渡辺護。下元史朗、可愛かずみ、杉佳代子、今日珠実。1982、日活)。アイドルタレント可愛かずみのデビュー作。一応ポルノ映画の範疇に入る作品ではあるが、セーラー服の少女岡田美貴子(可愛かずみ)に目をつけた大学講師吉松正彦(下元史朗)が、美貴子を手中に収めるためにまず母親の多美(杉佳代子)を酔わせて犯す場面、吉松が教え子兼愛人の向井恵子(今日珠実)が色仕掛けで単位をねだってきた際に応じる場面、そして最終盤の、吉松が多美を殺してまさに美貴子を手に入れんと犯す場面しか濡れ場はなく、それもただセックスをしているというだけで、特に深いエロさのようなものは感じなかった。下元史朗はポルノやB級中心に出演してきた俳優のようだが、本作での美貴子への粘着ぶりの表現は、四人の役者の中でちょっと異質なくらい印象に残るものだった(そういえば最近観た中だと『発狂する唇』『血を吸う宇宙』での芝居は印象的だったように記憶する)。しかし、映画はまんまと吉松に犯された美貴子と吉松が渋谷の町?を仲よく手をつないで歩く場面で終わるのだが、その辺りの流れにもうひと工夫くらいは欲しかったかな。ほんのちょっとでよいのだ→『父恋し』(監督:瑞穂春海。北龍二、若原雅夫、三宅邦子、滝謙太郎、美空ひばり、文谷千代子、清水一郎、桜むつ子、高屋朗、奈良真養。1951、松竹)。若き作曲家の卵牧田雄二(若原雅夫)と画家志村岱石(北龍二)の娘早苗(三宅邦子)は愛し合う仲で結婚する意思を固めていたが、岱石の反対によって別れることに。しかし早苗はすでに牧田の子を宿していて、牧田と別れたあとに産むことになる−− で、牧田は流しとして不遇の生活を送っているのだが、かつて作り早苗にも聴かせていた歌を口ずさむ少女恵美子(美空ひばり)に出会う。この、別れた肉親と歌を通じて巡り合うという設定は、『悲しき口笛』(1949)と同じ。わずか二年後に同じような物語の映画を撮ったということは(映画会社も同じ松竹)、やはり柳の下のなんとやらだったのだろうか。美空ひばり12歳は年齢に似合わぬ落ち着きっぷりで、特に台詞の声の落ち着きっぷりと言ったらもうベテラン女優の趣だし(ただし芝居は一本調子)、歌声も見事。しかし物語としては、別れた父娘そして妻が再会し、牧田の手による楽曲「父に捧ぐる歌」が「日の出新聞社主催音楽コンクール」なる賞で「作曲第一位」を勝ち取り、それを受賞演奏会で美空ひばりが歌い(ここもよく考えると不思議)、それを病床の牧田が聴きながら息を引き取るという、いい話だがそれほど深みがあるものでもなかった。そして牧田が息を引き取るものの「此のままで終わつては、/余りに悲しすぎます。/皆様と一緒にこの親と子を/幸福にしてやろうではあり/ませんか。」という字幕が表示されて、恵美子と牧田が故郷に帰るところで映画は終わる。なんというか、ほかにもこんな終わり方の映画はあったと思うが(韓国の『下女』1960年もそんなオチ≠用いてはなかったかな)、本作に関してはなんというか、取ってつけたようで笑いにも結び付かず、なんだかなあであった→海苔、塩。金宮酎ハイ×2、御酒×1/じゃがいものおつけ、ご飯、白胡麻塩→DUの「FL」分の初稿提出し、午前9時半就寝→昼頃起床。白湯→DUの「CK」分に着手。依頼元からの記載希望≠削っていくと大変そうなので(2/3は削らないとならない)、ご希望の構成だけを書き出し、それぞれの項目を最小限の記述でまずは埋める、という方式で行くことにした。とりあえずだーっと書いて倍より少なくまとめられたので、明日中には形になりそうである→というわけで休憩→花巻そば→間髪を入れず、キャベツとピーマンのサラダ(胡麻、オリーブ油、酢)、丹波黒枝豆、ケバブミート、ムガールチキン、マトンブーニャ、チャパティ、ビール中瓶×1.5→満腹で眠くなったので、夕方6時いったん就寝→三時間ほどで起床→『RRR』をインターバルまで→ケバブミート、ムガールチキン、ガーリックトースト、金宮酎ハイ×4→夜0時就寝。
10月29日(火) 午前4時起床。白湯→『RRR』(原案:V・ヴィジャエーンドラ・プラサード、監督:S・S・ラージャマウリ。アーマリーン・アンジュム、アリソン・ドゥーディ、トウィンクル・シャルマー、エドワード・ソネンブリック、レイ・スティーヴンソン、ラーム・チャラン、ラジーヴ・カナカーラ、N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア、マカランド・デシュパンデ、チャトラパティ・シェーカル、ラーフル・ラーマクリシュナ、タマス・ハギョ、オリヴィア・モリス、エドゥアルド・ブハク、ジェイソン・イェボア、アーリヤー・バット、アジャイ・デーヴガン、シュリヤ・サラン、ヴァルン・ブッダデーヴ、スパンダン・チャトゥルヴェーディー、サムドラカニ、チャクリー。2022、印DVV Entertainment製作/Dhanusree Films配給)。イギリス統治下の1920年のインド(イギリス領インド帝国)、アーディラーバードとデリーを舞台に、総督夫人キャサリン(アリソン・ドゥーディ)に連れ去られたアーディラーバードの森にあるゴーンド族の少女マッリ(トウィンクル・シャルマー)を連れ戻しにデリーへと赴いたビーム(N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア)と、インド独立運動に関わり武器を手に入れるために警察組織に潜入していたラーマ(ラーム・チャラン)が出会い、紆余曲折ののちついにマッリを奪還、総督府に大打撃を与えインド総督スコット(レイ・スティーヴンソン)を倒す、という一大叙事詩を、ボリウッド映画らしいアクションとミュージカルシーンで彩った、という趣の作品だが、「一大叙事詩」のシリアスさと「アクションとミュージカルシーン」の荒唐無稽さの落差に頭がくらくらさせられるような味わいが楽しい。といっても「一大叙事詩」がほうがどれだけ現実に即しているのかは私にはわからないが−−Wikipediaの記述では「実在の独立運動指導者コムラム・ビームとアッルーリ・シータラーマ・ラージュを主人公としたフィクション」「2人が歴史上に登場する以前の空白の時代を舞台」とのこと(英語版Wikipediaではもう少し詳しく記述されている)−−、統治者(侵略者と言ったほうがいいか)イギリス人の非道さの描き方は、インド人から見たイギリス人として真に迫っていると思った。そのイギリス人の中で、総督の姪ジェニー(オリヴィア・モリス)だけがいい人で、ビームに目をかけるのだが、終盤で所在が不明になる(死んでもいないし助かってもいない)のは残念。長尺の映画だから、見逃したか→金宮酎ハイ×2/じゃがいものおつけ、ご飯、葉唐辛子佃煮→午前9時就寝→昼前起床。白湯→どんこそば→DUの「CK」分、昨日構成に沿って各項目を埋めたものを、ひと連なりのストーリーにする作業。一時間ほどで完了。あとは文字数削りだ→風呂→野菜スパイス味噌炒め(キャベツ、ニンジン、玉葱、ニンニク、生姜)、マトンブーニャ、チャパティ(バター)、ビール中瓶×2.5→晩の最中頭から汗が吹き出してきたので、食後また風呂→金宮酎ハイ×4→夜9時半就寝。
10月30日(水) 深夜起床→おとついO形が買ってきてくれた〈スパイスワラ〉の折のうち、まだビリヤニだけ残っているので、それに合わせてベジタブルコルマ製作。ついでにゴミ出し→朝方少しだけ横臥→朝9時起床。白湯→ベジタブルコルマ(じゃがいも、ニンジン、大根、小松菜)、チキンビリヤニ→朝食後DUの「CK」分、文字数削り作業。昼過ぎ完了し初稿提出→菊水堂ポテトチップス、ベジタブルコルマ、目玉焼き、ビール中瓶×2、御酒×1→午睡→風呂→小松菜胡麻汚し、丹波黒枝豆、秋刀魚塩焼き、舞茸と油揚のおつけ、ご飯半膳、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→夜10時就寝。
10月31日(木) 朝7時起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、卵かけご飯、葉唐辛子佃煮、海苔→老父買い物代行(サミット)および商品交換付き添い(オリンピック)。いずれもつつがなく→ひさしぶりに揚げ玉もらいに深大寺〈松葉茶屋〉に寄る。十割せいろ→『美人母娘3人、ああ華麗なる結婚サギ』(原作:三木孝祐『HOSEKI事件簿』、監督:日高武治。柏原芳恵、森下愛子、鈴木正幸、朝丘雪路、小沢和徳、大門正明、岡田真澄、太川陽介。1986、ANN)。大家の夫/父が詐欺に遭い自死、邸宅も大事な人も失った母と娘ふたりが結婚詐欺で家を買い戻す資金を稼いでいく…… というコメディ。どうということもない作品だが、母娘三人のコミカルな人物設定と関係性、そして芝居が意外によくて楽しい。森下愛子は一番輝いていた頃ではないだろうか。いかにも80年代の今となっては恥ずかしい衣装をまとっていてもバランスがよくまったく古い感じもせず、とても魅力的であった→菊水堂ポテトチップス、煮干し、揚げパン、ベタブルコルマ、たぬきそば、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→午睡→『怪盗鼠小僧といれずみ判官』(監督:田中徳三。緒形拳、若山富三郎、守田学哉、梅沢昇、ジュディ・オング、富士圭一、内田朝雄。1981、勝プロダクション、CX製作/FNN放映)。南町奉行遠山景元(左衛門尉、金四郎)(緒形拳)と鼠小僧次郎吉(若山富三郎)が若いころに遊び仲間だった、という設定。TBS『江戸を斬る』(松山英太郎が鼠小僧)や笹沢左保『大江戸龍虎伝:鼠小僧と遠山金四郎』などなどでも用いられている設定だし、私が知らないだけで時代劇/時代小説としてはある種の常識≠ネのかもしれない。本作ではそこに、若いころに同じ花魁(ジュディ・オング。姉と妹の二役)を取り合ったとか、同じ彫師(内田朝雄)に刺青を入れてもらったという挿話があり、また大筋では鼠小僧の捕縛を命じられた遠山の葛藤があり、なかなかずっしりとした手応えの時代劇だった。緒形拳と若山富三郎の抑制の効いた芝居(若山富三郎のアクションは炸裂していた)が却って深い感動と味わいを呼び、ジュディ・オングはただただ華やかなだけのような気もしたが、いいスパイスとして効いていたと思う。遠山が次郎吉に言う泥棒が子供の英雄になってはいけないよ≠ニいう台詞など、新藤兼人の脚本もよい→丹波黒枝豆、豚バラ肉と野菜の炒め(キャベツ、ニンジン、緑ピーマン、赤ピーマン、じゃがいも、ニンニク、生姜)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→午前0時過ぎ就寝。
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