2024年12月10日

12月まとめ(1〜10日)


ジャン・ユスターシュ『サンタクロースの眼は青い』、酒井辰雄/佐田啓二/淡路恵子/桑野みゆき『めぐり逢い』、ヨハネス・ハートマン/サンドロ・クロプフシュタイン『マッド・ハイジ』、野毛滞在、Love HandlesにてYokohama Golden Weeksと共演 於野毛〈Sam’s Bar〉、千歳船橋〈La Pineta Tokyo〉初訪問、水野洽/三遊亭歌笑/日高澄子/小林桂樹『音樂二十の扉』。

12月1日(日) 朝7時半起床。白湯→風呂→卵おじや(大磯一本葱)、中華風白髪ネギ→本日も渋谷にてLove Handlesリハーサル(開始前に〈富士そば〉にてとろろそば)。本日はギター一名欠席だったが、ボーカル来たので12/7の曲目をひと通り演ることができた。音数を少なく丁寧に、という今回の自分の課題は、まあいいほうに向かってきたのかなと思う→リハーサル後の酒席は本日は失敬して経堂へ。O形がお教室の宣伝チラシを〈さばのゆ〉に置かせてもらうというので付き添いがてら一杯。オイルサーディンとクレソン、コロッケ2ケ、ピール中瓶×1、スパイスジンソーダ割り×3→〈オオゼキ〉で買い物して帰宅→ビール中瓶半分飲んだところで急に眠くなり就寝。夜8時ころ→日付変わる前に起床→録画整理→『サンタクロースの眼は青い』(原題『Le Père Noël a les yeux bleus』、監督:ジャン・ユスターシュ。ジャン=ピエール・レオ、ジェラール・ジメルマン、ルネ・ジルソン。1963、仏Anouchka Films)。ジャン・ユスターシュの中編二作め。中編一作め『わるい仲間』を観たゴダールが絶賛し、『男性・女性』の未使用フィルムを提供、アンナ・カリーナと設立した制作会社アヌーシュカ・フィルムが製作した作品だそうだ(ゴダールはプロデューサーとしてクレジットされている)。『わるい仲間』同様、金もなくモテない青年たちが虚しく時を過ごす様をドキュメンタリーのような手法で撮った作品と言えると思うが、本作では青年たちの女にモテたい、女遊びがしたいという欲求とともに主人公ダニエル(ジャン=ピエール・レオ)のダッフルコートが欲しい≠ニいうささやかな希望が描かれ、そのためのアルバイト−−サンタクロースの格好をして町行く人と写真に収まり、その手数料をもらう−−で(むろんサンタクロースの格好だからだが)見知らぬ女たちと触れ合ったり、もうひとつのアルバイト−−クリスマス向けのクジ売り−−で手数料をごまかす術を知り過分に儲けたりといった様子に、というかそういう様子を描こうと監督が選択したことに、なにか笑いの存在≠感じた。ダニエルはダッフルコートを手に入れるが、友達にはもう流行遅れだ≠ニ言われてしまうし、結局女にもモテず、新年の夜明けに仲間たちと「売春宿! 晩春宿!」と連呼しながら、画面から消えていく。その時代の若者の風俗を描いた、という一面もあるかもしれないが、それよりも虚しく時をすごく青年たちに向けられた視線や、ドキュメンタリーを意識した飾りのない製作手法などを味わう作品と受け取った→海苔、炒り卵、かけそば(うずらの卵×2)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×3→午前4時過ぎ就寝。
12月2日(月) 朝9時半起床。白湯→朝マトンビリヤニ、ポーチドエッグ→ジャン・ユスターシュ『サンタクロースの眼は青い』の感想をまとめたくらいで昼。即席ラーメン(マルちゃん正麺、生卵、葱、ニンニク、海苔)→風呂→『しのび逢い』(監督:酒井辰雄。佐田啓二、石黒達也、淡路恵子、稲葉光子、日下部雅人、清川虹子、桑野みゆき、明智十三郎、シューバート、幾野道子、富士野みか、仲宗根美樹、明智十三郎、菅井一郎。1962、松竹) 戦後満州から復員し会社勤めの身となりと妻節子(淡路恵子)と子供ふたりの家族にも恵まれた小坂敬三(佐田啓二)のところに、満州で世話になった男の妹佐藤愛子(桑野みゆき)が引き揚げてくる。満州時代愛子はまだ子供だったが、敬三には淡い恋心を抱いていて、帰国後再会するなり思慕が募り、小坂家にやっかいになっている間の敬三と愛子の様子を見た節子の叔母竹内きん子(清川虹子)の節子への無責任で心ない忠告(愛子は敬三を狙ってる云々)を立ち聞きしたことをきっかけに恋心を抑えきれず、そのために迷惑をかけてはならないと姿を消す。しかし愛子と敬三はやがてまた再会し、互いに心を通い合わせるようになる…… という物語とその顛末を描いた映画だが、満州時代に抱いた淡い想いが次第に募り、しかし自分がいることで敬三が不幸になってしまうと苦悩する愛子を演じる桑野みゆきと、夫の行状をきちんと見届けた上でよき妻・母として夫を迎え入れようとする妻節子を演じた淡路恵子の芝居が、とにかく素晴らしい。物語に関してはもう少し深いところまで描いてもよいかと思ったが(節子の苦悩とか、きん子の反省とか。あるいは愛子が一度小坂に戻りひと悶着あるとか、その程度でも)、果たして。そのほうが、最終的に愛子が京都の和菓子屋の息子(北上弥太朗)のところに嫁ぐ場面により深みが出たような気はした→菊水堂ポテトチップス、鯖水煮缶詰、豚こまニンジン里芋の煮物、大根の葉のおつけ、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ× 2→夜11時就寝。
12月3日(火) 朝9時半起床。白湯→大根の葉のおつけ、ご飯、梅干し、海苔→紀伊國屋からの荷物を待って、昼過ぎ経堂方面へ。老父の用事(記帳など)と米屋への餅の予約済ませて〈Two Brits Burger Bar〉にて昼(オリジナル・ハンバーガー、フライドポテト、ビール中ジョッキ×1)→帰宅しておやつ(アイスクリーム)→『旅に出た極道』(監督:佐藤純彌。ユセフ・オスマン、弓恵子、芦田鉄雄、片山由美子、大木実、若山富三郎、山城新伍、菅原文太、有川正治、小松方正、東龍子、大信田礼子、八名信夫、渡辺文雄、ハンス・ホルネフ、関山耕司、遠藤辰雄、サデンィ・シームス、潮健児。1969、東映) 若山富三郎『極道』シリーズの第五作。次第にユーモア路線?が色濃くなってきているが、キレの悪い笑いとキレのよい暴力がだらだらと続く感じは相変わらず。その辺は好みとしてはあまり評価できない映画なのだが、それでも何故だかついつい観てしまう。本作では親分島村清吉(若山富三郎)が実は暴力以外の能力が低いということを子分たち(本作では山城新伍、菅原文太、潮健児、関山耕司)がわかっていることを明確に描いたり、清吉の妻みね子(清川虹子)が戦闘にちょいとだけ参加したり、あるいは香港の阿片窟の元締め金華郎(渡辺文雄)が実は元日本兵で、清吉の子分浅井保(菅原文太)の父親の戦友であり、かつ自分の生き別れた娘春江(片山由美子)を自分の阿片で死なしてしまうという展開は面白かった(香港の裏社会の元締めが実は元日本兵、という設定は、クレージーキャッツ映画の『無責任遊侠伝』の平田昭彦と同じか)。それと大信田礼子は、そんなに活躍してくてもすっと印象に残る場面があるなあとか。あとこのシリーズでは、若山富三郎よりも山城新伍のほうが光っている場面も多いのではなかろうかと、本作を観て改めて思った→ニンジンかき揚げ(生姜)、肉そば(葱)、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×1→夜10時就寝。
12月4日(水) 午前3時半起床。白湯→『旅に出た極道』復習→風呂→『極道釜ヶ崎に帰る』(監督:山下耕作。若山富三郎、古城戸昌美、守田学、小松方正、天津敏、榊浩子、山城新伍、広瀬義宣、遠藤辰雄、蓑和田良太、真山知子、大木実、清川虹子、潮健児、島田正吾、桜町弘子、榊浩子、高品格、金子信雄。1970、東映)。若山富三郎『極道』シリーズの第六作。前作『旅に出た極道』では戦後も終わってしばらくして?香港ぐらいなら海外に行けそうな時代を背景にしていたのに、本作では敗戦直後に若山富三郎扮する島村清吉が復員してすぐのところから始まるし、ジョージ(山城新伍)とは旧知の仲であるもののみね子(清川虹子)とは初めて出会った、という設定。行き当たりばったりに作っている印象もあるが、最初の三作の時代設定を忘れてしまったので、シリーズ全作の時系列を並び替えれば案外辻褄は合っているのかもしれない(いやそうだろうか)。結局のところ、本シリーズは島村清吉が自分の考える正義のために法の秩序などおかまいなしに暴れて状況を改善の方向に導くも、法を犯したので捕まるか逃げるかで終わる≠ニいうことが本作でよくわかったが、なぜ本作でよくわかったのかというと、物語の運びがなんだかとっ散らかっていて、ぜっかくの大木実も桜町弘子も島田正吾も遠藤辰雄も金子信雄も高品格も、ついでに前作でマフィアの重鎮に扮したユセフ・オスマンも(とりわけ島田正吾も)無駄遣いという印象だったから。物語の運びでも一場面でも役者個人の藝でも、ここがもう一度見たい、という部分がほぼなかった→大根の葉のおつけ(自家製揚げ玉)、ねこまんま→3時起きだと食後さすがに眠くなり、老父買い物代行は午後にしてもらう→昼過ぎ出かけ、まずは深大寺〈玉乃屋〉で昼(天ぷらそば)。今日は揚げ玉もらわなくてもいいなと思ったので試しがてら(ずっと以前に二、三度訪ねたことはあるが、どんなもんだったかはすっかり忘れていた)。海老一尾と海苔の天ぷらで1,300円という塩梅も味もちょどよい感じではあったし、十割なども試してみないとなんとも言えないが、ここでなくてはならない理由も特になかったかな。揚げ玉の配布はしていないようだし→老父買い物代行(サミット)→週末に備えてガソリン補給して帰宅→『極道釜ヶ崎に帰る』復習→煮干し、ピール中瓶×1→午睡→トマトとピーマンのサラダ、牛じゃがいもニンジンの炒め、鮭缶、ぶなしめじと油揚のおつけ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→夜11時ころ就寝。
12月5日(木) 朝9時半起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、ご飯、納豆、海苔→『BS世界のドキュメンタリー ジョンとヨーコ 伝説的トークショーの5日間』鑑賞。実はジョン・レノンのことをよく知らないので(特にビートルズ解散以降は)、そういう意味でありがたい番組だった→その他録画消化・整理など→風呂→『マッド・ハイジ』(原題『Mad Heidi』、原作:ヨハンナ・シュピリ、監督:ヨハネス・ハートマン/サンドロ・クロプフシュタイン。ディーター・フリードリ、デヴィッド・スコフィールド、マックス・ルドリンガー、グラツィア・ペルゴレッティ、アリス・ルーシー、ケル・マツェナ、ドミニク・ヤン、パスカル・ホルツァー、キャスパー・ヴァン・ディーン、カスパー・ワイス、ミロ・モアレ、ヴェルナー・ビールマイアー、アルマル・G・佐藤、カーチャ・コルム、レベッカ・ダイソン・スミス、パスカル・ウリ、ジュリア・フォール、ジャクリーン・フックス、アンドレア・フィッシャー・シュルテス、レオン・ハーバート、マット・カンプフ、ジョシュア・マイヤー、ピエール・デュベイ、フィリップ・シュラー。2022、瑞Swissploitation Films/A Film Company)。笑いも狂気(題名の「Mad」)も、あるいは奇想も、観終えて冷静になると大したことはなかったなと思うのだが、バカが独裁するファシズム国家との闘い、という物語の背景がわかりやすい所為か、あるいはハイジ(アリス・ルーシー)やおじいさん(デヴィッド・スコフィールド)など『アルプスの少女ハイジ』でもお馴染みの登場人物の人物造形の外し方の微妙さの所為か、あるいは物語が展開するスピード感が適度な感じだった所為か、最後まで飽きずにゲラゲラ笑いながら楽しめた(原作にヨハンナ・シュピリの名前がクレジットされているのも、当然ではあるものの、なにか可笑しい)。復活してからのハイジの衣装や、あるいはクララ(アルマル・G・佐藤。スペインと日本のハーフで、9〜16歳を日本で過ごしたのち、スペインで活動しているそうだ)が背骨を折られて立てなくなるなど、『アルプスの少女ハイジ』感の残し方の微妙な感じも重い白い。この映画にとって重要な要素ではないかもしれないが、男性優位主義への批判もほの見える(ほの見えるというか、そこの浅い批判がわかりやすく述べられていると言ったほうがいいか)。取材記事などを読むと監督たちは続編にも意欲的なようだが(本作末尾にも「続編、『ハイジとクララ』」と表示される)、本作で背骨を折られたクララが「立った」となると可笑しくてよいと思う→煮干し、月見そば(自家製揚げ玉)、ビール中瓶×2→『イーストウィックの魔女たち』(原題『The Witches of Eastwick』、原作:ジョン・アップダイク、監督:ジョージ・ミラー。シェール、ミシェル・ファイファー、スーザン・サランドン、キース・ジョキム、リチャード・ジェンキンス、ヴェロニカ・カートライト、ジャック・ニコルソン、カレル・ストルイケン。1987、米Warner Bros.) シェール、ミシェル・ファイファー、スーザン・サランドン、そしてジャック・ニコルソンの芝居が(わざわざ言うまでもなく)素晴らしくて画面に(映画館で観ていれば銀幕に)引き込まれてしまうわけだが、ふと冷静になると、演出や話の運び方があまりうまくないというか、観る側があんまり入り込むのを拒むような手触りというか壁の存在というか、そんなものも感じた。物語はわかりやすいのに、その点が不思議だったが、もう一度、あるいは何度か観れば変わるのだろうか。あるいはその「壁」を乗り越えてこの映画のメッセージと面白さをつかんで欲しいということだろうか。むろん、再見する前に原作を読んでおくべきだろう→ほうれん草胡麻汚し、牛ピーマン炒め(ニンニク)、プチトマトとオリーブ、玉葱ベルのタレ炒め、鮭中骨缶詰、稲庭うどん、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×5→夜11時半就寝。
12月6日(金) 朝9時半起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、焼き飯(卵)→風呂→旅支度→午後1時半過ぎ出立→一時間ほどで野毛〈マンダリンホテル〉着→ひとまず宿でミックスナッツ、ビールロング缶×1→野毛の町をひと回りし、〈キムラヤベーカリー〉で明日の朝食のパンを購入。ついでに〈のり塩ラスク〉を、夜中の飲酒用に購入→〈第一亭〉にて早い晩。チートのしょうが炒め、野菜炒め、もつ炒め、玉子入りニラ炒め、ヤキソバ、ピール中瓶×2→腹一杯になり、宿に戻り休憩(ちょいと入眠)→明日の演奏曲目おさらい→夜8時過ぎ(9時近くか?)、〈旧バラ荘〉を訪ね寝酒。ワイルド・ターキーのロック×1。そしたらギター弾き語り歌手のライブが始まったので、これは長くなるかなと金宮酎ハイに切り替えて×5。ライブの途中に店に入ってきた青年二人の話し声がでかく、周囲の状況に無頓着という点で躾がなってない感じで不快を感じたが、マスターが話し声がでかい≠ニ注意したら素直に受け入れ、しかし直ちに帰っていった。やはり育ちが悪いのだなと思ったが、あとは楽しく飲酒→宿に戻り、のり塩ラスク、ミックスナッツ、ビールロング缶×1→午前1時就寝。
12月7日(土) 朝9時起床→シャワー→カレーパン、ごぼうのキッシュ、ハムサンドイッチ、珈琲→午前中横臥→午後桜木町駅前の〈スタジオ・セーラ〉にてリハーサル→夕方ぶらぶら〈Sam's Bar〉に向かい、近所の焼き鳥屋で(あまり時間がないので)焼き鳥頼まず一杯。もやし、バターコーン、韓国海苔、きゅうり、ピール中瓶×1.5→5時頃〈Sam's Bar〉入りし、セッティングとサウンドチェック→ビール小瓶一本もらって本番「Come On In My Kitchen」をみんなで盛大に間違えたが、全体的にはいい感じにできた気はする。「Come On In My Kitchen」はアンコールかかったのでもう一回演って満足。YGWも相変わらず楽しく、今回は特にドラムのルンバ鈴木さんがとても楽しそうだった。セッションタイムも私が参加した中では今までで一番盛り上がったかもしれない。ミックスピザ、ビール小瓶×1、角ハイボール×3→〈旧バラ荘〉に移動し、金宮酎ハイ×2→ご一緒したみなさんよりひと足お先に失敬して帰館。小腹空いたのでカップ麺啜ってから就寝。午前1時頃。
12月8日(日) 朝8時起床→カレーパン、ごぼうのキッシュ、チーズパン、珈琲→10時前にチェックアウト、野毛の町をひと回りして、昨夜の忘れ物を回収→スイスイのスイで30分ほどで東京着。希望丘の〈サミット〉で買い物して帰宅→のり塩ラスク、鯖寿司、納豆巻き、ビール中瓶×1→午睡→夕方起きて菊水堂ポテトチップス、のり塩ラスク、ビール中瓶×1→風呂→春菊と鯖水煮缶のサラダ、のり塩ラスク、じゃがいものおつけ、ご飯、長芋とろろ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→夜11時就寝。
12月9日(月) 朝10時起床。白湯。夜明け前に目が覚めて眠れなくなったのでそのまま起きようと思っている間に朝日が登ってから眠り、寝坊となった→じゃがいものおつけ、ご飯、梅干し→昼過ぎ、野毛で回収した忘れ物を千歳船橋駅前の郵便局より発送。ついでに買い物→以前、昼にスパゲティも出していた喫茶店〈ブレンドコーヒーハウス〉が、店主夫妻の息子のイタリア料理人があとを継ぐ格好でイタリア料理屋になって定着したといまさらのように知ったので、その〈La Pineta Tokyo〉にて昼。サラダ、カボチャのポタージュ、アンチョビとケッパーとモッツァレラのトマトソーススパゲティ、フォカッチャ、赤葡萄酒×1。今日食べた限りでは当たり。イタリア料理についてなにを知っているわけでもないが、食べ終えてしみじみおいしいものを食べたなあという感想が残った。近々昼にもう一度、そして夜にも来てみたい→〈大橋とうふ店〉で油揚と寄せ豆腐買って帰宅→昨年、DU宛の請求書の宛名を間違えたことをとつぜん思い出し、確認したら今年も間違えていた(今回データを流用する際、昨年の修正前のデータを使ってしまっていた)。昨年はそれとは関係なく支払いを忘れられていて、その際のやり取りでミスが発覚したのだが、今年はその前にこちらから連絡し修正請求書を再提出。今年のミスについては先方から連絡無かったので、図らずもリマインドにもなったかもしれない。しかし来年は気をつけねば→昨夜の『THE MANZAI 2024』の録画のうち、面白かったものだけを残して編集(司会とビートたけしは全カット)→午睡→風呂→寄せ豆腐、鶏もも肉ソテーと春菊、オムレツ、じゃがいものおつけ、ご飯、長芋とろろ、金宮酎ハイ×2→夜0時就寝。
12月10日(火) 朝7時半起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、ねこまんま、温泉卵→『音樂二十の扉』(監督:水野洽。三遊亭歌笑、川田義雄、リーガル千太、リーガル万吉、吉川公一郎、斎藤紫香、潮万太郎、美奈川麗子、日高澄子、小林桂樹、小杉光史、丸山修、池田春夫、根上淳、日高万里子、三村陽子、中野暁子、湊日南、松村若代、三井尚子、下門英二(床屋の英ちゃん)、山口文子、永田芳子、サウス・メロディ・シスターズ、東京スイング・コーラス、益田隆、牧由紀子、楽園クラックスター、伊藤道郎プロダクション アーニー・パイル舞踊団。1948、大映東京)。製作当時に流行っていたラジオ・クイズ番組『二十の扉』を、町場の劇場のスタッフや出演者が休憩時間に自分たちでやってみた、という設定で、音楽と映画にテーマを絞ったクイズの出題と回答の合間合間に大映製作の音楽映画などの歌の場面が引用される、というある種の音楽映画というか、自社作品宣伝映画というか。KINENOTEの記述によれば「撮影期間一週間という戦後初の早取り映画」とのことで、この情報が正しいのかの検証はしていないが、劇場の「楽屋番」という設定の三遊亭歌笑や、その娘役の日高澄子と恋人の文藝部員小林桂樹のささやかな恋物語、そこにちょっかいを出すダンサーの美奈川麗子、「二十の扉」を楽しむ劇場関係者を横目で眺める床屋の英ちゃん(当時の素人のど自慢の名人だそうだ)や客のリーガル千吉万吉、ときおり「二十の扉」と歌の世界をつなぐキャンディ売りの川田義雄らの小芝居≠フほかは、13本におよぶありもの≠フ劇中歌などの映像で綴られる。その13本を不完全ながら(映画作品名などは一応作中の台詞から拾ったが、ネット上の情報では検証できなかったものもある)列挙すると、『おしどり笠(1948)』より「おしどり笠」(小畑実)(片岡千恵蔵、山根寿子出演場面)、『扉を開く女(1946)』より「港の灯」(月丘夢路。歌の題名は検証不能)、『夜の門(1948)』(検証不能)より「啼くな小鳩よ」(岡晴夫)、「見てござる」(川田正子、川田孝子)、「夜のプラットフォーム」(淡谷のり子)、『東京の夜(1947)』より「東京の夜」(渡辺はま子)(若原雅夫、喜多川千鶴出演場面)、「東京の花売り娘」(岡晴夫)、『或る夜の接吻(1946)』より「悲しき竹笛」(奈良光枝)(おそらく奈良光枝、若原雅夫出演場面)、『盗まれかけた音楽祭(1946)』より「誰か故郷を想わざる」(霧島昇)/「並木の雨」(松原操=ミス・コロムビア)/曲名不明(霧島昇、松原操)、『春爛漫狸祭(1948)』より「君知るや南の国」(暁照子)、『舞台は廻る(1948)』より「ヘイヘイブギー」(笠置志津子)、『びっくりしゃっくり時代(1948)』より「この世の中とシャックリは、びっくりしなけりゃなおらない」(榎本健一、笠置シヅ子)、『今宵妻となりぬ(1947)』より曲名不明)(高峰三枝子)。「撮影期間一週間」が本当かどうかは別にしてそう言われればそうだろうなと思うしかない映画ではあるが、三遊亭歌笑(の顔)が大フィーチャーされているのに加え、当時の音楽映画(流行歌映画)の片鱗をぞんぶんに味わえるという点では、貴重な一作と思わないでもないし、終幕に益田隆、牧由紀子、アーニー・パイル舞踊団は名前だけは残っているとして、サウス・メロディ・シスターズ、東京スイング・コーラス、楽園クラックスターといった今や情報がなんにもないコーラス/ダンスグループが出てくる点では意外に情報量の多い作品とも言える(その歌と踊りの洪水ののち、唐突に日高澄子と小林桂樹のキスシーンになって映画は膜を閉じる)→花巻そば(刻み葱、うずらの卵×2)→『音樂二十の扉』復習。前述のとおり早撮りのようだが意外に情報量が多く不明点もあり、感想などまとめるのに時間がかかった→『助け人走る』の録画消化とのり塩ラスク、金宮お湯割り×2→風呂→『The W』見る。初っ端のやましたの無駄なことをベラベラ喋る女≠ニいうネタが、本人もたくさん喋ることが自分の特徴であるとアピールしていたのにそんなでもなく喋りまくることによるドライブ感などもなくひどかったのだが、なぜか続くぼる塾(食堂ネタのコント)が負けて憮然。純粋にいいほうを取るのではなく番組としてなにか思惑があると思われても仕方がない。あとはピンのもじゃ(廃品回収車)、コンビのレモンコマドリ(漫才だがネタ失念。キャラクターはよかったが)、コンビの忠犬立ハチ高(女政治家コント)、コンビの足腰げんき教室(漫才だがネタ失念)の面白さがほぼまったくわからず。ピンの河邑ミク(裁判の傍聴席に宮本亜門がいる)は、ほかに野田秀樹や唐十郎や蜷川幸雄や三谷幸喜や…… という混沌に向かうような台本のほうが私には面白かったのではないかと思った(宮本亜門だけだと意外性に乏しい)。惜しくも一回めで敗退したがキンタロー。(結婚相談所という設定だが狂ったモノマネの羅列)やエルフ(ギャルが歌舞伎町で助けた鳩が恩返ししにくるコント)、あと四年ぶりの出場(決勝に進出)という紺野ぶるまの年増ネタははレベルが違うと思った。にぼしいわしの優勝にはまあ文句はないが、これもまた「番組としてなにか思惑がある」という感じはした。おかずクラブの叶姉妹?ネタは意外性があってよかったな(二度見るほどではなかったが)→寄せ豆腐、豚バラと白菜のミルフィーユ(ニンジン、ニンニク)、トマト、ピーマンソテー(生姜、ベルのタレ)、犬飯(ぶなしめじと油揚のおつけ)、金宮酎ハイ×5→『音樂二十の扉』再度復習、というか笑って鑑賞したのち、夜0時頃就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記