2024年12月31日
12月まとめ(21〜31日)
『写真家・橋本照嵩スライドトークショー【瞽女さんと、旅回り。】』 於高円寺〈ちんとんしゃん〉、(多分)インフルエンザ罹患(A型)、39度2分、城昌幸/佐々木康/大川橋蔵『若さま侍捕物帖』、魔夜峰央/武内英樹/二階堂ふみ/GACKT『翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜』、江戸川乱歩/根本和政/真矢ミキ/渡部篤郎『黒蜥蜴』、ノーラ・エフロン/ジョン・トラボルタ『マイケル』、ジョン・ファヴロー/ウィル・フェレル/ジェームズ・カーン/ズーイー・デシャネル『エルフ〜サンタの国からやってきた〜』、ベルトラン・タヴェルニエ/デクスター・ゴードン/フランソワ・クリュゼ『ラウンド・ミッドナイト』、魔夜峰央/武内英樹/二階堂ふみ/GACKT『翔んで埼玉』、菅原洋一「知りたくないの」。
12月21日(土) 朝10時半起床。白湯→豚汁、卵かけご飯(しらすぼし)、海苔→録画整理→風呂→午後高円寺へ。しかし総武線が中野に止まっている間に、私の乗っている車両で昏睡状態になった乗客がいて、発車の気配なし。駅員も来て、私が何かできるわけでもないので、駅を出てタクシーに乗る→〈ちんとんしゃん〉にて『写真家・橋本照嵩スライドトークショー【瞽女さんと、旅回り。】』、二回目の参加。前回とお話の内容はほぼ同じだか、思い出す順番や思い出す際の感情が微妙に異なるからか、前回とはまた違った印象を得た(うまく言葉にできないが)。確か前回も歌った?「葛の葉子別れ」は10分近い長さでたっぷりと(それでも全体の1/3とのこと)→懇親会も楽しく、時間延長して飲んだ(ひさびさに鳥渡氏とも一献。先日茅ヶ崎でご一緒した詩人氏もいらしていた)→帰途はほぼ泥酔状態で記憶なし。経堂を乗り過ごした記憶はあるが、どこまで行ってどうやって戻ったかは不明。翌朝の状況からすると、経堂でカップうどんを買ってタクシーで帰宅、うどん食べて寝たようだ。
12月22日(日) 宿酔で終日横臥(昨夜のカップうどんのつゆが残っていたので、昼頃一度起きて稲庭うどん茹でて月見うどん)→夕方ようやく食欲出てきてので、豚バラとピーマンの炒め、じゃがいもとぶなしめじのバタ炒め、白菜と油揚のおつけ、ご飯、梅干し、海苔→風呂→『M-1グランプリ』、バッテリィズは収穫であった→鴨燻製、湯漬け(かつ節)、ビール中瓶×1→午前1時就寝。
12月23日(月) 朝7時半覚醒。昨夜寝る前に覚えた喉の違和感が増しており、風邪がうつったかなと、本日の散髪は申し訳ないがキャンセルさせていただく→昼過ぎ汁かけ飯(おろし生姜、生卵)を啜った以外は終日横臥。熱は38度1分まで上がった(12:00頃)→布団にくるまってもどうにも寒く、湯たんぽ入れてもらう。節々痛くなってくる→ひと眠りしたら、39度2分にまで上がる(16:00前後)。26日のチキンローストの会は残念ながら欠席とさせてもらった→リンゴひと切れ→少し眠ったのち、O形が買ってきてくれたメンチカツパンとみかんジュースを半分ずつ→38度6分(20時半頃)→鼻水鼻詰まり(21:00頃)、軽い頭痛→一時間弱睡眠。38度6分(21:48)。メンチカツパンとみかんジュース残り半分、みかん半分→一時間弱睡眠。38度9分(22:56)→38度8分(23:41)→38度8分(0:04)。就寝。
12月24日(火) 38度3分(3:08)。みかん半分。鹿肉ソーセージ煮込み(大根、白菜、ニンジン、ぶなしめじ、生姜)→38度2分(3:50)→37度6分(7:32)→38度1分(8:31)→37度9分(9:00)→鹿肉ソーセージ煮込みかけご飯(生卵)→38度1分(10:18)→37度8分(11:32)→36.9分(13:23)→37度6分(14:01)→37度5分(14:34)→鶏大根うどん(半玉。おろし生姜、揚げ玉)→37度9分(15:47)→38度3分(16:18)→38度1分(17:52)→37度9分(19:05)→38度6分(19:53)→そういえば、節々が痛いのはほぼ消えた。頭痛も。咳若干、鼻水中心て感じか。数時間まとめて眠られないのがきついかな(眠っても一時間しないで起きてしまう)→37度3分(21:01)→マカロニサラダ、QTTA(サワークリームオニオン味)、みかん→38度4分(21:51)→37度7分(0:38度→日付変わるころまでは鼻水中心だったが、深夜になって咳が出始めた→38度1分(5:20)。二時間くらいは眠ったかな。また挑戦。
12月25日(水) 朝8時半起床。37度7度→鹿肉ソーセージの煮込み、南部せんべい、玉葱のおつけ、卵かけご飯、納豆→37度1分(10:24)→二時間ほどうとうとし、起きたら36.9分(12:50)→36.9分(13:50)→鶏煮込みうどん(半玉。白菜、青葱、おろし生姜)。味覚が少しおかしくなったかな(あまり味を感じない)→36.8分(15:06)→37度4分(17:27)→賄い当番。しかし味覚を完全に失ってしまった→風呂。三日ぶり。さっぱり→寝床にて横臥→玉葱のおつけ、鹿肉ソーセージの煮込みかけご飯→今度はO形がインフルエンザになって?しまった→明日一番近い医院(私はちょいといけすかなかった)で診てもらうよう指示→夜0時就寝。38度1分。
12月26日(木) 朝6時半起床。37度6分。白湯→鶏洋風煮込み(トマト、白菜、大根、ニンジン、ニンニク、生姜)、ご飯半膳、納豆、海苔→37度5分(8:46)→昼過ぎまでぐっすり眠る→36度7分(13:06)→チャーハン(鶏洋風煮込み流用。もみ海苔)→37度1度(15:04)→O形診療の結果、インフルエンザA型との由。てことは私がそうだったのか。無理して予定どおり動こうとしなくてよかった→リンゴ齧りながら『M-1グランプリ』復習、および編集とBD-R保存。二回通して見ると、実はトム・ブラウンが一番面白かったのではないかと思った→36度9分(17:58)→一時間ほど睡眠→釜揚げそば(蕎麦湯400mlに平野醤油出汁醤油大さじ2)→37度6分(21:53)→37度5分。夜0時就寝。気がつけば、鼻水はほぼ出なくなった。あとは咳(喉の入口や鼻の裏側あたりの痛みや違和感)と、肺の機能低下によるものと思われる疲れやすさかな。
12月27日(金) 夜中に目が覚め眠れなくなったが、いつの間にか眠っていて、朝9時半起床。36度6分。白湯→瓶缶ゴミ出しなど。少しずつ日常を取り戻す感じ(ただし、缶は収集に間に合わなかった)→玉葱のおつけ、洋風鶏煮込みおじや→36度9分(12:14)→今週ためてしまった『助け人走る』を、最終回まで六話分消化。ようやくTV画面を眺める程度の気力は出てきた→そばつゆ仕込み。そして月見花巻そば→36度8分(17:07)→千歳船橋〈峰商会〉に灯油配達手配および受け取り→風呂掃除してお湯入れ替えて風呂→『若さま侍捕物帖』(原作:城昌幸、監督:佐々木康。岡田ゆり子、山形勲、明石潮、三田佳子、東龍子、沢村宗之助、桜町弘子、本郷秀雄、千秋実、茶川一郎、笑福亭福明、時田一男、長島隆一、大川橋蔵、三島雅夫、花園ひろみ、清川虹子、藤田佳子、坂東好太郎、吉田義夫、国一太郎、花柳小菊。1960、東映)。大川橋蔵版としては七作め(『地獄の皿屋敷/べらんめえ活人剣』を一本と考えた場合)。大川橋蔵のシリーズ作の中では唯一副題のない作品だが、なにか記念作的な謂れはあるのだろうか。そう思うのは、題名の件だけでなく、内容もこれまでに増して若さまっぷり≠ェ遺憾なく発揮されていて、スカッとする展開が泣きそうになるくらい素晴らしかったからだが−− 若さま(大川橋蔵)に対する四人の女−−船宿喜仙の娘おいと(桜町弘子)、矢場の若い女お澄(花園ひろみ)、小納戸役鈴木妥女(山形勲)の奸計によって家を取り潰され父親を死に至らしめられて酒問屋の家を取り潰された娘おちか(三田佳子)、琉球踊り一座の花形歌手奈美(岡田ゆり子)−−それぞれの若さまへの思慕の描き方のコントラストが素晴らしかったり、大川橋蔵のなよなよしなかがらも頼り甲斐のある若さまっぷり≠ェよくて小物を相手の力が抜けて飄々とした立ち回りがまたカッコよかったり、終幕の琉球踊り一座の公演での事件の暴き方捌き方にあっと驚かされたり、ただただ時間を忘れて楽しんだ。江戸時代の矢場に地味な電飾のルーレット?が登場する演出や、とつぜん繰り出される「真に尊いのは人の身分ではない云々」という徳の高そうな台詞も印象的。「安里屋ユンタ」の「[]︎またはりぬちんだらかぬしゃまよ」(また逢いましょう、美しき人よ)を織り込んだ、岡田ゆり子歌唱の「君恋いユンタ」も、編曲歌唱ともにいい出来栄えだった→鴨燻製、昆布出汁殻佃煮、鶏もも肉とピーマンのレモンソーススパゲティ、ビール中瓶×1→まだビールは無理だったようで、途中で一時間ほど横臥→『翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜』(原作:魔夜峰央、監督:武内英樹。魔夜峰央、朝日奈央、アキラ100%、和久井映見、二階堂ふみ、GACKT、加藤諒、益若つばさ、小沢真珠、中原翔子、山中崇史、ゴルゴ松本、杉山裕之、谷田部俊、デビット伊東、はなわ、杏、片岡愛之助、トミコ・クレア、藤原紀香、川ア麻世、村田雄浩、竹原芳子、ゆりやんレトリィバァ、堀田真由、山村紅葉、くわばたりえ、高橋メアリージュン、中尾彬、北村一輝、山本高広、モモコ、くっきー!、天童よしみ、瀬戸康史。写真のみ:菅田将暉、西川貴教、戸田恵梨香、北川景子、せんとくん、明石家さんま、加護亜依。エンドロールのみ:ミルクボーイ。2023、FILM、映画「翔んで埼玉」製作委員会製作/東映配給)。一作めは面白かったものの、「虐げられた埼玉の解放」というテーマはすでに解決してしまっており、その続きをどう面白くできるのかという不安もあったが、本作では大阪・兵庫・京都による関西圏および全国支配≠下敷きに、各都道府県(基本的に関西と関東に限られるが)の独特の風致や習慣の紹介≠うまく組み立てていて、特に後者のそれほど掘り下げないがそんなに浅くもない≠ニいう塩梅が絶妙で、前作同様とても楽しめたし、大笑いする箇所も多数あった。琵琶湖に焦点が当たられたことに関しては、観ている最中はまったくわからなかったが、本作の制作背景などを見ると埼玉から和歌山白浜に向かうという筋は最初に決まったものの、関西で取材を繰り返すうちに滋賀、琵琶湖がネタになるとわかってきた≠轤オい。あと、主演の麻実麗役のGACKTは沖縄出身として知られているが、「中高生時代を滋賀で過ごして」いたそうだ(週刊新潮2021/3/17)。その点でも滋賀、琵琶湖は本シリーズにとって鉱脈≠セったのかもしれないし、それをうまく拾ったものと思う。とびだしとび太(飛び出し坊や)の扱い方も秀逸だった(が、琵琶湖が飛び出し坊やの本場だということは、どれくらい知られているのだろうか?)。今回は麻実麗(GACKT)が埼玉に南紀白浜の砂を運んで埼玉に砂浜を作る≠スめに旅に出るが、もうひとりの主役壇ノ浦百美(二階堂ふみ)は埼玉に戻り、バラバラになった埼玉の心をひとつに結ぶために埼玉を東西(横軸)につなげる鉄道=武蔵野線を開通させるために尽力するのだが、そのくだりや、前作同様の現代パート(メイン部分をラジオドラマとして聞いて感動する人たちの顛末)も相当に可笑しかった→ビール中瓶×1。まだ今ひとつおいしくないな→本年最後の可燃ゴミ出して、朝6時就寝。
12月28日(土) 午後1時半起床。白湯。就寝途中、〈和泉屋〉が鏡餅とのし餅届けに来たので起きて受け取る→おじや(鶏洋風煮込み流用)→『黒蜥蜴』(原作:江戸川乱歩、監督:根本和政。西島数博、真矢ミキ、里見浩太朗、剛力彩芽、山下真司、竜星涼、渡部篤郎、森次晃嗣、升毅。2015、KTV)。『黒蜥蜴』を『黒蜥蜴』たらしてめている要素をいろいろと抜いて現代のお茶の間向けに作ってみた、という趣で、こんなもん褒めるわけにはいかないのだが(美男美女コレクションすら登場しない)、しかし真矢ミキと渡部篤郎、そして里見浩太朗の面白さでついつい仕舞いまで見てしまった。真矢ミキは、基本マンガ芝居なのだが(今でいう2.5次元か。まあ宝塚だし)、それなのに実があるのが不思議。とはいえ、普通の人のような芝居は意外にヘタだし、走る姿も意外にみっともないのであるが、そういうところも含めて、人には薦めないが密かに愛好する、かもしれない→『マイケル』(原題『Michael』、原案:ピート・デクスター/ジム・クインラン、監督:ノーラ・エフロン。ジョン・トラボルタ、ジーン・ステイプルトン、ロバート・パストレリ、ウィリアム・ハート、ボブ・ホスキンス、アンディ・マクダウェル、テリー・ガー。1996、米New Line Cinema)。シカゴの三流タブロイド紙『The National Mirror』で働くダメ記者ふたり−−ヒューイ・ドリスコル(ロバート・パストレリ)、フランク・クインラン(ウィリアム・ハート)−−と新人ひとり−−ドロシー・ウィンタース(アンディ・マクダウェル)−−が編集長(ボブ・ホスキンス)に命じられ、アイオワ州の場末のモーテルに実在の天使≠取材しに行くと、果たしてそこにマイケルと名乗る背中に羽の生えた中年男(ジョン・トラヴォルタ)がいた−− という話で、主な物語はそのマイケルをアイオワからシカゴにクルマで運ぶ道中の様々な、そして小さな出来事で綴られるのだが、ファンタジー的な要素も薄ければ、スペクタクル映画と呼べるような要素もない。天使という要素を横に置いてロード・ムービーとのみ考えても、道中の食事、音楽、ダンス、恋、ケンカ、クルマの故障と救いの手などなど、ありきたりの要素ばかりである。しかしそうしたありきたりの要素を、天使(一応、大天使ミカエルである)のちょっとした思考や行動を通して結びつけていくことで、小さい人たちの小さい人生がなんだか輝いて見えてくるから不思議である(楽曲提供以外にどんな風に関わったのかは知らないが、おそらくランディ・ニューマンの音楽の所為もあるだろう)。また地上に降りてきた天使(繰り返すが大天使ミカエル)にジョン・トラヴォルタを起用した、その天使の造形の仕方もよかったと思う。ただし、「ファンタジー的な要素も薄ければ、スペクタクル映画と呼べるような要素もない。天使という要素を横に置いてロード・ムービーとのみ考えても、道中の食事、音楽、ダンス、恋、ケンカ、クルマの故障と救いの手などなど、ありきたりの要素ばかり」という点は、そこにだけ注意が行ってしまった人にはそういう映画にしか見えないのだろうなとは思った→菊水堂ポテトチップス、鴨燻製、鶏もも肉とピーマンのレモンソーススパゲティ、ビール中瓶×1.5。映画の途中で眠くなってしまったので、夜8時過ぎ就寝→日付け変わる前に起床→『マイケル』続き観ながら鶏とぶなしめじの煮込みそば→明日の粥煮てから就寝。午前4時。
12月29日(日) 朝9時起床。白湯→鶏ぶなしめじ粥(卵、生姜みじん切り)→のし餅切り分け→〈魚真〉の荷物受け取り→36度7分(12:33)→午後、千歳船橋駅前に出て買い物。家から外に出るのはちょうど一週間ぶり。〈秀〉と〈大橋豆腐店〉。肉屋が日曜休みなのを忘れてて憮然→風呂→『エルフ〜サンタの国からやってきた〜』(原題『Elf』、監督:ジョン・ファヴロー。ボブ・ニューハート、エドワード・アズナー、ジェームズ・カーン、ウィル・フェレル、エイミー・セダリス、フェイゾン・ラヴ、ズーイー・デシャネル、メアリー・スティーンバージェン、ダニエル・テイ、アーティ・ラング、ジョン・ファヴロー、リディア・ローソン・ベアード、マイケル・ラーナー、アンディ・リクター、カイル・ガス、マーク・アケソン、ピーター・ディンクレイジ、クレア・ローティエ。2003、米New Line Cinema)。サンタクロース(エドワード・アズナー)がクリスマス・プレゼントを配布中、とある孤児院でひとりの赤ん坊が贈り物の袋に入り込んでしまい、サンタもそれに気づかず拠点である北極に連れて行ってしまう。赤ん坊を返そうという議論もあったが、サンタの一存で子供のいないエルフ(ボブ・ニューハートに託すことに(エルフとは妖精のこと)。人間が足を踏み入れたことのないエルフたちの町でその赤ん坊−−のちにバディと名付けられる−−はすくすくと育ち(育ったのちはウィル・フェレルが演じる)、しかし生まれがエルフではなく人間だけに、クリスマス・プレゼント製造の仕事では失敗ばかり。そんなとき、バディの実の父親がニューヨークで暮らしていることがわかり、バディは北極から遠路はるばるニューヨークまで徒歩≠ナ赴き、ついに父ウォルター(ジェームズ・カーン)に再会する−− とここからのニューヨークでのひと騒動が本作の見どころだが、人間社会のことを全く知らないバディがニューヨークの町でエルフの常識だけで生きていく様は、痛快でもあり社会不適合者の行動を見ているようでもあり、しかし純真な心というものを目の前に突きつけられているようでもあり、単純なドタバタに見えて実は深い表現なのではなかろうかと思った。そして途中は端折るが、終盤でサンタの橇が走らなくなりクリスマスの心≠ェ必要だとなった際に、バディが百貨店で(周囲の勘違いで働くことになった際に)出会った女性店員ジョヴィー(ズーイー・デシャネル)が「Santa Claus is Coming to Town」を歌い出すと公園にいる皆が唱和し、その力で橇が動き出す場面では涙が流れた。ハートフル・コメディの傑作と思うが、ウォルターの務める出版社に著名ゴーストライターとして小人のマイルズ・フィンチ(ピーター・ディンクレイジ)がやってくる場面ではバディが「エルフだ!」と喜ぶのも皮肉といえば皮肉だし。マイルズ・フィンチが小人なのに他の人間よりも大きく見えるような撮り方も皮肉が効いているように思った。ウォルターもそうだが、百貨店のマネージャー(フェイゾン・ラヴ)とか、ウォルターの息子(つまりバディの腹違いの弟)のマイケル(ダニエル・テイ)だったり、一見意地悪そうな人たちも実はそうではなかったりふとしたきっかけで改心したり(そのふとしたきっかけの描き方が、雪合戦などを利用したりして、また素晴らしい)といった物語上の仕掛けもよかった。先述の「Santa Claus is Coming to Town」のほか、劇中歌われる「Baby, It's Cold Outside」などの用い方も効いてたと思う。純粋な心というものを嫌味なく描いた傑作、と言ったら言い過ぎか。なおちなみに、冒頭のエルフの町の描写ではクレイ・アニメーションとの合成も多用されるが、レイ・ハリーハウゼンがエルフの町のキャラクターのひとり(北極熊)の声を担当している(本作製作時、レイ・ハリーハウゼンは御歳82。この10年後にお亡くなりになっている→菊水堂ポテトチップス、きつねキャベツ、ビール中瓶×2→36度6分(18:49)→なめこ汁、豆腐と大根とニンジンの煮物(湯豆腐にしようとしたが豆腐を細かく切り過ぎて失敗)を作ってから、夜9時過ぎ就寝。
12月30日(月) 午前1時起床→『ラウンド・ミッドナイト』(原題『Round Midnight』、監督:ベルトラン・タヴェルニエ。デクスター・ゴードン、ハート・リロイ・ビブス、ボビー・ハッチャーソン、サンドラ・リーブス・フィリップス、ハービー・ハンコック、ジョン・ベリー、リリアン・ロヴェール、フランソワ・クリュゼ、ガブリエル・ヘイカー、クリスティーヌ・パスカル、ブノワ・レジャン、ロネッタ・マッキー、フレデリック・マイニンガー、ピエール・ツラボー、マーティン・スコセッシ、アーサー・フレンチ、ヴィクトリア・ガブリエラ・プラット。1986、仏米Little Bear、PECF製作/Warner Bros.配給)。封切り時以来二度め。カメラがパンするだけで現在/過去が切り替わるベルトラン・タヴェルニエ独特の手法がもっとあったように思っていたが、意外にも冒頭だけだった(見落としもあるかもしれないが)。老名ジャズマン(デクスター・ゴードン)が悩みを抱えつつニューヨークからパリを新天地と定め移り住み、そこで老名ジャズマンのよき聴き手である青年(フランソワ・クリュゼ)の手も借りて不調を克服。ホームであるニューヨークで華々しく復活した姿を見せたのち他界する、という話で、むろん文句があるわけではないし老名ジャズマンと若者、老名ジャズマンと昔からの仲間たち(ボビー・ハッチャーソン、サンドラ・リーブス・フィリップス、ハービー・ハンコック、マーティン・スコセッシなど)の心の交流を描いた様に感動も覚えはしたわけだが、初見時にどういう感想を抱いたのかや、老いた人が最後に再び光明を見出すという物語として本作のどこに特別ななにかを見つけたのかは、まったく思い出さなかった。本作の感想よりも、自分がいかにダメな映画見であることかと嘆息した鑑賞であった→豆腐と大根とニンジンの煮物、南部煎餅、御酒×2→明日老父に届けるほうれん草を茹でてから就寝。午前3時半→朝9時前起床。白湯。36度9分→なめこ汁(生卵)→老父買い物代行(クリエイト、サミット)→帰途希望ヶ丘の〈サミット〉にて家の分の買い物して帰宅。クルマの運転中ずいぶん咳が出たが、運転自体は特に草臥れるものでもなかったし、集中力が散漫になることもなかった→鯖寿司、きつね月見そば(刻み葱)、ビール中瓶×1→36度5分(14:06)→午睡→経堂方面に出て、〈しらかめ〉にて年越しそば一式受け取りののち、〈オオゼキ〉にて牛、鶏、鶏ガラ、海老、野菜など購入→風呂→今回ご迷惑かけた各方面に快復の報告→雑煮用の鶏ガラ出汁製作しながら『ラウンド・ミッドナイト』復讐→『翔んで埼玉』(原作:魔夜峰央、監督:武内英樹。魔夜峰央、ブラザートム、麻生久美子、島崎遥香、GACKT、二階堂ふみ、加藤諒、中尾彬、武田久美子、伊勢谷友介、益若つばさ、麿赤兒、益若つばさ、小沢真珠、京本政樹、JAGUAR、竹中直人、ふなっしー、成田凌。2019、東映)。『翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜』を観たのでついでに。初見時の「まったくなにも期待していなかったが、役者がみなこういう映画だからこその楽しそうな点がとてもよかった(芝居の力のない島崎遥香と加藤諒以外)」。という感想はほぼ同じ。加藤諒は、本作のその役柄に必要などん百姓くささを表現できていた(そういう芝居に向いていた)という点では、そこまで厳しく言わなくてもよかったかなと思い直した。新たな発見は特になし。麻生久美子が本作で見せた芝居は『おむすび』でも発揮してほしいと思ったが、それも本作とは関係のない話ではある→豆腐と大根とニンジンの煮物、南部煎餅、豚生姜焼きとキャベツ千切り、ビール中瓶×1、御酒×2→本日も酒に負ける感じで眠くなり、夜10時頃就寝。
12月31日(火) 午前9時半起床。白湯→雑煮(餅一ケ)→ここ数日に観た映画の感想などまとめ→『年忘れにっぽんの歌』見ながら鶏ガラ出汁殻醤油煮、ごぼう牛肉巻き、天ぷら(にんじんかき揚げ、海苔、ピーマン)、ビール中瓶×1.5→一時間ほどで眠くなり午睡。全然飲めなくなったな。三時間ほど→夜8時過ぎ起床。年越しそば(もりそば)。今年は割ときちんとやったので、うまく行った→『紅白歌合戦』、今年は一曲も聴くべき歌がなかった→マグロ刺身、御酒×2→風呂→『年忘れにっぽんの歌』消化。菅原洋一「知りたくないの」は相変わらず素晴らしい→少し園まり「逢いたくて逢いたくて」練習してから(『歳忘れ〜』で映像が流れたので思い出した)午前3時就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記