『爆笑ヒットパレード2025』(ラブレターズ、どぶろっく)、『ドリーム東西ネタ合戦2025』(博多華丸・大吉、どぶろっく)、『新春! お笑い名人寄席』(特になし)、『新春生放送! 東西笑いの殿堂2025』(特になし)、黒澤明を第一作から(『姿三四郎』『一番美しく』『續姿三四郎』『虎の尾を踏む男達』『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』)、大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』、東八道路沿いの洋食屋〈Homer〉初訪問、B電子高柳仕事三本一応完了、『池波正太郎の銀座日記(全)』読了。
1月1日(水) 朝9時半起床。白湯→『爆笑ヒットパレード』見ながらかまぼこ、ごぼう牛肉巻き、雑煮、ビール中瓶×1→午睡→2時半起床→『爆笑ヒットパレード』見てないところを確認→月見たぬきそば(刻み葱)→『爆笑ヒットパレード』続き→数の子、漬けマグロソテー、海老天ぷら炙り、雑煮、ビール中瓶×1→夜9時就寝→日付け変わる前に起床→『爆笑ヒットパレード』続き。ラブレターズのコントが出色の出来だった。爆笑問題は中居正広問題に触れたが、TVだとまああの程度だろう。ナイツは斬新だった。あとはどぶろっくの「マーガリン」→『笑点』まで消化。師弟ペア大喜利はかなり面白かった→雑煮のつゆ×2、揚げ玉、蒲鉾ふた切れ、鶏もも肉ソテー、金宮酎ハイ×3、金宮水割り×1→午前5時就寝。
1月2日(木) 午前11時起床。白湯→雑煮→食後すぐ午睡→蒲鉾、ごぼう牛肉巻き、雑煮、ビール中瓶×1→正月お笑い番組録画消化(『ドリーム東西ネタ合戦2025』『新春! お笑い名人寄席』)。この二番組では、『ドリーム』のほうの博多華丸・大吉の腕前に感心し、あとは昨日に引き続きどぶろっく(エグツィンコ)で笑う。『新春! お笑い名人寄席』は小朝が邪魔だし山田邦子をフィーチャーするのはなんとも。以前は他の同種の番組にはない面白さもあったのだが、それも色褪せた感あり→風呂→ごぼう牛肉巻き、金宮酎ハイ×4→鶏ガラ出汁第二弾製作→夜0時就寝。
1月3日(金) 朝5時半起床→鶏ガラ出汁殻(昆布、青葱含む)で酒肴製作し、金宮酎ハイ×2。〆に釜揚げ月見たぬきそば(刻み葱)→朝8時就寝→午後2時起床。白湯→雑煮→年末の日記まとめ→新年仕事初め(B電子仕事の資料として送られてきた内田修『ジャズが若かったころ』p.92〜97をテキストデータ化)→『新春生放送! 東西笑いの殿堂』。ごちゃごちゃし過ぎて特に感想なし。例年と変わってないと思われるので、こちらの見方が変わったか→鶏ガラ出汁殻醤油煮(昆布)、数の子、蒸しカリフラワーとジャガイモ、牛肉炒め、海老天ぷら炙り、ピーマン天ぷら揚げ冷まし、雑煮出汁のみ、御酒×2→午睡→夜10時過ぎ起床。『東西笑いの殿堂』の続きを見て、その後飲むかどうか考えていたら明け方になり、結局飲まず、午前5時就寝。
1月4日(土) 午前11時時起床。白湯→雑煮→風呂→B電子仕事、戦後横浜のジャズクラブ云々の話を中心に、B-38紹介記事の断片を書き散らす。まとめるための材料としては、あるいはきっかけとしては十分かなと思い、いったん放置→『姿三四郎』(原作:富田常雄、監督:黒澤明。藤田進、小杉義男、花井蘭子、大河内傳次郎、高堂国典、青山杉作、月形龍之介、轟夕起子、志村喬、菅井一郎。1943、東宝)。言わずと知れた、黒澤明の映画監督デビュー作。冒頭の姿三四郎(藤田進)目線と思しきゆったりとした移動ショットや、三四郎のライバルとなる檜垣源之助(月形龍之介)を嫌う柔術家良移心当流師範村井半助(志村喬)の娘小夜(轟夕起子)が村井家の中で源之助が障子を開けて部屋に入る寸前に片側の障子を開けて避ける場面の動きと障子の意匠(修繕のあとの塩梅など)など、映像表現として当時斬新だったんだろうなと思われる場面にはいくつか気づいたが、その辺はいかんせん同時代の作品の知識が乏しいので、なんとも言えない。柔道の試合の場面については、後年の『柔道一直線』などに影響を与えたであろう描写があったのは興味深かった。ちなみに私が観たのは91分版で、これはオリジナルの97分版が「當時の國策の枠をうけ」(映画冒頭の字幕より引用)79分に短縮されたのち、1990年代にロシアで発見された「カットされた部分の一部を含む45分のフィルム」(Wikipediaより)から12分のフィルムが復元されたものと思われるが(確証はないが今回観たのものの尺が91分だったことからの推測)、姿三四郎の出自、三四郎が師矢野正五郎(大河内傳次郎)に猛特訓を受ける描写(これは字幕でのみ説明される)、檜垣源之助という執着心の強い人物の背景、三四郎が山嵐≠ナ投げた結果的に命を奪ってしまった柔術家門馬三郎(小杉義男)の娘お澄(花井蘭子)の心中や行末などなど、説明不足と思われる箇所が散見されたのは、残る6分の短縮の所為か。あるいは二年後の『續姿三四郎』で明らかになるのか−− 余談だが今年黒澤明作品を本作から順に観ることにしたので、その過程で本作の二年後に撮られた『續姿三四郎』も観るはずなので、判断はその後にしたい。あと感想といえば−− 終幕の汽車の意匠があまりに可愛らしく、映画全体よりもその印象が強く残ってしまった、という点か→菊水堂ポテトチップス、昆布かつ節出汁殻、むじな月見そば(刻み葱)、ビール中瓶×1、御酒×1→ようやく、ゆっくり飲めば急激に眠くなるようなこともなくなってきたが、食べるとなんだか横になりたくなるので、しばし横臥→結局眠ってしまった。夜10時頃起床→O形サイト更新。新年なので全htmlファイル書き換え(

1月5日(日) 朝10時起床。白湯→鶏粥(中華風白髪葱)→B電子仕事。あと一歩かな→『一番美しく』(監督:黒澤明。志村喬、菅井一郎、清川荘司、谷間小百合、西垣シヅ子、登山晴子、増愛子、河野糸子、羽島敏子、萬代峰子、鈴木あさ子、尾崎幸子、河野糸子、山口シズ子、矢口陽子、横山運平、入江たか子、河野秋武、真木順。1944、東宝)。日本の第二次世界大戦敗戦の一年四ヶ月前に撮られた国策映画。軍需工場で働く女子挺身隊の少女たちの仕事や生活を活き活きと描いた−− と思ったところで資料を見てみたら、黒澤明は「工場で働く少女たちをドキュメンタリーのように撮るため、撮影準備期間は新人女優たちの訓練に充てて、本物の挺身隊のように仕立てた。訓練は企画着手時と同じ9月に開始し、2か月間行った。まず駈足の訓練からはじめ、バレーボールをやらせたり、鼓笛隊を組ませて街の中を行進させた」「横浜市戸塚区の日本光学工業の戸塚製作所第一工場に、新人女優群23人を女子挺身隊として入所させ、撮影開始した。彼女たちは実際の工場の寮で生活し、職場に配置して工員同様の日課で労働した」とのこと。これについて黒澤は「こうでもしなければ、全くリアリティのない紙芝居になってしまうと考えてやっただけである」と言っていたそうだが(「」内の引用はすべてWikipediaより)、監督二作めにして(しかも国策映画なのに)、早くも完璧主義者∞黒澤天皇≠フ片鱗が見えるエピソードと言えると思う。また国策映画でありながら、少女たちの周囲の大人たち(志村喬や菅井一郎扮する彼女たちが働く工場の上司たち、入江たか子扮する女子寮の寮母など)が優しく、どんな時代にあっても大切なのは人の心の優しさ≠ニいうメッセージが色濃く伝わってくる辺り、安易に戦中の気分に乗らなかった黒澤の矜持の表れかなとも思ったが、これについてはこの映画を観ただけではなんとも言えない。少女たちが体調不良を恥≠ニ捉えて隠そうとする描写などは現実味を伴った表現と思う一方、いわゆる生理≠描かなかったのには完璧主義≠フ不足を感じはした。冒頭の、工場の表札をゆっくりとしたティルトダウンで映した直後に激しい口調の工場所長(志村喬)の演説が始まるなど、映画としての表現の工夫も見られたが、それらについてももう一度きちんと観てみないと、黒澤ならでは≠ニか黒澤の個性が≠ニかなんとか、なにか言うことはできない→菊水堂ポテトチップス、蒲鉾、数の子、月見そば(ぶなしめじ、刻み葱)、ビール中瓶×1、御酒×2→眠くなってしまい午睡。まだ飲酒は本調子ではないな→本日より始まった大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』見てみたが、とてもきちんと作ってあるものの、なにか満足できないものがあった。子供の頃から古い時代劇を見てきた者としては、江戸≠フ感じがなんか違う、という程度のものかもしれない。いつもの大河ドラマと違って興味のある題材なので、しばらく見てみよう→酒はやめにして、水飲みながらマグロ刺身→午前3時、B電子仕事のB-38初稿完了。「モカンボ・セッション」(1954)で三人が顔を合わせていることがわかったのは僥倖だった(早く気づけよ)。昨年「下北沢ジャズ紳士会」(於〈空飛ぶこぶたや〉)でお会いした(といっても挨拶くらいで御著書をいただいたのもO形だが)二階堂尚氏の『欲望という名の音楽 狂気と騒乱の世紀が生んだジャズ』も参照・引用→寝酒に御酒一杯やって就寝。午前4時。
1月6日(月) 朝9時起床。白湯→風呂→鶏粥(溶き卵)→老父買い物代行(サミット)および通帳記帳。本年初外出なり→ハイカラビーフカレーライス(松本楼)→老父受診付き添い(所澤クリニック)→ガソリン補給して帰宅→蒲鉾、漬けマグロソテー、カリフラワーじゃがいもニンジンクミンソテー、鮭ホイル焼き(ぶなしめじ)、豆腐と油揚のおつけ、ビール中瓶×1、御酒×2→本日から再放送開始の『必殺必中仕事屋稼業』、撮り損ねて憮然。一応明日の第二話から録画するかな→夕方7時就寝→日付け変わる前に起床→「きみはじゃまっけ」練習。歌いながら弾くと1フレットずれたりするな。指板の上り下りが少し激しいので、要練習→『續姿三四郎』(原作:富田常雄、監督:黒澤明。石田鉱、藤田進、轟夕起子、高堂国典、菅井一郎、光一、大河内傳次郎、月形龍之介、河野秋武。1945、東宝)。『姿三四郎』(1943)の二年後に撮られた続編。公開は1945年5月3日、日本の第二次世界大戦敗戦の三ヶ月前になるが、まだ新作映画が公開される余裕があったのかと、改めて驚いた。戦時中の映画だが、「撃ちして止まむ」などの標語の表示はない。物語は前作で野心家檜垣源之助(月形龍之介)を斃した姿三四郎(藤田進)が、強いが故の悩みを悩みつつ、師匠矢野正五郎(大河内傳次郎)の導き、年若い弟子(左文字大三郎=石田鉱)、さいづち和尚(高堂国典)の言葉などに助けられながら、破門覚悟で檜垣源之助の弟鉄心(月形龍之介)ならびに源三郎(河野秋武)の挑戦を受けて立つ、というもの。その流れの中で、さいづち和尚の「道のための形は、道のために崩れても構わんじゃろうが!」という一喝が印象に残る。檜垣兄弟との決闘に臨むためにボクシングのリングに上がり柔道で戦う場面も興奮するし、檜垣兄弟との決闘に勝ったのち鉄心を看病しながらこころ安らかに眠る三四郎を見て、源三郎が三四郎を刺し殺そうとするも「負けた」とつぶやく、三四郎がまたひとつ大きくなったと思わせる終幕も記憶に残る。全体にひと目観てハッとするような絵造り、演出も多く、観る者を惹きつける魅力の多い映画だとは思うが、放映データの品質の所為か前半の台詞がほとんど聞き取れないので(再見したら聞き取れるということもよくあるが)、総合的にはなんとも言えない、という憾みは残る。ちなみに黒澤自身は「あまり上出来の映画にならなかった」と述懐しているそうだ(黒澤明『蝦蟇の油』岩波書店)→柿ピー、豆腐と油揚のおつけ、御酒×2→朝5時就寝。
1月7日(火) 朝9時起床。白湯→〈所澤クリニック〉に寄って老父のクスリ受け取り配達→東八道路沿い(小金井街道との交差点近くの洋食屋〈Homer〉を初訪問。コーンポタージュスープ、ナポリタン。優しい味で、ちょっと焦点が定まらない印象もあったが、味の強弱については卓上の塩胡椒で調整できるし、なにより人間と接している≠ニいう感じの接客がよい。気に入った→(私は二ヶ月ぶりの)〈むらさきmusicラボ〉。O形作詞の「きみはじゃまっけ」を2月15日の発表会で披露することになり、そのための打ち合わせが主。二番の歌詞が子供には難解と思われるので、それをカットし終盤の曲調が変わるところを三回繰り返す、となる。あとギターについて、不協和音とか叩き奏法とかのご提案をいただく。また面白くなりそうだ→まっすぐ帰宅し、『必殺必中仕事屋稼業』見ながら、菊水堂ポテトチップス、豚ロース生姜焼き、キャベツ千切り、カップ天ぷらそば(生卵)、ビール中瓶×1、御酒×2。『必殺必中仕事屋稼業』は、第一話を録り損ねて憮然としていたが、調べたらすでに全話見ていた→夜7時就寝→日付変わる前に起床→『虎の尾を踏む男達』(監督:黒澤明。榎本健一、横尾泥海男、志村喬、大河内傳次郎、森雅之、河野秋武、小杉義男、仁科周芳(十代目岩井半四郎)、藤田進、久松保夫、清川荘司。1945、東宝製作/1952、東宝配給)。能の『安宅』、歌舞伎の『勧進帳』を下敷きにして、榎本健一扮する剛力を道化役とした一本。黒澤が「大河内傅次郎と榎本健一主演で桶狭間の戦いを描いた『どっこい!この槍』という作品を企画したが、戦時中のため馬が調達できず、急遽同じ主演俳優を起用して本作を作ることになった」そして「この企画は『勧進帳』を基にして脚本をすぐに書ける上に、セットは1杯、ロケは撮影所裏の林で行うことができるため、敗戦直前の物資不足の中でも製作が可能だった」というのが製作の背景だそうだ(Wikipediaより孫引き)。勧進帳≠フ場面での大河内傳次郎の弁慶が見事。そしてそれを受ける富樫=藤田進の屈託のなさも印象に残る。しかしなんと言っても、冒頭でおどけながら真実を知り怯える剛力のエノケンの芝居に引き込まれるし、終幕で酔っ払って踊るエノケンも見事。そしてエノケン扮する剛力が酔っ払って寝てしまい、はっと起きると誰もいない。その、今までのことはすべて剛力の夢だった≠ニも取れるような演出と、それを受けたエノケンの動きが、勧進帳¥齧ハと対をなしてこの映画の印象を決定づけていたと思う。なにかを伝えたいというより映画を作りたかったから作った、という趣も感じるが、それでいいと思わせられる手応えと迫力を感じた→風呂→『九ちゃん 刀を抜いて』(原作:岡本一平、監督:マキノ雅弘。高橋とよ、水野浩、坂本九、名護屋一、東千代之介、原田甲子郎、西村晃、常田富士男、織田政雄、九重佑三子、進藤英太郎、大村文武、南田洋子、有島竜司。1963、東映)。ちょうど一年ほど前に観ていたのすっかり忘れていた。感想はそのときと同じ(進藤英太郎云々は、今回観た感想としてはどっちでもいいか、であった)。「役者で言えば坂本九のたくまざるユーモア、東千代之介の男っぷり、南田洋子の上手くはないが適度な色気を含む芝居のよさ、演出で言えばじわじわとした屋台崩し、白柄組と町奴双方の我慢大会の可笑しさ、仇討ち騒ぎが平和裡に収まるやかんへの仇討ち、それに続く沢庵和尚(西村晃)の歌などなど、見どころは多いのだが、これといった特徴は感じられず記憶にもあまり残らなかった、不思議な味わいの映画だった。進藤英太郎は幡随院長兵衛よりも水野十郎左のほうが合っていたかなと思うが、果たして」→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→午前5時就寝。
1月8日(水) 朝9時起床。白湯→豆腐と油揚のおつけ、磯部焼き→昼頃〈中江クリニック〉。予約してたが30分待ち。血圧は、最近はクスリ切らしてたのもあって朝が高めだったが、ここで測ると不思議と安定している。わざとか?→調剤薬局は四、五十分待ちということで、明日の散髪の帰りに取りに寄ることにする→帰宅して月見刻み南蛮そば、御酒×1→O形がケーキ買ってたのでおやつにレアチーズケーキ、珈琲→午睡→菜の花おしたし(しらすぼし)、芝海老唐揚げ、かき餅、豆腐と油揚のおつけ、ビール中瓶×1→食後3時間ほど睡眠。三日続けて出かけたので疲れたか→日付け変わって起床→『わが青春に悔なし』半分まで→午前5時就寝。
1月9日(木) 朝9時起床。白湯→風呂→豆腐と油揚のおつけ、湯漬け(しらすぼし、たらこ)→午後散髪。昨年末のインフルエンザ感染の厄落とし%Iな意味で、3mmほどの坊主にしてもらう。ビール350ml缶×1いただき、風呂もいただく→〈まい泉〉で晩のもの(ロースカツ、ヒレかつサンド)買って帰宅→『わが青春に悔なし』続き。(監督:黒澤明。原節子、大河内傳次郎、三好栄子、藤田進、河野秋武、田中春男、千葉一郎、米倉勇、高木昇、佐野宏、清水将夫、河崎堅男、深見泰三、原緋紗子、志村喬、杉村春子、高堂国典。1946、東宝)。1932年に京都帝国大学法学部の瀧川幸辰教授が行った「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」の講演に端を発する思想弾圧事件=瀧川事件/京大事件と、元大阪朝日新聞記者だった尾崎秀実が近衛内閣嘱託だった際に関わったゾルゲ事件とを題材にした青春群像劇。青春群像劇と言っていいのか、青春≠フ中心となる人物は尾崎秀実に材を取った野毛隆吉(藤田進)、その親友である糸川(河野秋武)、そして思想弾圧事件の中心人物であった八木原教授(大河内傳次郎)の娘幸枝(原節子)の三人。そして青春≠フ範疇には入らないが野毛隆吉が急進的活動家となるきっかけであった思想弾圧事件の中心人物である八木原教授を入れても中心人物は四人のみではあるが、ファシズムに弾圧された男たちの来し方行末は物語の中ではむしろ話を転がす役割であって、本作の物語の主眼は気位が高く激しい性格を持っていた大学教授令嬢の幸枝が、男たちが時代に翻弄され弾圧されたり寝返ったり右往左往する中で、ひとりの人間としての自我と独立を獲得していく、という点ではないかと思ったが、果たして。原節子扮する幸枝が、序盤の「気位が高く激しい性格を持っていた大学教授令嬢」、中盤の愛する野毛と再開し愛を知る女っぷり、終盤の野毛の獄死を知ってから野毛の両親を助けて野良仕事に命をかける覚悟の表現を通じて、強い意志を持った(新時代の?)の女性として見事に鮮やかな印象を残す(それは原節子による、黒澤明の演出のきちんと受け取っての具現化と思う)点で、そう思った次第。中盤までクローズアップの多用と、なにか考えるべきことがあると思わせられるような思わせぶりの構図がやや鼻につく感じではあったが、観終えてああなるほどそういうことかと感心したのは、専ら原節子の芝居と扱われ方であった→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→風呂。『池波正太郎の銀座日記(全)』読了。連載開始が60歳、連載終了が死去の年で67歳。その間食欲と酒量が落ちていく様が克明に記録されているのが、同じ年頃となる自分にとっては個人的にはとても興味深かった。少し分析的に再読してみたい→キャベツピーマントマトのサラダ、ロースカツ、じゃがいもニンジン玉葱キャベツの芯のポタージュ、ヒレかつサンド4切れ、ビール中瓶×1→「真矢蜥蜴」をO形に見せる。やはり真矢みきは面白いが、これは二回見たらもういいか→夜10時就寝。
1月10日(金) 午前11時起床。寝過ぎた→じゃがいもニンジン玉葱キャベツの芯のポタージュ、ヒレかつサンド3切れ→B電子仕事、仕上げの計画。提出は今晩いっぱい待っていただく→灯油買いに出るついでに、本年初〈松葉茶屋〉。天かけ。もちろん揚げ玉もいただく→灯油買って帰宅。おやつに揚げそば饅頭→風呂→『必殺必中仕事屋稼業』消化。ミックスナッツおかきうに味、かき餅、ビール中瓶×1→午睡→日付け変わる前に起床→B電子仕事の三本の仕上げ(初稿×1、第二稿×2)、午前2時完了。初稿×1 (B-39)と第二稿のうちの印刷向け原稿(B-40)に関してはまだ修正作業が少なくないと思われるが、ひとまずこれにて一段落→『素晴らしき日曜日』(監督:黒澤明。中北千枝子、沼崎勲、菅井一郎、有山緑、小林十九二、森敏、中村是好、清水将夫、日高あぐり、渡辺篤、内海突破、並木一路、水谷史朗、堺左千夫、河崎堅男。1947、東宝)。敗戦後の日本で青春時代(二十代前半といったところか)を過ごさねばならないカップルの雄造と昌子(沼崎勲、中北千枝子)の、その年代ならではの苦悩と苦悩に負けないような溌剌さを描いた、青春映画の傑作と思った(落ち込んだ雄造が子供たちの野球に加わって活き活きとプレイする場面や、雄造と昌子が雨の中を「シューベルト未完成」の演奏会へと勢いよく走る場面などは、涙が出てくる)。『わが青春に悔なし』までの名優たち−−大河内傳次郎、藤田進、河野秋武、志村喬などなど−−を起用せず(菅井一郎や清水将夫はちょい役で出演)、売り出し中(と言っていいかな?)の沼崎勲と中北千枝子を主演に据えた点も新鮮、結婚適齢期の男女の悩み(経済事情、住宅事情、セックスする/しないなどなど)の描き方も細やかだし、男が「夢じゃ腹は膨れない」と言えば女が「夢がなかったら生きていけない」「あなたは現在だけなのね」と言う男女の価値観や人生・世の中を見つめる眼の相違の描き方にもハッとさせられる。映像表現が鮮やかなのは−− たとえば主人公の雄造(沼崎勲)がダフ屋とケンカする際の雨傘の撮り方など、いささか映像表現のための映像表現%Iな表面的な表現に思えてしまう撮り方が鼻に付きもするが、それは文章でいうところの若書き≠ニいうところか。なんとなく「映画の梱包」という言葉も思いついたが、黒澤明は元が画家(志望)なだけに、各場面がパッと目に入った瞬間にどれだけ素早く観客を捉えるか、観客に響くかという点に腐心しているのかもしれない(という感想は、ここまでの六作すべてで感じた)。「ここまでの六作すべてで感じた」と言えば、音楽の使い方や音楽そのものがとても効いている、というのも同じく。映像表現の仕方が「映画の梱包」と思えてしまう点も含めて、やはり早い段階で、表現者として完成していた人物なのだなと、本作を観て改めて思った→煮たらこ、塩昆布、ビール中瓶×1、御酒×2→午前5時就寝。