2025年02月10日
2月まとめ(1〜10日)
『4人の視点展』(新野啓一/青木宣人/興村美佐子/久井めぐみ) 於神楽坂〈ロムマーイ〉、城昌幸/松田定次/松村昌治/大川橋蔵/松方弘樹『若さま捕物帖 お化粧蜘蛛』、ミシェル・ヨー初期出演作(『レディハード 香港大捜査線』『皇家戦士』『中華戦士』)、斎藤寅次郎特集(『腰抜け狂騒曲』『ラッキー百万円娘』『吃七捕物帖 一番手柄』『唄くらべ青春三銃士』)、劇団S.W.A.T!2025特別公演『My cinema paradise2024』特別編 於下北沢(劇団S.W.A.T!稽古場)、村上龍/広田玲央名/ピーター・フォンダ/根津甚八『だいじょうぶマイ・フレンド』、クリスチャン・カリオン/ダニー・ブーン/リーヌ・ルノー『パリタクシー』。
2月1日(土) 朝9時半起床。白湯→パセリキーマカレー、ちりめんじゃこトースト(バケット4切れ)、小松菜と油揚のおつけ(生卵)→昼前に出かけ、神楽坂へ。まずは☆夫妻、O形と落ち合い、〈龍公亭〉にて昼。シャオロンポウ、海老蒸し餃子、紋甲イカと野菜炒め、カレーライス、ビール中瓶×1→それから画廊〈ロムマーイ〉にて新野啓一さん出品のグループ展『4人の視点展』を見物。出品作家は新野啓一/青木宣人/興村美佐子/久井めぐみ。四者四様で興味深く拝見したが、青木宣人という方の作品が印象に残った(特に鉄腕アトムとヨーロッパをモチーフにしたような木炭ドローイング)。新野さんには、60分で描く肖像画(3,000円)を依頼。実際には写真を撮って持ち帰り描くとのこと。猫列≠フ作品は一点だったので、肖像画が出来上がったら受け取りがてらご自宅に伺い拝見させていただけたらと思う→鑑賞後は☆夫妻ともどこにも寄らず、電車でまっすぐ平和に帰宅→ちょいと小腹が空いてきたので、『悲しき瞳』再見しながらパセリキーマカレー(小皿×1)、釜揚げ花巻そば(ちりめんじゃこ)、ビール中瓶×1→午睡→1月21〜31日の日記校正・まとめ→風呂→『若さま捕物帖 お化粧蜘蛛』(原作:城昌幸、監督:松田定次/松村昌治。松島トモ子、小野恵子、香川良介、堺駿二、柳谷寛、田中春男、左卜全、松方弘樹、原健策、大川橋蔵、柳家金語楼、徳大寺伸、山形勲、佐藤慶、戸上城太郎、桜町弘子、久保菜穂子、菅貫太郎、北龍二、佐久間良子、長島隆一。1962、東映)。大川橋蔵版としては十作め(『地獄の皿屋敷/べらんめえ活人剣』を一本と考えた場合)にして最終作。埋立地深川が異国情緒にあふれ、また町方の手も及ばない無法地帯/暗黒街として描かれていて(遠州屋小吉=田中春男が潜入するがその十手もまったく役に立たない)、そこでの縄張り争いに端を発する殺人事件の謎を若さま=i大川橋蔵)が解き明かす。廻船問屋と女郎屋、そして無国籍なレビュー小屋を営む(そして仲間であった肥前屋多左衛門=香川良介を殺した)唐津屋十兵衛(山形勲)、越前屋久左衛門(佐藤慶)が、夜桜の辰(松方弘樹)率いる愚連隊を使って深川を支配しているのだが、その裏には役人との裏のつながりがあり、最終的にはとある登場人物の意外な顔が明らかになって殺人事件も疑獄≠フ一件も気持ちよく解決される。シリーズ最終作にふさわしく、大川橋蔵の若さまっぷり≠ニ謎解きそして終幕でのおいと(桜町弘子)とのいい感じ、脇に華を添える松方弘樹の触ると手が切れそうな迫力、悪徳商人を手玉に取り若さまにも手を伸ばす文字春(久保菜穂子)の悪女っぷり、悪徳商人を追い詰めようとして失脚した与力(柳家金語楼)の挿話と決着(与力の娘役の佐久間良子がまたよい)、左卜全が親父役を務めるだだっ広い居酒屋の居心地のよさそうなこと、無国籍レビュー小屋のショー、まだ十代の松島トモ子の輝き等々、多彩な魅力に満ち溢れた一本だった→酢昆布、パセリキーマカレー(小皿×1)、オイルサーディンとプチトマトと葱の炒め(酢、黒胡椒)、ちりめんじゃこ、ドライカレー、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→午前4時半就寝。
2月2日(日) 午前11時半起床。白湯→ドライカレー(卵)→『レディハード 香港大捜査線』(原題『皇家師祖』、監督:コリー・ユエン。ミシェル・キング(ミシェル・ヨー)、マー・ケイ、メルヴィン・ウォン、マン・ホイ、ジョン・シャム、ディック・ウェイ、マイケル・ハリー、ツイ・ハーク、ジェームス・ティエン、サモ・ハン・キン・ポー、リチャード・ン、デイヴィッド・チャン、エディ・マーハー、シンシア・ロスロック、タイ-ボー、クォック・クワンシン、ビリー・ラウ、ブーン・チャイ・ヤット、ワイ・シュム。1985、香D & B Films Co. Ltd.製作)。ミシェル・ヨーの映画初主演作。当時は「ミシェール・キング(Michelle King)」という藝名だった。また現在とはだいぶ容姿が異なり、ミシェル・ヨーが出ている≠ニいうこと意外何も知らずに観たので、主役のマダム≠ェミシェル・ヨーだとはまったく気づかなかった。刑事ものとしては、物語はまあよくあるように思ったし、間抜けな犯罪者(本作では三人組)が絡んでくるのも香港カンフーアクション映画には割とよくあるのかなと思ったが、ミシェル・ヨー扮するマダムとイギリスからやってきた女刑事キャリー(シンシア・ロスロック)のカンフーの諸技が実に見事。証拠フィルム≠巡る攻防はいささか冗長にも感じたが、その前後のカンフー場面ではまったく退屈を覚えなかった。不満を挙げれば、序盤の養老院?の場面で出てくる「師匠」(サモ・ハン・キン・ポー)がその後物語にまったくからんでこなかったのはちょいと残念か。ちなみに原題『皇家師祖』は自動翻訳だと「ロイヤルマスター」と出るが、映画にとってどんな意味かは不明。また英題は『Yes, Madam』だが、国や地域によって『Ultra Force 1』『In the Line of Duty』『Police Assassins』とされ、またイギリスでのDVD発売時には『Police Assassins』とされたそうだ( https://ja.wikipedia.org/wiki/レディ・ハード_香港大捜査線 ちなみに「In the Line of Duty」は「職務中」という意味のようだが、終盤で女刑事ふたりが職務を離れたまま犯人逮捕に向かう場面がクライマックスなのをもじったのだろうか)。なお本作を第一作として、シリーズは全7作−−1985年『レディ・ハード 香港大捜査線』、1986年『皇家戦士』、1988年『香港・東京特捜刑事』、1989年『クライム・キーパー 香港捜査官』、1990年『皇家師姐:中間人(原題)』、1991年『地下兵工廠(原題)』、1991年『海狼(原題)』−−が作られ( https://ja.wikipedia.org/wiki/クライム・キーパー_香港捜査官 )、そのうち第二作『皇家戦士』までミシェル・ヨーが主演し、結婚・引退を機に第三作から主演が変わったとのこと。あと補足情報としては、製作のD & B Films Co. Ltd.はミシェル・ヨーの夫だった(1988〜1992年)ディクソン・ブーン、サモ・ハン・キン・ポー、本作でも重要な役ノドアメを演じたジョン・シャムによって設立された映画製作会社で、本作はサモ・ハン・キンポーのプロデュース(香港映画には疎いので、豆知識として記しておく)→菊水堂ポテトチップス、舞茸きつねそば(胡麻、刻み葱)、ビール中瓶×1、御酒×1→風呂→芽キャベツニンジンじゃがいもの蒸し、白菜パセリちりめんじゃこ胡麻の和え物、ミートボール、ぶなしめじと油揚のおつけ、ご飯半膳、ビール中瓶×1、御酒×1→「きみはじゃまっけ」歌とギター合わせ。ギターも若干改良し、全体にいい感じになってきた→夜0時頃就寝。
2月3日(月) 朝10時起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、ねこまんま、ちりめんじゃこ、酢昆布、海苔→「きみはじゃまっけ」個人練習→『皇家戦士』(原題『皇家戰士』、監督:デヴィッド・チャン。ミシェール・キング、チャーリー・チャン、真田広之、マイケル・ウォン、カム・ヒンイン、チェン・マンハ、チェン・マンハ、デヴィッド・ラム、チェン・ジン、ケネス・ツァン、エディ・メイハー、パイ・イン。1986、香D & B Films Co. Ltd.製作)。『皇家師姐』シリーズ第二作。ミシェル・ヨー(当時はミシェール・キング)主演は本作まで。真田広之が日本で勤め上げ、香港に残した妻子を迎えにくる敏腕刑事山本≠ニいう役どころで出演し、香港の刑事マイケル(マイケル・ウォン)そしてミシェール・キング扮する女刑事ミッシェルの三人で、「殺人兵団」の最後のひとりスランダー(パイ・イン)を倒すための激しくキレのよいアクションを展開する。話は「殺人兵団」のひとりロイ・リー(チャーリー・チャン)が日本で捕縛され、香港に移送される飛行機にミッシェルと山本とマイケルが乗り合わせたところ、ロイを救い出すために仲間のウォン(カム・ヒンイン)も同乗していてハイジャックを企て、そこで刑事三人とロイ、ウォンとの死闘が繰り広げられ、ロイとウォンは死に至る。その復讐のために香港でスランダーが襲いかかってくるという次第で、前作『レディ・ハード 香港大捜査線』と比べても、物語の背景や奥行きはほんどないに等しい(ロイがどんな罪を犯して捕まったのかもわからないし、「殺人兵団」の来し方も若い頃の回想が少し映し出されるだけ)。ほぼミシェール・キング、真田広之、マイケル・ウォンのアクションを見せるだけの映画、と思ったが、アクションはとにかく傑出しているし、また山本の妻夕紀子(仁和令子)と幼い娘、あるいはディスコ〈カリフォルニア〉の熟年夫婦など、巻き添えを喰って殺される人たちの殺され方の描写が(たとえば日本のクライムアクション映画/ドラマに比べると)容赦ない感じで、物語に重みや奥行きがない割にはずっしりとした手応えも感じさせられた。本作冒頭はミッシェルが日本(原宿)で休暇を楽しんでいるところ、蕎麦屋の息子がヤクザに追われて逃げるところをミッシェルが助けるのだが、その蕎麦屋の夫婦と息子、ヤクザ、それから真田広之扮する山本にその妻と、いずれもおそらく日本人という設定でおそらく全員日本人が演っていると思われるのに、全員日本語のイントネーションがことごとくおかしいのには笑った。もっとも原宿の蕎麦屋とヤクザは俳優がわからなかったし、山本とその妻≠ヘ香港育ちの日系二世かもしれない。しかし少なくとも蕎麦屋は日本生まれの日本人という設定だろうに、なにか意図があったのだろうか?→菊水堂ポテトチップス、チーズサンドイッチ、葱入り炒り卵、潰しニンニクの焦がし、昆布小短冊炙り、鮭缶とトマトとパセリのスパゲティ(ニンニク、生姜)、ビール中瓶×1、御酒×2→食後急激に酔いが回り、視界がおかしくなってきてので(たまにある視界がしらっちゃける≠ノTV画面にはない大きな青い染みのようなものがチラチラする¥ヌ状)、横臥午睡→夜復活→『中華戦士』(原題『中華戰士』、監督:デイヴィッド・チャン。ミシェール・キング、イー・トンシン、ローウェル・ロー、松井哲也、チャン・イー、クー・フェン、リチャード・ン、シンディ・ラウ。1987、香D & B Films Co. Ltd.製作)。第二次大戦中、日本軍が中国の「カイ」という村を制圧し、そこに毒ガス工場を建てようとしており、村の太守ヤウダ(ローウェル・ロー)は躊躇するものの、他の有力者たちは村が生き残るには日本軍に協力するしかないと考え、ヤウダに降伏を促す。一方その計画を阻止しようとする中国側の組織はすでに間諜1号(イー・トンシン)を送り込んでいてヤウダとの間で情報のやり取りをしていたが、1号の存在が日本人憲兵?に知られたとわかり、計画妨害の段階に移らねばならぬと考え、組織の伝説の勇士(クー・フェン)で飛行機乗りの孫娘ミンミン(ミシェール・キング)をカイの村に遣わす−− といった発端から、ミンミン、1号、そして1号のふりをしていた放浪の詐欺師ルーク(リチャード・ン)、カイ村の有力者の娘チンチン(シンディ・ラウ)が協力し、また知恵を使って日本軍を追い返す様が描かれているが、抗日というテーマも軽くはないがまあどちらかというと浅く描かれており、つまるところ物語よりもアクションを味わい楽しむ≠ニいう映画であったが、ルークのキャラクターとイカサマ博打や口八丁、チンチンの可愛らしさ、村人の蜂起などなど、楽しませてくれる要素は少なくなかった(そこはかとなく『インディ・ジョーンズ』のにおいをさせているのも面白い)。ミッシェル・ヨー(当時はミシェール・キング)は、『皇家師姐』(1985)、『皇家戦士』(1986)、そして本作(1987)と主役を張り、1987年にもう一本『通天大盜』という映画に出て(詳細不明)、結婚のためいったん引退となった→白菜トマトハムの炒め、胡麻せいろ(熱盛。刻み葱)、金宮お湯割り×5→午前4時半就寝。
2月4日(火) 朝11時半起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、卵かけご飯(かつ節)、海苔→ギター練習。「きみはじゃまっけ」Bメロのオブリガード試行錯誤。「置いてゆくと」のあとと「遠くでベソかく」のあとの、歌詞に即したフレーズを考えてみる→『腰抜け狂騒曲』(監督:斎藤寅次郎。三井弘次、星十郎、磯野秋雄、柳家金語楼、松島トモ子、坂本武、藤間紫、桜むつ子、北原三枝、益田キートン、淡路恵子、伴淳三郎、高橋豊子、大原みゆき、若杉英二、谷鈴子、堺駿二。1954、松竹)。気の弱い三下ヤクザの丸山三五郎(柳家金語楼)が仲間たちを検挙した警察に殴り込もうと息巻いて、逃げ延びた三人の仲間(三井弘次、星十郎、磯野秋雄)に鼓舞されて警察署長(坂本武)の家に殴り込むも、署長やその妻(藤間紫)、幼い娘景子(松島トモ子)の団欒の様子にほだされて改心する。しかし署長も妻も相次いで他界し、三五郎は景子の面倒を見ることに。景子は成長して(北原三枝)歌の世界に進もうとするが三五郎にはその費用を賄うだけの甲斐性なく、それでもがむしゃらに働くが酒が原因でぽっくり死ぬ。そして死ぬ直前にかけた生命保険の二百万円が景子に遺されたことがわかったところで幕。斎藤寅次郎が金語楼、坂本武、益田キートン(三五郎のアパートの隣人。保険屋)、伴淳三郎(三五郎のアパートの隣人。オンリーと暮らす米兵)、堺駿二(三五郎が倒れる酒場の主人)らを配して撮った人情喜劇、と聞いていたのでドタバタ、アチャラカ風味が強いのかなと勝手に思っていたが、笑いがまったくないわけではないものの(元のヤクザ仲間との乱闘などで、三五郎がやたら喧嘩に強いのもなんだか可笑しい)、案に反してペーソスが勝った作品だった。とはいえ、三五郎の心の変化(あるいはもともと持っていた清い心の顕れ)に感動させられる、なかなかの名作であると思う。今現在の日本映画界の様子を見るにこの手の作品をちゃんと作るのは難しいかなとも思うが、リメイクされないかな→菊水堂ポテトチップス、玉葱クミンソテー(酢、顆粒鶏ガラ出汁)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→『ラッキー百万円娘』(監督:斎藤寅次郎。横山エンタツ、木戸新太郎、杉山よし子、美空ひばり、川田晴久、花菱アチャコ、野上千鶴子、古川緑波、宮川玲子、田中春男、和田信賢、並木一路、藤山一郎。1949、新東宝)。ちょうど一年ほど前(2024年1月20日)に観ていたが、衛星劇場が斎藤寅次郎特集をしているので、その一環として。前回の鑑賞での『びっくり五人男』の短縮版ということで物語の展開に不明な点も多々あるが、呑気で朗らかな喜劇。エンタツ・アチャコ、キドシン、古川ロッパそれに川田晴久が、バラバラと登場しながら次第に一緒になっていってアチャコが主であるおでん屋に集まり大騒ぎとなるところは、演出としてなかなかの見もの。美空ひばりが笠置シヅ子「ジャングル・ブギー」の替え歌で「[]︎わたしは子供だー」と歌うのは面白かった≠ニいう感想は同じで、新たな感想・発見は特になし→『ゾンビ・サファリパーク』再見しながら、フライドポテト、ニンジンかき揚げ、鶏唐揚げ、揚げバケット、プチトマト、長芋千切り(わさび醤油)、揚げ板、おみおつけかけご飯(油揚、ぶなしめじ)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→夜10時半就寝。
2月5日(水) 朝6時半起床。白湯→風呂掃除→風呂→玉葱と油揚のおつけ、ご飯(かつ節、塩昆布)→確定申告提出書類作成→たいへん寒いので靴下履く。家の中で靴下履くのはこの冬二回めかな→『吃七捕物帖 一番手柄』(監督:斎藤寅次郎。田端義夫、高田浩吉、水原眞知子、鮎川十糸子、加藤嘉、岸惠子、青山宏、キドシン(木戸新太郎)、堺駿二、柳家金語楼、清川虹子、伴淳三郎。1951、松竹)。与力大場彌十郎(柳家金語楼)の悪行を素面だと吃る目明し又七(高田浩吉)が暴く痛快捕物喜劇。与力の悪行に豪商紀国屋彦左衛門(加藤嘉)とその娘で隠れキリシタンのお鶴(岸惠子)も絡んでくるのだが、お鶴の隠れキリシタン問題や手代文七(青山宏)との恋愛問題は終盤有耶無耶になってしまうものの、事件の真相とその周囲の謎が解かれていく様子は、物語の設計もなかなか凝っているという印象。又七の女房お清に扮した水原眞知子、そして岸惠子の美しさ、あるいはすべての事件や謎の中心にかなり近い位置にいるという設定の小唄師匠お豊に扮する清川虹子の婀娜っぽさも本作の魅力と思う。そして又七と女房お清の喧嘩が始めるかと思いきやいきなり踊り出したり、又七のライバルおしゃべり松吉(キドシン)の十手が水鉄砲になっていたり、悪人たちが鉄砲を使うと悉く仲間を撃ったり、爆弾が投げられるとすかさず野球のように打ち返されたりなど笑いの応酬があり、そうした中で田端義夫扮する江戸市中を見回る役人の根岸肥前守が、冒頭と中盤でただ馬に乗って市中見回りしながら歌うだけ、終盤の捕物には一応参加するが、終幕ではまたただただ歌って去っていくという様子の呼吸がなんとも可笑しい。柳家金語楼もその仲間の丸橋半九郎に扮する伴淳三郎も、悪行の描写はかなり切れ味があるもののどことなく憎めずそんなに悪い人間に見えないところなど、杉浦茂の漫画ような味わいも感じた→菊水堂ポテトチップス、胡麻花巻そば(刻み葱)、ビール中瓶×1、金宮お湯割り×2→今月の中華街の宿代振込→O形サイト更新(絵日記、ギャラリー)→ピータンサラダ(白菜ピーマントマト生姜)、一口餃子20ケ、オイルサーディン、玉葱と油揚のおつけ、ご飯、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→風呂
→『心臓抜き』(監督:高橋玄。鈴木なお、伊藤猛、石丸謙二郎、山脇たづさ、藤井章人、岡村洋一、隈井士門、内田栄一、内藤陳。1992、インデックス・ガン・オフィス製作)。ジャーナリスト志望の青年名雪和史(伊藤猛)、1LDKの自宅の一画を名雪にオフィス≠ニして貸している女性杉本加寿子(カーコ)(鈴木なお)、カーコの友人友森泰子(山脇たづさ)、友森の恋人築戸修司(藤井章人)の四人が主要な登場人物。常に8mmカメラを携えている名雪はカフェのテラス席でとある男がとつぜん死ぬのに遭遇し、8mmカメラで記録しつつ男の救急搬送に付き添うが、その翌日カーコが友人の友森その恋人と食事をするというので参加したところ、友森の恋人=築戸こそ、前日に名雪が遭遇したとつぜん死んだ男≠セった−− という発端から名雪、カーコ、友森が謎めいた事件に巻き込まれていく(主に名雪だが、仕事関係者や友人が訳もなくどんどん離れていくとか)。そんな、日常に異常な状況が忍び込んでくることの恐怖を描いた作品、と思ったが、たとえば佐々木浩久『発狂する唇』(2000)のようなメジャーでは作れない℃關Gりがあってそれなりにしっかり作られはいるものの、それが魅力として効果を発揮したというよりは学生映画を観ているようで、少しいたたまれなかった。うら若い女性(カーコ)が恋人でもない男(名雪)に狭い自宅の一画を仕事場として貸している、という設定からして何も説明がなく、前提からして納得できかねるという印象もある。カーコ役の鈴木なおという役者が、なんというか観ていると情が移ってしまうような何か魅力のようなものがあるのが救いか。名雪の上司を演じた石丸謙二郎の芝居はところどころ面白かったが、しかしそれが映画の面白さに寄与していたかというと、そうでもなかったような印象もあった。内藤陳がただ謎めいた男≠ニいう存在でしかなかったのも残念。なお映画冒頭に題名「心臓抜き」と並んで「L'Arrache-cœur」というフランス語が表示されるが、これはボリス・ヴィアン『心臓抜き』の原題と同じ。しかし関連性や影響はよくわからなかった→『江戸忍法帖 七つの影』(原作:山田風太郎『江戸忍法帖』、監督:倉田準二。石黒達也、江幡高志、楠侑子、滝恵一、阿波地大輔、加賀邦男、吉田義夫、柳永二郎、竹内満、新井茂子、波多野浩、里見浩太朗、浅野光男、北龍二、坂東吉三郎、原田甲子郎、瀬川路三郎、松方弘樹、林彰太郎、飛田吉弘、北条きく子。1963、東映)。せっかくの山田風太郎原作ものなのに、原作のバカ忍法のうち八剣民部(加賀邦男)の「忍法肉鎧」と寝覚幻五郎(江幡高志)の「忍法幻五郎憑き」のふたつしか出てこず(見落としあらば失敬)、もっぱら柳沢出羽守吉保(柳永二郎)/甲賀七人衆(石黒達也、江幡高志、楠侑子、滝恵一、阿波地大輔、加賀邦男、吉田義夫)と、前将軍家綱の御落胤である足柄悠太郎(里見浩太朗)そして途中から悠太郎についた服部小源太(松方弘樹)との戦いを描く−−それも淡々とという印象の−−、地味な時代劇であった。同じ東映でこの翌年によくエロとバカ満載の『くノ一忍法』(中島貞夫)を作ったなあとも思った(とはいえ本作の興行成績などはわからないので、まあなんとも言えない)→午前3時頃就寝。
2月6日(木) 朝8時起床。白湯→玉葱と油揚のおつけ、卵かけご飯、海苔→老父買い物代行(サミット)→〈Homer〉まで足を延ばして昼。ランチセットのビーフカレーライス。ごくごく普通のカレーだが、何かのスープをベースにしているのか、深い味わいも感じられた。そして本日はロースカツサンドイッチを持ち帰り→灯油買って帰宅。吉祥寺通り南下の京王線踏切のところが動かず遠回り→『唄くらべ青春三銃士』(監督:斎藤寅次郎。川田晴久、田端義夫、鶴田浩二、伴淳三郎、清川虹子、柳家金語楼、岸恵子、浅草紅香、堺駿二、鮎川十糸子。1952、松竹)。ラグビー部部員や学生が集まる銭湯〈大学湯〉を舞台に、ラグビー部の先輩であり銭湯の息子でもある福田春造(川田晴久)と、現役の選手である一木俊夫(鶴田浩二)と花島健吉(田端義夫)の三人が恋と青春を謳歌し、また特飲街建設のために〈大学湯〉の土地を強引に手に入れようとする土地の顔役山源(伴淳三郎)一派と攻防を繰り広げる様を描いた、朗らかな青春喜劇。特にものすごく面白かったり笑ったり、ということもなく、小料理屋の息子の健吉が許嫁のみどり(鮎川十糸子)とたまたま助けた藝者光江(紅あけみ)との間でずっとふらふらしていたり(結局光江は春造と結ばれ、健吉とみどりは元の鞘に収まる)、その脇で〈キャバレーエンゼル〉のハコバンで歌手のアルバイトをしている一木が踊り子のはるみ(岸恵子)といい仲になったりといった話がダラダラ続いたりもするのだが、なんだかふわふわと楽しい気分にずっと浸っていられるような作品だった。〈大学湯〉に遠くの町から通う中年女性千代(清川虹子)は、実の子ヒデ坊がまだ小さいときに〈大学湯〉の前に捨てたという過去があり、それでヒデ坊の成長を陰ながら観察すべく通い続けているわけだが、ヒデ坊の父が何を隠そう山源と手を組んでいる新興成金の金田(柳家金語楼)で、学生たちと山源との攻防の中で元の親子三人が再開し結ばれるくだりは、さすがに清川虹子と柳家金語楼が達者な所為もあり、なかなかジンとさせられた(役者名がわからないが、ヒデ坊を演じた子役もなかなか達者で、いい場面を与えられたのにきちんと応えていた)。「唄くらべ」と銘打つくらいで川田晴久も田端義夫も鶴田浩二もよく歌うのだが、観終えてみると歌を聴いた、という印象があまりのこらないのは、なんだか不思議だったかな。戦後すぐから昭和30年代くらいまで?人気歌手だった浅草紅香が登場し歌う場面は(お座敷で一曲、〈キャバレーエンゼル〉で一曲)印象に残っているのだが。あと、〈キャバレーエンゼル〉の舞台で子供だけで構成されるバンド(マリンバ、ピアノ、アコーディオン、ドラム)とやはり子供のタップダンサーの演奏(「あの丘越えて」)と踊りが披露されるのだが、「ナカガワ・ツルーパース」という看板が掲げてあった。調べてみると、1950〜1956年(昭和25〜31年)頃に中川三郎というタップダンサーが「中川ツルーパース」というタップダンスチームを結成し、公演活動を行なっていたようだ(結成時のグループ名は「歌い踊るツルーパース楽団」)。本作製作時は全盛期に当たっていて、それで出演したのかもしれない→菊水堂ポテトチップス、釜揚げたぬきそば(刻み葱)、ビール中瓶×1→風呂→ピータンサラダ(キャベツ、ピーマン)、野菜ポタージュ(じゃがいもニンジン玉葱パセリ)、〈Homer〉のロースカツサンドイッチひと切れ半、ビール中瓶×1→『鮫』(原作:真継伸彦、監督: 田坂具隆。中村錦之助、風見章子、加藤嘉、木暮実千代、河原崎長一郎、浜村純、千秋実、北龍二、花澤徳衛、加東大介、沢村宗之助、三田佳子。1964、東映)。室町時代の中期(おそらく南北朝時代から戦国時代へと移行する時期)、越前の寒漁村で流人の子として生まれ暮らす−−有り体に言えば被差別民として暮らす少年サメ(中村錦之助)が、ある夜被差別部落への焼き討ちをきっかけに京を目指すが京の京都も荒れ果てており、一度は盗賊になるも武士を目指して足軽として戦に参加するもののまた盗賊に戻り、しかしひとりの尼僧見玉尼(三田佳子)をさらい犯そうとした折に僧の徳に触れ改心していく…… という物語。背景や題材は現代からすれば特異であるものの、ビルドゥングスロマンの範疇に入れても差し支えない物語と思う。165分という、まあ長尺≠ニいってもいい長さで構成される映画だが、被差別からの脱却を目指す−−しかし確固たる目標があるわけではない−−中での行動、出会い、学習による内面の変化を表現するには、必要な長さではあったろうと思う。序盤で人肉喰いの女(木暮実千代)に出会ったり(そして人肉食を覚えたり)、京に着いてからはひとりで活動してきた野盗四郎左(千秋実)に拾われて手先としてこき使われたり(そして殺人を覚えたり)、足軽として戦に参加し仲間のひとり源次(加東大介)から足軽はどちら側にいようが勝つほうに付くだけ≠ニいう考え方を学んだりしながら、サメ本人の中での世の中の理解と新しい考え方の芽生えや考え方の変化が生じるには、時間の経過≠ニいう要素が必要であり、それを踏まえての長尺≠ナはないかと考えた。しかしたとえば越前の寒漁村での幻想的な祭(差別する側の村人たちが魚の面を着けて踊る)の場面や、野盗たちの宴での酔いに任せて男女がでたらめに踊る場面での尺稼ぎ≠ヘともかく、サメの「内面の変化」を表現する方法に乏しく観る側がただ時間の経過=i表面上では何も起こらない)を見させられているだけのような印象も強く、そういう意味で「165分」は長く感じた。もちろん私の見落としもあるだろうし、それを確認しないことには確かなことは言えないわけだが、とはいえまた「あの165分」を耐えなければならないと思うと、なかなか難しいという気もする。ちなみに序盤でサメを世話するひとりである鋳物師の老人(加藤嘉。サメが京に出るきっかけを作った)が「(村人たちは)流人を憎んでいるのではない。恐れているのじゃ(流人は強いから)」という示唆に富んだ台詞を述べる場面で「お前はヒジホウモンの子」と言うのがわからなかったのだが、調べたところこれは「秘事法門」で、これは浄土真宗の異安心(異端)とされる教えの中で秘密裏に伝えられるものを指すようだ。そして老人は「お前が女を知るようになればわかる」ともいい、終幕では尼僧と出会ってサメの考え方や人生は大きく変わるわけだから、映画全体を貫いているテーマと思う。しかしその辺りの深い理解にはまったく至っていないので、やはりもう何度かは観なければなるまい→野菜ポタージュ、金宮お湯割り×4→午前2時就寝。
2月7日(金) 朝9時起床。白湯→バター卵ご飯野菜ポタージュかけ→午前中特になにもせず→観劇前に下北沢で昼、と思ったが、あまりお腹も空かないので、午後1時過ぎ直接劇場(劇団S.W.A.T!稽古場)へ→劇団S.W.A.T!2025特別公演『My cinema paradise2024』特別編を見物(作・演出:四大海。金井迪大、滝佳保子、四大海、鹿島良太、瀧下涼、山本みこ)。昨年秋に上演された芝居の再演だが(私が観たのは11月8日の回)、(たぶん)フリーランスで舞台/TV/ラジオ/司会などのステージパフォーマンス(それに関する講師も)など様々な仕事をこなしてきた鹿島良太が客演し、前回は瀧下涼が演じたラジオパーソナリティの役を担当。瀧下涼は「インド人のダーさん」のキャラクターで前回は渡辺有希が演じたクライアントの役を担当。それだけの変更でずいぶん違う芝居に見えたのだが(脚本は当て書きと思われる台詞を除けば前回と同じと思う)、瀧下涼が全編「インド人のダーさん」を演じるというのもあるわけだが鹿島良太の技量や個性も大きかったと思う。前回はラジオパーソナリティが新人声優(山本みこ扮演)を叱り新人声優がひと皮向けるくだりの展開に少し疑問を持ったのだが(叱られたことによる葛藤や衝突や展開、あるいは怒りや哀しみや開き直りなどの感情がほとんど描かれなかったと感じた)、今回はその部分について(脚本上の大きな変更はないと思われるのに)疑問を感じることはなかった。出演者による自分が推奨したい一本の映画≠フくだりも本作の特徴・魅力であると思うが、今回は滝佳保子による『僕らのミライへ逆回転』(ミシェル・ゴンドリー監督。2008年)の紹介が素晴らしかった。鹿島良太による『笑の大学』(三谷幸喜脚本・監督。2004年)の紹介も面白かったが、さてあの映画自体はそんなに面白かったかな→終演後瀧下涼にご挨拶しておいとま。ちなみに下北沢駅前の〈ピーコック〉のビルの中にあった(劇団S.W.A.T!稽古場)は、ビル取り壊しのため三月いっぱいで退去、したがってここでの公演は今回が最後だそうだ。残念→小腹が空いたので〈新雪園〉にて青椒牛糸、アサリの炒め、カキの黒豆炒め、ビール中瓶×1.5→電車で平和に経堂駅着(ビール二本足らずで居眠りしてしまったが)。〈81ベーカリー〉〈かば田〉で買い物して帰宅→午睡→風呂→『だいじようぶ マイ・フレンド』(原作・監督:村上龍。富沢美智恵、広田玲央名、乃生佳之、渡辺裕之、ピーター・フォンダ、タモリ一義、根津甚八、リチャード・ライト、岸部一徳、苅谷俊介、辻畑鉄也、団時朗、三遊亭円丈、青地公美、小松政夫、武田鉄矢、研ナオコ。1983、東宝)。封切り時以来。観たら最後恥ずかしい気持ちでいたたまれなくなると思い込んでいたが、意外にそうでもなかった。お洒落な80年代≠フ恥ずかしさ、という点では、大林宣彦『四月の魚』(1986)や和田誠『怪盗ルビイ』(1988)と同じくらいか。ただ、役者にピーター・フォンダ、広田玲央名、渡辺裕之、根津甚八、タモリ、三遊亭円丈、研ナオコ、岸部一徳、小松政夫を起用し、音楽監督に加藤和彦(サウンドトラック作曲に加藤和彦、来生たかお、坂本龍一など)の協力を仰いでこの程度か、という感想は浮かんできてしまうし、なによりも色彩が美しくない(というか汚い)。村上龍は映画監督まだ二作めとはいえ、それまで自分が映画を観る上で色彩には興味がなかったのだろうなと邪推した。ただ広田玲央名らの踊りはなかなか素晴らしく、それは封切り時の印象と変わらなかった次第だが、改めてスタッフを確認すると、振り付けに竹邑類、宮本亮次(現:宮本亜門)の名前があった。物語については監督自らの原作への評価になるわけだが、カルト的な洗脳組織(かつ女性蔑視思想であり、ホモセクシュアルもにおわせている)と自由を愛する若者たちの戦い、という点は、当時の世相(現在にもつながる)を見つめた主題として、今観ても感心はした。ところでゴンジー・トロイメライがトマトを恐れているという設定は、ジョン・デ・ベロ『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』(1978)と関係があるのかな(原作を読んだ際は思い出さなかったが、映画を再見したらトマトの場面は参考にしたのではないかと思った)。あと備忘として記しておくが、「看守A」という役で高橋幸宏が出演しているそうだが、今回もまったく気づかなかった→菊水堂ポテトチップス、カレーパン1/2、オリーブパン1/2、食パンバターソテー一枚、たらこ、釜揚げ胡麻たぬきそば、ビール中瓶×2、金宮お湯割り×1→午前4時就寝。
2月8日(土) 昼頃起床。白湯→野菜ポタージュ、スクランブルエッグトースト→『類人猿ターザン』(原題『Tarzan The Ape Man』、監督:ジョン・デレク。ボー・デレク、リチャード・ハリス、アクシュラ・セイヤー、マキシム・フィロ、マイルズ・オキーフ、スティーヴン・ストロング。1981、米MGM) 主演のボー・デレクが製作を担当し、ボーの夫のジョン・デレクが監督したターザン映画のリメイク。前半は延々娘を捨ててアフリカ探検に人生を捧げた父ジェームズ・パーカー(リチャード・ハリス)とその娘ジェーン(ボー・デレク)の物語で、ここに山場がなくけっこう退屈。で、ジェームズ一党にジェーンが混じってアフリカ奥地(具体的にどこだかは失念)に探検に赴き、巨大な岩を制したところで仲間の一人リアノ(マキシム・フィロ)が落下して死亡するも、ジェームズが「なぜ殺した!」と叫ぶだけであっさりと冒険が続く。内海に着いてジェーンが水浴を楽しんでいるととつぜんライオンが現れるも、窮地をターザン(マイルズ・オキーフ)に救われ、そこでなんとなく恋が芽生え、ジェーンは冒険隊にいったん戻るがターザンに再開してさらわれ、恋の炎が燃えたつ。ジェームズはターザンを敵(かたき)と見て殺してやるとジャングルの中を探し回るが、その過程でアイヴォリー・キング(象牙王。スティーヴン・ストロング)率いるジャングルの集団に襲われ、ターザンに助けられ、結局は命を落とすがターザンへの誤解を解く。といった後半の展開と、チンパンジーとオランウータン、ライオン、象などの芝居はなかなか見ものだったものの、前半の退屈さは最後まで拭えなかった。ちなみにジョン・デレクはWikipedia情報によれば「結婚歴が多い人物として有名」で(最初の妻Pati Behrsはなんとロシアの文豪トルストイの孫娘。二番めの妻はなんとウルスラ・アンドレス。三番めはアメリカの女優リンダ・エヴァンス。ボー・デレクは四番めにして最後の妻)、1944年に『Since You Went Away』(ジョン・クロムウェル監督)で映画デビュー、1949年の『オール・ザ・キングスメン』(ロバート・ロッセン監督)と『暗黒への転落』(ニコラス・レイ監督)で才能ある新人として認められたが、役者への情熱はそれほどなく、ウルスラ・アンドレスと結婚している最中に監督に転身。ボー・デレクが主演を務める映画四作−−『ファンタジー』(1973/1981)、本作、『ボレロ/愛欲の日々』(1984)、『ゴースト・ラブ』(1990)。『ファンタジー』以外はボー・デレク製作−−の監督も務めたが、「そのほとんどはラジー賞を賑わせるほどの評価しか受けておらず」ということだそうだ( https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・デレク / https://en.wikipedia.org/wiki/John_Derek )→カレーパン1/2、塩昆布、たらこバタートースト(刻み海苔)、金宮酎ハイ×2→風呂→『だいじょうぶマイフレンド』再見したが、高橋幸宏は見つからず→トマトとピーマンのサラダ、菜の花おしたし、鯖塩焼き、ひと口餃子10ケ、どんことなめこのおつけ、黒豆ご飯、ビール中瓶×1、御酒×3→午前2時就寝。
2月9日(日) 朝10時起床。白湯→どんことなめこのおつけ、黒豆ご飯→「きみはじゃまっけ」ギター練習。だいぶ自然に弾けるようになってきた。加えて一部若干改良(警告音≠フところをピチカート風にした)→月見南蛮そば(揚げ玉)→『刑事コロンボ』第六、七話→風呂→『パリタクシー』(原題『Une Belle Course』、監督:クリスチャン・カリオン。ダニー・ブーン、ナディア・ルグラン、リーヌ・ルノー、エリ・ケンプフェン、アリス・イザーズ、グウェンドリーヌ・アモン、ジェレミー・ラウールト、アドリエル・ルール、クリストフ・ロシニョン、フィリップ・ボーティエ、メリル・ムレイ、トーマス・オルデン、シルヴィ・オードクール、トム・ハドソン、ジュリー・デラルム、レオニー・カリオン、ジュリエット・シュタイマー、クリスチャン・カリオン。2022、仏Une Hirondelle Productionsほか製作/Pathé配給)。92歳の老婦人マドレーヌ(リーヌ・ルノー)が老人ホームに入所することになり、タクシーを呼ぶ。依頼に応じた運転手シャルル(ダニー・ブーン)は、休みなく働いても経済的に困窮しており、おまけに免停寸前で始終イライラしているが、パリの反対側に行く§V婦人の求めに応じて老婦人の思い出の場所に寄り道して案内したり、老婦人の来し方を聞いているうちに、次第に心がほぐれていき、人を想う気持ちを取り戻す。という、それほど特異な物語ではないのだが、老婦人の父親はナチスドイツの犠牲となり、第二次大戦戦後に米兵マット(エリ・ケンプフェン)と恋に落ち息子(アドリエル・ルール)を授かるも別れ、新しくできた恋人レイ(ジェレミー・ラウールト)と結婚するが夫は結婚したとたんに横暴さを増し、暴力を振るう夫に火を点けたことで実刑を受け服役、また服役中に成長し報道写真家の道に進んだ息子(トーマス・オルデン)はベトナム戦争の撮影に行き戦死という老婦人の壮絶な経歴の描かれ方、語られ方が観る側の気持ちにすーっと浸透してくるような塩梅で、なんとも言えない(いい気持ち≠ノは違いないが簡単にそうは言いたくない)気持ちにさせられる。終幕の、シャルルが妻カリーヌ(ジュリー・デラルム)を伴ってマドレーヌがいる(はずの)老人ホームを訪れる場面にも感動させられた。なお本作のテーマ曲は「The Days of Wine and Roses」で、本作用に編曲されたオーケストラ演奏だが、「the days of wine and roses」という語句はもともと19世紀イギリスの夭折の詩人アーネスト・ダウスンの「Vitae Summa Brevis Spem Nos Vetat Incohare Longam」(ラテン語。Google翻訳では「人生の短さは、私たちに長い希望を持つことを禁じている」)の中の一節から取られている。そのダウスンの詩の中での「the days of wine and roses」は、前段と同じ「They are not long,」に続くので、前段の「They are not long, the weeping and the laughter,Love and desire and hate」と呼応すると考えられる。すなわち「wine」が「the weeping and the laughter」、「roses」が「Love and desire and hate」だろうか。いずれにせよ、「涙と笑い、愛と欲望と憎しみ」は長続きしない、そして「they have no portion in us after We pass the gate.」(門を通り抜けたあとには分け前を残さない)と続くから、若い頃の生活を彩る切実な感情の動きは、老後(門を通り抜けたあと)には失われている≠ニいう解釈も成り立つだろう。よって本作での「The Days of Wine and Roses」の採用は、「壮絶な経歴」も人生の最終盤に差し掛かるとそのときどきの感情の激しさに引っ張られずに回想できる、という意味合いと捉えたら考え過ぎか。ちなみに本作の音楽はフィリップ・ロンビという人物が担当しているが、トミー・ドーシーと彼のオーケストラの「On The Sunny Side Of The Street」やエタ・ジェイムズの「At Last」、ダイナ・ワシントンの「This Bitter Earth」も効果的に用いられていた。あと本作の原題は『Une Belle Course』だが、これは劇中の台詞(の字幕)からすると「美しき旅路」という意味のようだ(あのタクシーでの旅は人生最後の幸せな時間だった/美しき旅路≠ニはまさにこのこと/醜いアヒルの子でいい/旅立ちなさい/カリーヌとベティと)。『パリタクシー』という邦題はないんじゃないかな、と思った→ピータンサラダ(キャベツピーマントマト)、レンコンとニンジンのきんぴら(胡麻)、ひと口餃子9ケ、どんことなめこのおつけ、黒豆ご飯、ビール中瓶×1、御酒×4→午前2時就寝。
2月10日(月) 昼頃起床。白湯→どんことなめこのおつけ、黒豆ご飯→そばつゆ仕込み→ギター練習→菊水堂ポテトチップス、花巻月見南蛮そば、ビール中瓶×1→『パリタクシー』再見と考察→晩の支度→風呂→タラモサラダ(ニンジン)、鯖塩焼き、キャベツのおつけ、ご飯半膳、ビール中瓶×1、御酒×1→夜0時就寝。
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