2025年02月28日

2月まとめ(21〜28日)


石井輝男/三原葉子/橘ますみ/三島ゆり子/英美枝/賀川雪絵/應蘭芳/高倉みゆき『温泉あんま芸者』、岡本綺堂/田中徳三/市川雷蔵/藤由紀子『手討』、有吉佐和子/増村保造/高峰秀子/若尾文子/市川雷蔵『華岡青洲の妻』、『moon riders AMATURE ACADEMY and more 2024』、『ブラックベルベッツの食べチャイナ! 酔っチャイナ!!』 於ローズホテル2階ザ・グランドローズボールルーム。

2月21日(金) 午前0時起床。白湯→O形サイト更新(絵日記)および自分の日記(ブログ)更新→『温泉あんま芸者』(監督:石井輝男。三原葉子、橘ますみ、清水正二郎、英美枝、賀川雪絵、田中小実昌、大泉滉、三島ゆり子、應蘭芳、南風夕子、沢田浩二、上田吉二郎、芦屋雁之助、沢淑子、金子信雄、茶川一郎、人見きよし、南都雄二、由利徹、吉田輝雄、稲村理恵、美波節子、高倉みゆき、南道郎、中村錦司。1968、東映)。『温泉芸者』シリーズの第一作。ちなみに製作開始当初の題は『温泉ふんどし芸者』だったそうだが映倫からのクレームで改題。すると今度は先行して『温泉』シリーズを撮っていた大映から「我が社の『温泉芸者』『温泉あんま』を混ぜただけ」と非難されたという。それはまあともかく、温泉芸者富丸に扮する三原葉子の掛け声に始まって温泉あんま芸者たちが次々に紹介されるタイトルロールからして、リズムや間はガタガタだがなんだか溌剌とした力に満ち溢れていて、本編開始後のあんまではない芸者との睨み合いから野球拳への流れのヤケクソっぷりがとても可笑しくまた気持ちよかった。富丸をはじめとする雛奴(三島ゆり子)、千代(橘ますみ)、玉栄(英美枝)、蔦子(賀川雪絵)、梅子(應蘭芳)ら温泉あんま芸者ひとりひとりの来し方については詳しく語られず、映画内の事件はほぼすべて映画内の現在≠ナはあるものの、ひとりひとりが生きた人間≠ナあるという感じは伝わってくるし、また流れ者の芸者雪子(高倉みゆき)とその夫武(南道郎)、あるいは富丸が学校で世話になった教師横谷(南都雄二)の物語、そして土地の産婦人科医吉岡(吉田輝雄)への千代の思慕の様子とそれを受け止める吉岡の対応など、なんだか目頭が熱くなる場面もあった。温泉あんま芸者の元に集まる野毛親分(上田吉二郎)、品川(金子信雄)、黒島(芦屋雁之助)といった成金や雛奴といい仲になる和尚(由利徹)といった男たちはそれほど魅力的だったり特徴がある人物に描かれてはいなかったし、「溌剌と」し過ぎてただうるさいだけの場面も少なくないとは思ったが、なんだかいろいろ圧倒されているうちに楽しい時間を過ごさせてくれた一本であった。ちなみにタイトルロールにだけ、胡桃沢耕史(クレジットは本名/当時の筆名の清水正二郎)、田中小実昌、大泉滉が顔を覗かせる→『手討』(原作:岡本綺堂『番町皿屋敷』、監督:田中徳三。柳永二郎、荒木忍、香川良介、南条新太郎、加藤嘉、城健三朗、市川雷蔵、名和宏、成田純一郎、中村豊、矢島陽太郎、菅井一郎、藤由紀子、阿井美千子、佐々十郎、細川ちか子、山中登志子、毛利郁子、浅野進治郎、松浦いづみ。1963、大映)。岡本綺堂の戯曲/小説『番町皿屋敷』を原作とした悲恋もの−− 確かに原作は悲恋ものだが、それだけでは語り尽くせない映画だった。ちなみに原作を『お菊と播磨』とする映画情報サイトなどもあるが、岡本綺堂に『お菊と播磨』という題の作品はないようだ。そして原作とされる戯曲とも小説とも異なる部分が多く、本作では青山播磨の人物像やお菊の出自からして原作と違うし、白柄組は出てくるが水野十郎左衛門も出てこなければ町奴との喧嘩もない。また原作は播磨に対するお菊の思慕が、播磨が嫁を取るのではないかという疑惑を生み、播磨の心を試すために「青山の家の宝物」である「高麗皿」の一枚を(落語「厩火事」のように)割ってしまう、その顛末だが、本作は成立したばかりの徳川幕府の体制を強化するために外様大名を、身内であり建幕にも尽力した旗本よりも大事にする重役たちへの若い旗本たちの反抗(および追い詰められていく様子)を描く中で、その中心人物のひとりである播磨の苦悩のモチーフのひとつとして、播磨とお菊の恋物語が紡がれていく。したがって、岡本綺堂『番町皿屋敷』を下敷きに、世代間の、また立場の違う者同士の闘いを描いた作品と受け取ったが、果たして。しかし冒頭の上覧能で外様大名−−重役たちがご機嫌を窺っている−−の前田加賀守(名和宏)の舞に退屈して旗本のひとり新藤源次郎(城健三朗)が大あくびをするのが事の発端というところからも、時代の移り変わりの中で血気盛んながら時代を動かす立場には置いてもらえない若者たちと、時代を動かしている古い権力者たちとの世代間闘争を大きなモチーフとして物語を構築しようとしているとは思われる(菅井一郎扮する大久保彦左衛門が若者たちの味方をするが、重役たちにあっさり退けられるくだりなど、世代間の断絶を描くのに小さくない効果を上げていると思った)。そして新藤源次郎や播磨の強烈な$リ腹の仕方の描き方を考えると、死による反抗≠ニか死によって命が輝く≠ニいったテーマが浮かび上がってくるような気もするが、しかしそれでいいのかという思いも頭をよぎった。ただしそれは理屈を考えながら観ての感想で、そうした話の流れの中で人間の情を描いていく様にはなかなか心を打たれたし、傑作∞名作≠ニ評するまでにはまだ理解が及んでいないものの(原作との相違やテーマについて考えるのが精一杯で、映像表現としての特徴や優れた点にまで考えが及んでいない)、佳作ではあると思った。ちなみに本作では怪談の要素は皆無、また原作も怪談として描かれてはいないが、小説のほうには若干怪異(の噂)に触れている→牡蠣ごった煮、酢昆布、しらすぼし、わかめのおつけ、ご飯半膳(焼き鳥のタレ、うずらの卵×2)、金宮お湯割り×4→朝7時就寝→昼前起床→わかめのおつけ、ご飯半膳(長芋とろろ、しらすぼし)→「青空文庫」にて岡本綺堂『番長皿屋敷』の戯曲と小説を飛ばし読みしつつ、『手討』の感想まとめ→『新必殺仕事人』見ながら菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→晩の支度→『華岡青洲の妻』(原作:有吉佐和子、監督:増村保造。高峰秀子、浪花千栄子、伊藤雄之助、南部彰三、若尾文子、内藤武敏、丹阿弥谷津子、伊達三郎、原知佐子、渡辺美佐子、市川雷蔵、木村玄、田武謙三、小林加奈枝。語り手:杉村春子。1967、大映)。これまた原作についてはまったく知らずに観た次第だが、原作について版元(新潮社)では「世界最初の全身麻酔による乳癌手術に成功し、漢方から蘭医学への過渡期に新時代を開いた紀州の外科医華岡青洲。その不朽の業績の陰には、麻酔剤「通仙散」を完成させるために進んで自らを人体実験に捧げた妻と母とがあった――美談の裏にくりひろげられる、青洲の愛を争う二人の女の激越な葛藤を、封建社会における「家」と女とのつながりの中で浮彫りにした女流文学賞受賞の力作。」と紹介していて( https://www.shinchosha.co.jp/book/113206/ )、なるほど「美談の裏にくりひろげられる、青洲の愛を争う二人の女の激越な葛藤」「封建社会における「家」と女とのつながり」という部分は何も知らないで観ていても強く感じられたものだった。名家妹背家の娘加恵(長じてからは若尾文子)は、8歳のときに乳母民(浪花千栄子)に隣家の医者の妻於継(高峰秀子)について「美しいだけではない、世にも賢いお人やというて、知る人は皆が皆褒めなさるえ」と教えられ、憧れを抱く。やがてその於継本人が妹兄家を訪ねてきて、長男雲平(のちの青洲。市川雷蔵)の嫁にと請う。加恵の両親は少し渋るが、憧れの人からの申し出に、加恵は一も二もなく承諾し、華岡家の嫁になるが、京へ修行に出ていた雲平が華岡家に戻るや、優しかった姑の於継の態度が一変、雲平への愛情と加恵へのライバル心をむき出しにし、やがて雲平が研究する麻酔薬「通仙散」の人体実験に志願。さらに加恵への対抗心を燃やす−− そこまでの高峰秀子の芝居が、嫁への優しさと拒否/対抗のどちらかに振り切れることなく、「美しいだけではない、世にも賢い」優しい一面も常に感じさせているのが印象に残った。若尾文子の加恵はそれを激しく受け止めるでもなく、しかし静かに反抗の様子を示すわけだが、その緊張感の映画表現も見事。運平の妹小陸(渡辺美佐子)が癌で死ぬ間際に、姑との間のことを綺麗事として話す加恵に対し「そう思うてなさるのは、姉さんが勝ったからやわ」と指摘し、またその前に「嫁に行かなんだことやったら、悔やむどころか幸せやったとおもうてますのえ。私は観てましたえ、お母はんと姉さんのことを(略)怖い仲を(略)なんぼ(病気で)苦しんだかて、姉さんのような目に遭うより楽やないかと思うてますよし」と告げる場面は、続けて「私は二度とおなごに生まれとうない。嫁に行かなんだのが、何よりも幸せやったのよして」と繰り返すところなどはいささか説明過多の気もするが、この場面全体についてはそこまでの「緊張感」のわけをいったん解決するという点では効果的だったし、映画全体の中でこの場面が配置される間もよかったと思う。左様に女の人生≠ェ主題であるとは思ったのだが、だからと言って華岡青洲の功績(伊藤雄之助扮するその父華岡直道の医者としての存在意義も含めて)についてもおざなりにはしていないし、終幕は(むろん敢えてだろうが)結論めいたものを表さずややふんわりと終わっていくものの、とても大事なものを受け取り考えさせられた。増村保造といえば私は『巨人と玩具』(1958)や『からっ風野郎』『偽大学生』(共に1960)の印象が強く残っていて、どこか少し行き過ぎた表現を用いて観衆を惹きつけようとしているような印象を持っているのだが(とはいえ、ちゃんと思い出してみると1959『最高殊勲夫人』、1961『好色一代男』、1965『兵隊やくざ』などなど、そういう印象のない作品もあるわけだが)、本作では多少エグ味を感じたのは猫を動物実験に使う場面くらいだった。「どこか少し行き過ぎた表現」のすべてが外連味とは思わないが、そう思われるような表現を使わずに人間故の激しさと哀しさをしっかり伝えてくるようなところも含めて、名作と思った(なおちなみに、上記台詞の引用は、すべて原作からではなく映画内で語られた台詞の書き起こし)→煮干し出汁殻、ポークカレー(ニンジン、白菜)小皿×3、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→夜8時頃就寝。
2月22日(土) 午前11時起床。白湯→大根と油揚のおつけ、ポークカレーライス(卵炒飯)→『華岡青洲の妻』復習→『ゆうれい船 前編』(原作:大佛次郎、監督:松田定次。大河内傳次郎、伊東亮英、中村錦之助、月形龍之介、進藤英太郎、三島雅夫、第二百満号、円山栄子、長谷川裕見子、大友柳太朗、山形勲、戸上城太郎、加賀邦男、星十郎、原健策、桜町弘子、小田部通麿、高松錦之助。1957、東映)、『ゆうれい船 后編』(原作:大佛次郎、監督:松田定次。中村錦之助、伊東亮英、大友柳太朗、長谷川裕見子、円山栄子、三島雅夫、加賀邦男、星十郎、山形勲、富田仲次郎、春路謙作、加藤嘉、吉田義夫、薄田研二、清川荘司、丘さとみ、大河内傳次郎、時田一、水野浩。1957、東映)。1956年に朝日新聞で連載された大佛次郎作の少年向け時代小説の映画化。映画も当然少年向け(子供向け)に作られていて、話はわかりやすく、主人公次郎丸に扮した中村錦之助(当時25歳)はじめ、盗賊にして時の権力者松永弾正(月形龍之介)一味に対抗する勢力の頭佐々木左馬之助の大友柳太朗(当時45歳)、浮浪児鬼夜叉の三島雅夫(当時51歳)、弾正の配下から左馬之助側に転ずる赤鼻玄蕃の山形勲(当時42歳)、弾正にすり寄る豪商五郎太夫(進藤英太郎)の息子左衛門太郎の原健策(当時52歳)などは実年齢よりも相当若い人物に扮していて、そして芝居が大きくてわかりやすい。前編では次郎丸の父の名船頭重兵衛(大河内傳次郎)が時化に遭って愛船観音丸とともに行方不明になり、それを機に、もともと侍になりたいと思っていた次郎丸が大阪堺より京の都にのぼるも松永弾正の圧政に憤りを覚え京の民百姓とともに戦い、しかし松永弾正の軍勢に捉えられようとする雪姫(長谷川裕見子)を救い出して海に逃亡、后編は次郎丸一行が行方不明になったはずの観音丸に導かれ村上水軍の首領庵原玄斉(加藤嘉)に出会い重兵衛が琉球の幽霊島に向かうと、時を同じくして海賊の弥三蔵(山形勲)も幽霊島に向かっており、幽霊島の支配者悪竜王(薄田研二)とともに弥三蔵一味を撃破、船旅の途中で囚われてしまった雪姫らを助け出し、父重兵衛らを伴い日本への帰途に着くという物語で、前編の松永弾正の那話はどうなったのかとか(一応、元は海賊で今は貿易商となっている悪竜王が松永弾正に武器を供給するのはやめる≠ニ語るのだが)、あるいは前編では味方だった山形勲(赤鼻玄蕃に扮して松永弾正との戦いで死亡)が后編ではしれっと悪役の海賊役で出ているなど、雑だなあと思う部分もないではないが、それはそれで愛おしい気もする。子供向きながら子供騙しではない作り手の良心や熱意を感じた。后編の、中村錦之助、大友柳太朗、大河内傳次郎による大立ち回りも見事→前編と后編の合間に菊水堂ポテトチップス、ポークカレー、混ぜご飯小皿×2、ビール中瓶×2→風呂→ひと口餃子5ケ、スープ餃子5ケ(大根)、大根と油揚のおつけ(揚げ玉)、ご飯半膳(しらすぼし、うずらの卵×2)、カマンベールチーズふた切れ、金宮お湯割り×6→ヴィム・ヴェンダース『ことの次第』を見始めたが途中で飽きて就寝。午前3時半。
2月23日(日) 午前11時半起床。白湯→舞茸のおつけ、卵炒飯→『ことの次第』(原題『Der Stand der Dinge』、監督:ヴィム・ヴェンダース。ジェフリー・カイム、カミラ・モラ・シェイヒング、イザベル・ヴェンガルテン、レベッカ・ポーリー、アレクサンドラ・オーダー、パトリック・ボーショー、サミュエル・フラー、ロバート・クレイマー、フランシスコ・バイアオ、アルトゥール・セメド、ジェフリー・キャリー、ジョン・ポール・ゲティ3世、ヴィヴァ、ジゼラ・ゲティ、ロジャー・コーマン、モンティ・バネ、アレン・ガーフィールド(順不同)。1982、独Wim Wenders Productionsほか製作/Filmverlag der Autoren配給)。フランシス・フォード・コッポラが製作としてヴィム・ヴェンダースを監督に招いた『ハメット』(1982)でのコッポラとの衝突をきっかけに、『ハメット』の製作が中断している間にその経験を元にして撮られた、映画製作についての映画≠キなわちメタ映画。映画に於ける物語≠ェテーマになっており、作中主人公の映画監督フリッツ(パトリック・ボーショー)の演説として「物語は物語の中にしか存在しない」という主張が発せられたり(聞き手のひとりのメモには「STORIES ONLY EXIST IN STORIES (WHEREAS LIFE GOES WITHOUT THE NEED TURN INTO STORY)」−−物語は物語の中にのみ存在する(人生は物語になる必要もなく進む)−−と記される)、失踪したプロデューサーのゴードン(アレン・ガーフィールド)との間で「映画には物語が要るんだ」「人物と人物の間で映画は作られる」という対話があったりなど、ヴィム・ヴェンダースの考える(おそらくコッポラとは相容れない)映画とは何かという考えを開陳・主張しているわけだが、本作の映画としての印象も含めて、私などはだから何?≠ニ受け取ってしまう。先の演説や対話はよいとして、全編でもっと明確に主張してほしい、言いたいことがあるならはっきり言えよ、というか。しかし要するに好み≠ナはないのでその言わんとすることをちゃんと聞こうとしない、という私のほうの問題であるとは思うので、自分の好みや気持ちを排してきちんと向き合いたいなとは思うが、さてそういう機会が今後訪れるかどうか。人の意見も読んでみたいと思う→『ゆうれい船』『ことの次第』感想まとめ→即席ラーメン(マルタイ棒ラーメン胡麻醤油、胡麻、新玉葱、茹で卵1/2、ニンニク、海苔)→録画整理→明日の旅支度→『刑事コロンボ』で一杯(菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1)→『moon riders AMATURE ACADEMY and more 2024』観ながら晩に突入。ほうれん草と新玉葱とトマトのサラダ、鯖胡麻漬け、ひと口餃子5ケ、ひと口水餃子5ケ(じゃがいも、大根)、舞茸のおつけ、ご飯半膳、錦松梅、金宮お湯割り×4→途中『笑点』『べらぼう』『新必殺仕事人#1』に浮気しながらムーンライダーズ観終え、午前1時就寝。
2月24日(月) 朝8時半起床。白湯→風呂→舞茸のおつけ、卵かけご飯(長芋とろろ、刻み海苔)→昼頃出発→小一時間で〈ローズホテル〉着→元町の本牧の入り口みたいな横丁を確認してから〈のり蔵〉にてパン購入(1590円。チョリソー、塩バター、チェリートマトグリュイエールチーズ、カレー、のりハムロール)。会計の際クルマのキーホルダー落としてひとつ破損(ハーモニカと鎖の接続部が壊れた)→時間余ったが、ロビーで待機。ぼうっと待っていて、14:40手前でそろそろフロントに聞いてみようかなと思ったら、向こうから「チェックインお待ちの方はいらっしゃいますか」と聞きにきてくれた。さすが→部屋に入ってまずはビール→シャワー浴びてから、2階のザ・グランドローズボールルームを訪ね、『ブラックベルベッツの食べチャイナ! 酔っチャイナ!!』を見物。ムード冗談音楽と中華コース料理と飲み放題。ブラックベルベッツは音楽のよさと笑いとの塩梅がよく、ついついよい気持ちになる。そこに5種前菜の盛り合わせに始まり、大エビとホタテアスパラガスの香り炒め、エビのすり身と蟹爪のカダイフ巻き揚げ、フカヒレスープ、野菜と牛肉の黒胡椒炒め、特製小籠包、麻婆豆腐、鶏肉入りXO醬入りチャーハン、杏仁豆腐と四川料理の逸品がこれでもかと続き、酒はビールにハイボールに葡萄酒に紹興酒とチャンポン。至福の時間であった。ひとりで立ち上がって踊ったりもした。今回はひとりで参加したのだが、同じ卓の方々もいい人ばかりで、ついつい財布の紐が緩み、終演後にCD二点など購入。田中邦和さんにご挨拶して部屋に戻る→O形すでに到着していて、本日の様子などを伝えているうちに寝入ってしまった→深夜起きて〈のり蔵〉のチョリソーパンとビールロング缶×1。あれだけ酔っ払ったのに、ビール飲んだら酒が足りない¥態になった。しかし部屋にはもうないし買いに行くのも面倒なので寝る。朝方。
2月25日(火) 朝10時半起床→カレーパン、チェリートマトグリュイエールチーズパン、珈琲→シャワー→昼は外に出るも、祝日明けなのに大通りは大いに混雑。学生が春休みなのか。みな昼時なのに店に入らず串に刺さったものなどを立ち食いしている所為もあって、往来は混雑しているのだな→当てにしていた〈安記〉〈楽園〉は商売にならないと考えたのか?本日休み。〈清風楼〉まで足を伸ばすも(予想通り)行列だったので、〈萬来亭〉へ。きゅうりと枝豆の和え物、イカの葱油ソース和え、上海焼きそば、ビール中瓶×1→中華麺とスープ買って宿に戻り休憩→高柳昌行『汎音楽論集』索引制作の準備作業。しばらくサボっていたが再開→これまた三日坊主となったプランクも再開(30秒)。その他椅子を使った筋トレなど→晩は〈山東2号店〉と迷ったが〈清風楼〉へ。シウマイ4ケ、コンスープ、ヤキメシ、ビール大瓶×1。スープもヤキメシも量が多いが、どことなく身体が求めている♀エじ。ヤキメシが酒肴になるのもよい→宿に戻って食休み→『汎音楽論集』索引制作の準備作業と読書、ビール350ml缶×5ののち午前3時就寝。
2月26日(水) 朝8時起床→シャワー→塩バターパン、のり塩ロール、珈琲→10時過ぎちょいと早めにチェックアウトし、〈重慶飯店〉の売店で土産買って帰宅→昼前着→〈萬来亭〉の焼豚、〈萬来亭〉の麺と醤油スープのラーメン(焼豚、腕卵、葱)、ビール中瓶×1.5→午睡→昨夜の「『汎音楽論集』索引制作の準備作業」の最中に気づいた記述を、B電子に確認の上B-38の原稿に活かして修正し提出。ちょっと長くなってしまったが、B-38に興味を持ってもらうための背景の物語≠ニしては充実した読み物になったと思うのだが、果たして→風呂→『イロモネア』『有吉の壁(傑作選)』など見て録画消化しながら、新玉葱とピーマンとトマトのサラダ、鯖水煮缶詰、じゃがいも鯖水煮缶煮、じゃがいものおつけ(揚げ玉)、ご飯(錦松梅、梅干し)、ビール中瓶×1.5、金宮酎ハイ×1→夜0時就寝。
2月27日(木) 朝10時起床。白湯→じゃがいものおつけ、卵炒飯→昨日までの日記を読み返し校正→昼は経堂に出て〈しらかめ〉でそば、と思ったが満席かつ予約も入っているとのことで断念。農大通りの〈すぱげったぁた〉にてペスカトーレ・ビアンコ(エビ・ホタテ・アサリ)、ビール中瓶×1→豪徳寺まで歩き、世田谷線で下高井戸(招き猫電車は外国人観光客にも人気のようだ)→〈三友〉を覗いたら鰯七尾500円だったので迷わず。ほかに生鮭、あさり、ちりめんじゃこ、煮干し→続いて新店舗開店後初の〈いづみや〉にて油揚と国産絹→歩いて帰宅。しばらく歩いていなかったらずぶん脚力が落ちた気がする(ブラックベルベッツで踊った際もそれは感じた)→『新必殺仕事人』録画消化しながら、柿ピー、ビール中瓶×1→風呂→鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』途中まで→菜の花と新玉葱のサラダ(ちりめんじゃこ)、鮭バタ焼き、じゃがいものおつけ、鰯ハーブ焼き、焼豚、鮭ホワイトシチュー(ニンジン、じゃがいも、玉葱)、ご飯半膳、ビール中瓶×1、御酒×3→夜10時就寝。
2月28日(金) 朝7時半起床。白湯→鮭ホワイトシチューライス→老父買い物代行(クリエイト、サミット)および通帳記帳→灯油買って帰宅→『ツィゴイネルワイゼン』続き観ながら、菊水堂ポテトチップス、煮干し、きつねそば(温玉、刻み葱)、ビール中瓶×1、御酒×2→『ツィゴイネルワイゼン』(原作:内田百閨A監督:鈴木清順。藤田敏八、麿赤児、木村有希、玉寄長政、原田芳雄、山谷初男、樹木希林、佐々木すみ江、大谷直子、大楠道代、真喜志きさ子、渡辺忠臣、間崇史、小田美知、江の島るび、玉川伊佐男、米倉ゆき、相倉久人、夢村四郎。1980、シネマ・プラセット/リトル・モア) 日本映画専門チャンネルにて4Kデジタル完全修復版を放映≠ニいうことで観てみたが、もうさすがに新しい感想はないが−− いやなにかあったような気もするが、忘れてしまった。とはいえ、美しく心地よい悪夢のような本作を、これからも何度も観るであろうことは再確認(ただしこの「4Kデジタル完全修復版」を保存しておく意味が自分にあるかは、観終えてすぐの今のところは不明)→午睡→午睡寝坊し、クルマで国領へ(なんとか間に合った)。ダー、真里ちゃんとひさびさの〈仙牛〉で一献。といっても私は乾杯のビールしか飲めなかったが、芝居と映画の話をたくさん聞かせてもらって楽しかった。4色ナムル、チョレギサラダ、牛タン、トントロ塩焼き、和牛カルビなどなど焼き肉多数、ジャン麺→所要時間30分ほどで20時過ぎには平和にクルマで帰宅。→帰宅後一杯やろうかと思ったがまったくお腹空かず、ただぼーっと時を過ごし、夜11時半就寝。
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