2025年03月10日

3月まとめ(1〜10日)


泉鏡花/鈴木清順/松田優作/大楠道代/中村嘉葎雄/加賀まりこ/楠田枝里子/原田芳雄『陽炎座』、金原亭小駒・馬太郎兄弟会 於新宿〈シン・道楽亭〉、鈴木清順/沢田研二/宮崎萬純/大楠道代/毬谷友子/原田芳雄/広田玲央名/坂東玉三郎『夢二』、三原光尋/藤竜也/麻生久美子/桂やまと/中村久美『高野豆腐店の春』、古今亭菊之丞独演会 於高円寺〈ちんとんしゃん〉、桂吉坊独演会 於経堂〈さばのゆ〉、斎藤寅次郎/勝新太郎/田端義夫『花の二十八人衆』。

3月1日(土) 朝8時半起床。白湯→鮭ホワイトシチュースパゲティ(ちりめんじゃこ)→そばつゆ仕込み→プランク40秒→風呂、洗濯、風呂掃除→ホットドッグ、ビール中瓶×1→午睡→『陽炎座』(原作:泉鏡花、監督:鈴木清順。松田優作、大楠道代、中村嘉葎雄、東恵美子、江角英、加賀まりこ、楠田枝里子、佐野浅夫、原田芳雄、玉川伊佐男、麿赤児、大友柳太朗、佐藤B作、内藤剛志、榎木兵衛、沖山秀子。1981、シネマ・プラセット製作/日本ヘラルド配給)。これまた『ツィゴイネルワイゼン』と同様、「もうさすがに新しい感想はない」。とはいえ、今回は終盤の田舎芝居≠フ役者ひとりひとりの所作がきちんと基礎を身につけているものであることに、改めて気がつき改めて驚いた(おいね*の少女に扮した役者が誰かは知りたいものだ。あと舞台に立つわけではないが、ヘリウムガスを吸ったような声でぼやく青年、客席に意味ありげに登場し緞帳の向こうに消える「松源」という屋号が染め抜かれた半被を着た男が誰かも知りたい)。あとこれは本作を観ての感想ではないが、泉鏡花「陽炎座」のほかに「艶書」「春昼」「春昼後刻」「星の歌舞伎」「酸漿」などが散りばめられているらしい、という知識を得たことも記しておく( https://fancycherrypants.com/2017/04/30/「陽炎座」について/ )。劇中出てくる「◯△□」は特に考えずに仙豪`梵の禅画(The Universe)を映画で使ったのかな≠ニ思っていたが、「春昼」「春昼後刻」にもこのモチーフが出てくるそうだ。これらの鏡花作品も読みたいが、はてさて(「艶書」「春昼」「春昼後刻」は青空文庫にあるのを確認)→トマトとピーマンのサラダ(ちりめんじゃこ)、ビアシンケン、オリーブボロネ、カレースープひと口餃子(ニンジン、玉葱、ニンニク)、醤油ラーメン(焼豚、白髪葱)、ビール中瓶×1、金宮レモンハイ×1.5、御酒×1→午前0時半就寝。
3月2日(日) 朝8時起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、ご飯、ちりめんじゃこ、納豆、うずらの卵×1、海苔→『陽炎座』復習→昼頃新宿に出て、まずは〈CON TON TON〉にて昼。ピカディージョ、ビール小瓶×1。あとパプアニューギニアの珈琲「マッドマン」。開店初日以来だが、店の方とも話が弾んで楽しい時間だったと→金原亭小駒・馬太郎兄弟会 於新宿二丁目〈シン・道楽亭〉。よくも悪くも二つ目さんの会≠ニ思ったが、馬太郎のほうはこの先どの方向にどう伸びていくのか、未知数だなと思った。小駒のほうは、志ん生のひ孫という先入見もあるけれども、落語の世界の人という印象はそれなりに濃かったように思うし、この人なりの個性も見て取れた。間や抑揚も含めた噺の組み立て方も、自分なりの特徴をよく考えているように感じたが、まあやはり先入見あるいは贔屓目という可能性はあるかもしれない。噺の最中素の顔に戻るところがあると、ちょいと目が怖い(おそらく元々のご面相がそうなのだろう)のが些か気にはなった。演目は、

金原亭小駒・・・・・・粗忽の釘
金原亭馬太郎・・・・・文違い
(仲入り)
金原亭馬太郎・・・・・王子の狐
金原亭小駒・・・・・・花見の仇討ち

→新宿御苑前から国会議事堂前経由にて、平和に電車で帰宅(千歳船橋下車、〈イオンリカー〉にて買い物)→『笑点』見ながらビール中瓶×1→菜の花おしたし(ちりめんじゃこ)、酢昆布、冷や奴(胡麻生姜タレ、花鰹)、鰯肝炒め、鰯皮焼き、鰯刺身(おろし生姜)、舞茸と油揚のおつけ、小鰯丼、長芋とろろ、御酒×2→夜8時半いったん就寝→日付け変わる前に起床→プランク50秒→風呂→『花笠若衆』(原作:加藤喜美枝、監督:佐伯清。清川荘司、高島淳子、吉野登洋子、美空ひばり、星十郎、大川橋蔵、吉田義夫、須藤健、大河内傳次郎、桜町弘子、沢村宗之助、常盤光世、柳永二郎、明石潮、香川良介、三条美紀、長谷部健、中村時之介、堺駿二、北村曙美。1958、東映)。物語の発端は、但馬の国扇山五万三千石牧野家の主内膳正(明石潮)に双子の姫−−千代姫、雪姫(共に美空ひばり)−−が生まれたことで、双子を忌み嫌う風習から雪姫は江戸の狭客江戸家吉兵衛(大河内傳次郎)に預けられ、いつしか吉兵衛の跡を継ぐ吉三=|−すなわち男性−−として育つ。そこに、千代姫を神月家の次男又之丞(大川橋蔵)に娶わせて牧野家の後継にしようとする鈴木伝左衛門(香川良介)一派と、江戸家老田島主馬(沢村宗之助)の娘早苗(桜町弘子)を雪姫と偽りお家乗っ取りを謀る馬場兵部(柳永二郎)一派との暗闘が勃発、吉三と吉兵衛もその争いに巻き込まれてゆき、権力と多勢にモノを言わす勢力と地びたでまっとうに暮らす民との闘い≠ヨと展開。そして実は又之丞は内膳正より雪姫を探す命を受けていて、さらに吉三実は雪姫が又之丞に惹かれていって−− と話は展開してゆく。前回(2017年11月20日)に観た際は、「主題歌の特にコーラスの塩梅と、物語開始後すぐに流れる『ロカビリー剣法』が素晴しい。そして美空ひばりが見ている夢の場面が意外に長かった。美空ひばりらが崖から突き落とされそうになる場面は、受け手を騙してほしかったな」と感想を書いているが、今回もほぼ同じ。ただし「美空ひばりらが崖から〜」については、今回の鑑賞では特にそんな風には思わなかった。思い返せば「暗闘」が始まってからの中盤がちょいと長く感じて退屈したような気もするし、吉三がすぐに女だとわからないのはおかしいとか、千代姫は早苗をひと目見たら雪姫のニセモノだとわかるはずだとか、千代姫は但馬国(現在の兵庫県豊岡市、つまり日本海側)にいるはず?なのに終幕の祭の場面に当たり前のようにいるは何故、などそんな疑問も感じつつ、美空ひばりの啖呵や立ち回りも心地よく、痛快明朗な娯楽時代劇であることは間違いないと思う。早苗が雪姫と偽り内膳正を騙そうとする終盤で(ただし早苗も被害者ではある)、吉三が雪姫姿に戻り又之丞と共に牧野家に乗り込んで真実を明かす場面での雪姫から吉三への早替わりは、痛快すぎて大笑いした(終幕の祭の場面で、吉三が泣きながら太鼓を叩いたり踊ったりする様子もなにか可笑しいものがある)。なお、原作を書いた加藤喜美枝は美空ひばりの母親→ビール中瓶×1→午前3時就寝。
3月3日(月) 朝8時半起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、卵かけご飯(納豆、ちりめんじゃこ)、海苔→『花笠若衆』復習→B電子高柳関連、提出済み原稿残り一本に若干手を入れその確認と、Web記載情報更新内容の確認など→醤油ラーメン(焼豚、茹で卵1/2、刻み葱)→B電子に修正稿と更新情報送付。日程は不明だが、公表までにすべきことは概ね固まった(と思う)→『夢二』(監督:鈴木清順。沢田研二、余貴美子、芹明香、宮崎萬純、大楠道代、毬谷友子、長谷川和彦、麿赤兒、原田芳雄、広田玲央名、坂東玉三郎、宮城千賀子。1991、荒戸源次郎事務所製作/ムービーギャング配給)。竹久夢二のファン、あるいは(かつ?)大正文化に詳しい人間であれば細かい描写や仕掛けに納得しながら楽しめる作品と思うが、観終えてから竹下夢二の年譜などを眺めつつ「彦乃とお葉は実在の人物をほぼそのままか」「稲村御舟のモデルは速水御舟か」と確認したりしている私のような無知な、竹久夢二のファンでもなく、『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』の延長として期待をした人間が観ると、なかなか捉えどころを見つけるのが難しく、印象としては薄味でおとなしい、という感想が浮かんでくる。とはいえ、観終えてじわじわと感動を覚えないわけではないし(夢二の独白がそれを支えていると思った)、蒲柳の質でありずっと弱々しさを表現していた彦乃(宮崎萬純)が金沢のカフェでとつぜん元気よく踊り出すところ展開はなかなか強く印象に残りはする。また自分の知識や鑑賞眼のなさを、たとえば https://fancycherrypants.com/2017/04/26/「夢二」について/ のような本作を細部まで観察して書かれた記事で補足してから再見するならば、もっと深い鑑賞ができそうな気もしてくるが−− しかしただただ強く印象に残る場面が少なかった(という記憶が残っている)だけに、それはそれでどうかなとも思う。まあ慌てて結論を出すこともないわけだが。今回で何回めの鑑賞かは忘れたが、前回の鑑賞(2020年9月9日)の際は「大賞浪漫三部作の中で、自分の順位としては三番めだったのだが、それはおそらくとんとんと続けて観た前二作の印象があまりに鮮やかだった所為で、改めて観るとこれはこれで前二作と同等の狂気と洒落と映画の快楽に満ち溢れている。とはいえ、前二作で得た表現手法を継承しているという点では、観方によっては焼き直しとも取れるし、何か強烈な新機軸が欲しかったかなとも思う。それにしても、宮崎萬純、毬谷友子、広田玲央名というヒロイン三人の脇に大楠道代を配するというのは、これぞ掛け値なしの豪華絢爛というものだと思う」と、まあ大体今回と同じような感想を記している(いや今回より褒めてはいるか)。ただし「宮崎萬純、毬谷友子、広田玲央名というヒロイン三人の脇に大楠道代を配するというのは、これぞ掛け値なしの豪華絢爛」とまでは今回も思ったが、その「豪華絢爛」が活きていなかったのかなとは、今回は思った→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→昨夜来の腰痛治らず、横になりたくなり夕方6時いったん就寝→日付変わる前に起床→録画整理→フライドポテト、鰯骨煎餅、たぬきそば(うずらの卵×2)、御酒×1→プランク60秒→午前4時就寝。
3月4日(火) 朝9時起床。白湯→カリフラワーの葉と油揚のおつけ、卵かけご飯(納豆、ちりめんじゃこ)、海苔→「逢いたくて逢いたくて」のギター少し見直しAメロの前後半の間のオブリガードを一〜三番で三種思いついてまとまったのだが、弾こうとするとなかなかすんなり行かない→プランク60秒。20秒×3、インターバル20秒ずつにしてみた→O形サイト更新(絵日記。データ編集は昨晩寝しなに済ましており、アップロードのみ)→二種のソーセージとピーマンのスパゲティ(和風ソーセージ/イタリアンハーブソーセージ、トマト、ニンニク、ちりめんじゃこ)、いちご、牛乳→ギター練習(逢いたくて逢いたくて)→風呂→『高野豆腐店の春』(監督:三原光尋。藤竜也、麻生久美子、橋本美和、徳井優、山田雅人、菅原大吉、竹内都子、日向丈、智順、中村久美、今里真、桂やまと、田口智也、太田美恵、瓜生和成、生津徹、小林且弥、黒河内りく、クリステン・ワッツ、ニヒ、赤間麻里子、宮坂ひろし。2023、アルタミラピクチャーズ、「高野豆腐店の春」製作委員会製作/東京テアトル配給)。広島尾道の、年相応に(そして田舎のひとらしい)頑固な老主人高野辰雄(藤竜也)が営む豆腐屋を舞台に、じきに五十になろうという出戻りの娘高野春(実は血縁ではない。麻生久美子)が再婚に至るまでの顛末を描く、これぞ心温まる≠ニ言いたくなる物語。高野辰雄もかかりつけの病院で知り合った老婦人中野ふみえ(中村久美)との親交を深めていく。中盤と終盤に差し掛かる辺りに出てくる二組の弱い人間故の悪意の発露−−ふみえの職場の仲間たちによる、心臓の手術のためにスーパーマーケットの掃除の仕事をやめるふみえに対する陰口と、ふみえの姪夫婦の、ふみえの住む家を相続し自分たちの借金の担保にしようという目論見を露わにするえげつない態度を除けば、高野辰雄の友人たち(徳井優、山田雅人、菅原大吉、竹内都子、日向丈、黒河内りく)と春との再婚を望む人たち(田口智也、瓜生和成、生津徹、小林且弥、桂やまと)や、外国人観光客(クリステン・ワッツ、ニヒ)を含む高野豆腐店の客(橋本美和)といった周囲の人たちが、みな泣けてくるほどにいい人たちで(喧嘩したり言い争ったりする場面でさえも)、そのいい人たち≠サれぞれの人物造形に対して腐心する様子が、監督も役者も素晴らしいと思った。藤竜也の相手役である中村久美は、出演作ではNHKの連続テレビ小説『おひさま』(2011)『とと姉ちゃん』(2016)、TBSの君塚良一『ずっとあなたが好きだった』(1992)、周防正行監督の映画『舞妓はレディ』(2014)などを観ているものの失礼ながら全く記憶になかったのだが、本作では被爆者でありまた家族に恵まれずひとりで寂しく生きてきて、なお明るく優しく好ましい人柄を築き上げてきた人物の背景までをも表現するような、素晴らしい芝居だったと思う(高野辰雄の妻や春の背景など、主要な人物の来し方をしっかり想像させる演出は全体的に印象に残った)。小理屈をあれこれ捏ねるよりも、ただ目の前に繰り広げられる物語と場面場面に感想し素直に涙を流したい映画であった。父と嫁いでゆく娘の物語とはいえ一連の小津映画とはまた異なる(そして強い)印象を残す作品であるし、名作と言ってよいのではなかろうか(大豆と水と苦汁だけで丁寧に作る豆腐をモチーフとした点も、観終えて反芻してみれば秀逸と感じた)。なお脚本(おそらく原作)も監督の三原光尋。1990年に監督第一作を撮っているようなのですでに歴35年に及ぶわけだが、恥ずかしながら本作が初体験、そして今までの作品は題名も知らなかった。恥じ入る(本作については、たいへん参考になった記事があったので、URLを控えておく。 https://komodon-z.net/2023/07/06/takano01/ https://drhawkmovie.com/takano_tofu/
→『掏摸』(原作:和久峻三『掏摸男の危険な恋』、監督:杉村六郎。藤田まこと、南美江、平田満、平泉成、山口裕子、長山藍子、近藤正臣、金子研三、あき竹城、根岸季衣、二宮さよ子、福田豊土、山口美也子、遠藤征慈、麻丘めぐみ。1993、東映制作/NTV、NNN放映)。火曜サスペンス劇場の一本。藤田まこと扮する引退した老掏摸が、憎からず思っている料亭の女将も巻き込まれてしまった恐喝事件−−大病院、そこに勤める婦長、ヤクザ、政治家までが絡んだ−−を解決に導くために、警視庁の刑事の依頼で封印していた掏摸の技を解き放つ…… という設定はとても面白いと思うのだが、藤田まことの掏摸仲間に平田満/金子研三/あき竹城、警視庁側に近藤正臣/平泉成、藤田まことが心を寄せる小料理屋女将に長山藍子、恐喝事件のきっかけとなった婦長に根岸季衣とこれだけの役者を並べて、どういうわけかまったく心踊らないドラマだった。たとえば藤田まことはかつてあき竹城と深い仲になりそうだったが、長山藍子に心奪われあき竹城とは別れたという設定があるのだが、こういう設定≠ェほんとうに設定≠セけで、物語に有機的に活きてこない。万事がそんな感じなので、まあ言ってみれば登場人物が物語を転がすコマとして使われているだけで、人間として機能していない、といった趣か。残念。以前観たような気もするのだが、いつどこで観たかはまったく不明→菊水堂ポテトチップス、新玉葱と二種のハムのサラダ(ビアシンケン、オリーブボロネ、針生姜、酢、胡麻油、黒胡椒)、小松菜と油揚と卵の炒め(青葱、鰹節)、焼豚薄切り、じゃがいもとニンジン鶏スープ煮(ニンニク)、胡麻汁せいろ(熱盛)、ビール中瓶×1、金宮レモン杯(薄め)×3、金宮酎ハイ(薄め)×3→『笑点特大号』見ながらビール中瓶×1→さらに金宮お湯割り×1→プランク60秒(連続)→午前4時過ぎ就寝。
3月5日(水) 朝11時起床。白湯→カリフラワーの葉と油揚のおつけ、ご飯、納豆、うずらの卵×2、海苔→連絡業務。B-40掲載位置確認、解決→風呂→月見たぬき南蛮(落とし卵)、ビール中瓶×1→夕方高円寺に出て、〈ちんとんしゃん〉にて古今亭菊之丞独演会を見物。『お見立て』『愛宕山』の二席。『お見立て』の喜瀬川のわがままを露わにしながらも可愛らしさが匂ってくるような様子、『愛宕山』の一八の憎めなさそして竹をしならせる際の無対象演技の切れ味を堪能。つい先おとつい、金原亭馬太郎で『文違い』、金原亭小駒で『花見の仇討ち』と、二つ目の廓噺や賑やかな噺を聴いたばかりだったので、比較したりしながらの鑑賞は楽しかった→懇親会≠ヘ、まだ飲み過ぎが怖いので失敬しておいとま→家で飲もうと思ったが、経堂の駅に着いたら小腹が空いたので、〈さばのゆ〉に寄って一杯。お通し(塩からクリームチーズ、マカロニサラダ、鯖塩焼き)、粕汁(鰯つくねなど)、コンビーフビリヤニ、コロッケ、ビール中瓶×2。晩としてはまあまあな分量になった。コロッケは、夕方見ていたTVドラマで謎解きのモチーフになっていてなんとなく食べたくなっていてので、店のマダムが揚げたてをお出しできますよと勧めてくれたのはいい間だった→帰宅後即就寝。夜11時頃。
3月6日(木) 朝6時起床。白湯→カリフラワーの葉と油揚のおつけ、ご飯(錦松梅、うずらの卵×1)、海苔→プランク20秒×3(インターバル20秒)+30秒→『汎音楽論集』の索引制作に着手。方針決めてからのほうがいいかなと思ったが、結局方針を決めながら進めることにした。先は長い→菊水堂ポテトチップス、刻みとじそば、ビール中瓶×1→午睡→風呂→煮干し出汁殻炙り、蒸し野菜(カリフラワー、じゃがいも、ニンジン)、トマト、ハム二種のソテー、寒鯖缶詰、ピーマン、なめこ汁(油揚)、ご飯半膳、ビール中瓶×1、御酒×2→夜11時就寝。
3月7日(金) 朝8時半起床。白湯→なめこ汁(油揚)、ご飯(梅干し、ちりめんじゃこ)、海苔→朝食後眠気が強くなり、また出かけるまでの時間が中途半端なので、もうひと眠りとする→昼頃出かけ、まずは〈松葉茶屋〉で昼。天かけ→老父買い物代行(サミット)→買い物届けてから〈所澤クリニック〉受診付き添い。先般から足が痛いと言っていたのは、左足の人差し指の傷(なんで傷ができたのかは不明)の処置をきちんとしておらず化膿?したことによるもののようだ。ひとまず抗生剤をもらって様子を見ることにしたが、皮膚科への通院も必要になりそうではある→ガソリン補給して帰宅→『新必殺仕事人』見ながらビール中瓶×1→午睡→トマトとピーマンのサラダ(ちりめんじゃこ)、小松菜とソーセージの炒め、鰯ハーブ焼き、なめこ汁(油揚)、ご飯半膳、御酒×3→夜11時就寝。
3月8日(土) 朝9時起床。白湯→なめこ汁、小卵丼(鰹節)、いちご→ギター練習。今さらながら、毎日の練習と(曲だけでなく)基礎練習の必要性を次第に感じてきた。年老いたらなおさら→山かけそば(うずらの卵×2、刻み葱、刻み海苔)→昭和38年(1963年)の紅白歌合戦をダラダラと全部見てしまう。面白いので仕方ない→風呂→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→夕方経堂駅前に出て、〈さばのゆ〉(3月8日でさばのゆ記念日)にて桂吉坊独演会見物。まずは吉坊で「うどん屋」。ますます年齢なりの男っぷりが上がって貫禄も出て、間もけっこうな「うどん屋」だった。私はどうしても柳家小三治のと比べてしまうが(二十年以上前に〈末廣亭〉で聴いたのがまだ記憶に残っているので)、師匠吉朝や大師匠米朝の録音録画とも比べてみたい。シークレットゲスト≠ヘ立川小春治で「転宅」、これは女流の落語≠ノついてちょいと考えてしまう高座だった。男が女将さんなり女郎なりお婆さんなり娘なりを演る意味というのは、女≠フ強調による戯画化などいろいろ意味はあると思うのだが、女性がたとえばこの「転宅」のお妾さんを演る意味が、よくわからなかった次第。それとは別に、真打でいいのかなあという気もちょいとした(下手ではないのだろうが、小春治が小春治なりに真打である値打ちがよくわからなかった)。仲入りはさんで吉坊「質屋の蔵」。全体的にダラダラと長かったかな。これまた師匠大師匠のと比べてみたいな→打ち上げは失敬して、しかし外に出たらものすごい寒かったので、〈まことや〉に寄って焼豚つまんでビール中瓶×1ののち、カキ塩ら〜めんで暖まる→風呂→お笑い番組見ながら金宮お湯割り×4→明朝の粥(水餃子粥)拵えながら、『温泉ポン引女中』(監督:荒井美三雄。小瀬朗、葵三津子、ユセフ・ホフマン、三角八郎、沢淑子、南原宏治、中田ダイマル、中田ラケット、岡田眞澄、橘ますみ、林真一郎、佐々五郎、武智豊子、高橋昌也、安部徹、土方巽、中村錦司、小池朝雄。1969、東映)。『温泉あんま芸者』に続くシリーズ第二弾。紀州白浜を舞台に、大きな旅館と比べて予約の少ない弱小旅館の女中たちがポン引≠することで客を集めているところに、東京のヤクザ(林真一郎、林真一郎)が売春斡旋やブルーフィルム上映も行うゴーゴーバーとして乗り込んでくる。その中の兄貴分の女が、なんとポン引女中≠フリーダーイク代(葵三津子)の妹美智子(橘ますみ)だった…… というところから物語が展開するjのだが、『温泉あんま芸者』と比べると哀しい境遇の女たちの哀しさが強調されている印象が強く、『温泉あんま芸者』で楽しかった「溌剌とした力に満ち溢れていて」「ヤケクソっぷりがとても可笑しくまた気持ちよかった」という感じはほとんど感じられなかったし、「ひとりひとりが生きた人間≠ナあるという感じ」もなかった。新興ヤクザと土地の人間たち(すべてポン引女中)との闘争、新興ヤクザ側の人間(妹美智子)が土地の人間たちにつくという展開はよくあるヤクザ映画と同様で新味がなかったし、せっかくの紀州白浜とう舞台設定も活きていないように感じられたりで、私にとってはほぼ魅力のない作品であった。イク代の恋人のトラック運転手中根秀男を岡田眞澄が演じているのだが、登場してすぐはカッコよさが際立つものの、イク代から去っていく流れが尻すぼみなのも残念。監督の違いというより企画の失敗かなとも思ったが、果たして。前作同様清水正二郎がカメオ出演しているがこれも目立たず。終幕でとつぜん小池朝雄が温泉客として出てくるのが(クレジットにはないのに)最も印象に残った場面かもしれない。いや、ゴーゴーバーの娼婦が、客のルポライター山之辺(南原宏治)が「芸者はノーパンティが心意気よ」と言うのに対し「美人薄命と申しましてね、私もパンティはくめえ」と返すところは面白かったか。土方巽の出演もクレジットされているが、終盤の「野獣パーティ」の場面かな(暗黒舞踏が繰り広げられていたので)。土方巽の姿もよくわからなかった→水餃子×4、御酒×2→午前4時半就寝。*
3月9日(日) 朝11時起床。白湯→水餃子とうずらの卵の粥(青葱、白葱、針生姜、潰しニンニク、鶏ガラ出汁顆粒、黒胡椒)→ギター練習(曲のみ)→かけそば(途中から揚げ玉追加)→『ゴキブリたちの黄昏』(監督:吉田博昭。烏丸せつこ、小林薫、渡辺えり子、藤原加奈江。声の出演(順不同):浅野温子、宮川一朗太、平田満、塩屋浩三、倉良子、柳生博、北林谷榮、日下武史、伊武雅刀、鳳啓助、辻村真人、佐々木つとむ、ハナ肇、古川登志夫、塩屋翼、屋良有作、森功至、中西妙子、桑原たけし、福島まりこ、石上三登志、古尾谷雅人、丹波哲郎。1987、マッドハウス、キティ・フィルム製作/日本ヘラルド映画配給)。ゴキブリたちと人間との闘争を、ゴキブリの目線を中心に描く、実写にアニメーションを加えた作品。アニメーションによるゴキブリの擬人化と人物造形にはいい味わいを感じたし(黒鉄ヒロシによるキャラクターデザインとのこと)、人間や猫が出てくる以外の、背景の中をゴキブリたちが動き回る場面は静止画が使われている箇所が多いのは(ほとんどか?)おそらく技術的な理由だろうけれども、なんとはなしの違和感を醸し出すような表現と捉えると面白いと思わないでもない(かなり好意的な見方ではあるが)。ゴキブリをそれほど厭わない独身男性サイトウ(小林薫)のアパートの部屋ではゴキブリたちは(製作当時の)トレンディな$カ活を送っていて、一方ゴキブリを嫌う独身女性モモコ(烏丸せつこ)のアパートの部屋ではゴキブリたちはパルチザンのような生活を送っている。人間の眼にはどちらも同じようなアパートの一室なのに、少し距離が隔たっているだけでゴキブリたちにとっては別の国≠ニいう認識なのは面白いし、モモコがやたらセクシーな女性である点が強調されながら、ゴキブリたちから見たら単なる巨大生物という描写も可笑しい。終幕ではサイトウとモモコが交際することになり、そのためにサイトウの部屋で平和に暮らしていたゴキブリたちが駆逐されるに至るのだが、その話の流れは大国の意向や気まぐれに生活・人生を左右される人民の苦しみの比喩とも取れるし、そういう意味では寓話を志した作品とも言えるのではないかと思うが−− 左記のほかにも発想が面白いなと思った箇所はあったものの、全体としては物語の起伏というかメリハリというか、ないわけではないが鮮やかさには欠けるような印象があって。名作≠ニ呼ぶには躊躇してしまう、という感想。なお音楽はモーガン・フィッシャーが担当していて、主題歌はかの香織の作詞と歌(作曲はカール・ストーン)。1987年という時代(80年代)の記憶としては(当時まったく知らなかったにせよ)大事にしておきたい作品と思う→晩の支度(あさりのおつけ製作)→風呂→『笑点』見ながら煮干し出汁殻炙り、ビール中瓶×1→トマトと万能ネギのサラダ、カリフラワーとソーセージ(ルクセンブルガー)の炒め、ひと口餃子5ケ、バナナチップス、チーズ、あさり汁、ご飯半膳(塩昆布)、ビール中瓶×1、御酒×3→『R-1』グランプリ見たが低調。審査も(この手の番組では毎度のことだが)納得いかないものが多かった→夜11時頃就寝。
3月10日(月) 朝6時起床。白湯→プランク60秒→あさり汁、水餃子とうずらの卵の粥→ギター練習(基礎含む)→『美男天狗黨』(原案:小川正、監督:内出好文。藤乃高子、北上弥太朗、三井弘次、桜むつ子、雪代敬子、永田光男、香川良介、草島競子、玉島愛造、北龍二、海江田譲二、若杉英二、若柳敏三郎、大原みゆき。1954、松竹)。水戸天狗党の筑波山挙兵の最中、天狗党の藤田小四郎(藤田東湖の四男。若杉英二)とその婚約者雪枝(藤乃高子)、小四郎の幼馴染の侠客田中源蔵(北上弥太朗)が織りなす、恋の鞘当ても含む青春群像劇。と言ってよいかと思うが、天狗党の活動に熱心な小四郎が大事のためには小事を気にしない≠ニいういかにも革命に酔った若者風、一方の田中源蔵はそういうイデオロギーを嫌い天狗党にも天狗党を取り締まる書生党にも属さなかったのだが、ある(個人的な)事件をきっかけに天狗党支持に回る。で、最後には自分が支持した天狗党のために命を落とし、また雪枝も小四郎の婚約者でありながら源蔵に惚れてしまい、そんなこともあり源蔵と共に命を落とす。まあ、幕末の天狗党の筑波山挙兵に興味を持ってちゃんと調べてみようと思うきっかけになる、といった作品か。物語の途中で源蔵と雪枝の関所超えを助ける旅芸人たち(三井弘次、桜むつ子、雪代敬子)がなんだかいい味わいなのが印象に残った→菊水堂ポテトチップス、柿ピー、胡麻汁月見そば(刻み葱)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1/2→B-40ジャケット周り校正など→プランク60秒→風呂→晩の支度。カリフラワーの茎がひとつ分冷蔵庫にあったので、思いつきで金華鯖缶詰とカリフラワーの茎のカレーを作る→『花の二十八人衆』(監督:斎藤寅次郎。益田キートン、大邦一公、勝新太郎、君島鶴代、清川虹子、堺駿二、田端義夫、矢島ひろ子、南条新太郎、三田登喜子、大崎四郎、市川小太夫、光岡龍三郎、上田寛、広沢虎造、千葉登四男、大国八郎、入江たか子。1955、大映)。大政奉還が行われた慶応三年、江戸へと向かう官軍が清水に差し掛かろうとするとき、清水の次郎長(市川小太夫)一家はなにかと面倒だからとその手前の亀崎の侠客保下田の久六(大邦一公)を抱き込んで、行軍が清水港に入る前に次郎長の力を削いでおこうと画策する。そこにふらりと現れたのが風来坊の政吉(勝新太郎)。次郎長の子分六助(堺駿二)を口八丁で巧みに抱き込み一家の客分となり、やがては保下田の久六と次郎長一家との出入りに巻き込まれるも、その正体は−− という、史実の大枠に嘘八百の物語を盛り込んだ喜劇。第二次大戦戦後の日本を重ね合わせた導入部だったり(官軍が菓子を配ったり、出出手=DDTを散布したり、脱脂粉乳を配布したりする)、茶摘み娘たちが「ちゃっきり節」をラテン調で歌い踊ったり、広沢虎造がふだんは吃るが口三味線が入るとと流暢な浪花節を唸ったり、次郎長の子分の誰か(失念)がこりゃあゴリラをやるしかねえ≠ニ言うのに次郎長がそれはゲリラだ≠ニ突っ込んだり、まあ取り立てて取り上げるほどでもないような笑いが、それでも積み重ねられることによって次第にそのさざなみを起こしていくような塩梅の、呑気な時代喜劇だった。益田キートン扮する久六の子分の権太が、常にハエ叩きを携えてやたらとハエを叩き落とすのも可笑しいが、そのハエ叩きがたまたま石松(田端義夫)の左目に当たり石松が片目を失うというくだりには意表をつかれたし、次郎長がよかれと思って先に偵察にやった角太郎(南条新太郎)があっさり保下田の久六側に殺されてしまうくだりは、全体的に呑気な喜劇の中でどう捉えていいのか戸惑った。そんなちょとした違和感を仕込んだのは意図的か無意識か、というのをちょいと考えた→油揚と葱の醤油煮(生姜、鰹節)、ピーマン焼き、鰯スパイスハーブ焼き(ニンニク)、金華鯖缶詰とカリフラワーの茎のカレー、あさり汁、ご飯(うずらの卵×2)、納豆、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→夜11時半就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記