2025年04月10日

4月まとめ(1〜10日)


ラース・フォン・トリアー/シャルロット・ゲンズブール『ニンフォマニアックVol.1, 2』、成瀬巳喜男/山村聰/原節子『山の音』、塙宣之『漫才協会 THE MOVIE 〜舞台の上の懲りない面々〜』、中島貞夫/殿山泰司/女屋実和子『温泉こんにゃく芸者』、野村芳太郎『鳩』、田中徳三/市川雷蔵/勝新太郎/中田康子/若尾文子『花くらべ狸道中』、西山正輝/島田竜三『江戸っ子桜』、舛田利雄/高橋英樹/小林旭『対決』、源氏鶏太/野村芳太郎/鰐淵晴子/十朱幸代『春の山脈』、〈はらだ製麺〉のうどんと天ぷら。

4月1日(火) 日付け変わる頃起床。白湯→『ニンフォマニアックVol.1』半分まで観ながら、しらすぼしと葱入り炒り卵、トマトソテー(粉チーズ)、御酒×2→朝5時就寝→午前11時起床。白湯→もずくと油揚のおつけ、ご飯二杯、佃煮(きゃらぶき、生のり)、梅干し、酢昆布、海苔→『ニンフォマニアックVol.1』(原題『Nymphomaniac: Vol.1』、監督:ラース・フォン・トリアー。ステラン・スカルスガルド、シャルロット・ゲンズブール、ロンヤ・リスマン、マヤ・アルソヴィッチ、ソフィー・カステン、コニー・ニールセン、クリスチャン・スレーター、アナンヤ・バーグ、ステイシー・マーティン、シャイア・ラブーフ、ソフィー・ケネディ・クラーク、イェンス・アルビヌス、トーマス・スペンサー、フェリシティ・ギルバート、イェスパー・クリステンセン、ヒューゴ・シュペーア、ユマ・サーマン、サイロン・メルヴィル、ニコラス・ブロ、クリスチャン・ガーデビヨ。2013、丁独仏耳英、Zentropa Entertainmentsほか製作/Nordisk Film Distributionほか配給)→秋田の味醤油ラーメン(もやし豚ひき肉炒め、刻み葱ラー油和え、ゆで卵、胡麻)→風呂→「心細い散歩」、ようやくオリジナルのコードとギターアレンジを思い出す。忘れないうちに採譜→菊水堂ポテトチップス、もやしピーマン炒め、麻婆豆腐、もずくと油揚のおつけ、ビール中瓶×2→「心細い散歩」、譜面の整理も完了。あと、元の歌詞を整理してからO形に渡すことにした→『ニンフォマニアックVol.2』(原題『Nymphomaniac: Vol.2』、監督:ラース・フォン・トリアー。ステイシー・マーティン、シャイア・ラブーフ、アナンヤ・バーグ、ステラン・スカルスガルド、シャルロット・ゲンズブール、ウド・キアー、シャンティ・ルーニー、クッキー・ライアン、パプー、ジェイミー・ベル、ケイト・アッシュフィールド、ウィレム・デフォー、セヴェリン・フォン・ホーエンスブローク、ミア・ゴス、ミカ・エルパ。2013、丁独仏耳英、Zentropa Entertainmentsほか製作/Nordisk Film Distributionほか配給)。道に倒れていたニンフォマニアック(女子色情症患者)の女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)を通りがかりのユダヤ人男性セリグマン(ステラン・スカルスガルド)助けて自分の部屋に運び込み、そこでジョーの任フォマニアとしての来し方を聞く、という映画。ジョーの独白の映像化が、身も蓋もなく具体的だったり、かと思えば妙に概念的だったり、そしてインテリのセリグマンがそれらをいちいちフィボナッチ数列だのピタゴラスの定理だの三全音=悪魔の音程だの釣りの知識だので解説していくのが面白い(BACHの各アルファベットはすべてフィボナッチ数、だとか)。Vol.1を観た段階では、セックスをせずにいられない女性の性体験を赤裸々に描く、ということが目的の作品ではなく、性に溺れることの甘美さや苦さや本質を含めた全体像を客観的かつ知的に解き明かしていく、という試みと思ったが、果たして(ジョーの父親への思慕、母親への憎悪も、ジョーの性欲の発露に関与しているようだが)。「愛の名の下に100件の犯罪が起きたら−−セックスの名の下には1件よ」とか「歴史の中で切られた包皮を全部つなぐと−−火星まで往復できるほどよ」とか、脚本も面白い。ちなみに監督のラース・フォン・トリアーは、ビョーク主演の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を監督した人だった。そして本作は『アンチクライスト』(2019)、『メランコリア』(2011)とで「鬱三部作」と呼ばれているそうだ。/Vol.2で語られるその後の物語は、ジョーは再開したジェロームと生活を共にし子供も授かるが、ジェロームはジョーの性欲を抱えきれず(ジェローム自身もそれに耐えきれず)愛人を持つよう勧めたら、ジョーはなんとSMにハマリ(相手のKはジェイミー・ベル扮演。なかなかのサディストっぷりだった)、子供を蔑ろにしたころから別離。ジョーはセックス依存を治療すべくセラピーにも通うがすぐに脱落し、勤め先もクビになったことから裏社会の仕事(借金取立)について、そこで才能を開花させ、後継者の少女P(ミア・ゴス)を得るものの結果的に裏切られた格好になり、いつの間にか出来ていたジェロームとPに暴行を受け、そこでVol.1の冒頭に戻る。Vol.2でもキリスト教の分裂、トーマス・マン『ファウスト博士』、ベートーベンがフーガを新しくした=Aフロイトの子供の多形倒錯$焉A縄の結び方(プルージック・ノット、プラッド・ノット)などなど、セリグマンが繰り出すいろいろな知識がジョーの性遍歴の理解を彩るが、ジョーのヰタ・セクスアリスが終わり、それをずっと分析的に聞いていたセリグマン(なんと童貞だった)が最終的に男女の社会的立場による性愛に関する男女差別という誰でもわかるような話を引き合いに出した挙句、結局ジョーのセックス・アピールに負け(というか、話を聞いていて口説く勇気が出たのか)…… と、いささか予想が難しくない展開であった。最後にセリグマンが色欲に狂いまくったら、それも予想しやすいがまだ面白かったかな。とはいえ、わかったような口を聞いていたセリグマンが、結局は無知(セックスに対して)なニセモノだったという設定と、それを後半の中盤まで隠しておき終幕でニセモノっぷりを手ひどく暴露するというやり口は面白いし相当意地が悪いたお思った。そういえば、Vol.1の冒頭は1分半ほど暗転したままで音声も町の雑踏?のような音がかすかにするだけという演出だったが、Vol.2のエンドロール前も30秒ほど暗転が続いた。その始まりと終わりの演出の意味については、よくわからないまま→麻婆豆腐小皿、塩昆布、金宮お湯割り×5→午前3時就寝。
4月2日(水) 朝7時半起床。白湯→もずくと油揚のおつけ、小卵丼(あおさ)→老父買い物代行(サミット)。三鷹市役所のほうのに行かないと揃わない品があったので、今日届けて帰ることにした→〈GYU GYU BURGER〉で昼買ってガソリン補給して帰宅。ついでに八王子まで帽子を買いに足を伸ばそうとも思ったが、骨に染みるような寒さを感じたので、やめて正解→塩とチーズのバーガー、キューバサンド、フレンチフライ、ビール中瓶×1→『ブルックリンでオペラを』(原題『She Came To Me』、監督:レベッカ・ミラー。アンソニー・ロス・コスタンツォ、ピーター・ディンクレイジ、アン・ハサウェイ、エヴァン・エリソン、ハーロウ・ジェーン、ブライアン・ダーシー・ジェイムズ、ヨアンナ・クーリク、アロク・メフタ、トミー・バック、マリサ・トメイ、クリス・ゲサード、デール・ソウルズ、ジュディ・ゴールド、サミュエル・H・レヴィン。2023、米AI-Filmほか製作/Vertical Entertainment配給)。曲を書けなくなった現代オペラ作家スティーヴン(ピーター・ディンクレイジ)、その妻パトリシア(アン・ハサウェイ)は度をやや越した潔癖症、ふたりの息子ジュリアンは成績優秀な高校生ながら法的には性的関係を許されない16歳のテレザ(ハーロウ・ジェーン)と熱愛中、テレザの母マクダレナ(ヨアンナ・クーリク)は人生に一度失敗?していて優柔不断だが父トレイ(ブライアン・ダーシー・ジェイムズ)はこれまたちょいと異常なくらいの法律潔癖症。そして気晴らしに散歩に出たスティーヴンが、バーで恋愛・セックス依存症の曳き船の女船長カトリーナ(マリサ・トメイ)と出会い短い逢瀬を楽しんだことから、それぞれこじらせた人間たちの関係がこじれてゆく−− という次第だが、登場人物それぞれのこじらせ方が中途半端なら(その程度なら社会生活の中で折り合いをつけるのは難しくないはず)、人間関係のこじれ方も中途半端で(落ち着いて話し合えば解決しそうである)、笑いにしたいのか深刻に描きたいのかも不明瞭なら、人間関係のこじれから発展する事件もなんだかセコい。ジュリアンとテレザの関係を法的に許せない(法定強姦罪と看做す)<gレイが強硬手段に出るのだが、ジュリアンとテレザを救う(法的に結婚が許される州へ逃す)のに、スティーヴンが関係がこじれたままのカトリーナを頼るなど、一段階和解や解決の過程が必要と思われるがそれも描かれず、なんだかいろいろすっきりしない。だいたいテレザを逃すのが、トレイの晴れ舞台でもある南北戦争を再現する集会≠ゥらであるのに、逃したあとの様子をきちんと描いて解決しておかないのも気持ちが悪い。笑えなければいけないというわけではないが、スティーヴンがカトリーナとの出会いの様子をほぼそのままオペラにして曲を書けない¥況を抜け出したという描写はまあ可笑しくはあったものの、終幕でジュリアンとテレザを同じようにオペラ化したことで(したくなる気持ちはわかるが)、事実の安易なオペラ化の可笑しさ≠ェ、なんだか半減してしまったようにも思う。登場人物のキャラクター設定や物語の設定は、事前情報から面白そうだなと思ったのだが、見終えてみればなんだか美しくない″品だった。残念。悪口ばかりになってしまったので、よいところも見つけたいとは思うものの、本作についてはこれ以上考えたくないとも思う→風呂その他→菊水堂ポテトチップス、キャベツトマト紫蘇オイルサーディンのサラダ、鮭缶、麻婆豆腐、春キャベツとしらすのスパゲティ(生姜、粉チーズ)、F式らっきょう、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1、金宮お湯割り×2→夜10時就寝。
4月3日(木) 朝6時起床。白湯→春キャベツとしらすのスパゲティ(生姜、粉チーズ)→老父病院付き添い(杏林)。白血球の値はさらに下がり、炎症はよくなっているが(白血球の数値が、先々週から16000〜7800〜7700と低下)、全体的には悪化していない£度の状況との由。次回は三週間後(4月24日)→調剤待つ間、〈松本楼〉にて昼。オムレツライスハヤシソース→帰宅後、『若い爪あと』(監督:中島義次。和泉雅子、小山幸子、高木美恵子、南風夕子、小泉郁之助、高野誠二郎、波多野憲、小園蓉子、山岡久乃、大町文夫、松尾嘉代、草薙幸二郎、久松洪介、井上昭文、上野山功一、宮崎準、杉江弘、長弘、木島一郎、青山恭二、潮京以子、柳瀬志郎、三崎千恵子、紀原土耕、野呂圭介。1962、日活)。箸が転んでもおかしい年頃の中学生の明子(三輪明子)は、料亭勤めで酒癖の悪い母親(山岡久乃)に屈託を持ちつつも、同じアパートに住む歯科医片山(波多野憲)に胸をときめかせている。その片山から、ある日明子は映画に誘われるが−− 明朗な青春恋愛ものと思いきや、殺人〜謎解き−−被害者は明子と同じアパート住人のバーのホステス鈴木冴子(南風夕子)−−と話は展開するが、殺人事件が起きて一応最初容疑者(被害者が勤めていたバーの元バーテン。草薙幸二郎)が明示されるや、犯行時刻と映画館に明子と片山が現れた時間≠ゥら、観ているほうには真犯人がわかってしまい、ちょいと拍子抜けした。明子が真犯人の秘密を断片的に知りながらも自分で危険なほうへと進んでいくのは、まあ緊張感を煽ったと言ってよいか。片山に扮した波多野憲がスター≠ニいう感じのまったくない普通の好青年っぽかったのもよかった。まだ若い山岡久乃、松尾嘉代、中尾彬も出演しているが、中尾彬以外はそれなりに重要な役なのに、若過ぎてそうと気づかなかったのは不覚→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→午睡→『山の音』(原作:川端康成、監督:成瀬巳喜男。上原謙、杉葉子、山村聡、原節子、長岡輝子、中北千枝子、斎藤史子、十朱久雄、丹阿弥谷津子、角梨枝子、金子信雄、北川町子。1954、東宝)。鑑賞後、一応原作のあらすじを確認してみたが、原作の中の嫁と舅との間に交わされる淡い思慕≠ニいう部分を描くことに重きを置いたという印象。むろん、長編小説の物語、登場人物の人物像とそれぞれの機微などなどを余すことなく映画で描くことは不可能に限りなく近いわけだから、本作での水木洋子による脚本化と成瀬巳喜男の演出そして製作全体の采配−−舅=山村聰、嫁=原節子、そしてそれを彩る家族(上原謙、長岡輝子、中北千枝子)や夫(上原謙)の浮気に関わる人々(杉葉子、丹阿弥谷津子、角梨枝子)への演出、そして各々の役者の芝居−−は、「原作の中の嫁と舅との間に交わされる淡い思慕≠ニいう部分を描くことに重きを置いた」という見方が当たっていれば、大成功と言ってよいと思う。山村聰と原節子の深さ≠ヘ言うまでもなく、周囲の人々の意地悪で身勝手だが屈託や裏のない感じも、本作の目的≠ノ適っていたと思う。全体に、小津安二郎の意地の悪さを成瀬巳喜男なりに膨らませてみたという感触もあり、その点も含めて強く(また不覚)印象に残る映画であった。原作の一部分に重きを置いたとは思われるものの、重要と思われる要素については丁寧に拾い上げていたと思う一方、肝心の「山の音」についての描写がほとんどないように思ったが、それは私の見落としか。これについては確認してみたい→キャベツとトマトのサラダ(ニンニク、粉チーズ、あおさ)、オイルサーディン(紫蘇)、炒り豚(紫蘇、ニンニク)、じゃがいも豚脂ソテー、F式らっきよう、秋田の味醤油ラーメン、ビール中瓶×1、金宮お湯割り×4→夜0時就寝。
4月4日(金) 朝6時起床。白湯→二度寝→朝9時半起床→風呂→なめこ汁(油揚)、ご飯、生のり佃煮、うずらの卵×3→昼過ぎ〈GH〉にて散髪→乃木坂までひと駅地下鉄に乗り、そこから歩いて〈赤坂砂場〉で一杯。生のり、もり、御酒→〈豊川稲荷〉での短い休憩はさみ、四ツ谷駅までぶらぶら歩いて、中央線で高円寺→〈ちんとんしゃん〉にて、DVD『瞽女さんと、旅まわり 橋本照嵩スライドトークショー』購入がてら一杯。お銚子二本くらいでやめるつもりが、結局五本。あと明太子入りポテトサラダ、酢豚。昨年の『飯島直子〜』でご一緒したとっくりさんもいらして、かの夜の再来となったのが面白かった→店を出たらまだ飲める気がして(錯覚)、〈鳥渡〉へ。ビール中瓶×1/2、金宮お湯割り×1。〈ちんとんしゃん〉でご一緒したK丸さんが後からいらしたので、また一献→平和に電車で帰宅。カップヌードルカレー啜って就寝。夜0時頃。
4月5日(土) 午前11時起床。白湯→味噌雑炊(なめこ汁、かき卵)→宿酔、というかひさびさの飲み過ぎによる腹痛のため、終日横臥→夕方なめこ汁(うずらの卵×3)、しばらく間を空け秋田の味醤油ラーメン(もずく、海苔、酢)→風呂→鮭缶入り卵焼き、ビール350ml缶×1→『漫才協会 THE MOVIE 〜舞台の上の懲りない面々〜』(監督:塙宣之。塙宣之(ナイツ)、土屋伸之(ナイツ)、大空遊平、ロケット団、ねづっち、宮田陽・昇、ビックボーイズ、鈴風にゃん子・金魚、ハマカーン、U字工事、高田文夫、爆笑問題、サンドウィッチマン、ウエストランド、わらふぢなるお、錦鯉、にゃんこスター、じゅんいちダビッドソン、ふじいあきら、X-GUN、金谷ヒデユキ、BOOMER、プリンプリン、おぼん・こぼん、青空球児・好児、ビートきよし、ドリフィンソング、漫才56号、たにし(ホームラン)、福田純一(カントリーズ)、はまこ・テラこ、東京丸、岸野猛、高峰コダマ、中島和彦(コンパス)、成田常也。2024、KADOKAWA、ミックスゾーン、中京テレビ放送、ミラクルヴォイス(協力:ニッポン放送、一般社団法人漫才協会、マセキ芸能社、高田文夫事務所、東洋興業、明治座、落語芸術協会)製作/KADOKAWA配給)。漫才協会の会長に就任したナイツの塙宣之が、漫才協会を盛り立てさらに世に広めるために製作したドキュメンタリー、ということだと思うが、一度観ての印象としては、製作期間中の漫才協会、所属藝人、そして本局地である浅草東洋館の様子を淡々と綴った、という印象。その「製作期間中」が正確にあるいは具体的にいつからいつまでなのかはわからないが、たとえば東京丸は2021年1月死去、岸野猛は2022年4月死去とのことだから、塙宣之の会長就任(2023年)以前から(もしかしたら副会長就任の2015年や理事就任の2007年くらいから)、こういうものを作ることを考えていたのかもしれない。「淡々と綴った、という印象」故、浅草の藝人が好きな人には届くが「さらに世に広める」という点に於いては機能していないのではないかとも思うが、作為的な盛り上げ方などをしていない点は、私は東京の笑いを担う人らしくてよいのではないかと思った。東洋館の歴史、東京の漫才の師弟関係、漫才協会を世に知らしめる取り組み(これは塙宣之による売れっ子のスカウト≠ェ主だが)がわかるのもよい。そしてやはり「淡々と綴っ」ていながらも、電車との接触事故で右腕を失った大空遊平の舞台復帰(義肢で三味線を弾けるように訓練していたのに、いざ復帰の舞台では漫談のみ、というのが可笑しくてよい)、漫才協会の幽霊会員≠ナある高峰コダマへの取材は、このドキュメンタリーを作ったことの大きな意義と受け取った(ちなみに高峰コダマは、2024年8月20日東洋館に、塙宣之との対談という形ではあるが出演を果たした)→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→午前3時就寝。
4月6日(日) 朝9時起床。白湯→もずくと海苔のおつけ、卵かけ御飯(かつ節、あおさ)→Y山が『ダイヤモンドの犬たち』という映画の音楽のことを教えてくれたので、聴いて感想送ったり、Youtubeで全編公開されているのを見つけたり→昨夜観た『漫才協会 The Movie』の感想まとめつつ、高峰コダマが東洋館に出演した映像を確認したりなど→O形サイト更新(絵日記)→『温泉こんにゃく芸者』(監督:中島貞夫。殿山泰司、加納真弓、大泉滉、女屋実和子、蓑和田良太、荒木一郎、武智豊子、田中小実昌、石橋蓮司、松井康子、安城由貴、片山由美子、榊浩子、英美枝、高木恵子、葵三津子、川村依久子、桜京美、上田吉二郎、池田謙治、菅井きん、常田富士男、八尋洋、曽根晴美、千葉敏夫、小松方正、広瀬義宣。1970、東映)。戦争で不能になった小諸徳助(殿山泰司)が、戦争孤児の珠枝(加納真弓)を引き取り育てるも、珠枝が大人になって(女屋実和子)勤めたコンドーム工場は倒産。こんにゃくを利用した性具の開発に没頭していた徳助は一文なし。珠枝は退職金代わりのコンドームを売り捌いて金にしようとするが、その途中でたどり着いた温泉街でヌードスタジオの店主荒川(荒木一郎)に処女を奪われたのち、また別の成り行きで藝者として稼ぐようになる−− 藝者というか、ずばりその名器≠ノよってであるが。ここまでの筋を書き起こしただけでもバカバカしいが、こんにゃく風呂やこんにゃくエキスの開発でもって性に苦しむ男たちを救済するという高邁な?思想を持ちつつ(「こんにゃくは粘膜だ。空間を粘膜で覆うのが夢だ」という台詞が可笑しい)あっさり藝者と出来てしまいその男との手切金まで娘を頼る徳助に扮する殿山泰司のバカオヤジっぷりが見事で、それだけでも満足。こんにゃく風呂で足を滑らせた挙句に死んでしまう金満社長役の上田吉二郎、抜け目がないようでいながら殿山泰司に藝者を取られてしまい挙句には股間を蹴り上げられ不能になってしまう小池朝雄、そして珠枝を水揚げするために大枚を叩いた挙句セックス三本勝負を挑まれ負けてしまう小松方正と、名優たちがバカな話を大いに盛り立てそのバカな話の中に埋没していくような、バカバカしさが横溢しているところが素晴らしい。終幕で、珠枝があっさりどこかへ消えてしまう≠ニいう投げやりな演出?も可笑しい。シリーズ前作『温泉ポン引女中』が、バカバカしさも笑いもほとんど感じさせず哀しく沈んだ印象だっただけに、本作で見せてくれたバカっぷりは嬉しい。上田吉二郎の葬式に子供たちが駆けつける場面の意味なさげなスローモーションや、行きずりの船員(多分八尋洋)と珠枝の濡れ場の背景に荒波が大写しになる構図、あるいは冒頭で墓参りをする殿山泰司の姿に玉音放送がかぶさるなど、ケレン味たっぷりの演出もよかった。菅井きんと武智豊子の喧嘩など、大小の見どころも多かった→鮭缶入り卵焼き、キャベツ千切り(オイルサーディン)、花巻そば(刻み葱)、ビール中瓶×1→『鳩』(監督:野村芳太郎。石浜朗、磯貝元男、小園蓉子、北龍二、水木涼子、美山悦子、草香田鶴子、有島一郎。1952、松竹)。野村芳太郎が、黒澤明『醜聞』(1950)、『白痴』(1951)で助監督を務めたのちの、映画監督デビュー作。会社勤めの父三浦俊一(有島一郎)の元つましく暮らしている三浦家の息子勇(石浜朗)が、旧友たちの流行に乗って伝書鳩を飼い始める。子鳩がなかなか飛ぼうとしないので、子鳩の教育のために、級友友田一郎(磯貝元男)の父で伝書鳩好きの宗吉(北龍二)から親鳩を借りたところ、嵐の日の翌日、鳩小屋を守り抜いてちょっと気を許した隙に、猫に食い殺されてしまう。不注意を級友たちになじられた勇は、鳩を弁償しようと家出して甲府の葡萄農園で働き始める−−− 級友たちが勇をなじる様子は、昨今のネットリンチ≠ノも似た日本人の陰湿さを感じるが(級友たちに、鳩好きで知られる友田一郎の父親におもねる気持ちがなかったとは思えない)、勇の父俊一と家族(姉、祖母)、鳩を殺されてしまった宗吉そして最後には改心する一郎、さらに鳩が殺された顛末を公平に眺めて勇に味方する級友榎本綾子(小園蓉子)らのやさしさの描き方は、現代の目で眺めれば甘っちょろい気もするが、いずれも清澄な心根が伝わってきて、自分もかくありたい、と思わせられるものだった(赦す≠ニいうテーマを設定していたのかもしれない)。職人野村芳太郎の作品としては習作≠ニいう印象もありはするが、冒頭の、まずモダンで整然とした校庭の構図を映してから生徒たちの溌剌とした様子にカメラを移動させることで後者をより活き活きと見せる手法も含めて、表現したいことを明確にわかりやすく伝えることに気を配っている様子が、すでに伺える。44分という短い尺ながら、なにかよいもの≠ェしっかり伝わってくる映画だった→「心細い散歩」の歌詞や歌メロ、譜面など微調整→野菜ポタージュ(ニンジン、じゃがいも、玉葱、トマト)、かぼちゃ煮付け(ピーマン、黒豆)、スパゲティ・ミートソース、ビール中瓶×1→風呂→『花くらべ狸道中』(監督:田中徳三。見明凡太朗、中田康子、清水元、葛木香一、市川雷蔵、勝新太郎、山岡敬四郎、大杉潤、丸凡太、白神猛、菊野昌代士、赤坂小梅、若尾文子、近藤美恵子、スリー・キャッツ、宮坊太郎、井上ひろし、光岡龍三郎、楠トシエ、小林勝彦、五月みどり、伊達三郎。1961、大映) 狸の国で大王選挙が行われることになったが、江戸文福党の文福狸(見明凡太朗)がライバルの阿波徳島党の首領文左衛門狸(葛木香一)を襲撃。痛手を負った文左衛門狸の代わりに若い雷吉狸(市川雷蔵)と新助狸(勝新太郎)が、名高い弥次喜多に身をやつして阿波徳島から京都、桑名、島田、箱根、そして江戸での大王選挙へと旅をする、という狸御殿もの。雷吉狸の恋人たよりを若尾文子が演じているが、貧しく純情≠ニいう役柄の所為か、文左衛門狸の娘しのぶ役の近藤美恵子や、文福狸の娘きぬた役の中田康子と比べると、脇に回った印象。特に中田康子は大活躍で、宝塚と日劇ダンシングチームで培った歌と踊りを存分に披露し、勝新扮する新助狸を翻弄する様が見事だった。京都池田屋での[]︎ねえ着物を脱いで、という歌や、江戸に入ってから囚われの身となった新助狸を助けたあとにふたりで歌い踊る様など、実に魅了された(中田康子のことをほとんど知らないので調べたら、日劇ダンシングチームを脱退後、NHKの番組に出演。成瀬巳喜男の誘いで東宝と契約し映画界入りし、その後すぐに大映に移籍したそうだ)。リアリティというものをまったく無視したセットや演出も素晴らしいし、旅の途中の宿場で必ず歌と踊りが入る塩梅も楽しい(十年前に観ていたのを忘れていたが、その際の感想としては「話の合間合間の音楽がいい」と書いてあった)。元はといえば文福狸の奸計とそれを手助けするきぬたが引き起こす騒動を描いているわけだが、終幕で文福狸もきぬたもあっさり改心するその間も爽やか。そしてふたつの恋が成就して、文左衛門狸の娘しのぶ(近藤美恵子)があっさりと気持ちよく雷吉狸をたよりに譲って、文福徳島両党が共に栄える≠アとの素晴らしさを説いたかと思ったら、観ていて頭のおかしくなるような群舞で幕。ちょいと間の悪いようなところや笑いが滑っているところも見受けられるが、それも含めてまた見返したくなるような娯楽映画だった→ミートソース、ビール中瓶×1、赤葡萄酒一杯→明日味噌仕込みすることにしたので、大豆洗って浸水(ひと樽分)→夜0時就寝。
4月7日(月) 朝8時起床。白湯→野菜ポタージュ(ニンジン、じゃがいも、玉葱、トマト)、ミートソース乗せバタール、珈琲→味噌仕込み(今年第一弾)しながら『江戸っ子桜』監督:西山正輝。沖時男、高原朝子、仲上小夜子、谷口和子、島田竜三、本郷秀雄、越川一、清水元、舟木洋一、潮万太郎、寺島雄作、岸正子、美川純子、春風すみれ、上田寛、月田昌也、遠山金四郎、和泉千太郎、目方誠、小柳圭子、清水明。1959、大映)。江戸の町を荒らす怪盗団火の玉組の引き起こす騒動が、長屋の面々の生活や落語「長屋の花見」「花見の仇討ち」を絡めつつ解決していく様を描いた明朗娯楽時代劇。冒頭の捕物の場面は緊迫感に満ちているが、いつの間にか駕篭に潜り込んでいた本作の主人公遊び人銀次(島田竜三)が登場するあたりから早くも呑気な感じになり、途中屑屋の爺さんの亀松(寺島雄作)が濡れ衣を着せられて連行されるあたりは少し暗い影を落とすが、それもこれも全部めでたく解決するのがうれしい。遊び人銀次が実は……、長屋で一番信頼されている浪人が実は……、というところは読みやすいが、もうひとり意外な人物が、については読みきれなかったものの、おそらく伏線もなかったように思う。まあそれはともかく、事件とその解決が心地よく、その間に長屋の中での人情のやり取りがあって温かい心持ちにもなるし、また尺の短さ(55分)と内容、演出、芝居の手応えの塩梅がよいのがいい。何度も愛でたくなる一本だった→月見そば→味噌仕込みの続きしながら『PERFECT DAYS』(監督:ヴィム・ヴェンダース。田中都子、役所広司、柄本時生、原田文明、田中泯、甲本雅裕、アオイヤマダ、長井短、柴田元幸、犬山イヌコ、石川さゆり、モロ師岡、あがた森魚、中野有紗、麻生祐未、松金よね子、安藤玉恵、三浦友和。2023、MASTER MIND=Spoon=Wenders Images製作/ビターズ・エンド配給)。ひとりの人間の淡々とした−−しかし細かい変化には富んだ−−日常を淡々と描きながら、そうした日常の中にも心揺さぶる小さな出来事はたくさんあって、それがときには感情を大きく動かす、といったようなある人生の捉え方や、その一端としての主人公平山(役所広司)の終幕の表情の芝居は素晴らしいとも思ったが、本作全体への感想としてはこの程度の精度でみんなから褒められるのは、ヴィム・ヴェンダースという名前があるからではないか≠ナあった。平山がなぜこの映画で描かれているような生活を歩むに至ったかを明確に描かないのは、かえって想像の余地が生まれるのでまったく問題はないしむしろ素晴らしいと思うのだが、浅草、カセットテープ、銭湯、日本一?古い地下街の焼きそば飲み屋(福ちゃん)、いい感じのお惣菜バーのママ(石川さゆり)と客(モロ師岡、あがた森魚)、仕事熱心ではないが人のよい仕事仲間(柄本時生)などなど、それ出しときゃいいんでしょと考えたのかな? と邪推してしまうような道具立てにはある種の安易さを感じた。浅草辺りから渋谷辺りに早朝出勤するのに毎日首都高に乗るというのも、平山の生活には似合っていないとも思う(たとえ会社から交通費が出ているにしても)。先に「平山がなぜこの映画で描かれているような生活を歩むに至ったかを明確に描かないのは、かえって想像の余地が生まれるのでまったく問題はないしむしろ素晴らしいと思う」と書いたが、しかしここまで感想を書いていて、平山がなぜああいう性格、あるいはああいう人との接し方になったのかは、もう少し仄めかしがあってもいいように思ってきた。仕事仲間、その想い人、酒場や銭湯で顔を合わす常連、惣菜バーのママ、その元夫などなどへの接し方を観察していると、無口という設定の平山にも他人への接し方のいろいろな引き出し≠ェあってそれを駆使している(無意識かもしれないが)様子は見てとれるので、その「引き出し」をどのように獲得していったか、そこをすべて受け手の想像にまかすのは、いささか無責任ではなかろうか。といった、一本の映画を編む上で考察が足りないような印象を得てしまったのが、「この程度の精度でみんなから褒められるのは、ヴィム・ヴェンダースという名前があるからではないか」という感想の由来であるが、あるいはヴィム・ヴェンダースが撮ったからみんな褒めるんだろう≠ニいう先入見があって、それが「一本の映画を編む上で考察が足りないような印象」につながった、という順序だったのかもしれない→豚バラ肉ソテー、大豆茹で汁の煮物(豚バラ肉、油揚、昆布、じゃがいも、ニンジン、トマト)、ビール中瓶×1→風呂→『対決』(監督:舛田利雄。安部徹、中谷一郎、青木義朗、高橋英樹、小林旭、武藤章生、山田禅二、玉川伊佐男、久遠利三、三条泰子、北林早苗、新井麗子、葉山良二、河野弘、亀山靖博、村上和也、河上喜史朗、和泉雅子、伊藤寿章。1967、日活)。上州の小さな町で縄張りを争っている芝虎一家と高安一家の抗争の果てに、両一家の親分(芝虎=安部徹、高安=山田禅二)が共に殺される。芝虎一家の代貸大竹清太郎(中谷一郎)の弟直次郎(高橋英樹)が殺人の罪をひとりで背負い網走刑務所に服役、六年の刑期を終えて上州に戻ると、芝虎高安両親分の殺害が、芝虎の代貸のひとり銭山亀吉(青木義朗)と高安の代貸島崎久七(久遠利三)および益子健(玉川伊佐男)の三名による奸計であることが判明。この三名が大竹清太郎を組から追い出し芝虎一家を我が物としたことを知った清太郎は、かつて芝虎殺しを金で請け負った風来坊の満洲常(小林旭)を赦すとともに、ふたりで乗っ取られた芝虎一家に立ち向かう−− という筋は、まあよくあるやくざ映画ではあるけれども、冒頭の高橋英樹、小林旭の立ち回りがものすごく、そこで引き込まれる。大竹直次郎が網走から戻り謎が解き明かされていくまでは、スピード感もあって引き込まれたままだったが、女郎屋から逃げてくる元は紡績工場勤めのお光(和泉雅子)を直次郎が助けるところからの展開は、少しもたついたかな。それでも全体を通して高橋英樹のとんがった感じには痺れさせられるし、終盤の高橋英樹、小林旭を中心にした立ち回りも冒頭同様見事。葉山良二らが扮する警察の映画内での役割がよくわからなかったが(いなくてもよかったように思ったが、果たして)、舛田利雄の職人藝が光るやくざ映画の隠れた(隠れてない?)傑作と思った。小林旭はほぼ脇に回っているが、出番が少ない割には要所で緊張を緩和したり引き締めたり、その存在は物語の緩急の塩梅によく効いていたと思う。直次郎と料亭の娘おしん(北林早苗)、満洲常と藝者小吉(三条泰子)の恋の進展がもう少し鮮やかなら、完璧だったかな。いやその辺を深く描くと却ってこの物語には邪魔になるか
→紫蘇とちりめんじゃこの海苔巻き、ミートソース、大豆茹で汁の煮物、茄子とミートソースの炒め(粉チーズ)、ベーコンエピ、ブリーチーズ、金宮酎ハイ(薄め)×4、赤葡萄酒二杯→『PERFECT DAYS』再見したが途中で眠くなり、何時しか就寝。
4月8日(火) 朝10時起床。白湯→B電子連絡業務(新作三本の紹介文の修正の有無など)→もずくと海苔のおつけ、ご飯、酢昆布、ちりめんじゃこ→そばつゆ仕込み。ついでに昆布出汁殻で佃煮製作→きつねそば(わかめ、刻み葱)、御酒×1→風呂→『北北西に進路を取れ』(原題『North by Northwest』、監督:アルフレッド・ヒッチコック。ケーリー・グラント、ドリーン・ラング、アダム・ウィリアムズ、ロバート・エレンシュタイン、ノラ・マーロウ、ジェームズ・メイソン、マーティン・ランドー、ジョセフィン・ハッチンソン、ジョン・ベラディーノ、フィリップ・クーリッジ、エドワード・プラット、ジェシー・ロイス・ランディス、エドワード・ビンズ、モーディ・プリケット、フィリップ・オバー、レオ・G・キャロル、ネッド・グラス、エヴァ・マリー・セイント、マルコム・アターベリー、レス・トレメイン。1959、米Metro-Goldwyn-Mayer)。四年ぶりn回め。ホテルのエレベータの中でのソーンヒル(ケーリー・グラント)の母親(ジェシー・ロイス・ランディス)がヴァンダム(ジェームズ・メイソン)の手下(アダム・ウィリアムズ、ロバート・エレンシュタイン)に「本当に息子を殺しにきたの?」と聞く場面の可笑しさも含めて完璧な作品で、もう新しい発見はほとんどないが(前回の感想でも「何度観ても(略)ベッド→列車はトンネルへ、は卑猥で洒落てて見事」とか「エヴァ・マリー・セイントが中原理恵に似ている/顔に関西女優の雰囲気もある」といったどうでもいいことしか書いていない)、台詞に二度「冷戦」という言葉が出てくる(冒頭のソーンヒルの部下と、終盤の教授=レオ・G・キャロルの台詞)のに気づいた。あとはラシュモア山にあるヴァンダムの山荘の外壁はなぜ侵入しやすいデザインなのだろう、とか。ああそれと、ラシュモア山を下って逃げる際のイヴ(エヴァ・マリー・セイント)の衣装の色(濃いめのオレンジ色に見えるが、なんという色だろう?)の選択の素晴らしさも、今回改めて感じた。クレジットされていない配役について今回調べたので、記録しておく。ソーンヒルの秘書マギー:ドリーン・ラング、偽タウンゼント家の家政婦アンナ:ノラ・マーロウ、エミール巡査部長:ジョン・ベラディーノ、クロス医師:フィリップ・クーリッジ、弁護士:エドワード・プラット、ホテルのメイド・エルシー:モーディ・プリケット、駅の切符売り:ネッド・グラス、農場のバス停の男:マルコム・アターベリー、競売人:レス・トレメイン(登場順)→柿ピー、菊水堂ポテトチップス、生揚げ炙り(かつ節、刻み葱、おろし生姜)、そら豆、大豆茹で汁の煮物(豚バラ肉、油揚、昆布、じゃがいも、ニンジン、トマト)、ちりめんじゃこ入り炒り卵、ビール中瓶×1、御酒×3→何時しか就寝。
4月9日(水) 朝7時半起床。白湯→昨夜の酒が残ってる感じなので、老父買い物代行を午後にしてもらい、二度寝→わかめのおつけ、卵かけご飯、海苔→腹具合がよくないので、買い物代行は明日にしてもらう。本日の外出は取りやめ→『北北西に進路を取れ』復習→帽子衣替え→「心細い散歩」、Dへの移調とギターの吟味整理→本日買いに行こうと思っていた帽子をネット注文(店が明日から移転休業のため)→プランク60秒→録画消化しながら、柿ピー、酢昆布、親子煮(葱、生姜)、もりそば(胡麻汁、うずらの卵×3)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ(薄め)×1→ねじり腹筋30秒→風呂→『春の山脈』(原作:源氏啓太『わが町の物語』、監督:野村芳太郎。鰐淵晴子、佐野周二、草山英雄、山下洵二、藤間紫、浦辺粂子、十朱幸代、三上真一郎、西村晃、桜むつ子、菅井きん、綿田仁。1962、松竹)。東山温泉を含む会津若松を舞台に、東京の高校に進んだが会津若松に戻ってきた新谷友子(鰐淵晴子)と高校卒業後東山温泉で藝者の卵となった山崎君子=豆太郎(十朱幸代)の友情とすれ違いと衝突を中心に、旧家末廣酒造−−社長栗村順造(佐野周二)、息子謙太郎(三上真一郎)、祖母とめ(浦辺粂子)−−に新しい風が吹き込み、また豆太郎と末廣酒造の若手社員須山隆吉(山下洵二)との恋が成就し、須山を君子に譲った友子が少し大人になり、旧弊で頑固なとめが新しい世代の考え方に歩み寄り、かつて恋仲だった順造と友子の母信子(藤間紫)が元の鞘に収まりそうになるという、多少のほろ苦さも交えた明朗な物語であった。君子の父親の屋根葺き職人?の虎吉に扮する西村晃や母親菅井きんの名優っぷりや、その可愛らしさが驚異的な鰐淵晴子(主題歌も歌う)、そして終盤で激しい口喧嘩を繰り広げる藤間紫と浦辺粂子の丁々発止のやり取りも印象に残るが、複雑な境遇に身を置く君子/豆太郎の複雑な心境を見事に表現する若き十朱幸代の演技力には驚いた(このとき二十歳、NHK『バス通り裏』で俳優としてデビューしてから四年め。映画出演は八本め)。実際の末廣酒造と東山温泉の向瀧旅館がロケ地に選ばれているのも、何度か足を運んだ者としてはうれしい(向瀧旅館は前を通ったことがあるのみだが)
→ビール中瓶×1、わかめのおつけ→午前1時就寝。
4月10日(木) 朝6時半起床。白湯→わかめのおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→プランク60秒、ねじり腹筋30秒→いつもより早め、9時前に出発し、老父買い物代行(サミット)→老父宅から小一時間ほどかけて武蔵村山に向かい、〈はらだ製麺〉にて肉汁うどん(小=ふた玉)。あと持ち帰り分を注文。開店と同時くらいに到着したが、次から次へと持ち帰り客がやってくるのに驚いた→うどん一式をO形家に届けてお義母さんにご挨拶し、O形クルマに乗せて帰宅→天ぷら(ごぼう、インゲン、玉葱かき揚げ)、うどんふた玉、ビール中瓶×1→午睡→プランク60秒、ねじり腹筋60秒→『春の山脈』再見しながら、柿ピー、天ぷら(ごぼう、玉葱かき揚げ)、鶏汁うどん(葱、うどんひと玉)、ビール中瓶×1、御酒×2、金宮水割り(薄め)×1→夜11時半就寝。
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