2025年04月30日
4月まとめ(21〜30日)
ホン・サンス/イ・ヘヨン『あなたの顔の前に』、フランソワ・トリュフォー/ジャン=ピエール・レオ/マリー=フランス・ピジエ『アントワーヌとコレット』、フランソワ・トリュフォー/ジャン=ピエール・レオ/クロード・ジャド『夜霧の恋人たち』、フランソワ・トリュフォー/ジャン=ピエール・レオ/クロード・ジャド/ヒロコ・ベルクハウアー『家庭』、フランソワ・トリュフォー/ジャン=ピエール・レオ/クロード・ジャド/マリー=フランス・ピジェ『逃げ去る恋』、フランソワ・トリュフォー/ファニー・アルダン/ジャン=ルイ・トランティニャン『日曜日が待ち遠しい!』、阿佐ヶ谷〈ヴィオロン〉初訪問、アート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』 於〈Morc阿佐ヶ谷〉、菊田一夫/佐々木康/高峰三枝子/安部徹『新風』。
4月21日(月) 朝5時起床。白湯→鶏とニンニクの粥(卵)→二度寝→金華鯖水煮缶と菜の花と舞茸のスパゲティ(ニンニク、生姜)、ビール中瓶×1→譜面整理のためファイルを一冊空けようと、スーマー『寒弾』十年分を整理。挟み込み行方不明が数ヶ月分→夫婦デュオ曲の譜面のうち、B4にしたのをA4に直して、すべて印刷。もう忘れているもの、ギターなど変えたが記録してないものがあるので、ちょっと時間をかけて整理するつもり→〈モノタロウ〉からの荷物届いたので、早速ゲルクッションをアーロンチェアに乗せてみる。クッションの厚みがあるので、当然のこと肘掛けの位置が(体感的に)下がったが、まああまり気にならない。座面がへたっていたのをどうにかしたいという主旨での導入だが、座り心地はよくメッシュ座面の劣化も気にならなくなったので、買って正解(サイズや形状もピッタリだった)→シャワー→『必殺スペシャル・新春決定版! 大奥、春日野局の秘密 主水、露天風呂で初仕事』(監督:石原興。白木万理、菅井きん、藤田まこと、加賀邦男、工藤明子、弓恵子、小川真由美、宮川大助、西田健、山内としお、鈴木淳、島田順司、渡辺典子、早乙女愛、鮎川いずみ、渡浩行、村上弘明、ダンプ松本、大森友伽里、林成年、近藤正臣、桂三木助、石倉三郎、篠田三郎、長瀬優也、稲健三、高峰圭二、金子研三、東野英治郎、黒木香。1989、ABC、松竹製作/テレビ朝日系放映)。将軍のお世継ぎを巡る大奥の陰謀と、根来対甲賀の忍びの戦いを背景に繰り広げられる仕事。ではあるが、物語は割とどうでもよくて、春日野局に扮した小川真由美(なかなかの迫力)、根来の姉妹(渡辺典子、早乙女愛)、ゲスト的な仕事人たち(篠田三郎、石倉三郎、高峰圭二、金子研三)、近藤正臣の遠山金四郎、ちょい役ながら存在感のある四代目桂三木助(小鼠市之助役)、そしてなんといっても葛飾北斎とおえいの父娘に東野英治郎と黒木香という、配役の妙のほうが印象に残った(黒木香はとりわけ可笑しかった)。そして本作では何でも屋のお加代に扮する鮎川いずみがTVシリーズのときとは違って仕事にも大活躍だったのが嬉しい。あとは最後に南紀勝浦が舞台となり、那智の滝などが映るのが嬉しいところだが、感想としてはそんなものか。いや芝居小屋での殺しや陰謀の演出はなかなかだったか。題名の「露天風呂」は、南紀勝浦の忘帰洞のことだと思うが(現在は〈ホテル浦島〉が管理しているとの由)、「主水、露天風呂で初仕事」は看板にやや偽りありだったかな→菊水堂ポテトチップス、キャベツとトマトのサラダ(胡麻醤油ドレッシング、おろしニンニク)、鰯ムニエル(粉チーズ)、冷やし納豆そば(刻み海苔、うずらの卵×2)、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×1→『あなたの顔の前に』(原題『당신 얼굴 앞에서』、監督:ホン・サンス。イ・ヘヨン、チョ・ユンヒ、ソ・ヨンファ、イ・ウンミ、カン・イソ、シン・ソクホ、キム・セビョク、キム・シハ(声:チェ・ジェヒョン)、クォン・ヘヒョ、ハ・ソングク。2021、韓Jeonwonsa Film Co.製作)。とつぜんアメリカに渡った元女優のサンオク(イ・ヘヨン)がこれまたとつぜん帰国し、妹ジョンオク(チョ・ユンヒ)の家に厄介になる。とつぜん韓国を去ったサンオクのことをジョンオクは快く思っていないが、多少文句は言い合ったもののすぐに打ち解け、ジョンオクは息子とそのガールフレンドをサンオクに消化したりする。サンオクは帰国の理由を明らかにしないが、その目的が映画監督ジェウォン(クォン・ヘヒョ)からの出演オファーがありその打ち合わせ≠ナあることが明らかになってくる。しかし撮影日程を聞いているうちに、サンオクはある理由から¥o演できない旨申し出、そのある理由≠ェ帰国の本当の理由であることがわかってくる−− で、ジェウォン監督はその事情を組み、明日にでも短編映画を撮りに旅行に出ましょう、と申し出て、その時点ではすぐに終わる関係だろうが、希望や救いを感じさせる≠ニ思うのだが、そう約束して別れた直後、監督からさっきのは酒の勢いかもしれない。不可能な約束をしてすまない≠ニ連絡が入って映画は幕。サンオクの語るある理由≠ェ真実であれば、残り少ない日々に訪れたはずの楽しみが無に帰してしまうのだが−− 真実かどうかは明かされないまま映画は終わる。ホン・サンスの作品に繰り返し用いられる酒(酔いの影響)、タバコ(話の流れをいったん止めて整理するような)、抱擁(登場人物が誰か人と向き合う際に気持ちや心が変わる)は、本作でも用いられているし、サンオクがジョンオクの見た夢について知りたがるのに最後まで説明されないし、またジェウォン監督とサンオクの居酒屋〈小説〉を借り切っての会話の最中にサンオクが実にたどたどしく(そして延々と)バッハ「メヌエット ト長調」をギターで弾いたりもするのだが、それぞれの意味は、やはり本作でも不明のまま−−明確に語られないままだ。サンオクの台詞顔の前に天国が隠れている≠ノついても同様(そういえば、サンオクが子供の頃住んでいた家を訪ねると衣服などの販売店になっているのだが、そこにここに住んでいる≠ニいう少女が顕える場面の意味も、初見ではよくわからなかった)。これまた他の作品と同じく「いつか理解する日はやってくるのだろうか」という映画だったのだが、不思議と静かに心動かされる映画だった(色彩設計の美しさも注目すべきものがある)。ちなみにホン・サンス作品のミューズ≠ナあるキム・ミニは、本作ではプロダクション・マネージャーという役割を担っているとのこと→『クイズ! 脳ベルSHOW』見ながら金宮酎ハイ×1→午前1時就寝。
4月22日(火) 朝8時起床。白湯→鶏(もも、ささみ)の牛乳スープ(ニンニク)、キャベツとトマトのサラダ(胡麻醤油ドレッシング、おろしニンニク)、卵とオイルサーディンのサンドイッチ(紫蘇)、牛乳→諸々準備して、午後〈むらさきmusicラボ〉へ。「心細い散歩」を初披露。割と単調な曲調なので、歌詞の節ごとに細かい感情表現を設定すべきかなと思っていたところ、Mちゃん先生より節ごとに、ふたりで、歌い分けしたらどうか≠ニいう提案あり。その方向を模索してみることにする。あと、ギターを弾きっぱなしにしないで適度に空間を入れるとか、難しそうに聴こえるような要素をなるべく入れないとかの試みなど→帰途はまだ早かったので、先に〈サミット〉寄って老父の買い物。それから〈Homer〉で早めの晩。ポークピラフ(カップコーンポタージュ付き)。やはりひと口でわかるような派手さはないが、油と塩その他味付けや火加減の塩梅がよいのだなあと、食べ進めるうちに感心→事故もなく平和に帰宅→シャワー→『対岸の家事』『幸せは食べて寝て待て』見ながら菊水堂ポテトチップス、鶏(もも、ささみ)の牛乳スープ(ニンニク)、ビール中瓶×1、ロング缶×2→午前1時半就寝。
4月23日(水) 朝8時起床。白湯→鶏(もも、ささみ)の牛乳スープ(ニンニク)、卵としらすとトマトのサンドイッチ(紫蘇)、牛乳→『アントワーヌとコレット』(原題『Antoine et Colette』、監督:フランソワ・トリュフォー。ジャン=ピエール・レオ、パトリック・オーフェー、マリー=フランス・ピジエ、ロジー・ヴァルト、フランソワ・ダルボン、ジャン=フランソワ・アダン。ナレーション:アンリ・セール。1962、仏Les Films du Carrosse)。オムニバス映画『二十歳の恋』のフランス編として撮られた作品。『大人は判ってくれない』の続編に当たるが、トリュフォーは自分の二番煎じ≠嫌い、別の物語のように作ろうとしたという(しかし結局は「(『大人は判ってくれない』の主人公である)アントワーヌ・ドワネルの冒険」ものとして『夜霧の恋人たち』『逃げ去る恋』とシリーズ化される)。物語は、『大人〜』で鑑別所に送られたアントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)が更生してレコード会社に就職、フランス青年音楽同盟≠ナ一緒になった少女コレット(マリー=フランス・ピジエ)と仲良くなり、その両親(ロジー・ヴァルト、フランソワ・ダルボン)にも気に入られるものの、コレットにその気がまったくなく、別の男(ジャン=フランソワ・アダン)にコレットを奪い去られるというもの。まだ思春期から抜け出せていない少年(と青年の境目)のダメな感じが実感されるように描かれている。コレットは去るが、アントワーヌがコレットの両親とTVを見ているところで終わるという演出はなんだか可笑しい。ジャン・ピエールレオの、居るだけでなんだか可笑しい個性が少しずつ明らかになっている点や、あと本作の本質とは関係ないが、当時のレコード製造の過程の一端を見ることができるのも面白い→『夜霧の恋人たち』(原題『Baisers volés』、監督:フランソワ・トリュフォー。ジャン=ピエール・レオ、フランソワ・ダルボン、クレール・デュアメル、ダニエル・セカルディ、クロード・ジャド、アリ・マックス、ジャック・リスパル、アンドレ・ファルコン、カトリーヌ・ルッツ、セルジュ・ルソー、アルバート・シモノ、ジャック・ドロール、マイケル・ロンズデール、マルティーヌ・フェリエール、デルフィーヌ・セイリグ。1968、仏Les Films du Carrosse、Les Artistes associés製作/United Artists配給) 「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズの三作め。前作『アントワーヌとコレット』から何年めの話になるのかはわからないが、アントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)が(コレットにふられたことが理由と思われるが果たして)陸軍に入隊したものの素行不良で除隊となり、女友達のクリスチーヌ(クロード・ジャド)を訪ねるところから話が始まる。『アントワーヌとコレット』と同様、クリスチーヌの両親(クレール・デュアメル、ダニエル・セカルデ)に気に入られている様子のアントワーヌは、クリスチーヌの父親の紹介でホテルの夜警に雇われるが、探偵アンリ(アリ・マックス)による浮気調査に利用されたことですぐにクビ。しかしアンリの所属するブラディ探偵社(社長役はアンドレ・ファルコン)で働くことになるものの、尾行の腕は素人、同性愛者の手品師(ジャック・ドロール)の依頼によるその愛人(マイケル・ロンズデール)の調査でミスを犯し、靴屋の社長タバール(ミシェル・ロンスダール)が社員から悪口を言われているのでその真相を突き止めよというつまらない仕事を任されることになり、靴屋に店員として潜入する。そこでもまた、タバール夫人(デルフィーヌ・セイリグ)の浮気相手を務めることになり、クビ(アントワーヌが夫人を口説く練習をしている場面と、いざというときに「はいムッシュ」と呼んでしまうところはとても可笑しい)。アントワーヌは続いてテレビの修理工になり、クリスチーヌは両親の留守にアントワーヌとひと晩過ごそうとテレビを壊してアントワーヌを呼び、ふたりは晴れて結ばれるが、翌朝アントワーヌとクリスチーヌが結婚の約束を交わしたのち、散歩していると、以前からクリスチーヌをつけ回している妙な男(セルジュ・ルソー)が現れ、クリスチーヌに求愛する。狐につままれたような面持ちのアントワーヌとクリスチーヌがその場を去り、幕。『アントワーヌとコレット』の結末から、今回もアントワーヌは好きな女を奪われて幕かと思ったが、そういうわけでもない、というか、はっきりそうとは示されない。それも含めて、物語は取り留めもないまま進行するが、アントワーヌ・ドワネルの修行時代≠ニして位置付けられた作品だそうで(ただし委細は不明)、そういう意味では思春期を引きずっている若者のとっ散らかった行動を活写した、と言えるのかもしれない。その「とっ散らかった行動」の中で、ジャン=ピエール・レオの生まれ持った可笑しさ(ものすごい二枚目が真顔で芝居をしているのに、なのにどこか妙で笑いを誘う要素を湛えている)がフィルムにふんだんに収められている点−−その可笑しさはアントワーヌのダメ男っぷりに重なる−−が印象に残る。トリュフォーは本作において、その「可笑しさ」を発見したのだろうか。それはわからないが、後年の『ゴダールの探偵』(1985)でも見られたジャン=ピエール・レオの可笑しさは、本作ですでに発揮されている。枝葉末節ではあるが、「アントワーヌとクリスチーヌが結婚の約束を交わ」す場面での、栓抜きを婚約指輪に見立てる描写は、なかなかの名場面としてもっと取り上げられるべきではなかろうかと思った。それと、原題は『Baisers volés』(盗まれたキス)なのに邦題が『夜霧の恋人たち』なのは、改めて観てもよくわからない→菊水堂ポテトチップス、チーズ、お好み焼きもどき(しらす、ピーマン、生姜)、たぬきそば(うずらの卵×2、葱)、ビールロング缶×2→午睡→『逃げ去る恋』(原題『L'Amour en fuite』、監督:フランソワ・トリュフォー。ドロテ、ジャン=ピエール・レオ、クロード・ジャド、ジュリアン・デュボア、ジャン・ピエール・デュコ、マリー・ヘンリオー、エマニュエル・クロ、ダニエル・メズギッシュ、ダニ、Christian Lentretien、ジュリアン・ベルトー。1979、仏Les Films du Carrosse製作/AMLF他配給)。「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズの五作め、四作めの『家庭』(1970)を見逃してはいるが、本作がシリーズの総集編のような位置付けであるのは、(シリーズ内の作品あるいは他のトリュフォー作品からの引用などからも)わかる。三作めの『夜霧の恋人たち』の終幕で奪われるのかそのまま続くのか、と曖昧な描写だったアントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)とクリスチーヌ(クロード・ジャド)だが、『家庭』にて結婚。アントワーヌは花屋、水力研究所と職を変え、その間に息子アルフォンス(本作ではジュリアン・デュボア)が生まれるが、アントワーヌは日本人女性のキョーコ(松本弘子)と浮気をする。といったところからアントワーヌとクリスチーヌが、本作では協議離婚。アントワーヌはレコード店員のサビーヌ(ドロテ)と交際しているが、前妻との離婚調停にて『アントワーヌとコレット』で別れたコレット(マリー=フランス・ピジェ)に見つけられ、アルフォンスを見送りに行ったリヨン駅で再開する。連絡不行き届けでサビーヌとも気まずくなり、このままコレットと焼け木杭に…… と思わせつつ、最終的にはコレットが、アントワーヌの落とした写真≠偶然出会ったクリスチーヌに渡し、クリスチーヌがアントワーヌに郵送。アントワーヌは写真≠持ってサビーヌに会いに行き、和解する。全体を通じて(シリーズ過去作品の引用も含め)、アントワーヌがいかにダメな人間でまた浮気性であることかを念入りに語りつつ、しかし悪い人間ではないし愛すべき人間と結論づけるようなところが、「総集編のような位置付け」と受け取る所以のひとつ。アントワーヌが、自分の恋の遍歴を恋愛小説に仕立て、仕事(本作では印刷会社勤務に落ち着いている)の合間に出版しているが、内容は事実に基づいているが嘘だらけ(それをコレットに指摘される)というところが可笑しいが、それも含めてアントワーヌの愛すべき人物像を楽しんだ。それにしても、ジャン=ピエール・レオ、マリー=フランス・ピジェ、クロード・ジャド、の三人が、それぞれ『大人は判ってくれない』(1959)、『アントワーヌとコレット』(1962)、『夜霧の恋人たち』(1968)と同じ登場人物を演じ本シリーズに出演しているのは、他に類を見ない。そういう点も含めて素晴らしいと、本作を改めて観て思った(『家庭』をちゃんと観なければ)→煮干し出汁殻、海苔、しじみ汁、白粥(かつ節)、ビールロング缶×1、金宮酎ハイ(薄め)×1→夜8時いったん就寝。
4月24日(木) 午前1時起床→「ザ・シネマ」での「アントワーヌの冒険」シリーズのうち『家庭』を録り忘れていたが、棚を確認したらもう随分前(おそらく20年くらい前)にDVDを購入していたので鑑賞→『家庭』(原題『Domicile conjugal』、監督:フランソワ・トリュフォー。クロード・ジャド、ジャン=ピエール・レオ、ダニエル・ジラール、ジャック・リスパル、ジャック・ジュアノー、クリストフ・ヴェスク、ピエール・マグロン、シルヴァーナ・ブラージ、クロード・ヴェガ、クレール・デュアメル、ダニエル・セカルディ、マリアンヌ・ピケティ、アニック・アスティ、ギ・ピエロー、ジャック・ロビオル、クリスチャン・ド・ティリエール、バルバラ・ラージ、ビリー・カーンズ、マドモワゼル・ヒロコ(ヒロコ・ベルクハウアー/松本弘子)。1970、仏Les Films du Carrosseほか製作/Valoria Films配給)。「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズの四作め。前作『夜霧の恋人たち』の終幕で奪われるのかそのまま続くのか、と曖昧な描写だったアントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)とクリスチーヌ(クロード・ジャド)の結婚直後から物語は始まり、子供が産まれ、アントワーヌは花屋からアメリカ資本の水力研究所に転職、そこで日本人のキョーコ(ヒロコ・ベルクハウアー/松本弘子)と出会い浮気に発展。すぐにクリスチーヌに行状がばれて別離寸前にまでなるものの、文化の違いあるいは性格の不一致からキョーコともしっくりいかず、最終的にはクリスチーヌとよりを戻して幕。パリの下町の生活を活写したような趣があり、古きよきフランス映画≠想起させる一本で、夫の浮気と夫婦の危機という普遍的なテーマを懐かしいような手法で描いたオーソドックスな喜劇に敢えて挑んだ、と受け取ったが、果たして。アントワーヌが花に着色する方法をいろいろ思いついたり、隣人のテナー歌手がせっかちで妻と出かける際はいつも妻のコートとハンドバッグを階段に放り投げていたり(終幕への伏線でもある)、アントワーヌとクリスチーヌの住まいの一階のビストロ(アントワーヌの花屋の隣でもある)のウエイトレスがアントワーヌに色目を使うが彼女にだけは靡かなかったり、ムッシュ・ユロを想起させる人物が一瞬だけ登場したり、絞殺魔とあだ名される謎の男が実はコメディアンでTV番組でアラン・レネ『去年マリエンバートで』のモノマネ(パロディ?)を演じたり(それで町内の人間たちとたちまち打ち解ける)、キョーコという人物を奇妙な日本趣味で描いたりアントワーヌに痺れを切らしたときに「勝手にしやがれ」というメモを書かせたりなどなど、大小の笑いが散りばめられていて、とても楽しい一本だった。深いテーマがあるのかないのかはわからないが、ある種の(とても軽い)艶笑喜劇として楽しんだ→即席ラーメン(マルタイ胡麻醤油、胡麻大匙×3、生卵)、ビールロング缶×1→午前4時就寝→朝7時半起床。白湯→しじみ汁、白粥(かつ節)→老父の杏林受診付き添い(形成外科)。採血があるものと思い9:30に迎えに行ったら採血は予定されておらず(知らなかった)、さらに受診も混んでいて、11時の予約だったが結局都合二時間くらい待たされた。経過は良好でなにより→老父を送り届けてから〈なかじょう〉で昼。いか天、ちくわ天、なす天、醤油うどん小盛り、ビールコップ一杯→薬局でクスリ受け取り老父に届けてから、〈ダイエー〉で晩の買い物して帰宅→昨夜の『有吉の壁』見ながら菊水堂ポテトチップス、ビールロング缶×1→午睡→風呂→『日曜日が待ち遠しい!』(原題『Vivement dimanche!』、原作:チャールズ・ウィリアムズ『土曜を逃げろ』、監督:フランソワ・トリュフォー。ファニー・アルダン、ジャン=ルイ・トランティニャン、フィリップ・モリエ=ジュヌー、ロラン・テノー、カロリーヌ・シオル、フィリップ・ロダンバッシュ、グザヴィエ・サン=マカリー、ジャン=ルイ・リシャール、ジョルジュ・クルリス、ジャン=ピエール・カルフォン、イザベル・ベネ、アニク・ブローブル、パスカル・ペルグラン、ニコール・フェリックス。1983、仏Les Films du Carrosseほか製作/Acteurs Auteurs Associés配給)。トリュフォーの遺作。私が唯一、封切り時(日本では1985)に観たトリュフォー作品。不動産屋社長ジュリアン・ヴェルセル(ジャン=ルイ・トランティニャン)の友人マスリエが殺され、その後も殺人事件が続き、ジュリアンが犯人に疑われる。ジュリアンの秘書バルバラ・ベッケル(ファニー・アルダン)が疑いを晴らすべく果敢に謎解きに乗り出す−− という一種の探偵ものだが、トリュフォー自身がB旧映画の雰囲気を出したかった≠ニ言っているように(製品DVDに収録の解説より。そのために撮影監督に早撮りを指示したそうだ)、なにやら高級な感じ≠ヘ控えられているが、それがよくできた小品≠ニいう印象をもたらすのに功を奏したと言ってよいと思う。とはいえ実際には小品≠ナはないわけで、コントラストは高めだが柔らかさもある絵造り、芝居の間、編集のテンポ、空白や寂しさを感じさせない音楽の挿入の塩梅などなど、すべてにおいて丁寧に作られた完璧さも味わえる(そしてそれがとても心地よい)。予告編では絵造り(コントラストがより高めでざらついた感じ)や構成をフィルム・ノワール風に寄せており、本編もフィルム・ノワールの雰囲気はあるものの、犯罪とその捜査・追及の物語に可愛らしさ、笑い、幸福感などをいい塩梅でまぶしてあって、ジュリアンが脚フェチ?であると思わせるような描写の挿入などの物語とは直接関係のないしかし本作への興味をそそるような小ネタや、エンド・ロールのバルバラとジュリアンの結婚式で、バルバラの元夫ベルトラン(グザヴィエ・サン=マカリー)が落としたカメラのレンズ・フードを合唱の子どもたちが蹴って遊ぶ≠ニころなども含めて心地よい完璧さ≠ェ味わえ、謎解きや犯人追跡の緊張感と可愛らしさ、笑い、幸福感が相まって、観終えるととても幸せな気分になる(ジョルジュ・ドルリューの音楽はもちろん)。最初の被害者であるマスリエの兄クロード(ジャン=ピエール・カルフォン)が犯罪に加担しているかのように見えながら実は違っていた(弟が殺されたことを独自に捜査していた?)という辺りがぼやけた描き方になっていたのが、唯一残念なところか。ジュリアンとバルバラが謎解きの過程で思いを寄せ合っていく速度もいい感じだし、素人芝居の稽古中にジュリアンに呼び出されたバルバラが舞台衣装のままコートを羽織って捜査に乗り出し、ジュリアンからコートを返せと言われていいけどこれなのよと舞台衣装を見せる、そういう小さい笑いのタイミングもやはり完璧。封切り時以来の鑑賞だが、改めて感服した。四十年ぶりなので、記憶がずいぶん改竄されていて、ファニー・アルダンはもっと小さく可愛らしいと思っていたら、実際にはキリッとした顔立ちで長身で格好のよい女性だった(おそらく「舞台衣装」の印象が残ったのだと思う)。そういえば一本指でタイプを打つ女性(パスカル・ペルグラン)も長く記憶に残っていて、しかしこれもちょっとした笑いの小ネタくらいに思っていたら、終盤でバルバラがタイプには人それぞれのクセが出る≠ニ話すことへの小さな伏線であった。ああそういえば、これは字幕の問題だけれども、バルバラがジュリアンと愛を交わしたあと、「J'ai honte」(恥ずかしい)と呟いたのをジュリアンがJ'ai hâte≠ニ聞き間違い、「Que tu hâtes?」(何が待ち遠しいの?)と尋ね、バルバラが複雑な表情で仕方なく「J'ai hâte d'être à dimanche」と答えるところの最初の「J'ai honte」が、字幕では「待ち遠しくて」となっていたのが気になった。しかしよく考えたら聞いているほうが受け取った言葉を翻訳する≠ルうが映画の字幕としては親切かもしれず、ちょいと判断が難しい。なおちなみにこの台詞のやり取りは、バルバラが劇中で稽古しているヴィクトル・ユゴーの戯曲『Le roi s'amuse』の中の「Le dimanche jamais revient assez tôt」(日曜日はいつ来ても遅すぎる)から思いついたそうだ→じゃがいも細切りフライ、トマト、きゅうりと玉葱のサラダ、ミートソースピザトースト、しらすと海苔ピザトースト、ビールロング缶×1、赤葡萄酒×1→夜11時半就寝。
4月25日(金) 朝8時起床。白湯→ミートソースチーズトースト→『日曜日が待ち遠しい!』復習→月見そば(刻み葱、揚げ玉)、御酒×1→『喧嘩鳶』(原作:邦枝完二、監督:石田民三。長谷川一夫、山田五十鈴、清川荘司、花井蘭子、清川玉枝、中村建峰、鳥羽陽之助、黒川弥太郎、横山運平、御橋公、永井柳太郎、市川朝太郎。1939、東宝製作/日本劇場配給)。一年ぶり二回め。前回の感想に「物語自体は、火事と喧嘩と深川芸者 粋と伊達との江戸情緒=i放映した衛星劇場の告知ページより)という文脈で語れればたいそう胸の空くような仕上がりになったはずなのだが、物語の進め方も登場人物たちもなんだかぐだぐだうじうじしていてスカッとしなかった」と書いている。そして「物語が頭に入ったところで再見してみよう」とあったので再度観てみたが、やはり話の展開がなんだかモタモタしていて、感想は変わらなかった。長谷川一夫の見せ場もあり、山田五十鈴の美しさと藝もあり、なのだが、ちょいと残念。鳶という男の中の男%Iな人間たちも、ひと皮剥けば昔の言葉でいう女の腐ったの≠ェ多い(もちろん加賀鳶吉五郎=長谷川一夫とは組次郎吉=黒川弥太郎は除く)という見方もでき、もしもそれが主題のひとつなら、スカッとしないという点も頷けるのだが→菊水堂ポテトチップス、煮干し、ビールロング缶×2→買い物に出かけたO形が筍買ってきたので、筍あく抜き→キャベツとトマトとピーマンとしらすのサラダ、コロッケ×2、サラミピザ、ビール中瓶×1、赤葡萄酒一杯→夜9時過ぎ就寝。
4月26日(土) 朝5時起床。しじみ汁→昨夜筍あく抜き後、鍋を放置していたので、筍取り出し切り分けて冷蔵庫に保存→二度寝→朝9時起床→コロッケチーズパン、牛乳→『巷説百物語 飛縁魔』(原作:京極夏彦『続巷説百物語』、監督:堤幸彦。下元年世、遠藤憲一、渡部篤郎、野添義弘、大杉漣、佐藤二朗、吹越満、小池栄子、岡本麗、小島聖、田勝志、伊藤高、松尾勝人、岩松了、志賀山秀穂、小林英梨子、渡辺万也。2006、WOWOW)。WOWOWの「ドラマW」として製作・放映された、コメディ仕立ての「巷説百物語」。「巷説百物語」の映像化として悪くない部分も多いし楽しめもしたのだが、1)ムード作りのための薄っぺらいアングラ感、2)佐藤二朗の自分では面白いと思っている℃ナ居、3)多数散りばめられた滑る笑い=A4)絵造りとりわけ照らすだけのような照明への違和感、5)冗長さと間延び、という点で、興を削がれた印象も強く残った。主要登場人物−−渡部篤郎の小股潜りの又市、小池栄子の山猫廻しのおぎん、吹越満の山岡百介、大杉漣の事触れの治平、遠藤憲一の田所真兵衛−−それぞれの芝居に感心する要素があっただけにとても残念。佐藤二朗や梅干一(おきくに翻弄される金城屋享右衛門に仕える手代)の笑いは用いず、笑いに関してはもっぱら事触れの治平の小便≠セけに頼ったほうがよかったと思う。肝心のおきく(白菊、龍田)役の小島聖は、本性を表す際の心のうちにある醜さ≠フ表現には感心したが、おきく/白菊の際にはもう少し美しさ≠感じさせる何かがあってもよかったかなと思った(それがたとえ表面的な化粧だったとしても)。複雑な魅力(美しいのに暗い破壊性があり、破滅させられるのに惹きつけられる)を表現するには、この頃はまだ力不足だったか。見終えて残った感想は、原作を読んでいればよい、であった→刻みそば(筍、白髪葱、生卵)→シャワー→午後阿佐ヶ谷へ。早めに到着したので、初訪問の名曲喫茶〈ヴィオロン〉(中野にあった〈クラシック〉と深い関係にある)で珈琲→〈Morc阿佐ヶ谷〉にてアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会)のBプログラムを見物。お目当てはみなまるこ参加のA.A.Projectによる『酒餅合戦』だが、以下上映順に−−
→『迷い家』(新藤雅也、畑山夕海、秀澤文子。2025。6分33秒)。〈Morc阿佐ヶ谷〉にて催されたアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会)Bプログラムにて鑑賞(製作年を厳密には確認できなかったが、本上映会に向けての製作と思われるので、本記録上は2025製作とした)。ひとりの少女が森の中の洋館?に迷い込む様子を色彩豊かに描いた作品で、技巧的にはかなり高いと思ったが、エンド・ロールに「原作:柳田國男『遠野物語』」とあったのに違和感を感じた。『遠野物語』の一挿話をアニメーション化したのは間違いないと思うが、遠野の風やにおいや風土をまったく感じさせない作風だったので、原作というよりはネタとして使った、くらいの話ではないだろうか。その辺の気持ちをクレジットの書き方に込めていたらよかったのにと思った→『AMABIE』(Eliy and Cathy。2025。55秒)。〈Morc阿佐ヶ谷〉にて催されたアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会)Bプログラムにて鑑賞(製作年を厳密には確認できなかったが、本上映会に向けての製作と思われるので、本記録上は2025製作とした)。これも色彩豊かな作品だったが、55秒と短い尺だったので、印象としては一瞬で終わってしまった=B感想は残らなかった→『ほしとゆめ』(まりも。2025。15分42秒)。〈Morc阿佐ヶ谷〉にて催されたアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会)Bプログラムにて鑑賞(製作年を厳密には確認できなかったが、本上映会に向けての製作と思われるので、本記録上は2025製作とした)。キャラクター造形や目立たないところでの絵の動きの細かさ、独自の言語(文字のみの表示ではあるが。文法なども考えられたのだろうか)、単純な要素で描かれたキャラクターの感情の細やかな表現などで、今回の中では一番印象に残り、また楽しませてもらった作品。終盤、アニメーションの画面の奥から徐々に浜辺の実景が現れるのが、アングラ演劇のテント公演で最後にテントの背後が開くのに似ていて、ハッとさせられた。何か(誰か?)を探しに来た主人公が、見知らぬ町に足を踏み入れてからしばらく、ずっと小刻みに震えているのが(風の所為かとも思ったが他のキャラクターなどは震えておらず、曖昧だが緊張感の所為かなと思わせてくるような点も含めて)秀逸と思った→『ラブ&ピース&ビーバー』(Stephen Redmond/神戸順/設楽月緋/設楽絵美/設楽竜也。2025。8分38秒)。〈Morc阿佐ヶ谷〉にて催されたアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会。2025)Bプログラムにて鑑賞(製作年を厳密には確認できなかったが、本上映会に向けての製作と思われるので、本記録上は2025製作とした)。ビーバーの習性をユーモラスに描くことで、森林保護、自然保護の大切さを謳ったのかと思うが、しかしその保護の方法として生きている木に彫刻を施し、ペンキで着色する≠採用したのは、根本的に間違っているのではないかと思った。脚本からの見直しが必要と思う→『メタモルフォーゼ』(2025ドローイングクラス・作画集中クラス合同作品。2025。2分)〈Morc阿佐ヶ谷〉にて催されたアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会)Bプログラムにて鑑賞(製作年を厳密には確認できなかったが、本上映会に向けての製作と思われるので、本記録上は2025製作とした)。手描き(と思われる)絵が次々に別の絵に変化してく技巧による作品。名前のついたキャラクターが登場するので、それらのキャラクターのメタモルフォーゼによる物語が紡がれるのかと思ったら、単に技巧を見せられただけだった→『酒餅合戦』(A.A.Project。2024。6分23秒)。〈Morc阿佐ヶ谷〉にて催されたアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会)Bプログラムにて鑑賞。江戸時代に流行した異類合戦物≠フひとつをモチーフにした作品。単に様々な種類の餅と酒・酒器が合戦するというだけの話だが、みなまるこ(長塚美奈子)の製作作品『発明家ドンちゃん』『豆助大手柄』と同様の味わいを楽しませてもらった。合戦の仲裁に入った尾張大根味噌漬の卿≠ェ真の勝者はこの尾張大根味噌漬の卿なり=i引用は不正確)と言ったあとにやや長めの間があって、それから合戦の参加者たちが笑い出す間合いが秀逸。藤りえ子による筑前琵琶の弾き語りによる物語の説明もよかった→『附子』(古賀智恵、志賀風月、松田みなと。2025。5分15秒)。〈Morc阿佐ヶ谷〉にて催されたアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会)Bプログラムにて鑑賞(製作年を厳密には確認できなかったが、本上映会に向けての製作と思われるので、本記録上は2025製作とした)。原作は狂言の『附子』だが、この物語が常識の範疇であるとはいえ、もう少し丁寧な説明(物語を知らなくてもわかる工夫)があったらなと思った。そして物語を知っていて本作を見てオチがわかった、というのであれば、本作が作られた意味はあまりないのではないかとも思う→『もぐらのくすり』(横山友祐。2025。3分3秒)。〈Morc阿佐ヶ谷〉にて催されたアート・アニメーションのちいさな学校主催『ちいさな上映会2025』(第17期生作品上映会)Bプログラムにて鑑賞(製作年を厳密には確認できなかったが、本上映会に向けての製作と思われるので、本記録上は2025製作とした)。不思議な薬を服用したり塗布することで、器物や生物が巨大化する、というアニメーション。物語はないに等しかったので、面白みを感じる余地がなかった→電車で高円寺に移動し、駅前の〈デニーズ〉でビール飲んだのち〈ちんとんしゃん〉で一杯。適当なところで帰ろうとしたら、いろいろみなさんいらして楽しくなり、予定していたより結構飲んだ。お通し(筍、豆腐など)、筍おむすび、御酒×3、ビール中瓶×1→平和に電車で帰宅→マルちゃんすじ青のり天ぷらうどん→夜0時就寝。
4月27日(日) 朝8時起床。白湯→野菜スープ(玉葱、じゃがいも、筍、キャベツ、ニンニク、クミンシード、カルダモン)、卵チーズパン→昨日鑑賞したアニメーション作品群の感想まとめ→『スター・ウォーズ』(原題『Star Wars』、監督:ジョージ・ルーカス。アンソニー・ダニエルズ、ケニー・ベイカー、デヴィッド・プラウズ、キャリー・フィッシャー、マーク・ハミル、フィル・ブラウン、シラー・フレイザー、アレック・ギネス、ハリソン・フォード、ピーター・メイヒュー。1977、米Lucasfilm製作/20th Century Fox配給)。シリーズ第一作。シリーズ全体の中では「エピソード4」に当たる作品で、現在は『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(Star Wars: Episode IV A New Hope)と改題されている。本作も含めシリーズ全作品を今まで一度も観たことがないので、地上波TVで放映の機会に今さらながら観てみた次第だが、要は小学生男子の妄想をそのまま温めていたのを映画化した、という趣で、一応はプロの映画製作の技術を駆使してはいるのだろうが、小学生男子的発想が製作技術にも−−キャラクター造形や話の設計などに−−影響している、という印象。レイア姫に扮したキャリー・フィッシャーがそんなに可愛くない≠フはよかったのと、オビ=ワン・ケノービに扮したアレック・ギネス、ターキン総督に扮したピーター・カッシングのふたりの手練れがこの映画の世界を引き締めていた(逆に言えばこのふたりが出てない場面はあまり引き締まっていないことが多い)のが印象に残るが、まあ一度観れば十分かな。ただ、封切り時から改変が加わっていて、それで少し魅力が損なわれたとも聞くので、封切り時の状態で観る機会があれば試してはみたい。今回は吹き替えで鑑賞したが、C-3PO=野沢那智とレイア姫=高島雅羅の吹き替えはよかった(吹き替えの面々に加え、ハン・ソロが登場する酒場のシーンが極端に短縮されていたようなので、おそらく2011年版か2019年版の特別編・新ソフト版が放映されたと思うが、決め手はなし)→花巻そば(刻み葱、うずらの卵×2)→『必殺スペシャル・春一番 仕事人、京都へ行く 闇討人の謎の首領!』(監督:石原興。佐藤蛾次郎、近藤正臣、藤真利子、藤田まこと、山内としお、西田健、白木万理、菅井きん、鈴川法子、草見潤平、丹古母鬼馬二、村上弘明、鮎川いずみ、黒部進、松山英太郎、風見章子、織本順吉、斉藤絵里、黒木香、北村英三、笑福亭鶴光。1989、ABC、松竹製作/テレビ朝日系列放映)。必殺シリーズ長時間スペシャルの第13弾。中村主水(藤田まこと)が京都出張を命じられるのと同時に、京都所司代に出向中の北町奉行同心片山(草見潤平)が闇討人と称する一団に殺され、真相を追って仕事人たち−−何でも屋の加代(鮎川いずみ)と鍛冶屋の政(村上弘明)−−が京都に集結。京都の仕事人たち−−ろくろのお竜(藤真利子)、鉄五郎(佐藤蛾次郎)、元結の新吉(近藤正臣)、五兵衛(織本順吉)−−の協力を仰ぎながら黒幕=闇討人たちに近づくが、思わぬ裏切りもあり、思わぬ人物が闇討人一味だったりもし、仕事人たちは何度も危機に晒される…… という物語で、謎が解けていく過程は面白いのだが、ちょいと冗長と感じる部分も多々あり、その所為か前作『必殺スペシャル・新春決定版! 大奥、春日野局の秘密 主水、露天風呂で初仕事』に続いて黒木香(鉄五郎の女房役)の登場シーンが妙に印象に残ってしまった(お加代との絡みが面白い)→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→午睡→風呂→『スペースボール』(原題:『Spaceballs』、監督:メル・ブルックス。ジョージ・ワイナー、サル・ビスカソ、リック・モラニス、ダフネ・ズニーガ、ディック・ヴァン・パタン、ジョーン・リバーズ/ローレン・ヤーネル、ブライアン・オバーン、ジム・J・ブロック、ジョン・キャンディ、ビル・プルマン、ルディ・デ・ルカ、ドム・デルイーズ、メル・ブルックス、レスリー・ビーヴィス、ジェフ・マクレガー、ディアン・ギャラップ、デニース・ギャラップ、マイケル・プニウスキー、ジム・ジャックマン、エド・ゲイル、アントニオ・オヨス、フェリックス・シラ、アルトゥーロ・ギル、トニー・コックス、ジョン・ケネディ・ヘイデン、サンディー・ヘルバーグ、ブレンダ・ストロング、ジョニー・シルヴァー、ディアナ・ブーハー、ジャック・ライリー、デイ・ヤング、ジョン・ハート。1987、米MGM)。初『スター・ウォーズ』記念に。何度観てもちょうどよく面白いが、まあ新たな感想はなし。何か思いついたような気もするが、観終えたら忘れた。死ぬまでにまだ何度か観るだろうな→キャベツとピーマンときゅうりのサラダ、ミニチーズハンバーグ、枝豆、チーズ乗せパン、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→夜9時過ぎ就寝。
4月28日(月) 午前2時起床→昨夜の『スペースボール』、途中で寝てしまったので、続きと復習→鰹梅、海苔、御酒×1→午前4時就寝→朝8時起床。白湯→野菜スープ(玉葱、じゃがいも、筍、キャベツ、ニンニク、クミンシード、カルダモン)、ひき肉入りオムレツパン(玉葱、青葱、ニンニク)→『刑事コロンボ ロンドンの雨傘』、まあいつも通りだが、ロンドンに視察に来て観光気分ではしゃぐコロンボといつも通りのコロンボとの落差が面白かった→若竹そば(うずらの卵×2)、御酒×1→『新風』(原作:菊田一夫、監督:佐々木康。高峰三枝子、宮下直子、宮崎義子、八木民江、早房輝枝、幾野道子、安部徹、河原侃二、小杉勇、赤城蘭子、藤輪欣司、若水絹子、三笠朱実、宮子徳三郎、坂本武、岡村文子、三村秀子、山路義人、川辺孝二。1945、松竹)。第二次世界大戦が終わり、生き残った青年は復員し、女子挺身隊に動員された女学生たちも故郷に戻ってくる。そんな一地方都市を舞台に、旧弊で封建的な中高年男性たち(女性にもそれに従う人間がいる)と、新しい価値観を得て未来を見据える若者たちとの軋轢と雪解けを描いた佳作。元軍人にして町の名士瀬木彦造(小杉勇)の息子修一(安部徹)が復員し、友人たちが立ち上げようとしている農民組合に協力しながら、幼馴染の女学校教師篠原由紀(高峰三枝子)との結婚を決意する中で、修一の父と由紀の父兵助(坂本武)が旧い価値観を持ち出して反対し、また由紀は修一との偶然の再会を女教師に目撃されたことから校長(山路義人)にふしだらと決めつけられるが、彦造は改心し、また自由主義へと向かう時代の流れから校長は退任、自由主義的思想から女学校を追われた前校長(藤輪欣司)が復帰するというハッピーエンドで、少々ご都合主義的なにおいを感じないこともない。だが、終盤で兵助が彦造の元に掛け軸を持ち込んだ際に、虫干ししてある彦造の軍服を見て、これは買い取ってもいいが売れません。もう少し景気がよくなってちんどん屋でも出てくれば売れるかもしれませんが≠ニ悪気なしに口走り、それをがっかりした様子で受け取った彦造がやがてすぐに修一の行動を認めるという流れは、ダメ押しの残酷さが醸し出す苦味を伴いつつも爽やかな展開で、なかなか感動させられた(冒頭で、修一から軍隊上官の腐敗を聞かされた彦造の、自分が現役の軍人だった頃はそんな軍陣はひとりもいなかった∞お前らががんばらなかったから負けたんだ≠ニいうような、旧い価値観を際立たせた反応が、終盤での改心への展開が感動を呼ぶのに効いていたように思う)。夫と子供双方の立場を理解しつつ、状況を見ながら舵取りをする瀬木・篠原両家の母親(赤城蘭子、岡村文子)への演出の塩梅と役者の芝居も、地味ながらじわじわと心に迫るものがあった。公開が1945年12月14日とのことだから、製作はおそらく9月〜11月初旬のどこかと思われるが、戦争に負けたことや戦中までの価値観が通用しなくなったことを受け入れられない人も多かっただろう終戦(敗戦)直後に撮られたと思うと、ある種の奇跡も感じさせられた。修一が結婚させられそうになる町長の娘(三村秀子)のその後が一切描かれない点が、いささか不満か(70分の作品なので、それを補ってもう5〜10分くらい長くなっても差し支えなかろうし、町長の娘も「若者」のひとりとして扱ってほしかったと思う)→「心細い散歩」録音開始。ガットギターのコード伴奏はほぼ一発。イントロからA1のピアノをちょいと検討→『新必殺仕事人』見つつ晩の支度しながら、煮干し出汁殻、菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→風呂→『昼下がりの情事』(原題『Love in the Afternoon』、原作:クロード・アネ、監督:ビリー・ワイルダー。モーリス・シュヴァリエ、ゲイリー・クーパー、リーゼ・ボウルディン、オードリー・ヘップバーン、ジョン・マクギバー、ヴァン・ドード、オルガ・ヴァレリー、ザ・ジプシーズ。1957、米Allied Artists Pictures)。前回(2023年1月)に観た際と、感想はまったく同じだった。やはり「映画の魔法というのも永遠ではない」ということだろうか。前回曰く「今観てもこの時代のハリウッド映画の魔法に魅了されはするが、その一方当時28歳のオードリー・ヘップバーンと56歳のゲイリー・クーパーという実年齢差には、さすがに鼻白らむ(ゲイリー・クーパーは、オードリーの父親役の当時69歳のモーリス・シュヴァリエと同年代に見える)。かといってもう見てらんないというほどではないので、また折に触れて見返すとは思うが、映画の魔法というのも永遠ではないのだろうな、ということを、今回は考えた」→新玉葱と鮭缶、若竹煮、鯵刺身、なめこと油揚のおつけ、粥、御酒×3→夜11時就寝。
4月29日(火) 朝9時半起床。白湯→なめこと油揚のおつけ、卵粥(かつ節)→珍しく頭痛。右目の奥に違和感あり、そこからの模様。そのため午前中特になにもせず→胡麻つゆせいろ。本日は酒なし→『必殺スペシャル・秋 仕事人vs仕事人 徳川内閣大ゆれ! 主水にマドンナ』(監督:松野宏軌。江原真二郎、菅貫太郎、小野ヤスシ、春やすこ、藤田まこと、鮎川いずみ、山内としお、西田健、白木万理、菅井きん、外山高士、妹尾友信、村上弘明、池田純子、池内淳子、大出俊、崎津隆介、西田真吾、伴勇太郎、辻萬長、森口瑤子、山下規介、安岡力也、戸浦六宏、中嶋俊一、泉アツノ、島田順司。ナレーター:島田正吾。1989、ABC、松竹製作/テレビ朝日系列放映)。必殺シリーズ長時間スペシャルの第14弾。大老職争いを背景に、ふた組の仕事人たちが争い、武士の都合(大老職を争う一方の武士の変節)によってはめられ、最後は中村主水(藤田まこと)たち仕事人が意外な人物を助け(あるいは助けを借り)、黒幕≠倒す。スペシャルとしてはおふざけや浮っついたところはなく、一応製作時点に時代背景から政権内での政局争い、消費税、マドンナ旋風、竹藪で一億円発見などのネタを拾ってはいるものの、取って付けたようなものは消費税くらいで、他はしっかりと物語の中で生かされていた(逆に言えば、初放映時点ではそれほど今の可笑しさ≠ヘ感じられなかったのではないかと思うが)。小野ヤスシ=一筆書きの助六、安岡力也=関取くずれの力とふたりの本作のみの仕事人≠ェ登場するが、これまた仕事人の世界に見事に溶け込んでいた。池内淳子扮する主水の若い頃の恋の相手、そして今は実は……≠ニいう人物の設定、演出、芝居もよかった。あと些末なことだが、加代(鮎川いずみ)は琴を弾けるのか! という驚きもあった(もっとも、シリーズ作のどこかですでに披露しているのかもしれない)→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』 (原作:三上於菟吉、監督:渡辺邦男。美空ひばり、中村彰、坊屋三郎、宇治みさ子、阿部九洲男、北沢典子、花岡菊子、岬洋二、芝田新、市川門三郎、沼田曜一、二木てるみ、丹波哲郎、高田稔、広瀬恒美。1957、新東宝) 長崎の大店の主人の子お雪(二木てるみ。原作では雪太郎という男の子)は、両親を長崎奉行土部三斎(阿部九洲男)と御用商人の長崎屋(岬洋二)、広海屋(芝田新)に殺され孤児となり、やがて役者中村菊之丞(市川門三郎)に拾われ、長じて歌舞伎役者=中村雪之丞(美空ひばり)となる。と、雪之丞の舞台を父母の仇が観劇に来、そこから雪之丞の仇討ちが始まる−− という筋書きだが、たまたま本作を観た時代劇専門チャンネルでは前編に当たる部分のみ放映、後半に当たる『続競艶〜』を観ていない(いつ観られるかわからない)ので、感想の書きようがない。美空ひばり扮する中村雪之丞は、実際は女性であるが女型≠ニいう触れ込み、のちに雪之丞に惚れるお初(宇治みさ子)が雪之丞の胸を触り女だね≠ニいう場面があるのだが、冒頭の場面からどう見ても女性にしか見えない、という感想しか、今のところはない。美空ひばりのもう一役、闇太郎は、男性に見えないこともないのだが。それと、「ひばりの三役」と謳いながら、もう一役がお雪の母親というのは、重要な役であるとはいえ前編を観た段階ではちょいと拍子抜けであった(後編で重要な役回りになるのかもしれないが、前編のみの段階では、映画の中の今≠ノ於けるもう一役でないと、せっかくの「ひばりの三役」が活きないように思った)。さて後編(すなわち解決編)は、いつ観られるのだろうか→なめこと油揚のおつけ、筍ご飯二杯→遅い午睡(夜7時半)→NHK『しあわせは食べて寝て待て』とTBS『対岸の家事』見ながら豆菓子、塩煎餅、ちりめんじゃこ、御酒×1.5。どちらもではあるが、『対岸の家事』の丁寧なドラマ作りには、今回も感心した→夜0時就寝。
4月30日(水) 朝7時起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、筍ご飯→老父買い物代行〈サミット)→ひさしぶりに西荻窪に寄り、昼は〈はつね〉でタンメンと思ったが、長蛇の列にて三巡めか四巡めと見積もり、諦める。〈フランクフルト〉でハムソーセージ類と昼のパン買って帰宅→『アメリカン・ユートピア』(原題『DAVID BYRNE`S AMERICAN UTOPIA』、監督:スパイク・リー。デイヴィッド・バーン、クリス・ギアーモ、テンデイ・クーンバ、カール・マンスフィールド、ボビー・ウーテン三世、アンジー・スワン、マウロ・レフォスコ、ジャクリーン・アセヴェド、グスターヴォ・ディ・ダルヴァ、ダニエル・フリードマン、ティム・カイパー、スタファン・サン・ファン。2020、米Home Box Office)。2021年6月29日(封切り時)、2024年2月29日(TV放映)に続いて三回め。しかし2024年にTV放映を観ていたのをすっかり忘れていて唖然。観終えて感想を書こうと日記を検索して初めて気づいた。と言っても、もう新たな感想はないが、やはり映画館のスクリーンではなく家のセコいTV画面で観ると、デイヴィッド・バーンの動きがたとえば『Stop Making Sense』のときより踊りや身体の動きが躍動的でない印象が残ってしまう。ただしそれは衰えを批判的に受け取る≠謔、なものではもちろんなく、本作製作時に70代目前ながらショーの構成やメッセージを考え、歌って踊ってギターも弾いて、(おそらくほぼ)完璧なショーを作り上げてしかも出演者たちも楽しそうでさらに観客も楽しませる、という中での一要素というだけであり、ひさしぶりに通して観るとやはり驚異的と思う→ベーコン、コンビーフ、ウインナー、たけのこソーセージ、スペシャルドッグ1/2、ピロシキ1/2、ビール中瓶×1→『チャップリンの独裁者』(原題『The Great Dictator』、監督:チャールズ・チャップリン。チャールズ・チャップリン、レジナルド・ガーディナー、ビリー・ギルバート、ヘンリー・ダニエル、バーナード・ガーシー、モーリス・モスコヴィッチ、ポーレット・ゴダード、エマ・ダン、フランチェスカ・サントロ、ジャック・オーキー、グレイス・ヘイル、ドン・ブロディ。1940、米Charles Chaplin Productions製作/United Artists配給)。好き嫌いは別にして、歴史に残る作品であることは間違いないのだが−− 1)笑いとチャップリの思想や真剣に伝えたい主張との塩梅がうまくない、2)そのため独裁≠ノ対する皮肉が効いていない、の二点に於いて、チャップリンの思想やメッセージや、あるいは終幕の演説がどんなに素晴らしかろうとも、本作を傑作≠ニは、私は呼びたくないと思った(笑いのひとつひとつは面白くとも、それらが全体に効いていないと感じたのである)。もちろん、第二次世界大戦前夜に本作を撮ったという事実は素晴らしいことで、それを否定するつもりはないのだが、「チャップリン」という人気キャラクターを活かすには、主題が大き過ぎたというか。『街の灯』(1931)、『モダン・タイムス』(1936)から本作へと続く流れで「チャップリン」を捨てるわけにはいかなかったであろうことも理解できるのだが、『モダン・タイムス』との間には四年の時間があるわけで、「チャップリン」に頼らない作風も模索できたのではないかと思うし、そうしたならば独裁に否を突きつけるメッセージがもっと強いものになったのではないか。と、思ったが、今それを言っても仕方ないか。とはいえ、今観て思うのは、そういうことである。「チャップリン」の身体を張った笑いのひとつひとつは見事なものが多かったし、独裁者≠フチャップリンが見せる風船の地球儀との戯れなども実に見事な藝だっただけに、本作全体に対する残念な思いは大きかった→ちりめんじゃこ梅(胡麻)、金宮酎ハイ×1→風呂→『バービー』(原題『Barbie』、監督:グレタ・ガーウィグ。マーゴット・ロビー、エリカ・フォード、エメラルド・フェネル、イッサ・レイ、ハリ・ネフ、アレクサンドラ・シップ、エマ・マッキー、ライアン・ゴズリング、シム・リウ、キングズリー・ベン=アディル、チュティ・ガトゥ、マイケル・セラ、ケイト・マッキノン、アン・ロス、アメリカ・フェレーラ、アリアナ・グリーンブラット、コナー・スウィンデルズ、ジェイミー・デメトリウ、リー・パールマン。2023、米Warner Bros.)。封切り時以来二回め(前回は2023年8月25日。〈新宿ピカデリー〉にて)。やはり「(バービー人形という)モチーフと人間を描くことの塩梅が考え抜かれた、とても誠実に作られた作品」「能天気なバカ映画のようでいて影響力を持った映画」と思わせられる映画で、新たな感想は特にないが、これもたまたま本日観た『アメリカン・ユートピア』と同様、最初に映画館で観ておいてよかったな、と思った(最初がTVのセコい画面だったら、自然に粗探しをしていたかもしれない)→生揚げと小松菜煮浸し、カボチャとニンジンとウインナーのポトフ、ビール中瓶×1、御酒×1→しばし横臥→日付け変わる前に起床、『有吉の壁』のあまりに杜撰な藝の数々で笑う→続いて『新必殺仕事人』、チャップリンのドキュメンタリー、クルド人問題のドキュメンタリーなど→たぬきそば、金宮酎ハイ×2→午前3時半就寝。
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