2025年05月10日
5月まとめ(1〜10日)
『横尾忠則 連画の河』『世田谷でインド』展 於〈世田谷美術館〉、ミニマルエンジン 於〈砧公園〉、ジャルダン特製カレー 於〈ル・ジャルダン〉、鈴木則文/池玲子『温泉みみず芸者』、リン=マニュエル・ミランダ/ジョン・M・チュウ『イン・ザ・ハイツ』、長谷川伸/加藤泰/中村錦之助『瞼の母』、沢島忠/大川橋蔵/渥美清『大江戸評判記 美男の顔役』、ロバート・ゼメキス/メリル・ストリープ/ブルース・ウィリス/ゴールディ・ホーン/イザベラ・ロッセリーニ『永遠に美しく…』 、マーティン・スコセッシ/エレン・バースティン『アリスの恋』、HAJIME & OJI feat. 木村陽一 於渋谷〈ジャズバー琥珀〉。
5月1日(木) 朝8時起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、筍焼飯(卵)→11時出発し砧公園まで散歩。まずは軽くおやつ(たこ焼き三ケ、ビール350ml缶×1)→〈世田谷美術館〉にて『横尾忠則 連画の河』展見物。一枚一枚の絵がどうというより、この二年間?で描いた軌跡を味わう展観、と受け取った。横尾忠則にとっては、日記のような感覚で描いていた絵ではなかろうか、とも(「開催概要」に作家自身の言葉として「「連歌」ならぬ「連画」」「昨日の自作を他人の絵のように眺め、そこから今日の筆が導かれるままに描き、明日の自分=新たな他者に託して、思いもよらぬ世界がひらけるのを楽しんでいました」とあるので、見方にもよるが、「日記のような感覚」はちょっと違うかな?)。と言いつつ、「記憶の鎮魂歌」「略奪された女と自転車1」「同2」「タヒチの光と影」「寺院の色」と、五点ほど気になる″品はあった。それにしても、80代後半にして、150号(もっと大きな作品もある)のキャンバスに毎日のように絵を描く体力と気力と創作意欲はすごいと思う→続いてミュージアムコレクション『世田谷でインド』展。榎本了壱による、澁澤龍彦『高岡親王航海記』の絵巻と、横尾忠則『聖シャンバラ』が圧巻。版画家池田良二のインド旅行に着想を得たフォトエッチング作品(全七点)や、インド・グジャラート州のチョウドリー族の木彫作品(ワニがモチーフか?)も印象に残った→またビール飲みながら、四家卯大・竹内理恵のミニマル音楽ユニット「ミニマルエンジン」の演奏を堪能。心地よいミニマル音楽と風と四十雀。四十雀の啼き声が次第にリズムに合ってくるのが不思議かつ楽しい→公園内をぶらぶらひと回り→〈ル・ジャルダン〉のティー・タイムにて遅い昼。ジャルダン特製カレー、赤葡萄酒二杯。カレーはかなりのものだと思うが、これが1,200円というのも(他のコース料理や飲み物の値段と比較すると余計に)驚異→環八沿いの〈紀ノ国屋〉で煎酒、〈土井商店〉で卵買って帰宅。天気もよく風も爽やかで、目にも耳にも心地よい刺激を受け、飲み喰いも楽し。よい散歩だった→午睡→風呂→晩の支度→たけのこソーセージ、こんにゃく指輪(そばつゆ、胡麻、胡麻油)、煮干し出汁殻、変わり湯豆腐(大根いちょう、豚ひき肉、かつ節、煎酒)、舞茸と油揚のおつけ、コンビーフご飯(かき卵)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→夜0時就寝。
5月2日(金) 朝7時半起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ、卵かけご飯(ちりめんじゃこ)→『ひばりの春は唄から』(監修:斎藤宗一。美空ひばり、鶴田浩二、北上弥太郎、日守新一、大坂志郎、堺駿二、高屋朗、川田晴久、斎藤達雄、井川邦子、森川まさみ、沢村貞子、藤代鮎子。1954、松竹)。美空ひばり出演映画から歌唱シーンを抜き出して繋げた短編作品。曲名は表示されるが映画の題名は表示されないので、よほどひばり映画に詳しくなければなにかを語ることができない(私もこの中では二三作くらいしか観た記憶がない)。一応曲名と、タイトル・ロールで示された収録楽曲の作詞者・作曲者の一覧を記録しておく(左記括弧内の出演者は、各楽曲収録映画の出演者だが、本作での登場順ではなくタイトル・ロールでの表記順に記載)。本作で紹介される楽曲:「涙のはぐれ鳥」「陽氣にうたえ」「春のサンバ」「唄入觀音經」「お山の杉の子」「みなし兒の歌」「小さな水たまり」「お小姓姿」「雲雀が歌えば」「案山子と田吾作」「あの丘越えて」「街に灯のとぼる頃」「東京キッド」「腹の立つときゃ」「別れのタンゴ」「夢のおもかげ」「ちゃっかり節」。作詞者:西条八十、藤浦洸、和田隆夫、米山正夫、門田ゆたか、菊田一夫。作曲者:万城目正、米山正夫、佐々木すぐる→『流れ星十字打ち』(原作:南条範夫、監督:渡辺実。林成年、水原浩一、大杉潤、安田祥、沖時男、南条新太郎、杉山昌三九、富田仲次郎、三田登喜子、春風すみれ、千葉敏郎、中村玉緒、東良之助、志摩靖彦、浜田雄史。1958、大映)。冒頭10分くらいで、以前観たことに気づいた(2023年6月13日)。最初に斬られる隠密が背中から斬られる際は左目に傷を負っているのに次の瞬間その傷は消えていて額右側から鼻の左側にかけて顔面を割られるとか、敵方の女隠密の腰元菊野(春風すみれ)が味方の腰元あい(三田登喜子の面持ちや姿格好が似ていてややこしいとか、津上国之介が川縁まで逃げてきたのにすんでのところで出ていってしまった船に敵方の大目付松平伊予(杉山昌三九)の娘ふさ(中村玉緒)が乗っていて戻ってくるとか、不思議な穴≠ノ今回は新たに気づいたが、まあその辺は瑣末か。前回の感想(下記)は変わらなかった「いったい手裏剣を何本持ち歩いているんだとか、ぱっと見たところ300対1の戦いになりそうで期待してたらただ逃げるだけとか、最終的には敵方の女に助けられるわその女は死なせてしまうわとか、意外なツッコミどころがいくつかあったのは面白かったし、忍び込んだ先で初めて会う隠密同士がなんだか同じ会社の違う部署から来た人同士みたいな会話だったのも可笑しかったが、なんというかこの映画の本質的なところでのこの映画ならではの面白さというのがよくわからなかった。主役の林成年に、大スターならではの過剰な要素がなかったからかなと思ったが、果たして」→ウインナーのトマトソーススパゲティベーコン乗せ(ニンニク)→『温泉みみず芸者』(監督:鈴木則文。池玲子、杉本美樹、松井康子、由利徹、川谷拓三、那須伸太朗、小池朝雄、小島慶四郎、芦屋雁之助、三原葉子、島田秀雄、女屋実和子、キャサリン・サリバン、沢淑子、葵三津子、千原和加子、大芝かほり、黒葉ナナ、大泉滉、団鬼六、田中小実昌、清水正二郎、佐藤重臣、菅原文太、岡嶋艶子、山城新伍、芦屋雁平、名和宏、岡部正純、大下哲矢、殿山泰司、関根永二郎。ナレーター:小松方正。1971、東映) 『温泉こんにゃく芸者』に続くシリーズ第四作にして、池玲子の映画デビュー作。池玲子に関して言えば、初出演/主演作にして他の登場人物を圧倒しており、鮮烈なデビューと言って差し支えないと思う(が、当時はどのように受け入れられたのだろうか)。物語は、先祖が蛸壺を発明し地元の漁師に恩恵をもたらしたことから、その家に生まれる女は代々蛸壺≠ニ呼ばれる名器を持って生まれる、という説明から始まる。その説明に際し、主役多湖圭子(池玲子)の母親初栄(松井康子)が「なにしろうちの御先祖様は、あの丘の上に祀られている多湖善兵衛様だからね。蛸壺を発明して漁師たちを儲けさせてやった御利益で、多湖家の女みんな、お前、蛸壺≠フ持ち主なんだよ。母ちゃんなんか12のときから鍛えてるからね、一度母ちゃんと寝た男はみんな参っちまうのさ」と無邪気に威張るのだが、その母ちゃんは、「男はみんな参っちまう」どころかねんごろになった男にことごとく騙され、有り金を奪われて、御先祖様の墓所も低糖に入っているという有様。そこで圭子が東京に出稼ぎに出て一度は金のなる木をつかむが、その「金のなる木」=トルコ社長の久兵エ(芦屋雁之助)は圭子の上で腹上死。圭子は流れ流れて伊豆の土肥温泉に辿り着き、そこでも名器≠武器に金を稼いだり流れの板前馬島敬太郎(小池朝雄)と恋に落ちたりしながら、最後は土肥温泉を荒らしに来た芸者引き抜きの無限精流の三人−−竿師段平(名和宏)、黒竿段吉(岡部正純)、ピストン健(大下哲矢)と、妹幸子(杉本美樹)を加えた多湖家三人との勝負に挑み、見事セックス試合≠ノ勝つ…… というもの。こうして書いていてもわけがわからないが(観ている分にはわかりやすいのだが)、鈴木則文がこのシリーズの監督を引き受けるに至って、このシリーズのバカバカしさが非現実の領域に入ってきた、というのが感想。山城新伍扮するオトナのオモチャ発明家広瀬が今ひとつ爆発しないのがやや残念だが(そしてシリーズ残り二本を観てみないと断言はできないが)、シリーズ最高作と言ってもよいのではなかろうか、と思った。ちなみに製作開始当初は、内容に即して「温泉たこつぼ芸者」という題名だったが、「みみず」になったのは企画に携わった岡田茂(当時は東映企画製作本部長。のちに社長)のゴリ押しだったそうだ(たこつぼは弱い、みみずのほうが当たる、という理由とのこと)。また池玲子にはプロデューサーの天尾完次によって「日本初のポルノ女優」というキャッチコピーがつけられ、池玲子は日本ポルノ女優第一号となった。ポルノという語自体も、本作によって一般的となったそうだが−− それにしても、本作では名優名和宏になんという役をやらせたのだろうか!(あと、藪の中でセックスする役人と藝者の股間に彷徨い込んだザリガニ?を取ってあげる男の役を、なぜ菅原文太が、それもノンクレジットで、やっているのだろうか)→晩の支度→柿ピー、たけのこソーセージとウインナー、コンビーフ入りポテトサラダ、鶏と大根とニンジンのカレーライス(牛乳仕立て)小皿、エゴマの葉煎酒漬け(胡麻油、酢、ちりめんじゃこ)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→なんだか妙にくたびれて(微熱も出た)、夜7時過ぎ就寝→三時間ほどで起床→『イン・ザ・ハイツ』(原題『In the Heights』、監督:ジョン・M・チュウ。アンソニー・ラモス、オリヴィア・ペレス、リン=マニュエル・ミランダ、ノア・カターラ、オルガ・メレディス、ジミー・スミッツ、ダフネ・ルービン=ヴェガ、ステファニー・ベアトリス、ダーシャ・ポランコ、グレゴリー・ディアス4世、コーリー・ホーキンズ、メリッサ・バレラ、マテオ・ゴメス、レスリー・グレイス、パトリック・ペイジ、マーク・アンソニー。2021、米Warner Bros.) プエルトルコにルーツを持つニューヨーク出身のリン=マニュエル・ミランダ(作詞・作曲・劇作・歌手・俳優・ラップなど)が構想と音楽製作を手掛けたミュージカル演劇(脚本はキアラ・アレグリア・フデス)の映画化。ミュージカル演劇の初演は2005年(コネチカット州ウォーターフォード)、その後2007年にオフ・ブロードウェイにて初演、翌2008年にはブロードウェイで初演され、トニー賞に13部門でノミネート( https://www.tonyawards.com/nominees/year/any/category/any/show/in-the-heights/ )/4部門受賞(2008。受賞はCHOREOGRAPHER賞/Andy Blankenbuehler、MUSICAL賞、ORCHESTRATIONS賞/Alex Lacamoire & Bill Sherman、ORIGINAL MUSICAL SCORE賞/Lin-Manuel Miranda。 https://www.tonyawards.com/winners/?q=in%20the%20heights )。また音楽はグラミー賞最優秀ミュージカル・シアター・アルバム賞にも輝いた(2009、第51回。 https://www.grammy.com/artists/lin-manuel-miranda/14941 )。大ヒット間違いなしの映画化ではあるが、しかしユニバーサル・ピクチャーズ(2008)、ワインスタイン・カンパニー(2016)での映画化はいずれも頓挫。特に後者はハーヴェイ・ワインスタインの性暴力・性的虐待問題が明るみに出たことで会社が経営困難となり、本作の映画化権利が手放され、ワーナー・ブラザーズが5000万ドルで権利を取得、本作の製作と紆余曲折があったそうだ。さて物語の舞台は、ドミニカ共和国、プエルトリコ、キューバ、メキシコなど南米からの移民が暮らす、ニューヨークのワシントン・ハイツ=Bここで父親から町のよろず屋(作中字幕では「コンビニ」)を受け継いだウスナヴィ(アンソニー・ラモス)、ウスナヴィの想い人でファッション・デザイナーになることを夢見るヴァネッサ(メリッサ・バレラ)、成績優秀でスタンフォード大学に進学するも学費と人種差別の問題から退学を悩むニーナ(レスリー・グレイス)、かつてニーナと相思相愛で現在はニーナの父親(ジミー・スミッツ)が営むタクシー会社で配車係として働くベニー(コーリー・ホーキンズ)の四人の若者の悩みや行動を中心に、彼らの仲間や彼らを見守る大人たちを含む町の住人らの様子を描くというもの。登場人物のほとんどが移民という立場で、それぞれ生活や将来に不安を抱えているわけだが、その割にはキラキラしていて、問題の解決もご都合主義的かなと思う部分も多かった。しかし観終えてみるとキラキラしているように見える登場人物もそれぞれ地べたで生きている人間≠ノ思えてきて、過剰に美化されているようなところは最終的にはあまり気にならなかった(犯罪者やギャング、ジャンキーの類が出てこなかったのには疑問が残るが。あと当事者≠フ目にはこの映画の中の世界はどう映るのだろうとは思った)。そしてなんといってもサルサほかラテン音楽にヒップホップ(ラップ)やソウル・ミュージックを織り交ぜて構成された音楽と歌が素晴らしい。とりわけ「四人の若者」の歌声と歌の表現が印象的で、それだけでも満足感を覚える映画ではあった(終盤で、町のみんなを見守ってきたキューバ移民の老嬢アブエラ−−オルガ・メレディス扮演−−が思い切った歌唱を聴かせてくれるのだが、これがまた素晴らしかった)。物語の細かいところや現実味をうるさく追わなければ、二時間半近く楽しませてくれる名作ミュージカルと思う。冒頭、ウスナヴィがドミニカの海岸と思われる場所で子供たちに物語を聞かせる、という態で話が始まるのだが、その「ドミニカの海岸と思われる場所」が実は…… という演出も心憎かった→鶏と大根とニンジンのカレー小皿×2、金宮お湯割り×2→午前2時半就寝。
5月3日(土) 朝7時半起床。白湯→コンビーフ入りポテトサラダ、鶏と大根とニンジンのカレーライス、エゴマの葉煎酒漬け、納豆、温泉卵→『瞼の母』(原作:長谷川伸、監督:加藤泰。松方弘樹、中村錦之助、瀬川路三郎、徳大寺伸、阿部九州男、中原ひとみ、夏川静江、尾形伸之介、浪花千栄子、星十郎、原健策、明石潮、山形勲、木暮実千代、大川恵子、河原崎長一郎、中村時之介、沢村貞子、赤木春恵。1962、東映)。脚色も加藤泰だが、原作との相違としては−− 1)序幕の第一幕「金町瓦焼の家」の前に、(おそらく)松戸宿での飯岡の助五郎(瀬川路三郎。原作には名前のみ登場)、突き膝喜八(徳大寺伸)、宮の七五郎(阿部九州男)と金町の半次郎(松方弘樹)(助っ人に番場の忠太郎=中村錦之助)の喧嘩の場面を挿入。2)「金町瓦焼の家」幕中での喜八七五郎と半次郎忠太郎との喧嘩が金町瓦焼の家≠フ前ではなく近くの薮に移動。半次郎の妹おぬい(中原ひとみ)と母おむら(夏川静江)もそこに着いていく。3)第三場「冬の夜の街」をカット。4)大詰の第一場「柳橋水熊横丁」に当たる部分を改変、飯岡一家が土地の親分仙台屋与五郎(明石潮)に助っ人を頼むが断られ、そこに素盲の金五郎(原健策)が付け入り浪人鳥羽田要助(山形勲。原作では第三場「荒川堤」にて登場)を伴って水熊に軍資金談判に行くという流れに。そこに夜鷹おとら(沢村貞子)が現れる。の、以上四点。また結末は異本(二)とは異なり、原作どおり半次郎とおはま(木暮実千代)の再会と和解はない。あと異本(三)では「明治二十六年六月、新国劇の明治座興行のとき、序盤の瓦屋の場を祭の日とし、水熊横丁と荒川堤に、鳥羽田要助を多分に出し」「純粋さを失ないし感あるによってこれを破り棄てることにした」とあるが、本作ではこの異本(三)の要素を活かす格好になっている。そうしたいくつかの相違点を除けば、まさに『瞼の母』そのもの≠ニいう映画であった。中村錦之助扮する番場の忠太郎の苦悩や頼り甲斐はもちろん、第二場「夏の夜の街」の唄好きの酔漢(星十郎)と銭を乞う老婆(浪花千栄子)とのやり取り、原健策と山形勲が扮する素盲の金五郎と鳥羽田要助のクズ男っぷり、沢村貞子扮する夜鷹のおとらの身の持ち崩しっぷり、忠太郎の実の母おはまの忠太郎への想いと今の暮らしを守りたい心情との間で引き裂かれれるような木暮実千代の芝居、いずれも見事であった。ここ数年の間では、歌舞伎(2017年12月。市川中車/坂東玉三郎)、映画『月夜の渡り鳥』(市村泰一監督。1963)、映画『番場の忠太郎 瞼の母』(稲垣浩監督。1931。弁士佐々木亜希子)、TVドラマ『長谷川伸シリーズ 瞼の母』(山下耕作監督。1973)を観ているが、生涯に観た『瞼の母』の中で、本作が一番、とも思った。そして、現代の若い俳優たちには、こういう仕事をする機会が訪れないのだなとも考え、ちょいと可哀想にも思った→油揚と葱の煮付け(おろし生姜)、柿ピー、胡麻つゆとろろそば(刻み海苔)、御酒×2→U字工事の旅番組見て笑う→午睡→夕方起床→老父がヨックモックを所望したので注文→風呂→『イン・ザ・ハイツ』再見→キャベツと小松菜とトマトとちりめんじゃこのサラダ、エゴマの葉天ぷら、鰯フライ、コロッケ、煮干し出汁殻唐揚げ、鰯骨煎餅、カボチャ素揚げ、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2、カリン金宮酎ハイ×2→夜0時就寝。
5月4日(日) 朝8時起床。白湯→わかめと油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→O形サイト更新→『必殺仕掛人』(原作:池波正太郎、監督:渡辺祐介。山村聡、田宮二郎、高橋幸治、浜田寅彦、川崎あかね、穂積隆信、青山宏、秋谷陽子、ひろみどり、津坂匡章、室田日出男、野際陽子、河村憲一郎、森次晃嗣、三津田健、岩崎和子。1973、松竹)。TVシリーズの大ヒットを受けて製作された劇場向け映画、ということだが、なぜか肝心の藤枝梅安が緒形拳ではなく田宮二郎、西村左内が林与一ではなく高橋幸治ということで、もちろん悪いわけではないのだが、企画としてどうなのかな、という疑問が先に立つ(音羽屋と岬の千蔵はそのまま山村聡と津坂匡章)。映画版は本作含め三作で、二作めと三作めは藤枝梅安が緒形拳、西村左内は役自体がなくて、林与一は小杉十五郎として出演している。そんなこともあり、本作の鑑賞はなんだか集中力を欠いてしまった。物語はおそらく原作をかなり踏襲していて(ちゃんと確認していないが、いくつかの話をひとつにまとめているのかもしれない)、それなりに面白い映画に仕上がっているのだとは思うし、田宮二郎もいい役者なのだが、やはりTVで緒形拳の梅安に親しんでしまうと、田宮二郎ではちょいと物足りない。結局、悪女お吉を演じた野際陽子が、ふと(ご本人そのままの)いい人≠フ一面を覗かせるのが、最も印象に残った次第であった→柿ピー、煮干し出汁殻唐揚げ、ベーコンと葱入り炒り卵、おろしそば(ちりめんじゃこ)、ビール中瓶×1、御酒×2→午睡→風呂→『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』(原作:池波正太郎、監督:渡辺祐介。緒形拳、ひろみどり、林与一、小池朝雄、佐藤慶、津坂匡章、生井健夫、穂高稔、松尾嘉代、山村聡、野村昭子、津田京子、明石潮、城所英夫、湊俊一、村上記代、志賀真津子、岩崎和子、中田耕二。1973、松竹)。なぜ一作め『必殺仕掛人』に緒形拳と林与一を起用しなかったのか−− という疑問のみが残る傑作。監督も同じ渡辺祐介だが、製作にかける意気込みがまったく違う印象を得た。小池朝雄と佐藤慶のお陰もあるとは思うが、本作を設計する上での覚悟が、『必殺仕掛人』とはまったく異なると思った。たとえば序盤で、長屋のおかみさんたちを撮るのにまずひとりの尻のアップから撮って、そこに梅安が登場して軽口を叩くといった明るい場面の塩梅からして、『必殺仕掛人』とは違う。ちょっと残酷なくらい、監督その他製作陣の取り組み方が違うように思った。作品自体とは関係ないが、備忘として記録しておくと、録画状態が悪かった(ブロックノイズ多数)なのが残念→トマトチーズ、小松菜とベーコンの炒め、長芋とろろ、海苔チーズ(コンビーフ、ちりめんじゃこ)、わかめと油揚のおつけ、豆茶飯半膳→ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×3→『精霊のささやき』と『必殺仕掛人 春雪仕掛針』それぞれ途中まで→午前2時過ぎ就寝。
5月5日(月) 朝9時起床。白湯→宿酔につき午前中横臥→昼頃、わかめと油揚のおつけ、豆茶飯、ちりめんじゃこ→『必殺仕掛人 春節仕掛針』(原作:池波正太郎、監督:貞永方久。地井武男、竜崎勝、夏八木勲、岩下志麻、緒形拳、山村聡、花澤徳衛、林与一、村井国夫、ひろみどり、佐々木孝丸、橋長英。1974、松竹)。映画シリーズ第三作にして最終作。一作めが(私にとっては)やや低調、二作めでキャストがTVシリーズに戻り飛躍、で、本作にて(監督が変わったこともあるのか)仕掛がもちろん大きな要素ながら人間模様の機微の手応えも加わり映画シリーズとしても安定してきた、とは思ったが、やはりすでにTVシリーズで33話作られているだけに、映画のシリーズ化はあまり考えられなかったのだろうか(推測でしかないが)。本作では岩下志麻扮する盗賊の頭千代の、悪いことをやっているという自覚がないように見えていい人間である一面も顔を覗かせる葛藤のようなものの表現が印象に残った。ちなみに原作『仕掛人・藤枝梅安』にも「春雪仕掛針」という一話があるが、本作は映画のためのオリジナルストーリーで、千代や喜之助(佐々木孝丸)は『鬼平犯科帳』から借りてきた登場人物とのこと→『精霊のささやき』(監督:植岡喜晴。つみきみほ、ひさうちみちお、加藤賢崇、谷啓、斉藤洋介、小笠原大輔、加藤治子、植木等、范文雀、森本レオ、千石規子、倉田れい。1987、エクゼ=渡辺プロダクション製作/エクゼ=シネセゾン配給)。懐かしい、というか、封切り時に観たな、というだけで観てみた次第。味わいとして、80年代なりの恥ずかしさは感じたが、そんなに時代性というかあの時代ならでは、という雰囲気は感じなかった(配役も、この時代なりの人選もありそういうクセがあるかと思ったが、そうでもなかった)。心を閉ざした人たちが住まう森の奥の雪に閉ざされた洋館〈ミモザ館〉に、ひとりの少女(つみきみほ)がやってきて、その明るさと屈託のなさでみなの心を開き、心に灯りを灯していく、という物語だが、ちょっと考えると明るくて屈託のない少女が何故「心を閉ざした人たちが住まう森の奥の雪に閉ざされた洋館」に移住してくるのかは、不思議と言えば不思議。それと、それぞれいろいろな事情から心を閉した人たち−−加藤治子と植木等が扮する夫妻、谷啓扮するテューバ吹き、斉藤洋介扮するトマト作り、加藤賢崇扮するなんだかわからない人、かの香織扮する拒食症の女性、小笠原大輔扮する心を開かない少年−−の背景がよくわからない、想像しやすい人もいればそうでない人もいる、という点もいささかモヤモヤするが、その二点に拘らなければ、つみきみほが住人たちの夢に入り込んでいく際のシュールレリスティックな展開や描写も含めて、幻想的で心温まる物語に仕上がっていると思う。加藤治子と植木等が扮する夫妻が歌≠取り戻すくだりは感動的だったし、おそらく本作で最も有名であろう滝の場面は美しかった。少しばかりゲームを映画化した≠謔、な印象もあったかな。なお国立映画アーカイブの紹介文によれば、「関西を拠点に自主映画を製作していた植岡喜晴は飄々としたユーモア溢れる独特な世界観に定評があり、8mm作品『夢で逢いましょう』(1984)が評価されたことをきっかけに、約3年間温めていた企画が初の商業映画として結実した」とのこと( https://www.nfaj.go.jp/program/yukeru202305-40/ )→山かけそば(刻み葱、生卵)→『必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜』(監督:石原興。藤田まこと、山田五十鈴、白木万理、菅井きん、山内としお、藤岡重慶、樋口隆則、遠藤太津朗、堺左千夫、樹木希林、水前寺清子、郷輝彦、鮎川いずみ、村上弘明、小松方正、京本政樹、火野正平、ひかる一平、梅津栄、イアン・ペルーマン、板東英二、井上ユカリ、秋川リサ、ション・タナー、ワーリック・ダネット、レアン・アームス、ガーソン・バンスタイン、マーチン・レオード。ナレーター:中村梅之助(オープニング)、玉井孝。1985、朝日放送、松竹製作/テレビ朝日系列放映)。TVシリーズの『必殺仕事人V』の序章に当たるスペシャル版(第五弾)で、『必殺仕事人V』から登場する組紐屋の竜(京本政樹)と花屋の政(村上弘明)の紹介(本作で主水、加代、おりくが竜、政と知り合う)も担っている。そんなところから、仕事人一行が江戸〜利根川から32年後のアメリカ・モンタナ州に時空を超えて移動する≠ニいう荒唐無稽な大花火を打ち上げた、という趣の作品だが、しかしながら「32年後のアメリカ・モンタナ州に時空を超えて移動」という設定の意義や面白さが、最後までわからなかった。まあ面白ければいいのだが、そう面白かったわけでもなく、下総から仕事を頼みにくるお鹿(水前寺清子)、次郎衛門(西郷輝彦)がアメリカにいる/来るのも中途半端。イントロダクションでは映されていた鮎川いずみの西洋下着姿≠ェ本編ではなかったのも残念。そして、1876年のリトルビッグホーンの戦いをネタにしているから仕方がないのだろうが、製作年である1985年の出来事がまったく反映されていない(タイムマシンを主題にした映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開されてはいるが、おそらく関連はないだろう)のにも不満を覚える。頭の中でアメリカのパートをカットして、利根川の場面からそのまま下総での仕事の場面へと編集すれば、笹川の繁蔵(藤岡重慶)、飯岡の助五郎(遠藤太津朗)、平田深喜(樋口隆則)らを殺す場面の鮮やかさが印象に残り−−とりわけおりく(山田五十鈴)と主水(藤田まこと)−−、満足感を得ることはできるか。備忘として記しておくと、本作にも登場したひかる一平扮する西順之助は、「異色の受験生仕事人」として、『必殺仕事人III』(1982〜1983)にて初登場。本作に続く『必殺仕事人V』でも引き続き活躍している→『十九の春』(監督:尾崎甫。神楽坂浮子、清川新吾、森川信、伊沢一郎、水原真知子、春日千里、故里やよい、瀧花久子、井川邦子、仲原雅二、北龍二。1956、松竹)。父宅蔵(北龍二)が藝者ゆう(井川邦子)を妾に囲ったため、宗方家の生活は苦しく、長女糸子(故里やよい)の会社同僚佐伯(仲原雅二)との縁談も破談になってしまう。長男春太(清川新吾)はそのため藝者という存在を憎むようになるが、アルバイト先のスケートリンクで仲良くなった女学生妙子(神楽坂浮子)は実は藝者の卵。そのことでふたりの間に軋轢が生じ、青春に苦悩が訪れる−− 最終的には、春太の胸の内を知ったゆうが宅蔵と別れ(再び藝者として座敷に出る決心をする)春太に藝者の真心≠ノついて話し、妙子を可愛がる会社社長高山(伊沢一郎)の導きもあって春太は自分の妙子への愛情を再確認。また糸子の縁談も仲人が勝手に断ってきたことがわかり、佐伯とも和解。物語は大団円を迎える。ゆうにほっぽり出された格好の宅蔵のその後については語られないが(どのツラ下げて家に戻るのか)、少年がひとつ大人になる様を丁寧に描いた佳作と言ってよいかもしれない(ちなみに脚本は橋田壽賀子)。役者たちの藝については印象に残ったり胸を打たれるものはあまりなかったが、幇間役の森川信はさすが、であった。ところで左記のごとく、[]︎私があなたに惚れたのは〜 の「十九の春」ではなかったのだが(この歌の映画化と思って観始めた)、同じ松竹で1933年に『十九の春』という映画が撮られている(五所平之助監督)。しかしこちらは内容不明→『大江戸評判期 美男の顔役』を途中まで→ちりめんじゃこ、コンビーフ、柿ピー、ビール中瓶×1→夜10時就寝。
5月6日(火) 午前2時起床。ビール中瓶×1→『大江戸評判記 美男の顔役』(監督:沢島忠。堺駿二、五里兵太郎、里見浩太朗、渥美清、尾形伸之介、吉田義夫、有馬宏治、春海洋子、藤田佳子、長島隆一、花園ひろみ、加賀邦男、大川橋蔵、山形勲、田中春男、清川虹子、桜町弘子、山城新伍、水木淳子、阿部九洲男、沢村宗之助、星十郎、大丸巌、青柳竜太郎、大井田勝太、汐路章、小森敏、片岡半蔵、浪花千栄子、千原しのぶ、月形龍之介。1962、東映)。『天保六花撰』を下敷きにした明朗快活なドタバタ時代劇、という趣(ただし森田屋清蔵、三千歳に相当する役は出てこない)。勝手に題をつけるとするならば、直の出世∞彦六娘お八重奪還≠フ二幕もの、という感じか。序盤の、暗闇の丑松(渥美清)の八百長から田舎爺の彦六(有馬宏治)の救助といった辺りはややガチャガチャしているが(ここも含め渥美清の見せ場は多い)、片岡直次郎(里見浩太朗)の母おもん(浪花千栄子)が河内から出てくることになり出世したという体裁を整えなければと河内山宗俊(山形勲)に金子市之丞(大川橋蔵)に丑松、そして彼らに近しい女性たち(清川虹子、花園ひろみ、桜町弘子など)が協力していく辺りから、映画は次第にまとまってきて、笑いと活劇が炸裂、という具合であった。花園ひろみが寄り目になってから庭の池の中に卒倒するといったちょっとした笑いも多いが、あるいは屋敷を無断利用された中野碩翁=月形龍之介とそのお付きの小春=千原しのぶが、おもんの強引な誘いで河内の盆踊りを神妙な面持ちで踊らされるのも地味に可笑しい。そして直次郎とおもんの再開、阿部伊勢守(阿部九洲男)の元で軟禁状態の彦六の娘お八重(水木淳子)の救出からおもんと市之丞の心の交流といった終盤は涙を誘う。ガチャガチャしているようで計算されているようでもある設計(たとえば碩翁の屋敷に巣食っていた乞食たちがすぐに直次郎のためのニセの大名行列に利用されるとか、渥美清が冒頭で操る磁石が終盤でも再び登場するとか)、渥美清や浪花千栄子の藝、金子市之丞に扮する大川橋蔵のやさぐれているようできちんと侍の作法や口調も扱えるところなどなど、印象に残る要素も多岐にわたっている。場面にもよるが、いろいろな光を駆使した絵造りも美しい。また落語の味わいもあるように感じた。音楽をきちんと味わわなかったが、ときおり新鮮な和声が用いられているのには気づいた。知らなかったことが恥ずかしくらいの傑作娯楽時代劇と思う→大根と油揚のおつけ→朝7時就寝→朝10時起床→大根と油揚のおつけ、卵かけご飯(塩昆布)、海苔→『尼僧物語』(原作:キャスリン・ヒュウム『The Nun's Story』、監督:フレッド・ジンネマン。オードリー・ヘプバーン、ディーン・ジャガー、ジャネット・スターク、リチャード・オサリヴァン、マリナ・ウォルコンスキー、パトリシア・コリンジ、ミルドレッド・ダノック、パトリシア・ボスワース、ナイアル・マクギニス、ライオネル・ジェフリーズ、マーガレット・フィリップス、ビアトリス・ストレイト、コリーン・デューハースト、モリイ・アークハート、ペギー・アシュクロフト、オーランド・マーティンズ、ドロシー・アリソン、ピーター・フィンチ、フランシス・デイミア、エロール・ジョン、ダイアナ・ランバート。1959、米Warner Bros.)。自らの意思で修道院に入りカトリックの教えにしたがってよい尼僧になろうとした女性の、信仰と医療に従事する現実との間での葛藤、ついに還俗するまでの17年間を描いた、実在の女性マリー=ルイーズ・アベ(ベルギー人。1905〜1986)の半生を描いた同名小説に基づく映画。細かいところを除けば、ベルギー領コンゴの宣教病院への派遣、結核感染、第二次大戦下でのベルギーへの帰国と父親の死、レジスタンス活動への関わり、宗教的誓約の免除の申請などはほぼ事実どおりのようだ(ただし映画ではレジスタンス活動への興味は描かれるが直接の関わりは描かれない)。カトリックが(いやすべての宗教かもしれないが)内包するサディズム/マゾヒズム−−特別なことではなく、信仰の中での当たり前のこととして行われている−−の描写や、人間が人間を救うという局面での宗教/信仰の存在意義や無力さというものを突きつけてくる映画、と私は受け取った。オードリー・ヘップバーン扮する主人公のガブリエル(シスター・ルーク)が、コンゴで外科医フォルテュナティ(ピーター・フィンチ)の助手となった際にフォルテュナティから言われた「君は人間的だ/だから患者に好かれる/自分の考えを持っている/修道院の期待する尼僧ではない/それが君の本当の病気だよ」という言葉が印象に残る→スパゲティ・ミートソース(レトルト。小松菜、ニンニク)、丸パン半ケ、エゴマの葉みじん切り(酢、オリーブ油、煎酒)。ミートソースは先日〈紀ノ国屋〉で買い求めた、エム・シーシー食品という会社の「LACUCINA ボロニア風ミートソース」というレトルト食品だが、ミートソースというには挽肉の量が少なく、トマトソースの出汁に挽肉を入れた、という趣だった。値段なりと思うが、ちょいと残念→『花の折鶴笠』(監督:河野寿一。有馬宏治、大川橋蔵、桜町弘子、品川隆二、本郷秀雄、北条きく子、中村是好、橋幸夫、吉田義夫、多々良純、千秋実、佐藤慶、石黒達也、伊東亮英、水野浩、浪花千栄子、明石潮。1951、東映)。気ままな旅を続ける風来坊の苫の半太郎(大川橋蔵)が、女道中師土筆のお芳(桜町弘子)がスッた大金を知らないうちに預けられたことから、その金の持ち主である江戸の大店鳴海屋の盲目の娘お菊(北条きく子)を助けることに。お菊は改心したお芳によって無事江戸に送り届けられるが、お菊が大店の娘であることを知った博徒らがお菊を助けたのは自分たちだ≠ニ、鳴海屋に乗り込む−− という物語で、大川橋蔵の大暴れあり、北条きく子との恋の鞘当てあり、又旅もの/ロードムービー的な楽しさもある娯楽時代劇なのだが、たとえば序盤の30分で起きることといったらお芳による大金の盗難、苫の半太郎による卵泥棒、逢田村の目吉(吉田義夫)と新田の丑松(多々良純)によるお菊の拐かしくらい。中盤、後半もテンポは変わらず、全体に間延びしたような印象。これは元の脚本がよくないのかなと思って観ていたが、確認するともともとは犬塚稔の脚本を長谷川一夫が最初に映画化、大川橋蔵も舞台にかけていた演目だそうだから、脚本が悪いということもなさそうだ(ただし大川橋蔵の舞台については上演年月日や劇場などは未確認)。直前に『大江戸評判記 美男の顔役』というよくできた作品を観ていた所為だろうか、あるいは私の味方が根本的に間違っているのだろうか、最終的には大川橋蔵がずっと酔っ払っている映画≠ニいう印象が最も残った。お菊の妄想によって風来坊の半太郎がお殿様≠フ姿で現れ歌い踊る場面などは、なかなか面白かったのだが。ちなみに本作は橋幸夫が主題歌(映画と同名)を歌っていて、半太郎と同様の旅鴉として出演もしているのだが、最初と終盤と最後に少し出てくるのみ。あまり印象には残らなかった→花巻そば→風呂→『永遠に美しく…』(原題『Death Becomes Her』、監督:ロバート・ゼメキス。メリル・ストリープ、ブルース・ウィリス、ゴールディ・ホーン、ナンシー・フィッシュ、ミシェル・ジョンソン、イアン・オギルビー、メアリー・エレン・トレイナー、アダム・ストーク、イザベラ・ロッセリーニ、ロン・ステイン、ボニー・カフーン、ステファニー・アンダーソン、ボブ・スウェイン、エリック・クラーク、デイヴ・ブロック。1992、米Universal Pictures)。仲がいいように見えて男関係が原因で不仲でもあるふたりの中年女性−−落目の女優マデリーン(メリル・ストリープ)と職業不詳のヘレン(ゴールディ・ホーン)−−が、互いに不死の秘薬(決して不老ではない)≠手に入れたことから起こる騒動を、ブラックユーモアを交えて描いたコメディ。序盤はヘレンのフィアンセである美容外科医アーネスト(ブルース・ウィリス)をマデリーンが(仕事は落目なのに)奪うところから始まり、ショックを受けたヘレンは激太り〜失業〜精神病院に入院と落ちぶれていくが、ある日とつぜん見違えるように美しくなり、美容術の本を出版。それに対抗心を燃やしたマデリーンは懇意にしているエステ会社社長シャガール(イアン・オギルビー)の紹介でリスル・フォン・ローマン(イザベラ・ロッセリーニ)なる怪しげな女性を訪ね不死の秘薬≠手に入れるが、飲むと階段から転落しても死ぬことこそないが、一度死んだ状態になった肉体は徐々に崩れていく。今や死体修復師に落ちぶれたアーネストがスプレーペンキなどを駆使して取り繕うが、実はヘレンも同じ秘薬で若さを取り戻していたのであった…… そこまでは意外にテンポが悪く、せっかくの名優が揃っているのになんだかモタモタした印象だったが、ここから始まる殺し合いはけっこう楽しかった。とはいえ、前半のモタモタ具合が全体の印象に響いてしまったかな。終盤のパーティでプレスリー、グレタ・ガルボ、マリリン・モンロー、アンディー・ウォーホル、ジェイムズ・ディーン、ジム・モリソンが永遠の若さを得た£名人としてほんの一瞬ずつ姿を見せるなどニヤッとさせられる工夫やアイデアも多かったのだが、ちょいと残念→菊水堂ポテトチップス、鶏粥(ニンジン、生姜)、酢昆布、ビール中瓶×1、金宮お湯割り×1→午前2時就寝。
5月7日(水) 朝7時半起床。白湯→大根と油揚のおつけ、鷄粥(かつ節)→エアコンフィルター掃除→〈代一元〉にて昼。餃子3ケ、ソース焼きそば、ビール中瓶×1→〈春日屋〉でO形と別れ、〈大橋とうふ〉〈土井商店〉と回ったが振られ、〈セブン-イレブン〉にて〈Tower Records〉の荷物(映画『バービー』のBlu-Ray)受け取って帰宅。〈春日屋〉でふと思いついて丸鶏について尋ねてみたところ、中二、三日で取り寄せ可能とのこと。もっと早く聞いておけばよかった→午睡→Tシャツ、スウェットシャツ類の入れ替え。快適になった。作業時間は30分もかからないのだから、季節ごとにさっさとやればよいのだ→『アリスの恋』(原題『Alice Doesn't Live Here Anymore』、監督:マーティン・スコセッシ。ミア・ベンディクセン、エレン・バースティン、アルフレッド・ルッター、ビリー・グリーン・ブッシュ、レリア・ゴルドーニ、オーラ・ムーア、マレー・モストン、ハーヴェイ・カイテル、レーン・ブラッドバリー、ヴィック・テイバック、ダイアン・ラッド、ヴァレリー・カーティン、クリス・クリストファーソン、ジョディ・フォスター。1974、米Warner Bros.) マーティン・スコセッシの、日本初公開作品。少女の頃に歌手を目指し、実際に歌手として活動した経験も持つアリス(エレン・バースティン)は、どこにでもいるような粗野な男ドナルド(ビリー・グリーン・ブッシュ)と結婚し息子トミー(アルフレッド・ルッター)を儲け、ニューメキシコ州ソコロで暮らしていた。ある日ドナルドが事故で亡くなり、アリスは生活の糧を得る必要もあり、トミーを連れて故郷カリフォルニア州モントレーへと戻りながら、歌手として立つ道を探る。旅の途中アリゾナ州フェニックスにて、いったんは歌手の口も見つかり、ベン(ハーヴェイ・カイテル)という新しい男も得るが、しかしベンはドナルドに輪をかけて暴力的だったため、アリスとトミーは急いで町を去る。トミーの小学校への進学なども迫り、背に腹は変えられず、アリスはいったんは歌手の道を諦め、アリゾナ州ツーソンのダイナーでウェイトレスの仕事に有り付く。新しい友人−−フロ(ダイアン・ラッド)、ヴェラ(ヴァレリー・カーティン)−−や男デヴィッド(クリス・クリストファーソン)に出会い、紆余曲折もありながら、ツーソンに根を下すことを決意する。言ってしまえば地味で生活苦を抱えた中年女が、新たなしかし地味でどこにでもあるような生活を獲得していく様を追っただけの物語ではあるが、どこにでもいるような人たち(女性たちがみな寂しそうである)とその生活を現実よりもほんの少しだけ魅力的に描いたような脚本、演出、芝居がなんといえず心に染みる。アメリカ人にも人情というものがあるのだな、という変な感心も覚えたし、最初は中の悪かったウェイトレス仲間たちがものすごくくだらない肛門期的物言いがきっかけで仲よくなるくだりなども面白い。また主軸はアリスの物語でありながら、反抗期を迎えた息子トミーの成長の物語でもある点、やはり脚本がよくできているなと感心した。名作と言ってよいのではないかと思う。アリスはもうここ(今までの生活)にはいません≠ニいう意味合いを示しているであろう原題もよい→割れ煎餅、菊水堂ポテトチップス、ちりめんじゃこ、なめこそば(葱小口切り、生卵)、ビール中瓶×2、御酒×2→夜8時半就寝。
5月8日(木) 深夜起床→『どくろ銭』(原作:角田喜久雄『髑髏銭』、監督:倉田凖二。岡田奈々、江幡高志、北大路欣也、土屋嘉男、藤岡琢也、田中明夫、新藤恵美、西沢利明、根本律子、増田順司、小沢寿美恵、長谷川哲夫、内田稔。ナレーション:芥川隆行。1984、オフィス・ヘンミ、フジテレビ製作/CX系列放映)。原作は「『髑髏銭』などの奇想作品を発表、国枝史郎ともに「伝奇小説」というジャンルを生み出した」(Wikipediaより引用)と評される伝奇小説の嚆矢的作品なのだが、本作は伝奇≠ニいう言葉の印象とは異なるような、なんだか明るくほのぼのとした印象だった(むろん伝奇≠ェすなわちおどろおどろしい話と限るわけでもないわけだが)。その印象は、主に切迫した様子をほとんど感じさせない岡田奈々(偶然「髑髏銭」を巡る暗闘に巻き込まれる武家の娘お小夜役)の佇まいと、妙に平坦で明るい照明によるものと思う。ちなみに岡田奈々の本作以前の出演作を確認してみると、映画では『隠密同心 大江戸捜査網』(1979)、TVドラマでは『遠山の金さん』(第2シリーズ。1979)、『吉宗評判記 暴れん坊将軍』(1979)、『長七郎天下ご免!』(1980)、『桃太郎侍』(1980)、『和宮様御留』(1981)、あるいは本作含むフジテレビの時代劇スペシャル数作(1981〜1984)に出演しているから、時代劇に慣れていないというわけでもないだろうが、本作の重要人物のひとりである柳沢吉保(西沢利明)のじゃじゃ馬の娘檜(根本律子)と並んで、時代劇を時代劇と感じさせないような$テかな破壊力を発揮していたように思う。その存在が、主人公神奈三四郎の北大路欣也、敵役の銭酸漿の土屋嘉男らの重々しさを差し置いているところは(裏の顔を持つ坊主念仏の仙十郎に扮した藤岡琢也は飄々とした軽さのみを表現していたようだが)、却って面白みになっていたような気もしないでもない。出来のいい作品とは思わないが嫌いではない、というか、嫌いではないが出来のいい作品とは思わない、というか、言葉の順序で感想の意味合いが変わるのだが、どちらにも決めかねるという感じか。将軍綱吉があっさり生類憐れみの令の廃止を口にするとか(原作ではどうだったのだろう?)、原作では檜が三四郎の長屋に押しかけてバカ丁寧な口調で飯の炊き方を問う(落語「たらちね」のような)箇所があるのにカットされていたり、ということを考えると、「嫌いではないが」のほうが先かな。いや原作をちゃんと読んで比べてみると、案外原作の雰囲気を踏襲しているのかもしれない→もやしと胡瓜とピーマンと玉葱のサラダ、カボチャとチーズのサラダ、即席ラーメン(マルタイ胡麻醤油。酢、海苔)、ビール中瓶×2→朝5時半就寝→朝8時起床→じゃがいもと葱のおつけ(とろろ昆布)、鷄粥(酢昆布、ちりめんじゃこ)→午前中特になにもせず→シャワー→老父の用事の前に深大寺に寄り昼。〈玉乃屋〉にて太打ち田舎→〈サミット〉にて買い物。時間余ったのでガソリン補給→〈所澤クリニック〉付き添い→父を送り届けたあと、〈はま寿司〉に寄ってO形が注文しといてくれた分受け取り→帰宅して割れ煎餅、新玉葱と胡瓜のサラダ、寿司(まぐろ、活〆はまち、活〆まだい、大葉漬けアカイカ、しめさば、宮城県産とろいわし、真あじ各2ケ)、ビール中瓶×1、御酒×2→夜7時半就寝。
5月9日(金) 深夜起床。白湯→『ピラニア軍団 ダボシャツの天』(原作:政岡としや『ダボシャツの天』、監督:山下耕作。菅貫太郎、根岸一正、岩田直二、小林稔侍、川谷拓三、岩尾正隆、夏八木勲、竹田かほり、あき竹城、北村英三、小松方正、深江章喜、広瀬義宣、室田日出男、疋田泰盛、志賀勝、橘麻紀。1977、東映)。東映所属の大部屋俳優にして斬られ役・殺られ役・悪役・敵役を担当した役者集団「ピラニア軍団」の名前を冠した唯一の映画。政岡としやの漫画を原作に、政岡としやの希望によって川谷拓三を主役の松田天に据え、ピラニア軍団の面々が出演−−天が憧れるヤクザの兄貴だが所属する上方会では下っ端の後白川錦三に夏八木勲、同じく上方会下っ端の豆吉に根岸一正、上方会会長(岩田直二)が出所する際の看守役に小林稔侍、上方会が敵対する大市組の花木に岩尾正隆、天が保護する田舎娘夏(竹田かほり)をナンパするダンプ運転手に広瀬義宣、錦三と敵対する関係だが心を通わせる鉄砲玉の岡田半次に室田日出男、立ち小便での小競り合いがきっかけで錦三を付け狙う労働者清に志賀勝、そして清の妻ちどりに橘麻紀。ほかに高月忠、白井孝史、司裕介、松本泰郎、志茂山高也、野口貴史、片桐竜次、成瀬正らが顔を出している。物語は大阪の上方会、大市組、神組、そして九州の暴力団(組名不明)の抗争の中で、町のチンピラの天が本物の極道になろうと足掻き利用される中で、奇妙な友情や人と人との心の交わりが描かれるというものだが、全体にはゴチャゴチャした感じで、ただただ川谷拓三、夏八木勲、小松方正(夏が務める喫茶店のキザなマスター役)、室田日出男、志賀勝の存在と芝居を楽しむ、というだけの作品に感じたが、果たして。多少役に立った働きをしたくらいでは一人前と認めてもらえない下っ端ヤクザの悲哀はたっぷり感じさせられたし、終幕で、九州での抗争の勝利に一役買ったものの未だ一人前のヤクザにしてもらえない天が、通天閣を仰ぎ見ながら「通天閣のようにまっすぐ天まで伸びたんどー」と言うところの天までといいながら通天閣止まりか≠ニいう可笑しさはなかなかだった。あと些末なことだが、九州小倉での出入り直前のパチンコ屋の場面で、山口百恵「横須賀ストーリー」のディスコ調カバーがかかっていたのに興味を引かれた。ちなみに本作は『北陸代理戦争』の併映だったが、Wikipediaによれば「不入り」だったとの由(『北陸代理戦争』も、傑作なのに、いろいろな要因が重なり動員は振るわなかったそうだ)。それもあり、また役者が集団を作ったり、裏方が表に出たりするのはどうか≠ニいう疑問がメンバー内や周囲の役者から呈されていたことも影響したのか、次回作として予定されていた『ピラニア軍団 六連発愚連隊』は製作中止となり、名前が知られ独り立ちするメンバーも増えてきたピラニア軍団も1980年代に入ってから自然消滅した→じゃがいもと葱のおつけ(揚げ玉)、納豆巻き3ケ、ビール中瓶×1→午前中横臥→『資金源強奪』(監督:深作欣二。川谷拓三、室田日出男、北大路欣也、太地喜和子、名和宏、今井健二、安部徹、天津敏、北村英三、梅宮辰夫、渡辺やよい、山城新伍、成瀬正孝、松方弘樹、芹明香。1975、東映)。主演である北大路欣也をして「僕と拓三さんと室田さんが主役で...簡単に言ってしまえば拓三さんの出世作だと思いますよ。素晴らしい映画です」(杉作J太郎、植地毅『仁義なき戦い 浪漫アルバム』。Wikipediaより引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/資金源強奪 )と言わしめた作品。脚本(高田宏治)の面白さ、演出のスピード感、川谷拓三、室田日出男、北大路欣也、太地喜和子、名和宏、今井健二、梅宮辰夫らの芝居の切れ味と迫力、どれを取っても素晴らしい。盗られても警察には訴え出ることができないヤクザの賭博師金≠を奪うというアイデアもいいし、そこに至る経緯も端的かつ説得力を感じた。後半やや展開がもたついたように感じたのと(もたついたというか、前半のスパッスパッと小気味よく話が進むテンポと比べると、粘っこくなったというか)、北大路欣也扮する清元武司−−冒頭で敵の親分を射殺し八年間服役するも、出所しても報われず、さらに女(静子:太地喜和子)を兄貴分の国吉稔(名和宏)を奪われてしまう−−の性格や知能が場面ごとにぶれがあるように感じたのがやや残念だったが、東映ヤクザ映画の中では(客の入りは悪かったようだが)傑作、それも上位の部類に入るのではないかと思う。終盤で単なる通りすがりの女性として登場する芹明香の存在が意外な効き方をしていたのも印象に残る。なお本作も『ピラニア軍団 ダボシャツの天』と同じく、東映チャンネルの『結成50周年記念【特集 ピラニア軍団の軌跡】』の一作として観たので、一応本作に出演するピラニア軍団メンバーを挙げておくと−−川谷拓三、室田日出男、成瀬正孝、岩尾正隆、松本泰郎(順不同)→煮込み稲庭うどん(豚こま、もやし、青葱、生姜、ニンニク)→シャワー→夕方渋谷に出て(昨日老父がもう使わないとPASMOをくれたので、小田急線にて初交通系ICカード体験)、初訪問の〈ジャズバー琥珀〉にて、HAJIME & OJI feat. 木村陽一−−小林創(p)、木村おおじ(ds, vo)、木村陽一(vo)、田村麻紀子(cl, vo)−−を鑑賞。いつも通りBe-Bop以前のジャズ(ニューオリンズ含む)を現代に甦らせる演奏を堪能。木村おおじの父君である木村陽一−−御歳87。日本のジャズの生ける伝説−−の歌を初めて拝聴したが、本場アメリカ仕立て、ニューオリンズ仕立てのショーマンシップ溢れる歌の藝が素晴らしかった。楽しくて笑い、そしていつの間にか泣いていた。演奏曲目は下記のとおり。
01 As Long As I Live (Harold Arlen 1934)
02 I've Got A World On A String (Harold Arlen 1932) V0: 木村おおじ
03 It's Only A Paper Moon (Harold Arlen 1932) Vo: 田村麻紀子
04 A Pretty Girl Is Like a Melody (Irving Berlin 1919) Vo: 木村陽一
05 Blueberry Hill (Vincent Rose 1940) Vo: 木村陽一
06 I'm Making Believe (James V. Monaco 1944) Vo: 木村陽一
07 Smiles (Patti Page 1959) Vo: 木村陽一
08 Honeysuckle Rose (Fats Waller 1928)
09 Ain't Misbehavin' (Fats Waller 1929) Vo: 田村麻紀子
10 Keepin' Out of Mischief Now' (Fats Waller 1932) Vo: 木村陽一
11 I'm Crazy 'bout My Baby (Fats Waller 1929) Vo: 木村陽一
12 Poor Butterfly (Raymond Hubbell 1916) Vo: 木村陽一
13 Under a Blanket of Blue (Jerry Livingston 1933) Vo: 木村陽一
14 I'll See You in My Dreams (Isham Jones 1925) Vo: 木村陽一 Tb: 久保敦
enc What a Wonderful World (Bob Thiele a.k.a George Douglas 1967) Vo: 木村陽一
飲食は、ミックスナッツ、カレーライス、生ビール中ジョッキ×1、ジントニック×3。カレーライスは普通においしい、という感じだった。ジントニックは甘くなくてよし→メンバーにご挨拶しおいとま。平和に電車で帰宅→明朝の粥製作→風呂→『河内のオッサンの唄』途中まで観ながら、ビール中瓶×2弱→午前3時半就寝。
5月10日(土) 朝8時起床。白湯→じゃがいもと葱のおつけ、豚こま粥(ちりめんじゃこ、ニンジン)、エゴマの葉と白髪葱の醤油漬け→『河内のオッサンの唄』(監督:齋藤武市。室田日出男、志賀勝、川谷拓三、夏純子、花柳幻舟、榎木兵衛、原恵子、西山嘉孝、清水美恵、ミヤコ蝶々、佐藤晟也、亀山達也、ミス花子、岩城滉一、奈美悦子、フラワーキッス、田中浩、今井健二、日尾孝司、青木卓、横山繁、平尾昌晃、ガッツ石松、川地民夫。1976、東映)。ミス花子『河内のオッサンの唄』の大ヒットを受けて、レコードのリリース後三ヶ月ちょっとで公開された映画。ミス花子『河内のオッサンの唄』は累計で80万枚売れたそうだが、今改めて聴くとその面白さがどこにあるのかよくわからない。この映画も同様だが、発売/公開当時は大阪の河内という地域の特殊性が受けた、ということかと思うが、ひと口に日本と言っても地方地方でそれぞれの特殊性(もちろんその地方にあっては普通)があるということを理解してしまえば、「河内という地域の特殊性」の面白さが薄まるのは、まあ仕方あるまい。映画は河内のオッサン≠ナある徳田松太郎(川谷拓三)が、河内のオッサン性≠示す様々な逸話で活躍し、河内の他の住人(室田日出男、志賀勝、川谷拓三、夏純子、花柳幻舟、榎木兵衛、原恵子、西山嘉孝、清水美恵、ミヤコ蝶々、ミス花子など)を巻き込んでいくという構成だが(その過程で松太郎と結婚する花子(夏純子)が、河内の女っぷり≠強烈に表現する)、「様々な逸話」はそれぞれ短く、また話が重なって膨らんでいく、という感じが強くするわけでもない。だから最初のうちはダラダラと河内のオッサン性≠見させられているような塩梅だが、東京の剛田組から逃げてきたチンピラ(岩城滉一)と、東京に出て行ったがいったんは河内に戻りまたすぐに東京に帰る林田かね(ミヤコ蝶々)の娘かほる(奈美悦子)の物語が重なっていきつつ、それが河内のオッサン対東京のヤクザ≠ニいう戦いに発展していき、最後には河内のオッサンが東京のヤクザに勝つ、という終盤にかけての展開は、それなりに気持ちの高揚や解放感を感じた。娘が東京に出て行ってしまった林田かねが「東京の人間は好かん」と何度か呟くが、岩城滉一扮する東京のチンピラがもう少し河内の人から見た嫌な東京の人間≠フ一面を表していたら、身体を張ったことで河内の人たちに受け入れられたり、東京のヤクザと戦ったりする場面が、もっと深いものになっていたようにも思う。ところでこの映画での河内のオッサン性≠ヘ、主にイキがって相手を挑発して却って痛い目に遭う≠ニいうことのようだったが、この感じはまさに川谷拓三に打ってつけだったとも思った。なお本作では河内音頭も何度か流れるが、参加している音頭取りは下記のとおり:三音家五郎、三音家一郎、三音家浅駒、三音家浅美、三音家浅司、三音家正治。あと、河内音頭作詞にもず唱平、河内音頭指導に三音家浅丸の名前がクレジットされている。また本作も東映チャンネルの『結成50周年記念【特集 ピラニア軍団の軌跡】』の一作として観たので、一応本作に出演するピラニア軍団メンバーを挙げておくと−−川谷拓三、室田日出男、志賀勝、野口貴史、岩尾正隆、高月忠(順不同)→風呂→ホットドッグ、ビール中瓶×1/2→夕方北千住へ。先日購入した絵の受け取りと、金継ぎメンバーでの宴。ひさしぶりのMさんと新メンバーのYさんにご挨拶。Oさんとはすれ違いでお会いできず残念。楽しい会話と糠漬け各種(新生姜、瓜、きゅうり、インゲン豆、グリンピース)、おでん種屋のフィッシュバーガー、蓬餅、キーマカレー、ビール、白葡萄種二杯、御酒×1→平和に電車で帰宅→午睡→深夜起床→『青い挑発』(原題『Provocazione』、監督:ピエロ・ヴィヴァレッリ。マリノ・マッセ、ペトラ・シャルバック、ウーラ、モアナ・ポッツイ。1988、伊Cometa Film)。大富豪の後妻となったが未亡人となったヴァネッサ(モアナ・ポッツイ)は、サン・ピエトロ島の住まいに、連れ子キキ(ペトラ・シャルバック)とヴィヴィ(ウーラ)の家庭教師として、かつての恋人だったロベルト(マリノ・マッセ)を招く。早熟なキキとヴィヴィは、様々な手段を講じて母の恋人であるロベルトを誘惑する…… という話だが、『ピンクのルージュ』や『薔薇の貴婦人』、『青い体験』のようなイタリア艶笑喜劇を期待したものの、モノとしては『床ジョーズ』のようなC級三流ポルノの味わいだった。家庭教師のロベルトの「私は昔からロックに夢中だった/ビートルズやローリング・ストーンズ…/特にマイケル・ジャクソンが最高だな」という台詞は可笑しいし、それに反応したキキかヴィヴィどっちかの「先生はセックスと麻薬とロックに溺れていたの?」も笑ったが、まさかの夢落ちには苦笑→『新宿泥棒日記』(監督・編集:大島渚。唐十郎、横尾忠則、横山リエ、田辺茂一、高橋鉄、佐藤慶、渡辺文雄、戸浦六宏、小松方正、麿赤兒、李礼仙、大久保鷹、不破万作、九頭登、藤原マキ、山中広介、四谷シモン、若林美宏。1969、創造社製作/ATG配給) 多分30年ぶりくらい。未だに理解した≠ニは言えないけれども、状況劇場のテント芝居のアングラ感多め(と感じてしまう)のを除けば、意外に古びてないというか、ただ眺めて楽しめた。ところで改めて確認すると、大島渚は松竹時代は二年足らずで、『日本の夜と霧』(1960)を無断で打ち切られて翌1961年に抗議の退社。同年創造社を設立し、本作が創造社での13本めになる。映画を観始めた頃に驚かされた『白昼の通り魔』(1966)、『日本春歌考』(1967)なども創造社での作品だった。誠に怠惰ながら今までちゃんと確認したり意識したりしたことがなかったので、一応記しておく→割れ煎餅、海苔チーズ、胡麻せいろ、金宮酎ハイ×3→午前4時半就寝。
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