2025年05月31日

5月まとめ(21〜31日)


野村胡堂/小沢茂弘/大友柳太朗『百万両五十三次』、ジョー・デヴィッド・ブラウン/ピーター・ボグダノヴィッチ/テータム・オニール/ライアン・オニール『ペーパー・ムーン』、田内万里夫個展『SOULSCAPE』 於参宮橋〈エステルオカダアートギャラリー〉。

5月21日(水) 朝6時起床。白湯→豚汁、鶏粥→老父杏林受診付き添い(循環器)→〈松葉茶屋〉にて昼。冷やしかき揚げ→老父買い物代行(サミット、クリエイト)→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→午睡→豚こまもやしニラ炒め、トマト、煮干し出汁殻、海苔、あさり汁、鶏粥、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×5→『百万両五十三次』(原作:野村胡堂、監督:小沢茂弘。月形龍之介、香川良介、柳永二郎、西九案実篤、御橋公、水野浩、山東昭子、吉野登洋子、五条恵子、浜恵子、横田真佐子、京町かほる、丘さとみ、大友柳太朗、沢村宗之助、高松錦之助、若山富三郎、長谷川裕見子、秋田Aスケ、秋田Bスケ、戸上城太郎、明石潮、花園ひろみ、白木みのる、三島雅夫、山形勲。1959、東映)。幕末、薩長の動きを抑えるための資金が江戸の幕府から京の公家に送られるが、輸送途中に奪われてしまう。老中堀田備中守(月形龍之介)は再度資金輸送を行うことにし、浪人実は公儀隠し目付の馬場蔵人(大友柳太朗)にその護衛を命じると、馬場蔵人は堀田家出入り商人である和泉屋善兵衛(明石潮)の娘お蝶(花園ひろみ)の嫁入り行列と、浅草の娘手妻朝若太夫(丘さとみ)の一座の興行旅とを隠れ蓑に、追っ手である薩摩藩士の目を欺いて資金運搬を成功させ、また京都所司代太田内膳正(柳永二郎)の不正をも暴く…… という物語だが、大友柳太朗の豪快な笑いと胸の空くような活躍ぶり、そして丘さとみ扮する朝若太夫と率いる女藝人たちの手妻と歌のあでやかさだけでもう十分(その上長谷川裕見子が、最初は薩摩方につく女スリ陽炎のお蓮に扮するのだから、もうたまらない)。ちなみに輸送されるのは百万両ではなく原作どおりの三万両で、そもそも原作の題名も『三万両五十三次』なのだが、明朗娯楽時代劇に仕上げるべく題名も内容も盛りに盛ったという趣(若山富三郎や白木みのるの起用も、出番は少ないが効いている)。原作に敬意を表しながら娯楽映画としていかに仕上げるかのひとつのお手本のような作品とも思った(が、野村胡堂−−本作公開時にはご存命−−はどう思ったのだろうか)→午前2時就寝。
5月22日(木) 朝8時半起床。白湯→あさり汁、鶏粥→午前中、PF会でO形歌唱のスタンダード四曲のコードなど確認→あんぱん、コーヒー牛乳→午後〈むらさきmusicラボ〉にてスタンダード四曲歌唱のアドバイス受けるなど。各曲の表現についていろいろ示唆をいただき、有意義なり→帰途、〈Homer〉にて遅い昼。とんかつ(ロース)、ビーフカレー。ホーマー風ハンバーグ持ち帰り。とんかつもうまかったが、今まで食べたもののような感動はなかったかな→帰途、多摩霊園の周囲を巡る道を通ってみたが、なかなか楽しいドライブになった→シャワー→ビール中瓶×1→『パープル・レイン』(原題『Purple Rain』、監督:アルバート・マグリーノ。プリンス、ウェンディおよびリサ・コールマン含むThe Revolution、ジェイムズ・フレンチ、アポロニア・コテロ、モーリス・デイ、ジェローム・ベントン、アラン・リーズ、ジル・ジョーンズ、ジョセフ・A・フェラーロ、The Time、クラレンス・ウィリアムズ3世、オルガ・カルラトス、ビリー・スパークス、ブレンダ・ベネット、スーザン・ムーンジー。1984、米Warner Bros.)。音楽は今でも楽しいし、主人公キッド(プリンス)が自分の音楽を追求するあまり独善的に過ぎたが父の自死をきっかけにバンド・メンバーの音楽性(ウェンディとリサの曲)を受け入れるという話は美しくはあるが、恋人アポロニア(アポロニア・コテロ)がライバルのモーリス(モーリス・デイ)に引き抜かれるもまた戻ってくるくだりは主人公の成長の描写にあまり効いていなかったという印象だし、映画としてはもはや得るものはないかな→かつお煎餅、金宮酎ハイ×2→午前3時半就寝。
5月23日(金) 朝10時半起床。白湯→あさり汁、ご飯(煎酒、胡麻油、うずらの卵×2)、海苔→ギター練習→『太陽に突っ走れ』(原作:遠藤実『太陽も笑っている』、監督:鷹森立一。遠藤実、千葉真一、舟木一夫、砂塚秀夫、今井健二、打越正八、菅井一郎、吉川満子、大原麗子、梶光夫、十朱幸代、河合絃司、長門裕之、沢彰謙、千之赫子、東野英治郎、中村是好、佐藤晟也、北原謙二、よつば姉妹、菅原謙二、こまどり姉妹、柳生博、一節太郎、扇ひろ子、三船和子。1966、東映) 作曲家遠藤実の、新潟での流し時代からギター一本持って上京、歌手としての挫折と作曲家としての栄光、そしてミノルフォン設立までの半生を、遠藤実自身の原作から映画化した作品。この映画で描かれているようなきれい事ばかりではなかろうにとは思うが、脚本、演出、撮影、そして遠藤実に扮した千葉真一とその妻光枝に扮した十朱幸代の芝居のうまさで、一本の劇映画としてはとても楽しめた(昨夜たまたま観た、同じく自伝的映画だそうな『プリンス/パープル・レイン』よりも、劇映画としては面白かった)。いささか脚本が雑なのかそれとも意図なのか、説明不足と感じた点(遠藤実の周囲の人物の描写や妻の病気の顛末などなど)はあったが、瑕疵と言うほどのことではないと感じた(気にし出すと気になる要素ではあるが、ツッコミどころ≠ニして逆に面白さを感じた雑さもあった)。遠藤実が楽曲を手がけた歌手たちが、もちろん歌唱を伴いずらりと出演という点も、当時としては豪華≠ノ映ったろうと思う。出演歌手と歌唱楽曲は下記のとおり(よつば姉妹のみ不明)−−舟木一夫「高校三年生」「花咲く乙女たち」、梶光夫「青春の城下町」、北原謙二「若いふたり」、よつば姉妹(不明)、こまどり姉妹「佐渡おけさ」「浅草姉妹」、一節太郎「浪曲子守唄」、扇ひろ子「哀愁海峡」、三船和子「他人船」。そして千葉真一が、主題歌「太陽は笑っている」と終幕の「妻に捧げる歌」を歌唱→あんぱん、珈琲/ところてん(酢、そばつゆ、胡麻油、揚げ玉、うずらの卵×2)→『必殺仕事人III』見ながら菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1→晩の野菜スープ製作(トマト、新玉葱、じゃがいも、ニンジン、生姜、にんにく、チキンコンソメ、煎酒、酒、塩、胡椒、粉チーズ、バター、オリーブ油)→ニラ玉(鮭缶)、ホーマー風ハンバーグ(ベーコン、たけのこ、椎茸。付け合わせのじゃがいも、ニンジン、ほうれん草)、野菜スープ、丸パンスライス、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→夜0時就寝。
5月24日(土) 朝7時起床。白湯→洋風おじや(野菜スープ、卵)→『悪い女』(原題『파란 대문(青い門)』、監督:キム・ギドク。イ・ジウン、パン・ウンジン、チャン・ドンジク、イ・イノク、チャン・ハンソン、イ・ヘウン、アン・ジェモ、パク・ホングン、チョン・ヒョンギ、キム・ヨンソン、イ・ダリョン、イ・チャニョン、キム・グテク、ファン・ジュホ。1998、韓富貴映画製作)。海辺の場末のもぐりの売春宿に流れ着いたジナ(イ・ジウン)と、民宿の家族−−父:チャン・ハンソン、母:イ・イノク、娘の女子大生ヘミ:イ・ヘウン、息子素人写真家ヒョンウ:アン・ジェモ−−の物語だが、母と娘がジナを疎んじるのは雇い主であると同時に自分たちの境遇をみじめと思っていることの裏返しだろうし、父と息子がジナの身体を求めるのはジナが男にとって魅力的だからだろう(後者については他の男がそんなような台詞をいう場面がふたつくらいあったと思う)。ジナの、ジナを食い物にしようとする男に付き纏われながら(あるいは他の細かい不遇に見舞われながら)も絵の勉強も人生も諦めず、置かれた境遇を受け売れながら前向きに生きようとする姿勢と周囲の人間の諦観、焦燥、身勝手さなどとの対比、ジナと民宿の女たちが打ち解け理解し合うようになっていく(最後には、明確にではないが、家族になる≠謔、に描かれていると思ったが、果たして)過程を描くことが本作の眼目だと理解したが、しかし何故それを描こうとしたのか≠ノついては、よくわからなかった。絵造りについては、1998年という時代の表面的な絵的な感覚の古さ(ダサさ)は感じたが、青を基調に構成した画面については監督の意思を感じさせるものと思った(ダサいといえば音楽もシンセサイザーの音色や使い方を中心にダサい)→山かけそば(小口切り葱)→『悪い男』(原題『나쁜 남자』。監督:キム・ギドク。チョ・ジェヒョン、ソ・ウォン、ナムグン・ミン、コ・ジェチョル、キム・ユハン、パク・チャンホ、チェ・ドンムン、キム・ユンテ、イ・デヨン、チョン・ジョンヒョン、クォン・ヒョゴ、チェ・ユニョン、シン・ユジン、キム・ジョンヨン、イ・ハヌィ、チュ・ミョンチョル、ヤン・テド。2002、韓LJ Film製作/CJ Entertainment配給)。喉を切られて(といった事情は描かれないが)声を失ったヤクザのハンギ(チョ・ジェヒョン)がふと目に止まった女子大生ソナ(ソ・ウォン)に一目惚れ。しかしソナに侮蔑の目を向けられたソンギは、ふたりの手下(チェ・ドンムン、キム・ユンテ)を使い策を弄してソナを拐かし女郎屋に売り飛ばす−− そこからのソナの心情が徐々に変化していき、ハンギもソナに惹かれたり、守るかと思えばよりひどい状況に追い込んだり、しかも手下の口が滑ってソンギの工作がバレるまでは妓楼の部屋に仕込んだマジックミラーでソナが客をとる様子を観察したりという複雑な感情が育っていく。ハンギは−−明確にそうとは描かれないがおそらく−−ソナへの想いが苦しくなりそこから逃げるために手下の濡れ衣を着て殺人犯として逮捕されるのだが、そうしたふたりの様子を丹念に描く演出と役者ふたりの芝居の力には感服した。『悪い女』と特に対になる作品ではないようなので(娼婦というモチーフが共通するのみと思う)、比較する意味はないかもしれないが、こちらのほうがより地に足のついた現実≠描いているように感じた(題材が、ではなく、描き方が)。女性の扱い方や結末も含めて気持ちのよい映画ではないが、映画の力≠ニいう点では名作の域に達しているのではなかろうか。と言いつつ、『メビウス』撮影時の女優に対する暴力、その後の性暴力告発を考えると、なかなか複雑な気持ちにならざるを得ないのだが(本作のような題材の作品は特に)→『タイム・アフター・タイム』(原題『Time After Time』、原案:カール・アレクサンダー/スティーヴ・ヘイズ、監督:ニコラス・メイヤー。パティ・ダーバンヴィル、マルコム・マクダウェル、アンドニア・カツァロス、デビッド・ワーナー、コリー・フェルドマン、ラリー・J・ブレイク、メアリー・スティーンバージェン、ジェラルディン・バロン、ジーン・ハートライン、アントニー・ベッカー、ヒルダ・ハインズ、チャールズ・シオフィ。1979、米Orion Pictures、Warner Bros.)。H・G・ウェルズ(マルコム・マクダウェル)が1893年(『タイム・マシン』を発表する二年前)に実際にタイムマシンを発明した≠ニいう設定、ウェルズの友人たちの中にたまたま切り裂きジャック(デビッド・ワーナー)がいて、警察に追われる中ウェルズ邸からタイムマシンを使って姿を消す。そのあとをウェルズが追って…… という話。時間旅行をした先は1979年の、何故かサン・フランシスコで(ウェルズの書いたタイムマシンでは場所は移動しないはずだが)、ウェルズはジャックは両替のために銀行を訪れているはず≠ニ銀行での聞き込みを開始するが、そこで為替係に就いたばかりのエイミー(メアリー・スティーンバージェン)と恋に落ちる。物語は通俗的といえば通俗的のような気もするが、マルコム・マクダウェルとメアリー・スティーンバージェンの芝居を観ているだけで楽しい作品であった。H・G・ウェルズが実際に未来に飛んでみると、そこはウェルズが夢見た理想郷などではまったくなく(男女同権は実現しつつあるが)、むしろ切り裂きジャックに似合いの世界だった、という展開は面白かった。あとサン・フランシスコのハイアット・リージェンシーが舞台のひとつとなるが、このホテルはメル・ブルックス『新サイコ』でも使われている→『ペーパー・ムーン』(原作:ジョー・デヴィッド・ブラウン『アディ・プレイ』、原題『Paper Moon』、監督:ピーター・ボグダノヴィッチ。テータム・オニール、ジェームズ・N・ハレル、リラ・ウォーターズ、ライアン・オニール、ノーブル・ウィリンガム、ジャック・ソーンダース、リズ・ロス、イヴォンヌ・ハリソン、エド・リード、ドロシー・プライス、エレノア・ボガート、ドロシー・フォスター、ハーシェル・モリス、デジャ・ムーア、ラルフ・コーダー、マデリーン・カーン、P・J・ジョンソン、バートン・ギリアム、ジョン・ヒラーマン、ギルバート・ミルトン、ランディ・クエイド、ジェシー・リー・フルトン。1973、米The Directors Company製作/Paramount Pictures配給)。母親を失い、葬儀にたまたま立ち寄ったセコい詐欺師のモーゼ(テータム・オニール)に唯一の身寄りである伯母(ジェシー・リー・フルトン)のところまで送ってもらうことになった少女アディに扮したテータム・オニールへの演出、それに応えた芝居がとにかく素晴らしい、と何度観ても思う。終盤の、酒の密売人たち(ジョン・ヒラーマン)とのくだりはややゴチャゴチャしているようには感じるし、終幕もやや泣かせに走っているような気もするが(とはいえいい塩梅に塩が効いてはいる)、それ以外は何度観ても文句はない。今まで意識しなかったのは(意識したとしても忘れていたのは)不覚だが、「壺算」のような手口の詐欺と、モーゼとトリクシー(マデリーン・カーン)を離すためにトリクシーの付き人イモジン(P・J・ジョンソン)とアディがひと芝居打ったあと、モーゼがアディに「大きくなっても男を騙す女にはなるな」というくだりに笑った→菊水堂ポテトチップス、かつお煎餅、焼きとうもろこし、枝豆、もやしニラ炒め(ピーマン、紫蘇、しらす)、ひと口餃子15ケ、ビール中瓶×2.5、金宮酎ハイ×4→夜10時就寝。
5月25日(日) 朝7時起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ(揚げ玉)、グリンピースご飯、温泉卵→『ペーパー・ムーン』復習→『瞽女さんと、旅まわり。』(制作:三浦義晢。橋本照嵩。聞き手:金丸裕子。2024、かりら編集工房企画)。1972年から一年強、最後の瞽女とも言われる長岡瞽女の金子セキ(60歳。撮影当時、以下同)、中静ミサオ(60歳)と、手引きの関谷ハナ(61歳)を写真家橋本照嵩が一緒に旅−−新潟県北魚沼郡、南魚沼郡など、小出、小千谷、長岡、出雲崎など三島郡、柏崎など刈羽郡−−をしながら撮影した写真(『瞽女(完全版)』として出版された写真集所収)をスライドショー形式で映写しながら橋本本人が語る、高円寺の居酒屋〈ちんとんしゃん〉での催し(2024年12月21日)の映像記録。進行はほぼ当日のまま、撮影時の様子を語る橋本照嵩の姿が時折挟まれる以外は、語りを流しながらの写真のスライドショーで構成されている。一度では押さえきれない情報量を伴った橋本照嵩の語り、そして瞽女たちとの旅で実地で覚えた瞽女歌の披露を繰り返し聴けるという点、貴重な写真を透過光かつTV画面の広さで鑑賞できるのはうれしい。橋本照嵩の語り全編の字幕を望むのは贅沢だろうが、話題ごとに見出し的なテキストやキャプション的なテキストが入れられていれば、よりありがたい一品となったとは思う(が、値付けを考えれば映像作品としてまとめてもらえただけでもありがたい)→煮込み稲庭うどん(油揚、もやし、ニンジン、生姜、うずらの卵×3)→風呂→菊水堂ポテトチップス、枝豆、ひと口餃子12ケ(胡椒酢)、スープ餃子(3ケ。キャベツ、ニンニク)、舞茸と油揚のおつけ、ところてん、ビール中瓶×3、金宮酎ハイ×2→『ギャンブラー』(原作:エドマンド・ノートン、原題『McCabe & Mrs. Miller』、監督:ロバート・アルトマン。ウォーレン・ベイティ、バート・レムゼン、ルネ・オーベルジョノワ、コリー・フィッシャー、ブラントリー・F・カーンズ、ジェレミー・ニューソン、ジョン・シュック、トム・ヒル、キャリー・リー・マッケンジー、エリザベス・マーフィー、ジャッキー・クロスランド、シェリー・デュヴァル、ジュリー・クリスティ、ロドニー・ゲイジ、マイケル・マーフィー、アントニー・ホランド、キース・キャラダイン、ハフ・ミレーズ、マンフレッド・シュルツ、ジェイス・ヴァン・デル・ヴィーン、ウィリアム・ディヴェイン。1971、米David Foster Productions製作/Warner Bros.配給)。20世紀初頭のアメリカ西部(カナダとの国境近くのワシントン州という設定)の酒場兼宿屋にやってきた流れ者のギャンブラー、ジョン・マッケイブが、カード賭博で酒場に集まる男たちから資金を巻き上げ、男たちを雇って賭博場兼売春宿を作る。それに金のなる木と目をつけた商売女≠フコンスタンス・ミラー(ジュリー・クリスティ)強引かつガサツに割り込み協働経営者となるが、さらに大手鉱山会社が経営権を奪おうと買収を持ちかける。マッケイブは値段を釣り上げようと一度だけ値上げさせることに成功するが、さらなる交渉を仕掛けたところで相手は面倒だとばかりマッケイブを殺すことにする−− という流れの中で、最初はいくつもの修羅場を潜ってきた剛腕と思われたマッケイブが、実はあんまり何も考えておらず商売のイロハも知らず、さらに気弱で臆病な男であることが判明してくる。という話は物語としては面白いと思うが(マッケイブのダメ男っぷりがミラーにも鉱山会社の使者にもすぐに見抜かれてしまう辺りは笑った)、楽しさや快感を与えてくれるような映画表現がない(見つけられない)ままもやもやと、全体像がなかなかわからないまま話が進み、私にとっては楽しむのがたいへん難しかった♂f画であった。確かにマッケイブとミラーは一時恋仲にはなるものの、このふたりが困難を乗り越えて敵に勝つわけでもなく、ダメ男のマッケイブと商才に長けたミラーの対比が鮮やかに描かれるわけでもなく(ミラーがアヘン中毒らしいのも、この物語の中での意味がよく飲み込めなかった)、この物語に『McCabe & Mrs. Miller』という題をつけたこともよくわからないなと思った(無理やり理解できないこともないことはないのだが)。まあ、男の情けない様子を身も蓋もなく歌った主題歌はよかったな。と思ってたら、レナード・コーエンだった(この映画のために作られた曲かと思ったら、デビュー・アルバム所収「The Stranger Song」だった。ほかに「Winter Lady」「Sisters Of Mercy」が使われていた)→チーズトースト、金宮酎ハイ×2→午前2時就寝。
5月26日(月) 朝7時半起床。白湯→舞茸と油揚のおつけ(揚げ玉)、グリンピースご飯→『ギャンブラー』復習→山かけそば(生卵、刻み葱、揚げ玉)→朝のNHKで煮干し酢の南蛮漬けというのを紹介していたので、早速真似してみる。作り方は https://www.nhk.jp/p/asaichi/ts/KV93JMQRY8/recipe/te/Y7839LKJXQ/rp/1000002926/ 材料・分量の変更は−− 煮干しは小さかったので30本(1時間弱酢漬け)、茗荷の代わりにピーマン2ケ、玉葱は1/2ケで水にさらさない、唐辛子なし(家になかったので)、砂糖と醤油は小さじ1ずつ、油は大さじ2、片栗粉大さじ2→自家製ポテトチップス、煮干し酢の南蛮漬け、ひと口餃子5ケ、ビール中瓶×1、かりん金宮酎ハイ×1→夜8時半就寝。
5月27日(火) 日付変わるころ起床→そばつゆ仕込みながらスープ餃子、ビール中瓶×1→朝6時就寝→朝9時半起床。白湯→わかめと油揚のおつけ、グリンピースご飯、しらすぼし→本日のPF会の予習→風呂→月見花巻そば(刻み葱)→台所仕事(酢昆布製作など)→『人間万事金世中 強欲勢左衛門始末』(原作:河竹黙阿弥、演出:今井豊茂、映像製作不明。中村吉三郎、中村かなめ、坂東彌十郎、嵐橘三郎、二代目中村錦之助、片岡孝太郎、中村扇雀、中村虎之介、中村芝翫、中村松江、大谷桂三、四代目中村鴈治郎、六代目市川男女蔵。2023年松竹)。河竹黙阿弥がイギリスのエドワード・ブルワー=リットン作の戯曲『Money』(1840年ロンドン初演)を、舞台を明治の横浜に移して本案脚色した、いわゆる散切物。父の没落と早逝のため、息子恵府林之助(二代目中村錦之助)が叔父の辺見勢左衛門(坂東彌十郎)に引き取られるが、この勢左衛門が名うての強欲もの。ところが強欲が過ぎて、長崎の大金持ちの親類藤右衛門の死去に際し財産分与はお義理のみ。手紙を欠かさなかった林之助は(当時の金額で)二万円を手にする。林之助はひと芝居打って勢左衛門とその妻おらん(中村扇雀)、娘おしな(中村虎之介)の真心を確かめた上で、同じく身寄りのない親族(おらんの姪)のおくら(片岡孝太郎)を嫁にもらって勢左衛門一家と縁を切り、二万円を元手に自分の商売を始める。真心はいつか認められる、欲張る乞食はもらいが少ない、といった道徳的な話に笑いをまぶした趣の芝居だが、この上演(2023年1月 於歌舞伎座)では、林之助のひと芝居≠ノ協力する金満家(という触れ込みの)寿無田宇津蔵を演じた四代目中村鴈治郎の芝居が見事で、深い感動などはなかったが、なかなか楽しめた。黙阿弥の原作のあらすじを確認してみると、病気で困っている林之助の乳母のところに林之助名義で金が届けられていてひと悶着あったり、ひと芝居≠ノ協力する代言人(本作では六代目市川男女蔵)が寿無田宇津蔵という名ではなく口の上糊(くちのうえのりす)という名で実は梅生という落語家という設定だったり、細かい部分の刈り込みがあるようだ。その辺の細かいことはともかく、明治になってリバイバル?した「ノーエ節」「おっちょこちょい節」「ぎっちょんちょん」が流れたり、新聞、文明開花、写真、代言人という明治という新しい時代を象徴するような言葉が台詞の端々に現れたりといったところも、今見ると面白いと思った。ところで勢左衛門がずっこけるようなところで木琴のような楽器の音が鳴るのだが、あれはなんだろうか?(今まで歌舞伎の公演で聴いたことがなかった)→夕方、千歳船橋からバスで三軒茶屋。たいへんひさしぶりのPF会。I崎さんご病気から復活、O谷さんご来場などうれしい出来事もあり。演奏参加曲目は「枯れ葉」「Mercy, Mercy, Mercy」「Octopus's Garden」「Tyrohn」「Blues For Narciss」「Tea For Two」「Alfie」「It's Only A Papermoon」「君はバラより美しい」など。楽しかったが、自分の演奏は半年練習も演奏もしていなかった出来→会場ではわいんdeらすく アンチョビ&オリーブ、素焼きMixed Nuts、プロシュートクルード切り落とし、赤葡萄酒。帰宅してビール中瓶×2と赤葡萄酒の残り→午前1時半就寝。
5月28日(水) 朝9時半起床→わかめと油揚のおつけ、グリンピースご飯、酢昆布→LHの新曲二曲の確認など→ぶっかけ稲庭うどん(生卵、揚げ玉)→老父買い物代行、明日にしてもらう→風呂→菊水堂ポテトチップス、枝豆、じゃがいもとニンジンのクミンバター炒め、スープ餃子(個数不明、キャベツ)、ひと口餃子5ケ、ところてん、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×1→夜10時就寝。
5月29日(木) 深夜起床するも飲酒せず、午前4時就寝→朝7時半起床。白湯→わかめと油揚のおつけ、ご飯(納豆、うずらの卵×2)、海苔→老父買い物代行(クリエイト、サミット)→いったん帰宅してから経堂駅前に出て自動車税支払い→そのまま代々木八幡に出て、〈エステルオカダアートギャラリー〉にて田内万里夫個展『SOULSCAPE』見物。

昨秋−−確認したら2024年10月8日からだった−−から始め、毎日描いているというパレスチナ/ガザ地区の「地獄と化した当地の人々の絵」と、その絵の中から選んだ数点にマリオ曼陀羅≠組み合わせた作品群とが90度の角度を隔てて展示してあり、「マリオ曼陀羅≠組み合わせた作品群」のほうでコピー(模写かもしれない)が使われた絵がパレスチナ/ガザ地区の絵のどれに当たるのかを、顔と身体を左右90度に何度も何度も振りながら確認していたら、なんとも言えず胸に迫るものが感じられてきた。

それは次第に強く重くなり、しかしそれをどうにかする術もないので、ギャラリーの隅に置かれたパレスチナへの支援金を募る広口瓶に、その胸に迫るものをぶちまけた。

(といってもまったく大した金額ではなく、お恥ずかしい限りではある)

「パレスチナ/ガザ地区の絵とマリオ曼陀羅≠組み合わせた作品群」が、説明なくあの配置で展示されているのがよかった。発見〜検証の過程に自分でたどり着いたからこそ感じることができた(じわじわと増していった)、強く重い手応えだったように思う。

そしてそういう体験をしてから、黄とピンク(色名が大雑把で恐縮)を基調に大きめのキャンバスに描かれたマリオ曼陀羅%点と、マリオ曼陀羅≠ェ空に浮かぶ作品群を改めて眺めたら、地下のギャラリーに降り立って最初に目に入った際よりも、もう一歩作品の深みに分け入ったような気持ちになった。

「気持ちになった」だけでなにかを理解したわけでもなく、またなんの役にも立たない曖昧模糊とした鑑賞録ではあるが(間違った記述もあるかもしれない)、本日の鑑賞について記しておきたくなったので、記しておく次第。

→鑑賞終えて参宮橋駅までの道すがら、マッシュルームキーマカレー、ライス、ビール小瓶×1(ヒマラヤカリー参宮橋店)→平和に電車で帰宅。千歳船橋にて下車し買い物→シャワー→菊水堂ポテトチップス、ミックスナッツ、そら豆、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1/2→夜10時就寝。
5月30日(金) 深夜起床→『イマジン/ジョン・レノン』(監督:アンドリュー・ソルト。ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、シンシア・レノン、アラン・ウイリアムズ、ジョージ・マーティン、ジュリアン・レノン、エリメット・ミンツ、メイ・パン、ショーン・レノン。アーカイブ映像より(順不同):ザ・ビートルズ、フィル・スペクター、メアリー・エリザベス・スミス(ミミ伯母さん)、ブライアン・エプスタイン、グロリア・エマーソン、など。1988、米Warner Bros.) ジョン・レノンが凶弾に倒れてから8年後に製作された、200時間におよぶフィルムを基にジョン・レノンの生涯をたどったドキュメンタリー。知っていることの映像による再確認も多かったが、ジョン・レノンの誠実さ(正確に言えば誠実であろうとした姿勢≠ゥ)、ザ・ビートルズに対するオノ・ヨーコの存在(その邪魔さ加減)、それでもジョン・レノンがオノ・ヨーコを必要とした背景などが実感できたのはよかった→ミックスナッツ、ビール中瓶×1→朝6時半就寝→午前11時起床。白湯→わかめと油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆、海苔→ドラム練習。BPM170でのエイトビート。右手は四分に省略。全体的なノリはもっと何度も繰り返さないとな。明日のスタジオは曲の構成とバンドのノリを身体に入れるトレーニングか→冷やしたぬきそば(うずらの卵×3、刻み葱)→風呂→菊水堂ポテトチップス、ミックスナッツ、そら豆、肉野菜炒め(豚バラ肉、キャベツ、ニンジン、ピーマン、うずらの卵×2、生姜、ニンニク)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1/2→夜8時就寝。
5月31日(土) 深夜起床→『フーズ・ザット・ガール』(原題『Who's That Girl』、原案:アンドリュー・スミス、監督:ジェームズ・フォーリー。マドンナ、ロン・テイラー、スタンリー・トゥッチ、ドゥワイト・クロフォード、マイク・スター、ゲイリー・バサラバ、グリフィン・ダン、ハヴィランド・モリス、ジム・ディーツ、ビビ・ベッシュ、ジョン・マクマーティン、ロバート・スワン、ドリュー・ピルスバリー、トニー・ラ・フォルテッツァ、シーン・サリヴァン、コーティ・マンディ、デニス・バークレイ、トーマス・ピノック、セシル・カラン、カレン・ボールドウィン、キンバリン・ブラウン、クリスタル・カーソン、エレーヌ・ウィルクス、ヘレン・ロイド・ブリード、ジョン・ミルズ。1987、米Warner Bros.)。真面目で小市民的な青年弁護士(グリフィン・ダン)が、奔放な不良娘(マドンナ)に振り回されているうちに事件の黒幕が判明して事件が解決し、青年と娘が結ばれる、というアイドル映画。若きマドンナの野暮ったさが面白く、またありきたりな物語かつテンポがもっさりしているところも散見されるものの、妙なところでキレがよかったりセオリーに忠実だったりで、結果的にはとても楽しめた→目玉焼き、金宮酎ハイ×2→午前3時就寝→朝8時起床。白湯→もやしと油揚のおつけ、ご飯、酢昆布→右脚(足首、脛)の調子悪く、本日のLHスタジオは失敬することにする→風呂→『天使と野郎ども』(監督:松尾昭典。葉山良二、榎木兵衛、草薙幸二郎、信欣三、井上昭文、梅野泰靖、芦田伸介、和田浩治、安田千永子、石崎克巳、中尾彬、市村博、大森義夫、笹森礼子、松本典子、宇野重吉、河上信夫、中台祥浩。1962、日活)。貧しい境遇に生まれ育ちヤクザになった兄弟義雄と健児(葉山良二、和田浩治)が、出入りの際に撃たれた義雄が担ぎ込まれた病院の看護婦妙子(笹森礼子)の真心に触れ更生を志す、その紆余曲折を描いた物語ではあるが、主に葉山良二を中心に道徳的、教育的な台詞や展開が多かった。仮にもヤクザ映画なのだから、もう少しヤクザの生態や汚さ、ずるさを盛り込んだ上での更生譚に仕上がっていたらよかったなと思う。「ヤクザの生態や汚さ、ずるさ」がまったく描かれていないわけではないが、物語自体もありきたりなような印象で、ちょいと退屈した→キャベツ炒め、柿ピー、なめこそば(刻み葱、揚げ玉、生卵)、金宮酎ハイ×2→午睡→『フーズ・ザット・ガール』再見しながら、もやしニラ炒め、シャンピニオンソーセージ、どんこウインナー、茄子ベーコン炒め、トマト卵炒め、鮭缶とオクラの和え物、ホットドッグ1/2、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1.5→夜10時過ぎ就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記