2025年07月20日

7月まとめ(11〜20日)


吉川英治/マキノ正博/大川橋蔵/大川恵子『恋山彦』、オタール・イオセリアーニ『素敵な歌と舟はゆく』『歌うつぐみがおりました』、安田淳一/山口馬木也/峰蘭太郎/冨家ノリマサ『侍タイムスリッパー』、松田定次/市川右太衛門/大川橋蔵/月形龍之介/北大路欣也『天下の伊賀越 暁の血戦』、ポール・ギャリコ/アンソニー・ファビアン/レスリー・マンヴィル/アルバ・バチスタ/イザベル・ユペール『ミセス・ハリス、パリへ行く』、老父退院。

7月11日(金) 朝9時半起床。白湯→玉葱と油揚のおつけ、ご飯(たらこ、酢昆布)→日記の整理など→シャワー→胡麻とろろせいろ(万能葱)、御酒×1→『恋山彦』(原作:吉川英治、監督:マキノ正博。大川恵子、大川橋蔵、田崎潤、田中春男、薄田研二、柳永二郎、日高澄子、明石潮、原健策、中村時之介、堀正夫、片岡栄二郎、小柴幹治、花房錦一、大村崑、丘さとみ、伊藤雄之助、香川良介、三井京子、沢村宗之助。1959、東映)。今年の一月にも観ていて(1月27日)、そのときの感想に「全体的にはなんだかピンとこなかったというか、物語がすっと入ってこなかったり、心打たれなかったり、という塩梅だった」と書いているが、どうしてどうして、今回は平安時代と江戸時代が並列している世界∞西部劇的な趣∞気の狂ったような演出や絵造り∞前半と後半でガラッと変わる世界観≠十二分に堪能した。物語の筋に関しては穴もあると思ったが、大川橋蔵はじめ役者たちの魅力がそれを補って余りある。冒頭、神社の祠から現れた大川橋蔵がとつぜん踊るのが可笑しいと思ったが、それも終幕の柳沢吉保襲撃の際の能の場面と呼応していると、迂闊にも今回気づいた。前回の感想には「私がボンクラなのか」とも書いていたが、やはり私がボンクラだったようだ。その蒙は今回啓かれた→夕方ひさびさの〈さばのゆ〉(往路パンクの先輩に遭遇)。見知らぬ先客の方とマダムを交えた会話が楽しかった(ちょいと楽しくない人もいたが、それは知らない人との会話を楽しむために来ていなかった、というだけだろう)。また〈Day Drip Coffee〉の奥方がいらしてて、その会話も楽しかった。ひさしく老父やO形としか話してなかったので、よい気晴らしになった。おつまみ三種(かまぼこ、魚のなにか、イカ塩辛とチーズ)、鯖缶とクレソンのトマトソース和えの一式に、追加でコロッケ。ビーフビリヤニも一式の中に用意されていたが、お腹いっぱいになったので持ち帰り。マダムとS田さんの話ができたのもよかった→帰宅してTV番組の録画消化しながら金宮酎ハイ×3→ゴミ出しの準備などしていたら眠気去ったので引き続き映画鑑賞→イオセリアーニ『素敵な歌と舟はゆく』を途中まで→午前2時就寝。
7月12日(土) 朝9時起床。白湯→玉葱と油揚のおつけ、猫まんま→『素敵な歌と舟はゆく』(原題『Adieu, plancher des vaches!』、監督:オタール・イオセリアーニ。リリー・ラヴィーナ、ヤニック・カルパンティエ、オタール・イオセリアーニ、ニコ・タリエラシュヴィリ、フィリップ・バス、クリスティーナ・フォルマー、ミラベル・カークランド、ジョアサン・サランジェ、ロジェ・ルフェーブル、ステファニー・アンク、アリックス・ド・モンテギュ、ナルダ・ブランシェ、アミラン・アミラナシュヴィリ、エマニュエル・ド・ショヴィニ、エマニュエル・ド・ショヴィニ、アルベール・メンディ。1999、仏瑞伊Pierre Grise Productions、Carac Films、Alia Filmなど製作/Les Films du Losange配給)。ある裕福な家庭。母親(リリー・ラヴィーナ)が手練の商売人のようで生活も派手な様子だが、父親(オタール・イオセリアーニ)は酒と鉄道模型に淫しているだけのように見える。子供たちは幼児が多い中で唯一青年のニコラ(ニコ・タリエラシュヴィリ)は、金持ちの息子であることを隠すかのように、モーターボートで町に出る際には家での普段着のスーツからラフな格好に着替え、町でも乞食(ジョアサン・サランジェ)や浮浪者(アミラン・アミラナシュヴィリ)あるいは不良少年たちとつるみ、また店舗の窓掃除やカフェでの皿洗いのアルバイトに従事するが、まったく仕事熱心ではない(洗った皿はいつも汚れている)。彼らとはまったく関係のない鉄道清掃員の青年(フィリップ・バス)はニコラとは逆に仕事が終わると狭い部屋でスーツに着替えて、友人?からバイクを借りて町に出る。鉄道清掃員はニコラが思いを寄せているバーの看板娘(ステファニー・アンク)を見初めて口説き、手中に収める(しかしニコラと相対することはない)。看板娘と鉄道清掃員はやがて仲違いし、看板娘は雨の中放り出されたところをニコラの家のメイド(ミラベル・カークランド)に拾われてニコラの家でひと晩を過ごす。そのころニコラは乞食や浮浪者を家に連れて帰り、家のワイン・コレクションをひと晩振る舞うが、そこでも看板娘とニコラは交差しない。やがて夜が明けるが、父親と浮浪者が意気投合し、浮浪者だけ残ってさらに滞在することに。それが母親にばれ浮浪者はいったんは叩き出されるが、ニコラがスーパーマーケットへの強盗で逮捕されたりしている間にどうしたことか父親とまた通じ(その間に看板娘と鉄道清掃員はよりを戻し結婚)、父親と浮浪者は家を出て小さなボートで大海原へと旅立ってゆく。といった取り止めもない話を、ハゲコウという鳥を印象的に登場させながらも特に変哲もない絵造りで撮影・構成しつつ、しかしニコラのリンゴ酒の曲飲み(最後に父親から教わったであろうことが示唆される)∞なぜニコラは裕福な家の子なのに町の地べたで過ごすのか∞母親の具体的な仕事はなんなのか(船の売買をしているようではあるが、なぜいちいちヘリコプターで移動するのか)∞母親の恋人らしき商売人の黒人秘書が失敗ばかりしているのは何故か≠ネどなどのエピソードの説明は一切ない。それでいて、物語の中で関係を持たない登場人物たちをときおり意味あり気に交差させてみたり、先述のハゲコウを印象的(象徴的と言ったほうがよいか?)に用いたりする点から、不思議な映画的感興がもたらされる。原題の「plancher des vaches」が船員や飛行士の言葉で「陸(おか)」「地上」のことであることを理解した上でも、この映画の理解に至ったとは微塵も言えないが、理解せずに繰り返し観る愉しさがありそうな作品とは思った→『侍タイムスリッパー』(監督:安田淳一。山口馬木也、高寺裕司、庄野ア謙、安藤彰則、きらく尚賢、ムラサトシ、神原弘之、峰蘭太郎、沙倉ゆうの、佐渡山順久、田村ツトム、徳丸新作、宮崎恵美子、岩澤俊治、福田善晴、紅萬子、戸田都康、矢口恭平、多賀勝一、冨家ノリマサ、井上肇、吹上タツヒロ、本郷颯、廣瀬翔也、丸本凌輔。2024、未来映画社製作/未来映画社、ギャガ配給)。自主製作映画ながら(製作費2600万円)異例の大ヒットとなった(興行収入10億円)話題の作品を、TVでだがようやく鑑賞。確かに物語の設定、筋立てはよいアイデアで、想像を上回る展開も面白かった(オチの小さな意外性もよかった)。また現代にタイムスリップした武士はどう生きるべきか≠ニいう荒唐無稽な課題を実に真摯に考えたようなところにも感銘を受けた。芝居や演出に関しては、主役の高坂新左衛門に扮した山口馬木也はじめ、30年(だったかな)の時間差で再び出会う幕末の敵だった山形彦九郎現在は風見恭一郎に扮する冨家ノリマサ、高坂新左衛門が現代に於いて斬られ役として活動することを決意し弟子入りする殺陣師席もとに扮する峰蘭太郎の三人がとてもピリッとしていて、そこも含めて全体的にかなり楽しめる作品であった(斬られ役含む時代劇役者に扮した役者は概ねよかった)。その一方全体的にやはり自主製作映画風味というか、『カメラを止めるな!』くささのようなものが色濃く漂っていて、私にはその点に於いて夢中になるほど≠フ作品ではなかったかな(特に高坂新左衛門を支える女性助監督役の沙倉ゆうのが、熱心な監督志望者の役なのだが、設定がそうなだけで本人からそういう熱のようなものが見えてこなかった、のは大きい)。観終えてすぐの今は未整理だが、なにかもうひとつもの足りない感じは残った。が、その「なにかもうひとつもの足りない感じ」を醸し出しているなにかは、実は本作の魅力のひとつなのかもしれない→豚レバーのケーゼ、シャンピニオン、バケット、ビーフビリヤニ、ビール中瓶×1→『ミスタア・ロバーツ』(原作:トーマス・ヘッゲン、原題『Mister Roberts』、監督:ジョン・フォード/マーヴィン・ルロイ。ヘンリー・フォンダ、ウィリアム・パウエル、ハリー・ケイリー・ジュニア、ジャック・レモン、キャスリーン・オマリー、モーラ・マーフィー、ミミ・ドイル、ジーン・マレー、ロニー・ピアス、ジェイムズ・キャグニー。1955、米Orange Productions製作/Warner Bros.配給)。トーマス・ヘッゲンの同名小説のブロードウェイ舞台化(1948年)を元にした映画。第二次大戦中の米海軍の貨物船リラクタント号−−通称バケツ号−−を舞台に、血気盛んな若い兵士にとっては退屈な貨物船勤務への不満と発散を描いたコメディ、ではあるものの、ジョン・フォードの演出がコメディ向きではないようで、また主役であるロバーツ中尉役のヘンリー・フォンダが顔に正しいと書いてある<^イプの役者であるため物語の根幹をなす艦長(ジェイムズ・キャグニー)への反抗が笑いに結び付かず、コメディとしては今ひとつの出来かなと思った。コメディを目指した映画にコメディ・リリーフもなかろうが、「バケツ号」の寄港地で従軍看護婦たちを口説いたり軍医(ウィリアム・パウエル)にニセモノのスコッチ・ウィスキーを作らせたりするパルヴァー少尉に扮したジャック・レモンがコメディ・リリーフ%Iに活躍する場面が救いだったか。ちなみにジャック・レモンは当時30歳、映画出演は1949年の『The Lady Takes a Sailor』でのデビュー以来まだ六本めで『お熱いのがお好き』(1959)でビリー・ワイルダー作品の常連になる四年前だが、本作でも達者ぶりを発揮しており、本作にてアカデミー助演男優賞を受賞している→きゅうりともずくの酢の物、ソーセージもやし小松菜の炒め(ニンニク)、豚レバーのケーゼ、薄切りバケットトースト、ビール中瓶×1、赤葡萄酒×1/2→夜10時就寝。
7月13日(日) 深夜起床→『天下の伊賀越 暁の血戦』(監督:松田定次。大友柳太朗、水野浩、長島隆一、大川橋蔵、市川右太衛門、里見浩太朗、徳大寺伸、月形龍之介、花園ひろみ、北大路欣也、岡田英次、渡辺篤、大河内傳次郎、長谷川裕見子、御橋公、丘さとみ、戸上城太郎、佐々十郎、大村崑、山形勲、高松錦之助、香川良介、矢奈木邦二郎、長田健、吉田義夫、阿部九洲男、尾形伸之介、小田部通麿、加藤浩、古石孝明、楠本健二、富田仲次郎、加賀邦男。1959、東映)。荒木又右衛門(本作では市川右太衛門が扮演)の有名な「鍵屋の辻の決闘」とそこに至る過程をオールスター・キャストで描いた娯楽大作。本作の情報≠ニしてはそれだけ書けば十分と思うが、江戸から妻みね(長谷川裕見子)の実家に帰る道中一緒になった川合甚左衛門(又右衛門の義父波辺靭負−−大河内傳次郎−−の朋輩川合半左衛門−−御橋公−−の子)との河原での立ち回り(これは川合甚左衛門が又右衛門の腕を試したもの)、又右衛門が仕えた播磨国姫路新田藩藩主本多大内記(大川橋蔵)との稽古の要素も含んだ立ち回りなどが、クライマックスの「鍵屋の辻の決闘」の前座試合%Iに挿入されるのが心憎い。渡辺数馬(北大路欣也。初々しい姿が見られるのがうれしい)の父波辺靭負の仇である川合又五郎(岡田英次)が庇護者阿部四郎五郎(山形勲)に匿われた際の宴の群舞はもう少したっぷり楽しませて欲しかったが、そうした細部に至るまで観るものを楽しませる工夫には感心させられた。聞いたか坊主≠フ用い方が基本に忠実?なのも却って心地よかった(応用編として、佐々十郎と大村崑の『やりくりアパート』コンビの聞いたか坊主¥o演も可笑しかった)。よく知られた物語はともかく、映画を観る喜びが随所で爆発するような傑作であると思う→豚レバーのケーゼ、生卵、金宮酎ハイ×2、御酒×1→朝8時就寝→昼頃起床。白湯→玉葱と油揚のおつけ、ビーフビリヤニ→ここのところ起床時血圧低め(120/80くらい)だったので降圧剤を四日ほどやめてみたところ特に上りもしなかったのだが、本日は起床時140/95だったので服薬再開→シャワー→『歌うつぐみがおりました』(原題『იყო შაშვი მგალობელი』、監督:オタール・イオセリアーニ。ゲラ・カンデラキ。1970、喬Georgian-Film製作/露Goskino配給) ジョージアの首都トビリシの劇場専属オーケストラで打楽器奏者として働くギア・アグラゼ(ゲラ・カンデラキ)は、仕事以外の恋愛(女性にちょっかいを出すこと、と言ったほうがよいかもしれない)や悪友たちとの遊びに余念がなく、オーケストラの稽古や本番の演奏の際もちょくちょく職場を抜け出しては、自分の担当であるティンパニーの出番にのみ帰ってくる始末。また女性たちや悪友たちとの約束もしばし忘れ、疎んじられることもしばしばだが(仕事もクビになる)、ギアは一緒にいるときは人への気遣いも怠らないいい人間で、また打楽器だけでなく音楽全体に通じ、美しい歌も歌えば、人を楽しく歌わせもするから、たいていの人たちはギアのそんなだらしのない在り方を受け入れ、ときに優しく接してくれる。オーケストラの関係者(オーケストラの指揮者や楽器演奏者、あるいは所属する音楽院の職員やバレリーナなど他の所属の人たち)、悪友たち、とつぜん遠方から訪ねてくる古い友達、仲のよい時計職人、医者の友人、家族、そして女たちなど実に多くの人物が登場するが、映画の中では半分以上に名前が与えられておらず、また名前があっても物語の中でなにか特別重要な意味を持つ人物でもなく(そのためキャストにはギア役のゲラ・カンデラキのみ記載した)、それこそつぐみ(小鳥)があちこちを自由に飛び回りながらときおり羽を休める木の枝や電線や塀や地べたのような扱い(に思える)。ギアと他の登場人物たちをそんな風に描くことによって、ギアの屈託のない人物像を浮かび上がらせているのではないかと思ったが、果たして。そして本作の面白さ、可笑しさは、主にその描き方によるものではないかとも思った(くるくると忙しく生きるギアを、たとえば時間に追われて忙しがっているだけの現代人への皮肉≠ネどとは思わなかった)。ギアは終幕でクルマに轢かれて死んでしまうのだが、その直後仲のよい時計屋の仕事場にカメラが移り、時計屋が時計を修理すると時計を構成する歯車が一斉に回り出す。これを私は死んだと思ったギアだが実は一命を取り止めた≠フかと思ったが、まあこれは浅く見当はずれな見方だろう。おそらく、ギアという役に立たない歯車≠ェ、一見無駄なもののようでも存在していたことで、それなりに世間が動いていた、というような喩えとかなんとか考えたほうが、イオセリアーニが描こうとしていたことに多少近いのかもしれない。ああ、あと、冒頭で山からトビリシの町を眺めたり、あるいは家の隣のビルから望遠鏡で自分の家の中を眺めたりする場面があって、これも何か=i客観的な視線とかなんとか)を表しているものと思うが、あんまりちくちく考えるとつまらなくなりそうなのでやめておく→豚レバーのケーゼ(炙り)、しらすおろし、もずく酢、うずらの卵目玉焼き(6ケ)、冷やし刻みそば(万能葱、揚げ玉)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1、御酒×1→『笑点』見てから夜7時就寝。
7月14日(月) 深夜起床→『温泉おさな芸者』(監督:鷹森立一。田辺節子、沢リミ子、深田ミミ、小林千枝、南廣、武智豊子、オモトサヨ、章文栄、山城新伍、佐藤晟也、相馬剛三、大泉滉、三原葉子、河野洋子、太古八郎、富田仲次郎、太宰久雄、田中淳一。1973、東映)。『温泉芸者』シリーズの第六作にして、「温泉○○芸者」としては最終作(次作は『東京ふんどし芸者』)。鈴木則文が撮った全二作が最高だっただけに、ヤケクソな味わいのみは味わえるがそれが却って雑な味わいだけが目立つ結果につながり、息切れを感じさせる、と思った。当時大ヒットしていたからと言って、あのねのねの「赤とんぼの唄」を延々歌うというのも、今となってはマイナスと思う(まあ仕方がないけれども)。男優陣も、シリーズ他作品に比べると地味(太宰久雄のたこ社長以外の芝居が見られたのはよかったが)。地元天城温泉の女子高校生芸者(深田ミミ)が「あたしは天城の藤純子よ」と言うのに対して東京から来た女子高校生芸者(田辺節子、沢リミ子)が放つ「藤純子だか清川虹子だか知らないが」という台詞や、股を鍛えるために股に瓶を挟んで飛び跳ねる模範演技をする武智豊子扮する置き屋の女将が「変なんなっちゃった」とつぶやくところとか、クライマックスで東京の女子高校生芸者を助けるトラック運転手の南廣が宴会場でとつぜんドラムソロを叩きそこから野球拳に突入、ニコリともしなかった代議士を笑わせることに成功する場面とか、まあ見どころはあった。ちなみに前回(2015年2月)に観た際も、「終盤の宴会の場面のドラムソロから野球拳、またドラムソロで〆るという流れが可笑しかった」と、クライマックスの演出には喜んでいた。そして有名な浄蓮の滝は、実物をまだ拝んだことがないので、この映画で初めて見ることになったんだなと思った→金宮酎ハイ×2→午前4時半就寝→朝9時半起床。白湯→野菜スープ(ベーコン、トマト、玉葱、ニンジン、キャベツ)、バケットトースト(バター)→午後老父見舞い。本日は訪問時寝ていたが起こしてみたところ、意識や頭の回転は割合にはっきりしていた。が、まだまだ退院の目処立たず。散髪や姉との清算など現金が必要ということで、明日財布と預金引き出し分を返却することにする。その他、看護師さんに入院費の精算、診察券の在りか、28日に予定されている溝の口を杏林で対応していただけないかなど確認→〈そんぽの家〉の食事休止を21日まで延期→缶ビール買って帰宅→シャワー→「財布と預金引き出し分を返却」について、精算書など作成→豆もやしのナムル製作→『御家人斬九郎』見ながらキャベツとベーコンのサラダ、ソーセージじゃがいもニンジンのクミンバター炒め、豆もやしのナムル、しらす納豆(温泉卵)、冷やしもずくそば(刻み海苔、揚げ玉、ビール中瓶×1、ビール350ml缶×1→『モリコーネ』を途中まで観てから遅い午睡→『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(原題『Ennio』、監督:ジュゼッペ・トルナトーレ。エンニオ・モリコーネ、ジーノ・パオリ、クインシー・ジョーンズ、ミランダ・マルティーノ、アレッサンドロ・デ・ローザ、ジャンニ・モランディ、ニコラ・ピオヴァーニ、パット・メセニー、ジュリアーノ・モンタルド、ブルース・スプリングスティーン、ベルナルド・ベルトリッチ、シルヴァーノ・アゴスティ、ローランド・ジョフィ、ダリオ・アルジェント、クリント・イーストウッド、リナ・ウェルトミューラー、カテリーナ・カゼッリ、ワルテル・ブランキ、アレッサンドロ・アレッサンドローニ、ブルーノ・バッティスティ・ダマーリオ、エドアルド・ヴィアネッロ、セルジオ・ミチェーリ、ゴッフレード・ペトラッシ、ダニエレ・フルラーティ、ボリス・ポレーナ、エンリコ・ビエラヌンツィ、エットーレ・ゼッペニョ、エヴァ・フィッシャー、ジュゼッペ・トルナトーレ、フランコ・ミリアッチ、エッダ・デッロルソ、ブルーノ・ザンビリーニ、トニーノ・ポーチェ、カルロ・ヴェルドーネ、セルジオ・レオーネ、ロベルト・ファエンツァ、セルジオ・パセッティ、マルコ・ベロッキオ、ラファエッラ・レオーネ、クラウディオ・マンチーニ、ジルダ・ブッタ、オリヴァー・ストーン、ドゥルス・ポンテス、デイヴィッド・バットナム、F・ヴェントゥーリ、マリーナ・チコーニャ、ジッロ・ポンテコルヴォ、エンツォ・オコーネ、バリー・レヴィンソン、クエンティン・タランティーノ、セルジオ・ソリーマ、アントネッロ・ネリ、フランコ・ピエルサンティ、ポール・シムノン、リリアーナ・カヴァーニ、ハンス・ジマー、エンツォ・G・カステラーリ、フーリオ・コロンボ、ジョーン・バエズ、ジョン・ウィリアムズ、アントニオ・パッパーノ、ウォン・カーウァイ、タヴィアーニ兄弟、マリオ・トゥリオ・ジョルダーナ、マイケル・ダナ、アンドレア・レオーネ、マルコ・ピスカリーニ、フィル・ジョアノー、マイク・パットン、ズッケロ、ジェイムズ・ヘットフィールド。2021、伊Piano b Produzioni)。日本での封切り時以来二度め(一度めは2023年2月3日、〈吉祥寺オデオン〉にて)。感想は後述する封切り時と変わらないが、やはりモリコーネが前衛音楽に深く関わっていたのを知ることができたのはよかったし、録画が入手できたので今後も情報整理的に観ることができるようになったのは嬉しい(まだまだ、モリコーネが携わった映画を整理したり、映画以外の仕事を整理したり、できることがある)。今回は登場人物の登場順を見直したものの、以下の人物(主に過去の映像)についてはメモから漏れているので、これも整理したい(エリオ・ペトリ、アルベルト・ラトゥアーダ、アンリ・ヴェルヌイユ、アルベルト・ベヴィラックァ、アントニオ・オアオオアーノ、ピエル・パオロ・パゾリーニ、マルコ・テュリオ・ジョルダーナ、テレンス・マリック)。以下、2023年2月の感想「終盤のたたみかけるようなエンニオ・モリコーネへの賛辞(具体的事実を語らずただ褒めるだけ)は要らなかったような気がするが、それ以外はモリコーネの時代ごとの仕事とその流れ、それぞれがいかに偉業だったかがすっと飲み込めるドキュメンタリーであった。モリコーネが音楽を担当した映画、その映画音楽の実際の演奏、映画音楽制作の様々な背景への証言、映画音楽以外の音楽の仕事の様子など、膨大な映像資料や証言を2時間36分にうまくまとめたのは、編集の勝利と言ってよいのではないかと思ったが、果たして。監督は『ニュー・シネマ・パラダイス』などのジュゼッペ・トルナトーレだが、事実としてのモリコーネの仕事や偉業を淡々と並べたような、観客をどこかの方向に誘導しないようなドキュメンタリー作法は素晴らしいとは思った」→バゲットのラスク、ビール350ml缶×2→午前3時就寝。
7月15日(火) 朝8時半起床。白湯→野菜スープ(ベーコン、トマト、玉葱、ニンジン、キャベツ)、バケットトースト(バター)→『モリコーネ』の登場人物と登場順再確認、感想まとめなど→午後老父面会。財布返却したのと洗濯物請けたくらいで、特になし→帰宅して『毒婦お伝と首斬り浅』(監督:牧口雄二。橘由紀、東てる美、西田良、伊吹吾郎、矢奈木邦二郎、川谷拓三、槇健多郎、広瀬義宣、汐路章、内村レナ、志賀勝。1977、東映)。高橋お伝の生涯をモチーフにした映画だが、史実を舐めすぎか? だからと言って映画は事実より奇なり≠ニもならず、東てる美かわいいなあ、と思う以外は特になにもない映画であった。美人局に遭った志賀勝の場面は面白かったし、伊吹吾郎の山田浅右衛門もハマっていたが、まあそれくらいか→バゲットラスク、枝豆、めかぶときゅうりの酢の物、納豆オムレツ(しらすぼし、青海苔)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→午睡→午睡→『QUIZ!脳ベルShow』『笑点特大号』『御家人斬九郎』などの録画見ながら、チーズパンラスク、金宮酎ハイ×2、白葡萄種×1/2→夜0時就寝。
7月16日(水) 朝10時半起床。白湯→野菜スープ(うずらの卵×2)、ハムサンドイッチ(ロールパン)→杏林大浦医師より電話あり、そろそろ退院できそうとのこと。明日様子を見に行き父の希望も聞き、可能であれば金曜退院と動くことにする。そんぽの家、ケアマネ、訪問看護、姉にそれぞれ連絡→『血と海』(原作:早船ちよ『母系の海』、監督:野村孝。三好久子、東野英治郎、和泉雅子、小石真喜、佐々木すみ江、伊藤るり子、浜田光夫、山中康司、佐藤正三郎、高島稔、北林谷栄、伊丹慶治、峰三平、澄川透、玉村駿太郎、下條正巳。1965、日活)。前回(2023年9月12日)に観た際の感想は「昭和30年代の漁村の生態と、移りゆく時代の中で置かれた境遇とを、あけすけに描いた作品、と受け取った。同じ立場のもの同士のいがみ合いや、性愛に於る卑怯な行為なども描かれるが、そうした後ろ暗さを包み込むような、漁村の漁師、尼さん(今回註:正しくは海女)、事務方の人たちの明るさと逞しさが頼もしい。という風に捉えるのは実際を知らないからだろうが、実際は救いがない状況だったのかもしれないし、それを追求しなかったのは、劇映画としては正解だったのではないかと思う。実際に漁業に携わっている人たちや漁村の人たちが観たら、どんな感想を抱くのだろう」。題名の「血」については近親婚が当たり前の漁村、という印象があるが(今回そう勘違いして再見した次第だが)、正しくは同じ血筋同士の姦淫による子がたまたま産まれた−−和泉雅子扮する主人公ナミの腹違いの姉の、小石真喜扮するサキ−−ということであった(ナミもまた、浜田光夫扮する親戚の青年雄司と結ばれたがっている、という影も落とされはするが)。全体的には、古い漁村が時代の波に飲み込まれ、喰い物にされていく様子(それは近隣の漁村から漁場を荒らしにくる「びんどろ」の連中もある意味被害者である、という描写からも窺える)を、それにほとんど気づかない漁村民の側から描いた、という趣と思ったが、果たして。終幕で明るい笑顔で観光海女≠ニして写真を撮られに行くナミたちの様子も、その「ほとんど気づか」ず「喰い物にされていく」描写と思った。それにしても、同じ血筋同士の姦淫による子サキを演じた小石真喜の芝居はすごかった。が、ネット上にはほとんど情報なく、また本作以外には『若者はゆく 続若者たち』(監督:森川時久、出演:田中邦衛、橋本功、山本圭、佐藤オリエ、松山省二、木村夏江など。1969、松竹)にちょい役で出ただけの模様→冷やし山かけそば(生卵)→シャワー→豆もやしのナムル(胡麻)、キャベツとベーコンのサラダ(ニンニク、粉チーズ)、炙りシャンピニオン、柿ピー、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×3等、退院の見込みとなりちょいと安心して(退院後がまた大変とはわかっているが)、たっぷり飲酒→夜9時頃いったん就寝。
7月17日(木) 深夜起床→明朝のおつけ製作(めかぶ、もずく、海苔)→『ミセス・ハリス、パリへ行く』(原作:ポール・ギャリコ『ハリスおばさんパリへ行く』、原題『Mrs. Harris Goes To Paris』、監督:アンソニー・ファビアン。レスリー・マンヴィル、デルロイ・アトキンソン、エレン・トーマス、クリスチャン・マッケイ、パンカ・ムラニ、ローズ・ウィリアムズ、ジェイソン・アイザックス、アンナ・チャンセラー、サラ・リックマン、ジェレミー・ウィーラー、デクラン・ハニガン、ヴィンセント・マーチン、リュカ・ブラヴォー、アルバ・バチスタ、イザベル・ユペール、ギレーヌ・ロンデス、ドロッチャ・イロスヴァイ、ロクサヌ・デュラン、ランベール・ウィルソン、フィリップ・ベルタン、バートランド・ポンセ、ウェイン・ブレット。2022、英仏洪Moonriver、Superbe Films、Hero Squared製作/Universal Pictures International (UPI)配給)。ロンドンに暮らす戦争未亡人のエイダ・ハリス(レスリー・マンヴィル)はプロ中のプロの♂ニ政婦として働いていて、ある日顧客の裕福な(しかしケチな)マダムが最近作ったというクリスチャン・ディオールのドレスを見るや、ひと目で憧れてしまう。がんばってお金を貯めながら、一気に増やそうとドッグ・レースですってしまうなど紆余曲折ありながら、戦死した夫の恩給が降りたり、ドッグ・レースのブック・メーカー(ジェイソン・アイザックス)がエイダの掛け金の一部を着服して賭けたレースで大穴を当てたりなどで目標の資金を手に入れる。そしてついにパリの地に降り立ち、当時はオート・クチュール専門だったディオールの店に(ヴィンセント・マーチン扮するパリの優しい浮浪者に導かれ)たどり着く。そこでディオールの顧客係クロディーヌ・コルベール(イザベル・ユペール)や上客のアバロン夫人(ギレーヌ・ロンデス)から意地の悪い目に遭わされたり、ディール会計係のアンドレ(リュカ・ブラヴォー)やトップ・モデルのナターシャ(アルバ・バチスタ)、製造主任?のマルグリート(ロクサヌ・デュラン。「ロンドンから家政婦さんが現金を持ってやってきたわよ!」というセリフがとても可愛らしくまた可笑しい)そして長年の上客だった亡き夫人を忍んでコレクションを見に来るシャサニュ侯爵(ランベール・ウィルソン)らに優しくされたりしながら、ついに憧れのディオールのドレスを手に入れる−− という夢物語の中に、人生や世間の中によくある悪気なく傷つける∴齧汲ェあったり、浮かれて失敗したり、あるいは天下のディオールの当時の懐事情を遠慮なく描いたり、前述の「意地の悪い」人たちの末路も克明に描いたりなどなど、といった苦い展開を塩梅よく入れている点で、かなり丁寧に作られた人間ドラマと思った。ただし、私は原作を読んでいないので観ている最中は疑問に思わなかったが、あとで原作と比較した感想を読んで知ってしまうと、エイダが家政婦の顧客の若い女優の卵パメラ(ローズ・ウィリアムズ)にドレスを貸したら焦がされてしまい、そのドレエスをテムズ川?に投げ捨てる∴ネ下の展開は、やはり原作のほうに軍配を上げざるを得ないと思った。原作ではドレスが焦がされたあと、パリで友人になった人たちから山のような花が届き、主人公は焦げたドレスを保存すると決める−−主人公はドレスを買ったのではなく「冒険と一つの貴重な体験を買った」のだと悟る。一方映画は、パリから花と共に新しいドレスが送られてきて云々−−すなわち「冒険と一つの貴重な体験」ではなくドレスを手に入れて幸せ、と展開するわけだが、やはり原作のほうが物語の結末としては深いと思う。むろん映画表現としてのクライマックス≠考慮しての改変とも思うので、一概に非難はできまい。その辺を含めても、やはり名作映画であるとは思う。それにしても、主演のレスリー・マンヴィルはじめ、ほぼすべての役者たちの芝居には大いに感心した→菊水堂ポテトチップス、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→朝5時就寝→朝9時半起床。白湯→二度寝→姉より電話あり、昨日こちらからメールしたのと同じような内容を喋っているので、こっちでも全部手配してそちらにメール送ったと伝えたら、メールが届いてないという。ほんとかね。こちらの記録は「配信済み」になっている。明日の退院についての手続きなどと、そこからしばらくの間の父の世話はこちらでやると説明。無駄な労力を使った→めかぶもずく海苔のおつけ、ご飯、納豆、うずらの卵×2→午後老父面会。明日の退院は大丈夫そうだ。「退院支援センター」なる部署の看護師さんとも打ち合わせ、明日10時退院となった。O形にも手伝ってもらい、下着類を中心に、八割方の荷物を父宅に運搬→下着類を箪笥にしまい、介護用のリクライニング椅子を搬入・使用法確認、また明日の車椅子手配など→平和にクルマで帰宅→ひと休みしてから参議院選挙期日前投票→〈満留賀〉か〈司〉でビール、と思ったがどちらにも振られたので〈増屋〉。あなご天ぷら、ぶっかけ月見納豆そば、ビール大瓶×1→シャワー→『御家人斬九郎2』の初回見てから午睡→TVドラマ『しあわせな結婚』見ながら(初回を見た限りでは期待できそう)、柿ピー、チリコンカンデニッシュ、ビール中瓶×1.5→午前2時就寝。
7月18日(金) 朝6時半起床。白湯→めかぶもずく海苔のおつけ、卵かけご飯、納豆→シャワー→往路郵便局で老父の預金引き出してから、〈そんぽの家〉で車椅子借り〈杏林〉へ。病室での退院時の諸確認や退院手続きなどに時間はかかったが、無事退院→老父を部屋まで連れ帰り、荷物整理、リクライニング椅子の試用、室内の導線と行動確認など(意外に椅子から立ち上がったり室内を歩いたりはきびきびとできていた)→O形に〈なかじょう〉のうどん買ってきてもらい昼。とり天、ごぼう天、ぶっかけうどん。入院後食欲が減退したそうだが、うどんなら割合に食べられるようだ→一人にしても大丈夫そうなのを確認し、午後2時過ぎいったん帰宅→ひと休みしてから午後4時半再び老父宅へ。今度は訪問看護再開の立会い。こちらも(退院後の病院との引き継ぎも含めて)問題なく、また老父の爪を切ってもらったり、明日シャワーを浴びさせてもらうとになったりと、つつがなく進む→老父の晩の食事の用意、薬の用意、着替えの用意などして、あとは〈そんぽの家〉の人に事後を託し帰宅→めかぶときゅうりとオクラの酢の物(新生姜)、枝豆、もやしナムル、刺身(ヒラマサ、鯵、鰹)、ビール中瓶×1、御酒×1→夜9時頃就寝。
7月19日(土) 深夜起床→『鬼火』(原作:吉屋信子、監督:千葉泰樹。佐田豊、加東大介、広瀬正一、中北千枝子、笈川武夫、堺左千夫、中田康子、中村伸郎、津島恵子、如月寛多、清川玉枝、宮口精二、三條利喜江。1956、東宝)。低予算・中編ながら当代切っての作家の原作を人気・実力共に認められている俳優を起用し映画化する「東宝ダイヤモンド・シリーズ」(1956〜)の第一作。真面目で小心だが欲求不満気味のガス集金人(加東大介)が、ガス代を滞納している貧しいが美しい人妻(津島恵子)に、ふとした出来心でガス代をごまかすことを餌に肉体関係を迫る。その出来心が、思わぬ結果をもたらす−− という物語で、物語としては複雑なものではないが、加東大介と津島恵子はじめ、女中を手籠にする主人(中村伸郎)、主人公の友人の同じガス集金人(笈川武夫)、人妻の病弱な夫(宮口精二)などなどの芝居−−人間表現−−がなにか深いものを感じさせ、46分と短い(そして複雑な話ではない)映画ながら、ずっしりとした手応えを感じさせられた。「欲求不満気味のガス集金人」の妄想の中での「貧しいが美しい人妻」がとつぜん艶やかで色気を振りまく女に返信する場面の津島恵子が、なんとも魅力的→ビール中瓶×1→午前4時就寝→朝7時半起床。白湯→スクランブルエッグ和えバタール(釜揚げしらす)、アイスカフェオレ→〈なかじょう〉と〈川松〉に持ち帰りの予約→〈サミット〉寄ってから〈なかじょう〉で注文したうどん受け取り老父宅へ。到着時はまだ訪問看護の処置中で、本日父を入浴させたときの状況から、導線の改善が急務、という話を聞く。これについてはすぐは無理なので、不要なものを処分しながら少しづつ進めることにする→老父本日は〈なかじょう〉の冷やかけうどん(小)とごぼう天×1、いか天×1、とり天×1/2をペロリと。また会話もだんだん以前のように噛み合うことが少し増えてきた。少し安心→今晩と明朝の食事と薬服用について確認し、お湯沸かして魔法瓶に入れおいとま→看護師に頼まれた物品を購入し帰宅→O形がおつまみセット≠用意してくれていたので、早速本日の口開け。枝豆、めかぶときゅうりとオクラの酢の物(新生姜)、しらすおろし、バタールラスク、たまごとハムのサンドイッチ、ビール中瓶×1→『妖艶毒婦伝 人斬りお勝』途中まで観てから午睡。後刻全部観た。(原案:高橋猛、監督:中川信夫。富田仲次郎、今井健二、大信田礼子、宮園純子、杉義一、近藤正臣、西村晃、山岡徹也、賀川雪絵、曽根晴美、沢淑子、若山富三郎、小林千枝、三島ゆり子、河合絃司。1969、東映)。一年ぶり二度め。今回は、前回の感想で書いた「もともと剣術の素養のあった道場の令嬢お勝が「人斬りお勝」としての成立を見る」の鮮やかさをより一層深く味わった点は書いておこうと思う(おそらく初めて真剣で人を斬り捨てた直後の笑みはぞくっとするほどよい)。それと、廓を遠景として撮ってその中でいろいろ話が進む感じは川島雄三『幕末太陽傳』(1957)を意識したのかな、とか(これは確信はない)。あと「宮園純子が歌う挿入歌「白刃恋歌」もよい」と書いているが、これは改めて聴くとお母さんのカラオケ歌唱≠フ範疇とも思えた。その他は概ね一年前の感想のとおり「題名が示す物語に入るまでが長いという印象があり、たとえばお勝(宮園純子)が甲府勤番頭絵塩崎嘉門(絵塩崎嘉門)に捉えられ父真壁弥兵衛(西村晃)は殺されるが辛くも脱出。その後真壁家の従者だった男鹿甚九郎(曽根晴美)を頼るも今は悪女おきわ(沢淑子)に毒されていてお勝はおきわに一服盛られて遊女に売られ、そこで再度の脱出。そしてやっと、もともと剣術の素養のあった道場の令嬢お勝が「人斬りお勝」としての成立を見るという次第だが、そこまでの展開が長く、そして重いので、題名とそこまでの展開に違和感を覚えてしまうというのがひとつの不満。あとは終盤に登場する天馬軍兵(若山富三郎)の存在が唐突かつ物語内での役割が不明という不満も感じたが、宮園純子と、お勝を陰から守る旅人お留以(大信田礼子。実は塩崎嘉門の同行を探る奉行所の手先)、この二人の魅力がその不満を補って余りある、という印象が、最終的には残った。繰り返し観ても、要素が多くてごちゃごちゃした感じも残ってしまいはするだろうが、それでも味わい尽くしたい、と思わせられる一本だった。宮園純子が歌う挿入歌「白刃恋歌」もよい。ちなみに宮園純子主演で三作撮られたシリーズもので(ただし登場人物や物語に同一性、連続性はなし)、『般若のお百』、本作、『お勝兇状旅』の順となるが、そうとは知らず『お勝兇状旅』だけ録画し忘れたのが残念。次の機会は逃さないようにせねば。あと近藤正臣がお勝の弟真壁林太郎役で出演しているが、TVドラマ『柔道一直線』(1971年)で注目を集める前の作品だからか、まだ際立った個性を発揮していない様子を鑑賞できるのは、今となっては貴重かもしれない」→『名犬ラッシー』横目で見ながら寄せ豆腐、鰹炙り、ビール中瓶×1→『妖艶毒婦伝 人斬りお勝』観ながら柿ピー、金宮酎ハイ×2→『つばくろ道中』途中まで→午前2時就寝。
7月20日(日) 朝7時半起床。白湯→めかぶもずく海苔のおつけ、ご飯、梅干し、酢昆布→朝10時出発し、東久留米の〈川松〉までクルマを走らせ予約していたうな重(竹)×3受け取り老父宅へ→昼を一緒し(父はうな重は1/3ほどで残したが、またあとで残りを食べるとの由)、薬の仕分け、洗濯などしておいとま。帰りがけ、明日から給食開始の旨確認→キャベツとトマトのサラダ、オムレツ、サンドイッチ(ハム、レタス、卵)、ビール中瓶×1→シャワーののち午睡→レンコンチップス、じゃがいもとベーコンのソテー、豚生姜焼き、もやしナムル、トマト、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→つまらぬことでO形と口喧嘩するも、まあ解決、したかな→『つばくろ道中』(監督:河野寿一。中村幸吉、小柴幹治、津村礼司、清川荘司、加賀邦男、花柳小菊、中村賀津雄、那須伸太朗、香川良介、矢奈木邦二郎、月形哲之介、山東昭子、若山富三郎、藤田佳子、高松錦之助。1960、東映)。宍戸一家・我孫子一家と幕張一家との縄張り争いのうしろに、宍戸一家の女将だったおりん(花柳小菊)が、宍戸一家親分利兵衛(香川良介)と幕張一家親分吉五郎(矢奈木邦二郎)との博打のカタとして吉五郎に奪われる(そして利兵衛は吉兵衛を闇討ちする)という事情があり、幕張一家に殴り込みにいった宍戸の三男坊今朝吉(中村賀津雄)が出入りの中で赤ん坊の頃に別れた母親と出会うという、長谷川伸が書きそうな物語で、中村賀津雄がその魅力を発揮して元は我孫子一家の用心棒の矢波一八(若山富三郎)の手助けのもとひとり幕張に乗り込むくだりは胸の空く思いもさせてもらったが、中村賀津雄が登場するまでの18分間−−幕張が宍戸の賭場を荒らしにきて宍戸の長男次男(小柴幹治、津村礼司)が立ち上がり、その影で仲間のはずの我孫子一家の親分兼六(清川荘司)が幕張と通じているとわかるまで−−が妙に長く感じられ、またカットをつなぐ際の人物の位置のつながりの塩梅がなんだか居心地悪く、冒頭でなんだか興を殺がれてしまった。中村賀津雄のカラッとした魅力に加え、花柳小菊扮するおりんの捨て台詞の吐きっぷりとか女房を賭けのカタにしといてなんだよ≠ニいう表情とか、あるいは今朝吉が旅の途中で出会う門付娘おなつがまだ可愛らしい頃の山東昭子だったりと、見どころもあるだけに残念→金宮酎ハイ×1→『極道VSまむし』途中までで就寝。午前3時頃。
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