2025年11月30日

11月まとめ(21〜30日)


納骨、フジTVのザ・ノンフィクション『私の父のなれのはて2〜全てを失った男の最期〜』(粂田剛監督)、Fragments of JOJO Vol.2 於四谷三丁目〈CON TON TON VIVO〉、亡父宅明け渡し、歌舞伎『俵星玄蕃』、ロアルド・ダール/メル・スチュアート/ジーン・ワイルダー『夢のチョコレート工場』、〈土井商店〉企画地味なスタンプラリー<Rンプリート、『炎のデスポリス』、坂口安吾/野田秀樹/中村勘九郎/中村七之助/中村扇雀『シネマ歌舞伎「野田版 桜の森の満開の下」』。

11月21日(金) 朝6時半起床。珈琲。寝坊が怖くなり、2時間くらいしか眠れなかった→朝食なしで、早めに〈富士霊園〉に向かう→10時前着、手続きと支払い済ます→〈レストランふじみ〉にてホットケーキ半分、珈琲→木村家到着したので墓所に移動、11時より無事納骨開始し、完了後お線香あげておいとま→我々だけ霊園事務所に寄り、墓石と墓誌の文字塗り直しを依頼→道間違えて遠回りして、遅れて〈名鉄菜館〉着、木村家と再び合流。ノンアルコールビールで乾杯し、豚肉細切り焼きそば(揚げ麺)→姉が何故か点心をどっさり買って土産に持たせてくれたので、さらに買い物するのも面倒になり〈渡辺ハム工房〉はよしにして、〈名鉄菜館〉より直接御殿場ICに向かい東名高速に乗って帰宅。渋滞を少し心配したがまったく混んでおらず、2時間弱で到着→荷解きはあとにしてビール中瓶半分飲んで午睡→風呂→柿ピー、水晶餃子、焼売、豚肉細切り焼きそば、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→夜10時就寝。
11月22日(土) 深夜起床→ゴミ出し、納骨完了に伴う仏具引越し、明日の朝食製作など→『大人の見る繪本 生れてはみたけれど〈新音声版〉』(原作:ゼェームス・槇、監督:小津安二郎。斎藤達雄、菅原秀雄、突貫小僧、吉川満子、小藤田正一、早見照代、阪本武、加藤清一、飯島善太郎、藤松正太郎、葉山正雄、西村青児、笠智衆。1932、松竹キネマ)。昨年の一月にも観ていて(1月4日)、そのときに感想を詳しく書いていたのであとで引いておくが、今回は意地を張っているのが解けていく様子の描き方に感心・感動≠ニいう点を強く感じた(吉川満子扮する母親の表情や存在感がそれに大きく寄与していると思う)。しかし亀吉(飯島善太郎)は、太郎(加藤清一)の家での、重役の父岩崎(阪本武)の撮った活動写真の鑑賞会に招かれず(雀の卵を持っていなかったから)仲間外れになるのだが、仲間外れが解決されないまま、物語は良一(菅原秀雄)と啓二(突貫小僧)が父吉井健之介(斎藤達雄)とぶつかるくだりに移行するのだな。その辺はちょっと残念かもしれない(いまさら気づいたので再確認が必要)。以下、前回の感想。「麻布から郊外(池上線沿線という設定のようだ)に引っ越してきた小学生の兄弟(菅原秀雄、突貫小僧)と元々その土地にいたガキ大将たち(飯島善太郎、加藤清一)との衝突と交流が描かれ、それはそれで力のバランスが活発に変わっていく様が面白いのだが、そこから大人の世界の偉い/偉くない≠ニいう価値判断にも話が波及していくのが面白い。言い換えれば、ガキ大将を制圧した転校生兄弟の父(斎藤達雄)が、元々ガキ大将の一味だった男の子(加藤清一)の父親(阪本武)の会社の部下、という、子供の世界と大人の世界の力関係の捩れが、物語に深い味わいをもたらしていると思った。そうしてこじれた親子関係が和解に至る様子や、兄弟が新しい学校の友人たちに馴染んでいく様子が、最終的には暖かく描かれていたという印象を残すのだが、その印象には子供同士のケンカが小津のユーモアを湛えた視線で描かれていたり、兄弟の父の上司がまったく高圧的でない様子だったりなのに加え、優しげで慈悲深いように見える兄弟の母親(吉川満子)の印象が少なからず影響しているようにも思った。小津のモダン趣味はそれほど強くない印象だが、どの画面も構図がとても美しいのも本作の魅力と思う(Wikipediaに「サラリーマン社会の悲哀を子供の視点から描いた喜劇映画」とあり、そう書いてしまえばそれで済むとも思うが、それで済ましたくないと思い自分なりの言葉を費やしてみた)」→煮干し出汁殻、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1→朝6時就寝→朝10時半起床。白湯→しじみ汁、舞茸粥、佃煮(糸切り昆布、アミ)→一階の遺骨周りに置いていた品々を二階の仏壇周りに移動、ゆうちょ銀行口座開設の申込書記入など→山かけそば(おろし遠野蕪、刻み海苔)→風呂→居間のエアコン、コンセントをいったん抜いて(20〜30分間を空けて)から挿し直してみたが、出力改善せず。これは修理か買い替えだな→『俺たちに明日はない』(原題『Bonnie and Clyde』、監督:アーサー・ペン。フェイ・ダナウェイ、ウォーレン・ベイティ、マイケル・J・ポラード、ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ、デンヴァー・パイル、ジーン・ワイルダー、エヴァンス・エヴァンス、メーブル・キャヴィット、ダブ・テイラー。1967、米Warner Bros./Seven Arts)。いわずと知れたアメリカン・ニュー・シネマの金字塔的作品で、映画の可能性を大きく広げた作品であることはわかった(恥ずかしながら今まで観ていなかった)。が、今となっては、という感想も否めない。序盤でクライド・バロウ(ウォーレン・ベイティ)が銀行に家を取られた農夫に同情を寄せる場面(その後クライドは銀行強盗の際も貧しい客からは金を奪わない)はちょっとジンとさせられるし、クライドが他人に自分の名前と銀行強盗である旨を明かすあっけらかんとして朗らかな様子は面白いし、クライドの兄バック(ジーン・ハックマン)の妻ブランチに扮したエステル・パーソンズの芝居はあの立場の人間の真に迫っていてよいと思ったし、終盤の、途中で拾った仲間のC・W・モス(マイケル・J・ポラード)の家に匿われたボニー(ウォーレン・ベイティ)とクライドが束の間の安息の日々を送り安らかな生活の魅力を知り、しかしその矢先に激しい銃撃を受け殺害されるという流れも強烈な印象を確かに残すものの、まあそんな感じねと退屈を覚える場面も少なくなかった(クライドが不能?だったが安息の日々の中で初めてボニーと錠を交わしたり、あるいはクライドが帽子をいじくり回したりするのに何か意味があると受け取ったが、その意味が明確にはわからず仕舞いだったこともあるか)。その辺は、本作の所為ではなくて、ニュー・シネマ=iアメリカに限らず)をさんざん観てから本作を観た私の所為ではあるが、アメリカン・ニュー・シネマ以前の作品でも多く新鮮な驚きや感動を得てきた者としては、複雑な思いも得た(最初の計画どおりフランソワ・トリュフォーまたはジャン=リュック・ゴダールが監督していたらどうなっていただろうか)→菊水堂ポテトチップス、柿ピー天、茹で里芋、豆腐と菜の花の煮物、カップヌードルとカップヌードルカレーそれぞれ半分、生卵、ビール中瓶×2、金宮レモンハイ×4→夜9時半就寝。
11月23日(日) 朝6時半起床。白湯→しじみ汁、舞茸粥(溶き卵)→二度寝→野菜ポタージュ(小松菜)、ロースハム、自家製クルトン→フジTVのザ・ノンフィクション『私の父のなれのはて2〜全てを失った男の最期〜』(粂田剛監督)。ついに平山さん≠ィ亡くなりに。しかし総合的には幸せな人生だったのではないだろうか。そんなようなカメラの筆致≠ェ印象に残った→まだなんとなく眠く午睡にするかと思ったが、歯を磨いたら眠気去ったので風呂→夕方右足先が軽く痛み、またなんとなくふらつく感じもあったので不安も感じたが(腰椎椎間板ヘルニアを患った際にもらったクスリを飲んでみた)、恐る恐る四谷三丁目まで出かけ、〈CON TON TON VIVO〉にて『Fragments of JOJO Vol.2』見物、高柳昌行の思い出話を拝聴。出演は主催のJINYA DISC斉藤安則、ギタリストの今井和雄、ゲストに高柳のライブ企画などで知られるプロジェクト21や『ジャズ批評』編集部で活動していた玉井新二。ジャズ批評家YSの悪評が面白かった。今回も録音させてもらったので、またあとでゆっくり聴く。タコス、チリコンカン、ピクルス、キューバサンドイッチ、赤葡萄酒×1/2、ビール小瓶×1→主催者のB電子はじめ、ひさしぶりにお会いする方々にご挨拶しおいとま。B電子にはK山さんへのお香典をお渡しする→〈bar dress〉にて一杯。なんだか調子よくなり、ジャマイカのラムをショットで五杯→平和に電車で帰宅。駅前の7-11にて「Tea for Two」の楽譜出力し(出かける前にネットで予約)、カップラーメン啜ってから就寝。午前2時頃。
11月24日(月) 朝8時起床。白湯→野菜ポタージュ(小松菜)、エピ(オリーブ油、塩)→風呂→きつねうどん(落とし卵、刻み小葱)→午後亡父宅の明け渡し。早めに着いて最後の掃除をざっとして、副ホーム長(最後最もお世話になった)と姉に立ち会ってもらって鍵をお返ししおいとま。ここに来るのもこれが最後か→外食も買い物もせず(ガソリン補給のみ)まっすぐ帰宅→帰宅して菊水堂ポテトチップス、小松菜とベーコンの炒め、海老蒸し餃子、小籠包、レバーケーゼ、舞茸粥、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×1→ 『新宿泥棒日記』(監督・編集:大島渚。唐十郎、横尾忠則、横山リエ、田辺茂一、高橋鉄、佐藤慶、渡辺文雄、戸浦六宏、小松方正、麿赤兒、李礼仙、大久保鷹、不破万作、九頭登、藤原マキ、山中広介、四谷シモン、若林美宏。1969、創造社製作/ATG配給) 観ながら金宮酎ハイ×4→夜8時就寝。
11月25日(火) 深夜起床→朝食の支度→朝6時就寝→朝10時起床。お茶→じゃがいもと油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆→昼過ぎ出かけ、まずは郵便局(経堂の本局)にて貯蓄口座開設。姉より、相続分の送金?に使用とのこと→〈魚眞〉にて正月の刺身など注文してから〈朝日屋〉にて天ぷらそば、御酒×1/2。〈土井商店〉企画地味なスタンプラリー′ワ軒目。ずっと以前に一度だけ行ったことがあるが(2017年3月)、そのとき天丼に感心したのを覚えている。本日は天ぷらそばにしたが、これは海老天一本のみの昔ながらの天ぷらそばで、まあ正直特に感心はしなかったが、満足はした→その界隈の八百屋で買い物して、〈アダン〉で花買って帰宅→風呂→菊水堂ポテトチップス、しらすオクラおろし、酢昆布、納豆オムレツ、鰯塩焼き、じゃがいもと油揚のおつけ(うずらの卵×1)、ビール中瓶×1、御酒盃×5→夜9時就寝→深夜起床→『俵星玄蕃』(講談『赤穂義士外伝 俵星玄蕃』より、脚本:竹柴潤一、演出:西森英行。中村吉三郎、尾上辰緑、市川荒五郎、中村吉之丞、河原崎権十郎、坂東亀蔵、市村橘太郎、市川青虎、尾上松緑、柏要二郎、杵屋正一郎、尾上左近、中村松江。2023、松竹)。2023年12月の歌舞伎座「十二月大歌舞伎」にて上演された演目の録画中継。講談の『赤穂義士外伝 俵星玄蕃』(厳密には『赤穂義士銘々伝〜杉野十平次と俵星玄蕃』?)を、神田松鯉の協力を経て竹柴潤一が歌舞伎の脚本を書いた新作♂フ舞伎。物語は討ち入り前日から始まり、杉野十平次(夜鳴き蕎麦屋の当り屋十助に身をやつしている)はすでに俵星玄蕃とは昵懇の仲であり、また吉良邸の内部を探ったのちと、コンパクトにまとめてあり、また討ち入り自体は描かず、山鹿流陣太鼓の音を聞いた俵星玄蕃が助太刀をしようと外に出たところで杉野十平次を含む赤穂浪士の面々と出会い、助太刀は諦めるがまさに討ち入りの最中吉良方の加勢に来た侍たちと俵星玄蕃が立ち回りを繰り広げるところがクライマックス。そこの盛り上がりも含め(小規模だが屋台崩しまである)、1時間10分ほどに、(大石内蔵助も出さないのに)とてもうまくまとめたものだと感心、感動。俵星玄蕃には尾上松緑、そして杉野十平次には坂東亀蔵。坂東亀蔵が火事でお亡くなりになったことを知らずに(たしかその事故の前に)録画予約をした次第だが、つくづく惜しい役者を失ったものだと、坂東亀蔵の芝居を見て思った。後悔しても仕方がないが、生の舞台にも触れておきたかった(本作の翌月に尾上松緑、坂東亀蔵、尾上左近出演にて上演された、同じく「赤穂義士外伝」の『荒川十太夫』も放映されるそうなので、見逃さないようにしたい)→酢昆布、釜揚げしらすとうずらの卵、おろしそば、御酒盃×4→朝5時就寝。
11月26日(水) 朝10時起床。お茶→じゃがいもと油揚のおつけ、ねこまんま(釜揚げしらす)→午前中特になにもせず→ハムサンドイッチ(シャンピニオン、ダッチパン)、薄焼き卵パン(ダッチパン)、ビール中瓶×1/2→午睡→晩の支度(煮物、おしたし、キャベツ千切り)→風呂→『阿修羅のごとく Part2』や中村勘三郎の軌跡を追ったドキュメンタリー見ながら、菊水堂ポテトチップス、ちぢみほうれん草おしたし、大根とオクラと油揚の煮物、揚げ春巻きとキャベツ千切り(胡麻油、酢)、鰯骨煎餅、汁かけ飯(半膳)、ビール中瓶×1、御酒×1→〈むらさきmusicラボ〉で披露する「Tea for Two」の構成など考えてから、夜11時就寝。
11月27日(木) 深夜起床→『夢のチョコレート工場』(原題『Willy Wonka & the Chocolate Factory』、原作:ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』(Charlie and the Chocolate Factory)、監督:メル・スチュアート。オーブリー・ウッズ、ピーター・オストラム、ヴェルナー・ヘイキング、エルンスト・ツィーグラー、ドーラ・アルトマン、ジャック・アルバートソン、フランツィスカ・リービング、ダイアナ・ソウル、デビッド・バトルリー、マイケル・ボルナー、ウルスラ・レイト、ギュンター・マイスナー、ジュリー・ドーン・コール、ロイ・キニア、デニス・ニッカーソン、レナード・ストーン、パリ・テメン、ノラ・デニー、ジーン・ワイルダー。1971、米Wolper Pictures製作/Paramount Pictures配給)。チャーリーの父親が最初から不在、工場に入る子供の付き添いがひとりのみ、入場時の契約書、くるみを割るリス≠ェ金の卵を産むガチョウ≠ノ変更などなど、原作や後年のティム・バートン監督『チャーリーとチョコレート工場』との相違点はいくつかあるが、本質的には同じ物語と言ってよいと思う。そしてティム・バートン版と最も大きく異なるのは、ティム・バートン版は全体的にファンタジー色に彩られているのに対して、本作は地べたの現実とファンタジーとの対比が基調になっている点ではないかと思った。もっとも映像製作技術的な問題でそう感じる部分も多いと思うが、本作での学校の子どもたち、町のお菓子屋や町の様子などは1971年当時の現実≠反映しており、その味わいが後半のウォンカ(本作ではワンカと発音/字幕表示されていた)の工場とのコントラスト−−印象的な−−を産んでいたのではないかと思う(そう思う一方で、チャーリーの家の老人四人がひとつのベッドに横たわっている様子は非現実的ではあるのだが)。先述した「映像製作技術」の時代的拙さを感じはするが、それが醸し出す手造り感≠フ味わいや手造り感≠ェある割には映像的完成度も感じられる点を考えると、ティム・バートン版と並んで永く鑑賞され続けるべき作品と思った→大根とオクラと油揚の煮物、ハムキャベツ、御酒×1→朝6時過ぎ就寝→朝10時半起床。お茶→ぶなしめじと油揚のおつけ、ご飯、佃煮(アミ、きりいか、くるみ甘露煮)、ウズラの卵×2→青木家親戚会食、柴又の〈川千家〉に予約(12/19 13:00)。コースの予約しかできず、コース内容も変更できないがお目当ての鰻は小鰻重なので、白焼を追加。食べ切れるか→〈土井商店〉企画地味なスタンプラリー<Iーラス六軒目は〈まことや〉にてにんにくら〜めん、ビール中瓶×1。にんにくら〜めんは初めて、かなり強烈にスタミナが付きそうだ→買い物に行くO形と分かれ郵便局寄って墓石と墓誌の文字塗り直し費用支払い→帰宅して〈今治謹製〉に香典返しの品発注と支払い(銀行振込)、および手元の預かり金の勘定。あとは香典返しの発送済ませれば、こちらでの金の出入りはほぼ終了か。なかなか片付かなくもあり、着実に片付いてもいる→午睡→先ごろ事故で急逝されたバード電子のパート社員K山さんにお香典差し上げたところ、そのお返しにきのこが大量に届く(舞茸、やまぶしたけ、椎茸)。K山さんのご家族がきのこ工場を営んでおられるとのことだが、海老で鯛を釣った趣→風呂→蕪酢(かつ節)、蕪の葉とベーコンの炒め、ハムソテー(シャンピニオン、ロースハム)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×1/2→昼のニンニクに疲れたようで(うまかったが)早々に就寝。
11月28日(金) 深夜起床→『炎のデス・ポリス』(原題『Copshop』、監督:ジョー・カーナハン。アレクシス・ラウダー、チャド・コールマン、フランク・グリロ、ロバート・ウォーカー=ブランショー、ライアン・オナン、クリストファー・マイケル・ホリー、ホセ・パブロ・カンティーロ、ジェラルド・バトラー、マーシャル・クック、トレイシー・ボナー、トビー・ハス。2021、米Zero Gravity Management、WarParty Filmsほか製作/Open Road Films配給)。邦題を見て面白そうと思ったもののあまり期待はしないで観たが(というかバカ映画を期待したわけだが)、田舎の警察署という閉じた場所を舞台にけっこう手に汗握る駆け引きやアクションが繰り広げられる、手堅い感じのアクションスリラー映画だった。新人警官という設定のヴァレリー・ヤングに扮したアレクシス・ラウダーの芝居のキレがよく、自分が逃げることだけを考えている不実さを巧みに隠すずる賢い詐欺師のテディ・マレット(フランク・グリロ)、テディを殺しに警察署に潜入した意外に誠実な面もある殺し屋のボブ・ヴィディック(ジェラルド・バトラー)、ボブの失敗を見越したマフィアが送り込んだサイコパスの殺し屋アンソニー・ラム(トビー・ハス)の三人それぞれの人物造形と芝居が鮮やかで、この四人の、先述した「駆け引きやアクション」が、すでに警察がマフィアに(ある程度)乗っ取られているという土台の上で繰り広げられるという構造に、手に汗握る思いをさせられた次第。カーティス・メイフィールドの「Freddie's Dead」を、逃げるボブと追うヴァレリーの双方が口ずさむカットバックがボブが逮捕される?予感を孕む終幕も含めて、大きく洒落てたり可笑しかったりといった要素には乏しいが、いい感じにずっしりとした手応えを得た映画だった。これは拾い物であった。ちなみに原題の「Copshop」は「警察署」という物語の舞台そのままの意味。これを「炎のデス・ポリス」という邦題にしたのが当たりなのかどうかは、よくわからない→菊水堂ポテトチップス、鰯骨煎餅、釜揚げそば(ウズラの卵×2)、金宮酎ハイ×2、御酒×1→朝6時就寝→昼頃起床。白湯→ぶなしめじと油揚のおつけ、ご飯(釜揚げしらす、ウズラの卵×1)→食後横臥→昼過ぎ三鷹に向かい、まず郵便局でゆうパックの袋購入(香典返し発送用)。それから姉宅に届け物(亡父への請求書や領収書の類と、私のゆうちょ銀行通帳)→用事はその二件のみ。深大寺に回って〈松葉茶屋〉にて焚き火眺めながら十割せいろ→〈サミット〉で買い物して帰宅→午睡→風呂→昨夜観た『炎のデス・ポリス』再見しながら、ちぢみほうれん草おしたし、きのこ鍋の豚しゃぶ(舞茸、やまぶしたけ、ぶなしめじ、椎茸、大根、蕪の葉)、ビール中瓶×2.5→抑制の効いたよい晩ごはんだったので食後眠くなるより活力がみなぎり、鍋の出汁で粥の準備をしたり、鍋の出汁に使った昆布で二番出汁を取り(かつ節も追加)おつけをこさえたりなど、明朝の食事を準備→『女地獄・森は濡れた』(原作:マルキ・ド・サド『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』、監督:神代辰巳。伊佐山ひろ子、中川梨絵、絵沢萠子、山科ゆり、叶今日子、山谷初男、堀弘一、高橋明。1973、日活)。サドの原作を大正時代の日本に置き換えたわけだが、冒頭で映る海辺の町並が昭和のそれ丸出しなのが、特にそうする意図も感じられなかったので、その時点で興醒め。『ジュスティーヌ』と言われてもねえ、というのも正直な感想。サディスト夫婦に捕えられる流浪の女幸子に扮した伊佐山ひろ子もなんだか精彩を感じられず、サディスト夫婦に扮した中川梨絵と山谷初男の芝居は引き出しが多く感じられていいなと思ったものの、SMのなんたるかをわかっていないか勘違いしているような描写(SMを征服者の側からしか捉えていないような描写は敢えてかもしれないが)や理屈の描き方が青臭い点で、私にはダメだったな。大正時代が背景ということで「ダイナマイト節」などが盛り込まれるのは面白かったが、まあ事情として仕方がないと思われるにせよ、大正デモクラシーと変態性欲に焦点を当てつつポルノとして撮らなければよかったのではないかと思う(ポルノとして撮らねばならなかったのがつくづく不幸と思うのだが、果たして)。冒頭の、隧道が多く映る感じは悪くはなかった→菊水堂ポテトチップス、ビールロング缶×1、ラムソーダ割り×2→朝方就寝。
11月29日(土) 午後1時半起床。カフェオレ→蕪と油揚のおつけ、きのこ鍋の粥、佃煮(アミ、きりいか)、柿→レターラック整理。そんぽの家への入居時(当時は今とは別会社が運営)の契約書ドラフトなどを処分→K山娘さんよりのお香典返しへのお礼状作成。手書きの手紙は緊張するし、うまくいかないものだ→『アニエス V.によるジェーン B.』(原題『Jane B. par Agnès V.』、監督:アニエス・ヴァルダ。ジェーン・バーキン、アニエス・ヴェルダ、フィリップ・レオタール、アラン・スーション、イアン・マーシャル、シャルロット・ゲーンズブール、ラウラ・ベッティ、アンリ・ピエノワール、ジャン=ピエール・レオ、ファリド・チョパル、パスカル・トルサット、セルジュ・ゲーンズブール、マチュー・ドゥミ、アンドレ・カニャール、ジェームズ・ミラード。1988、Ciné-tamaris製作/Capital Cinéma配給)。アニエス・ヴェルダによる、ジェーン・バーキンの来し方のドキュメンタリー(と言ってよいのだろうか)。ジェーン・バーキン≠ニいう存在の周りをふわふわとした視点が漂っているような印象で、ジェーン・バーキン≠フ本質に鋭く迫るという感じではなかった分、つかみどころがないという感じはした。一度でたくさん、でもないので、何度か観てみたい→菊水堂ポテトチップス、鰯骨煎餅、ビールロング缶×2→風呂→舞茸肉うどん(うずらの卵×1)→夜11時頃就寝、と思ったが、結局眠れず、深夜起床→『シネマ歌舞伎「野田版 桜の森の満開の下」』(原作:坂口安吾、作・演出:野田秀樹。中村勘九郎、片岡亀蔵、坂東新悟、中村梅花、坂東巳之助、坂東彌十郎、市川猿弥、中村吉之丞、中村扇雀、市川染五郎、中村梅枝、中村七之助、中村芝のぶ、市川弘太郎、中村虎之介、中村児太郎。2019、松竹)。まったく言葉にできないが、演出と役者の芝居に圧倒された。「シネマ歌舞伎」としてのカメラワーク(クローズアップの用い方)なども、芝居を壊すようなことがなくてよかったと思う。それも含めて、家のセコいTVで観ていてこれだけ圧倒される演劇(の録画中継)というのも滅多にないな。安易に感想を書きたくないのでこれくらいにしておく→ニンニクスープ、ビール中瓶×1→午前4時過ぎ就寝。
11月30日(日) 朝8時起床。白湯→蕪と油揚のおつけ、きのこ鍋の粥(卵、しらす干し)→『アニエス V.によるジェーン B.』復習→もずくたぬきそば→録画整理→風呂→『悪魔が来たりて笛を吹く』(原作:横溝正史、監督:松田定次。千原しのぶ、杉葉子、片岡千恵蔵、千石規子、塩谷達夫、佐々木孝丸、加賀邦男、三浦光子、高田稔、喜多川千鶴、石井一雄、原健策、松浦築枝、毛利菊枝、岡譲二、山口勇、吉田義夫。1954、東映)。片岡千恵蔵の『金田一耕助』シリーズ第五作(『獄門島』は二部構成だったものが「総集編」しか残っていないので、これを一作と感情すると第四作ということになる)。長らくフィルムが失われていたが、2024年2月に16mmフィルムが発見され、劣化が激しかったが東映ラボ・テックにより修復およびデジタル化が行われた。フィルムが完全には見つからなかったのだろう、多少つながりの悪い箇所がいくつかあるが、物語を理解する上では問題なかった。そういう意味ではたいへん貴重な一本であるわけだが(ちなみに『八ツ墓村』と『犬神家の謎 悪魔は踊る』−−いずれも最初の映像化−−は未だ失われたまま)、本作ではあっと驚く?片岡千恵蔵扮する金田一耕助の変装やあるいは片岡千恵蔵のひとり二役もなく、改変は少なくないが原作をそつなく映像化したという印象。白木静子(本作では千原しのぶ)がいきなり冒頭に登場し事件について観客に語りかけたり、被害者のひとりの愛人役の喜多川千鶴、女中役の千石規子の芝居が印象に残った以外は(千石規子は目立つ役ではないがちょっとした場面での表現力が光っていた)、記憶に残るようなところはなかったように思う。とはいえ、そつがない≠ニ思ってしまった故に観方が雑になったかもしれない→菊水堂ポテトチップス、キャベツ千切りとしらす干し(塩、胡椒、酢、オリーブ油)、ニンジンじゃがいもニンニクのコンソメスープ、豚バラ肉と舞茸とトマトのペペロンチーノ(クミンシード、カルダモン)、ビール中瓶×2→本日の『笑点』は林家ペー、これが最高。そして晴の輔が十枚→そばつゆ製作→O形漫画教室(を運営している私塾)の発表会から帰宅したので、『笑点』など再見しながら一杯。金宮酎ハイ×2→午前1時就寝。
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