2025年12月20日
12月まとめ(11〜20日)
シャーロット・ズヴェリン『セロニアス・モンク/ストレート・ノー・チェイサー』、田中徳三/藤村志保『怪談雪女郎』、『THE W 2025』(紺野ぶるま、エルフ、ニッチェ)、山田風太郎/長谷川安人/丹波哲郎『忍法忠臣蔵』、「Tea for Two」編曲(発表会向け)に着手、三谷幸喜/長澤まさみ『スオミの話をしよう』、鍛冶昇/和泉雅子/山内賢/和田浩治『東京ナイト』、吉田憲二/和泉雅子/北村和夫/山内賢/芦川いづみ『私は泣かない』、森山啓/浦山桐郎/和泉雅子/浜田光夫『非行少女』、小沢茂弘/藤純子/鶴田浩二/木暮実千代『女渡世人』。
12月11日(木) 午前8時半起床。白湯→もやしと薄切り豚ロースのスープ、ハムサンドイッチ(塩パン)、珈琲→昼前にクルマで出かけ、東久留米の〈川松〉にて朝O形が手配した鰻受け取り、O形実家へ。お義母さんと三人で鰻重(竹)で昼→午後1時頃おいとまし、〈角上魚類〉で買い物して帰宅→風呂→『セロニアス・モンク/ストレート・ノー・チェイサー』(原題『Thelonious Monk: Straight, No Chaser』、監督:シャーロット・ズヴェリン。セロニアス・モンク、ボブ・ジョーンズ、チャーリー・ラウズ、バリー・ハリス、トミー・フラナガン、ハリー・コロンビー、テオ・マセロ、セロニアス・モンク Jr.、フィル・ウッズ、ニカ・ドゥ・コーニングウォーター。1988、米Malpaso Productions製作/Warner Bros.配給)。セロニアス・モンクの音楽活動を中心に、共演者、友人、マネージャー、プロデューサー、家族などの証言からその生涯を再構成したドキュメンタリー。1980年代にモンクを撮った映像が大量に発見されたことから作られたそうだが、演奏を撮った映像はすべて断片ではあるけれども、こうしてまとめてくれたのはありがたいと思う。ピアノを弾く手もとを撮った映像にはモンクの演奏技術に改めて驚かされるし、その所為かモンクの音楽の独自性(旋律や和声など)にも改めて気付かされた。ちなみに本作は無名の(世間一般にはそれほど知られていない、くらいのほうがよいか)の映画監督−−1967年に弟マイケルとともにドイツでセロニアス・モンクに関する一時間番組を制作したことがあるクリスチャン・ブラックウッド−−や映画プロデューサーなど四名(ブラックウッド兄弟に加えプロデューサーのブルース・リッカー、本作に監督として携わったシャーロット・ズヴェリン)が集まって企画されたが、モンクの生涯をドキュメンタリーとして扱う際の権利の問題や資金難から、ジャズを高く評価しているクリント・イーストウッドに協力を依頼。クリント・イーストウッドが自身の製作スタジオであるマルパソ・プロダクションにて製作することに同意し自身も製作総指揮として資金を集めたとのこと→菊水堂ポテトチップス、キャベツ千切りと海苔の酢の物、ちりめんじゃこおろし、昆布出汁殻醤油煮、煮干し出汁殻醤油煮、穴子白焼、もずくと葱のおつけ、たぬきそば(刻み葱)、ビール中瓶×1、御酒×2→夜11時就寝。
12月12日(金) 朝8時起床。白湯→もやしと油揚のおつけ、ご飯、たらこ→昼前経堂駅前に出て、コルティ二階の〈パリミキ〉にて試着を予約しておいた跳ね上げ式メガネ二本を確認、一本を購入→〈オオゼキ〉で食料少し買って帰宅→イカ天玉そば(万能葱)、御酒×1→午睡→夕方、〈bar dress〉へ。シュトーレンの受け取りついでに、ジャマイカラムのショットを五、六杯。途中で地震もあったが、楽しい時間だった→シュトーレンのほかケーキを二種(アップルパイ、エンガディナー)購入し、平和に電車で帰宅→『ぜったい愛して』観ながらぶり大根、ビール中瓶×1、御酒×1→夜0時就寝。
12月13日(土) 朝10時起床。白湯→もやしと油揚のおつけ、ご飯、納豆、ちりめんじゃこ→風呂→『怪談雪女郎』(監督:田中徳三。花布辰男、石浜朗、藤村志保、村瀬幸子、北原義郎、須賀不二男、原泉、清水将夫、鈴木瑞穂、斎藤信也、長谷川待子、内藤武敏。1968、大映)。発端と基本的な設定こそ小泉八雲がまとめた「雪女」から取ったものと思うが、途中の展開は脚本の八尋不二のオリジナルか(クレジットには原作:小泉八雲の記載はない)。過不足のない「雪女」ものと受け取ったが、藤村志保扮する雪女の人のよさそうなところと、終幕で降り頻る雪の中を雪女が去っていく絵の美しさが印象に残る。特に後者は、これはできれば映画館のスクリーンで観たいと思った。怖さよりも物怪が人の情け≠持っている面白さが、本作の値打ちではないかなと思う→菊水堂ポテトチップス、ぶり大根、きつね月見そば(万能葱)、ビール中瓶×2、御酒×1→午睡→『THE W 2025』。紺野ぶるま、エルフ、ニッチェ以外(もめんと、電気ジュース、とんでもあや、パンツ万博、ヤメピ)は、出演させたのが可哀想に思えるほどの不出来。TV局にもなにか思惑があるのだろうが、番組(商品)として成り立っているとは思えなかった。審査員のひとり粗品の評は辛口ではなく的確・誠実と思ったが、客のレベルが云々は楽屋で言えばよかったのでないかな(番組内での講評では客前で受けているとは思うが、それに慢心せず〜≠ュらいでもよかったのではと思ったが、果たして)→生揚げと大根とニンジンの煮物、トマトとチーズのサラダ、レバーケーゼ、ビール中瓶×1、御酒×2→午前3時就寝。
12月14日(日) 朝9時起床。白湯→もやしと油揚のおつけ、卵かけご飯、納豆、ちりめんじゃこ→そばつゆ製作→釜揚げそば(うずらの卵×2、揚げ玉、万能葱)→風呂→『笑点』見ながら昆布出汁殻醤油煮、菊水堂ポテトチップス、舞茸天ぷら、煮干し出汁殻素揚げ、生揚げと大根とニンジンの煮物、もやしと油揚のおつけ、ビール中瓶×1、御酒×1→夜9時半いったん横臥→深夜起床→朝食の準備→『忍法忠臣蔵』(原作:山田風太郎、監督:長谷川安人。丹波哲郎、桜町弘子、神戸瓢介、佐藤京一、宍戸大全、阿波地大輔、河村満和、鈴木金哉、福本清三、有川正二、笹々木俊司、志賀勝、蓑和田良太、岡島艶子、西村晃、三島ゆり子、扇町京子、阿井美沙子、内田高子、弥永和子、小島恵子、大木実、小林昭二、南都雄二、脇中昭夫、村居京之輔、原京市、田中邦衛、岬瑛子、五十嵐義弘。1965、東映)。物語の物量というか重さという点では原作に敵うべくもないし(尺の点からこれは当たり前だが)、忍法を楽しむという点でも忍法に関する表現は弱いとは思ったが、原作を読む際の感興を味わえないかといえばそうでもない、という趣と思った。男と女の入れ替わりやSM的表現などは映像だからこそだし(もっとも原作にSM的な描写があったかどうかは失念)、津島利章の無調風音楽の効果も映画ならではだったから、映画化の意味はあったと思う。これは原作もそうだったと思うが、忠義というのがほんとうに素晴らしいことなのかを見つめ直そうという思考も、本作からはちゃんと感じられた→金宮酎ハイ×2→朝5時就寝。
12月15日(月) 朝10時起床。白湯→あさり汁、ご飯、たらこ、酢昆布、鰹ふりかけ→「Tea for Two」の編曲にやっと着手→スパゲティ・ナポリタン→午後も「Tea for Two」。完成はまだまだだが、ヴァースまではとりあえずまとめた→風呂→『スオミの話をしよう』(脚本・監督:三谷幸喜。戸塚純貴、西島秀俊、瀬戸康史、遠藤憲一、長澤まさみ、宮澤エマ、坂東彌十郎、阿南健治、操上和美、梶原善、小林隆、ゆうたろう、松坂桃李。2024、エピスコープ、フジテレビジョン、東宝製作/東宝配給)。悪評があるのを知っていたので観るのをためらっていたのだが、いざ観てみるとなかなかどうして。西島秀俊以外のスオミ(長澤まさみ)の元/現夫≠スち(遠藤憲一、松坂桃李、小林隆、坂東彌十郎)がいずれも達者で、西島秀俊の芝居は一本調子だったがそれが却って全体をよい塩梅に導いていたと思うし、前半少し退屈したものの中盤のセスナの場面で笑いが爆発し、それ以降から終幕のミュージカル≠ワで最高と思い、笑い通しだった。詩人(坂東彌十郎)の世話係の乙骨直虎(戸塚純貴)や、私的に捜査を依頼された元夫(四番め)にして刑事の草野圭吾(西島秀俊)の後輩・小磯杜夫(瀬戸康史)が最終的にスオミの喰い物になる流れも可笑しいし、スオミの協力者である薊(宮澤エマ)がひとりx役と思いきや同一人物だったという流れも可笑しいし、五人の夫それぞれでのスオミの境遇に想像の余地が残されていたのもよい。いいもの観たし、世評はあてにならないとつくづく思った。否定的な評をいくつか読んでみたところ、自分は映画をわかっている≠ニいうことを主張したいだけのように思ったが、舞台で観たかった≠ニいう意見にはほぼ賛成(私は舞台でも映画でも面白いと思ったので)。そして構想段階ではスオミの五態を全部違う俳優で撮ったらどうかという発想があったそうだが、その発想で撮られた本作も観たかったと思う→油揚とにんじんの煮物(玉葱、生姜)、キャベツと鮭缶のサラダ(かつ節、海苔)、大根煮(残り物)、舞茸天ぷら揚げ冷まし、目玉焼き、ピザ(チチニエリ、ボロネーゼ)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2、赤葡萄酒三杯→午前1時就寝。
12月16日(火) 朝10時半起床。白湯→あさり汁、ご飯、たらこ、ちりめんじゃこ、酢昆布→「Tea for Two」続き→ピザ(フンギふた切れ)、カフェオレ→『東京ナイト』(監督:鍛冶昇。和泉雅子、青空はるお、青空あきお、嵯峨善兵、中村芳子、三国一朗、山内賢、杉山元、木下雅弘、和田浩治、徳永芽里、小橋玲子、三遊亭歌奴、須田喜久代、高千穂ひづる、金原亭馬の助、ビレッジ・シンガース、東京アイト、衣笠真寿男、神山勝、長内美那子、木浦佑三。1967、日活)。舞妓さんが姉を探しに(家には無断で)東京に出てきて、学生バンドの若者たちと交流を持ち、大事なことに気づくというそれだけの映画だが、舞妓小はなに扮する和泉雅子と学生バンドの山内賢に和田浩治の輝きと、主題曲「東京ナイト」の素晴らしさとで、ひとつの時代を象徴するような映画になっていると思う。内容は大したことがないのに、こういうことがあるから映画というものは面白いなあと思う→夕方バスで三軒茶屋。Y子さんよりO形が教えていただいた〈炉端とおでん サンカク〉にてB電子と忘年会。来年、Tしま君作の楽曲「素晴らしい毎日」をバンドその他で演る催しをやりましょうと、来年の目標ができる。面白かった。牛すじ豆腐、海苔しおポテト、おでん(ちくわぶ、生揚げ、大根)、カルダモンビール×1、御酒×2→なんだか眠くなったので、一軒でおいとま。平和にバスで帰宅→風呂→『笑点特大号』『東京ナイト』見ながらビール350ml缶×1、金宮酎ハイ×1、カップラーメン(飯田商店わんたん入り醤油らぁめん)→午前2時就寝。備忘:PASMO残¥2,541。
12月17日(水) 昼頃起床→あさり汁、ご飯、たらこ、酢昆布→洗濯したくらいで特になにもせず→月見そば(揚げ玉、万能葱)→『私は泣かない』を半分ほど→『有吉の壁』『阿修羅のごとく パートII』『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』見ながらキャベツとトマトのサラダ、油揚とニンジンの煮物、鮭のホワイトシチュー(ニンジン、じゃがいも、玉葱、カリフラワー、舞茸)、ダッチパン三切れ、ラムお湯割×3→午前2時就寝。今日はなにもしなかったな。
12月18日(木) 朝8時起床。白湯→鮭のホワイトシチュー、卵サンドイッチ→食後眠くなり午前中横臥→刻みそば(白髪葱、うずらの卵×2)→今年はO形に苦労をかけたが、諸々の果てに得た(得る)お金がなんとなくまとまってきたので、お礼として911,950ペセタほど進呈(銀行振り込み)。どうしたらよいか少しなら悩んだが、えいやとやってみたら一回で済んだ→風呂→
『非行少女』(原作:森山啓『三郎と若枝』より、監督:浦山桐郎。和泉雅子、浜田光夫、佐々木すみ江、浜村純、小沢昭一、櫻井とみ子、香月美奈子、小池朝雄、小夜福子、杉山俊夫、北林谷栄、佐藤オリエ、野呂圭介、沢村貞子、吉田志津子、大原好江、高原駿雄、小林トシ子。1963、日活)。本作の三年後に撮られた『私は泣かない』と同様、「愛情を知らずに育った不良少女(若枝=和泉雅子)」がこだわりから抜け成長していくという物語だが、『私は泣かない』の「身体が不自由な少年を不良少女とともに物語の中心に配置することで、このふたりの付かず離れずの成長の様子が双方を際立たせる格好」といった工夫はなく、真正面から少女の苦悩と成長を描いた、という印象だった。舞台は金沢の片田舎で、物語の中に内灘闘争(石川県河北郡内灘村(現在の内灘町)で起きたアメリカ軍の試射場に対する反対運動」(Wikipediaより)という地域社会の分断≠竅A町会議員となる兄太郎(小池朝雄)と東京で仕事に失敗し行き詰まって戻ってきた弟三郎(浜田光夫)という家族間の分断≠ネど当時の田舎≠ェ抱えていたと思われる差し挟み、そうした分断のある環境の中での行き詰まった若者(三郎)と不良少女(若枝)の成長を描いたという点は、ずっしりとした重みを感じた→『ビー・バップ・ハイスクール』(原作:きうちかずひろ、監督:那須博之。仲村トオル、清水宏次朗、中山美穂、本間優二、阿藤海、宮崎ますみ、古川勉、八巻保幸、小林啓志、草薙幸二郎、瀬山修、鎌田伸一、松田幸児、神谷潤、石井博泰、地井武男、岩本多代、小鹿番、小沢仁志、木下秀樹、一色彩子、原泉。1985、セントラル・アーツ製作/東映配給)。当時の人気漫画の映画化だが(1、2、4巻所収の回を一本の物語にまとめたそうだ)、暴力と笑いの塩梅などよく練られていて、楽しく鑑賞。感想はそれくらいかな。本作での清水宏次朗はかなり達者な役者と思ったので、その後は本作でのキャラクターにしばられたのか?、役柄の幅が広がらなかったそうなのは残念(ただしちゃんと確認したわけではないので、これについては見当はずれかもしれない)→菊水堂ポテトチップス、天ぷら(舞茸、やまぶしだけ)、大根おろし、稲庭うどん、ビール中瓶×2、金宮酎ハイ×4→『マンハッタン・キス』(脚本・監督:秋元康。室井滋、いしだあゆみ、ジョージ・ペック、柄本明、吉田栄作。1992、松竹)。鑑賞時のメモには、「金余り時代の日本のクソバブル映画」「日本の恥」と書かれていて、まったくそれ以上の感想はなし。ニュー・ヨークを舞台にしたオシャレな♂f画を作ろうとしたのだろうが、室井滋も柄本明も本来はバブル風味のペラペラした色気のある役者ではないので、せっかくの室井滋も柄本明も輝かず。そしてこの頃の吉田栄作は大根。そんな中でいしだあゆみは異次元の人物≠フような魅力を放っていたが、こんな映画に出なければならなかったのは(事情は知らないが)可哀想とすら思った。ご本人はどう思っていたのだろうか(プロだから仕事をこなしただけか)→ビール中瓶×1→午前1時就寝。
12月19日(金) 朝7時起床。白湯→鮭のホワイトシチュー、ダッチパンふた切れ、スクランプルエッグ→葛飾柴又にて親戚一同との亡父の四十九日的な集い≠ェあり、午後1時からだが慌てたくないので、かなり早めの朝9時過ぎに出発、小田急線から千代田線直通で金町→金町駅から浄水場まで歩き、浄水場の北辺沿いに江戸川の河原に出て、〈寅さん記念館〉まで散策。記念館も見物。こぢんまりとした展示ではあるが、大小の企画物件が大小なりに見応えがあり、楽しめた(私としては珍しく、いかにも観光客向けの寅さんとの記念写真≠燉用)。本日はあとがあったので鑑賞を端折ったところもあるが、次の訪問時には舐めるように見学し尽くしたい→〈帝釈天〉参拝ののち参道をぶらぶらして時間潰し、まあ早めに入っておこうかと予約時間の15分前に〈川千家〉を訪ねたところ、もう親戚一同顔を揃えていてびっくり。せっかちな一族だ→前菜、鯉あらい、天ぷら、鰻白焼、煮物、茶碗蒸し、小鍋(白菜、えのき、鶏つみれ)、小うな重(お吸物・お新香付)、和菓子、ビール中瓶×1、御酒×1(川千家)。親戚のみなさんとゆっくりお話しするのは子供のとき以来(つまり実質初めて)だが、笑いの感覚に共通点が多々あるのが可笑しかった。和やかなよい会だった。勇おじさんもお達者で何より→帰途は参道で佃煮など買い物してから、柴又から金町まで電車、金町からは小田急線直通で平和に帰宅→風呂→『パリタクシー』(原題『Une Belle Course』、監督:クリスチャン・カリオン。ダニー・ブーン、ナディア・ルグラン、リーヌ・ルノー、エリ・ケンプフェン、アリス・イザーズ、グウェンドリーヌ・アモン、ジェレミー・ラウールト、アドリエル・ルール、クリストフ・ロシニョン、フィリップ・ボーティエ、メリル・ムレイ、トーマス・オルデン、シルヴィ・オードクール、トム・ハドソン、ジュリー・デラルム、レオニー・カリオン、ジュリエット・シュタイマー、クリスチャン・カリオン。2022、仏Une Hirondelle Productionsほか製作/Pathé配給)。今年二月に初めて観て、今回が二回め。本日は酒のお供での再見なので新たな感想はないが、初見時には感動を覚え内容や感想など詳述していたので、そのまま引いておく。「92歳の老婦人マドレーヌ(リーヌ・ルノー)が老人ホームに入所することになり、タクシーを呼ぶ。依頼に応じた運転手シャルル(ダニー・ブーン)は、休みなく働いても経済的に困窮しており、おまけに免停寸前で始終イライラしているが、パリの反対側に行く§V婦人の求めに応じて老婦人の思い出の場所に寄り道して案内したり、老婦人の来し方を聞いているうちに、次第に心がほぐれていき、人を想う気持ちを取り戻す。という、それほど特異な物語ではないのだが、老婦人の父親はナチスドイツの犠牲となり、第二次大戦戦後に米兵マット(エリ・ケンプフェン)と恋に落ち息子(アドリエル・ルール)を授かるも別れ、新しくできた恋人レイ(ジェレミー・ラウールト)と結婚するが夫は結婚したとたんに横暴さを増し、暴力を振るう夫に火を点けたことで実刑を受け服役、また服役中に成長し報道写真家の道に進んだ息子(トーマス・オルデン)はベトナム戦争の撮影に行き戦死という老婦人の壮絶な経歴の描かれ方、語られ方が観る側の気持ちにすーっと浸透してくるような塩梅で、なんとも言えない(いい気持ち≠ノは違いないが簡単にそうは言いたくない)気持ちにさせられる。終幕の、シャルルが妻カリーヌ(ジュリー・デラルム)を伴ってマドレーヌがいる(はずの)老人ホームを訪れる場面にも感動させられた。なお本作のテーマ曲は「The Days of Wine and Roses」で、本作用に編曲されたオーケストラ演奏だが、「the days of wine and roses」という語句はもともと19世紀イギリスの夭折の詩人アーネスト・ダウスンの「Vitae Summa Brevis Spem Nos Vetat Incohare Longam」(ラテン語。Google翻訳では「人生の短さは、私たちに長い希望を持つことを禁じている」)の中の一節から取られている。そのダウスンの詩の中での「the days of wine and roses」は、前段と同じ「They are not long,」に続くので、前段の「They are not long, the weeping and the laughter,Love and desire and hate」と呼応すると考えられる。すなわち「wine」が「the weeping and the laughter」、「roses」が「Love and desire and hate」だろうか。いずれにせよ、「涙と笑い、愛と欲望と憎しみ」は長続きしない、そして「they have no portion in us after We pass the gate.」(門を通り抜けたあとには分け前を残さない)と続くから、若い頃の生活を彩る切実な感情の動きは、老後(門を通り抜けたあと)には失われている≠ニいう解釈も成り立つだろう。よって本作での「The Days of Wine and Roses」の採用は、「壮絶な経歴」も人生の最終盤に差し掛かるとそのときどきの感情の激しさに引っ張られずに回想できる、という意味合いと捉えたら考え過ぎか。ちなみに本作の音楽はフィリップ・ロンビという人物が担当しているが、トミー・ドーシーと彼のオーケストラの「On The Sunny Side Of The Street」やエタ・ジェイムズの「At Last」、ダイナ・ワシントンの「This Bitter Earth」も効果的に用いられていた。あと本作の原題は『Une Belle Course』だが、これは劇中の台詞(の字幕)からすると「美しき旅路」という意味のようだ(あのタクシーでの旅は人生最後の幸せな時間だった/美しき旅路≠ニはまさにこのこと/醜いアヒルの子でいい/旅立ちなさい/カリーヌとベティと)。『パリタクシー』という邦題はないんじゃないかな、と思った→菊水堂ポテトチップス、即席ラーメン(青葱ニンニク酢炒め、うずらの卵×2)、ビール中瓶×2→夜11時就寝。
12月20日(土) 朝9時起床。白湯→柴又〈高木屋〉草だんご、珈琲→さくじつの会合は(緊張感や食事量の多さから)思ったほどにはそんなに草臥れはしなかったが、午前中は灯油配達待機もあり、特になにもせず→『絶唱』(原作:大江賢次、監督:西河克己。和泉雅子、花沢徳衛、初井言栄、舟木一夫、山田禅二、鈴村益代、志村喬、太田雅子、雪丘恵介、岸野小百合、亀山靖博、木下雅弘、山本勝、井田武、林晴生、杉山元、原恵子、福田トヨ、明石潮、紀原土耕、三船好重、矢藤昌宏、有村道宏。1966、日活)。戦中の身分違いの恋を描いた小説の映画化。山陰地方の山林地主である「山園田」の息子園田順吉(舟木一夫)と「山園田」の山番の娘で園田家で女中を務める小雪(和泉雅子)はいつしか恋仲となるが、「山園田」の旦那惣兵衛(志村喬)は順吉には名家の娘を嫁に取るからと、小雪との仲を認めない。冒頭、泣きじゃくりながら山を駆け上り親元に戻る小雪に父母(花沢徳衛、初井言栄)が訳を問いただすと順吉が惣兵衛と小雪のことで喧嘩になった、という発端には物語に引き摺り込まれるが、その後はまあよくある(という印象の)展開ではあった。が、順吉が徴兵されてから、順吉の読書会の仲間たちや順吉と小雪が自分たちで暮らしていこうと世帯を持った下宿屋のじいさん(明石潮)とその息子の嫁(福田トヨ)などの人情に次第に泣かされ、病魔に蝕まれた小雪が順吉の福音を待っていたかのように他界したあとの順吉による婚礼と葬儀≠フ終幕では涙を押さえきれなかった。若い二人の行手を難んだのは戦争よりも旧弊な親の無理解というほうが印象に残る描き方だったが、その旧弊な親=惣兵衛や、惣兵衛に逆らえず小雪に嘘をつかざるを得なかった友人たちをも赦す¥ャ雪に心打たれ、その赦す≠ニいうことが本作の大きなテーマなのかなと思ったが、果たして。ちなみに本作の原作は、1958年に滝沢英輔監督、小林旭と浅丘ルリ子の主演で、また1975年に本作と同じく西河克己監督、三浦友和と山口百恵で映画化されている→黒胡麻煎、納豆にゅうめん(おろし生姜、刻み海苔)、金宮お湯割り×2→O形サイト更新(絵日記)→風呂および電動バリカンにて散髪→『女渡世人』(監督:小沢茂弘。藤純子、芦屋雁之助、堀正夫、水森亜土、鶴田浩二、斎藤浩子、北村英三、白木みのる、汐路章、川谷拓三、夏川静江、遠藤辰雄、木暮実千代、正司玲児、正司敏江。1971、東映)。大ヒットシリーズ『緋牡丹博徒』の終盤−−1970年3月公開の『緋牡丹博徒 お竜参上』と1971年6月公開の『緋牡丹博徒 お命戴きます』の間−−に製作された藤純子の新シリーズ。とはいうものの、『緋牡丹博徒』シリーズの第4作『緋牡丹博徒 二代目襲名』(1969年4月公開)の公開直後に開始された『日本女侠伝』シリーズが5作まで続いたのに対し、『女渡世人』シリーズは藤純子の引退もあり(1971年11月に発表)、2本しか撮られなかった。鶴田浩二との組み合わせの妙、まったく後ろ盾のない渡世人という設定、隙がある割には迫力があり美しい立ち回りなど、『緋牡丹博徒』シリーズと重なりつつも独自の魅力も醸し出しているだけに惜しいなあと思う。主人公の妻恋いお駒(藤純子)の旅の目的が母探しで、その展開が『瞼の母』を意識した−−というかお駒とその母親お滝(木暮実千代)とのやりとりは『瞼の母』そのもの−−展開、そこに母を亡くした筑波常治(鶴田浩二)の娘を絡めるという物語の構成も印象に残った(お駒が常治の娘に我が身を重ね合わせる、というところで、物語がドライヴする感じを感じた)。藤純子のお母さんのカラオケ%Iな熱唱も堪能→菊水堂ポテトチップス、レバーケーゼ炙り、煮干し出汁殻と青葱の炒め(ニンニク)、大根と油揚のおつけ、五分粥、柴又〈大徳〉佃煮(あさり、あみ)、柴又〈い志い〉青唐しば漬け、ビール中瓶×2、御酒×1→夜10時頃就寝。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記