2025年12月31日
12月まとめ(21〜31日)
山下耕作/藤純子/三益愛子/島田正吾『女渡世人 おたの申します』、HHKB初試用、『M-1グランプリ 2025』、〈むらさきmusicラボ〉通い再開、原田隆司/若山富三郎/三島ゆり子/菅原文太『極悪坊主 念仏三段斬り』、逆キリスト効果、広瀬勉『天沼』、デヴィッド・ドブキン/ヴィンス・ヴォーン/ポール・ジアマッティ『ブラザーサンタ』、トロイ・ミラー/マイケル・キートン/ジョセフ・クロス/ケリー・プレストン『ジャック・フロスト パパは雪だるま』、島崎藤村/市川崑/市川雷蔵/藤村志保『破戒』、大晦日に0.5mm坊主。
12月21日(日) 深夜起床→『女渡世人 おたの申します』(監督:山下耕作。藤純子、待田京介、林彰太郎、南利明、菅原文太、三益愛子、島田正吾、中村錦司、池田幸路、金子信雄、阿井美千子。1971、東映)。『女渡世人』シリーズの第二作にして最終作−−なのだが、前作『女渡世人』と異なり藤純子扮する主人公の名前も太田まさ子と変わり、『緋牡丹博徒』シリーズと同様にとある組の後ろ盾≠ェあるという設定。主人公の人物像こそ変わらないけれども、それは『緋牡丹博徒』シリーズで創り上げた藤純子≠ノ共通する個性であり、『女渡世人』シリーズの一作とする意味合いは希薄であるように思った。というか、シリーズに関係なく、単に藤純子主演の任侠映画として傑作、さらに言えば最高傑作ではなかろうかという出来栄えであった。島田正吾、三益愛子という名優の起用とその見事な藝の力も大きいが、大阪の南田一家の名代として博打の負けの取り立てに来た太田まさ子が土地のヤクザたち(滝島周蔵=金子信雄。そして大阪から滝島の加勢−−結果として−−にやってきた待田京介、遠藤辰雄)と戦うというのは他の作品でも見られる展開だが、太田まさ子が単に正義=i常識と品があり、女っぷりがよく、度胸があって腕が立つ女性)というだけでなく、その土地にとっては厄災を運んでくる疫病神としても描かれている点−−土地の女たちの視線が厳しい−−は物語に重層的な厚みをもたらしているし、終盤の大立ち回り(これがまた見事)にカタルシスだけでなくヤクザ稼業の虚しさという苦味も複雑な塩梅で与えている。そこに大阪で博打にのめり込んだ挙句に死んだ(殺された)良吉(林彰太郎)の盲目の母親に扮する三益愛子の名演がかぶさってくるからたまらない。任侠映画で涙を流したのは本作くらいではなかろうか。その「盲目の母親」の揺れ動く心理の描き方、演じ方も素晴らしく、一生記憶に残りそうな作品であった。これは任侠映画史上に残る名作であると思う→赤坂柿山の煎餅、金宮お湯割り×3→午前4時頃就寝→朝9時起床。白湯→大根と油揚のおつけ、五分粥、柴又〈大徳〉佃煮(あさり、あみ)、柴又〈い志い〉青唐しば漬け、東中野〈鮒富〉きりいか佃煮、納豆→B電子よりご進呈いただいたPFU製「Happy Hacking Keyboard Professional 2」を試用。Macへの接続は、本体のディップスイッチをひとつだけ切り替え、取扱説明書に従ってドライバーをインストールしたのみで問題なく(ケーブルも手元にあるもので間に合った)。キータッチは快適。カーソルキーを使うのにFnキーを押さねばならないのは慣れが必要だが、使っているうちに馴染むだろう。同梱いただいたキーボードルーフも便利→納豆そば(生卵)、御酒×1→風呂。電動バリカンで昨日刈った頭髪の微調整。刈り過ぎたような気もする→『笑点』から『M-1グランプリ』。最初に出てきたヤーレンズの漫才が、どこに向かうのかわからないまま引き摺り込まれる感じで従来の漫才の面白さを残した進化系と思い気に入ったのだが、毎年そうだという気もするが経験の浅い若手を売り出したいかのような結果に不満。決勝に残った中ではドンデコルテの漫才(一回めはデジタルデトックス、二回めは町の名物おじさん)が、狂気と狂気の持つ可笑しさがいい塩梅でよかったと思った。番組全体としては、漫才が始まるまでの時間や合間に無駄な時間が多く審査の際の評もぐだぐだな感想ばかりで明確な論評がないものが多いし、もう来年からは見なくてもよいかなと思った→菊水堂ポテトチップス、柿山の煎餅、レバーケーゼ炙り、揚げパン、ハムソテー、野菜スープ(キャベツ、ニンジン、カリフラワー、ニンニク)、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×3→夜10時頃いったん就寝→日付変わる頃起床→『M-1』見直し。ヤーレンズ、真空ジェシカ、ドンデコルテ、ママタルトだけ残しておくことにする→TBSの落語番組で圓生『三軒長屋(上)』、喬太郎『按摩の炬燵』、一朝『突き落とし』など聴きながら、金宮酎ハイ何杯か→朝方就寝。
12月22日(月) 朝9時半起床。白湯→大根と油揚のおつけ、ご飯、柴又〈大徳〉佃煮(あさり、あみ)、柴又〈い志い〉青唐しば漬け、酢昆布、生卵→午後、四ヶ月ぶりに〈むらさきmusicラボ〉。今回は私は、来年の発表会の際の「Tea for Two」の構想について説明しただけで、あとはO形のボイストレーニング(に入る準備)をぼおっと見物。小腹が空いたので、〈コメダ珈琲〉で買ってきたハムトースト、アイスコーヒー(コメダ珈琲)→帰途はどこかに寄って食事などせず、経堂駅前でクルマを停め〈パリミキ〉にて先日注文した跳ね上げ式メガネ受け取り、〈オオゼキ〉で買い物して帰宅→風呂→もずく酢(白髪葱、しらす干し)、豚生姜焼き、キャベツ千切り、じゃがいも細切り炒め、ビール中瓶×1→夜10時半いったん横臥→日付変わって起床→『極悪坊主 念仏三段斬り』(監督:原田隆司。有川正治、若山富三郎、中谷一郎、浪花千栄子、南利明、浦辺粂子、三島ゆり子、川谷拓三、城野ゆき、三上真一郎、三枝由佳、北村英三、守田学哉、南風夕子、志賀勝、遠藤辰雄、菅原文太。1970、東映)。『極悪坊主』シリーズ第四弾。真海(若山富三郎)は母親供養のための故郷へ帰る旅の途中で幼馴染の会津竹五郎(中谷一郎)に再会するが、竹五郎はすっかりやさぐれて鉄砲を抱えたいかさま博徒になっていた。竹五郎に反省を促して故郷へと向かった真海を待っていたのは、竜王一家(北村英三)と権田原一家(遠藤辰雄)の争いに巻き込まれた川人足たち(三上真一郎、城野ゆき、南利明)。そこに真海を親分の仇とつけ狙うヤクザの生き残り(有川正治)や権田原に雇われた竹五郎が、さらには真海の好敵手了達(菅原文太)までが現れ、死闘は複雑な様相を呈していく−− といった男たちの情け容赦のない争いに、アバズレ尼の白葉(三島ゆり子)や権田原の女小糸(南風夕子)のお色気もからんでくるわけだが、死闘とお色気の落差の妙が、本作の魅力だろうか。白葉がお色気要員かと思いきや以外なアクションを見せるし、本作もまた真海と了達の死闘で幕を閉じるかと思いきや真海の困難を了達が救ったりもするし、いろいろ戸惑いながら引き込まれていく感じが面白かった(真海が一時的に盲目になるのは『座頭市』へのオマージュ?かとも思ったが、両目に眼帯をしたままの大立ち回りなどは『座頭市』とはまた違った迫力があった)。かと思えば竜王と権田原の力≠フ用い方が特攻警察のようで、そういう意図があるのかは知らないが権力批判のようなにおいもした。一口に語れないような魅力を感じた→『阪妻と雄呂血 田村家の100年』見ながら煮干し出汁殻炒め、金宮酎ハイ×2→午前5時就寝。
12月23日(火) 朝10時起床。お茶→玉葱と油揚のおつけ、ご飯、青唐しば漬け、あみ佃煮、くるみ甘露煮→『鴛鴦歌合戦』(監督:マキノ正博。服部富子、小林三夫、竹林大八郎、阪東薪太郎、石丸三平、藤村平三郎、嵐壽之助、ディック・ミネ、石川秀道、楠栄三郎、近松龍太郎、福井松之助、富士咲実、大崎史郎、市川春代、志村喬、片岡千恵蔵、深水藤子、遠山満、香川良介、尾上華丈、河瀬昇二郎。1939、日活)。もはや新しい感想はないが、何度観ても底抜けに幸せな気持ちになるいい映画。それにしても、市川春代の台詞回しと歌は意図したものなのだろうか。まだ本数は少なかったとはいえ(1938年時点でも1/3が無声映画だったそうだ)日本でもトーキーが始まって十年近く経ってからの作品なので(1931年の『マダムと女房』から数えれば八年め)、作ってみたらこんなになった、ということでもないと思うので、不思議ではある。なお本作を最初に観たのは1986年11月、大井武蔵野館にて(ディック・ミネ扮する峰沢丹波守が「[]︎ボク〜は若〜い殿様〜」と歌いながら登場する場面に衝撃を受けた、というようなことを日記に書いている)。それから2006年2月、渋谷〈ユーロスペース〉にて(詳細は http://aokiosamublog.sblo.jp/article/187464280.html )。あとはDVDを購入し、記録があるだけでも2008年1月、2018年1月、2021年1月と観ている。今回は時代劇専門チャンネルにて宝塚版の放映があったのでそれを録画するついでに、続けて放映された本作も録画し鑑賞→O形の換気扇掃除をちょいと手伝い→『鴛鴦歌合戦 23年花組 宝塚大劇場』(原作:映画『鴛鴦歌合戦』、脚本・演出:小柳奈穂子。侑輝大弥、一之瀬航季、星空美咲、天城れいん、羽立光来、愛乃一真、太凰旬、海叶あさひ、珀斗星来、夏希真斗、鏡星珠、柚香光、美羽愛、綺城ひか理、星風まどか、和海しょう、永久輝せあ、舞月なぎさ、和礼彩、龍季澪、翼杏寿、涼香希南、南音あきら、涼葉まれ、聖乃あすか、美空真瑠、紫門ゆりや、春妃うらら、糸月雪羽、咲乃深音、帆純まひろ、峰果とわ、朝葉ことの、紅羽真希、高峰潤、航琉ひびき、京三紗、美風舞良、琴美くらら、凛乃しづか、峰果とわ、鈴美梛なつ紀。2023、宝塚クリエイティブアーツ製作)。マキノ正博『鴛鴦歌合戦』の舞台化。原作映画をそのまま、タカラジェンヌたちになぞらせたという趣かなと思いきや、骨董狂いの殿様&沢丹波守(永久輝せあ)の家にお世継ぎ問題が発生し、そこでのひと騒動を加えた構成。主人公の浅井礼三郎(柚香光)が実は…… という展開は面白く、このひと騒動≠かなりふくらませた格好ではあったが、しかしそこまでふくらませる必要があったかは疑問。峰沢丹波守の集めた骨董品を説明するくだりでは平敦盛(帆純まひろ)や熊谷直実(峰果とわ)まで出てくるが、邪推すれば、花組のメンバーをなるべく出演させるために物語をふくらませたのではないかという気もするし、その割にはそれが原作映画と違った魅力を放ったかというとそうでもないような気がする。とはいえ、夏祭りや立ち回りなどの群舞=|−原作映画にはない−−は生の舞台ならではの迫力で(といっても録画中継で鑑賞したので擬似体験ではあるが)、最終的には原作映画と同様「底抜けに幸せな気持ち」になった。生で観たらさぞ楽しかっただろうな、と思う→たいへんひさびさの〈KAPPE Diningtable〉にて遅い昼。やみつきニンジン、馬にくレソン、あか牛のガーリック炒飯、ビール中瓶×1、シン・コーラソーダ割り×2。炒飯がすこぶるうまく、持ち帰りもできるとのことなので、次の訪問時はおみやにしてみるか→〈ラクーン〉で洗濯物受け取って帰宅→少しうとうとしてから風呂→『鴛鴦歌合戦 23年花組 宝塚大劇場』復習→キャベツ千切りのしらすとかつ節和え(胡麻油、酢)、にんじんスープ(ニンニク、生姜、野菜クズスープストック、顆粒鶏ガラ)、柿山煎餅三枚、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×3→『地獄の蟲』(原作:稲垣浩、監督:山田達雄。柳沢真一、吉永唯志、今村民路、三堀優、三島謙、柳家小さん、三遊亭圓歌、佐藤陽子、戸上城太郎、逗子とんぼ、伊沢一郎、沢竜二、天方保、田村高廣、宮下順子、佐藤光、大槻茂、松山省二、高杉政雄、太田優子、松戸寿江、香川良介、花岡菊子。1979、マツダ映画社)。2023年8月以来二度め。新しかったり大きく違う感想はなかったので、前回の感想をそのまま引いておく。「1938年に稲垣浩監督・阪東妻三郎主演で制作されたが、終幕の自決の場面で晒の腹巻に血が滲むなどの描写が内務省の検閲にひっかかりお蔵入り。その稲垣浩による原作・脚本をそのままの形で、阪妻の長男・田村高廣主演で再映画化したのが本作。話としては、主人公・黒雲団十郎がふとした勘違い(実父を殺したと思い込む)で一介の強盗から本当の悪を自覚するところ以外はそれほどひねりは感じなかったが、無声映画時代の表現を現代にうまく活かした絵造り(効果音と音楽のサウンドトラックは演出物件としてフィルムに組み込まれている)と、終盤の大立ち回りはとても魅力的。話を知っていても何度も観たくなる、映画的魔術を湛えた作品と思った。すぎやまこういちによる弦楽・吹奏楽の八重奏団の音楽も、絵造りが無声映画時代の感じを採用したことを考えれば意外性があり、しかし本作にはよく合っていて印象的だが、左記の大立ち回りの場面で主題歌である桑原野人歌唱の「第一章 地獄の蟲」(作詞:なかにし礼)がかかるのは、いいんだか悪いんだかよくわからなかった。この歌は映画が始まる前の黒画面でかかり、タイトルバックでもかかるので、なにかしらの意味を持った楽曲なのだろう」→『ポルノ時代劇 忘八武士道』途中まで→午前3時頃就寝。
12月24日(水) 朝7時起床。白湯→玉葱と油揚のおつけ、ご飯、青唐しば漬け、あみ佃煮、あさり佃煮、釜揚げしらす→午前中〈中江クリニック〉受診。先月の血液検査の結果、中性脂肪が若干高いそうだが、コレステロールのバランスが悪くないので、特に問題はないとのこと→薬局、銀行ATMののち、お好み焼き屋が昼だけ蕎麦屋を始めたという〈麺処ひじり〉にて昼。かけそばにかき揚げ、卵。立ち食いそばスタイルの天卵で670円はちょいと高いが、まあ今どきそんなものか。家でこしらえるのと大差はないが、午前中や昼時に駅付近にいるとかは重宝するかな→薬局でクスリ受け取って帰宅→風呂→夕方高円寺に出て、たいへんひさしぶりに〈ちんとんしゃん〉。青江美奈を堪能しながら、楽しくまあまあの大酒。おでん、ビール中瓶×1、御酒×5。先日〈bar dress〉にて森谷さんと酒は飲めば飲むほど水になっていく≠ニいう話をしたが、本日それを実感したのは、クリスマス・イヴ故の逆キリスト効果か→〈鳥渡〉に移動し(これまたひさびさ)、金宮お湯割り×2で締め。たまのバンド「たま」の知久寿焼さんいらしてて、初対面だが楽しくおしゃべり。〈鳥渡〉のマスター、知久さん、詩人の矢川澄子、踊り手の室野井洋子が一緒に暮らしていた頃の写真集『天沼』(マスター撮影)を購入。せっかく知久さんからサインをいただいたのに、酔っ払っていてインクが乾く前に指を置いて台無しにしてしまった→どうやって帰ったか覚えてないが、無事帰宅(ただし〈鳥渡〉に襟巻きを置き忘れる)。
12月25日(木) 昼過ぎ起床。白湯。宿酔→玉葱と油揚のおつけ(揚げ玉)、ご飯、青唐しば漬け、あみ佃煮、あさり佃煮、釜揚げしらす→宿酔ひどくて終日何もできず→昼はカップ麺(New York NAKAMURA かけそば塩)、刻み葱、海苔→本日はひさびさにカレーを作ることにして材料をO形に買い出しに行ってもらい、風呂ののち晩の支度→菊水堂ポテトチップス、大根と油揚のおつけ、チキンカレーライス、ビール中瓶×1→『ブラザーサンタ』(原題『Fred Claus』、原案:ジェシー・ネルソン/ダン・フォーゲルマン、監督:デヴィッド・ドブキン。キャシー・ベイツ、ジョーダン・ハル、トレヴァー・ピーコック、リアム・ジェームズ、テオ・スティーブンソン、ヴィンス・ヴォーン、アリソン・スパロウ、レイチェル・ワイズ、ボビー・J・トンプソン、リオ・ハックフォード、ポール・ジアマッティ、ミランダ・リチャードソン、ジョン・マイケル・ヒギンズ、エリザベス・バンクス、リュダクリス、ジェレミー・スウィフト、ケヴィン・スペイシー、エリザベス・ベリントン、ラスティ・ゴフ、アラン・コーデュナー、ウィリアム・ディック、フランク・スタローン、ロジャー・クリントン、スティーブン・ボールドウィン。2007、米Warner Bros.)。サンタクロース(ポール・ジアマッティ)にフレッドという兄(ヴィンス・ヴォーン)がいて、弟が生まれつきあまりに聖人だったため(という日本語も変だが)根性が捻じ曲がってしまい、しかし根性が捻じ曲がったまま自分なりの倫理でもって社会の一員としてまっとうに暮らしている。ある日フレッドは警察沙汰に巻き込まれ、保釈金を弟に出してもらうよう頼むが、そこで事業資金も一緒に出してもらおうと思いつく−− という発端から、クリスマスやサンタクロースを毛嫌いしていた兄と、その男を疎んじながらも聖人として気にかけていた弟との確執と愛憎の物語が始まるわけだが、クリスマスやサンタクロースについての覚めたそして距離を置いた監督や製作者たちの視線がとても面白く、クリスマスやサンタクロースが心温めてくれる素敵な風習・存在であると同時に、いかに滑稽にも見えるかという描き方の塩梅がよく、何度も笑わせられた。それと偉大なる兄弟≠持ったものの悩みを描くのに、実在の人物−−シルベスタ・スタローンの弟フランク、ビル・クリントンの弟ロジャー、アレック・ボールドウィンの弟スティーブン、それぞれのご本人−−を登場させるというアイデアも気が狂っていてよい(フレッドも合わせて、「兄弟との葛藤を乗り越える会」というカウンセリングに参加しているという設定)。さらにフレッドとサンタクロースの喧嘩や仲直りが実に子供染みているのも可笑しいし、北極のプレゼント工場を閉鎖に追い込む目的で視察に来るクライド(ケヴィン・スペイシー)が狡猾かつ残酷な大人なのにその動機がやはり実に子供っぽいという点も面白かった。物語の展開に無理があり、また伏線(のつもりはなかったのだろうが)の回収がなされていなかったり説明不足だったりする箇所も散見されるのだが、その割には雑な感じもしないし、そういう点が不思議と気にならなかった。例によって?Rotten Tomatoesの評価は辛いようだが、こういう映画にケチをつけるのではなく騙されにいくのが映画鑑賞の魅力のひとつではなかろうかと思う。そういう「騙されにいく」魅力が十二分にある映画と思った→ラムお湯割り×4→午前3時就寝。
12月26日(金) 朝9時起床。白湯→大根と油揚のおつけ、チキンカレーライス(トマトとマスタードシードのテンパリング追加、ジーラライス)→三日前から始めた花札(こいこい)のアプリに淫してしまい、本日も午前中を潰す→もずくそば(葱、揚げ玉)→午後も花札→風呂→菊水堂ポテトチップス、葉の花おしたし(しらす干し、かつ節)、鶏もも肉と大根と豆腐の煮物、カレー小皿、ビール中瓶×2、御酒×1→夜10時頃就寝。
12月27日(土) 日付変わってすぐ起床→『ジャック・フロスト パパは雪だるま』(原題『Jack Frost』、監督:トロイ・ミラー。マイケル・キートン、マーク・アディ、トレヴァー・ラビン、リリ・ハイドン、ルイス・モリノ3世、スコット・コロンビー、ドゥイージル・ザッパ、アーメット・ザッパ、ムーン・ユニット・ザッパ、ジョセフ・クロス、テイラー・ハンドリー、ミカ・ブーレム、ベンジャミン・ブロック、ケリー・プレストン、ヘンリー・ロリンズ、ジョン・エニス。1998、Warner Bros.)。死んだ父親=売り出し前のバンドのフロントマンであるジャック・フロスト(マイケル・キートン)が、魔法のハーモニカ=|−と、いい加減なことを言って息子チャーリー(ジョセフ・クロス)に渡したもの−−によって雪だるまとして蘇り、父と息子の関係を修復していくというハートウォーミング・コメディ。ウォーレン・ベイティ『天国から来たチャンピオン』(1978)などと似ているといえば似ているが、チャーリーにはジャックその人とわかるから、違うと考えるべきなのか。いずれにせよ、雪だるまとしてこの世に戻ってきたジャックが雪合戦でチャーリーを助けたり、スノーボードで一緒に悪ガキたちの攻撃から逃げたりする様や、雪だるまの造形と動きそのものが子供染みていて可笑しく、その辺は本作ならではの魅力であり、軽々に共通点のある先行作品と比べることもないとは思う(まあ、思い出す程度、である)。ハートウォーミング・コメディとしては、ありきたりといえばありきたりという気もするが、何故これを劇場公開作品として買い付けなかったのかを不思議にも思う(とはいえ、米国での評判はあまりよくなく、興行も成功しなかったそうだ)。なお「ジャック・フロスト」という名前は、イングランドの民間伝承に登場する「霜男=Jack o' Frost」(雪と氷でできた妖精)から取られたと思うが、作品内では特に言及はなかった(冒頭でジャックがバンドと共に歌い演奏する曲は、Jack o' Frostについて歌ったものかもしれない)→柿山煎餅、カレー、大根と豆腐の煮物、即席ラーメン(生卵、海苔)、ラムソーダ割り×3、御酒×2→午前5時就寝→昼頃起床。白湯→風呂→『ジャック・フロスト パパは雪だるま』再見→もずく酢、ポルジー菌のソーセージ、大根と豆腐と鶏もも肉の煮物、ロースハムとトマト、チキンカレー、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ2→夜8時いったん就寝。
12月28日(日) 日付変わってすぐ起床→明朝の支度(おつけ、粥)→『関東遊侠伝』(原作:瀬戸口寅雄『昭和水滸伝』、監督:松尾昭典。三島雅夫、宍戸錠、和田浩治、小林旭、大坂志郎、河上信夫、松原智恵子、村田英雄、玉村駿太郎、深江章喜、富永美沙子、新川二郎、上月左知子、紀原土耕、郷^治、菅井一郎、天草四郎、木島一郎、藤岡重慶、芦田伸介、五月みどり、堺美紀子。1963、日活)。小林旭初の任侠映画主演作品。宍戸錠と郷^治が共演で、大坂志郎も軽妙ながら渋い芝居を見せてくれるのだが、今年は本数を過ごしたので、集中力を欠いてしまった。五月みどりが水藝の藝人役で出演しているし、少し休憩してからまた観たい→煮干し出汁殻ニンニク唐辛子炒め、金宮お湯割り×1、御酒×3→午前5時頃就寝→朝10時半起床。お茶→あさりと大根と油揚のおつけ、舞茸と卵の粥→午後も特になにもせず→風呂→菊水堂ポテトチップス、鮭中骨缶詰、ソーセージ舞茸炒め、チーズパンラスク、ビール中瓶×1、御酒×3→夜9時いったん横臥。
12月29日(月) 日付変わってすぐ起床。白湯→すぐ就寝→朝9時起床。白湯→あさりと大根と油揚のおつけ、舞茸と卵の粥、あみ佃煮→今日も一日中花札三昧→きつね月見そば→『やくざ渡り鳥 悪党稼業』→菊水堂ポテトチップス、ひと口サンドイッチ、ビール中瓶×1→風呂→『ザ・イロモネア年末SP』。いくつかは面白かったが特に感想はなし→ロースハムソテー、牡蠣寄せ鍋(白菜、ぶなしめじ、ひらたけ、えのき、青葱、豆腐)、締めの稲庭うどん、ビール中瓶×1、御酒×1→少し眠ってから深夜起床。そばつゆ、昆布の出汁殻で酢昆布、鍋のつゆで明朝の粥など製作→朝方5時就寝。
12月30日(火) 朝8時半起床。白湯→あさりと大根と油揚のおつけ、牡蠣寄せ鍋出汁の粥(油揚、葱、溶き卵)→花札と『不適切にも程がある』再放送→午後経堂駅前に出て、まずは〈バンコク・キッチンデリ〉で昼。カオソーイ・ガイ、ビール小瓶×1→〈しらかめ〉で年越しそば受け取って帰宅→のし餅裁断と雑煮用の鶏ガラ出汁の作業→『破戒』(原作:島崎藤村、監督:市川崑。浜村純、伊達三郎、加藤嘉、市川雷蔵、見明凡太朗、長門裕之、浦辺粂子、船越英二、藤村志保、宮口精二、潮万太郎、潮万太郎、三國連太郎、岸田今日子、杉村春子、中村鴈治郎。1962、大映)。1948年の木下恵介版と同様、原作から落としてはならない要素を丁寧に吟味して再構築したという印象だが(猪子蓮太郎とその妻については原作とは違うアプロートで描いたそうだが)、その上で観るものを映像に引き込む様々な工夫(映像編集はもちろん、音楽や、蓮華寺の鐘の音など効果音に至るまで)を考え抜いた、という印象を得た。部落差別を中心としながらも人間が本来持つ弱さや汚さを敢えて強調するでもなく、しかしそうした人間の諸要素が観る側の心にしっかりと刻み込まれるようなところに、市川崑という作家の非凡さを感じた(本作だけではないが)。ちなみに本作は藤村志保のデビュー作で、島崎藤村と本作の役名「お志保」から藝名を取ったそうだ→菊水堂ポテトチップス、酢昆布、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×2→遅い午睡→『家族』(監督・原作:山田洋次。倍賞千恵子、井川比佐志、梅野泰靖、笠智衆、木下剛志、瀬尾千亜紀、太宰久雄、花沢徳衛、前田吟、富山真沙子、佐々木梨里、ハナ肇、犬塚弘、桜井センリ、石橋エータロー、安田伸、森川信、谷よしの、三崎千恵子、水田成美、渥美清、春川ますみ、塚本信夫、松田友絵。1970、松竹)。「民子三部作」の一作め。長崎の伊王島に住む一家が、炭鉱で働く主人風見精一(井川比佐志)の若い頃からの北海道の開拓集落に入植して酪農家になる≠ニいう夢を実現させるべく、広島福山に住む精一の弟力(つとむ。前田吟)、万博開催中の大阪、東京を経由して、北海道に渡ったあとは函館本線、室蘭本線、根室本線、標津線と列車を乗り継ぎ、精一の高校からの友人亮太(塚本信夫)が酪農家として暮らす道東・中標津の地に辿り着く。旅の途中でまだ赤ん坊の娘が息を引き取り、中標津に着いてからは精一の父源蔵(笠智衆)が65歳で死ぬ。精一は後悔の念に苛まれながらも妻民子(倍賞千恵子)や仲間たちに励まされ、酪農家として成長しつつ、そんな中民子のお腹に新しい命が宿る−− という物語を通じてひとつの家族¢怩提示し、また1970年現在の日本の姿−−当時の社会背景や日本列島独特の風土など−−を記録するという意図のある映画だとは思ったが、「家族¢怐vについては、私には無知な田舎者が身近な人間のことなど考えもせず自分勝手かつ無計画に突っ走った挙句行き詰まって体力のない家族を死に至らしめる、という部分が気になってしまい、作り手が何を伝えたかったのか、受け手は何をどう考えたらよいのかがほぼわからなかった。特殊な(特殊と思える)背景や事情や人格などを持った個≠フ行動や境遇を追っていくことによって普遍的な何かが浮かび上がってくる、というのが映画の存在意義のひとつであるようにも思うのだが(むろんそれだけではないだろうが)、そういう「普遍的な何かが浮かび上がってくる」という動きが、私にはこの映画からは受け取れなかった。ただし山田洋次作品ということで、そういう色眼鏡で観てしまっている可能性は否めない。ところどころでほんのちょっとだけ登場する花沢徳衛、太宰久雄、(植木等除く)クレージーキャッツの面々、森川信、三崎千恵子、渥美清、春川ますみが、本作の特徴である「各地のロケ場所に暮らす素人を本人そのものの役で起用」(Wikipediaより引用)という枠内の(役ではなく)素の人間に見える点(渥美清はちょっと違うか)、澄江が力との結婚直前に勤めていたのが〈海員閣〉であるという点(昔の店内が少しだけ映される)、そして井川比佐志も倍賞千恵子も前田吟も素晴らしい芝居だがやはり笠智衆の藝が突出してしまうという点は、印象に残った→『遙かなる山の呼び声』(監督:山田洋次。倍賞千恵子、吉岡秀隆、高倉健、大竹恵、杉山とく子、ハナ肇、粟津號、神母英郎、武田鉄矢、木ノ葉のこ、渥美清、鈴木瑞穂、土田桂司、園田裕久、青木卓司、畑正憲、笠井一彦、下川辰平。1980、松竹)。道東・中標津の地で酪農を営む風見民子(倍賞千恵子)のもとに、深夜突然ひとりの男田島耕作(高倉健)が道に迷った≠ニ訪ねてくる。納屋にひと晩泊めてもらった田島は翌朝発つが、しばらくして舞い戻り、しばらく働かせてほしいと申し出る。牧場で働いた経験がある田嶋は真面目かつ役立つ人間で、次第に地域にも馴染んでいくが、実は二年前に妻を自殺に追いやった高利貸しを殴り殺し警察に追われていた。ついに警察の捜査が中標津の地にも及び、田島はそれ以上逃げずに逮捕され、実刑を言い渡される。列車での護送途中、民子が田島の前に現れ、同行してきた土地の北海料理屋社長の虻田(ハナ肇)の独り言によって、田島にいつまでも待っている℃|を伝えて映画は終わる。「民子三部作」の三作めに当たるが、本作は「各地のロケ場所に暮らす素人を本人そのものの役で起用」という手法やドキュメンタリー風の撮影を用いない劇映画であって、たしかに倍賞千恵子が「風見民子」であって舞台も『家族』と同じ北海道中標津ではあるが、「三部作」と言われるといささか違和感を感じる。劇映画≠ニして撮るのが云々というより、どうせなら『家族』の後日談をきちんと描いたほうがよかったのではないか−− 主人公の名前こそ完全一致しているが、『家族』での夫は死去したことになっていて出てこないのはいいが名前も微妙に違う(『家族』では「精一」だが本作では「セイジ」と聞こえるし、またもともと土地の人間のようである)。息子(当時十歳の吉岡秀隆扮演)の名前も「タケシ」であるものの字が違うようだし(『家族』では「剛」だが本作では「武志」)、また『家族』では終幕で民子が身籠っていることがわかるが本作では子供はひとりだ(『家族』が1970年作であるから、ひょっとしたら「剛」は死にそのあとに生まれた子供に「武志」と名付けた設定で、それに私が気づかなかっただけかもしれない)。単に「民子」だけ同じであとはまったく違う設定ならまだしも(『故郷』はそうだった)、微妙に重なる点も多いので、そういうところがノイズ≠ノなって集中できなかった、と言い訳したいのが正直なところ。で、本作を単体≠ニして観た場合はどうかなというと、『シェーン』のオマージュである点はわかったし終幕は感動的とは思うものの、田島が高利貸しを殴り殺す場面でも民子の過去でもなんでもいいが、もう少し登場人物(役者)や物語/画面/芝居から醸し出される多彩さや深みがほしかったようにも思う→鶏ガラ出汁殻醤油炒め、骨スープ、雑煮スープ、冷やし月見そば、ビール中瓶×1、金宮酎ハイ×4→朝方5時就寝。
12月31日(水) 朝10時半起床。白湯→終日なにもせず。夕方入浴時、頭を0.5mmまで刈り込んでみるが、あまり違和感等なくそんなに面白くなかった→朝:牡蠣寄せ鍋出汁の粥鶏ガラ出汁殻醤油炒め乗せ→昼:牡蠣寄せ鍋出汁の粥(落とし卵)鶏ガラ出汁殻醤油炒め乗せ→夜:天ぷら(ひらたけ、舞茸、やまぶしたけ、さつまいも、ごぼう)、マグロ刺身、鰤刺身、牛蒡牛肉巻き、かまぼこ、もりそば、ビール中瓶×1、御酒×4→『紅白』途中までで就寝。年老いた歌手に自作の「輝きは戻らない/私が今死んでも」という歌を歌わせるのは悪趣味だな→2025年終了。
posted by aokiosamublog at 23:00| 小ネタ/思考/日記